人生はかけ算〜稲盛和夫の悟りとは
稲盛和夫さんは、言わずと知れた経営界のカリスマ。京セラの創始者であり、現在はKDDIの最高顧問でいらっしゃいます。
私は稲盛さんの著書などはほとんど読んでおりませんので、偉そうなことは言えないのですが、ここ数日の間に、いろいろなルートで、稲盛さんの言葉に触れる機会がありましたので、少し紹介しつつ考えてみたいと思います。
稲盛さんの華やかな経歴の中で、私が最も興味を持つのは、「1997年臨済宗妙心寺派円福寺にて得度」という部分ですね。企業経営という、ある意味最も人間の欲望に根ざした所業を極めた末の入門ということですか。僧籍を得るには、得度したのち一定期間僧堂で修行しなければなりません。稲盛さんも、お仕事のかたわら、それなりに修行されているのだと思います。
禅宗における修行は、なにも坐禅だけではありません。生活そのものが修行でありますし、特に作務(さむ)と呼ばれる社会的な活動は重視されております。ある意味、究極の作務と、究極の問答を繰り返した人生でしょうから、稲盛さんは一般的な僧侶の方よりももしかすると悟りに近いのかもしれません。世人を引退されたら、立派なお坊さんになられることでしょう。
さて、私が最近触れることができた稲盛さんの言葉ですが、いずれもが「かけ算」がキーとなっておりました。出典はわかりませんし、正確がどうかもわかりません。あしからず。
・人生はかけ算だ。どんなにチャンスがあっても君が「ゼロ」なら意味がない。
・人生、仕事の結果=考え方×熱意×能力
・人生は、人格と努力と才能のかけ算
なるほど、と思わせます。それこそ俗世で?究極の修行をされた方の言葉ですから、重い。
私は、「かけ算」という発想に、やはり仏教の教えを見る気がしますね。 つまり、「縁」です。私の実感では、世界は無数のかけ算の結果、厖大なスケールになっているような気がします。自分という存在は、そのかけ算の中の「かけられる数」になったり、「かける数」になったりしている。もし、自分がゼロになってしまったら、すなわち世界もゼロになってしまうわけです。そういう意味でも、自分と世界(宇宙)はつりあっている、等価のものであると思うんですね。
ですから、稲盛さんが後の二つでおっしゃっているかけ算によって生じる答え(個人の人生)が最終的な答えではもちろんなくて、そのそれぞれがまた、無意識的、意識的にかけあわされていく。それがある意味、最初の言葉の「チャンス」でもあるのではないでしょうか。
実際には自分はゼロにはなりえないと思います。稲盛さんはわかりやすく教訓的にゼロとおっしゃっているだけです。ただ、自分の数値が低いと答えも当然低い値になります。結果として自分だけでなく、他に対する影響も少なくなってしまう。もしかすると、誰かの人生や、世界の何かのチャンスの芽を摘んでいるかもしれない。そう考えると、やはり人は「生かされている」存在であり、また他者を「生かす」存在でもあるということですね。
う〜ん、私も、考え方・熱意・能力・人格・努力・才能の数値を少しでも上げなければ。なんて、才能(能力)はたぶんもう上がりませんから、え〜と、考え方と熱意と人格と努力ですか…。なんか、不得意な分野が多いなあ。まずは一つだけ頑張ってみましょうかね。え〜、やっぱ人格っすかね(笑)。
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コメント
稲盛さんは、単なる宗教心の厚い経営者ではないと思います。彼が発明した「ファインセラミックスの技術」が無ければ、現代のようなコンピュータ社会は存在しませんでした。京セラのセラミックパッケージは、世界中の民生品から宇宙開発(スペースシャトル等)に不可欠のものです。稲盛さんの原点は、稲盛さん自身が自著の中で何回も書いていますが、少年時代に受けた郷中教育と生長の家にあると思います。そして、西郷隆盛も受けたという郷中教育の源流は陽明学であり、生長の家の源流は出口王仁三郎の大本教です。陽明学も大本教も実践を重んじています。特に、大本教の出口王仁三郎は、今から90年以上も前に、彼の著書「霊界物語」の中で超LSI等の出現を予言して、「テクノロジーの進化が弥勒の世を出現させる」と言っています。実は、超LSIも「ファインセラミックスの技術」が無ければ実現しませんでした。出口王仁三郎が口述したことを筆記していたのが、後に生長の家を創始した谷口雅春です。また、出口王仁三郎は、亡くなる前の1年間に陶芸制作に没頭して、約3000個もの焼き物の器を制作しています。セラミックスとは、つまり焼き物のことです。これらの関係は、単なる偶然ではないと思います。私は、稲盛さんを、「西郷隆盛ー出口王仁三郎ー稲盛和夫の系譜」に位置する人だと捉えています。単なる経営者の中のカリスマの範疇を超えた存在のように思います。
投稿: HAPYUT | 2005.09.17 15:05
HAPYUT さん、こんばんは。コメントありがとうございます。
なるほど、セラミックスとようわんを結びつけるのには気がつかなかった!
ご存知かもしれませんが、私は大の王仁三郎ファンです。玄関にはこれがあるくらいですからね。もちろん霊界物語愛読していますね。
ここでも稲盛さんとオニさんの関係について書こうとも思ったのですが、今回はあえて仏教の観点から書いてみました。
これを機会に、稲盛さんの著書を読んでみたいと思います。
また、陽明学については、不勉強であまりよく知りません。
今後とも御指導お願いいたします。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2005.09.17 22:16