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2005.08.08

塩山 向嶽寺(山梨県塩山市)

SNY061 衆議院解散ですかね。政治家は大変ですね。夏休み返上で票集めですか。こちらはそんな世界とは全く関係ない、俗世を離れたところに行ってまいりました…と思いきや、今も昔も利権争い、派閥争いは大変だったのかなあ、ということに思い至っちゃいました。
 臨済宗向嶽寺派総本山である塩山向嶽寺を訪ねてまいりました。いちおう仕事です。今生徒と調べていることがありまして、その関係です。
 私はたぶん2年ぶり。計10回はうかがっているのでは。やはりいつお参りしても美しいお寺さんですなあ。禅宗の専門道場特有のたたずまい。6月に訪れた岐阜の正眼寺さんで感じた空気と全く同じでしたね。今回も、突然お邪魔したのにもかかわらず、雲水さんにとても親切にしていただきました。ありがとうございました。
 以前も書きましたけれど、山梨県、つまり甲斐の国は、古代には生黄泉(半黄泉)の国なんて呼ばれたり、中世には流刑地(!)になっていたりしながら、宗教的にはかなり重要な位置を占めております。ワタクシ的(ちょっと網野さん的)に言えば、そういう土地柄(座標と自然環境)だからこそ、政治家としての僧や神官の暗躍(失礼!)が可能になったということでしょう。
 実際、当地に残る古文書類には、特に南北朝時代における南朝皇族とのゆかりを語るものが多い。甲斐という山国に住む山の民軍団やら落人軍団やらと、吉野をつなぐパイプ役は、たいがい雲水の姿をした高僧が担っていたと想像されます。まあ、あんまり妄想を広げすぎると、歴史ではなく文学の世界に行ってしまいますから注意。網野先生もそのあたりは充分注意されていたようです。
 とは言え、私はどちらかというと文学畑の人間ですから、無責任に妄想しちゃいますと、例えば向嶽寺を創建された抜隊和尚や、向嶽寺の8世であり、かつ私の奉職する学校の母体である月江寺の開祖でもある絶学和尚も、宗教的なステージはもちろん、政治的にもかなりのステージにいらっしゃったように感じられます。臨済宗向嶽寺派は、南朝や後南朝にとって、非常に重要なネットワークであったのではないでしょうか。今日訪れた向嶽寺の山門脇には堂々と「後亀山天皇勅願」の文字が刻まれていました。
 近くにある武田信玄の菩提寺として有名な恵林寺は、南朝寄りの夢窓国師創建のお寺ですが、その後は足利氏や武田氏の介入によって、反南朝になった時期もあるようですね。ちなみに月江寺はもともとは向嶽寺派。しかし、現在では恵林寺と同じ妙心寺派になっています。いろいろと調べてみますと、江戸時代のはじめころに、妙心寺派がかなり積極的に全国チェーン展開をしています。その背景には、やはり徳川家との結びつきを強化したいという政治的な思惑があったようです。で、月江寺もいつのまにか妙心寺派に。他の地域では、けっこう過激な乗っ取りなんかも行われていたようで、その生々しい派閥勢力争いにびっくりします。禅宗の世界でもそんなんだからなあ。
 向嶽寺さんと恵林寺さんのたたずまいは対照的です。どちらがどうというような野暮なことは言いませんが、お参りすればよく分かると思います。宗教的に、あるいは政治的に、または商業的に、どちらが優れているとか、勝ち組とか、そんなことはとても言えませんけれども、両寺を続けてお参りすることによって、古代から現代まで伝わる日本の社会の何かが見えてくると思います。
 あくまでワタクシの趣味ではありますが、私は向嶽寺さんが落ち着きますね。

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コメント

 以前牧丘町を訪れたとき、恵林寺にも行きましたが、さっぱり記憶がありません。そのそばの豆腐店の巨大豆腐だけ覚えています。今度は向嶽寺をぜひ訪れてみたいと思います。
 いま、大河ドラマでは今川方の政僧が登場し、暗躍してますね。

投稿: 貧乏伯爵 | 2007.02.12 10:19

伯爵さまこんにちは。
恵林寺さんもいいんですけどね…なんとなく私の趣味は向嶽寺さんです。
私の「禅」のイメージがそんな感じなんですね、きっと。
いずれにせよ、昔のお坊さんってけっこう政治的、軍事的な存在だったようです。
たいがい全国ネットワークですしね。
そういう研究は、歴史学界でも宗教学会でも遅れてるようです。
やっぱりイメージを崩したくないんでしょうか。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.02.12 11:42

現代にしても、三島の龍澤寺の山本玄峰老師は戦後日本の政治に大きな影響を与えたようですね。妙心寺派の伝統ですか。

投稿: 貧乏伯爵 | 2007.02.12 17:48

伯爵さま、よくご存知で。
龍澤寺は我が心の師が修行されたお寺です。
政治に口を出すのは妙心寺派の伝統だと思いますよ。
「良き」か「悪しき」かはここではコメントできませんが(苦笑)。
ま、なぜ妙心寺派がここまで巨大になったか、ということですね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.02.12 17:58

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