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2005.06.30

独眼流立体視の術

 私はあんまり教科書を使わない教師です。こんなこと宣言するとその筋からお叱りを受けそうですね。まあ、理由やら何やらは面倒ですから書きません。これをお読みの方にはほとんど関係ありませんしね。
 ただですねえ、年度の最初の授業では、私も生徒も教科書をなめるように見るんですよ。あっ、読むんじゃなくて見るですよ。それはですねえ、だいたい国語の教科書というのは、最初にキレイなカラー写真が載ってるんですよ。記憶おありでしょう。今一年生で使っている教科書の写真はいいですよ〜。特に漢文パートの「泰山」とか「楓橋」とか。それをみんなで、オーとかハーとかアレーとかいいながらなめるように見るんですよ。そして、私のフツウでないイリュージョン授業が始まるわけです。
 いや、幻惑するのが目的ではありません。逆。幻惑から解放してあげるのです。つまり、世の常識やら既成概念やら思い込みやら何やらから解放するのです。それがその人の人生の充実…まあ簡単に言えば、毎日楽しく生きるってことですな…を実現する手っ取り早い方法だからです。
 それでは、なぜそのために教科書の最初の写真の凝視なのか。それは、こういうことです。
 生徒たちは、あの写真たちを片目で見ています。そしてオーとかなんとか言うのです。実は、彼らの目には、いや脳には、見事な奥行き感を持った3Dの「泰山」や「楓橋」が広がっているのです。もうそこで常識が崩れる。さらに世界史の教科書を出してこさせて、とどめです。
 普通、私たちの常識は、両目で見るから立体感を得ることができる、と思い込んでいます。また、写真は平面であるから現実のようなリアルな立体感は得られない、とも思っています。そうですよね。でも実は、片目で写真を見ると、驚くべき立体感を味わえるのです(10人に一人くらい「わかんな〜い」というのがいる)。
では、皆さんにもやっていただきましょう。この写真をクリックして大きくしてみてください。
qw1
 最初は両目で見て下さい。まあ狙ったような構図ですから、それなりの立体感はあるでしょう。次に片目で見てみてください。そして、脳に思い込ませる。(丸太がこっちに向かって来る…)(子どもの後の風景は10メートルくらい向こうにある…)ほら、どうですか。ものすごいリアルな立体感でしょう。はい、次。
qw2
 秋桜はもちろん、湖面の奥行き感とか、バックの山々などにも注目してください。ちょっと行きすぎ、はりぼてのような立体感ですらあります。ホントはパンフォーカスだともっと楽しいんですけど。まあ、初歩としてはこれはなかなかいい写真です。はい、次。
qw3_2
 見れば見るほど一本一本の木の前後関係がはっきりしてくる。どうですか。面白いでしょう。
 なぜ、こういうことが起きるのか。それが生徒への課題です。皆さんも考えてみて下さい。最近ではこの原理を利用してケータイの3Dアプリを作っているところもあるとか。南伸坊さんも何かで書いてました。私はこのことを少年時代に父から教わりました。たいそうビックリしたものです。父は自分が発見した方法だと豪語しておりましたが、ホントのところどうなんでしょう。
 ちなみにこの立体視、なぜか写真が鮮明であればあるほど、リアルになります。それで、面白いのはハイビジョンテレビです。普通のテレビだとイマイチなのですが、ハイビジョンになると、がぜん効果が増します。つまり、全ての放送、例えばスポーツ中継なんか、動画で立体ですから、ものすごい臨場感であります。皆さんもとりあえず、手元にある厖大な数の写真を片目で見直してみて下さい。驚きの連続ですよ。あと、絵画ですね。広重なんか最高です。
 さあ、こんな具合に、世の中には意外な事実が潜んでいます。それを発見して楽しめる、そういう視点を持てるよう、生徒たちにいろいろなこと(余計なこと)を教えていきたいところですね。まあ、そんなことばっかりやってるんで、生徒がみんなお変人になっていくのか…。

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2005.06.29

『バッハ以前のドイツ室内楽』 ムジカ・アンティクワ・ケルン

『Deutsche Kammermusik vor Bach』 Musica Antiqua Koln
2723078 今日は楽しかったですぞ。考えてみると、かなりマニアックな事態です。
 ご近所のチェンバリスト森洋子さんのお宅に、ベルギーから一時帰国しているヴィオラ・ダ・ガンバ奏者村田りかさんが遊びにいらしてまして、そこに私がお邪魔して、急遽アンサンブルする運びになりました。本来は、村田さんの日本帰国計画についていろいろとお話するのが目的だったのですが、お互いの自己紹介もままならぬ内に、大初見大会が始まってしまいました。音楽家どうしというのは恐ろしい(笑)。
 演奏した曲は、私が寸前にここからダウンロードした「ブクステフーデのトリオソナタ」。もうその時点でマニアックすぎます。考えてみれば、このド田舎にチェンバロとガンバとバロック・ヴァイオリンと、それぞれの奏者と、ブクステフーデのパート譜がそろっていることがあり得ない!縁とは不思議なものであります。
 さて、こうして奏でられた音楽は…。う〜む、面白い。私以外のお二人はプロとは申しましても、いきなりのブクステフーデはきついですよね。それでも何曲か弾ききっちゃいました。今日は妙に湿度が高いこともあってか、みんな汗だく。ほとんどスポーツですね。
 ブクステフーデ、私は昔から結構好きでして、オルガン音楽やカンタータなどよく聴いてきました。バッハが尊敬していたというだけあって、なかなか安定感のある音楽を構築しています。今日もみんなで話しましたが、やっぱりドイツっていう感じなんですよね。ちょっとキチッと作り込み過ぎているところもある。もちろん、それは民族的趣味の問題ですから、全然OKなわけですけど。
 あと、弾いてて感じたのは、これはプログレしてるな、と。先ほど述べた構築感もそうですし、意外な動きをするメロディーや和声、テンポ、劇音楽のように急変する風景。これはプログレだ。かっこいい。
 それで思い出したのが、このプログレをロックしちゃった名演奏、名盤です。知る人ぞ知る、知らない人は全く知らないであろう、ムジカ・アンティクワ・ケルンの1982年の録音です。グラモフォン・アウォードを獲得したこのアルバム、バッハ以前のドイツの渋い作曲家たちに新しい光を当て、いきなり超個性的な解釈で現代に甦らせたものです。3枚組のアナログレコードの中で取り上げられている作曲家は、ブクステフーデ、パッヒェルベル、ラインケン、ローゼンミューラーなど。バッハの影に隠れさせるにはもったいない優れた作品のオンパレードです。
 若かりしころの私は、MAKの演奏が大好きでした。ロック上がりだからでしょうか、お行儀のよい演奏より、ちょっと過激なくらいの演奏の方に萌え、いや燃えちゃいました。このころのMAKのメンバーはものすごいですからねえ。いわば、キング・クリムゾンみたいな感じ。メンバー交代の感じやら、出ていった人間の活躍ぶりなど、まさにロックしてますな。
dg4767890 で、このアルバムはその後CDとして一部がリリースされたりしましたけれど、それもお蔵入りになっているようで、なかなか手に入りませんでした。私も最近はアナログレコードを聴く機会が減ってしまいまして、その全貌は記憶の中で鳴り響くのみ(とは言ってもかなり鮮明に鳴ってますが)。
 と思いましたら、偶然来月CDが再発売になるようです。1枚ものですから選集になるのでしょうが、再び彼らの名演奏が手に入りやすくなるというのは、うれしいことです。最近思うんですよね。バロックってもっと劇的なんじゃないかって。だから、ゲーベルの解釈はゲテモノではなくて、実は真相に近いのではないかと。
 地下室からレコードを引っ張り出してこようかな。今聴きなおせば、また違った感動があるのでは。彼らは先を行きすぎた天才だったのでは。ホント、ロックしてますな。
 あとは、村田さんご夫妻(ダンナ様はイタリア人の楽器製作者さんです)の富士山移住を実現させ、我々のブクステフーデのトリオソナタ全曲演奏の方も完結させたいですね。

