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2005.09.29

advantage Lucy 『Echo ParK』

4543034005727 昨年、こちらでおススメしたadvantage Lucy(アドバンテージ・ルーシー)。その後いろいろと大変なことがあって、それこそグループ存続の危機か?と思わせましたが、名盤「ステーション」以来5年ぶりのニューアルバムが出ました。いやはや、長かったなあ。その間、ミニアルバムの発売などもありましたけれど、やっぱりフルアルバムはうれしいですよ。初めてルーシーと出会った時からもう5年かあ。生まれて数ヶ月だった上の娘と一緒に聴いたっけなあ。「ステーション」。娘の最初のお気に入り音楽は「めまい」でした。その娘も来年小学校です。
 さあ、ひさびさに聴く大好きなルーシーサウンドはいかに!石坂さんのメロディーは?アイコさんの歌声は?
 なんか、こういうワクワクドキドキは久々です。4半世紀くらい前までは、たとえばELOのようなごひいきバンドというのがあって、そのニューアルバムをレコード屋さんで買って、自転車の前カゴに入れて(私はレコードが入るように伸縮式の巨大な前カゴをつけてました)家に向かい、そしてレコード針を下ろす瞬間の、あの期待と緊張のような、なんともいえない気持ちを味わっていました。ひさびさにそういう気持ちになっています。そう、実はまだ聴いてないんですよ。今から家に帰って、届いているはずのCDを聴きます!その報告を以下に書きますね。
 
 はい、というわけで聴きましたよ!なんか、久しぶりに旧友に会ったような感じ。なんだ全然変わってないじゃん!というような。変わってないというのは嬉しいってことですよ。やっぱり、ルーシーだけがルーシーだ!ルーシーはルーシーしかいない。当たり前だけれど、心からそう思いました。
 実に切ないんですよね。歌詞とメロディーと声とギターの音と…。全てが切なく伸びやか。メジャー会社時代のポップさは多少影を潜めましたが、そのかわりより深まった楽曲。聴けば聴くほどに味が出てくるでしょう。洋楽には絶対にない不思議な世界ですね。やっぱり「もののあはれ」なんだよなあ。美しいのに切ない。切ないって大切ということですからね。
 5年前、そのころの市場にはちょっと居場所がないかなあ、とも思いました。現在の音楽シーンは、ある意味ルーシーを欲しているかもしれません。爆発的に売れることはないでしょうが(失礼)、より多くの現代人の心を切なくする可能性は大いにあります。いや、なんとなく爆発的には売れてほしくないんだよな。だって大切だから。そんなことを思わせるほど素敵なアルバムでした。ぜひ御一聴を。

Amazon Echo ParK

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2005.09.28

『ブッダの夢』 河合隼雄・中沢新一 (朝日文庫)

4022642629 昨日の対談集はたいへん面白かった。そして、今日読み直したこちらも同じくらい興奮させられました。
 河合隼雄さんもかなりの大物ですよね。大物の特徴としてのおやじギャグ。これは言霊ですね。その最高峰が出口王仁三郎ですか。
 さて、そんな王仁三郎とも縁があると言えばある中沢新一さん、この方も大変頭の良い方です。大物かどうかは わかりません。まだ若いのでこれからでしょう。
 このお二人の対談ですが、一見脱線したり、脱線どころか話題がワープしているように思えますけれど、それは「ブッダの夢」じたいがそういう存在なので、当然と言えば当然。それだけブッダの夢が壮大だということです。
 霊界物語なんかそういう類の最たるものですね。われわれ常人の世界がいかに狭苦しいことか。そうした夢の内容は理解できなくとも、自分の矮小さに気づくことは誰でもできるはずです。夢は無限に自由ですからね。うつつは時間にも空間にも縛られています。
 さてさて、ブッダには及ばずとも、常人ではないお二人さん。夢の世界の入り口で楽しそうに遊んでおられる。うらやましいですね。なんかこういう本を読むと自分のパカさ加減がよく分かって辛いんですよね。辛いけれど、もう諦めの境地に入ってますから、ある意味プロスポーツを楽しむような感覚で読めるようになりました(笑)。
 でも、そんなお二人の会話に、私も多少は参加することができましたよ。あっそうそう、そうですよねえって。その程度ですけれど。構造主義が仏教につながっているとか、無理数的な美とか、銀河鉄道の夜の母性や父性、さらには男色性とか、ヨブ記やイエスの受難における見捨てのトリックとか…。なんとなく予感していたものがお二人の言葉ではっきりしました。ありがたや。
 箱庭療法の実際を知ることができたのも面白かった。また、チベット密教での夢を消す修行なんていうのにも興味湧きましたね。「善悪を三枚におろす」なんていう言葉にも思わずニヤリ。
 いずれにせよ、南方熊楠に関するところで出てきた「多次元脳」を持つか、いやそれを発揮できるかが一つの分岐点になるような気がしました。私たちの脳は多次元に設計されているのでしょう。たぶん多次元の方が正常で、我々が言語や科学などの力によって次元を削り落としているのだと思います。この次元(いわゆる現実社会)で生きていくためには当然それをしなければならないわけです。ああ、一度でいいから自分の脳ミソをフルに働かせてみたい。初期の設計通り。
 な〜んて、もう実はフル回転だったりして。実際その回転もかなり鈍ってるしな…。

Amazon ブッダの夢

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2005.09.27

『日本・日本語・日本人』 大野晋・森本哲郎・鈴木孝夫 (新潮選書)

4106035049 今週の金曜日の夜、私と家内にとって、とんでもないイベントが待っています。どんなにとんでもないかは、このブログの当日の記事に書こうと思っています。
 今日は、その来るべきとんでもないイベントのために、以前読んだこの本を引っ張り出してきました。数年前に読んだ時も、実に楽しい思いをさせていただいたのですが、今こうしてその迫り来る大事件を目前にしてみますと、さらに興奮が高まります。
 それにしても、昨日は「電車男」やら2ちゃんねるやらについて熱く語っておいて、今日は思いっきり保守になびく自分が実に面白おかしい。ん?2ちゃんの世界って結構保守か…。とにかく、保守も革新も、まあ面白くてパワフルならいいやという性格の私は、この本の超強力保守パワーに、身もだえするほどの共感を覚えるのであります。
 なにしろ、このお三人さんですからね。いずれ劣らぬ論客でいらっしゃる。う〜む、はたして私ごときが太刀打ちできるか…。いやいや、それは金曜日の話ということで、とにかくこの本は痛快です。そう、痛いけれど快いんですね。
 私もいちおう国語教師でありまして、自分のことを棚に上げて、若者たちの国語力の低下を憂えているものであります。また、言葉に限らず(こちらも自分のことを棚に上げさせていただきますが)、世界のアメリカ化に疑問を抱く一人であります。一方で、日本の古来の文化や伝統、あるいは日本人の心性や心意気のようなものに、ある意味誇りと期待を持ってもいます(でも結局棚上げ…)。そうした、どうにもやりきれない、切ない気持ちを、大正生まれのパワフルおじいさん(失礼!)たちが、「いまどきの日本・日本語・日本人は!」と恫喝して癒してくれるわけです。いまどきの日本人としては痛い、けれど快感。
 いちおう相対的に若者の部類に属するであろう(つまり高度経済成長後の日本人である)私からすると、たしかにそれはちょっと古くさいとか、現実はねえとか、言いたくなる部分もありますが、ここに収められている対談とそれぞれの小論は、はっきり申して全くの正論ばかりです。時として正論こそが暴論に聞こえる(ん?最近そんなことがありましたなあ)。保守であることが、実は現代においては最も革新的である、というパラドックスが生じるわけでして、ある意味非常に過激な発言が繰り返されているわけです。うん、だからこそ癒されるんですけどね。
 中でも鈴木孝夫大先生のお言葉(ほとんど言霊です)はものすごい。帯にいきなりこんな金言が…。
「日本がこのままアメリカについていって本当にいいのか。むしろ、世界の過度なアメリカ化の危険を指摘して、もっと日本化せよと言えるのではないか」
 素晴らしすぎます。わが意を得たりですね。
 ところで、この三巨人による対談、二十時間にも及んだと言いますが、本当にお酒入ってないんでしょうか。ものすごいノリの良さなんですけれど。そのへんについても金曜日に謹んで明らかにしてみたいと思います。

Amazon 日本・日本語・日本人

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2005.09.26

ドラマ『電車男』第10回&最終回〜2ちゃんねるについて

ghiie11 今ごろすみません。いちおう白黒&砂の嵐の中で観たのですが(フジテレビがちゃんと映らない)、今日ようやく生徒からキレイに映るDVDをいただきまして、あらためて家族で鑑賞いたしました。
 結論から申しますと、年末に発売されるDVDボックス買います。ポチしますた。やっぱり自分ってオタク気質ありありなんですな。カミさんも。かなり共感してしまう私たちがいるわけです。夫婦二人でずいぶんと目から塩水を流しました。その分、二人でビール飲んでます。ちなみに5歳の娘は、キスシーンになると「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!」を連発してますた(笑)。
 もう、これは性分ですので、人に何と言われようと、感動するものは感動するのだからしかたない。たぶん、私たち夫婦に重なる部分がかなりあるのでしょう。自分たちの今までの人生と現在の幸福を想うと、塩水がとめどなく生産されるのでしょう。
 しかし、実はそれとは別に胸を打つ原因があるのでした。
 今思えば、このドラマは私にとっては実に運命的な作品でした。まずは、原作にうち震えました。2ちゃんねらーである私だからこそ分かるのかもしれませんが、全くの他人同士、匿名でのコミュニケーションだからこそ現れる人間の本性。そこには、マスコミが騒いだり、住人でない方々が勝手に想像したりするように、たしかに恐く、醜いものもあります。しかし、その逆、ホンモノの無償の愛も同じくらいあるのです。ドラマの中でもさかんに語られていましたが、「見ず知らずの他人のために泣く」というやつです。泣かぬまでも、とにかく一生懸命に、真摯にコミュニケーションする。そういう世界があるのです。そこに大げさでなくホンモノの愛を感じてきました。なんだ、人間どうしもまだまだ捨てたもんじゃないじゃないか…。
 私は、2ちゃんねらー歴けっこう長い方だと思います。正直、あの掲示板にずいぶん助けられてきました。いや、もちろん電車男のように生き方指南してもらったわけではありませんけれど、情報源としてはずいぶんと活用してきました。質問にもずいぶんと答えてもらったし、こちらが答えたことも何度もあります。
 そうした根本的な思いやり、あるいは思ってほしいという孤独感、また思ってやりたいという孤独感、そういったものは万人に共通のものでしょう。いえ、私はそれらが万人に共通であってほしいのです。
 今回のドラマ「電車男」は、映画版とは違い、そのあたりをしっかり描いていたので、私としては非常に満足しました。特にこの第10回と最終回は武内演出の冴えも手伝って、そうしたホンモノの愛が上手に表現されていたと思います。
 ここ数十年、文学で表現できなかった日本の愛の姿を、期せずして「電車男」が私たちに見せてくれました。これは大げさでなく日本の表現文化史におけるエポック・メイキングなことであると確信します。時間があったら、もう少し分析してみたいですね。
 あっ、そうそうもちろんELOが使われたというのも、自分にとっては運命的でした。ハイ。

