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2005.12.31

大晦日テレビ番組総括(MVPは…?)

way_eat_knk0057_010 大晦日の夜、最近はなんか虚しいっすね。昨日も書きましたが、レコ大や紅白はあんな調子だし、格闘技イベントも結局はマッチメイク勝負になり、内容はほとんど同じで味がない。いけませんな。もっとみんな芸を磨かないと。
 とかなんとか言いながら、6時から12時近くまで、一人で1台のテレビを独占してザッピング。紅白、格闘技はもちろん、お笑いネタグランプリやら、渋すぎる戦争もののETV特集やら、ドラえもんやらつまみ食いしてました。で、結局究極の「芸」を見せてくれたのは、テレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」だったりして。下手な演出なしに「芸」勝負でした。
 もう紅白なんか痛々しいっすね。逆にそれが面白いと言えば面白い。格闘技揶揄ネタやら響鬼の登場やら。嫉妬心とも取れる民放的悪乗りの模倣が痛い。その象徴が、みのもんたについていこうとする山根アナでしたね。優等生が無理してタバコ吸ってるみたいな辛さがありました。いみじうかたはらいたし
 いちおうプロレスファンの視点から格闘技イベントの総括もしときましょうか。ごく簡単に書きます。書き出すとキリがないから。
 まずは、PRIDEのオープニング。個人的に感動しました。高田延彦の太鼓に合わせて、教え子が踊ってたんで。あそこに選ばれるだけでもすごいなあ。偉い!
 さて、単純に格闘技選手として高く評価したのは、K-1では所英男と山本“KID”徳郁、PRIDEでは中村和裕、菊田早苗、五味隆典、マーク・ハントかな。いつもの強いやつらにはもう飽きました(笑)。
 「芸」としては、やはり小川直也でしょう。負けて輝く小川劇場。これぞプロレスラーです。その点、桜庭和志と美濃輪育久にはダメだししときます。
 あと、KIDと元気、二人とも「芸の華」がありますね。技術と演出両方優れてる。試合内容も含めると、結局ベストバウト、ベストショーは「山本“KID”徳郁vs須藤元気」ってことでしょうか。特に私、KID好きなんですよ。というか山本一家大好き。今日も美憂さん、聖子さん来てましたね。美しい…家族愛(あっ、そうそう聖子さん復活Vおめでとうございます)。
 いや、ワタシ的にMVPはお父さんの山本郁榮さん(ミュンヘン五輪選手・日体大教授)ですね。試合後KIDに俵返しで投げられてましたね(笑)。見事な受け身でした。

Amazon スポーツ外傷障害からみたテーピングの実技と理論

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2005.12.30

ミュージックステーション スーパーライブ2005

ozone ようやく年末モードに入りました。というわけで、普段はほとんど見ない音楽番組を家族でダラダラ見ました(聴きました)。天皇誕生日にテレビ朝日で放映されたものの再放送です。BS朝日ですね。
 いろいろと苦言を呈し始めればキリがないのですが、なんというかあんまりにプロ意識が低い方々が多いというか、なんでここまでレベルが落ちてしまったのか、ちょっと悲しくなってしまいました。
 歌謡大賞やレコード大賞、そして紅白歌合戦の人気が低迷し、消えていくのも当然です。昔は、いろいろな意味で、素人からかけ離れた芸を見せてくれたものです。歌が下手なアイドル歌手もいましたが、それはそれで異常に可愛かったり、キャラが立っていたり、やはりプロを感じさせるに充分なものを持っていました。楽曲がものすごかったりもしましたし。
 それがねえ、いったい何なんでしょう。キャラ的には完全に一般人、音楽的には何も目新しいものがなく、ヘドが出るほどの常套句の連続、歌が上手と思っていた人たちも音はずしまくり。
 それにしてもいつのまにR&Bブームは去っていたんでしょう。ほとんどが演歌ロックか縦ノリhip-hopなんでビックリしてしまいました。パクリも多いし。なんで誰もケツメイシがZONEだって言わないんだ?露骨すぎるでしょ。まあ、私が歳をとって、今風なものについていけなくなってるだけでしょうが。
 そんな中、私がプロの芸を感じたのは、ダンスが良かったBoA、そしてZONE…ではなくて恋のマイアヒのO-ZONE、歌が完璧だったEXILE、松浦亜弥、L'Arc〜en〜Ciel、演奏で聴かせた東京事変、全体的な存在感ではやはり浜崎あゆみでしょうかね。メロディー的にはレミオロメンかな。あと、ジャニーズ系の各グループはトークも含めてさすがプロって感じでしたね。中井くんのやばい歌もそれはそれで芸の領域でした。日本中を緊張させます。
zdnet_release_43001 で、ワタクシ的にMVPを与えるとすれば、男性はO-ZONE、女性は松浦亜弥かな。恋のマイアヒはじっくり聴くとなかなかいい曲ですね。東欧系ポップスのいいところを上手に踏襲してます。あややは二十歳になったばかりとは思えない存在感と歌唱力で聴衆を圧倒してました。正調アイドル路線の唯一の継承者ですな。林檎姫が尊敬するのもわかるわ。
 ま、考えてみれば、今挙げたプロの芸を観られた(聴けた)んだからいいか。んんん…でも、4時間以上の番組でこれだけじゃあねえ…。今年も紅白は観ないんだろうな。格闘技か…。ホントは不本意なんですよ。プロレスなら芸ですけどね。

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2005.12.29

富士山で東京の地上デジタル放送受信成功!その2

SN01 さて、先日報告した東京の地上デジタル放送受信に関する続報です。
 う〜む、なかなか一筋縄にはいきませんな。結局、いろいろ場所、高さ、方向などを試した結果、左の写真のように実に不思議な場所に設置となりました。
 で、受信できているのはNHK総合と教育、フジテレビ、テレビ朝日です。
 とにかく、全局受信できるポイントが見つけられないんですよ。どこかが入るとどこかが入らない。ホント、あの重いアンテナをマストにつけて、寒風の中いろいろと試すのって、かなり辛い。で、とりあえず妥協しまして、日テレとTBSは地元の系列局があるから今回は死んでいただくことにしました。
 たしかにここ富士山1200メートル地点は受信に適した場所でしょうが、丹沢山塊を越えてくる山岳回折波、そして何しろ富士山がありますから、いわゆる山岳反射波(もろ富士山反射ですな)も強い。さらにどこかのアナログUHF波との干渉もあるのでしょう。実にシビアです。屋根の上が一番いいかというと、全然そうではないのです。一番高くするとNHK総合しか受信できなかったりして。不思議だ。電波って目に見えないだけにもどかしいですね。
 私は無線の専門家でもなんでもないので、詳しいことはわかりませんし、対策の立て方も全然知らないので、とにかく実際にアンテナを動かしてみることしかできません。しかし、正直バテました。特に、今の位置に設置するのに、初めて屋根の上に上がったのですが、スキーと一緒で、いざ立ってみると意外に傾斜がきつくて怖い。びびりまくりです。いちおう命綱をつけて作業したんですが、もうホントへたなスキーと一緒で、体の変なところに力が入りまくって、きっとあさってあたり筋肉痛です。あと、滑らないように裸足で作業したんですけど、気温は氷点下なのに、昼頃になると屋根が熱い熱い。太陽エネルギーはすごいなあ。やっぱり太陽光発電導入しようかな。
 さて、そんなこんなで苦労しましたが、上記4局はレベルも40以上で安定(総合は50越え)してますので、第一段階としてはいいか。しばらく別の場所に移す気が起きないっす。かったるいよ〜。
 それにしても、妙な位置ですな。はたから見るとホントに怪しい。かなりみっともないことになってます。

その後…

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2005.12.28

『髪楽』ヘアトリマー(電動バリカン)

img10161555001
 突然ですが、頭を丸めてみました。
 6月に正眼寺を訪問した際、生徒が若い雲水さんに「お坊さんはなんで頭の毛を剃るのですか?」みたいな質問をしたんです。そしたらその雲水さん、こう答えたのです。「覚悟の証し」。かっこいいなあ、と思いました。頭を丸めたからといってそれでお坊さんになったというわけではない、ただ自分と人に対する覚悟の証しだ、とおっしゃってました。その時から、なんだか知りませんが剃髪願望が強くなりまして、なんとなく年末にと思っておりました。そして、予定通り今夜決行したというわけです。
 私にとっての覚悟は何かと申しますと、えっと…なんだろう…。うん、覚悟をする覚悟ということでしょうか。後半生をどのように生きるか…いろいろと前半生で準備をしてきましたので、そろそろ本気でやってみようか、ということです。
 別に僧侶になるわけではありませんが、やはりお釈迦さんの教えは正しいと思いますので、来年はもっとしっかり勉強してみようかと思います。最近では、働きながら通信教育で勉強して、いろいろな宗派で得度できたりするんでよね。
S721 というわけで、右のような頭になりました!正直寒いっす。オレの頭ってこんなに尖ってたんだ。それはそれでカッコイイかも!?ただ、スキンではありません。清原みたいな感じでしょうか。で、その剃髪に使ったのが、ネットで1980円で買ったこのヘアトリマーです。これはなかなかのスグレモノですな。どうせ安物ですから、バッテリーと刃は長持ちしないでしょうが、なかなかきれいにカットすることができます。刈り上げ用2種類、すき刈り用、丸刈り用、それぞれのアタッチメントを付けて、髪をとかすようにしますと、実にスムーズにカットされるのです。
 普通のカットやキワぞりにも使えますので、自分で散髪する人には実に重宝するでしょう。よくできてる。
 とは言え、初めてのマルガリータ。かなりムラができて、いわゆるトラ刈り、というかブチハイエナ刈り?というか、ちょっと変と言えば変になってしまいました。まあ、これから慣れるでしょう。
 それにしても、このネーミングは何じゃ?「髪楽」でどうやって「はつらつ」って読むんだ?そして、このダンディ?なモデルさんは…。ちなみに台湾製です。

そしてプロ用バリカンへ…

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2005.12.27

坂角 『さくさく日記』

head_ebi021 またまたグルメとか言いつつ、お菓子で失礼します。
 いろいろと頂き物の多い年の暮れ。本当にありがたいことでございます。何をいただいても嬉しいものです。そんな中でも、今年ワタクシ的にかな〜り嬉しかったのがこちら。
 もともと坂角の海老せんべい『ゆかり』が大大大好きで、独身時代など一晩で一箱食べちゃった経験もある、筋金入りのワタクシ。『ゆかり』をいただいた時のあの胸キュンは『萌え(をかし)』ですね。そして、あと一枚になった時のあの胸キュンは『あはれなり』。ハハハ、また出ちゃいましたが、こう考えると胸キュンにも2種類あるってことか。そんな気もする。結局人間、特に日本人はその二つの胸キュンの間を彷徨して生きているのですね。うん、そんな気もする。
 さて、今日の胸キュンの対象は『ゆかり』タンではなく、『さくさく日記』でつ。って、ここだけ読むとなんかエロゲーでもやってるみたいだな(まじでやったことありませんが)。
saku_winter_he10_s この『さくさく日記』、『ゆかり』タンが大人の魅力なら、こちらはやや子どもっぽい(あえてロ○っぽいとは書きません)。ネーミング、パッケージング、そしてせんべい本体の大きさにも、絶妙にファンシー感があります。『ゆかり』を一口でいただく方はいらっしゃないでしょうが、こちらはいわゆる一口サイズ。思わず次々と手が出てしまい、あっという間にあと一枚…。そう、あと一枚あるなって、小袋を持つ左手が感じるんですよ。重みでね。それで右手で手探りでそれをつまむと…ガーン!なんと『シリカゲル』じゃああ〜りませんか…orz。
 これぞ『もののあはれ』です。昔の人なら、ここで一首詠んだんでしょう。
 今回いただいたのは、海老と帆立の二種類の製品が一箱ずつ、仲良くスリーブされているものです。帆立もかなりおいしいのですが、やはり海老にはかなわない。ついつい海老の方を続けて食べたくなるわけですけれど、そこは我慢というか、演出というか、なるべく交互に食べるようにするわけです。そして、最後は海老が一袋残るようにしなければなりません。しかし、最初は当然海老を食べてしまいましたから、途中帆立を2回連続で食べる必要に迫られます。私は昨日そうしました。そして今、最後の海老が一袋残っている状態です。
 こういうのもなんか切ないっすね。あと一袋…。なんで、せんべいごときにここまで、と自分でも思いますが、好きな「もの」に対する感情ってこんな感じでしょう。何度も言いますけれど、デジタル化、キャラ化、フィギュア化は切なさ(もののあはれ)からの消極的な逃避だと思います。
 ん?今突如不安が頭をかすめた。家に帰ったら、最後の海老タン、カミさんに食べられてたりして…。うわ〜、隠しときゃ良かった。

