書道家『武田双雲』
昨日の夜、BS-iの「超人」で書道家武田双雲さんを取り上げていました。なるほどストリート・カリグラファーもかっこいいですな。普段から音楽と書との関係について、人一倍の興味を持っているワタクシといたしましては、なかなか興味深い内容の番組でした。好きか嫌いかは別として、彼の活動はかなり新しい。
はっきり申して、書の世界はよく分からん世界です。上手いのか下手なのか分からん字が、今日も濫造されている。私は全く字は書けないのですが、しかしまあ観る目はそこそこあると自負しています。それは、音楽をやってきたからです。
書って空間芸術ではないんですよね。どちらかという時間芸術。単に美しい書というのは、私にとってはデザインに過ぎません。レイアウトの上手な書はいくらでもあります。昨日も双雲さんの運筆を見ながら思ったんですが、あの動きって、たとえばバロック・ヴァイオリンの運弓にそっくりなんですよ。だいたい、「運○」というのが似てるじゃないですか。操るんじゃないんです。動かすんじゃないんです。運ぶんです。
物を運ぶ時って、意外に主体性がないんですよ。どこからどこへ運ぶか、何をどれくらい運ぶか。それによって運び方がかわる。最も自然な運び方というのがそれぞれあるわけでして、そういう意味では、宅配便のおにいちゃんたちって芸術家してますな。とにかく、ある意味で相手に合わせなくてはいけないんです。書でも音楽でも、そういう部分ってあると思います。
一回性という意味でも書は音楽に近い(双雲さんは二度書き、三度書きOKらしいけど)。私が書を観賞する時注目するのは、その流れであり、リズムであります。そして、響き。これは空間(余白)にも関わりますね。
ディナーミク、アーティキュレーション、様式感、そして意味…まさに筆で奏でる音楽だなあ。と思ったら、双雲さんのサイトのトップにそんなようなことが書いてあったんで、妙に納得してしまいました。あと番組でもやってましたけど、他の人と一画ずつ書きっこするやつ。あれはいいセッションですね。今までの書は全て無伴奏だったんで、ちょっと辛いところがあったんですよ。それを、ああいう形で乗り越えちゃうとは。やられた!と思いました。
ただ難しいのは、音楽や書の世界が近代化してしまったということですね。つまり、演奏会というシステムや、コンペティション、そして芸術家という職業の成立、あっもちろん妙な師弟制度もですね。書も全くいっしょです。昔は全然違ったんですけどね。昔に戻る、つまり現代のシステムから外れるには、とんでもない勇気と才能を必要とします。
彼はまだ若いですし、ある意味今はちやほやされているので勢いがありますけれど、これから大変でしょうね。だいたい想像できるんですけれど、あと10年くらいしたら壁にぶつかるかも。いい意味での壁ですよ。それを乗り越えたらホンモノでしょう。
なんて、偉そうなこと言ってますなあ、オレ。すみません。いやいや、期待してるんですよ。才能も勇気もセンスも発想の自由さも充分にありますから。
最後にもう一つだけ。音楽も書も舞踏から学ぶことがたくさんあると思います。以上。
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