Amazon 電車男 DVD-BOX

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2005.09.25

中森明菜 『ZERO album〜歌姫II』&『歌姫 ダブル・ディケイド』

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 歌謡曲バンドの路線をみんなで考えているんですけれど、まあ、みんな大人だし、パーカッションもあるので、ちょっとラテンぽくしようか、なんて話も出ています。
 歌謡曲とラテンというのは、実は非常に密接な関係があります。昭和の歌謡曲は、洋の輸入によって大きく発展しました。アメリカ、フランス、イタリア、ロシア…。まさに日本文化の面目躍如といった風です。つまり、輸入ではあるけれども、そのまま全てを受容するわけではない。有史以来の日本がそうであったように、和の基本は決して崩さず、外来の文化を消化していく。歌謡曲においても、メロディーはヨナ抜き、ハーモニーやアレンジは洋、というものがどんどん作られ、そしてそれがまた自然に響き、自然な感じで大衆に受け入れられていきました。実際、今の歌謡曲…J-POPもほとんどがそうやって作られています。漢字の受容状態と全く同じですね。すごい。
 で、その輸入されて消化された洋の中に、ラテンというジャンルもありました。というか、ラテンが最も日本人の腹の中でこなれたものかもしれません。もちろん、ラテンと一言で言っても、そこにはルンバ、マンボ、サルサ、レゲエ、スカ、サンバ、ボサノバ、タンゴなどが含まれます。地理的にも音楽的にもかなり遠い存在であるそれらが、なぜか日本人にはしっくり来た。その遠さが憧れの対象になったのか、それともぐるっと回って実は近かったのか、それは分かりませんけれど、とにかくラテン音楽はものすごい勢いで消化されていきました。
 ですから、現代の大人、そうですねえ、いわゆる中年以上の人々にとっては、ラテンテイストというのは、どこかしっくり来るものであり、またオシャレでもあり、そしてノスタルジックでもあるわけです。で、中年バンド(いや失礼、20代、30代もいたっけ)としては、その方向に向かってしまうのは当然のことなのかもしれません。
 なんか講釈が長くなってしまいました。当たり前のことを長々と書いてしまった。とにかくそんなわけで、ラテンアレンジの勉強をしようかな、と思って、iTunes Music Storeで中森明菜の2枚のアルバムから13曲を購入してみました。試聴して、これはラテンだな、というものを選んで1枚のCDにしてみたわけです。こういうところはiTMSのいいところですね。2600円もかかっちゃいましたが。借りればもっと安いのにね。
 曲目はこんな感じです。
1.Tattoo 2.Tango Noir 3.北ウイング 4.Sand Beige - 砂漠へ 5.Desire - 情熱 6.セカンド・ラブ 7.飾りじゃないのよ涙は 8.スローモーション 9.桃色吐息 10.シングル・アゲイン 11.色彩のブルース 12.秋桜 13.異邦人
 1から8までは『ダブル・ディケイド』から、つまりセルフ・カバーです。9から13までは『ZERO』から。9は高橋真梨子、10は竹内まりや、11はEGO-WRAPPIN’、12は山口百恵、13は久保田早紀のカバーですね。
 この両アルバム、今回ダウンロードしなかった作品もなかなか名曲ぞろいなんですよ。本当は全部聴きたいところですが、いちおう教材ということで…。
 基本的に中森明菜は「大人」路線でしたからね。現役アイドル時代から、松田聖子とのコントラストという意味合いもあって、ちょっと影のある大人を演じさせられてきたのでしょう。そんなわけで、当時からラテンが似合ってました。そして、「歌姫」シリーズでは、酸いも甘いも経験して本当の「大人」になった彼女が、さらなるラテンテイストで迫ります。
 う〜む、なかなかよい出来です。アレンジもうまい。ZEROの方は、千住明ですか。渋いはずだわ。とにかく中年にはたまらないアルバムですよ。昔は完全なる松田聖子派だったんですけど、明菜の良さも分かりました。オレも大人になったんだなあ。

Amazon ZERO album〜歌姫II  歌姫 ダブル・ディケイド

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2005.09.24

MISO(富士学苑高校ジャズバンド部)

a64p21 今日は、ちょっと手前ミソになりますが、すばらしいミソをおススメさせていただきます。
 本日、私の勤める学校のジャズバンド部の第3回リサイタルがありました。MISOというのはそのバンドの略称です。正式名称は、えっと、Moon Inlet Sounds Orchestraかな。サウンズ・オーケストラはいいとして、ムーン・インレットというのは、月の入り江ということでして、これは本校の母体である月江寺に由来しています。ムーン・リバーかなと思っていたんですけれど、どうも禅的出典からすると、インレットが正しいらしい。
 それでですねえ、そのリサイタルが本当に素晴らしかったんです。3年前に、中学生のジャズバンドの指導で定評のあった先生を招いて創られたこの部。たった3年でここまで成長するとは、本当に感動ものです。高校生というのは多感だし、吸収力はものすごいし、それは分かります。自分も高校の部活動1年間でヴァイオリンをマスターしましたからね。でも、あのレベルでのリサイタルを可能にするのは、やはり指導者の指導力あってのものでしょう。
 私から見ると、彼らは立て続けに訪れる本番によって鍛えられているように見えます。年間50近いステージをこなしているのです。音楽では、やはり本番の経験がものを言います。そういう場をあれだけ用意できることも、O先生の素晴らしい才能です。特にジャズは一人で練習してどうのという世界ではありません。それこそ全体のスウィング感やアドリブのセンスは、本番でのみ磨かれるものでしょう。そういう意味で、あの鍛え方は感心します。本番ならではの達成感や反省が生徒を成長させる。
 今日のリサイタルで、3年生、つまり実質的な一期生は引退です。いろいろな事情を知る立場として、本当に胸に迫るものがありました。スウィングガールズなんか…。よく頑張ったな。
 実は、こんな感動的なリサイタルを経験していながら、家に着いた私はものすごく落ち込んでしまいました。今日の昼は、自分のバロック・バンドの集中練習があったのですが、あまりの自分のふがいなさが、高校生達の輝きによって、より鮮明に照射されてしまったのです。泣きたいくらいの気持ちになりました。
 でも!ここで落ち込んでいてはダメです!よっしゃあ〜。自分も高校の時のあのパワーを取り戻して、頑張って練習するぞ!
 つまり、練習しないでごまかすことを覚えていたわけです。それが大人になるということなんでしょうけれど、やっぱりたまにはそういうのがイヤになります。いやいや、イヤになるのが正常なんですよね。そんなことを気づかせてくれたMISOの諸君に感謝しよう。本当にありがとう。

MISO公式サイト

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2005.09.23

ラーメンズ 第11回定期公演「CHERRY BLOSSOM FRONT 345」

B000083OBW 他校の出身者でありながら、頻繁にウチの学校に顔を出してくれる現役東大生くんおススメのビデオ。笑う以前に感激しちゃいました。
 ラーメンズはオンエアバトルで観て、こりゃすげえなあと思っていましたが、こうしてライヴを観ると、こりゃお笑いじゃない、芸術だあ!になっちゃいますよ。
 これは冷静に考えて、ジャンル的には演劇でしょう。しっかりとした脚本と完璧な演技。二人芝居ですね。脚本もお笑いのホンとは一線を画している。お笑い的なたたみかけは少なめ。よくセリフを聞き、全体のストーリーを把握していなければ、結果として笑えない。観客に演劇的緊張を強いる芸風です。
 実際、小林さんは戯曲集と称した台本集を発刊していますし、彼は日本劇作家協会員だそうです。知らんかった。
 一つ一つのコント、いやお芝居が、実に色々な味わいを持ち、しかし全体としては有機的にリンクしている。ライヴを観たわけではないので、本質的な体験ではありませんが、編集された録画からも作り手側の高い意識が感じ取れましたね。いやはや、すごい作家さんがいるもんだ。
 片桐仁と小林賢太郎という美大出身のお二人さん。そう、美大出身というところがミソなのかもしれませんね。このビデオのジャケットもキレイですが、彼ら自身や彼らの生み出す世界はどこか美意識を感じさせます。お二人とも彫刻科のご出身とか。切り込みの鋭いブラックジョークや異常なほどの創りこみ方は、シャレではなくさすがです。そして、彼ら自身の見事なコントラスト。それを強調したり、あえて薄めたり、そのあたりの演出はお見事。
 それにしても、どの程度稽古してるんでしょうね。いちおう、趣味程度でコントやお芝居をやったことのあるワタクシとしましては、もう、あの脚本を作り、それを完璧に覚える作業だけでも信じられません。どの芸人さんの芸も、厳しい稽古が基本にあるのは分かっていますが、ラーメンズのアドリブを拒否するかのような完璧主義には、本当に緊張します。しかし、その緊張と笑いのバランスが独特なんですね。笑いは弛緩の代表のような存在ですが、そこに緊張が侵食している感じなんですよ。それが彼らの個性であり、芸術性の原点のような気がします。
 お笑いとしては、決して私の好みとは言えませんが、演劇としては非常に好きなタイプですね。ちょっとお客さんを選ぶかもしれません。そうですねえ、イッセー尾形に近いですかねえ。
 テレビにほとんど出ず、舞台で勝負するというのは大正解でしょう。これからの彼らの深まりに期待します。独自の道を突っ走って下さい。いつかライヴ行きたいと思います。

Amazon CHERRY BLOSSOM FRONT 345 ラーメンズ DVD-BOX

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2005.09.22

ステファン・グラッペリ&ヨーヨー・マ 『エニシング・ゴウズ』

Stephan Grappelli & Yo-Yo Ma 『Anything Goes』
B0000026Y3 このアルバムは非常に素晴らしい。とともに非常に興味深い。もちろん、グラッペリとマの共演というだけでも、充分に素晴らしく興味深いわけですけれど。
 素晴らしく興味深いのだけれど、私はそんなにしょっちゅうこれを聴きません。なぜなら、申し訳ないのですが、ヨーヨー・マが下手に聞こえるからです。正直ちょっとじゃまなんです。音楽に。
 マはいろいろなジャンルに挑戦する、素晴らしいミュージシャンです。本当に尊敬しています。彼の謙虚な学びの姿勢には本当に頭が下がります。ここでも、彼はグラッペリにジャズの表現を学び、彼ならではの吸収力と努力によって、それを見事に体現しています。たしかにうまい。
 彼は、今ではピアソラを演奏したり、古楽器でバロック音楽を演奏したり、いろいろな民俗楽器と共演したりして、その芸域を広げています。そして、それぞれの分野で最高レベルの成果を残しています。ピアソラは文句なくかっこいいですし、いちおう私の専門分野でもあるバロックというジャンルでも、本当に感心するほどの名演奏をくりひろげています。
 でも、どうもこのジャズはいかんのですよ。いやいや、充分上手です。マ単独の録音だったら、これは良かった。さすがヨーヨー・マ、ジャズもそつなくこなす、ということになったでしょう。そのへんのにわかジャズ・チェリストなんかよりず〜っとうまいわけです。でも、どうもいかんのですよ。つまり、相手が悪かった。グラッペリじゃあ、どんな弦楽器奏者も勝てません。
 メニューインでも全然ダメでした。以前、テレビで観た古澤厳も全然ダメ。ジャズ・ヴァイオリンの大御所の一人スタッフ・スミスもタジタジだしなあ。もう、どうしようもないんですね。神様だから。寺井尚子なんて子どもみたいなもん。
 結局、こんな具合なものですから、かのヨーヨー・マ氏がマイナス材料になってしまっている。そんな珍しいアルバムとして、実に素晴らしいし興味深いわけです。きっとグラッペリはいつものようにニコニコ演奏しているんでしょう。マもいつものようにニコニコでしょう。音から、そんな二人のニコニコが伝わってきます。でも、そのニコニコの中身がちょっと違うんですよ。マは尊敬する人と一緒に演奏できる幸福にニコニコしている。グラッペリはかわいい息子が一生懸命自分に似せようと頑張っている姿にニコニコしている。親子が遊んでいるようなんです。そのニコニコ&ニコニコ自体はたしかに美しい世界です。でも、そこに立ち現れる音楽もまた美しいかというと、これは別の話になります。
 父親と5歳の息子が、野球をやっている姿は、それは微笑ましいでしょう。美しい。しかし、その野球自体がレベルの高いものだとは限りませんね。うん、そう、つまり、グラッペリ(当時80歳くらい)の前では、マ(当時33歳くらい)は5歳の子どもになってしまうわけです。あっ、ということは、親子じゃなくて、おじいちゃんと孫か。たしかにそのくらいの差が感じられる素晴らしく興味深いアルバムです。擦弦楽器をなさる方、必聴のレコーディングですな。
 