坂角総本舗

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2005.12.26

『裁判大噴火』 阿曽山大噴火 (河出書房新社)

4309016103 大川興行所属の芸人さんによる裁判傍聴記です。裁判のことは全然知らないんで、かなり興味深く読みました。
 この本を知ったきっかけはひょんなことです。
 著者の苗字「阿曽山」というのは、私の中では「富士山」のことなんです。「阿蘇山」ではない。正確には「阿祖山」と書きますが、「阿曽山」という表記も見かけます。って、どこにかというと、私がその研究をライフワークの一つとしている「富士古文献」つまり「宮下文書」にです。な〜んて、かなりマニアックなので詳しく説明しませんが、まあ簡単に言えば、富士北麓地域に残るトンデモ史書であります。いわゆる偽書と認定されているシロモノです。
 それはいいとして、とにかく「阿曽山大噴火」なんて言われたら、私の頭の中では、そっち系、つまり「ムー系」の『200×年、富士山が大噴火!』なんて記事が勝手に浮かんじゃうんですね。私もかなりトンデモです。
 話それまくり。さて、実際には芸人さんのお名前なわけで、それはそれでかなりトンデモとも言えますが、とにかくその方が書いた渾身の裁判傍聴記なわけです。で、その内容は…。
 『裁判小噴火』でしたねえ。そう、ちょっと火山性ガスが噴き出した程度。いや、冒頭にも書いたように、なにしろ知らない世界をのぞき見するわけですから、かなり面白かったですよ。しかし、読み進むにしたがって、どうもスカッとしない。ガスだけちょろっと出て、すっきり身が出ない…(?)。
 たしかに扱っているのが、オウムや法の華やスーパーフリーや石原裕次郎の弟を名乗る男なんかの裁判ですから、それなりに面白い。へえ〜、ってことがものすごくたくさんありました。裁判ってもっと堅苦しいものと思ってましたが、実際にはかなり人間味溢れるお芝居という感じなんですね。そう、そのストーリー性やアドリブ性、数人の対戦者どうしとレフェリーの存在なんかが、私にはプロレスのタッグマッチに似てると感じられました。
 しかし、どうもそれぞれの章の読後感が物足りない。おそらく、実際の裁判という人権(特に被害者の)にかかわることを、徹底して笑い倒すことができないのだと思います。当然ですね。
 最初は正直、筆者の筆力の問題なのかなと思いましたけれど、違いますね。最後の方になると、阿曽山さんの苦悩までが感じられるようになってきます。たぶん、それぞれの裁判について、プライベートではもっと面白おかしく笑い倒しているんだと思いますよ。こうしてパブリッシュすると、どうしても規制が働く。不謹慎と言われる可能性が高い。芸人さん、それも大川興行所属としてはかなり辛いのではないでしょうか。
 しかし、たしかに私も裁判を傍聴に行きたくなりました。そうして、自分の心の中で思いっきり味わってみたいと思いました。たぶん実際には笑えないことがほとんどでしょうが(…と私も弱気になる)。

Amazon 裁判大噴火

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2005.12.25

富士山で東京の地上デジタル放送受信成功!

ls14tmh1 5月にデジタル・チューナーを買いました。その時の記事にも書いたように、最終目的は東京タワーからの地上デジタル波を遠距離受信することでした。11月にフルパワー送信が始まったので、さっそく高性能アンテナを買って受信に挑戦いたしました。
 買ったアンテナはマスプロのLS14TMHです。最初は超大型のLSL30を注文したのですが、いきなり生産中止ということでキャンセル。同じ大きさの全帯域用LS30も考えましたが、結局でかすぎて手に負えないだろうという結論に至り、小型(14素子)の割に高性能(30素子にも匹敵とか)だと評判のLS14TMHにしました。
 そのLS14TMHも好評のためか(?)在庫切れということで、3週間ほど待たされ、ようやく昨日到着。まずは組立ですが、その前についつい笑ってしまうのが、独特のマスプロワールドですね。マスプロという会社、けっこうシェアも高く、世界を代表するアンテナ会社の一つですけれど、なんかちょっと妖しい。「見えすぎちゃって困るの〜」にも子どもながらに危なさを感じていましたね。ん?あれはラムの原形か?最後は森尾由美だったような…。
 だいたい、昔から各家庭の屋根に鎮座するアンテナの中でも、あの黄や赤の微妙なカラーセンスは、日本の原風景を作る一つの大切な要素になっていました。今回の最新型アンテナも、大きなリフレクターは真っ赤。マスプロ製であることを雄弁に語っています。
 だいたいLSシリーズ、なんでLSかというと、「ラブストーリー」なんですよ(笑)。いい味出してますねえ。
 取扱説明書の中で注目すべきは、次の点でしょうか。まずは、デジタルではなくディジタルと表記していること。正しい発音へのこだわり…なのかな。そしてさりげなく書かれている「MASter of PROduction 生産の覇者」の文字。へえ、そうだったんだ。略し方がいかにも日本人的ですな。パソコンみたい。あと、最後の最後にある「マスプロの規格表・性能表に絶対うそはありません。保証します。」宣言。たまりません。
1711 いやいや、実は一番オシャレなのは外箱の裏側にあるこの一言です。「…スカッとしたアンテナを建ててください」いいですねえ。スカッとしたアンテナ!作品なんですね。スカッと建てるのではなく、その立ち姿というか建ち姿がスカッとしてなくてはいけない。なるほど。あれ?だいたいアンテナは建てるものなのか?立てるものなのでは…。まあいいか。
 さ、そんなスカッとしたラブストーリーで、はたしてはるか東京からの電波を拾うことができるのか!?
 結論からいきます。軽く受信できました!
 今日はホント軽くテストしただけですから、本格的にはこれからの仕事なんですが、とりあえず二階の窓からアンテナを突き出しての第一回テストで、NHK総合、教育、日本テレビがノイズなく受信できました。あ、ちなみにブースターはむか〜し買ったDXアンテナのVTR311というヤツです。25dBタイプでしょうか。全周波数に有効ではないようですが、まあ、上記3局には効果ありでした。しかし、他の局はスキャンに引っ掛かりませんでした。
 続いて、一階、というか庭先ですね、ウッドデッキの上(地上50センチくらい!)でフジテレビが絶好調に受信可でした。ブースターもいりません。どういうわけだ?しかし、その位置だとあとはTBSだけ。今度はNHKが全く安定しません。
 こんな感じなので、最終的には庭にマストをスカッと建てることになりそうな予感がします。あと何回かいろいろな所のいろいろな高さや方向を試してみようと思います。
 東京タワーからの距離は100キロ以上あると思います。そういう意味ではもしかすると最遠受信かも。少なくとも、このへんの人たちは、受信しようとも思っていないですし、受信できるとも思ってないのでは。やはり標高が1200メートル近くあるというのがいいのでしょうね。
 静岡日本平からのデジタル、いやディジタル波も拾えるかもしれませんね。
 それにしても、あのノイズの全くないサザエさんはすごかった。サザエさんてこんなに鮮明だったんだ。なんかザラつきやゴーストのないサザエさんが不自然に見えたのはなぜ?

富士山で東京の地上デジタル放送受信成功!その2

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2005.12.24

『コレルリ作品全集』 キアラッパ指揮&ヴァイオリン アカデミア・ビザンチナ

B00005EOV7 今日はクリスマスイヴ。ここ数年は、地元の教会で演奏するのが恒例になっております。今年は、いつもお世話になっているチェンバロの森さんに加え、はるばる東京からバロック・ヴァイオリンの横田祐斗さんを招いて、コレルリ(コレッリ)のトリオソナタを演奏しました。
 キャンドルの光に彩られた聖堂の中、特別な夜に演奏するコレルリは、弾いている方としても格別なものがありますね。演奏したのは作品3の9(ヘ短調)と作品2の12(ト長調チャコーナ)です。もう、聴いていただくしかないのですが、コレルリは美しすぎます。嘆息。
 しかし、彼のトリオの録音はあまり多くありません。ソロソナタの作品5や合奏協奏曲の作品6は有名なので、腐るほどあるんですけれど(実際腐ってるのも多い)。
 で、ですねえ、ワタクシ的に「ああ、あの時買っておけば」というもの、まあいろいろとあるんですが、これもその一つですね。
 イタリアのヴァイオリニスト、キアラッパが中心になって録音された全集です。コレルリは、音楽史上最も重要な人物の一人ではありますが、その総作品数は決して多い方ではありません。彼から多大な影響を受けた、ヴィヴァルディやバッハらに比べてもかなり少ない。ですから、いろいろな意味で全集があってもおかしくないはずなのですが…。
 私が知っている限り、このキアラッパ盤と、あと今年出たピーター=ヤン・ベルダーを中心とするオランダ古楽勢によるものと、2種類しかありません。今年出た全集もまだ聴いていないのですが、オランダ勢(ちなみに山縣さゆりさんも中心的存在として参加されてます)ということで、ある程度出来具合が予想されますし、正直食指が動きません。たぶん自分の脳内イメージ(演奏ではないですよ)とそんなに変わらないと思うのです。
 一方のキアラッパ盤は10年ほど前の録音になります。キアラッパはDENONにいくつかの優れた録音があり、私もヴィヴァルディやバッハを聴いて、衝撃的とも言える楽しさを味わわせていただきました。やっぱ、イタリアものはイタリア人にはかなわん(バッハは微妙でしたが)!そんなわけで、彼らが母国が誇る神聖なる作曲家コレルリをどう料理しているのか、非常に興味があったのです。
 しかし、9枚組(だったかな)、2万円近いお値段を考えると、思わず躊躇してしまいます。まあ、楽譜は揃うわけだから、死ぬまでに全部弾けばいいか、みたいな感覚で。
 しかし、これが廃盤になってしまった今、本当に、本当に買わなかったことが悔やまれます。いちおう気がついた時には、中古市場もチェックしてきたのですが、タイミングが悪いのか、なかなか出会うことが出来ません。
 今回、実際にトリオを演奏してみて、また聴きたい願望が再燃しました。なんとか、手に入れようと思います。誰か持ってないかなあ。
 そうそう、今回の共演者さんたちと話しました。とりあえずトリオは全曲演奏しちゃおうか、って。素晴らしいではないですか。あっ、そうだ自分たちで全曲録音すればいいのか…冗談、冗談。

Amazon コレルリ作品全集 Corelli: Complete Works
HMV コレッリ作品全集

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2005.12.23

フィアット パンダ (6)

