『癒される』…(受身表現についての新説?)
今日の「まちかど情報室」、『部屋で楽しむ小さな“緑”』と題して、試験管の中で育てる植物や、動物のような肌触りの植物、音に反応して動く植物、そしてジオラマ盆栽などを紹介していました。
どれも確かにかわいい感じがしましたね。特にジオラマ盆栽ははまりそうだな。新しいタイプの箱庭でしょう。日本独特の世界観です。なんで日本人てミクロ的に進むんでしょうね。箱庭なんて、まさに微分と固定の最たるもの、つまりオタク文化ですな。そんなところに「癒される」自分たちって…。
そう、今日の「まちかど情報室」の中でも、何人かが「癒される」って言ってました。ストレスから解放されると。
で、突然思いついたのですが、この「癒される」という言葉、ちょっと面白いかも。本当に最近になって急に勢力を増してきた表現ですね。文法的にはもちろん「癒す」+「れる」ですね。つまり、他動詞+受身の助動詞です。
みなさんは普通の表現だと思いますよね。でも、私はちょっと新しいことに気付いたんです。誰も言ってないんじゃないかなあ。
日本語の受身というのは、意外に厄介なものです。外国人が日本語を勉強する時、けっこうよくつまずく所だそうです。ごくごく簡単に説明します。言語学や日本語学では、直接受身と間接受身というような区別をすることが多いのですが、ここは自分流に行きますね。
私(だけ)は恩恵と迷惑で分けます。ここでは自動詞とか他動詞とかも関係ありません。かなり過激な新説です。ちなみに「この本は○○によって書かれた」のような表現は、翻訳用の表現として、古来の日本語の受身とは考えません。肝心の「感情」が関与しないからです。表現者の感情が主題になるので、その表現者が主語となった(実際は省略されがちですが)のが、日本語の受身だと考えるわけです。
恩恵の受身=先生にほめられた。法によって守られる。神に愛される。
迷惑の受身=先生に怒られた。足を踏まれた。雨に降られた。
子どもに一晩中泣かれた。財布を盗まれた。
古語の例も挙げたいところですが、今日は省略。ただこれだけは書いておきましょう。日本語の受身は圧倒的に「迷惑」が多い。感情としての頻度(特に昔において)や記憶への刻印度として、「恩恵」よりも「迷惑」の方が高いというのは、なんとなく経験的に分かりますよね。ちなみに、私は「生まれる」も基本的には「迷惑」であると考えています。自分の意志とは関係なく「生まれる」。そう、日本語の受身の感情には「自分の意志とは関係なく」というのも含まれていますね(「〜てもらう」表現は自分の意志です)。
で、問題の現代語「癒される」ですが、これはどう考えても「恩恵」ですよね。いい気持ちですから。それでですねえ、今「癒される」の使い方をよく観察してみるとですねえ、もちろん「私は小さな緑に癒される」という表現も多々あるんですが、単独で「癒される〜ぅ」と言うこともけっこうあるんですね。感動詞のように使っちゃうんです。
これは日本語の歴史の中でも、ちょっと珍しいのではないかと。感動詞のように単独で「ほめられる〜」とか「守られる〜」とか「愛される〜」とかってほとんど言いませんよね。迷惑ではあったんですよ。「殺される〜!」とか「生まれる〜!」とか、単独で使われることが。
ん?今また変なこと思いついたんだけど、「生まれる〜」って言うのは変ですねえ。だって母親が言うんでしょ。だったら、「生む〜」じゃないのか?生まれてくる子どもが言うんだったら分かるけど。これは「ウンコが出たい」というのと同じなのか?それまで自分の一部であったのに間もなく自分でなくなるものに対する感情移入というか…。ま、それはまた考えよう。
えっと、そうそう、「癒される〜」です。主題である「表現者の感情」がそれこそ感極まってしまい、「誰が」、「何に」をも省略してしまう(表現し忘れる)究極の恩恵受身表現、と言えないでしょうか。
感極まった表現としては、「しびれる〜」とか「いやあ、極楽極楽」とか「ん〜マンダム」?とかありましたけど、もう完全なる死語ですね。ほとんどギャグ語になってます。というわけで、この「癒される〜」も、あの「萌え〜」もいつか彼らの仲間入りするんでしょうな。言葉(&人間の心)とは面白いものです。
今日はホント思いつきを書き留めました。いつかまじめに考えてみますね。
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コメント
はじめまして。ココログガイドから来ました。
いろいろ面白く読ませていただいたのですが、「生まれるー」に関して私見を。
やはり自分の出産経験を思い出しても、「生むー」とはとても言えません。自分の意思でコントロールできないのです。
なんか、こう、ホルモンの働きによる陣痛の進み具合と、お腹の子どもの動き具合が火山の爆発寸前のような巨大なうねりを体内で作り出し、自分の体なのに自分には訳のわからん出来事が進行しているっ!!という状態で、やっぱり「生まれるー」が実感です(笑)。
はじめての書き込みなのに長々と失礼いたしました。
投稿: glasshouse | 2006.01.16 10:38
glasshouseさん、はじめましてです。
コメントありがとうございました。
そう、そうらしいですね。ウチのカミさんも全く同じ表現で同じこと言ってました(笑)
やっぱり受身には「自分の意志ではない」という要素があるんですね。
基本的に受身は使役の反対側です。
受身になった時点で、なにものかの「しもべ」になってるんですね。
この場合は「子ども」のしもべなのかな?いや神様かな。
そう考えると、「生まれる」は「迷惑」でもあり「恩恵」でもあり…。
というか、いまや「生まれる」は受身としてとらえられていませんね。
生むに対する自動詞です。
たしかに、排泄物の場合(汚い話ですみません)も、
「出すー」とは言いませんね。自動詞です。
冷静に考えれば単にそういうことなんでしょう。
では、また。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2006.01.16 11:04
かなり以前の投稿にコメント失礼いたします。
「紅葉に癒されに行く」という文章が変に思えて
いろいろ検索してこちらにたどり着きました。
出かけた場所できれいな紅葉を見て「癒された」のならわかるのですが。
気分直しに紅葉を見に行く、というのもわかります。
自分の意志とは関係なく調子悪い心や体が治るのが「癒される」だと思っていたので、この文章でちょっと溜飲が下がった思いです。
投稿: がまくじら | 2016.11.06 16:35