Amazon 『German Chamber Music before Bach』

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2005.06.28

Def Tech 『Def Tech』

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 先にいいことを書いておきます。予想外に楽しめました。けっこういいですよ。
 ずいぶん人気ありますねえ。これから夏を迎えるにあたって、ますます巷に彼らの音楽が流れることでしょう。
 生徒が貸してくれたのですが、まあMy Wayだけは知っていました。この曲についてはノーコメント。はっきり言って、またこれか、という感じでした。わかる人にはわかると思います。つまり、ベースラインが「ドシラソ」です。まあ、いいや。日本人はコテコテが好きだから。バッハもビートルズもたくさんやってるし。ただ、メロディに対するプライドがないのが多すぎるんですよね、ここのところのJ−POP。あっそうそう、そんな中、Salyu(小林武史)の「彗星」は久々に良かった。
 というわけでDef Tech、全体としてもあんまり期待していなかったんです。単なるhip-hopだと思ってましたから。そしたら、ちょっと違うじゃないですか。iTunesではジャンルreggaeになってるし。
 メンバーの一人Shenは中国生まれのハワイ育ち。もう一人のMicroは純日本人のサーファー。そんな彼らの音楽は予想以上にクロスオーバーでした。彼らは自分たちの音楽を“JAWAIIAN REGGEA”と読んでいます。つまり日本とハワイとジャマイカ。それにhip-hopですからアメリカもミックスですか。こう聞くと、なんとなくキワモノっていう感じでしょう。でも、実際聴いてみると、意外に自然なんです。聞こえてくる音楽が自然というよりも、彼らの姿勢が自然なのでしょう。ミックスして新しい音楽を作ろう!なんて力んでいません。好きな音楽をやってみたらこうなりました、みたいな感じ。
 もちろん私のようなオジサンが聴き込むような音楽ではありませんけれど、まあ、夏場のBGMとしてはけっこう上等ではないでしょうか。もともとそういう雰囲気音楽でありましょうし。
 歌詞も見てみました。見たんですよ。聴いても聴きとれないので。7割英語3割日本語でした。これが功を奏しているのではないでしょうか。いつかも書いたように、開音節の日本語はラップになりにくい。単なるマシンガンになってしまうのです。その点、もちろん英語は音符のリズムにきれいに乗ります。だから変化も表現しやすい。ちなみに歌詞の内容は、とってもワールドワイドな愛と平和という感じでして、オトナの私にはちょいとこそばゆいものがありましたけれど、若者がこういうことをあっけらかんと歌うということ自体は悪いことではないと思いました。
 いずれにせよ、ふだんあまり聴かないタイプの音楽でしたので、妙に新鮮な感じがしましたね。彼らのように自然体で、今までの音楽のカテゴリーを乗り越えていくミュージシャンが勝ち組になるのでしょう。そのためにはやはりコマーシャリズムに呑み込まれないことです。難しいことですけどね。
 最後に、1500円は安い!というか適正価格だ!下のオフィシャルで試聴してみてください。1500円の価値は十分あると思いますよ。
 
Amazon Def Tech

Def Techオフィシャル

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2005.06.27

『最新図説 現社』 (浜島書店)

SA0231 世の中の大人って、どのくらい社会のことをわかっているんでしょうか。政治、経済、福祉、税金、年金、保険、宗教…いろいろ。実はニュースを見てもよくわからないことが多いのでは。イラクのこと、パレスチナ問題…。密かにこどもニュースを見て勉強したりとか。かく言う私も、仕事がら知ったかぶりをすることが多いわけでして、実はよくわかってないことを、得意のハッタリでごまかしてる、なんてことが日常茶飯事です。
 それでも、国語科小論文担当という役得で、何かと必要に迫られて調べることも多い。さらに、ここ数年は補習の名目で現代社会の授業も担当しております。実は今も2時間ほど講義してまいりました。センター対策ってやつですね。
 で、そこで私がテキストとして使っているのが、この資料集です。この資料集は、生徒にとってもなかなか良き内容なのですが、実は世の大人たちにとっても非常に有用であろうかと思われます。少なくとも私にとっては、テキストであると同時にバイブルでもあります。正直、世の中のことを知らなかったワタクシ(先生の典型ですな)は、この資料集によって、かなり一般常識というやつを身につけさせていただきました。たしかに高校時代、政経は得意な方でしたけれども、それ以来ウン十年、ろくに新聞も読まず、ニュースも見ずやってきましたから、最新の情勢にはうとい。特に学校という浮世離れしたところにいて、国語なんて古くさいことをやっていると、完全に世界から取り残されます。
 この資料集、写真やイラスト、グラフや図表などが満載、さらにそれを上回る文章量を備えております。これ一冊眺めていれば、まあ社会人として恥ずかしくないくらいのコモンセンスは身に付くでしょう。
 多少説明不足や誤植と思われる部分もありますけど、かなりの充実ぶりです。こういう本って実は世の中に必要ですし、実際密かにほしいと思う大人たちがたくさんいると思います。しかし、意外にこれほどまとまった書籍は本屋さんにはありません。いや、大の大人が本屋さんでこういう本を買うのは、ちと気恥ずかしい。だからこそ、この資料集をネットで買ってもらいたいわけです。私は必要に迫られて何回も読んでいますけれど、ホントにやっとまともな大人になったような気がします。その歓びや感動を素直に生徒に伝えているつもりですよ。あんまりかっこよくないかもしれませんが。
 もちろん、高校生対象ですから、広く浅くではあります。でもそれすら知らなかったことをここにカミングアウトしつつ、同じ穴のオトナのみなさんに強くおススメいたす次第であります。はい。

Amazon 最新図説 現社

浜島書店

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2005.06.26

フィアット パンダ (4)