Amazon Anything Goes

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2005.09.21

もみがら枕

mkl11 枕って重要ですよね。ふとんよりも人生を左右しますよ。他の動物はたぶん枕使いませんよね。枕を使わないとしっかり眠れないというのは、おそらく人間の工学的な設計ミスだと思います。
 人生の3分の1は睡眠であり、その睡眠の質が覚醒時の質に大きな影響を与えます。人は覚醒時の充実こそ人生の充実だと考えていますから、結局のところ、睡眠が充実しなければ人生全体が充実しないというわけです。そして、その睡眠の充実に枕の質は欠かせないものであると。そうすると、枕こそが人生の全てを決定するという結論に至るわけであります(ホントか?)。
 私は、斜頚で生まれてきたそうで、今でも左を向くよりも右を向く方が苦手です(ヴァイオリンは左向きでよかった)。そんなこともあって、寝ていてもとにかく首が凝る。それで眠りも浅くなってしまうんですよ。そうすると、上述の通り、人生が充実しない。まあ、人生の充実せざるを枕のせいにするのもなんですけれど。
kkkjb11 それでもなんとか人生の充実を目指していろんな枕を買ってみたわけです。右の写真はその一部。いろんな形や色があって面白いですね。これら三つはどれもいわゆる低反発素材系です。いまだにブームですよね。でも、全然ダメだったんですよ。逆に肩まで凝る。理論と現実はかなり違うんですね。
 そんなぐあいで、もう諦めていたんです。生まれつきの欠陥もあることだし、これは仕方ないなと。
 し、しかし!全く意外なところにベスト・ピローがあったんです。ピローというにはあまりにシンプルでトラディショナルなやつが!
 私はだいたい、人の家に行ったり、ホテルなんかに泊まったりすると、もうホントに熟睡できなかったのですが、カミさんの秋田の実家に行くと、不思議とよく眠れるんですよ。で、このなんとも心地よい枕はなんなんだ?というわけで、聞いてみると、普通の枕だと言うわけですよね。その普通というのが、どう普通なのかと考察してみると、なるほどこういうことだったわけです。
 カミさんの実家は米農家です。ですから、当然毎年大量のもみがらが発生します。その使い道はいろいろとあるようですが、その一つ、非常に地味な用途に、枕の中身にするというのがあるんだそうです。つまり、その枕は「もみがら枕」であったわけですね。上の写真です。
 微妙な弾力、いや硬さが私の首には実に適している。硬いのですが、時間とともに体にフィットする形に変化している。低反発素材なんて、ただ軟らかいだけで、それこそ反発心がない。結局支えてやるという気概が感じられないんですよ。湿気を吸ってくれたりしないし。
 そばがら枕っていうのも結構メジャーですけれど、全然こっちの方がいいですよ。頭皮に伝わる質感が違います。もみがらはもみがらでも、もみがら炭枕というのは、今ちょっとしたブームらしい。でも、なぜか素朴で伝統的な純粋もみがら枕は売っていません。不思議ですねえ。やっぱり、古来のものはいいですよぉ。
 私が秋田からもらってきた上の写真の枕。たくさんある中から、あえてこれを選んできました。だって、デザインが最高なんだもん。見事なハギレのコラージュ。あまりに芸術的です。これは一生手放せません。

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2005.09.20

『光とともに』 戸部けいこ (秋田書店)

4253104339 私もいちおう教育関係者でありながら、自閉症について、あまりにいいかげんな知識しか持っていなかったことを確認。とても恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
 昨年日本テレビでドラマ化されたこともあって、このコミックの存在を知る人も多いのではないでしょうか。私もなんとなくいつか読む機会はあるかな程度の認識はありましたけれど、いざ買って読むとなると、そこまでの意欲というか、意識の高まりはありませんでした。
 そんな私であったのですが、今日ある生徒が第1巻を貸してくれまして、さっそく読んでみました。そして、認識を改めました。言葉として正しいかどうかわかりませんが、感動してしまいました。心が動かされたということです。
 かなり評判がいいとのことですけれど、たしかにリアルに詳細に描かれていると思います。自閉症という障害(病気ではない)についての正しい知識、自閉症の子どもを持つ親の苦労、周囲の偏見と理解…。非常にわかりやすくコミック化してあるようです。テレビドラマは、そのメディアの性質上、いろいろと制約があり、今一つの出来だったらしい(私は見ていません)。
 以前、問題行動や病気や障害の名づけの功罪について書いたことがありました。その時は、特に功罪の罪の方を力説したような記憶があります。つまり、いじめにせよ、ひきこもりにせよ、登校拒否にせよ、名づけという行為によって実在の「こと」になるという考え方です。今でもその姿勢は基本的に変えていませんが、実在の「こと」になるのが、いいことなのか悪いことなのかは、それぞれのケースによって一つ一つ考える必要がありそうです。
 たとえば、「こと」化しない「もののけ」によって偏見の目にさらされていた多くの人々が、「自閉症」という言葉に救われただろうことは、想像に難くありません。言葉が作り上げた世界に安住するのはもちろんいけないことですが、こうして正しい言葉が間違った感情から人々を守ることもあるわけですから、判断は慎重にしなければいけないのです。家庭においても、社会においても。もちろん教育現場においては特に。
 まだ、第1巻しか読んでいませんが、親として教育者として、そして何と言っても一人の人間として、ぜひ最後まで読んでみたいですね。自閉症のみならず、世のこうした問題にもっと目を開いて行かねばなりません。
 ところで、ネーミングということでいえば、「自閉症」という言葉はどんなもんでしょう。「自閉」も「〜症」も問題ありだと思うのですけれど。専門家のご意見を聞きたいところです。

Amazon 光とともに

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2005.09.19

キタテハ

iiu571 おとといはピアソラ中心のコンサート、昨日はカメムジの練習、そして今日は歌謡曲バンドの第2回練習会でした。音楽漬けの連休でしたね。今日の歌謡曲バンドの練習は、ほとんど呑んで盛り上がっておしまいでしたが、それがいいんですよね。いずれはどこかでお披露目したいところですが、まずは、自分たちが楽しむ!これです。ああ、面白かった。
 そんな、ある意味忙しいワタクシの心と体を癒してくれるのが、ここ富士山の自然です。昨日の中秋の名月も素晴らしかったけれども、さりげないウチの庭の生きものたちにも感謝です。
 下の娘が砂場で遊んでいるのをふと見てみると、その背後に何かがたくさん舞っています。それはキタテハの大群でした。大群というのは少しおおげさかもしれませんが、視界に入っているものだけ数えても20頭を越えます。 私にとってはそれはそれは信じられない光景です。特に庭に自然に生えたとおぼしきノギクには、本当にたくさん群がっています。それぞれがゆったりと羽を広げたり閉じたりしながら蜜を吸っているのです。実に美しい光景でした。ああ、これが自然のリズムなのかな…そんなことを感じました。
 私の住む別荘地は、当然本来の森林を開発して作られたものでして、そういう意味では、人間の自分勝手による自然破壊の象徴のような存在です。私も時々、そんなことを思って胸を痛めているのですが、以前、この地域の生物の研究をされている先生から、この程度の開発は考えようによっては新しい生態系を生むにすぎず、その新しい生態系を大切にしていけばよい、というような内容のお話を聞いたことがあります。その時はなんだかとても救われたような気がしました。
 このあたりも、もし開発されていない単なる赤松林でしたら、キタテハなどは生息できません。植物にももちろん同様のことが言えます。もっと単純な生態系であったかもしれません。今のような多様性は人間の開発のおかげ、とは言いませんが、こうした人間の行為も壮大な自然の営みの一部と考えることもできるそうです。
 環境問題、自然保護のことは、語りだせばきりがありません。いろいろな考え方があると思いますし。ただ、結局自己満足に帰するだけの活動や、原理主義的思考だけは、私は大嫌いです。
 とにかく、自分もここの生態系の一部として、みんなと仲良くやっていきたいということです(う〜ん、ただカマドウマとだけは仲良くなれない…)。

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2005.09.18

中秋の名月〜ミザールの思い出など

moon 今日は中秋の名月。子どもたちに、ちょっと迫力ある映像を見せてあげようかな、ということで、双眼鏡を引っ張り出してきました。ミードの28センチのシュミカセも地下室にあるんですけど、まあ、満月を28センチで見ても仕方ありません。目をやられるだけです。ムーングラスどっか行っちゃったし。
 双眼鏡の方も、当然天体観測用ですから、ひとみ径7.3(明るさ53)の11倍80ミリのやつです。3年くらい前に3万円くらいで買いました。記憶では、ミザールの製品だったと思うんですけど、どこにもロゴはおろか、一つの文字すらない。全体がラバー仕上げになっていて、質感も高いし、光学的な性能も、以前使っていたものよりかなり高い。今やネットで探しても見つからない、これまた不思議なコレクションの一つです。
kjj571 ミザールという会社には、私は特別な思い入れがあります。小学生の時は、真剣に就職しようと思ってましたから。私の初めての天体望遠鏡は名機H-100でした。ミザールさん(日野金属産業)の碑文谷の本社に手紙を書いたり、それが縁で何回か遊びに行ったりもしました。当時の社長さんと一緒に、千葉に合宿に行ったりしたなあ。五島プラネタリウムの主催で催された夏休みのイベントだったと思います。懐かしいなあ。完全なる天文少年。それが今や…。まあ、結局は星が見えるところに居を構えたわけだし、いちおう少年時代の夢は少しだけ実現してるかな。
 で、で、そんな明るい双眼鏡ですから、満月を見たらこれまた目をやられます。どうしようかなあ、などと逡巡していたところ、ちょうど富士山付近は霧が発生してきまして(つまり遠くから見ると雲の中)、見事な朧月夜になってきたのです。これはチャンスとばかり、双眼鏡を三脚にセットして、霞んだ名月を見てみました。
 うん、見事に減光され、ちょうどいい具合に、名月がポッカリ浮かんでいます。双眼鏡の良いところは、月が立体的に見えることです。バックの星空より、完全に前に位置して見えますし、さらに霧がその前に位置しつつ流れていく。当然月自体も球体に見えますしね。子どもたちやカミさんも感動していました。
 あんまりキレイなので、デジカメ(名機MZ3)で撮ってみました。コリメート法ですね。意外にピント合わせと光軸合わせが難しく苦労しましたけれど、まあまあの出来かな。霧による減光のおかげで、デジカメの露出補正でなんとか露出オーバーを回避できました。ちなみにデジカメのズームは最大です。
 こうして、非日常的な映像に出会えたのも、霧(雲)のおかげ。やはり、月は隈なきをのみ見るものかは、ですな。