0681 嗚呼豈不哀哉、熊猫。最近調子に乗って「無常観」だの「もののあはれ」だの言ってるから、こういうことになるんだよな。変化し汚れ傷ついていくのが「もの」の宿命…。とは言え、まさか愛しのパンダちゃんが、こんな姿になろうとは…。
 あ〜あ、やっちゃいました。パンダ受難です。カミさんのしわざです。orz…。
 はっきり申しますと、ワタクシ、パンダに萌えてました。だってかわいいんだもん。もう、この車が汚れ傷つき、いずれは死んでいくなんて、考えたくなかった。まさに時間の流れを微分して、ヴァーチャルな恒常を作り出していたんです。今の姿だけを見る。刹那的な愛情、つまり「萌え=をかし」であります(すんません、また出ました)。しかし、こういうことがあると心は一挙に「もののあはれ」に移行します。
 デジタライズされた情報はいくらでもコピー(再生)が可能ですから、いつまでも(自分が冷めるまで)萌えていられます。そこが「もの」と「こと」の違いであると、私は繰り返し言ってるわけです。う〜む、自らの論を自らの体験で証明するこの哀しさよ。
 というわけで、買って半年ちょい経ったフィアットパンダ、カミさんが金網に突撃することによって、このような無残な姿になってしまいました。治療に13万かかるとのこと…。ガーン。
 というわけで今日はここまで。

…で、その後

フィアットパンダ(1)


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2005.12.22

『キッズ・リターン』 北野武監督作品

B00005EDS2 今日の補習で鑑賞。テーマは色(青と赤)の記号性と「もののあはれ」。まあ、なんとでも言えますな。
 そう言えば、金子賢が大晦日のPRIDE男祭に出場するんですよね。この映画を観る限りは安藤政信の方が強そうだけど(笑)。あっそうそう、昨夜ある教え子から電話があり、彼もPRIDEに参戦、いや出演するそうです。詳しくはナイショですが、すげーな。当日のテレビで拝見しましょう。
 さて、この映画ですが、私にとっては北野映画のベストです。ダントツです。他の作品も嫌いではありませんし、世界のキタノの作家性は人並みに認めているつもりですけれど、やっぱりなあ、この作品は、無常観というか「もののあはれ」というか、そう日本映画の伝統的なテーマを、非常に模範的な方法で描いたという意味で完璧に近い作品ですね。何度観ても心にしみる。決して「萌え(=をかし)」ではありません。
 俳優としてのビートたけしが出演していないというのも、この映画に関しては功を奏したと思います。その代わりと言ってはなんですが、二人の新人、金子賢と安藤政信の魅力はたまりませんね。このはかなく切ない若さの魅力を引き出し、フィルムに焼き付けた北野監督の手腕と感性は、ほとんど奇跡的、天才的と言えます。おそらく、例のバイク事故で幽明の界をさまよったことが大きく影響しているのでしょう。「青春」という最も生命の輝くとされる時、そこにあえて翳を投じたことが作品にリアルさ、普遍性を与えたのだと思います。
 ものすごく簡単に言ってしまうと、これは般若心経の世界観です。自分という存在も、また運命というものも、結局は他者との「縁」によって変化するものであり、安定した恒常なるものではない。青春時代は、確固たる自分を形成しようともがく私たちを、残酷にも裏切ります。色即是空。そこで終わってしまっては単なる悲劇でしかない。しかし、北野監督はラストに見事なシフトチェンジを見せてくれます。空即是色です。
 おそらくは、監督自身の命の揺らぎが、そういう表現を可能にしたのでしょう。感動的です。
 そういう意味で、この映画は、私にとって本当の「物語」です。無常観を表す「もの」についてメディアを通して語ったわけですから。
 一つだけ、ホント一つだけ自分の趣味に基づいて苦言を呈しますと、久石譲の音楽がちとうるさい。私にとっては軽すぎて耳障りです。あれがいいという人が大多数ですので、私が変なのでしょう。
 さて、最後に余談ではありますが…この作品で天才ぶりを遺憾なく発揮した安藤政信くんとですねえ、私の姉なぜか縁がありまして、いろいろと話を聞いているようです。う〜む、うらやましすぎる!北野監督は本当に近づき難いオーラが出てるとか…。そうだろうなあ。
 ついでにうらやましい話。冒頭に書いたPRIDE参戦?の教え子、「座頭市」にも出てます。いいなあ〜。も一つついでに、例の教え子「浮世絵師」、この前「北野名鑑」に出てましたね。こっちもたけしさんと仕事かあ。すげーな〜。うらやましいなあ。

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2005.12.21

『枕草子』に見る「空気嫁」&「痛杉」

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 ずいぶん前から、自分の物語論(もちろん「萌え=をかし」も含む)を検証するために、いろいろな古典を読みあさっております。なんて別に研究してるわけじゃないので、まあ趣味ですな。それで、いろいろ読んでるとプチ・セレンディピティーが結構ある。今日はこれを紹介しましょう。ある意味「萌え=をかし」の正反対のベクトルです。
 いやあ、昔から空気読めないヤツっていたんだなあ。痛すぎ。

 「かたはらいたきもの、よくも音弾きとどめぬ琴を、よくも調べで、心の限り弾きたてたる。 客人などに会ひてもの言ふに、奥の方にうちとけ言など言ふを、えは制せで聞く心地。 思ふ人のいたく酔ひて、同じことしたる。聞きゐたりけるを知らで、人のうへ言ひたる。それは、何ばかりの人ならねど、使ふ人などだにいとかたはらいたし。旅立ちたる所にて、下衆どものざれゐたる。にくげなるちごを、おのが心地のかなしきままに、うつくしみ、かなしがり、これが声のままに、言ひたることなど語りたる。才ある人の前にて、才なき人の、ものおぼえ声に人の名など言ひたる。ことによしともおぼえぬわが歌を、人に語りて、人のほめなどしたるよし言ふも、かたはらいたし」

 我流の現代語訳しましょうか。かなりの意訳です。まあ空気感のためですね。

 「痛いヤツ。ちゃんと弾けもしないギターを、ちゃんとチューニングもしないで、自己陶酔してガンガン弾きまくるヤツ、痛杉!こっちが大事なお客に会ってしゃべってんのに、奥の方でお下品なことへーきで言ってんのを、やめさせられないで聞いてる時の気持ち…ムカッ、空気嫁よ!好きな男がえらく酔っぱらっちゃって、何度も同じこと言ってるのは、さすがに…いたたたた。本人がそこにいて聞いてるのを知らないで、そいつの悪口言っちゃってるヤツ!おいおまい、く、く、空気嫁!それって悪口言われてるヤツが上司に限らず後輩とかでも、そこにいるものにとっちゃ、めっちゃ辛。たまに行った都会で、田舎もんが大騒ぎしてんの!空気嫁や!全然かわいくない赤ん坊を、自分の愛情にまかせてやたらかわいがって、その子の声のトーンまでまねして、言ったことを人に伝えてるヤツ、うう…痛杉!教養ある人の前で、知ったか野郎が物知りぶって、人の名前なんかを言ってるの!空気読んでんのか?大していいとも思えないオリジナル曲を人に聞かせて、誰かがほめてくれたりしたこと(お世辞に決まっとるやんけ)を語ってるヤツ!痛杉!逝ってよし!」

 どうですか、1000年前も今も、日本人の感性は大して変わっていませんよね。「空気嫁」的感情を、「かたはらいたし」、つまり「傍らにいると痛い」と表現しているわけで、これは今の「痛い」と全く同じ感覚と言えます。
 こんなふうに読み直してみると、堅苦しい古典作品も実に生き生きとした楽しいものになりますよ。
 それにしても、清少納言って毒舌っすね。2ちゃんねらーだったのかなあ。

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2005.12.20

マイケル・ジャクソン 『オフ・ザ・ウォール』

Michael Jackson 『Off the Wall』
B00005NUZM 私にとってのマイケルは『オフ・ザ・ウォール』です。というか、理解可能なマイケルはこれだけということです。かといって、理解できないマイケルに価値を認めないわけではなく、こちらに書いたように、ボーダーを越える存在として、つまり分別されないモノノケとして、高く評価しています。
 でも、やっぱり純粋に音楽として聴くとしたらこれですねえ。
 79年ですか。中三かな。それまで聴いていた音楽が、どちらかというとブリティッシュ・ロックでしたので、いわゆるディスコな曲には、当初抵抗がありました。しかし、私も世間の波に逆らいきれず、また、溢れんばかりの若きエネルギーを持て余し、ラジオから流れる音楽に乗って一人ヘタな踊りをついつい踊っちゃったりしてました。
 そして、ついにはこのアルバムを小遣いはたいて買うまでにいたったのです。そして、部屋で踊りまくる…かと思いきや、さにあらず…だって、畳の上で踊りまくると、レコードの針が飛ぶんだもん。だから上半身だけです、踊るのは。ああ、懐かしきアナログ文化。
 で、実はその時のアナログ盤『オフ・ザ・ウォール』を地下室から数十年ぶりに引っ張り出してきたんです。それで、久々にレコードプレイヤーで聴いてみた…かと思いきや、さにあらず…職場の同僚の女性にあげちゃいました。いや、正確に言うとデジタル盤『オフ・ザ・ウォール』(つまりCD)と交換しました。
 え〜、なんで〜?とお思いの方、私も同意します。普通そんな大切な思い出の品、それもかなり保存状態良好で、いくら大量に出回っているとはいえ、中古市場でそれなりに評価されそうな品を…。
 実は、前の記事にもちょっと書きましたけれど、その同僚の女性は、まじで「マイケル信者」なのです。というか、そのご家族あげて皆さん信者さんでいらっしゃるのです。当然彼女たちにとっては、ものすごい価値のあるシロモノということになりますね。で、私は考えたんですよ。このレコードも地下室で眠ってるより、敬虔な信者さんによって大切に奉納され、そして年に数回くらいは封を解かれて針供養される?(つまり再生される)のも幸せなんじゃないかなあ…。
 私以上にこのアルバムに思い入れのあるカミさんにも、一応お伺いを立ててみました。そしたら、予想に反して、「うん、CDで毎日聴ける方がいい」だと。たしかにカミさんはカセット!で聴いていたので、別にレコードじゃなくてもいいわけだ。というわけで、このような物々交換が成立したのですよ。
 もちろん信者さん(及びそのご家族)は狂喜乱舞いたしました。そして、CDを手に入れた私どもご家族も、針飛びを心配することなく、毎夜狂喜乱舞しております(ああ、娘たちとこの曲で踊れるなんて…)。めでたし、めでたし。
 前フリが長くなりましたが、いやあ、あらためて聴くとホントすごいアルバムですね。どの曲も最高です。不思議と大人になった今聴いても、昔と同じ感覚で受け入れられます。ただ、ちょっと音楽に詳しくなった私が毎度うならされるのは『I Can't Help It』ですね。スティービー・ワンダーって…(今さらながら)天才。

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2005.12.19

『北の錦 北斗随想 純米吟醸しずくどり』

hokutozuisou-j これはホントうまい楽しい酒でした。チェンバリストの森洋子さんにいただきました。お世話になった上にいつもすんません。
 昨年は「國稀」でした。今回もよくわかりましたが、北海道のお酒って、本当に軽やかですね。軽やかっていうのは、淡泊というのとは違いますよ。楽しげに舌の上で転がる感じなんです。
 夕張郡栗山町の小林酒造さん、ホームページを見るとなかなかユニークな発想をお持ちの会社のようです。もちろん職人気質のこだわりは当然あるでしょうが、何か心からお酒造りを楽しんでいる、そしてその楽しみを皆で共有している感じがしますね。それがそのまま味に出ているのだと思います。
 水は北海道各地にそれぞれの最適なものを求めたり、レンガ造りの酒蔵でコンサートを開いたり、お客さんを巻き込んでのいろいろなイベントを企画したり。こんなのもある意味北海道の気風なのでしょうか。
 食べ物や飲み物も作品です。作品には作者の心が反映して当然です。というか、それこそが作品の条件とも言えますよね。単なる製品とは違う。特にこれらは生きもの相手の創作活動ですから、やはり気持ちというか心というものが大きく影響することが想像されます。
 知る人ぞ知るというような、開業以来頑固一徹の蔵の味もいいですけれど、こういうオーブンなムードの蔵の味もいいですね。あんまり楽しいんで、ついつい呑みすぎてしまいました。というかもう空っぽです。ごちそうさまでした。
 北海道の気風ということで、ちょっと脱線します。
map77 出口王仁三郎のひな型理論の一つの例として有名な、日本地図と世界地図を(無理やり)対応させる考え方、御存知ですか。これを見て笑うもよし、感心するもよし、とにかく面白いですよ。ちょっと右の画像をクリックしてみてください。
 この画像は、赤瀬川原平師匠の『優柔不断術』から勝手に拝借しました。この本、いつもの原平節で最高に面白いんですが、この王仁三郎の地図についても、独自のセンス(私は原平力って呼んでます)で、それこそ軽やかに料理してます。『伊豆半島とインド。そういえばあの辺り、お茶の産地ではないか』てな感じで(笑)。
 それはそれとして、え〜と、この地図によれば、北海道はアメリカ、いやアメリカが北海道か…とにかく新大陸なんですね。たしかに新大陸だ。原住民を追っ払って本土?から移住した(ちょっと語弊があるかな)という意味でも対応しているわけです。偶然のアナロジーでありましょうが、面白いですね。ま、そんなわけで、北海道は運命的に自由、進取の国なのです。そう思って飲むと、北の錦もまた乙な味わいがあるのでした。ふ〜酔っぱらった。
 ん?オレの住んでるところって、もしかしてエベレスト?寒いはずだわ。