 パンダに笹を与える娘
(鳥海山大物忌神社にて)
sasapanda1 初めての長距離ドライヴでした。結論から言いますと、パンダは非常に快適でありました。
 金曜日の夜6時に富士山を出発。ホントはいけないんですけど、9時ごろになって、後の座席を倒してそこに布団を敷き、カミさんと二人の娘は寝ちゃいました。よくあのスペースに3人寝られるよなあ。結局彼女たちは朝の6時過ぎまで熟睡してました。なかなか快適であったようです。私も途中何度が眠気に襲われまして、運転席の方に上半身、パーキングブレーキにおしり、助手席に下半身、という具合に横になって、合計2時間ほど寝ました。パンダはシフトノブが前方の高いところにありますので、こういう寝方をする際にはジャマになりません。
 あっ、ドライヴのコースですけれど、秋田のカミさんの実家に行くときの、いつものコースです。富士山から、精進湖線で甲府南インターまで走り、そこから中央道、長野道、上信越道、北陸道と高速道路を乗り継ぎ、新潟の中条インターまで行きます。そこからは基本的に7号線を北上していきます。高速400キロ、一般道250キロくらいですかね。
 高速道路でのパンダですが、5足100キロ巡航でエンジンの回転数は2800回転。トルクの山に乗っている感じで、中央道の上り坂でも力強く上っていきます。このエンジン、とにかく低速トルクが太くていいですね。渋い。エンジン音は意外なほど静かです。ロードノイズの方が気になります。まあ、中央道ってそういう道ですね。前乗っていたプントも静かでした。100キロで2100回転なんていう信じられないハイギヤード仕様(もちろんCVTの設定なわけですが)ですしね。そんなプントにも負けないパンダの静かさでした。みんなよく寝るはずだわ。
 直進安定性も良。これはプントよりも良かった。タイヤのおかげかな。そう思いたいところです。
 シートはプントよりも柔らかめですが、片道10時間以上の運転でも、ほとんど疲れませんでしたね。さすが椅子の国イタリアです。そこは大衆車でも一味違いますね。日本車じゃ腰痛必至。
 一般道の山道では、オートモードにしていると、上り坂の思わぬところでシフトアップしてしまいます。こういうところでは、積極的にマニュアルモードで運転したいですね。その方が楽しいですし。そういう切り替えが可能なところもいいですね。飽きません。高速での合流や追い越しも、やはりマニュアルがいいでしょう。基本的にエコモードにしっぱなしですので、オートだと思うように加速できません。
 帰りは途中まで内陸を行きました。平田篤胤が雪女に襲われた峠を越えて、山形の新庄に抜け、最上川沿いを下ってきました。今年は全然五月雨を集めておらず、流れもゆったり、川床があらわになったところも多く、川下りの舟も座礁しそうな始末です。芭蕉の詠んだ最上川からはかけはなれた風景でした。
 総計約1300キロのドライヴ。燃費はコンピュータによると平均20.1km/lということで、プントとほぼ同等か、それ以上。充分満足な数値でした。瞬間燃費を見ると、高速よりも一般道の方がいいですねえ。80キロを越えると、20km/lを越えるのが難しくなる。70キロくらいで巡航しているのが最も低燃費でした。
 というわけで、ほとんど軽自動車と同じサイズの車としては、かなり優秀なフィーリングでしたね。前に初代アルトみたいなんて書きましたけど、今回はそれとはかけ離れた印象を残しました。うん、ますます気に入った。

フィアット パンダ (1)
フィアット パンダ (2)
フィアット パンダ (3)
フィアット パンダ (5)
FIAT Panda 公式

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2005.06.25

本当の自然、本当の田舎(秋田のある村落にて)

016166 ちょいと所用がありまして、秋田のカミさんの実家に来ております。この季節にここに来るのは初めて。夏休みとは違う若い田んぼの緑が目に鮮やかです。
 ほとんど徹夜で運転してまいりましたので、午後はゆっくり昼寝させていただきました。夕方、目を覚ましまして、窓から風景を眺めておりますと、とても不思議な感覚になりまして、いろいろなことを考えました。
 ここは秋田県の南部です。いわゆる町から一山越えた山間部。過疎高齢化が進んでいます。たしかにいろいろな面で不便の多い土地です。冬には3メートル近い雪が積もり、ちょっとした買い物にも、車で小一時間かかります。ここに住むみなさんには、もちろん人知れぬ苦労がおありだと思いますが、私のような者にとっては、本当に魅力的な場所です。
 私も富士山に住んでおりますので、まあ豊かな自然には恵まれている方だと思いますけれども、ここの自然は全く違った趣を持っていますね。人間と自然の関係が違うのでしょうか。本当に安心するのです。私が富士山の別荘地に居を構えたり、都会の人々が自然の中でちょっとキャンプしてみたりするのとは全く違う。そういう場合は、お客さんなんですよね。私たち人間は。コンビニに行くような感覚なんです。その時求めるものを求めに行く。いちおう定住している私でも、そんなよそよそしさを感じながら生きているのです。
 時間の流れ方が違いますね。リニアではなくサイクル。ここでは、全てが自然のサイクルが基準です。窓から田んぼや畑で働く人が何人か見えます。みんな黙々と働く。日が昇ってから日が沈むまで。その日その季節に必要なことを、毎年繰り返す。そういう循環の中で生きている。でも、そんな中にも、庭の木々は成長し、一方で朽ちていくものもある。そこに住む人々もそう。つまり、循環しながら、やはり進んでいく。まさにらせんを描いていく感じです。自然がベースの生活文化。
 都会のリニアな時間感覚に毒された人間は、それが堪えられなく退屈なことに感じることでしょう。しかし、そんな一人である私も、こうしてたまにそのらせんに乗ることができると、えもいわれぬ安心感を得ることができるのです。我執を離れる瞬間なのかもしれません。
 また、耳が澄む感覚にも浸ることができました。耳を澄ますのではなくて、澄むのです。いわば遠音しか聞こえない。犬の鳴き声、子どもの声、ラジオの音、もちろん鳥や蛙の鳴き声も。遠い小さい音が、信じられないほど鮮明に鼓膜に届きます。懐かしい感覚でした。
hotaru 今年は東北地方は雨が少なく、畑や田んぼは乾いてしまっているそうです。しかし、人間は空を眺め雨を待つしかない。あたりまえのことなのでしょうが、不思議と敬虔な気持ちにさせられます。人間の無力さ。おかげのありがたさ。
 夜はすぐ近くの田んぼへ蛍を見に行きました。今年は少雨のため、蛍もかなり少なめだと言います。しかし、ほとんど漆黒の闇の中を、数十匹の蛍が幻想的に漂い、水面にその光を映す様子は、実に感動的でした。数年前の大発生の時は、本当に光の波、光の渦とでも言うべき、この世のものと思えない光景が広がったそうです。
hotaru2 ここの蛍は、あまり点滅しません。点灯したまま長時間漂います。そして、私たちの方に近づいてきて、簡単にこの手で捕まえることができます。手のひらで光り続ける蛍の光に再び癒され、日々の喧騒からしばし逃れることのできたワタクシでありました。

