O-Zone 『DISCO-ZONE〜恋のマイアヒ〜』
The O Zone 『Discozone』
カミさんが借りてきました。聴いてみたらなかなかどうして面白かった。久々に音楽の本質について考えさせられました。
某日本のレコード会社さんのおかげで、すっかりヒットしてしまった「恋のマイアヒ」です。その会社さんの商魂のたくましさ、音楽への敬意のなさ、品位の低さには、まったく驚かされました。ま、そのおかげでこうしてこのアルバムを聴くことになったわけですから、感謝しなくちゃいけないんですがね。
さて、モルドヴァ共和国出身の3人組O-Zoneの音楽、いわゆるヨーロッパディスコです。70年代から80年代に日本でも流行った東欧系ディスコミュージックの系譜ですね。実はこの系統の音楽、当時の私は大嫌いでした。おバカディスコとか言って、あえて聴かないようにしていました。ビルボードやキャッシュボックスのチャートしか知らなかった私は、日本のチャートにそういう曲がランキングされるのを憂いていました。
その偏見を吹っ飛ばしてくれたのが、かのジンギスカンの中心人物レスリー・マンドーキのアルバムです。そこで展開されていたのはオシャレな西洋音楽でした。しかし私は、逆説的にあることに気づかされたのです。ああ、彼らの頭と体の中には、いわゆる西洋音楽(若かりし頃の私はそれこそが音楽だと思ったいました)以外の音楽もあるのだ、と。彼はハンガリー出身のミュージシャンでした。
私が感じていた違和感というのは、たとえば自国の演歌に対するものと同質のものであったと、今となっては反省されます。私も歳をとって、いろいろな音楽体験をして、そしてようやくいわゆる西洋音楽だけが音楽ではない、いやいわゆる西洋音楽こそがワールドミュージックの中の特異な存在であるということに気づいたわけです。
というわけで、O-Zoneがヨーロッパでうけた、日本でうけた、アメリカでもそこそこうけた、ということは、実にめでたいことです。アメリカの音楽市場はたしかに成熟しています。市場としての魅力もわかります。しかし、アメリカが中心であったり、正統であったり、スタンダードであったりする必然性は何もありません(音楽以外についても言わずもがな)。そういう意味で、彼らの奏でる旋律と「英語ではない言葉(ルーマニア語)」は皮肉にも実に魅力的に響きます。
音楽的に言うと、やはりアジアなんですね。明らかにロシア民謡、韓国演歌、日本の歌謡曲などにつながっています。西洋音楽的に言うと全曲マイナー(短調)なんですね。しかしコード的にはメジャーコードも多用される。これはいわゆる西洋音楽以外の音楽ではよくあることなんですが、つまりは長調、短調の区別なんてないのです。だから自由に行き来する。それが普通なのです。あと、単調なリズム(これが縦ノリディスコになる)と同一のコード進行の繰り返し。つまりバスの循環。
こんなことも思い出しました。バロック時代の大作曲家テレマンは、よくスラヴ系の楽章を挿入しました。彼はドイツ人ですが、当時のイタリアやフランスの音楽を取り入れたのはもちろん、ポーランド系の民族音楽風なダンスミュージックにも興味を持ちました。いわゆる西洋音楽が確立してくる時代にしては珍しい趣味だったと思います。で、その曲たち、なかなかカッコよかったりするんでね。当時もうけが良かったらしい。演奏していても何かが解放されるような気がするんですよ。これは現代においてO-Zoneがヨーロッパや日本で受け入れられる現象と似ているのでは。
というわけでして、とにかくO-Zoneはなかなか興味深いですよ。たしかに気持ちいい。メロディーもいいですし、単調な循環も心地よい。そして歌、いや唄もなかなか巧い。これをチープとして片づけのは少しもったいないですね。年末の番組で彼らが輝いていたのもうなずけますね。
Amazon 『DISCO-ZONE〜恋のマイアヒ〜
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