『キリスト教と仏教の同質性―東洋型神学を求めて』 長谷川洋三 (早稲田大学出版部)
私はかねがねイエスは仏教的だと思っていたんです。キリスト教というシステムの中では別ですが、人間(あえてこう書きます)イエスの言動は仏教的に見ても実に理にかなっている。実際、歴史的に、イエスが仏教の教えに触れていた可能性は、触れていない可能性より高い。いや、それをもって、仏教のキリスト教に対する優位性をとうとうと述べようなんていうセコい気持ちはありませんよ。そんなレベルでの話ではなくて。
鈴木孝夫大明神とご一緒させていただいた時にも、ちょっとこんな話が出たんです。いろいろなお話の流れの中で、軽く触れられたくらいで、そんなに深く論議したりしたわけではありませんが。やっぱりそうだろうって。
『イエスは仏教徒だった?』はちょっと行きすぎだろ、という意見もごもっともです。しかし、もとよりお彼岸に青森のキリスト(と弟イスキリ)の墓参りをまじめに(?)しちゃうような私は、そうした一見トンデモな説にも耐性があるのです。耐性があるどころか、1%でも可能性があるのであれば、そこを一笑に付したりせず、多笑して楽しんでみるのが人生の奥義というものだ、なんて考えています。学者じゃありませんしね。
それでこの本は学者さんのまじめな研究なわけです。研究というか提案でしょうかね。長谷川洋三さんは早稲田大学で英語や比較宗教論を教えていらっしゃる(いらっしゃった?)方で、仏教がご専門です。この本では、イエスが仏教を知っていたかという問題はひとまず置いておいて、逼塞ぎみのキリスト教神学の世界に新しい風を吹き込もうとしておられます。つまりは東洋型神学です。後世のヨーロッパ的解釈にとらわれすぎず、イエス自身の言動を仏教と比較することによって、そこに新しい価値を見出そうという試みです。
一読しまして、とにかく私が漠然と思っていたことがはっきりしたような気がしましたね。しっくりきた。長谷川さんの考えのベースになる表を本書から写させていただきます。
三 ・父なる神=ロゴス(「神の理性と神の言」もしくは
位 「宇宙の法則と宇宙の言」)=至高の智慧=命=光
一 ・子なる神・キリスト…イエス
体 ・聖霊なる神
仏 ・法身大日如来=法(ダルマ…宇宙法則・宇宙理性)
の =言=法界体性智=大日の光
三 ・応身(例えば過去七仏)…釈尊
身 ・報身
なぜこのような相似性を見出すのか、そのプロセスは本書の内容そのものですので、ここには記しませんが、いかがでしょう。私にとってはなかなかエキサイティングな結論です。
もちろん、キリスト教仏教双方から異論も出るでしょう。しかし、それは結局従来の解釈、神学やら仏教学やらにとらわれている証拠とも言えます。学問という手段が目的化すると野狐が大量発生する。禅の教えにあるように、言葉で理屈をこねるよりも、自分の生き方から生まれる実感を信じるべきです。そういう意味で、私は長谷川さんの実感に共鳴しますね。この本は研究ではなく提案なのです。実際、かた苦しい論文の形式ではなく、ですます調でやさしく語りかけてくれています。
というわけで、けっこう渋い本の部類に入るでしょうけれど、興味のある方はぜひこの提案をひとまず読んでいただきたいと思います。私はなんとなく安心を得ました。特に常に流れる長谷川さんの『衆生に悉く仏性がそなわっているごとく「三位一体」の可能性は全ての人に与えられている』という信念に。つまり、全ての人がブッダになる可能性があるように、我々はキリストになることができる、ということですね。それでいいと思います。
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コメント
こんにちは!
イエスは、その時期に何をしていたか知られていない、空白の数年間があるようですが、インドで修行していたという説を、20年ほど前に何かで読んだことがあります。
真偽のほどは知りませんが。
投稿: kobayashi | 2005.10.28 22:16
kobayashiさん、お元気ですか。
空白の17年とかいうやつですよね。
インドやチベットで修行してブッダ・イッサになったとか。
しまいには日本まで来ちゃうトンデモもありますね。
イギリスに行ったなんてのもあるらしい。
でも、考えようによっては、西と東ではなくて、両方とも中央といえば中央なんですよね。
私たちが考える以上に近いのでしょう。
このあたりはミステリーみたいで興味深いですね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2005.10.29 08:57
上の「イエスは仏教徒だった?」では
空白期間にアレクサンドリア(エジプト?あるいはシリアのかも?)で修行中にインド系商人集団(華僑の中国人みたいな、「印僑」という感じか)との接触で仏教と接する機会があったかもしれないと述べてたと記憶しています。仏滅から既に500年、ありえなくはないでしょう。
投稿: チョココロネ | 2008.10.27 05:07
チョココロネさん、コメントありがとうございます。
そうですね、たしかにそう書いてありました。
私もそれはあり得ることだと思います。
というか、そう考える方が自然なような気がします。
私もそんなふうに妄想して楽しんでいるクチです。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.10.27 14:11