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2005.06.24

『コレルリ ヴァイオリン・ソナタ集 作品5』 ガッティ他

Corelli: Sonatas, Op 5(Arcangelo Corelli) Enrico Gatti (Violin); Gaetano Nasillo (Cello); Guido Morini (Harpsichord)
gatti_corelli_sonatas 昨日の「江戸の音」とともに、森洋子さんからお借りしたのがこのCD。今やヨーロッパを代表するバロック・ヴァイオリニストであるエンリコ・ガッティが、満を持して臨んだ聖典コレルリ作品5です。
 この曲集は、シンプルかつ極限まで洗練されているため、バロック・ヴァイオリニストのみならず、通奏低音奏者にとっても、その音楽家としてのセンスを問われる非常に厳しい作品とも言えます。一方で、バロックのエッセンスを常に感じながら演奏する悦びもまた、他に比類ないものがあります。まさに聖典と言うべきですね。
 以前マンゼの演奏をおススメしましたね。ちょっと(かなり)やりすぎの感がありましたが、新しさと言う面では成功しているアプローチでした。勇気あるなあ、という感じ。まあ勇気も才能の一つですからね。
 さて、大御所ガッティさんはこの聖典をどう料理したのでしょう。結論から言いますと、非常に正統的でした。正統とは何かというのは難しい問題ですけれど、つまりマンゼさんとは逆のアプローチ、いやアプローチが逆というのではなく、聖典に臨む気持ちが逆なのかもしれません。あるいは敬意の質が違うというか。
 その証左の一つとして、装飾音の扱いがあります。マンゼはほとんど自らのオリジナル装飾を施しています。ガッティは教会ソナタに関しては、当時出版されたものをそのまま利用、室内ソナタは彼自身の創作だと思われますが、それもかなりオーソドックスなもの。当時の文献やら何やらをよく研究された上でのアプローチなのでしょう。私はその点、非常に好感を持ちました。テンポなども含めた様式感の確かさ、それが与える安心感はピカイチでしょう。
 正直、オーソドックスすぎて刺激は少なめ。ふだん刺激や過激を愛する私にはちょっと物足りないか、というとそういうわけでもありません。それはやはりコレルリだからですね。特別な存在です。弾いたり聴いたりするこちらを純化する力があります。そういう作曲家って、そうそういませんよね。だからやっぱり聖典です。
 何度も書いていますが、演奏者が作品との間に新しい縁を作っていくことの難しさですね。バッハはもう、ほとんど抽象的でこちらが入り込む余地をあえて設けていません。そういう意味で特別です。コレルリはその点、はいどうぞ、という感じでこちらに迫ってくる。それもものすごく純度の高い作品を提示してくる。だから演奏する方はかなり辛いわけです。マンゼみたいなやり方も受け入れますけれど、結局マンゼ側の負けがはっきりするだけの結末。そういう意味で、ガッティさんの縁の創造はかなり理想に近いと思います。普遍性を獲得する可能性大いにありです。
 ところで、いちおうバロック・ヴァイオリンを弾く者のはしくれとして、ちょっと違和感を覚えるのは、ガッティさんの楽器の音色です。これはほとんど個人的趣味の問題であると解されますが、どうも潤いに欠けるような気がするのです。どの録音を聴いても、その感がぬぐえません。ヴァイオリンってもっと色っぽいと思っているのですが。小悪魔的な魅力に乏しいと感じるのは私だけなんでしょうか。やっぱり趣味の問題ですかね。まあ、それこそコレルリには、これでいいのかもしれません。聖典に悪魔じゃあね。

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2005.06.23

『江戸の音』 田中優子 (河出文庫)

4309473385 若い時には西に惹かれ、年をとると東に帰る。これは多くの日本人にあてはまる現象ではないでしょうか。私も御多分にもれず、後半生をスタートさせる頃になって、本気で東に戻りつつあります。本気で、と書いたのは、けっこう若い頃から東に帰る、いや、日本にいるフリをしていたからです。
 そういうフリを始めたのは、大学生の時です。小学校高学年の時、ビートルズで音楽に目覚め、中学でELOにはまり、高校でバロック音楽を始めた私は、大学では箏曲愛好会に入り、実はあまり好きでもない邦楽を志しました。しまいには、卒論で、山田検校の残した秘譜の研究などして、なんだか解ったような顔をしていたのでした。
 しかし、その頃も、西洋音楽としてのジャズに興味を持ち始めたりしており、実のところ、心ここにあらずだったのです。そんな私にも、いよいよ日本回帰、つまり自己回帰の時が来ているようです。
 なぜ、歳をとらないと日本音楽がわからないのか。これは実に難しい問題です。究極の答えをここに書いてしまえば、「西洋音楽は子どもでもわかる」ということになります。しかし、これを書いて世界に発信するには、そうとう勇気がいります(って、やっちゃってますけど)。ただ、たしかに日本の音(例えばこの本のタイトルになっている「江戸の音」)には、大人にならないとわからない要素が多々ある。それは…。
 それは、「もののあはれ」です(また出た…すんません、マイブームなんで)。宣長は「もののあはれ」とはこういうことだと明言していません。実際定説はありません。ですから、ここで、世界で初めて?私が明言しましょう。「変化していくモノに対する言葉にならない感情」です。仏教が伝来する以前からあった日本人独特の(世界標準以上の強さを持った)感情です。私流に解釈すれば、「変化」=「もの」、「あはれ」=「ため息」ですので、実に単純な定義です。その根拠はここでは書きません(いずれまとめます)。
 この本は、武満徹さんの番組に感動した私に、チェンバリストの森洋子さんが貸してくれたものです。なるほど、田中優子さんと武満さんの対談は実に示唆に富んでいました。特に、「サワリ」や「間」、「連」などについてのお二人のやりとりには、かなり興奮しました。たしかに「サワリ」や「間」や「連」が催すものは「変化(ダイナミズム)」です。私はそこに「もののあはれ」を重ねて読んだのです。自分の中では、実に腑に落ちました。
 対談の最後、お二人は結局「日本的なるもの」を規定することを拒否します。これは当然です。本質が「もの」だからです。「こと(例えば言葉)」を拒否して、「もの」は「もの」でいられるわけですから。
 他にもいろいろと語りたいところなんですが、語ったら元も子もない…というわけで、少しずつ小出しにしていきますね。とにかく、実に有益な本でした。結局のところ、田中さんもわからないまま終わっているところに好感を持てました。音楽(特に西洋音楽)に興味を持っている人…ほとんどの人か…必読の好著です。

Amazon 江戸の音

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2005.06.22

納豆作りに挑戦!