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2005.12.18

ETC通勤割引の謎(&ナンジャタウン)

jrrs11 突如模試を中止して、のびのびになっていた七五三をやっと終え、その後ナンジャタウンに行ってきました。
 猫マニアの我が家としては、一度は行っておかなくてはならないプレイスでありました。今回あるところからパスポートを二人ぶんいただいたのを機会にようやく実行に移したのでした。ワタクシには、あのくらいの規模であのくらいのノリというのがしっくり来まして、ネコ的にもギョウザ的にもアイスクリーム的にも昭和ノスタルジー的にも結構楽しめました。
 でも、今日は目的地に着く前の話を書きます。ETCに関してです。
 いつものように河口湖〜八王子間は通勤割引を使おうと考えました。往復で1900円浮かせて、その分ギョウザを食べるためです。つまり朝は9時までに河口湖インターに入らなければならない。おかげで朝は忙しくなります。
 こういう時にかぎって、子どもは言うことをきかないわ、父親は忙しいのにブログを書いてるわ、母親はなぜか関係ない家事を貫徹せんとするわ、とにかくいつものことなんですが、だいたい予定より出発が遅くなるんですよ。それでみんな自分のことを棚に上げて機嫌が悪くなる。何してるんだ早くしろって。今日もそんな感じで8時50分ごろに出発となったのです。
 本来ならそれでも、山の中を80キロで飛ばして、全く問題なく8時59分にはゲートを通過することができるはずでした。ところが路面は想定外の状態…そうです、雲一つない晴天なのにうっすらと雪が…。さすが富士山、ちょっと風が強いと風花が大量に舞ってきて、それで積雪?積花?するんです。なわけで、氷の上に雪という最悪の路面状況ではさすがに60キロが限界。
 さらに数少ない信号にも見事に全部ひっかかり、ゲートを目前にしてFMラジオが「9時です」の非情なコール。たぶん9時00分20秒くらいにゲートを通過しました。さあ、車内はまた言葉の乱闘状態。このギリギリ間に合わないという状況が、ある意味最悪な状況であります。「○○がだらだらしてるからこういうことになる」「○○が言うこときかないから」「○○が手伝ってくれないから」「○○がブログなんて書いてるから…」。
 という感じで、ああ、もうこうなったら、少しでも通行料を浮かすためだ、八王子で降りて下道で池袋まで行く!ということになってしまいました。なんで、久々の家族サービスがこんなことになっちゃうの…。
 さあ、それで八王子インターで降りました。そしたら、ありゃりゃ…料金表示「950円」!じゃないっすか。半額です!
 車内のムードは一転!「今日はついてる」「今日はいい日だ」「オレのふだんの行いがいいからだ」「さっき談合坂で買った宝くじきっと当たる」…。う〜む、なんとも単純な家族である。
 おかげさまで、その後は野良猫に出会うだけでも、渋い廃墟を見つけるだけでも、全てがラッキー。ナンジャタウンもぞんぶん楽しんできました。
 さて、ではなぜ通勤割引が適用されたのでしょう。6時〜9時というのは、9時00分までのことなんでしょうか。9時01分になったらアウト?それとも単にシステムの時計が遅れていたのでしょうか。時間に関して言えば、例えば「〜9月1日」は確かにその日を含みますよね。こういうのの常識ってどんなんなんでしょう。

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2005.12.17

グルーヴァーズ 『モダン・ブギー・シンジケート』

THE GROOVERS 『MODERN BOOGIE SYNDICATE』
B000BR2NG6 ある意味で、いや真の意味で、日本の最強ロックバンドはこのTHE GROOVERSでしょう。異論はないでしょう。特に業界においては。彼らほどプロに尊敬されるバンドはそうそうない。
 日本ロック史を語るのは非常に難しいと言えます。これが欧米のロック史なら話は別。教科書だって作れましょう。日本のロックは、ロックとは違う情緒のもとで育ってしまったと私は考えています。また、日本独特の音楽市場の原理というものもあります。ものすごくロック的?に断じてしまうと、ちまたに流れるロック・ミュージックのほとんどが演歌かフォークか歌謡曲だということです。それはそれでまさに日本的な外来文化の受容形態であり、断じて断罪すべきものではありません(アレ?矛盾してるかな)。
 では、本当のロックは日本にはないのか。いや、だからここにあるんですよ。2年半ぶりのグルーヴァーズの新譜、これはものすごい。純正ロック。
 ロックって、やっぱり岩みたいにゴツゴツしてて重くて、切り刻んだり押しつぶしたりする存在であるはずなんですね。ちょっと(かなり)話が飛躍するかもしれませんが、藤井一彦さんのギターって究極の打製石器みたいなんですよ。
 え?打製石器?そう打製石器です。誰ですか?打製石器って磨製石器以前のローテクなものだと思っているのは。まったく学校教育は困ったもんです。
 打製と磨製、どっちが切り刻む能力が高いと思いますか。どちらが尖ってるでしょう。そう、磨製石器はあたりはずれなく平均的な能力を持っていますが、打製石器の最大能力には全くかないません。磨いたものと割れたものをイメージすれば分かりますよね。
 でも、打製石器にはダメダメなものもたくさんある。つまり、究極の力を発揮する石器を作るには、実はものすごい熟練の技とセンスが必要なわけです。
 一彦さんのギターは常に究極の打製石器。イメージ通り叩き割るテクはもちろん完璧ですが、それよりまずは素材になる岩をたくさん持っている。そして、出来上がった石器はいろいろなシェイプをしていて、その使い道も多彩。いろいろなものをいろいろな形で切り刻んだり押しつぶしたりします。
 学校教育では、なんとなく打製よりも磨製のほうが洗練されているように教えられます。縄文式土器と弥生式土器についてもそうですね。だまされてはいけません。本当の洗練とは平均化、馴化のことではないのです。
 弥生時代になっても頑固一徹、縄文式土器を作り続けた人もいたでしょう。それを単なる時代遅れとするのは、簡単なことです。しかし、時代が全て正しいわけはない。時代に流されずホンモノを追求することは尊いことです。
 なんかまたとんでもない表現になってしまいましたけど、とにかくこういう感じなんですよ。現代の名工?もちろん、あとのお二人のメンバーにも同じことが言えますよ。
 藤井一彦さんとはちょっとした御縁がありまして、そんな意味でも私はすっかりファンになってしまいました。いつまでもホンモノのロックで私たちを切り刻んでほしいと思います。
 
Amazon MODERN BOOGIE SYNDICATE

THE GROOVERS公式

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2005.12.16

『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』 西林克彦 (光文社新書)

4334033229 なかなかいい本でした。当たり前のことが書かれているのですが、それこそ読者が「わかったつもり」にならないよう、「より深くわからせる」気づかいに感心させられました。
 こんなふうに書きますと、ああいつものアマノジャク書評か、と思われそうですが、つまりそういうことです(笑)。あまりにまっとうな内容なので、つい。
 そのまっとうな内容については、実際に読んでいただくとしましょう。必ずやなるほどと思われましょう。いや、もちろん筆者の書いたことについてですよ。私の感想ではなく。
 簡単に言えば、一番困るのは「わからない」状態ではなく、「わかったつもり」の状態であり、そこから脱却するためにはどうすれば良いか、が書かれた本ということになりますか。たしかに「わかったつもり」が前進を妨げる可能性はありますね。
 実は、これを読みながら、橋本治さんの「わからないという方法」を思い出したんです。ちょっと似てるけどだいぶ違うなって。あそこでは「わからない」→「わかる」→「わかった」でした。こちらでは「わからない」→「わかる(実はわかったつもり)」→「よりわかる」です。ま、その微妙な違いも面白いんですが、やっぱり両者の書き方の違いですね。橋本先生のは正直まどろっこしくて「わからない」。西林先生のは少なくとも「わかったつもり」にはなる。
 で、ものすごく意地悪というか性悪な言い方をしますと、これはもう書き手の問題だと思うのです。まず第一にテキストの責任が大であると。読解力がつかない以前に、読解を促す文章か、妨げる文章か、そこが問題だということです。
 いやいや、促すのが善で、妨げるのが悪だなんてことは言いませんよ。そうじゃなくて、すんなり「わかる」ことを提供するか、すんなり「わからない」ことを提供するか、ということです。すんなり「わかる」喜びもありますし、すんなり「わからない」喜びもあるのです。そのどちらを提供するかは書き手の意志次第です。そして、そのどちらを読もうと思うかは読み手の意志です。
 論説文、エッセイ、小説、詩…本当にいろいろな「わかってほしい」レベルがありますよね。それぞれに適した読みというのがあると思うのです。そして、書き手の意志に乗るもよし、対抗するもよし。
 一方、「よりわかる」ことによって得られた「わかった」状態も、次のステップのための「わかったつもり」に過ぎないとも言えます。そして、その「わかったつもり」は橋本流に言えば、まだ、あるいは、また「わからない」状態であるのです。そうして永遠にグルグル回りながら螺旋状に登っていくんですよ。だって自分が書いたものですら、後で読むと「わからない」ことが出てくるんですから。
 ところで、最後の方にある、「試験問題を解いてみる」章は、教師として大変勉強になりましたねえ。センター試験の国語の問題などを、単なる正誤ではなく、本文との整合性という基準をもってして解き直していきます。教えつつモヤモヤしていたものが晴れました(全部ではありませんが)。
 とにかく、この本はとてもわかりやすく書かれています。それは筆者の善意によるものです。その善意に乗るもよし、ひねくれて対抗するもよし。私は読んでいる最中は前者だったんですけど、なんか今は後者だなあ。これは読者の悪意か…。
 PS この本には、今泉吉晴さんの文章「ムササビのすむ町」がサンプルとして出てきます。山梨県都留市の石船神社のお話です。この神社については来月おススメする予定です。ムササビ関係ではありませんけど。