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2005.09.17

本日のライヴ報告「音で見る春夏秋冬」

hff21 本日は、私たちのライヴに多数お出かけいただきまして、本当にありがとうございました。自分で自分の演奏会をおススメするというのもなんですけど、今日は反省も含めて、ここに報告しておきます。
 今日は、イタリア的色彩をテーマに、コレルリ、バッハ、ピアソラという3人の天才作曲家をとりあげました。こういう組み合わせの演奏会も珍しいのではないでしょうか。特に、ピアソラをチェンバロとヴァイオリンでやる、というのはめったにないと思います。去年も同じ時期に同じようなプログラムでやってるんですけど、その日のこのブログは実写版セーラームーン最終回!!なんて記事が書いてある。何やってんだ?まあ、確かに自分のコンサートよりはグローバルな話題ですが。
 そうそう、その3人の音楽に共通することは、解説でチェンバロの森さんがおっしゃっていたように、基本、骨組みがしっかりしているということですね。ですから、どんなふうに料理されても作品自体は揺らがない。作品自体が揺らがないから、形にはなりやすいのですけれど、逆に言えば、演奏が負けてしまうことも多いわけです。今回は自分に限って言えば、やはり演奏が作品に負けてました。違う言い方をすれば、作品に甘えた演奏でした。
 本番で部屋の灯りを落としたせいで、普段見えていたはずの音符が見えなくなってしまったのは誤算でしたが、まあ、それだけ楽譜に依存していたということですね。自分のものになっていなかった。ここでカミングアウトしますけれど、やはりそこまで練習していなかったということです。
 だいたい、気合いで乗り切ろう、という精神がいけませんね。みなさんごめんなさい。録音も録画もしましたけれど、ちょっと振り返るのが恐ろしい。あんまり緊張しなかったんだけどなあ…。
 今日は静岡から両親が聴きに来てくれたのですが、両親も酷だよなあ。こっちが謙虚に「なんだかミスばっかりしちゃった」とか言ったら、まずは父が「うん、シロウトでも変だなあってところがいくつもあった」だって。そしたら、母が、「可哀相だからそういうことは言わないようにしようってさっき決めたでしょ」と父親をたしなめました…ガーン!その言葉が一番ショックですよ〜!!ハハハ、まあ分かってますが、それを言っちゃあおしめぇよ〜。
 うん、気を取り直して、ちょっと演奏しながら思ったことを。「音で見る」っていいですね。こういう感覚の交錯というか、感覚の未分化というか、なんか好きなんですよ。なんとなく禅の境地に近いような。
 今日のプログラムもかなり自由に交錯していますし、私が3万円チェロ(もちろんモダン楽器)をエンドピンを使わずバロック・チェロのように持ち、ピアソラを弾いたなんてことも、実は偉大なる未分化…なわけないか(笑)。
 で、結論!今日は禅宗のお寺の住職さんもお二方いらっしゃってくれましたが、そう、「音で見る」って「観音」じゃないですか?
 
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2005.09.16

『入門の金融 デリバティブのしくみ』 三宅輝幸 (日本実業出版社)

4534033842 今日の感動は、『最後の弾丸』なんですが、これは昨年おススメしていますので、こちらを紹介しておきます。
 先日の会計学に続き、ちょっとお金の勉強をしてみました。お金ってものすごく身近で、根本的な価値や意味はあんまり変わらない存在なんですけど、それが流通するシステムの方は本当に日進月歩。そう、工学的に進歩していくんですよね。だから、昔習ったお金もうけ学では、今や全く通用しない。
 ウチの父親は、いちおうお札を発行している某中央銀行に勤めていたんですけど、それでも、やはり最近の(退職後の)金融事情はよく分からないと申しております。それで、この本を読んだそうで、私にもコピーが回ってきました。なかなか分かりやすかったとのこと。
 私も、副業?で現社やら政経を教えていますので、このへんについても少しは分かっておかないと。ちなみに、高校ではデリバティブは名前くらいで、細かな内容までは踏み込みません。それでも、全然分かっていないことを教えるというのもなんですからね。
 だいたい、デリバティブがderive(派生)からderive(派生)していたとは。それすら知らなかったんだから重症だ。で、この本はこんな重症者でもなんとか立ち直れるよう、やさしくやさしく、実例や図を使って説明してくれています。今日の段階では、いちおうスワップ・オプション・先物それぞれ説明できそうです。明日は分かりませんが。なにしろ、自分とはほとんど関係のない世界ですからね。おもしろいけれど、実感がない。
 それにしても、こういうシステムを工学的に開発し、そして商品化するのは、どこの誰なんでしょう。どういう人たちがそういう役目を担っているのか、ぜ〜ぜん分かりません。なんかゲームの開発みたいな印象を持ってしまいます。近いんじゃないですか、実は。
 その点、先物の発祥が、江戸時代の大坂堂島だというのは、なんか楽しい事実ですね。大坂商人って最先端を突っ走っていたわけです。お金に対する執着が世界的に突出していたんでしょうね。それに加えて、そういうシステム(ゲーム)を開発することに喜びを感じていた(人がいた)と。
 さて、こうしたデリバティブがリスク回避のために生まれたにもかかわらず、実際にはハイリスクなしろものであるというのが面白いですね。さおだけ屋の本でも、会計学に人生を感じたわけですけれど、こちら、金融もかなりドロドロしてますね。お金に限らず、私たちはいろいろな「価値」をたくさん得て、少しだけ失うよう、各種デリバティブ的行為をしていますね。もともと、人生自体が完全には予測不能なものなのですから、当然です。
 これを読んでいて、なんとなく思ったんですよね。結局は、人生の選択肢は二つしかないんじゃないか。ハイリスクかローリスクか。しかし、方法は選べても、結果はその時は選べない。つまり、結果としてハイリターンになるかローリターンになるかは最後まで分かりません。で、その方法と結果の組み合わせの内、どれが一番得かは言わずもがな。だから当然私はローリスクを選びます。これは基本でしょう、人生の。夢がないんじゃなくて、夢が壮大なんですよ。ははは。
 今度は株の勉強してみます。

Amazon デリバティブのしくみ

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2005.09.15

アストル・ピアソラ 『ライブ1984』

B00005ELL1 ピアソラ中心のコンサートが迫ってまいりました。あっ!あさってか。さすがにちょっと練習しなくちゃな。ただ、こういう音楽は練習が全てではありません。本番でのノリというか熱気というか、そういうものが非常に大切です。
 そこで、気合いを入れる(って気合いで乗り切る気なのか?)ために、借りてきたこのDVDを観ました。いやあ〜、こういうの観てしまうと、やはり音楽はライヴだ!と言いたくなる。音楽はいつから聴くものになってしまったのでしょう。こうして観ながら聴くという行為の方がずっと自然なんですよね。
 もちろん、これだって所詮は録画です。だから、本当のライヴではない。観て聴くだけでなく、本当のライヴ会場には、空気を感じる、あるいは熱を感じるという要素もありますよね。あるいは、踊る、囃すという要素も。スポーツでも同じことが言えますし、演劇でも、講演でも、なんでもかんでも生が一番。その空間と時間を共有して初めて、体験と言えると思います。
 しかし、こうした準体験もそれなりに感動できるものです。音楽が聴くだけのものになってしまったのも、また逆にこうしてヴァーチャル体験ができるようになったのも、両方とも新しいメディアのおかげです。特にデジタル技術。そうしたリアルでない、ある意味それを超えた体験とのつきあい方については、常に考えていなければなりません。こうしたことは、誰も教えてくれませんからね。
 それにしても、このライヴはいったい何なんでしょう。準体験にしてこの鳥肌ですからね。これは、1984年のモントリオール・ジャズ・フェスティバルでの歴史的名演奏です。私は、動くピアソラをほとんど初めて観ましたが、このおじさん、というかおじいさん、異常ですよ。バンドネオンと一体化してしまっている。この楽器が、これほど肉体的なものだったとは…。ピアソラがバンドネオンを弾いているというよりも、バンドネオンという生物がピアソラに寄生して、ピアソラを操っている。こ、こわい…。
 その他のメンバーも、そんなバンドネオンの物の怪に取り憑かれて、思わず演奏させられている。その普通でない波動が画面からも伝わってくるんですよ。そして、こちらもいつの間にか、その気にのまれ、一緒に呼吸している。う〜む、アンサンブルの本質だあ。
 ピアノもギターもヴァイオリンもみんなすごいけれど、やっぱりコントラバスのおっちゃんですな。なんだ?このボウイング!ありえない。
 正直、降参です。気合いを入れるつもりが…いや気は注入されたんですけど、それをどうアウトプットしていいか分からない。こんな御本人によるすさまじいパフォーマンスを見せつけられちゃうと、もうひれ伏すしかないじゃないですかあ。やばい、演奏できない。
 知らぬが仏とはよく言ったものだ…。知っちゃったらいきなり塵になっちゃいますよ〜。

Amazon ライブ1984

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2005.09.14

『さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学』 山田真哉 (光文社新書)

4334032915 借りて読んでみました。今日はたまたま古文の授業中、「た〜けや〜、さおだけ〜」という声が聞こえてきまして、生徒にこの本の話をしたんです。私も皆様と同様、「さおだけ屋」については不思議に思っておりましたから、それなりの答えが得られ、その点に関しては私も生徒も満足でしたね。
 この本のうまいところは、そのタイトルにつきるでしょう。いつかも書きましたけれど、潜在意識の中の共通感情の掘り出しこそが、人の興味をそそるわけですから。ただ、あとがきで告白していますとおり、このタイトルはご自身が一人で決められたわけではない。不特定多数のアイデアの集積ということのようです。商品名を決定するという感覚でしょうかね。それがビジネス的な成功を招いた。
 さおだけ屋の話は最初だけでしたが、私は会計学を本当に知りませんでしたし、数字にも弱い典型的なタイプですので、全編通してかなり興味深く読むことができました。そして分かったことは、私はやっぱり会計的なセンスがない、ということです。どんぶり勘定の権化みたいな人間ですから。私の会計学は「損したことを気にすると精神衛生上よくないので、損したことに気づかないようにする。逆に得したことは必要以上に強調して自分を盛り上げる」ですからね(笑)。
 こういうタイプの入門本は、私のような完全なる門外漢にとっては、非常に有用な「いい本」になりえます。しかし、その道の方から見ると、それこそ「ダメ本」になってしまう。これは仕方のないことです。私も自分の専門分野には厳しいですからね。そうしたマイナスの評価なんていうものは、私なら無視、あるいは気づかないようにするわけですが、きっと筆者なら、それは予想された損失であり、まあ全体として利益が上がればいいと考えるでしょう。
 それにしても、この会計学の本も、他の分野の本と同様に、人生を象徴しているところが多々ありましたね。「ゴーイング・コンサーン」が人の生涯の究極テーマであるのはもちろんです。また、お金を「価値」と読みかえれば、「チャンス・ゲイン」や「チャンス・ロス」、「ローリスク・ハイリターン」やら「フリー・キャッシュ・フロー」なんて言葉も重みを持って迫ってきます。ということは、私のは「どんぶり勘定人生」か…。資金繰りがショートしないようにしなくちゃ、ですね。
 ところで、この本で関心したのは、筆者の文章です。さすが、文学部出身ですし、塾の現代文の講師だった方です。特に名文というわけではありませんけれど、そつなくリズム良く、読んでいて疲れない文体でした。ひと言で言えば、押し付けでない相手を思いやる文体ですね。
 あ、そうそう、今日のニュースでやってましたね、カネボウの粉飾決算の件。山田さん、例の大手会計事務所にお勤めされていたんですね。おやめになって正解だったかも。

Amazon さおだけ屋はなぜ潰れないのか?