1231 というわけで、昨日突如思い立ち、20年ぶりに納豆を作ってみました!
 まず、昨夜、仕事の帰りに買い物。一つ目は100円ショップでプラ容器。水切り用のスノコのついたやつをとりあえず二つ買いました。納豆は薄く敷いて発酵させるので、深さ2センチくらいの薄っぺらいやつがベストです。次は豆。本来なら鈴丸やコスズなど納豆用の小粒のものがあればいいのですが、なかなかスーパーにはありませんね。仕方なくホクレンの普通の丸大豆350グラム入りを買いました。あと、タネとして採用する市販の納豆です。やはり納豆の本場秋田の菌がいいなあ(製造は茨城なのかな)ということで、ヤマダフーズの「超細か〜いきざみ納豆ミニ」にしました。この製品はホントに細か〜くきざまれているので、混ぜやすいというのもあります。
 帰宅後、大豆100グラムほどを水に浸けました。そして睡眠。朝起きると、大豆くんは水を吸って倍の大きさになっています。ところで、なんで大豆って乾燥してると真ん丸なのに、水を吸うと長円形になるんだ?謎。まあ、いいや、さてそのふやけた豆を煮ましょう。ここで登場するのはチャル釜です!圧力釜なら30分くらいでOK。でも、水が多かったのか、チャルからお湯が噴出したあ!びっくり。
 煮上がった豆をざるに移してお湯を切ります。そこに超細か〜いきざみ納豆を小さじ1杯くらい入れて、よくかきまぜます。それを、買ってきたプラ容器のスノコの上に敷きます。あっ、そうそう、プラ容器のフタにはたくさん穴を空けておきます。先を熱したドライバーを使うと簡単に空けられます。それから、容器は熱湯で消毒。ちなみに納豆菌は熱湯をかけても死にません。最強。
 さて、あとは保温です。40度くらいにしたいですね。いろいろな方法がありますけど、今回はなるべく簡単にということで、ゆたぽんに登場願いました。ゆたぽんはレンジでチンするタイプの湯たんぽです。それを子どもから拝借して、豆の入った容器の下に敷きます。そして、それらを保冷袋に入れるだけ。2時間ごとにゆたぽんをチンしなくてはいけないのがたまにきずですけれど、まあテスト的にやってみましょう。
 さあ、煮込みから12時間が経ちました。どんな具合でしょう。フタを開けて、ハシでかき混ぜてみますと、お〜見事に糸を引くではありませんか。一粒つまんで食べてみましょう。
 おっ、納豆だあ!しっかり全部納豆化してるぅ!ただ、まだ若い感じ。うまみが出きっていません。そりゃそうですよね。ここから何日か冷蔵庫で寝かせましょう。
 今回は試験的製造でした。これから、豆の種類、菌の種類、煮方、熟成温度、熟成時間などなど研究をいたしましょ。もちろん、限りなく奥が深いんでしょうな。しかし、そうです、愛があればちっとも苦痛ではないのです。最愛の食品のためなら、どんな苦労も厭いません。
 とりあえず、明後日から秋田に行く予定ですので、安くておいしい大豆を探してこようと思います。楽しみだ〜。

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2005.06.21

『納豆大全 愛すべき伝統食品の謎を解く』 町田忍 (角川文庫)〜萌え論再び

4043678010 面白かったあ。納豆が好きだ!と豪語しつつ、ホント知らないことばっかりでした。
 筆者の町田さんは、納豆のあのパッケージを3千以上集めておられるそうで、世の中にはそういう奇特な方がいらっしゃるんだと、まず感動。考現学の実践者ですね。今和次郎の正統的後継者の一人とお見受けしました。
 こういうのって、フェティシズムでは片づけられないわけですよ。単なる蒐集癖でもない。私の最近のはやりで言えば、これこそ「もののあはれ」なんですね。つまり、時間的変化(無常)も含めての対象への愛情。これは男が得意とする分野です、実は。
 女性は反対に即時的、即物的なんですよ。今が大切なんです。「をかし」です。この前「萌え」=「(例えば枕草子の)をかし」と書きました。かなり反響があってびっくりしたんですけれど、「萌え」って、実は女性的な感情なんですよね。刹那的なんです。対象に永遠性(非無常性?)があるんです。刹那しか見ないから変化しない。つまり、生身の存在ではなくて、フィギュア的存在なんです。現代における男性の女性化がもたらした新しい文化。古来続いてきたけれども、ここに来て担い手の性が交代した文化。
 おっと、話がそれた。納豆でした。え〜と、とにかく、この町田さん、古来の男の道を行っています。つまり、愛する対象が生きている。生きているから重い歴史がある。深い思想がある。根拠がある。そう、納豆菌のごとく、常に増殖し続ける愛。かっこいいですね。
 とにかく愛する納豆を、栄養学的、医学的、歴史学的、考現学的、食文化的見地から徹底的に料理しております。そして、ただそれだけにとどまらず、納豆にかかわった人々の、古今東西にわたる心温まるエピソードが満載でして、それをまた実に洒落た文体で記しておられる。これは名著ですね。死なばもろともとまで言わんばかりの激愛ぶりです。やっぱり人生かけた愛がなければ、いい文書けないですね。
 最後の方に、家庭での納豆の作り方が載っています。私も大学時代、お風呂に浮かべて大量の納豆を作ったことがあります。なんだか、納豆菌が繁殖したのか、腐敗菌が繁殖したのか、よくわからん味になったのを思い出しました。で、そんなことを思い出したら、急にまた納豆を作りたくなっちゃいまして、先ほどいろいろと道具やら材料やらを買ってきちゃいました。よ〜し、やるぞ〜!
 その顛末はまた後日。

Amazon 納豆大全

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2005.06.20

『おそらにはてはあるの?』 佐治晴夫(文) 井沢洋二(絵)