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2005.12.15

祝!ハリウッド進出『北川景子』

kk31 いきなりナンパな話題で失礼します。いえいえ、とんでもない、まじめに応援します。ウチの家族、みんなファンですから。
 12日に「無名新人 ハリウッド映画に抜てき」というニュースがネットに流れました。へえ、無名新人って誰かな。男かな女かな、白人かな黒人かな…なんて考えながら読み始めたら、なんと「レイちゃん」じゃないですかあ!
ma11 私たち家族にとって、北川さんは「セーラーマーズ」。あの濃い5人の中でも、特に妖気…いやいや色気…いやいや異彩を放っていた彼女。美しい容貌(含む巫女姿)ももちろんではありますが、あの鬼気迫る演技に私たちすっかりやられてました。
 なんというか、ちょっと気合いが入りすぎているというか、たぶんとってもまじめな性格なのでしょう、痛々しいほどに一生懸命だったんですよね。それで、あの番組のあのキャラですから、申し訳ない、ちょっと笑ってしまいました。で、こちらのDVDでも、歌、演技、MC全てに全力投球。感動すらしてしまいました。
 もともとはあのセブンティーンの人気モデルさんだったとか。今でもいちおう本業はモデルさんなのかな。ここのところいくつかの日本映画に出演するというのは知っていましたが、まさかいきなりハリウッド、それも「ワイルドスピード」だとは。正直びっくり。セーラームーンでの存在感からして、これからドラマや映画に引っ張りだこになるだろうなとは思っていましたけどね。
yk41 カミさんとよく言ってたんですよ。現代版「由美かおる」だって。おっと失礼、由美かおるさん、バリバリ現役でした。すんません。でも、たしかにセーラーマーズが闘うシーンにお銀の姿がダブることたびたび。貴重な若者ですよ。たぶん、そういうちょっと古風な雰囲気があるんですよね。純日本的な。それがアメリカ人の目に留まったのでしょう。ロブ・コーエン監督もお目が高い。あっ、お二人とも兵庫県の出身なんだ。へえ。
 そう言えば、北川さん、東京の某M大学の学生さんなんですよね。そこの某学部と言えば、教え子が行ってるところだ!…だからなんなんだ?ま、とにかく由美かおるさんのような、偉大な女優さんになってもらいたいと思います。きっとなれます。静かに応援してますよ。

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2005.12.14

『プチクリ 好き=才能!』 岡田斗司夫 (幻冬舎)

pc1 久々に動かされた本。とりあえず私の言いたいことは、この本に全て書いてありました。私が日々教室で語っていたこと、いや語りたくてもうまく語れなかったことなのかもしれません、とにかく私の人生の中心にあることを、岡田先生が実に明快に、そして明朗に語ってくれました。
 これほど共振する私が、ある意味特別だということはわかります。しかし、これだ!というのは事実ですし、いろいろな先生の中に私のような人間がいても、生徒にとっては全く不利益にはならないでしょう。
 「プチクリ」…プチ・クリエイターということです。それが意味するところは…この本に書いてある通りなわけでして、皆さんに読んでいただきたいので、ここには詳しく書きません。ただ、こちらを御覧になると、その明るく前向きな姿が垣間見られることと思います。
 私はいちおう国語の先生でありながら、他にもいろいろと趣味がありまして、だいたい人からは呆れられるか、うらやましがられるかどちらか、というような人生を送ってきました。自分は好きでやっているわけで、いつかはプロになってやろう、なんて考えているわけではない。実際、いろいろな分野のプロの方とご一緒させていただくことも多くありますが、その度に「いいねえ、アマチュアは…」と言われてきました。「プロは好きなことできなくなるし、なんでもお金の計算になっちゃうんだよね」…本当に何度も聞いた言葉です。
 私は、そんな自分に、時に幸福感を感じたり、時に虚無感を感じたりしてきました。つまり、そんなある意味おいしい立場が心地良かったり、逆にプロになりきれない自分に情けなさを感じたりしてきたということです。どちらかというと後者でしょうか。もっと才能があればなあ、もっと努力ができればなあ。それでも、いろいろな人から(例えば生徒たちから)「なんか楽しそうでいいなあ」と言われることがあんまり多いので、まあこんな人生もいいか、と思うこともしばしば。いったい自分って…。
 こんな私の生き方に「プチクリ」という素敵な名前を与えてくれ、そして思いっきり肯定してくれたのが岡田斗司夫さんだったのです。プチクリが一番幸せな状態だったのですね。やっぱりね(笑)。本当に楽になりました。よし!プチクリを極めるぞ!
 岡田先生、冒頭でご自身のことを「人の才能を見抜き、やる気を出させる」才能の持ち主だとおっしゃっています。人の才能を見抜き、やる気を出させる…これは、まさに私の考える教師の仕事そのものです。勉強を教えるのが教師の仕事ではありません。生徒を自分が考える正しい人間に育てることが仕事…なんて間違っても言ってはいけない。先生がそんなに偉い人間であるわけがない。私もいろいろなところで言っているつもりですが、先生はプロデューサーであるべきだと思うのです。まさに「人の才能を見抜き、やる気を出させる」です。恩師大村はま先生は、まちがいなく名プロデューサーでした。どれほど私を開発してくれたことか。
 「プチクリ」という考え方の誕生、まさにタイムリーでしたね。インターネット、特にこのブログというメディアは、プチクリのためにあるようなものです。ネット上のクリエイティブな表現活動というのは、ある意味理想的な需給関係を作りだします。良ければ、面白ければ、興味深ければ見ます。そうでなければ通り過ぎます。基本的にはお金はからみません。いい意味で無責任に発信、受信できます。私自身も、このブログのおかげで、本当にプチクリ生活が充実しています。そして、どれほど多くの新しい縁が生まれたことでしょう。そして縁がセレンディピティーを生む。幸運をつかむ可能性が生まれるわけです。だから楽しいに決まっている。
 あっ、そうそう私も岡田さん提案の「才能埋蔵マップ」作ってみました。ものすごく膨大になってしまって、結局このブログの内容と同じになってしまったんですよ。ですから、私の完成版才能マップ、いや発展途上だな、とにかく今の自分のマップはこのブログです!もちろん生徒たちにも作らせてみました。みんな一生懸命楽しそうに作っていましたよ。もうその作業だけでも素晴らしい教育活動です。自分にはこんなに才能があるんだ!自信はやる気につながります。
axe3 最後に蛇足ではありますが、うちのカミさんのマップ、あんまり面白いので(変なので)ここにさらします。まあこれも確かに才能だよな…すごいわ。

Amazon プチクリ

岡田斗司夫のプチクリ日記

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2005.12.13

『トレンド情報』or『まちかど情報室』(NHKおはよう日本)

machikado 今朝なんか−12℃ですからねえ、早起きの私としては辛い季節がやってまいりました。さすがに4時起きは無理。それでも5時には必ず起きます。
 それで、朝はNHKハイビジョンを見ます。見ますというか、とりあえずニュースをチェックするためにつけっぱなしにしています。平日は4時半から「おはよう日本」ですね。で、私が毎日楽しみにしているコーナーが、5時台の「まちで見つけたトレンド情報」と6時台の「まちかど情報室」です。
 実は、この二つのコーナー、内容は全く一緒です。なのになぜか1時間たつと名前が変わる。演出もちょっと派手になる。不思議です。こんなこと知ってるのは、超早起きのご老人たちだけでしょうね。私の年代では珍しいのでは。人によっては遠距離通勤のため、5時に起きる人もいるでしょうけれど、そういう人でも、さすがに両方は見ないでしょうから。6時には電車の中ですね。
 さて、このコーナー、毎日とても興味深いモノやコトやヒトを取り上げます。よくぞ毎日ネタがあるなあ、という感じ。それもなかなかよく取材してあって感心させられます。どうやってトピックを決め、そして取材対象(だいたい一般人)を選ぶのでしょう。スタッフは大変だと思いますよ。地味ですが、かなりのグッドジョブです。
 今日のテーマは「トイカメラ」。いわばおもちゃチックなカメラです。今トイカメラがちょっとしたブームだと。
 三つのトイカメラを取り上げ、実際にそれを楽しむ人たちを取材していました。私もけっこう興味のある分野でしたので、思わず2回ともじっくり見ちゃいました。インタビューを受けたある女性が「デジタルカメラで撮ったものは鮮明すぎてウソっぽい…」みたいなことを言ってました。同感です。プラスチックレンズの超小型カメラや、魚眼レンズのカメラ、そしてピンホールカメラで撮った写真は、たしかにもうそれだけでゲージュツしてましたよ。一種の対抗文化ですね。考えてみれば、「トレンド」なんて言葉もすでに本流から取り残されてますな。いい味出してます。
 いや、5時台で気になった、あるいは気に入った内容を、1時間後に再放送?してくれるので非常に助かります。また、NHKのホームページに行くと、例えば今日紹介されたトイカメラを販売している会社のリンクもあったりします。情報コーナーとしては最高ですね。
 どちらかというと地味目の話題が多いのですが、地味だからこそ、私のようなマニアの心をくすぐってくれるんですね。今、テレビ番組の中で最も期待しているのは、実はこれだったりします。例えばBSデジタルとかで、こんなような地味but有用andマニアックな情報ばかりを流してくれる放送局ができたら、個人的にはめちゃくちゃ嬉しいな。

まちかど情報室

ポケットカメラ用のフィルムをはめ込んで使う小型カメラ
魚眼レンズがついたプラスチック製のカメラ
3つの穴から撮影するピンホールカメラ

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2005.12.12

『The Complete OZU〜小津安二郎の世界』(CD-ROM) 東芝EMI

ozu77 今年もやってまいりました。12月12日。小津先生のお誕生日、そして命日。昨年は『秋日和』を鑑賞してのんびり過ごしました。今年はなんとなく落ち着かない毎日でして、なかなかOZUにどっぷりつかる余裕がありません。受験生抱えてるからかなあ。こんな時に「大学は出たけれど」なんて観ちゃったら…いかんいかん。
 ということで、なかなかじっくり作品を味わえませんので、こちらを紹介します。これはいわゆるエキスパンドブックであります。拡張書籍とでも訳すのかな。とにかくディスプレーで読んだり見たりする電子本です。1993年にボイジャーが開発しました。その後、電子出版の定番フォーマットになるかと思われましたが、最近ではpdfやttzにその座を奪われ、ほとんど絶滅したも同然です。
1391 私も以前は、この『The Complete OZU〜小津安二郎の世界』や『新潮文庫の100冊』などのCD-ROMを買って、Macの画面で未来の書籍を楽しんでいました。もともとExpaded BookはMacのHyper Card上で動くソフトだったんですよね。だから、この『The Complete OZU』も最初はMac専用だった。ということは売れないということです。私も当時はTownsなんぞを使っていたもんだから、買いたくても買えなかった。結婚して、カミさんのLC630が自分のものになったのを機会に、やっとこさ買うことが出来ました(もっともこの時はhybrid版になっていた)。
 これは非常にいいですよ。ハイライトシーンの動画を含む、全作品の詳細な解説は圧巻です。ドナルド・リチーの「小津安二郎の美学」が全部入っているだけでも感動もの。それもハイパーリンクで、文中の語句から実際のシーンを確認できる。これは紙メディアでは絶対に不可能な、まさに未来の書籍のあり方を予感させるものでした。もちろん、こういう発想はMacのHyper Cardや、TownsのTownsGEARなどで、私も体験済みではありましたが、その洗練された形として大いに興奮させられたことを思い出します。これぞマルチメディアだ!と。今や、このブログを見るまでもなく、ネット上では当たり前のことになっていますけれど。開発者の萩野正昭さんのサイトに興味深い記事があります。私も大好きな『浮草』のラストシークエンスの動画で、エキスパンドブックの雰囲気を味わうことができますので、ぜひ御覧下さい。
 あと、このCD-ROMの見どころは、そうそうたる人々の充実したインタビューです。杉村春子、須賀不二男、桜むつ子、青木富夫(突貫小僧)、長井秀行…このインタビューだけでも超重要資料。
 エキスパンドブックはWindowsXPやMacOSXには正式対応していません。そんなこともあって、このCD-ROMは絶版となっているようです。基本はあくまでも紙の本のイメージですが、しかし、ただ書籍を電子出版したものとはわけが違う内容となっていますので、なんとか違う形ででも復活させてほしいものです。今やコンピュータ上でのマルチメディア処理は、なんでもあり、なんでもできる、状態です。だからこそ、この抑制の効いた、クリエーターとしての善意に満ちた古典的作品を、今、世界中の皆さんに味わってもらいたいですね。

