吉田の火祭り 2005
台風一過の好天のもと、吉田の火祭りが行なわれました。
昨年は、どうもよくわからん祭だ、みたいなことを書いてますね。
今年は、知りあいのお宅におじゃまして、火入れの儀式から見させていただきました。本町通りの大松明とは別に、上吉田地区の一般家庭でも、松の木を井げたに組んで、そのてっぺんに油脂たっぷりの松の木片を乗せて点火します。その火勢が安定してきたころ、ちょうど日はどっぷりと暮れて、いよいよ祭り本番というムードになってきます。メインストリートの方からは、賑やかなお神楽の音が。遠く南方には、富士山の登山道の灯が数珠のように連なって天に昇っていくのが見えます。
浅間神社から御旅所に降りてきた神輿と山形にお参りして、大松明と屋台の延々と並ぶ本町通りに出ました。今年は、台風の後ということで、松明が湿気を含んでいるのか、いつもよりは火に勢いがなく、そのおかげで、火の粉を頭からかぶったり、崩れ落ちる火の塊に襲われたりすることもなく、安心して歩くことができました。あいかわらず人は多いですね。外国の方もたくさん見かけますが、いったいどんな印象を持つのでしょうか。
ひととおり、子どもたちの欲望を満たして、再び知り合いのお宅の庭でたいそうなご馳走をいただきました。お客さんとしてのではなく、こうして地元の生活に根ざしたお祭りの風情を味わうことができたのは、本当にありがたいことでしたね。
ところで、先日、卒論で「火祭り」を取り上げるという教え子が私にアドバイスを乞いに来ました。彼女は吉田というコミュニティーと火祭りとの関係を考えているということでした。いろいろと話をしたんですが、結局は不思議な祭りであるということに思い至ります。鎮火の祭りになぜ「火」なのか。たとえば水ではないのか。まあ、あんまりネタばらしはできませんけれども、この前なまはげについて書いたことと共通するような気がしました。神様の怒りの火(それはもっとリアルに言うと、コノハナサクヤ姫の嫉妬の炎なわけですけど)を鎮めるために、結局は神様におべっかを使うわけです。「そうそう、わかります。あなたのお怒り。ご主人もひどいですよねえ。まったく男ってのは…」という感じでいっしょに炎を燃やしちゃうんですよ。それで、なんだか神様の怒りがおさまってしまう。自分より強い相手のご機嫌取りの常道です。それが神道の心得。西洋的な方法論ではありませんね。
そんなふうに考えると、ただ単に火が燃えているだけであることの、そのシンプルな祭り上げの姿というものが、やはりそれ以外の形でありえないということに気づくのです。神様の最も喜ぶことだけをしていればよろしい。そして、松明が自然と熾火になり、翌朝には冷たい炭と灰になっていく。その時、神の怒りもおさまっているのです。単純ですが、やはりそれ以外にありえない、実に美しい祭りなのかもしれません。吉田のみなさん、ありがとうございました。
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