本日のライヴ報告「音で見る春夏秋冬」
本日は、私たちのライヴに多数お出かけいただきまして、本当にありがとうございました。自分で自分の演奏会をおススメするというのもなんですけど、今日は反省も含めて、ここに報告しておきます。
今日は、イタリア的色彩をテーマに、コレルリ、バッハ、ピアソラという3人の天才作曲家をとりあげました。こういう組み合わせの演奏会も珍しいのではないでしょうか。特に、ピアソラをチェンバロとヴァイオリンでやる、というのはめったにないと思います。去年も同じ時期に同じようなプログラムでやってるんですけど、その日のこのブログは実写版セーラームーン最終回!!なんて記事が書いてある。何やってんだ?まあ、確かに自分のコンサートよりはグローバルな話題ですが。
そうそう、その3人の音楽に共通することは、解説でチェンバロの森さんがおっしゃっていたように、基本、骨組みがしっかりしているということですね。ですから、どんなふうに料理されても作品自体は揺らがない。作品自体が揺らがないから、形にはなりやすいのですけれど、逆に言えば、演奏が負けてしまうことも多いわけです。今回は自分に限って言えば、やはり演奏が作品に負けてました。違う言い方をすれば、作品に甘えた演奏でした。
本番で部屋の灯りを落としたせいで、普段見えていたはずの音符が見えなくなってしまったのは誤算でしたが、まあ、それだけ楽譜に依存していたということですね。自分のものになっていなかった。ここでカミングアウトしますけれど、やはりそこまで練習していなかったということです。
だいたい、気合いで乗り切ろう、という精神がいけませんね。みなさんごめんなさい。録音も録画もしましたけれど、ちょっと振り返るのが恐ろしい。あんまり緊張しなかったんだけどなあ…。
今日は静岡から両親が聴きに来てくれたのですが、両親も酷だよなあ。こっちが謙虚に「なんだかミスばっかりしちゃった」とか言ったら、まずは父が「うん、シロウトでも変だなあってところがいくつもあった」だって。そしたら、母が、「可哀相だからそういうことは言わないようにしようってさっき決めたでしょ」と父親をたしなめました…ガーン!その言葉が一番ショックですよ〜!!ハハハ、まあ分かってますが、それを言っちゃあおしめぇよ〜。
うん、気を取り直して、ちょっと演奏しながら思ったことを。「音で見る」っていいですね。こういう感覚の交錯というか、感覚の未分化というか、なんか好きなんですよ。なんとなく禅の境地に近いような。
今日のプログラムもかなり自由に交錯していますし、私が3万円チェロ(もちろんモダン楽器)をエンドピンを使わずバロック・チェロのように持ち、ピアソラを弾いたなんてことも、実は偉大なる未分化…なわけないか(笑)。
で、結論!今日は禅宗のお寺の住職さんもお二方いらっしゃってくれましたが、そう、「音で見る」って「観音」じゃないですか?
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コメント
お疲れさまでした。歌謡曲バンドですっかり疲れも発散出来ました。おかげで月壱堂ははるか彼方に飛び去ってしまいました…。
な〜んて。それにしても録音より録画の方がコンサートの雰囲気がわかりますね。一般のお客さんは細かいことよりも全体を見ているものですから、演奏者が楽しんでいる感じは充分伝わったコンサートだったと思いますよ。ぜひ近い内に再チェレンジいたしましょう。
何の気なしにつけた「音で見る」でしたが、考えると深い!のか…観音ってどういう方なのでしたっけ?
投稿: よこよこ | 2005.09.20 02:02
いろいろとありがとうございました。
録画が中途半端ですみませんでした。
ちなみに観音さんは菩薩の一人です。
つまり成仏を目指して修行している人の姿ですね。
観音という言葉の歴史的成り立ちは、ちょっと複雑なんで割愛しますけど、
昔から(俗説ですが)「音を観る」というような解釈があるんですよ。
まあ、それじたいが禅問答みたいなものですけど。
私はなんとなく好きです。こういう感覚。ホントなんとなくですけど。
その「なんとなく」なんじゃないでしょうか。理屈を越えた真理もあるような…。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2005.09.20 12:17