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2005.09.13

サザエさんロックバージョン(ギャグです)

edc7430d1 なんだかとっても仕事が忙しいので、昔のネタでごまかします。でも、実は「とっておき」です。
 10年以上前に、いちおう和声法と対位法と編曲法と歌唱法の勉強のために作ってみたのですが、なかなか笑える仕上がりになりまして、自分としては結構気に入ってます。ってか、おバカでよろしい。若気の至りもいいもんですな。
QY20 まずはカラオケとして作りました。学校の備品であったYAMAHAのQY20というコンパクトシーケンサーを職員室に持ち込みまして、机の上で必死でツンツンつついていたのを思い出します。
 なんで、ツンツンかって、なにしろ鍵盤が超小さいんだもん。自分の爪よりも小さいゴムみたいな鍵盤を一生懸命つついて、ギターソロやらピアノソロやらストリングスやらを打ち込みました。実に怪しい光景だっただろうなあ。
 しかし、ものごととは不思議なもので、その厳しい環境でメチャクチャにつついたものが、意外にカッコよかったりして、結局、ちゃんとした鍵盤やらギターやらではそれ以上のものがつくれませんでした(笑)。
 サザエさんのロックって、けっこう多くの人が作ってます。でも、私のように、メロディーはそのままで、和音進行を変えてアレンジしてるのってあんまりないんですよね。こだわりの一品です。ワタクシ的には、間奏部分が好きですな。今思うと、どういうふうにあのアイデアが湧いてきたのか、全く分からんのですが、まあ創作活動?とはそんなもんでしょうね。作ろうと思うとできない。
top_img_ps5set1 で、時々生徒に聞かせたりして、笑ってもらっていたんですけど、ボーカルが入ってなかったんですよ。自分で歌うのも気恥ずかしいし。でも、せっかくだから、ということで、TASCAMのPocketstudio5を買った記念に、2年ほど前、歌を入れてみました。
 人前でこれを歌うのは非常に恥ずかしい。そこで、家族が出かけたスキを狙って一発録りです。それに少しコンプレッサーかなんかのエフェクトをかけて、恥ずかしさを軽減しつつミックス。なんとか完成いたしました。
 いつのまにか元データがなくなってしまい、ダビングにダビングを重ね、エンコードにエンコードを重ねたものですから、ずいぶんと音が悪くなってしまっています。でも、それがまたチープな味を醸していてグー(かな?)。
 去年かな?某2ちゃんねるのDTM板かなんかにアップした時は、毀誉褒貶交錯しけっこう騒ぎになりました。中には好意的なコメントをくれた方もいましたけど、まあ全体としては、はぁ?って感じでしたね。しょせんギャグですから気にしませんけどね。某2ちゃんですし。
 てなわけで、実はとっても恥ずかしいんですけど、まあネタってことで。勇気がある人は聴いてみて下さい。ちなみに著作権は放棄します(笑)。というか、元ネタの著作権は…筒美京平さんごめんなさい。

MP3 覚悟して聴く 2.5MB

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2005.09.12

M-AUDIO 『Micro Track 24/96』

nano iPod nano、昨日アキバで触ってきましたよ。うん、たしかに久々物欲刺激された。あの薄さ、というか薄みは絶妙ですね。食べたくなる。物欲じゃなくて食欲か。これは売れますよ。お値段も手ごろですしね。黒もいいですね。でもやっぱり白かな。指紋が目立たないし。うん、白の4G…。
 な〜んて、買いませんよ。とっても興味ありますけれど、私はポータブル・オーディオにはこだわりがありますから。いちおう、演奏なんかをする立場の人間からしますと、「生録」っていうのが、ポータブル・オーディオに要求する一つの要素になるんですよ。これについては、昨年も書いています
 そのD Cube NMP-612ですが、多少の不具合はありましたけれど、今でももちろん現役です。しかし、オーディオ・プレイヤーとして使うことはまれでして、ほとんどが練習やコンサートの記録用です。音質はこんなものかっていう程度ですが、まあちょっとした記録用にはOK。
 私の場合は、オーディオ・プレイヤーを買うとしたら、おそらく車で使うことが多くなるでしょうから、それなりの容量も必要ですね。でもハードディスクはちょっと信頼性が…。さらに内蔵充電式バッテリーっていうのが嫌いなもので…。な〜んて考えているうちに結局iPodも買わずに来ました。なんだかんだ言って、エンコードって面倒ですしね。家中のCDをiPodに、なんて考えたら気が遠くなります。
 ちょっと話がそれますが、DVDを焼く作業なんかもそうですけど、いつ見るんだ?というものばかり焼いていて、結局はいつのまにか手段が目的になってしまう、なんてことがよくあるわけです。デジタル化は便利を生みます。しかし、その便利のために忙しくなってしまうという皮肉をも生むんですよね。面白いことです。簡単に何でもできるようになるということは、「こりゃ無理だ」ってあきらめることが許されなくなるということなのかもしれませんね。
mt 話をもとに戻しましょう。それでですねえ、生録ということについて言うと、結局DATを越える存在というのがなかなか出てこなかったんですよ。不思議なほど。ところが最近、こんなのが出たんです!細かいことは公式サイトに譲るとして、このコンセプトとスペックとデザインには、iPod以上にそそられますよ〜。頭の中で考えていた理想がそのまま実現したという感じです!セミプロユースにも充分堪えられる内容に加えて、価格もなかなか魅力的。バッテリーや給電の仕様など、ちょっと気がかりな部分もありますが、これはそそられますね。別に生録マニアではないけれども、オーディオ・プレイヤー兼用に買っちゃおうかな、フラッシュメモリーも安くなったし…って、やっぱり先立つものがありませんね。もう少し待って評価なども出尽くしたところで考えますわ。う〜ん、でもいいなあ、これ。
 とりあえずココの報告に注目!

結局コレになっちゃいました!

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2005.09.11

アキバ〜上野〜浅草

dada 昨日も充実しましたが、今日も面白かった!今日もある意味教え子のおかげです。持つべきものは教え子ですな。
 実は、10年くらい前に卒業させた教え子の女の子(もう女の子じゃないか)が、秋の院展に初入選したということで、それを上野に観に行ったのです。彼女は、一つ目の大学までは、書を志していました。かなり上手でそれなりに全国的な評価を得ていたのですが、いろいろあって書をやめ、日本画の世界に飛び込んだのでした。それで、芸術系の大学に入り直しまして、今も学生やってるのです。で、今年の春の院展に初入選し、本チャンである秋の方にも初入選しました。いやはや、日本画の世界に入ってまだ3年ですよ。大したもんです。
 そんなわけで、今日は家族を連れて、久々に東京へ。『電車男』に夢中のカミさんが、どうしてもアキバに行きたいということなので(笑)、しょうがねえなあ、オレのシマに連れてってやるか、って感じで、アキバのすぐ近くに車をとめて見学いたしました。いえ、誤解しないで下さい。私は昔のアキバ、いや秋葉原によく通ったんですよ。電気街ですよ。小学生の頃から通ってましたから。ん?ある意味充分オタクか。
 で、カミさんはかなり感動しておりました。そりゃ生でアキバの街を、そしてアキバちゃんを見ることができたのですから。娘たちはどう思ったんでしょうかね。あの萌え系のオブジェたちがどう映ったか。
 さて、ドラマの舞台ともなった秋葉原駅から上野に向かいます。そこでものすごい雷雨に。上野駅に着いても雨足は激しく、結局私だけが東京都美術館へ。アキバから院展への流れ、ものすごいですな。ところが、私、妙な印象を持ったんです。教え子の作品以外はざっと流しただけなんですけれど、日本画の世界もかなり辛い状況ですね。だって、なんかグラフィック・アートになっちゃってるんだもん。特に若手の作品は。あれだけの数のグラフィック・アートを見せられると、あんまりアキバの風景と変わらなく感じてしまう。ちょっといかんなあと思いました。
 そんな中、教え子の作品は異彩を放ってました。これは贔屓目ではありませんよ。作品をここに紹介できないのは残念ですが、非常に面白かった。風景画なんですけれども、もうその選ばれた風景自体がものすごい。地元都留市を流れる桂川の断崖に施された護岸コンクリートがその画面のほとんどを占めています。その幾何学的でありながら、ものすごい動的エネルギーを持ったうねりを実に上手に描き込んでいました。色彩もほとんど黒が基調になっており、書の陰影を思わせます。そこに配された微妙な青も私の目に焼き付きましたね。大したもんです。ああいう題材で、ああいう手法で、個性を表現できるんですから。彼女は有名になるでしょう。今のうち作品買っとくかな。
kaminarimon さて、私は目的を達したわけですけれど、カミさんと子どもは上野駅で雨宿りでは欲求不満ですね。そこで、ちょっと足を伸ばして、浅草に行ってきました。私もたぶん30年ぶりです。本当は花やしきにも行きたかったのですが、何しろ雨がすごいので、雷門から仲見世だけ。浅草寺にすらたどりつけず、遠くから参拝してすませます。カミさんはああいう雰囲気大好き人間ですのでご満悦のご様子。子どもは花やしきにも行けず可哀想ですので、とっておきの場所に連れていってあげました。
ultraman そう、浅草roxの中にある「ウルトラマン倶楽部」です。ウルトラマンマックス出演者である我が家族は、やはり行かねばなりません。小さなお店ですけれども、なかなかマニアックなグッズが揃ってますので、子どもたちも大満足。私もけっこう楽しめました。森次晃嗣監修のウルトラアイ欲しかったな。ノンマルトバージョンはサイン入りでしたし。でもお金がなく…orz。
 すっかり疲れて、駐車場に戻った私たちは、駐車料金のことを忘れて散財していたことに気づき、子どもの財布までひっくり返してお金をかき集めましたが、結局足りず…orz。何やってんだか山口家。

