ACIDMAN『季節の灯』と「もののあはれ」
期せずして、昨日の記事の続きとなりました。昨日は1曲選ぶのは困難だと申しましたが、今日はあえてこの1曲を挙げて、そして私の「もののあはれ」論を展開いたします。
…なんて、ものすごい展開でありますが、これもひとえにACIDMANの音楽のおかげであります。私はふざけているのではなく、真に彼らの音楽に「もののあはれ」を感じたからこそ、こうして書く気になったのです。
さて、このブログにも(「萌え=をかし」の対照概念として)しょっちゅう登場する「もののあはれ」。日本文化を語る上で必ず登場する言葉でありながら、どうもその内容がはっきりしていませんでした。初めてこの言葉を書き残した紀貫之はもちろん、本居宣長も適当にお茶を濁していて、こういうものだと明言していません。それを和辻哲郎は私同様不満に思いまして、お得意の小難しいこじつけ(失礼)でこう説明しました。
『 「もののあはれ」とは畢竟この永遠の根源への思慕でなくてはならぬ。…「物のあはれ」とは、それ自身に、限りなく純化され浄化されようとする傾向を持った、無限性の感情である。すなわち我々のうちにあって我々を根源に帰らせようとする根源自身の働きの一つである』
どうでしょう、全く分かりません。いつもこの調子です(笑)。「永遠の根源への思慕」はいい表現だと思いますけれど、「無限性の感情」というのはどうかと…。
また、最近では大野晋先生がこちらなどで「不可変性(変えられない運命)へのあわれ」のような感じで説明しています。惜しい!まことに惜しいですね。「不可変性」と言うと誤解を生じかねません。「もの」は変化しない…いや、「もの」は変化そのものなんですよ。
私に言わせると「もの」とは「不随意性」の象徴なんですね。何ものも「変化」を余儀なくされる。無常ですね。それはたしかに運命です。その運命を変えることはできないわけですから、言いようでは「不可変性」にもなります。それは分かるのですが、大野先生は「もの」自身に「不可変」的な性質を見ようとなさるので、間違いというか誤解が生じるのです。思い通りにならないのが「もの」ですから、「不随意性」を象徴する語と考えた方が自然でしょう。
私の研究?によれば、「もののあはれ」の説明としては「変化(無常)に対する言葉にならない詠嘆」というのが、一番しっくり来るような気がします。「あはれ」は感動詞としてもよく用いられました。
そして、人間の本能として、その無常を恒常にしたい。それが「かたる」=「こと」化です。その一つの道具(メディア)が「ことば」というわけですね。「ものがたり」とはそういう意味なのです。
現代では、様々なデジタル・デバイスやデジタル・メディアが「ものがたり」=「こと」化の道具となっています。そう考えると、人類の歴史は、全て「もの」から「こと」へ、「不随意」から「随意」へ、「茫漠」から「明確」へ、「未知」から「既知」へ、「浮動」から「固定」へ、「不安」から「安心」へと進んできた、と言えるような気がしますね。
そして、デジタル化とともに急速に我々の手にもたらされた「こと」に群がるのが、(私も含めて)「オタク」たちであり、その際の心理状態が、古来主に女性によって担われてきた「をかし」、すなわち、近年で言えば「カワイイ」、そして女性化した男性の「萌え」であると考えているのです。まあ、そのあたりはいずれ詳しくお話ししましょう。
で、またまた前置きが長くなって、メインディッシュが出る前に時間(紙面?)がなくなってしまいました。でも、このACIDMANの『季節の灯』の歌詞を読んでいただくだけで、あるいはこの曲を聴いていただくだけで、私の言いたいことがお解りいただけると思います。
歌詞はこちらでお読みいただけます。
特にサビの『いつの日か私も君も終わってゆくから 残された日の全て 心を添えておこう』という部分、これはそのまま「もののあはれ」だと思います。君に対して、ただ「スキスキ」と言うのではありません。その刹那の感情にまかせるのではなく、大きな時間の流れを感じ、その流れを止めることのできない人間の無力さを直視する。そこに生まれる「切なさ」「やるせなさ」のようなもの、言葉にしがたい感情こそが「もののあはれ」だと思うのです。
それでも人は永遠性を求めて戦います。『僅かな言葉』や『唄』で。昔の人ならば、『歌』を詠んだのでしょう。大切な誰かのために。
追伸 茂木健一郎さんが御自身のブログクオリア日記の中で、美輪明宏さんとの対談のことを書いておられます。
『美輪さんも言われるように、「本物」を見なければならない。美輪さんは現代日本の「カワイイ」アニメ、漫画もお好きだが、オペラや歌舞伎、演劇など様々な「大人の文化」に触れて、その上で「カワイイ」文化を称揚するのならばそれは良し。現代のカルチャーだけしか知らないのはいかにももったいない』
ここでおっしゃっている「大人の文化」こそがすなわち「もののあはれ」であると思いました。もちろん「カワイイ」は「をかし」です。
追伸 「萌え=をかし」についてはこちらをお読みください。
「もののあはれ」についてはこちらもどうぞ。
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