ジャズマンと老師の問答…
Tim Armacost Quartetto
まさにガーンです。これこそ「師の教え」ですなあ。鳥肌が立ちました。
先日、私の学校で妙心寺派関係学校会議が行なわれました。その際、資料として各学校がいろいろな冊子などを置いていってくれたのですが、その中に「第50回正眼寺夏期講座」というものがありました。その中の山川宗玄老師の暁天講座「無門関」に、私にとって非常に衝撃的なお話があったのです。
もちろん、「無門関」の第二十六則の「二僧巻簾」の公案のお話自体たいへん勉強になりました。しかし、(趣味とはいえ)音楽をする立場であり、さらにちょっとそのことで迷いのあった私にとっては、その中の挿話の一つが本当に心に響いたのです。
それは、ニューヨークで活躍するジャズ・グループ、ティム・アマコスト・カルテットのメンバーと老師の問答(?!)です。老師が「ジャズは即興のようだがばらばらにならないのか」というようなことを問います。リーダーのアマコストさん(日本語ペラペラですよね、お父さんが元駐日大使ですから)は「心が一つだからそんなことはない」と答えます。しかし、「哲学的な風貌」の黒人のメンバー(ベースのレイ・ドラモンド、ドラムスのビリー・ハート、どちらでしょうねえ)が、「そんなことは毎日ある」と答えて語り始めます。その内容がものすごいのです。うまく要約できるか…。
四人がそれぞれ小さなボートに乗って川の流れに沿って進んでいく。ボートの前にはなぜかドアがある。そのドアを開けなければ演奏に乗れない。そのドアを開けるには一人一人の「練習」が必要である。しかし、それだけではプロではない。窓わくもあるのだ。このわくを取ることが大切なのだ。お互いのせめぎあいの中でやっていると、わくが取れる。このわくが取れたときに本物の演奏ができる…。
老師も驚きます。彼の語ったことが禅そのものだったからです。老師の言葉をそのまま引用させていただきます。
なんとかドアをこじ開けるところまでは一得一失の世界です。それを超えてしまうと、わくが全部なくなってしまうのです。自由自在ですね。全体が流れているわけです。みんな同じように弾くんですけれども、超えるように弾くことができるんですね。ハーモニーを保ちながら、自由に弾くことができるんです。わくがなくなった途端に。これが一得一失を超えたということです。ここまで行かないと、本物ではない。
もう、私のコメントは必要ありません。ジャズマンも老師もお見事。音楽も禅もお見事。気持ちのいいガーンです。
一得一失…どっちが得でどっちが損か、どっちが正しくてどっちが間違っているのか…まさにデジタル的思考ですね。それを超える智慧をお釈迦様は説かれた。禅はそれを実践という形で探求する。このジャズマンと老師の問答は、世の中の全てに通ずるでしょう。仕事にも、子育てにも、スポーツにも…。
今年の初夏、正眼寺さんを訪れた時、この夏期講座(今年は第51回でした)の存在を知りまして、ぜひとも参加したいと思ったのですけれど、残念ながらのっぴきならない私用と重なってしまい涙をのんで断念しました。その講座の中で行われる講演や講義の内容をまとめたものがこの冊子なのでした。今回いただいたものは昨年の記録ということですね。ちなみに、武内陶子アナのダンナさんである、東工大の上田紀行先生の講演も面白かった。
来年はなんとしても参加させていただきたいと思います。そして、心地よいガーンを生で体験したいですね。
Amazon Tim Armacost 『Fire』
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