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2005.09.10

チェコの方々と合コン!?

cc778  本当に縁というのはおもしろいですね。人生は予想外のことがあるからすばらしい。
 今日は、どういうわけかチェコ・フィルのメンバーがウチに来まして、大いに盛り上がりました。いやあ、久々に呑みすぎた。
 もともとは仕事の延長みたいな気持ちだったんです。東京外大でチェコ語を勉強している教え子がなかなかネイティブと知りあう機会がないということを言っていたので、近所に出稼ぎ?に来ているチェコ人を紹介しようかなと考えて、知りあいに仲介をお願いして実現したのでした。
 彼らは河口湖の某美術館でカルテットの演奏をしております。数ヶ月ごとに入れ替わり立ち替わり本国からこちらに4人ずつやってくるそうで、今回会った皆さんは、2ヶ月半ほど日本に滞在し、来週の金曜日に帰国するということでした。
 まずは地ビールレストランでご対面。チェコ組はカルテットですから4人。男2人、女2人。日本組は教え子と仲介してくれた方の家族とウチの家族の計9名。なぜか皆さん英語が堪能なので、会話はほとんど英語です。妙なのは日本人どうしでも英語で会話しちゃうこと。まあ、その方がチェコの方にもしゃべってる内容が分かるからいいか。普段は英語アレルギーを示している私も、やっぱりこういう時は、イングリック(鈴木孝夫提唱)は必要だなと感じます。
 時々チェコ語講座なんかがありまして、いろいろな単語などを教えてもらったのですが、う〜む発音が難しい。教え子によれば、文法はもっと面倒くさいらしい。で、ほかにも、チェコの文化事情やら歴史やら育児事情やらをたくさん語っていただきまして、ホント勉強になりました。ヨーロッパの中央に位置したために、西から東からいろいろな影響(良くも悪くも)を受け大変だった、そして今も大変なんですね。でも、そういう中で逆にアイデンティティーが強化されたと。それを強く感じました。非常に愛国心が強い。誇り高い。
 日本って、ホント特殊ですね。アイソレーティッドなんですよ。まさにアイランド。これも良し悪しか。
 さあ、その後レストランからウチに来てもらいました。ヴィオラの方はチェコ・フィルの公演も含めて、今回が6回目の日本だそうですが、こうして一般家庭に招かれるのは初めてということで、大変喜んでおられました。こちらも嬉しいですね。で、ウチでは日本酒なんかを呑んでワイワイやったのですが、何しろ愉快だったのは、私の楽器コレクションに興味を持ってくれたことでしょう。ははは。
 まあ、バロック・ヴァイオリンはまともなものですから恥ずかしくありません。しかし、その他は…。2万円のヴァイオリンにヴィオラ、3万円のチェロ。2万円の三味線に、もらった(借りッぱなしの)お琴と尺八。5千円で譲ってもらったツィター…。皆さん、苦笑しながらも、写真を撮ったり、実際手にして弾いてくれたり。ちょっとセクシーなチェロの方が、私の3万円チェロでバッハの無伴奏を!な、なんという幸せな私…いや、私のチェロ!あっ、ちなみに上の写真、一番左はチェコ人じゃありません。私です。
 ホントいい人ばかりでした。なんかチェコ行きたくなっちゃった。そして、チェコ・フィルも生で聴きたい。ああ、このような素晴らしい縁に感謝感謝。なんか楽しいなあ人生。やめられませんな。

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2005.09.09

「文學ト云フ事」 片岡K演出作品 (フジテレビ)

mbg1 今日は現代文の授業で「文學ト云フ事」を観ました。総集編です。もうかれこれ11年くらい前に、フジテレビの深夜枠で放送されていたものなんですが、実は今でもコアなファンが多いとか。私は当時、知り合いにビデオをいただきまして、まとめて観たのですが、とにかく非常に面白くためになりましたので、今でもこうして教材として使っております。
 この番組、簡単に言えば、いわゆる文芸作品の予告編(だけ)を作っちゃおうというものでした。映画の予告編が、その本編を観たくなるように作ってあるのと同じように、本編である小説を読みたくなるように、文学の予告編を映画の予告編の形態で作ったわけです。まずはこの発想が面白い。
 で、やっぱり本編を観てみたくなる。でも、実際には映画はありませんから、結局は本屋さんで本を買って、一生読まないだろうなという古くさい文芸作品を読むことになる。こういう構図ですね。実際私もほとんど原作にあたりましたし、生徒も「文學」に対する認識を改めるようです。
 このような番組こそ、ぜひ続けて放映してほしいですね。国営放送さんでも、少しは「文學」を予告するような番組を作っていますが、やっぱりこのような映画の予告編形式が一番効果ありますよ、きっと。
 まず、取り上げられていた作品及び出演者を御覧下さい。

 武者小路実篤 『友情』 (村島亮・井出薫・袴田吉彦)
 夏目漱石 『三四郎』 (大沢健・井出薫・北島道太)
 川端康成 『みずうみ』 (大高洋夫・井出薫・宝生舞・角口明美・星野衣厘)
 太宰治 『人間失格』 (大沢健・浅野麻衣子)
 森鴎外 『雁』 (桜金造・井出薫・袴田吉彦)
 谷崎潤一郎 『蓼食う虫』 (段田安則・緒川たまき・清水昭博・柾木良子・二瓶鮫一)
 田中英光 『オリンポスの果実』 (中山博子・村島亮・星野衣厘)
 田山花袋 『蒲団』 (清水昭博・浅野麻衣子・二瓶鮫一)
 安部公房 『箱男』 (緒川たまき・長谷川大作・遠山俊也)
 伊藤左千男 『野菊の墓』 (井出薫・村島亮・橘雪子)
 太宰治 『斜陽』 (緒川たまき・小木茂光・大川栄子・浅見真公人)
 三島由紀夫 『美徳のよろめき』 (椎名桔平・水島かおり)
 夏目漱石 『夢十夜』 (真島啓・宝生舞・後藤久美)
 岡本かの子 『老妓抄』 (大川栄子・椎名桔平・井出薫)
 川端康成 『朝雲』 (井出薫・緒川たまき・五十嵐五十鈴)
 森鴎外 『青年』 (清水邦彦・柾木良子・井出薫)
 室生犀星 『或る少女の死まで』 (大高洋夫・ ともさかりえ)
 二葉亭四迷 『浮雲』 (井出薫・袴田吉彦・村島亮)

mbg2 どうです?なかなか興味深いでしょう。作品もなかなか強者ぞろいですけれど、出演者も今見るとスゴイ!何しろ11年前ですからね。井出薫も、宝生舞も、袴田吉彦も、段田安則も、緒川たまきも、椎名桔平も、ともさかりえも、ほとんど無名でしたからね。それから笑えるのは、バナナマンの日村勇紀が真面目な顔で(でもやっぱりキモい)出てることですかね。もちろん、当時は無名も無名。役者志望だったのかな。私は緒川たまきの上品な美しさにすっかりやられてました。
 この番組がこれだけレベルの高いものになったのは、もちろん片岡K氏の力によるものだと思います。彼の初監督映画「インストール」もある意味文学作品を扱ったものでしたが、あれもかなり深夜枠テイストを効かせてましたね。好き嫌いが分かれる映画でした。
mbg3 で、文學の予告編、それぞれの作品の中に必ず「恋はあまりにも○○だった」というコピーが入るんですけど、まあ○○が「残酷」とか「不可解」だとかの内はよかったのですが、だんだんネタが切れてきて、しまいには「恋はあまりにも近代だった」ってのはどうかと…。まあ、浮雲ってそういう存在ですけどね。生徒も爆笑してました。でも、とにかく傑作番組ですよ。総集編はただ予告編をつなげただけですけれど、それぞれの回では、なかなか渋い方々による解説もついておりました。それもまた良かった。音楽のセンスも抜群でしたね。ぜひまたやってほしい番組の一つです。
 ちなみに、井出薫さんは、今片岡Kさんの奥様になっております。なるほど〜。

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2005.09.08

芋けんぴ(渋谷食品)

kenpisara1 ちょっと忙しいんで、軽めのネタでいきましょう。
 高知と言えば「芋けんぴ」。「芋けんぴ」と言えば高知の「渋谷食品」ですね。渋谷食品さん、年間4000tの芋けんぴを生産しているとか。国内シェア50%以上といいますから、やっぱり世界一ですかね。ヨーロッパとかに芋けんぴなさそうだし。
 今日いただいたのは、渋谷食品の九州工場で作られた芋けんぴでした。九州の大学に通っている教え子が、皆さんでどうぞ、ということで持ってきてくれました。これがおいしいんだな。先生も生徒も食べだしたら止まらない。一缶にものすごい量(1kg)が入っていたんですけど、ものすごい勢いで減っていきました。
img_etc_011 九州工場で作られている方は、薩摩の代表的なお芋「黄金千貫」が原料。「黄金千貫」と言えば、いま大流行の芋焼酎の原料としても知られていますね。このさつま芋は赤くないんです。白い。一見さつま芋じゃないみたい。でんぷん質を多く含んでおり、風味も豊かなんだそうです。さつまで最も多く栽培されているさつま芋がさつま芋じゃないみたい、というのはちょっと面白い現象ですね。
 ところで、芋けんぴは芋かりんとうとも呼ばれます。かりんとうは遣唐使の時代に唐菓子の一つとして伝来しました。さつま芋自体はけっこう最近?18世紀になって、琉球から薩摩にもたらされたようですから、この芋けんぴの誕生はもう少しあとということになりますね。しかし、その頃からおそらくほとんど形や味を変えずに残ってきたわけですから、単なる駄菓子というにはもったいない歴史を持っているということですね。そして、たぶんこれからもずっと愛され続けるでしょう。
 う〜ん、ちょっと食べ過ぎてさすがにおなかが重いぞ…。軽めのネタのつもりだったんだけど。芋と油と砂糖か…カロリー高そうだな。まっいいか、おいしいから。