4472403013 先日ご紹介いたしました佐治晴夫さん。いろいろな著書があるのですが、私はこれをイチおしします。素晴らしい。
 「おそらにはてはあるの?」…こういう疑問、あるいは子どもは持たないかもしれません。大昔の人々が思ったように、「おそら」自体が面であって、つまり「はて」であると考える方が普通でしょう。
 もし、「おそら」を宇宙という空間としてとらえている子どもがいるすれば、それは大人からのなんらかの情報を基に思考した結果だと思われます。
 つまり、この本は、子どものための絵本であるかのようですが、実は宇宙を知っている大人のためのものなのです。実際、私はこの絵本を読んで、たいへん心揺さぶられました。一方で、「おそら」にかなり興味を持っている5歳の娘は、その面白みを理解できないようでした。
 ここで語られているのは、有名な「オルバースのパラドックス」です。「宇宙に果てがなく、無限の空間だとすれば、無限の星が存在し、結果として夜空は明るくなってしまう。しかし、実際には夜は暗い」というものです。宇宙論の世界では、すでにこれがパラドックスでもなんでもなくて、単にオルバースの仮説の前提が間違っていたということになっています。しかし、私は、それがたとえ間違いであっても、オルバースの不名誉にはならないと考えています。絵本になってしかるべきであると思います。
 つまり、オルバースのような視点・観点を持つことが大切だということです。私たち大人や、その大人が発する情報に翻弄される子供たちは、自分たちをとりまく世界の常識というやつ(結局それは大人が作り出した情報そのものなわけですが)を疑うことをせず、自ら「これは何?これはなぜ?」と考えることを停止しがちです。科学的思考=哲学的思考を忘れるんですね。「これ」が物質や現象であれば科学的思考、「これ」が精神や思想であれば哲学的思考です。
 おそらくこうした発想の大切さを、佐治さんは訴えたかったのだと思います。もちろん、子供たちに知ってほしいとも思ったでしょう。子供たちがそういう考えのできる大人になるきっかけにしてほしいと願ったことでしょう。しかし、それ以上に、私たち大人への強いメッセージが存在するように、私は感じました。
 単にオルバースのパラドックスを解決するためには「はて」が必要だ、とか、そこから発展してビッグバンに代表される現代の宇宙論に興味を持ってほしいとか、そういうことではありません。佐治さんは最後に神様を登場させています。つまり、オルバースのように疑問を持ちなさい、そしてそれを解決しようと努力しなさい、そしてその結果に素直に驚きなさい、そしてその驚きがほとんど無限ではてのないものであったら、神(サムシング・グレート)に感謝しなさい、ということではないでしょうか。私にはそう読み取れました。
 佐治さんはそのような生き方をされているのだと思います。私はそうした佐治さんの生き方に感動するのです。そういう意味で、この絵本は私の大切な宝物になるでしょう。そして、その宝物を子供たちと共有できる日の早く来ることを楽しみにしています。

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2005.06.19

自然の恵み

11 今日は静岡から父親が来ていたこともあり、家でまったりと過ごしました。
 梅雨時の富士山麓は、雨が降ればストーヴが必要、晴れればすさまじい紫外線にヒリヒリ、といった感じで、ある意味自然の厳しさを味わわせてくれます。そんな中で動植物たちは鍛えられ、生命力を身につけていきます。今日はそんな自然の命の力をありがたく頂戴した一日でした。
 まずは、子どもを連れて、家の周囲の森の中を散歩。網膜に届く鮮やかな緑の光線もさることながら、場所ごとに異なる木々の香り、そして、春蝉や鳥たちのにぎやかな歌声。ほんの数メートル頭上で、姿は見えませんが、うぐいすが数羽おしゃべりしていたりします。その声を録音してみました。「click」してください。
 家に帰ってくると、まずは庭に繁茂したフキを刈り取ります。今年はフキが大きい。どういうわけでしょう。刈り取ったフキの茎はもちろん食べます。手に移った芳香をかぐだけでも、気持ちが落ち着きます。富士山のフキは香りの割にアクが少なく、アク抜きの手間が省けます。しばらくはウチの味噌汁の具はフキですかね。
 続いて刈り取ったのは、玄関先で大きく成長したフジアザミ。来訪客を傷つけてはいけません。なにしろ、ゴム手袋を突き抜けてトゲが手に刺さるんですから。しかし、アザミの茎の汁は刺し傷の特効薬。アザミさん、人を刺しておいて、その場ですぐに特効薬を提供してくれるんですから、面白いですね。フジアザミはアザミの中でもかなり大型。花もちょっとグロテスクです。そんなフジアザミ、いつもは刈り取ってそのまま捨ててしまうのですが、今年はあることに利用してみました。初挑戦。
 ちょっと調べてびっくりしたんですが、アザミってものすごく優秀な薬草なんですね。ほとんど万病に効くらしい。夜尿症や乳腺炎にまで効くとか。生でボリボリ食べてもいいようですけど、あのトゲトゲを見たら、さすがに躊躇しますね。そこで、今回は葉の部分でアザミ茶を作ってみることにしました。ちなみに茎はフキと同じ調理方法で食べます。
 で、手を刺されながら、葉っぱを切り取ります。切り取られた葉の先にあるトゲは、面白いものですぐに根性がなくなって(柔らかくなって)、あまり人を刺さなくなります。葉をまとめて蒸し器で2分ほど蒸します。蒸した葉をうちわであおいで冷やした後、キッチンばさみでチョキチョキ細かくします。それを天日で乾燥させるともうできあがりです。今日はやや日光が弱かったので、最後は電子レンジでチンして乾燥させちゃいました。
 それをヤカンで煎じて飲むわけです。早速煎れてみました。うん、なかなかおいしい。全くクセがなく、誰でも飲めます。麦とのブレンド茶も作ってみましたけど、それも好評でした。体に良さそうですよ。
 初めてお茶というものを作ってみました。なんか楽しいですね。野草酒も魅力的ですが、すぐに飲めませんからね。その点、お茶はすぐに味見できますから実に楽しい。けっこうはまるかも。
 今日はこんな感じで自然を満喫できまして、本当にここに住んでいる幸せを味わえましたね。普段、ついつい忘れちゃうんですよ。富士山に住むありがたみを。目の前にある富士山を見ない日さえありますから。たまには、こうして自然と対話し、自然に癒され、自然に感謝する日があってもいいですね。

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2005.06.18

今こそハイオクガソリン

ban01 原油価格の高騰でガソリンが高いですねえ。ウチではパンダがハイオク(プレミアム)仕様ですので、選択の余地なし。クルーズはレギュラー仕様ですが、こちらもハイオクを入れています。なんでまた、とお思いの方も多いことでしょう。私は原油価格が高い今だからこそ、ハイオクを入れています。あいかわらずお変人ですねえ、私。
 いちおう理由はあります。まず、ガソリン価格が安かったころに比べると、相対的にハイオクの価格が下がっているからです。たとえば、数年前はレギュラー100円に対し、ハイオクが120円。つまり2割り増しの価格でした。それが今日はレギュラー112円でハイオク122円。9分増しです。
 で、燃費がどうかということですね。燃費が9分以上上がれば、ハイオクの方が経済的だというパラドックスが成立するわけです。そこで4月から測定を続けました。結果は燃費11%向上でした。かなり大ざっぱな計算ですけれど、まあ1割を切ることはないでしょう。
 ただし、ウチの場合は特別な環境ですからね。みなさんも同じ結果を期待されてよいか、ちょっと微妙です。なにしろ家の標高が1200メートルありますので、酸素濃度が低く、通常の状態ではかなり燃焼効率が下がっていると思われるからです。オクタン価が上がるとそのあたりに好影響が出るのかどうか、そういう専門的なことは分かりませんけれども、可能性としてはありかも。
 また、毎日職場との行き来で400メートルの標高差を移動しますから、上り坂でのトルクアップが燃費の向上につながっていると思われます。実際、帰宅時に毎日走るスバルライン(料金所の手前まで)では、レギュラーだと2足にシフトダウンしてしまうのですが、ハイオクだと3足のままで上りきります。そういう積み重ねが、このパラドックスを実現したのではないでしょうか。
 ところで、ハイオク122円なんて、ものすごく安くないですか?全国的にもかなり安い方でしょう。キグナスのセルフで入れてます。表示価格は129円ですが、カード会員割引と週末割引で122円なんです。9分増しで、燃費もドライヴ感も向上、さらに洗浄剤入りですから、けっこうお買い得ではないでしょうか。みなさんもお試しあれ。
 あっそうそう、ウワサですけど、将来的にはレギュラーが廃止されてハイオク一本に統合されるとか。ホントでしょうか。欧米の流れに従うのかな。私は悪くないことだと思います。結果として、車にもお財布にも地球にも優しいなら(地球に優しいって一番嫌いな言葉使っちゃった…そういう人間の不遜な自己満足及び偽善に反省)。