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2005.12.11

ピンポンダッシュ

486113000X なんとなく思ったんですよね。ピンポンダッシュっていつからあって、いつまであるんだろうって。
 いや、トイレで用を足してたら、5歳の娘がドアをドンドンって叩いて、直後キャーッっていいながら、走り去っていったんですよ。あっ、これはピンポンダッシュだな、って思いました。ピンポンとは鳴らないけれど、心はピンポンダッシュだなって。なんか懐かしかった。別に教えたわけではないのに、たぶん自然にやったのでしょう、彼女は。てことはピンポンダッシュって本能なのかなあ。
 呼び鈴というものが各家屋に取りつけられたのはいつごろからなのでしょう。たぶん近代になってからでしょうな。その前は、やっぱりドンドンとかトントンとか「たのも〜」とか「申し申し」とかだったのかな。いろいろと思いを巡らしました。
 最近は、モニターつきのドアフォンみたいなものが普及してしまいましたから、ピンポンダッシュしにくい環境になっているのではないでしょうか。ホームセキュリティーなんてのもありますからね。いたずらが犯罪になってしまう。いけませんな。そういう遊び心の許されない世の中というのは。ホント、最近妙ちくりんな事件ばかりでウンザリしてしまいます。日本社会というか、世間の崩壊が進んでいるんですね。玄関のみならず、家中に、いや街中に監視カメラが…。安全であることは遊びを奪います。遊びはだいたい適度に危険なものですから。
 この「ピンポンダッシュ」という言葉、なかなかセンスの良いネーミングだと思います。いったい誰がいつごろ命名したんでしょう。行為自体の歴史にも興味が湧きますが、言葉としても気になるところですね。また、さっき言った本能的な部分、つまり「ピンポンダッシュの心意気」みたいなものも分析してみたくなります。
 これに似た行為というのも、意外にないんですよね。相手の意識を故意にこちらに向けておいて、そのベクトルのやりどころから逃げる。そこに匿名性とゲーム性が伴う。かと言って何かメリットがあるわけでもない。また、なぜか集団でやると盛り上がる。それも学校帰りが最もふさわしいシチュエーション。見つからないためなら夜やればいいのに。やっぱりその家の主人とかが出てくると困るからか…昼なら主婦か老人だもんな。
 外国にもあるのでしょうか。日本固有の文化なのでしょうか。何歳くらいまでやっていい?のか。プロはいるのか。女の子もやるのか。狙われやすい家とは。犬や猫の存在はいかに影響するか。法律上はどういう扱いになるのか。スポーツのようでスポーツでもない。う〜む、考えれば考えるほど深い。
 ま、結局こんなふうに考えても何もわからなかったわけでして、そういう意味では、やはりこれは本能にほからならない、という結論になるのかな。本能ですから生きるためにあるわけです。こうした遊びがないと人間は死んでしまうのでしょう。
 あっそうそう、上の画像は去年読んだ「ピンポンダッシュ」という本です。ド素人が一本映画を撮ってしまったいきさつが書いてありました。たしかに、やっちゃえ!的な疾走感は本家ピンポンダッシュに似ているかもしれません。集団だし。あと、「卓球ダッシュ」というマンガもありますね。読んだことありませんが。ゲームもたくさんあるみたいです。ヴァーチャルじゃあ全然面白くないでしょうけれど。
 とにかく、もう少し心に余裕がある時にゆっくりピンポンダッシュ哲学してみますわ。やっぱり心に遊びは必要ですね。

Amazon ピンポンダッシュ

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2005.12.10

祝?ヴァンフォーレ甲府J1昇格〜メトロン星人

fg31 今日は東京江戸川区で古楽アンサンブル三昧。楽しい時を過ごさせていただきました。また呼んで下さい。
 江戸川の向こう千葉県ではJ1J2入れ替え戦第2戦が行われました。比較的近くにいたので、千葉テレビで観ることができました。う〜む、実に沈欝なムードでしたなあ。山梨放送で観るのとあまりに印象が違う。同じものを伝えているはずなのに。メディアの宿命ですか。
 結果としては、ヴァンフォーレ甲府が柏レイソルに大勝し、みごとJ1昇格を決めました。いちおう山梨県民として喜びましょう…か。この前書いたように、世間一般の気分は「判官贔屓」であったはずです。つまり、どちらのファンでもない人たち(ほとんどの日本人でしょう)は信玄方、いやいや甲府方につくのは、まあ当然だということです。し、しかし、今日の試合については、私は実に複雑な「判官贔屓」状態に陥ってしまいました。千葉テレビで観てしまった私は、明らかに柏を応援していたのです。
 いや、たしかに、職場の後輩が熱狂的なレイソルサポーターであることも影響していますよ。彼の境遇と職場の今後を考えるとたしかに辛い。しかし、そういう意味でのシンパシーではなくて、なんというか、もう試合の最後の方は、純粋に応援してしまった。結局、私はどちらのファンでもない普通の日本人だということがよくわかりました。
 プロレスにはやられっぷりというのがあります。しかし、それ以前に格というのがあるのです。つまり、格下にはやられっぷりという美学が許される。今回はプロレスではなくプロサッカーでしたし、柏は格上だったはずです。やられっぷりは許されない。ちょっと観ていて辛かった。
 で、なんでメトロン星人なのか。
 いや、よくわかりません。今日のウルトラマンマックスは、実相寺昭雄監督によるシュールな作品再びでした。「狙われない街」…もちろんウルトラセブンの同監督作品「狙われた街」の続編(パロディー?)です。先々週の「胡蝶の夢」もなかなかでしたが、今日のも楽しめましたね。寺田農にしびれた。はっきり言って、セブンを観てないと全然わからんでしょう。ま、ウチの娘たちは私よりもセブンをよく観ているので、よくわかったようですが。
 ウルトラセブンは怪獣や宇宙人へのシンパシーも強調された作品でしたね。まあちょっとした判官贔屓です。メトロン星人も、ああやってちゃぶ台挟んで話せば分かりそうな部分があったのに、セブンにバッサリ二等分されてしまった。子どもながらに、あの夕景にちょっとした悲哀を感じましたね。
 そのやるせなさが40年ぶりに解消されたような気がしました。もう地球は狙う価値もない星になってしまった。40年間でこんなにも変わってしまった。ケータイを持った猿ねえ。なるほどアイロニーがきついっすね。実相寺監督。
 というわけで、無理やりくっつけます。レイソルよ!メトロン星人のように臥薪嘗胆せよ。そして、ヴァンフォーレよ!地球人のように慢心してはいかん!
 ふ〜、なんとかまとまった…。

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2005.12.09

夏目漱石 『西洋にはない』

154r 昨日は「レノン忌」でありました。今日は「漱石忌」です。1916年の今日、漱石は亡くなりました。
 漱石について書くとなると、それなりの心構えが必要です。しかし、そんな心構えをする根性がないので、今日は軽めに行きます。漱石にはいろいろな顔があります。小説家は言うまでもない。英語教師であったり、頑固親父であったり、神経衰弱患者であったり。今日はそんな中から、俳人としての漱石とエッセイストとしての漱石をとりあげましょう。次に引用するのは、1911年に「俳味」という雑誌に掲載された文章です。

 『俳諧の趣味ですか、西洋には有りませんな。川柳といふやうなものは西洋の詩の中にもありますが、俳句趣味のものは詩の中にもないし、又それが詩の本質を形作つても居ない。日本独特と言つていいでせう。
 一体日本と西洋とは家屋の建築裝飾なぞからして違つて居るので、日本では短冊のやうな小さなものを掛けて置いても一の裝飾になるが、西洋のやうな大きな構造ではあんな小ぽけなものを置いても一向目に立たない。
 俳句に進歩はないでせう、唯変化するだけでせう。イクラ複雜にしたつて勧工場のやうにゴタゴタ並べたてたつて仕様がない。日本の衣服が簡便である如く、日本の家屋が簡便である如く、俳句も亦簡便なものである。』

 さて、いかがでしょう。なんて言われてもねえ。えっ?別に…って感じですよね。私はこの文章けっこう好きなんですよ。
 だいたい漱石、小説家としてはあんまり名文家ではない。どうも説明過多でリズムが悪くていかん。特に後期の作は。いや、処女作などは、さすが句作の余韻が残っていてリズムが良い。しかし、だんだんと悪くなる。英語の日本語訳みたいな文章になっていくんです(こんなふうに文豪の悪口言うなんて、結局根性あるのかな)。
 それが、こういうエッセイや書簡などでは、非常に日本的なリズムが出るんですよね。この文章なんかいい例です。ま、漱石自身が小説と俳句を一緒くたに考えていたわけない。このエッセイには、小説は西洋のもの、ということが裏返して書かれているわけでもあり…。
 さて、内容を検討してみましょう。私の勝手な解釈です。なにしろ「俳味」満載な文章なので、いろいろと解釈の余地があるわけでして。
 まず、第1段落。「俳味=俳句趣味」が西洋にはないと。諧謔はあっても俳味はない。まあそうでしょう。
 2段落目は、これは比喩というか象徴でしょうな。俳味です。西洋建築の中に俳句を記した短冊をかけると妙なことになる、ということを言いたいわけではない。精神構造の話でしょう。 
 3段落もいいですねえ。俳句に進歩はない。変化あるのみ。その通りでしょう。時代の構造の中で、表現は変化しますが、俳味は変わらない。俳味はもう俳句が誕生した時点で完成していたのです。日本人の心、文化の中で醸成しきっていた。それが、五七五のメディアを介して噴出しただけですから。そして、明治維新後、有形無形さまざまな西洋の構造の波がやってきた。やってきて、もう帰らない。だから醸成の環境はもう終わったのです。俳味は進歩しない。ただ、その構造の中で俳味のポジションが動く。それが表現の変化になる。こんなふうに私は読みましたね。漱石流の構造主義かあ。
 ま、そんな小難しいことはどうでもよくて、つまり俳味を理屈で説明しても仕方ないわけでして、ただ、このエッセイの見事な五七五を味わえばいいと思うのです。時代性という季語もありますしね。名句だと思いますよ。全ての本質は簡便なり。

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2005.12.08

ジョン・レノン 『スターティング・オーバー』より「立川」

B000AU1NVK 昨年の今日も、12月8日という日について書きました。「歴史的特異日」ですね。今年はそのうちの一つにちなんだ記事でも書こうかな、と考えています。さて誰にしようか。お釈迦さんか、王仁さんか、五十六さんか、レノンさんか…。
 さあ、というわけで、今日はジョン・レノンを取り上げましょう。彼が亡くなった時、私はちょうど「ダブル・ファンタジー」を聴いていました。そして、階下で叫ぶ母の声…「ジョン・レノンが殺されたよ!」…悪夢だと信じたかった。
 さて、その「ダブル・ファンタジー」にも収録され、彼の第二の出発を象徴するはずであった名曲「スターティング・オーバー」。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、この曲には謎の音声が入っています。
 3分27秒付近。間奏に重なって、不思議な声のようなものが聞こえます。私は最初聴いた時から、これは日本語っぽいなあ、と感じていました。今聴いても、やはりあの音節やあの高低アクセントの感じは、まぎれもない日本語です。しかし、頭の中で文字に変換されなかった…。
 そんな時、かの伝説の雑誌「ポンプ」に、これは「立川、立川です。え〜、南武線…」と言っている!との投稿がありまして、そうして聴いてみると確かにその通りに聞こえます。
Pump あっ、今書いてて急に胸がキュンとした。ちょっと話がそれますが、「おしゃべりマガジン ポンプ」知ってますか?あの雑誌好きでした。今で言うインターネット上の掲示板みたいな感じですね。完全投稿雑誌。画期的だったなあ。あの橘川幸夫さん創刊です。高校時代からもうオレはそっち系だったのか…。たぶん実家に行けばあると思います。ああ、急に読みたくなってきた。もう四半世紀前か…。
 すんません、話がそれました。で「立川」ですが、皆さんぜひ聴いてみて下さい。絶対にそう言っています。あの車掌独特の口調そのものです。日本以外の世界のどこかに、このように聞こえる言語があったとしたら、それはそれで大発見ですよ。とにかく、今も聞き直してみましたが、たしかにそう言っている。
 もちろん、ヨーコさんの関係で、お忍びで日本に何度も来ていますし、自分で録音したのではなくとも、たとえば電車に乗る機会があって、あの独特の車掌口調が印象に残ったとか、それは充分あり得ます。
 まあ知っている人は知っているのだと思いますけれど、ネットでもあんまり話題になっていないようなので、今日ここにこうして書いておきます。ところで、「ポンプ」に投稿した方、誰なんだろう。
 今度実家に帰ったら探してみます。ああ、25年前かあ…。