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2005.09.07

伊藤園 『1日分の野菜』

img10362079965 アルベルト・シュバイツァー博士の業績は多岐にわたっております。医師として、キリスト教の伝道者としてはもちろん、神学者としても哲学者としても一級の成果を残しています。そして、忘れてならないのが、音楽に関わる彼の人生です。
 オルガン奏者としてもかなりの腕前だっといいます。また、彼のバッハ研究の成果は、そのまま現在の古楽演奏の理念やスタイルにつながっています。そういう意味でも、シュバイツァーの視点の確かさを感じますね。つまり伝統や歴史に根ざしつつ、そこに埋もれがちな真実を見極める力を持っていたということ。
66ee さて、そんな尊敬すべきシュバイツァーさん、なぜか糖尿病を患っておられたようです。それを克服するのに、野菜ジュースを飲用したらしい。おそらくヨーロッパでは古くから薬用とされてきたケールを使ったものではないかと思われます。つまり青汁。
 私も青汁にはずいぶんとお世話になりました。かれこれ10年くらいですかね。独身時代、慢性的な野菜不足であった私の体質を改善してくれたのは、間違いなく青汁でした。
 しかし、私も8年ほど前にめでたく結婚でき、いちおうカミさんの栄養バランス満点?の手料理を食べるようになりましたので、保存や解凍などが面倒、かつやや高価な(キューサイの)青汁は、なんとなくお役御免になってしまいました。
 それでも、ここ1年とちょっと一日一食生活を続けていますので、夕飯だけではやや野菜とカルシウムが不足気味かなと思い、毎朝野菜ジュースと牛乳を飲んでおります。
 で、愛飲しているのがこれ。伊藤園の『1日分の野菜』というやつです。今は野菜飲料ブームで、各社からいろいろな種類のジュースが出ていますね。その中で私がこれを選んだのにはいくつか理由があります。
 まず、単純においしい。いろいろ飲んだ中では甘味、酸味、粘度、臭いなどが一番自分に合っています。
 次、果汁が含まれていないこと。味を整えるため、あるいはコストを落とすために果汁を混ぜたものもよく見かけます。果汁にももちろんメリットはありますが、炭水化物(糖分)が案外多いんですよね。『1日分の野菜』は野菜汁100%です。
 次、ランニングコスト。ランニングじゃないか、ドリンキングかな。900g一本、定価は399円ですが、ドラッグストアの特売なら248円で買えます。一日180g飲めばいいので(ちゃんとボトルの横に目盛りがついてて便利)、一本で5日分。つまり一日一杯50円弱ですからね。安い薬です。
 さて、こういった野菜ジュースですが、あくまで補助食品として考えた方がいいですよ。ある意味看板に偽りありです。『1日分の野菜』の後に省略された文があるのです。『1日分の野菜』とされる350gの野菜に相当する野菜の搾り汁?ですからね。
 あっ、そう言えば、シュバイツァー博士を尊敬している日野原重明医師の朝食も野菜ジュースでしたね。日野原さんは市販の野菜ジュースにちょっぴりオリーブオイルをたらすそうです。私も明日から試してみますね。

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2005.09.06

人生はかけ算〜稲盛和夫の悟りとは

portrait 稲盛和夫さんは、言わずと知れた経営界のカリスマ。京セラの創始者であり、現在はKDDIの最高顧問でいらっしゃいます。
 私は稲盛さんの著書などはほとんど読んでおりませんので、偉そうなことは言えないのですが、ここ数日の間に、いろいろなルートで、稲盛さんの言葉に触れる機会がありましたので、少し紹介しつつ考えてみたいと思います。
 稲盛さんの華やかな経歴の中で、私が最も興味を持つのは、「1997年臨済宗妙心寺派円福寺にて得度」という部分ですね。企業経営という、ある意味最も人間の欲望に根ざした所業を極めた末の入門ということですか。僧籍を得るには、得度したのち一定期間僧堂で修行しなければなりません。稲盛さんも、お仕事のかたわら、それなりに修行されているのだと思います。
 禅宗における修行は、なにも坐禅だけではありません。生活そのものが修行でありますし、特に作務(さむ)と呼ばれる社会的な活動は重視されております。ある意味、究極の作務と、究極の問答を繰り返した人生でしょうから、稲盛さんは一般的な僧侶の方よりももしかすると悟りに近いのかもしれません。世人を引退されたら、立派なお坊さんになられることでしょう。
 さて、私が最近触れることができた稲盛さんの言葉ですが、いずれもが「かけ算」がキーとなっておりました。出典はわかりませんし、正確がどうかもわかりません。あしからず。

・人生はかけ算だ。どんなにチャンスがあっても君が「ゼロ」なら意味がない。
・人生、仕事の結果=考え方×熱意×能力
・人生は、人格と努力と才能のかけ算

 なるほど、と思わせます。それこそ俗世で?究極の修行をされた方の言葉ですから、重い。
 私は、「かけ算」という発想に、やはり仏教の教えを見る気がしますね。 つまり、「縁」です。私の実感では、世界は無数のかけ算の結果、厖大なスケールになっているような気がします。自分という存在は、そのかけ算の中の「かけられる数」になったり、「かける数」になったりしている。もし、自分がゼロになってしまったら、すなわち世界もゼロになってしまうわけです。そういう意味でも、自分と世界(宇宙)はつりあっている、等価のものであると思うんですね。
 ですから、稲盛さんが後の二つでおっしゃっているかけ算によって生じる答え(個人の人生)が最終的な答えではもちろんなくて、そのそれぞれがまた、無意識的、意識的にかけあわされていく。それがある意味、最初の言葉の「チャンス」でもあるのではないでしょうか。
 実際には自分はゼロにはなりえないと思います。稲盛さんはわかりやすく教訓的にゼロとおっしゃっているだけです。ただ、自分の数値が低いと答えも当然低い値になります。結果として自分だけでなく、他に対する影響も少なくなってしまう。もしかすると、誰かの人生や、世界の何かのチャンスの芽を摘んでいるかもしれない。そう考えると、やはり人は「生かされている」存在であり、また他者を「生かす」存在でもあるということですね。
 う〜ん、私も、考え方・熱意・能力・人格・努力・才能の数値を少しでも上げなければ。なんて、才能(能力)はたぶんもう上がりませんから、え〜と、考え方と熱意と人格と努力ですか…。なんか、不得意な分野が多いなあ。まずは一つだけ頑張ってみましょうかね。え〜、やっぱ人格っすかね(笑)。
 
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2005.09.05

ハイビジョン特集[再]「力道山・比類なきリングの輝き」

riki 昨年7月に放送された番組の再放送。昨日録画したのを今朝観ました。大変面白かった。
 力道山は私が生まれる前に亡くなりました。というか、ちょうど私が母の体内に宿ったころに亡くなっているんですね。翌年の夏、私が生まれています。ですから、私は力道山世代とは言えません。その後の馬場猪木を見てプロレスに憧れた世代です。
 今回は力道山の出自など、いわば彼の「影」の部分については全く語られておりませんでしたが、まあそれは仕方のないところですかね。しかし、そんなことはどうでもよくなるほど、この番組では、力道山の「光」のまぶしさに目がくらむ思いがしました。
 一言で言えば、やはり「プロモーター」ですね。「前に動かす」ということです。出自からしてそうなのでしょうが、彼は一見マイナス材料と思われるものをも、実に能率的にプラスに転じてしまう。おそらくものすごく頭のいい方だったのでしょう。日本中、世界中を駆け回り、あらゆる情報を吸収し、それを吟味調合して吐き出す。その積極性には本当に学ぶべき点があると感じました。また、その基本にあるのは、単なる山師的発想ではなく、人を楽しませたいという、エンターテイナーとしてのサービス精神であったようです。
 ちょっと前にも書きましたけれど、entertainとは「仲」を「とりもつ」、「仲」を「持続させる」というのが原義です。プロレスという芸(あえてこう言いますけど)は、まさにお客さんとの対話。時代の要請との対話であります。そういった普遍的な「芸」の世界を、プロレスという現代的なメディアで表現、いやそのメディア自体を作り上げてしまったんだな、とにかくその才能には驚嘆するばかりです。
 私は、そういう意味で、現代のプロスポーツ界に苦言を呈したいのです。プロのプロたるゆえんとは何なんでしょう。ただ結果を出せばよいのでしょうか。ただ、このデジタルな時代の象徴であるだけで、ちっとも時代を作っていないと思うのですが。つまり、ニーズには応えているかもしれませんが、対話になっていない。
 この番組では、いろいろな関係者の方々の言葉を聞くことができました。中でも、やはり私の尊敬するレスラーの一人である次男の百田光雄さんと、尊敬する作家であり先輩である村松友視さんですね。お二人ともある意味、古き良き昭和を感じさせますね。
 百田選手は、あまりに偉大な父を持って、それはそれは辛かったこともあったでしょう。なにしろ、その偉大な父と同じ職業を選んでしまったわけですから。私からすると、今は見事にお父上を越える名レスラーになられたと思いますよ。大好きです、百田選手の試合。燃えてかつ心が癒される。
 村松友視さんの語り口もいつもながら面白かった。木村政彦、ルー・テーズ、デストロイヤーと力道山の試合についての言など、そのまま小説になりそうでした。この人はなんでもドラマ化してしまう天才。というか、こうでないと作家にはなれませんね。あの意味古くさい小説家さん。
 お二人ともデジタルでは割り切れないんですよ。アナログなカリスマ性。そう、それが昭和の、いや昭和までの日本の良さでありました。もちろん力道山も。

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2005.09.04

中国製ダブルケース(ヴァイオリン&ヴィオラ用)

S0041 市場経済の功罪について、いろいろと考えることが多いこの頃です。その罪の部分については、いずれ書くことになると思います。しかし、それはあくまでも頭の中のレベルの話でして、実生活のレベルでは、やはり功の恩恵にあずかることがほとんどなわけです。特にインターネットが、経済活動の機会の不平等を一気に減少させた(つまりは市場が拡大したということにほかならないのですが)のは、やはり歴史上革命的な出来事だったと思います。
 今回手に入れたこのケースは中国製です。先週、ヤフオクで落札し、一週間かからず国際郵便で届きました。送料込みで15000円でした。もちろん新品です。
 実は、楽器の世界、数年前まではほとんど市場原理の働かないジャンルでした。もちろん、楽器のオークションというのは昔からありますよ。でも、その形態は市場経済の象徴そのものですけど、そこで決定される価格がはたして適正なものであるか、それは別の話でした。ほとんど美術工芸品ですから。
 で、そういう夢の世界の話ではなくて、我々一般人が手にする楽器や楽譜なども、どうも適正価格とは思えないものばかりが流通していました。そこで価格破壊が起きたんです。
 それはちょっと違うよ、あんたが特殊なんだよ、と言われるかもしれませんが、私がコンサートで常用するモダンヴァイオリンは2万円ですし、チェロは3万円、最近買ったビオラの弓は4000円、宴会で使う三味線は2万円です。ちょっと前までなら、一ケタ違ってもおかしくなかった。私はそれで充分満足しています。弘法筆を選ばず…ってか。あっ、ちなみにバロック・ヴァイオリンはイギリスの名工故デイヴィッド・ルビオさんに作ってもらったものなので、それなりに高いっすよ。これは末代まで伝える家宝なので、まあ良し。
 で、今回買ったダブルケース(コンビケース)は、今までなら日本製、フランス製ともに安くても6万円近く。平均すると7万円以上していました。これはどう考えても適正価格ではありません。数百万円の楽器を買うついでに7万円のケースを買うというのはよくあることです。ある種の錯覚が生じているわけですね。でも、私は2万円の楽器を入れるわけですから、それに7万円かけるというのは、本末転倒というか、主客転倒というか、なんか心理的に抵抗がありました。だいたい、あの程度の工作品が7万円とは…。
 私はだいたいヴァイオリンとヴィオラ両方を担当することが多いので、移動の時は、二つのケースを持ち歩かねばならず、けっこう不自由しておりました。誰かのダブルケースを見るたびに、いいなあ、ほしいなあと思っていたんですよね。でも、とにかく高くて手が出なかった。
 それで今回ようやく納得の価格の製品に出会ったというわけです。まあ、価格が適正なのかどうか、まだ多少疑問も残りますが、いちおう、本末転倒ではない価格バランスですね。品質もぜ〜んぜん問題なしですし。
 みなさんも楽器屋さんに行く前に、まずはネットをのぞいてみるとよろしいかと。

