あっばれ鈴木健想(再び)〜vivaプロレス
先日のハッスルマニア、観てもいないのに大興奮。その日に書いた『あっぱれ和泉元彌&鈴木健想!』という記事は、日本文化論にまで発展して、なぜか人気記事になってしまいました。
そして今日、ようやく映像でこの試合を観ることができました。GyaOのおかげです(でも、ナローバンドでMacのウチでは観られません…出先で観ました)。いやあ、面白かったですねえ。メインハッスルも大変よい出来でしたが、私としては、やはり和泉元彌vs鈴木健想における鈴木健想に感動いたしましたねえ。和泉元彌は本当に対戦相手に恵まれた。あの試合は間違いなく鈴木選手が作った試合でした。
鈴木選手(+浩子夫人)のプロ根性と安定した「芸」と「術」にはすっかり参りました。ある意味プロ、ある意味シロウトの和泉元彌(+セッチー鬼瓦軍団)を見事に引き立て、ほぼ完璧なドラマを創出することに成功していました。だてにニューヨークでトップの一角を張ったのではない。彼のこの言葉は大変重いと思いました。
「WWEでほうきとでも試合ができることを学んだ。それを表現できたと思う」
相手のいいところを全て出させる、いや、発掘さえする、まさにプロレス的アンサンブルの至芸です。ニューヨークに渡る前の鈴木選手には、正直なんの魅力も感じていなかった私ですが、今回のこの世紀の対決(茶番とも言われますが大いに結構だと思います。本来の茶番狂言は大変な芸なのです)で、すっかり彼を見直してしまいました。さすが世界を股にかけるだけのことはある。
和泉元彌もよくやったと思います。やられっぷりというのはプロレスの大切な要素ですが、彼のそれも実に見事なものでした。まさに茶番狂言のごとく、体の動きだけで、大観衆の心を動かしていましたね。
そういう意味では、メインハッスルのHGにもプロ根性を見せつけられました。彼の裏の努力がにじみ出た好演でした。
プロレスの素人がリングに立つことに抵抗のあるファンもいたはずです。あるいは、プロレスの世界を知らない人たちには、さらにプロレスが(慣用的な意味での)茶番にしか見えなくなったかもしれません。しかし、実際には、今回の興行こそが、プロレスの奥深さ、幅広さを雄弁に語ってくれたのだと信じます。分野は違えどプロはプロ。プロ中のプロ同士がお互いの「芸」と「術」を披露しあえるのが、プロレスのリングなのです。戦いという形態をとった調和。完全なる逆説。もう、これは美しいとしか言えません。
世界の全ての戦いがこのような逆説であることを、心から望みます。
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