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2005.06.17

Salyu 『landmark』

B0009FHOG4 昨年度のワタクシ選定のベストソング賞を受賞したSalyuのデビューアルバム、早速聴いてみました。久々にお見事な音楽に出会いました。
 う〜ん、やっぱり小林武史は職人ですねえ。そつがない。はずれがない。そして新鮮な発見がある。そうですねえ、ビートルズのアルバムを聴いた時のような感じでしょうか。実際ビートルズがベースですし。
 昨日、ラジオでJ−POPのtop20をやってまして、カミさんと聴いていたんですよ。途中まで。あまりにひどすぎて気持ち悪くなってしまい、スイッチを切っちゃいました。hip-hop系、ラップ系か素人バンド系のどちらかしかないんですから。前者は言うまでもなく、後者も昔の曲の焼き直しみたいなのばっかりで、ちっとも新しくない。コード進行には限りがありますから仕方ないとしても、そこに乗せるメロディーのセンスがなさすぎる。何度も聴こうとは絶対に思わない曲ばかりでした。ラルクだけは許せたかな。
 スイッチを切った後、カミさんと私は歌本をひっぱり出してきました。今度、アイドルバンドをやろうと画策していまして、何をやるか選曲するためです。歩くカラオケと言われる?うちのカミさんは70年代、80年代の歌謡曲や演歌など、ホントに端から唄えます。で、端から唄ってたわけですけど、ものすごくメロディーがいいんですね。それでいてそれぞれ信じられないほど個性的。似た曲がないんですよ。あらためて黄金期の歌謡曲の作曲家(作詞家も)のすごさに脱帽…とともに現状に落胆。
 そんなタイミングでしたので、このSalyuと小林武史のコラボレーションにはホッとしました。完全にトラディショナルなスタイルでありながら、全曲新しさがあり、また聴けば聴くほど味が出るのです。アレンジから曲順に至るまで、ホント非の打ち所がありませんね。特にそのメロディー。小林さんお得意の生きもののように波打つ旋律。時々コードもはずしてくるんですけど、彼の真骨頂は普通のコード進行に今までにないメロディーを乗せる瞬間ですね。瞬間というか全編そういう感じです。そこがビートルズっぽい。
 基本はロックですが、Salyuの無二の声のおかげで、不思議な響きになっています。彼女はちょっと物の怪チックですね。もちろんほめ言葉です。ちょっと暗めで重いロック、渋いブルース、ゆらめくバラード、明るく突き抜けたポップス、それぞれ見事に歌いわけつつ、統一感がある。きっとライヴもいいでしょうねえ。
 なんか、とりとめもないことばかり書いてますが、本当にいいものはなかなか批評しにくいんですよ。理屈抜きにいい音楽というわけです。その魅力を言葉で伝えられないもどかしさ。まあ、とにかく買って聴いて下さい、ということです。久々の名作。

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2005.06.16

『宇宙のひとかけらとして生きる−現代宇宙論の視座から人間を考える−』 佐治晴夫 (正眼短期大学創立四十周年記念論集「禅と人間」)

saji 先日お世話になりました正眼寺さんには、短大が併設されています。我が校の卒業生も何人かお世話になっております。その短大の40周年記念に発刊された論集です。
 この本はみなさんにとっては入手困難なレア物ですね。しかし、内容は大変充実しております。本日のおススメである佐治さんの感動的なエッセイをはじめ、古田紹欽先生や松田紹典先生の論考、千宗室さんと谷耕月老師の対談など、そちら関係に興味のある人にとっては、たまらない内容です。こんな私でも結構楽しめました。いや勉強になりました。
 佐治晴夫さんは玉川大学の先生、理論物理学や数学がご専門です。素粒子や宇宙論に関する著書も多くありますし、一方で、科学と宗教や芸術の関係についても言及してきた方です。最近では養老孟司先生との対談が話題になりました。
 その佐治先生の寄稿が本当に感動的でした。「私は生きている。何のために?そして何がそうさせているのか」で始まるこのエッセイ。掉尾は「生きているということ、それは宇宙開闢のエネルギーによって、宇宙開闢の記憶をたどりながら、生かされているということである」という究極の答えで締められています。そして、その間に何が書かれているかというと、まさに科学者らしく(当時…10年前の)最新の科学的成果を挙げられ、それが例えば般若心経の「色即是空」「空即是色」にどう近づいていくかということ、あるいは美の一回性、生命の本質(存在様式)である「持続」の持つ意味にまで話題が及んでいきます。文中には、グレン・グールド、宮沢賢治の名前も登場します(ウルトラマンも!)。
 非常にバランスのとれた方ですね。好感持てます。アカデミックな世界に入る前は、企業で歴史に残る製品開発をなさっていたわけですから、その感はさらに強まりますね。かっこいいなあ。
 そして、やはり科学が突き詰められていくと、宗教というか神や仏に近づいていく、ということ。科学は世界の仕組みを明らかにする性質のものですから、それが明らかにされていけばいくほど、私たちはただ驚嘆してたたずむことになります。そうして明らかになっていく宇宙のそして自己の複雑かつ精巧なデザイン。それをお釈迦様はとっくの昔に知った。おそるべきことですね。
 それを実感するには、やはり何かに長期間打ち込まなければならないようです。適当ないい加減な生活をしていては一生わからないでしょう。ただ、一生懸命にやるべきなのです。別に出家しなくとも禅は可能です。その時の行動に、そして思索に「なりきる」。ぜひそうありたいものです。
 デカルトは、9年間疑い続けた。そして、「われ思う、故にわれ在り(cogito ergo sum)」にたどりつきました。達磨大師は、9年間壁に向かって坐り続け、そして大悟しました。二人の結論は全く逆であるとも言えますが、実は全く同じであるとも言えます。たぶん、自己と宇宙が一体不可分の関係になった瞬間なのでしょう。不二。
 そういえば、正眼寺の開祖慧玄さんは9年間伊深の地で自らの光を消したのでした。もし、私が9年間何かに懸命になったら、いったい何がわかるのでしょう。そんなことを考えさせられる、佐治さんの素晴らしい文章でした。