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2005.09.03

うる星やつら 第101話 『みじめ!愛とさすらいの母!?』

hgffkbn11 ひさしぶりにうる星やつらネタです。
 今日BS2で放送された『みじめ!愛とさすらいの母!?』は、非常にシュールで面白かった。何度も申しているように、私は今回の再放送でうる星初体験です。だいぶ遅れてます。
 しかし、以前の記事(うる星全般ニャオンの恐怖決死の亜空間アルバイトビューティフル・ドリーマー)を御覧になると分かると思いますが、けっこう大人になってからの初体験でわかることというのも多々あるわけです、ハイ。
 今回の『みじめ!愛とさすらいの母!?』に対するファンの方々の評価というのはどんなもんなんでしょうね。とりあえずは、本放送を見た子どもはワケわからなかったのではないでしょうか。私は『ビューティフル・ドリーマー』を観た後でしたし、いちおうかなりな大人になっていますので、興味深く観たのですが。
 まずは、原作チェックを…ん?ああ、これってアニメオリジナルなんですね。どうりで押井色しか感じられなかったはずだわ。導入のあたるの母の独白の脚本からして、完全に押井さんの言語センス満載ですからね。こりゃ高橋留美子も呆れるはずだ。こういう実験的なことを、超人気番組で平然とやってしまう、やはり時代性ですかね、ちょっとうらやましい。
 そうすると、この作品は『ビューティフル・ドリーマー』のプロトタイプとしてとらえていいということでしょうか。テーマはもちろん、映像的にも『ビューティフル・ドリーマー』につながる表現を見つけることができましたし。
 押井さんがこだわる、夢と現実の関係。以前書いたように、それを夢物語メディアであるアニメで表現しているところが、彼の面白さであると思います。特に、あたるの母が逆襲に転じて語る言葉、「今そこにそうしているあなた自身、誰かの影でないとどうして言えるの。そう、もしこの部屋が私の産物なら、あなたを作り出したのも私かもしれなくってよ」…こうした不安というのは誰もが持っているものです。自分自身の不確かさに目をつぶる私たちに、アニメを通して問題提起してくれます。
 ソシュールが語るごとく、この世のもの全ては、誰かに認識されないと存在し得ないものだとしたら…。私はその考え方を否定する立場の人間ですが、やはり、その可能性も予感しているわけです。だから、ちょっと恐い。恐いから否定するのかもしれません。
 そういう観点からすると、この作品のもう一つのテーマと思われる「あたるの母のあたるへの愛情」もより鮮明に浮き彫りにされてくるのがわかります。『ビューティフル・ドリーマー』では、ラムちゃんのあたるへの愛情が邪魔者を消していきました。今回の作品では母のあたるへの愛情が、父やラムを消していったわけです。そう言えば、少し前に放送された『そして誰もいなくなったっちゃ!?』では逆説的にそういうことが表現されていましたね。あそこでは、夢ではなく「やらせ(お芝居)」だったわけですけど。とにかく、現実で邪魔者を消すのは犯罪になりかねない。しかし、夢やフィクションではそれが可能になるわけです。記号の消去。
 夢と現実の多層構造、また愛情の自己中心的な性質、永遠性と刹那性。そしてそういうものたちが最も鮮明に純粋に現れる幼少期の記憶。こうした変わらぬテーマが、押井守の作品世界に底流していると思われます。なんて、まだ観てない作品がた〜くさんあるわけですけど…。まあ、私の独言ということで。
 あっそうだ、あと今回の作品、個人的には、バーゲンセール会場での「あしたのジョー」パロと、プロレス技の大変優れた描写に感動いたしました。

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2005.09.02

浜崎あゆみ 『Duty』

B000059O85 音楽ネタが続いてますね。ジャンルはメチャクチャですけど。
 今日の授業は詩人浜崎あゆみについてやりました。私は彼女のこと、100年に一人の天才詩人だったと思っています。
 浜崎あゆみについては、彼女が歌手になる以前から、注目しておりました。つまりこちら、「渚のシンドバッド」ですね。あっ、天才女優だ!と思った。で、その後は歌手として、デザイナーとして、プロデューサーとして、そして何と言っても詩人としての彼女の才能に驚くことになりました。
 彼女のアルバムはほとんど聴いていると思いますが、ワタクシ的にはやはり最高傑作はこの「Duty」(2000年発売)です。このアルバムの詩(あえて歌詞でなく詩と書きます)は、全体にものすごい力を持っています。繊細であり、しかし力強い。美しく、そして激しい。古くて、同時に新しい。現代詩の系譜の上で忘れるべからざる存在であると真剣に考えています。
 このアルバム、音楽的にもなかなかの名曲ぞろい、20世紀の掉尾を飾るにふさわしい出来でありますが、やはり詩のすごさですね。彼女の思想と言語感覚。当時21歳ですか。単なるアイドルとは完全に一線を画しています。
 彼女の詩に対する、私の基本的な解釈の姿勢は、全ての人称を一人称に読み替えるというものです。つまり、「あなた」とか「きみ」とか、あるいは「ぼく」などを全て「浜崎あゆみ」として読むというものです。これは、詩の世界ではよくある手法(作り手にとっても、読み手にとっても)ですね。彼女の詩は、そういった文学の方法を余裕で受け入れ、そして、それによってさらに成長していく素質を持っています。
 今日の授業では、時間の関係から、「vogue」「SURREAL」「Duty」の3曲を選んで学習しました。その内容をちょっと紹介しましょうか。
 まず「vogue」。これは明らかに自分を歌ったものですね。これを入り口にアルバム全体を解釈してゆくことができます。それにしても、商品としての自分に「もののあはれ」を感じるあたり、すでに達観していて恐ろしいですね。そして、その達観の末に「君を咲き誇ろう」という結論に至る。人類史上初めて「咲き誇る」を他動詞として使い、そしてそれを一瞬のうちに自然な共通イメージにまでしてしまう、このセンス。絶句です。ただ、詩全体としては比較的普通のレベル。
 次、「SURREAL」。これも、暗示されている誰かや、「あの人」「君」などを一人称として読むと、過去の自分とのダイアローグが明確になってきます。ちなみに最後の2連では、「私」が過去の自分、「君」が現在の自分だと思うのですが。楽曲の作りもそう考えると納得できますよ。菊池一仁さんもいい仕事してますな。それにしても、厳しい詩ですね。アイドルのヒット曲の歌詞の次元ではありません。
 そして、タイトル曲「Duty」。これは深い解釈が可能ですよ。時間と現象の本質、つまりは因果の法を説いてます。たしかに「義務」ですな。しかし、それを直視できない私たちがいます。「君」はもちろん浜崎自身とも言えますが、ブッダの次元で言えば(!)、我々人類、いや一切の衆生を指しているのかもしれません(笑)。
 半分冗談みたいになっちゃいましたけど、とにかく彼女は「過去」を非常に大切にしていることがわかります。それは私たちには分かり得ない「過去」でありましょうが、そこを直視し、また愛おしむ姿勢には、大いに学ぶべき点があると思います。
 さて、このアルバム以降の浜崎、つまり21世紀の浜崎は、ややパワーダウンしました。詩の世界もやや平坦になりました。作曲も手がけるようにはなったものの、そのクオリティーは高いとは言えません。しかし、私はそれで良かったと思っています。あの世紀末の鬼気迫る、身を削っての表現作業を続けていては、それこそ太宰治の二の舞いになってしまいます。彼女にはもう一度芝居をやってほしいですし、彼女の書いた小説も読んでみたい。彼女のデザインしたモノも手にしてみたい。だから、長生きしてほしいのです。佳人薄命で終わってほしくないわけです。

Amazon Duty

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2005.09.01

アストル・ピアソラ五重奏団 『レジーナ劇場のアストル・ピアソラ1970』

Astor Piazzolla y Quinteto 『Piazzolla en Regina』
B000056605 今月17日に(ってもうすぐじゃん!)約1年ぶりにピアソラ中心のコンサートをやることになりました。クラシック系の音楽家の新しいレパートリーとして、すっかり定着した感のあるピアソラ。しかし、チェンバロとヴァイオリンという組み合わせはそれほど実現していないのではないでしょうか。
 今回は昨年弾いた定番「リベルタンゴ」と「天使のミロンガ」に加え、名曲として知られる「ブエノスアイレスの四季」を演奏する予定です。ちなみに「リベルタンゴ」は今回始めたばかりのチェロで弾いちゃおうかな(って大胆なんだから)!
 で、実は「四季」はちゃんと「四季」として認識して聴いたことがなかったのでありまして、まずはいきなり楽譜を頂戴して弾いてみたものの、やはりしっかりとしたイメージ作りをしておかないとお客様にも楽曲にも失礼なので、急いでCDを注文しました。
 当然、ピアソラ本人の演奏がいいですよね。それで結局このライヴ盤を購入しました。聴いてみまして、とにかく感心、感動。カッコいいっすね。オシャレでエキサイティング。天才音楽家としかいいようがないですな。
 ピアソラの楽曲は、やはり伝統的なタンゴの語法と言うより、クラシックの語法に近い。特にバロック音楽の影響が色濃く感じられます。楽譜づらがもうすでにバロックしてますし。また、楽譜と実際の演奏との関係においても、バロックに非常に近い。だから私たちバロック畑で経験を積んでいるものにとっては、けっこうとっつきやすいのです。しかし、実際やってみると、これがねえ…。
 ある程度形にはなるんですよ。それは楽曲が本当にしっかりしているから。バッハなんかもそうですが、まあ楽譜通り弾いてもなんとか聴ける音楽にはなる。しかし、そこからが難しいんですよ。
 今回はバッハとコレルリも演奏します。コレルリのヴァイオリン・ソナタも、非常にシンプルにしかし完璧に作られています。そして楽譜通り弾くことは許されない。あ〜、難しい。時間もないしなあ。とにかく頑張るしかありません。
 そんな感じですので、このCDをよく聴きこんで、ピアソラやアグリの演奏から多くを学びたいと思っております。なんて、ホントはアイデアを拝借するのでした(笑)。
 ところで、ふだんはバロック・ヴァイオリンを弾く機会の多いワタクシでありますが、このピアソラに出会ってから、モダン楽器もいいもんだなあ、と思うようになりました。特にピアソラを弾くと、自分の中の何かが解放される感じがします。自分でもビックリなのですが、泣きのヴァイオリンというのが意外に得意なようなのです。もともとモダン楽器から入った人間ではありませんので、いわゆる語るような弓遣いというのが、純正のクラシックではない、つまりちょっと生活臭のする俗っぽい音楽に向いているのかもしれません。
 この前のブルーグラス(カントリー)もそうですけれど、とにかく、この歳になって新しい演奏領域ができたこと、本当にうれしく思います。ありがたや、ありがたや。やっぱり縁は大切です。

Amazon レジーナ劇場のアストル・ピアソラ1970

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