Amazon ダブル・ファンタジー

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2005.12.07

『その時歴史が動いた』が動いた!

hrrr51 スポーツも芸術も人間の本能の昇華であると言えます。本能ですから生命にかかわることです。前者は喰うための本能、後者は命をつなぐための本能の昇華だと思います。
 ですから、スポーツは真剣勝負です。喰うためには戦争も起こすのが人間ですから。一方、芸術は演劇性が伴う。生殖ですからね。最初から最後までお芝居が必要です。
 今日、サッカーJ1とJ2の入れ替え戦が行われました。我が山梨県のヴァンフォーレ甲府と柏レイソルの試合でした。結果は皆さんご存知でしょうから省略します。
 山梨県民のみならず、判官贔屓の大好きな日本人にとっては、充分に魅力的な内容であったと思います。つまり、スポーツにドラマ性が侵食しているというわけです。何が起こるかわからない真剣勝負と、その背後に巧みに設定されたストーリーとの調和ですね。人は石垣、人は城。甲府は勝っても負けても共感を呼ぶ。
 というわけで、私もけっこう楽しんだのですが、実は試合内容以上に私のツボにはまる「何が起こるかわからない」真剣勝負&ドラマがありました。これも皆さんご存知でしょう。試合終了寸前の停電?です。
 NHKのテレビで観ていた私は、すわ放送事故か!と思いました。クライマックスでの舞台暗転。これは意外な演出でした。結果として、これがまた甲府の貧しさ弱さを強調する結果になったわけで、それこそ実は演出なのではないかと思わせる出来事でした。そして冷たい雨のそぼ降る中、35分間の中断を挟んで、なんとか試合再開、結局甲府の勝利となりました。
 さあ、困ったのはNHK甲府放送局です。本来の「クローズアップ現代」と「ためしてガッテン」を休止して臨んだ特別編成。予定では、最悪でも9時前のローカルニュースの枠を犠牲にするくらいで終わるはずだったのに…。思わぬアクシデントのため、9時を回ることに。ここで、「ニュース9」をつぶすわけには、さすがにいかない。さあ、どうするNHK?!
 まずは「経過は速報画面でお伝えします」として、とりあえず「ニュース9」に突入。しかし、その15分間では決着がつかず…いやいや照明がつかず、ついに次の番組枠へ。ここで、奇跡が起こります。
 9時15分からは人気番組「その時歴史が動いた」です。今日は本来なら「シリーズ真珠湾への道 <後編>〜山本五十六 運命の作戦決行〜」が放送されるはずだった(そう言えばこっちも窮鼠猫を噛むだなあ)。そりゃそうだ。明日は歴史的特異日。しかし!なんとNHK甲府放送局はサッカーの中継を再開したではありませんかあ。「運命の作戦決行」!
 「その時歴史が動いた」が16日深夜1時に動いた!
 やりますねえ、ご立派。局長の英断に拍手いたします。よくあったんですよねえ、プロレス中継がゴールデンで生放送だったころ。メインの試合に限ってクライマックスで放送時間切れってことが。最後の提供テロップのところで、ほんの数秒だけその後の様子が見れるんだけど、あまりに短時間でよけいに混乱することがしばしば。ものすごい不完全燃焼で眠れなくなったのを思い出します。それに比べると、なるほどねえ、スポンサーにしばられない国営放送は強いなあ。ちょっと感動しました。
 というわけでして、試合内容もさることながら、「過電流」?による照明ダウン、それに伴うNHKの対応など、ホントいろいろと楽しめましたわ。すばらしいスポーツであり芸術でありました。

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2005.12.06

10万アクセス突破御礼〜アクセス解析

cocofc2counterGoogle
 おかげさまで、いつのまにか10万アクセスを突破しておりました。ありがとうございます。7月の終わりに5万アクセスという記事を書いてますから、そこからのペースは速かったですね。
 もともとあったコーナーをブログに移植して、ちょうど1年です。去年の今ごろに比べると、1日あたりのアクセス数は3倍に増しました。まあ、これだけの文字数書いてれば、それなりに見ていただく機会も増えますね。さっきコンピュータに数えてもらったら、ちょうど100万字くらいでした。原稿用紙で2500枚。新書版で1500ページかあ。まあよく駄文を連ねましたね。まあまあのペースかな。ちなみに最高3日で8万字です(卒論…笑)。
 とは言っても、この10万アクセスという数字、あてになりませんぞ。だいたい自分がクリックしてもカウントされるし、アクセス解析の種類によってかなりの誤差があるんですよ。アクセスというよりもページビューという方がより正確かもね。
 このブログには、都合四つのアクセス解析が埋め込まれています。いや、別にアクセス解析マニアというわけではありませんし、実際あんまり見てません。でも、今も一所懸命解析してくれているわけですから、労をねぎらう意味もこめて紹介しましょう。
 まず、ニフティのココログの機能の一つであるアクセス解析ですね。次に、このブログにアクセスすると左上の方でピクピク動く謎の生物です。これはFC2のアクセス解析が棲んでいる証拠です。最初の数秒だけ姿を現します。3番目はカウンターに付属の解析です。これもFC2。そして、最近ためしに埋め込んでみたGoogleのAnalyticsです。上の画像は左からココログ・FC2解析・FC2カウンター・Google、それぞれのトップ画面です。
 で、それぞれ全く解析結果が違うので、あてにならんということです。例えば、昨日のトータルアクセス数は、それぞれ590、672、573、682、てな具合でして、まあ平均をとって600くらいかなって感じです。
 それぞれに得意分野や不得意分野があるようですが、結局あんまり見てないのでよく分かりません。これが商用サイトだったりすると、Googleの妙に詳細な分析(なんかいろいろありすぎてお手上げ)が役立ったりするんでしょうな。これとにらめっこする仕事とかもありそうですね。大変だ。
 それぞれをよく見てみると、人気記事はどれかとか、どこのサイトから飛んできたかとか、どんな検索ワードでたどりついたのかとか、どこの県から何人アクセスしたかとか、新規顧客?とリピーターの割合とか、面白そうなコンテンツが並んでいます。ヒマがあれば眺めてみたいですね。
 しかし、アクセスする方からすると、なんとなく監視されているというか、マジックミラー越しに見られているというか、あんまりいい気はしませんよね。私はあんまり、というか全然見てませんので、気兼ねなくご訪問下さい。
 追伸 右にある「人気記事」もアクセス分析の一つですね。

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2005.12.05

フィアット パンダ (5)

SANY00661 昨日の続きです。
 パンダちゃん、初めての極寒体験です。まあ、イタリアもけっこう北の方は寒いそうですから、その辺の対策は大丈夫でしょう。前任のプントも、一回だけエンジンがかからなくなりましたが(−13℃の朝)、それもすぐに直り、その他はけっこう快適でした。
 それにしても、昨日の雪にはびっくりしました。さらに今日の朝はとんでもなく冷え込んで、クルーズのドアは開かないわ、フロントガラスの氷をお湯で溶かしにかかったら、はしから凍ってさらに氷が厚くなるわ、もう大変。焦って出勤したために、職場についてからビックリ。ネクタイはしてないわ、ベルトはしてないわ、財布はないわ…。何やってんだか。
 さて、パンダの冬支度ですが、前書いたように夏用タイヤのホイールはデッカイさそりに替えてもらいましたので、余っている純正ホイールを使います。155/80R/13っていうやつですね。このサイズのスタッドレスを買ってきました。今回はヨコハマのアイスガードにしました。
 それで、−6℃の中、昨日のインパクト・レンチに再び登場願ってタイヤ交換…とにかく寒い…と思いきや、けっこう重労働で暑い!だいたいあのピレリーP6000とさそり君が重いのなんのって。いつもあんな重いの履いてんだ。非力なパンダにとっては負担大きすぎるんじゃないかなあ。
 日本車と違ってボルト止めだし、そのサイズも微妙に違ったりして、また、ホイールキャップの付け方の手順も間違ったりして、結局1時間以上かかってしまいました。作業終了後、試験走行です。ウチの周りは、ツルツルの凍結路の急坂ばかりですが、なかなか調子よく走ったり、止まったり、曲がったりできます。全然問題なし。これでやっとカミさんと子どもも下界に降りられる。
SANY00641 ところで、冬のパンダで面白いのは、コックピットのインジケーターに「Ice Danger」と表示されることです。外気温3℃以下だと警告が出ます(ちなみに写真では−8℃!)。「氷危険」か…。たぶん日本語的に言うと「凍結注意」だと思います(iceは動詞なのかもね)。漢語による熟語って便利だなあ。和語だったら…。
 これに限らず、パンダで表示される記号的英語は面白い。向こうの人にとっては別に普通のことなんでしょうが、あんまりそういうのに慣れてない私には面白い。学校文法とは別世界。ものすごくぶっきらぼう。
 向こうの人ってこういうふうにストレートにきつく言わないと、言うこときかないのかなあ。なんか直接的なんですよね。「続弾!問題な日本語」のところでも書いたように、本当に日本語って婉曲的だよなあ。カーナビのねえちゃんもものすごく丁寧だし。いや、日本人が変なのか。へりくだって言わないと、言うこときかないとか。ぶっきらぼうに言われると腹立つとか。
 いずれにせよ、これはやっぱり、話し手の問題というより、聞き手の問題なんだろうなあ。話を聞くというと、話す方が先のような気がしますが、実は聞くことが前提となって、発話があるわけですから。

フィアット パンダ (1)
フィアット パンダ (2)
フィアット パンダ (3)
フィアット パンダ (4)
フィアット パンダ (6)

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2005.12.04

インパクト・レンチ〜「ボランティア」の本義!?

