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2006.01.02

『正しい保健体育』 みうらじゅん (理論社)

4652078056 初読書がこれ。いいんじゃないですか。ホント面白かった。
 昨年の正月から読もう読もうと思っていた本でした。期待通り、いや期待以上に楽しめましたし、正直勉強になりました。
 この本は、読者を選びます。いろいろな意味で。まずだいたいが、男子、いや男性限定でしょう。女性には読んでもらいたくない。男にしか分からない世界だからです。女子、いや女性が読んでもそれなりに楽しめるでしょうが、心から納得し、感動し、そして安心するには、○玉が必要です。すんません、なんかいきなり。
 もう男ワタクシは、第1部第1章「義務教育の大切さ」からはまりました。だって…「義務教育」と「性教育」の関係の説明が洒落てるんだもん。
 『もともと男子は、○玉に支配されるようにできています』(ちなみに本書では○の部分に「金」の字が入っています)『本当は「やりてーぜ」「入れてーぜ」の二大テーゼがあれば人間の男は事足りるはずですが、そういう「本当のこと」だけを言わないために、義務教育を受けるものなのです』…こんな感じですから。
 そして、あくまでも教科書的に図や写真が挿入されます。ちなみに上の文章の後には、「煩悩と戦う戦士」として「釈迦像」と「キリスト図」がまじめな顔して立っています。
 まあ、最初からこんな調子ですから、そりゃあ楽しいですよ。もうあとは買って読んでみて下さい。そして真剣に勉強して下さい。ほとんど全て正しいことが書いてありますから。自分塾…この言葉がある意味キーワードなんですが、ホントいい言葉なんですよ。
 さて、ここで不二草紙的アンチテーゼ?を提示しましょう。皆さんにもこの本を読んで考えていただきたい。
 みうらじゅんさんは、義務教育の目的として「恥ずかしさ」を重要視しています。いろいろなことを社会的に恥ずかしいものだと規定して、その恥ずかしさを抑止力として活用するという感じでしょうか。
 で、この本では、正直恥ずかしいことを、それを恥ずかしいとしながらも、正々堂々と正面から書ききっている。これは実は、みうら氏の照れ隠しなのではないか、と感じたのです。非常に逆説的な意味で、恥ずかしさを強調したものなのではないか。筆者も読者も、ここまであまりに本当のことを正面から語り合ってしまうと、もうそれは恥ずかしさからの解放ではなくて、もっともっと恥ずかしい、なにか恥ずかしさの共鳴現象のような事態になっているのではないか。読後、そんなような気がしたのです。
 男として同一の恥ずかしさを共有することは、安心を生む反面、もう逃げられない男の性(サガ)を突きつけられてしまったような気分も醸成します。読後の虚無感は、やはり男でなければわからない、あれと同じような気がしました。何読んで盛り上がってんだ?オレって…。
 さて、それはいいとして(全然良くないのですが)、もう一つ、皆さんに考えていただきたいことがあります。これもパラドックスというかレトリックの問題です。
 下のリンクからたどれるアマゾンのレビューなんですが、みなさん大体好意的な感想を述べておられます。その中で、「アダムスキー」という方だけは、『著者の見識が疑われる』として、最低の評価を与えています。それをぜひ読んでいただきたい。このアダムスキーさん、シャレであのレビューを書いたなら、ホントお見事です。みうら氏をああいう形で超えるとは。すごい。逆にもし、もしですよ、まじめにあの文を書いたとしたら、それはそれでもっとすごい。そういう人がこの本を買った時点でホントは笑えるんですが、彼が、それを最後まで笑いもせずに、真剣に怒りに震えながら読んだとしたら…。これはもう、本当にアダムスキー氏級のトンデモさんです。皆さんは、どちらだと思いますか?ん?もしかして「彼」じゃなくて「彼女」だったりして…。もし、そうだとしたら…もっとすごいかも。

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