4960169013036-2 いやあ、危なかった。いきなり初雪です。なんとなく雲行きというか富士山の見え方がやばかったので(つまり富士山に雪が降っているのが見えたので)、午前中にタイヤ交換したんです。そしたらチラチラと…そのうちドバッ。
 ウチは富士山の標高1200メートル地点ですので、この時期、下界では雨でも雪になります。今日もけっこう積もっちゃいました。
 昔は平気でひと冬ノーマルタイヤで過ごしたりしてましたけれど(ジムニーです)、さすがにのべ50回転くらいすると(氷のリンクの上を華麗にスピンすると)懲ります。1回転につき半年くらい寿命が縮まる。家族を持つようになって、あんまり早死にするわけにいかなくなったので、ちゃんとスタッドレスに替えるようになりました。
 タイヤの交換というやつはなかなかのくせ者で、自分でやるのは実にかったるい。かなりの重労働です。かといってショップなどでやってもらうと、高いところだと1輪1000円かかる。ウチは車2台ですから、全部で8輪。それを冬の初めと終わりにやってもらうわけですから、へたすると年間16000円もかかってしまいます。そんな余裕はないので、もちろん自分でやるわけですね。まあ、みなさんもそうでしょう。
 で、そんな時役立つのが格安インパクトレンチです。2980円。あのガガガッってやつです。どういう原理かは知りませんが、うまい具合に締めたり緩めたりできます。だいぶ作業が楽になりましたね。時間もかなり短縮。
 さてさて、ワタクシ、こんな突然の雪の日は、このレンチやら軍手やらカッパやらを搭載して、クルーズ君でお出かけします。どこへ行くかって…ウチの近所です。ウチは別荘地内にありまして、今日のような日曜日の突然の雪の時はとっても忙しくなるんです(笑)。
 今日もすごかったんですが、そこら中に、ベンツやらポルシェやらが立ち往生している。つまり、都会からリゾートに来て、不意に雪に襲われてしまい、冬用タイヤはもちろん履いてないし、チェーンは持っていてもハイソな方々はそんなもん自分で付けたことない、というわけで坂の途中なんかで、まさに立ち往生しているわけです。でも、彼らはなんとしても今日中に都会に帰らなくてはならない。明日から仕事だからです。さ〜て、困った。ジーザス!
 そこに颯爽と現れたるクルーズ君。偶然通りかかったように見せかけ、「大丈夫ですか?」と声を掛ける。だいたいすでに立ち往生しているわけで、全然大丈夫なわけはない。そこで、クルーズ君、さりげなく「お手伝いしますよ」「困った時はお互い様ですよ」って言うんです。かっこいい!そして、トランクから、さすが寒冷地の住人と思われそうな装備を取りいだし、手際よくチェーンを装着してあげたり、場合によっては下界まで行ってチェーンを買ってきてあげたり、溝から車を救出してあげたりするんです。ものすごく感謝されます。ボランティアって気持ちいいっすね。
 「ボランティア(volunteer)」という言葉、日本では本当に間違って捉えられています。本来は「志願兵」です。自分はこれができます!と言って手を上げることです。福祉とか奉仕とか慈善とか本来は関係ない。十字軍ですから。で、こういう時は、まさにボランティアです。自分は得意なんですから、技術を提供するわけです。
 かっこいいでしょう?エライでしょう?尊敬しちゃったりして?
 な〜んて、ワタクシのことですから、そんな純粋な動機ではありませんよ。いいですか?本来の意味の「ボランティア」には「無償」というニュアンスはないのです。「無償」でも構わないが、「有償」の方が自然です。こちらから請求しなくとも、相手がどうしてもお礼したいということであれば、断る理由はありません。で、ここは別荘地。立ち往生しているのはベンツやポルシェ。
 これ以上は書きません。仕事というのは本来こういうものです(笑)。
 (ちなみに本当のことを言うと、今日は本職が忙しかったので出動できませんでした…残念、冬のボーナスカットか)

自動車の電源でラグナットの脱着。【電動 工具 自動車用 レンチ】電動式インパクトレンチ No,1303

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2005.12.03

ステファン・グラッペリ&ミシェル・ペトルチアーニ 『フラミンゴ』

『Flamingo』 Stephane Grappelli & Michel Petrucciani
B00005FZQO ちょっと前にグラッペリ翁とマッコイ・タイナーの不思議な共演のところで予告しました完璧なコラボレーションをいよいよ紹介しましょう。
 もうこのアルバムについては、私の言葉では何も表現できません。本当に完璧です。
 何も言えないと言っておいて、こんなことは書くべきではないかもしれませんが、どうしても書きたいことがあります。これは、世界にとってものすごく重要なメッセージだと思うからです。ふだん、どちらかというとこのような物言いを嫌う私ですが、今日はあえて書きます。
 グラッペリはこの録音の時、すでに87歳。ミュージシャンとして充分高齢です。しかし、彼のヴァイオリンから溢れる音楽は、ますます豊かで、洒脱で、優雅です。音楽には、いや人生には、必ずしも加齢がハンディにならないことを美しく語ってくれています。
 一方、ペトルチアーニは、先天的な骨の病気のため身長1メートルほど。しかし、彼のピアノから溢れる音楽は、力強く、生き生きとし、幸福に満ち溢れています。音楽には、いや人生には、必ずしも肉体的障害がハンディにならないことを雄弁に語ってくれています。
 もちろん、そんなことを抜きにしても、ここに存在する音楽は充分に素晴らしいのですが、しかし、やはり彼らの互いに対する尊敬と思いやりがあってこそ、この奇跡は起きたのだと信じます。一聴、フランス人どうしの何気ないおしゃべりのようにも感じられましょう。そう、本当にさりげないダイアローグが交わされているんです。ところが、聴けば聴くほど、そこから崇高な光が発せられていることに気づかされてゆきます。
 このアルバムによせられたペトルチアーニの言葉のほんの一部を紹介します。
 「ジャズはあなた方を愛している(私たちはジャズに愛されている)」
 95年に、この完璧な作品を残したお二人は、すでにこの世に存在しません。お二人とも亡くなられました。グラッペリは97年89歳で、ペトルチアーニは99年36歳でこの世を去っています。年齢はあまりにも違いますが、二人とも死の寸前まで音楽を愛し、音楽に愛されていました。音楽に愛されている喜びと感謝の気持ち。お二人それぞれの崇高な心が、この奇跡的な録音を可能にしたのに違いありません。人類の遺産です。私は、グラッペリ、ペトルチアーニ、それぞれのベストアルバムに挙げてもいいと思っています。
 最後に一つ付け加えますと、ドラムのロイ・ヘインズの存在も忘れてはなりません。何度も聴いていると分かってきます。彼もまた、ジャズに愛されていると。

Amazon フラミンゴ

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2005.12.02

パワープリット (スティックのり)

item_11 昨日の「国家の品格」、いわば国のプライドということでしょうかね。武士は食わねど高楊枝という誇り。貧しくも誉れ高く生きたいものです。
 さて、「国の誉れ」と言えば、コクヨさんですね。ちなみに「コクヨ」は「国誉」です。コクヨさん、ほとんど日本人の生活の一部になってしまったような会社です。お世話になっていない国民はいない。
 さて、そんなコクヨさん、深く日常的ではありますが、しかしなかなかユニークな商品開発をもする会社です。最近では「メクリン」がよかったと思います。どうもあの古典的な指サックというやつ、私の感性からすると卑猥だったんですよ(ゴメンナサイ)。それを一気にオシャレの領域に持っていった。女性には朗報でしょう。素晴らしい。
 で、私にとっての絶品はこれです。「パワープリット」。プリットはスティックのりの代名詞のような存在。それこそお世話になってます。その最強バージョンの登場ということで大変期待をしました。
 私事ではありますが、この季節になると、のりの重要性が増します。受験シーズンだからです。生徒たちが願書にいろいろなものを貼ります。写真とか振込票とか。特に写真は貼りにくいんですよね。願書自体の紙質と写真の紙質がかなり異なります。なんとなくはがれそうで不安ですし、だいたい枠の中にうまくはめるのが難しい。さらにのりが写真の表面についたりすると大変です。なんか人生かかってますし、写真がまじめな自分の姿だというのもなんとなく緊張する。
 それで、いつも「合格のり」とかなんとかと称して、はがれにくいのりをクラス用に買うんです。それをみんなで使う。で、今年は「パワープリット」を買ってみたわけです。今までも気にはなっていたものの、ちょっと高いので買わずにきた製品。今年は心配な受験生が多いので、気合いを入れて買ってみたのですが…。
 まずは、自分で使ってみました。そうしたら、あれれれれ…。
 これは確かに「速乾!強力!」だあ!まず、写真の裏にていねいに塗っている先からみごとに乾いていきます。つまり、いざ貼ろうとすると、すでにそれは乾いている。すなわちのりとして機能しない。で、それに感動して、今度は急いでぬたくり、瞬時に枠にはめようとすると…そんなにうまい具合にいくわけがなく、見事に曲がってしまいました。ああ、貼り直さなきゃ、ってことで、その写真をはがそうとしたら、あれれ、全然はがれない。無理やりはがしたら、ビリビリ〜と穴が空きました。
 たしかに速乾・強力です。看板に偽りなし。全く誇大広告ではない。
 し、しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし…いやいや、まずはこのスーパースペックなモノを使いこなすべく、修行せねば。うん、必ずや使いこなしてみせます!
 きっと開発した人たちは余裕で使いこなしてるんだろうな。それが仕事ですからね。私にとっては、まるでF−1のマシンですよ。速い強い。なんか燃えちゃいますよ。意外と負けず嫌いなんで。男心をくすぐるってやつですか。今年度中にはなんとかしてみせます。
 
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2005.12.01

『国家の品格』 藤原正彦 (新潮新書)

4106101416 数学の先生からお借りして読みました。いやあ、わが意を得たりって感じで、あっという間に読んでしまいした。痛快でしたね。つまり私もこういうスタンスの人間だということです。どちらかというと保守であり、なんとなく右派。
 昨日、本屋さんでまず最初にこの本に目が留まったんですよ。でも、持ち合わせがなかったので、また今度と思って、昨日の「生き方」の即読に行っちゃったんです。そういう意味で実にタイムリーでした。ありがたや。
 『祖国とは国語』でもかなりの嫌米愛日(?)を発揮されてましたが、こちらもものすごいですねえ。以前、当地方に講演にいらした時も、かなり刺激的なお話をされたとか。私は残念ながらうかがえなかったのですが、この本を貸してくれました先生(でありお坊さんでもある方)が会場で取ったメモを見せていただいただけで、かなり萌えちゃいました(笑)。
 鈴木孝夫大明神もそうですし、一昨日のグロータース神父も、またある意味昨日の稲盛和夫さんもそうかもしれませんね、日本の伝統に誇りを持って、大切にして、それを武器に世界の長たれ!と。キリスト教原理主義、自国至上主義、市場経済至上主義、論理至上主義のアメリカにへこへこするな!と。私も全く同感です。
 この本の帯には、「すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論!」とありますが、実は全く画期的ではなく、まことに伝統的、常識的でまっとうな論が展開されています。いや、そういうものが画期的と称されて評判になるほど、世の中が非伝統的、非常識的になっているということですか。
 作家新田次郎、藤原ていの息子であり、世界的な数学者である藤原正彦さん。もうこういう紹介だけでも、この方の並外れた才能と人間性が予感されます。そして、実際その予感通りの大人物なのですが、そんな方が力説するのは、実にシンプルな論です。
 まずは「近代的合理精神」「論理」「自由」「平等」「民主主義」など、今世界のスタンダードになりつつある概念には限界があることを述べます。ご自分の経験をもとに。特に「論理」の象徴であるご専門の「数学」の限界を語る部分はなかなかの迫力です。大明神様もそうでしたが、ご自分のご専門の原理主義に陥らない、いやそれどころか、その対象にダメだしできる方の論は説得力がありますね。かっこいい。
 そして、その代わりに何を大切にすべきか。それは「情緒」であり「形」であり、「惻隠の情」であり「もののあわれ」であり…つまりは日本古来の心、特に「武士道」であると。「卑怯を憎む心」であると。
 このような意見を正面切って言われますと、だいたい反応する方は二手に分かれますね。「そのとおりだ!」と「あぶねえなあ、このおやじ」です。それは当然でしょう。この違い、究極的には、「ダメなものはダメ」「いいものはいい」という「理屈を超えた強制」を受け容れられるかどうかの違いのような気がしてきます。それだけのキャパがこちら側にあるかどうか。「論理」や「自由」なんかで武装しなくても立っていられるか。
 私は勇気がないので、「そのとおりだ!」とは叫べない、ずるい人間なのですが、「あぶねえなあ、このおやじ」とはとても思えません。やっぱり萌えます(一人静かに共感する)。
 最近、生徒たちに「武士道」の話をしたんですよ。昔の仮面ライダーに登場したショッカーは武士道を踏襲している、って。ゴレンジャー以降の戦隊ものが多対一の卑怯ないじめを生んだとか。セーラームーンに至って、ついに日本男児の武士道は完全死滅した、とか。私はまじめに論じたんですけどねえ、生徒は笑ってました。やっぱり「武士道」は死んだのでしょうか。まあ、私自体「萌え」なんて言ってるようじゃダメですね。何度も言いますが、「萌え」は「をかし」であり、「もののあはれ」ではありません。武士道の美学ではない…。
 ところで、本筋からは少し離れる「萌え」になりますが、「美の存在」のエピソードとして登場したインドの天才数学者ラマヌジャンに興味をおぼえました。ちょっと関係の本など読んでみようかな、と思いました。
(というわけで『天才の栄光と挫折−数学者列伝』読んでみました)

「国家の品格」が売れる理由…

「この国のけじめ」もどうぞ

藤原正彦氏講演会

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