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2005.06.15

『鳥獣人物戯画』と『無伴奏チェロ組曲』

 最近のBShiネタです。トンデモな発見多数。無伴奏チェロ組曲は鳥獣人物戯画だった…(?)。
 両番組とも再放送のようでしたが、私は初めて観ました。
34fg5s まずは『アニメのルーツ・鳥獣人物戯画の不思議ワールド』。教科書にそのほんの一部が紹介され、なんとなくスゴイものだと思われている国宝。その巻物が、現代の美術、アニメ、マンガ、CGなどの視点から見ると、いかにとんでもなく斬新で、とんでもなく面白く、とんでもなくハイテク(超絶技巧)なシロモノであるかを考証する番組でありました。
 いやはや、ワタクシも、これほどだとは全く知りませんでした。学校教育(教科書&テスト)の弊害ですな。特に、高畑勲さんの解説には目からウロコが落ちました。現代の感性がようやく800年前に追いついたってことですね。詳しくはこちらをどうぞ。高畑さんの力作です。高畑さんもすごいわ。
B0007N36Q0 さて、次は『鈴木秀美・バッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏会』です。もちろんバロック・チェロでの演奏です。ライヴらしい緊張感あふれる(音程の不安定さも含めて)素晴らしい演奏会でしたね。最近なんちゃってバロック・チェロを始めた私にとっては、フィンガリングとボウイングを学ぶ格好の教材でもあります。久々にほぼ全曲を続けて聴きましたけど、この曲やっぱり変ですねえ。さすがチェロの聖書…?
 というわけで、冒頭のトンデモ発言に戻りましょう。
 鳥獣も無伴奏も国宝とか聖書とか呼ばれて、作品として幸せなんでしょうかねえ。ホントはもっとぶっとんだトンデモ作品なのでは、ということです。鳥獣も無伴奏も、その世界ではかなり変な存在です。発想自体がおかしい。それはおかしいのであって、別にトバもバッハも国宝やら聖書やらを書こうとしたわけではない。どちらかというと、両方ともパロディーの精神だと思うのですが。
 鳥獣は言うまでもありません。無伴奏も笑えますよね。チェロひとつで舞曲を一生懸命演奏する。踊り手はいない。いても踊れない。楽しく弾きたくても難しすぎてシカメっ面になっちゃう。やっぱりバロック時代ですから。それ自体に演劇性があると思います。パントマイムみたいな。
 あとですねえ、制約と想像力の問題です。鳥獣の、例えば有名なウサギとカエルの相撲のシーン。とっくみあったシーンのすぐ横に、ふっとばされたウサギが描かれています。異時同図。高畑さんも言及していましたが、我々はその間に描かれていないコマを想像して補います。結果として動画となる。私の考えでは、記憶とはまさにそういうものなのですが。静止画の集合。で、バッハの方も、音楽がおわかりの方には自明なことでしょう、書かれていない音が暗示されます。楽器及び演奏上の制約から来る空白に、私たちはいろいろな音を補います。ただ、こうした受け取り手の想像力は、あくまで経験的、恣意的なものであり、作者の意図と同じものになるとは限りません。それが、以前にも書いた「縁」の創造の難しさと面白さなのでしょう。
 いずれにせよ、こうした空白の可能性こそが、時代とともに縁を多く生み出し、作品自体の価値を高めていくのですね。そういう意味じゃ、やっぱり国宝であり、聖書なのか。ガクッ。

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2005.06.14

『蟲師』 漆原友紀 (講談社)

4063142558 先ほど、生徒が貸してくれまして、一気に(と言っても2時間近くかかっちゃいましたが)3巻まで読みました。なるほど、興味深い作品であります。
 生徒曰く、「これ先生って感じですよ」と。世界観が私であると言うのです。そう言われちゃ読まないわけにいかない。で、1巻の1ページ目で、彼女の予感が当たっていることが判明しました。
 「およそ遠しとされしもの   下等で奇怪 見慣れた動植物とはまるで違うとおぼしきモノ達   それら異形の一群を ヒトは古くから畏れを含み いつしか総じて『蟲(むし)』と呼んだ」
 ここには確かに私の「モノガタリ論」につながるモノがある。作者はいろいろな事物の境界を描きたいと語っております。なるほど、ここに登場する「蟲師」は、モノとヒト(つまりは認識されたコト)の境界で活躍します。具体的にはモノによって引き起こされた病気を治すのですが、蟲師の存在は、ある意味で媒体、すなわちメディアであると言えます。「蟲師」ギンコのコトノハによって、ヒトは初めてモノ(蟲)と病気(現象)との因果関係を知る。ワタクシ的に言えば、ギンコによってモノが語られ、ヒトの中でコトとなる。
 いきなりブッとんで申し訳ないのですが、私はこのマンガ(物語)を読んで、これは「仮面ライダー響鬼」+「ブラックジャック」だ、と思いました。ニッポンの森(邑)に住む物の怪たちを退治して、難病を治癒させ去っていく。一見そっけなく見えるギンコ、しかしそこには見事なニッポン的ヒューマニズムが宿っています。だから美しい。
 そう考えると、「ブラックジャック」は西洋医学(認識された判然としたコト)で語られているように見えますけれど、実はそれを超えたモノやヒトによる伝統的な物語なのですな。今気づいた。響鬼は言うまでもないか。
 もとい。『蟲師』ですけれど、ストーリーも絵も言葉も、なかなかレベル高いですね。作者のモノ的世界への愛情も強く感じられますし、単なる自己満足に陥ることなく、読者の手を取って共に境界線まで旅してくれる、そんな優しさのようなものも感じます。描かれた風景はとても懐かしい。その懐かしさは「怖さ」に起因します。その原初的な「怖さ」という共通感情を、上手に作品化していると思います。こうしたアイデアの作品は、古来いろいろありますが、それらはだいたいエログロになったり、ホラーになったり、サブカル的になっていったんですよね。でも、この作品には徹底した優しさがあるので、そうはならない。そこが気に入りました。
 最近のマンガは、マンガと呼ぶにはあまりに古典的な文学であることが多く驚いてしまいます。長いことマンガ的世界を知らずに来た私にとって、このことは大変な衝撃です。前も書きましたが、マンガやアニメのような魅力的な世界に、この歳になって出会えたこと、本当に嬉しく思います。まだまだ勉強ですな。当分死ねませんね。とりあえず『蟲師』の続きを借りましょう。

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2005.06.13

ウルトラマンマックス ロケ参加!

max1 やったあ!憧れのウルトラシリーズに出演だあ(カットされなければ)!40年来の夢が叶う…かも。
 数日前、あるルートから、ウルトラマンマックスのロケが富士五湖の一つ本栖湖で行われるとの情報を得、家族で飛び入り参加してきたのです。疲れたけど楽しかった!
 え〜、ワタクシが放送開始直後に憂慮したとおり、今放送中のウルトラマンネクサスは、その複雑さと渋さと暗さとさえなさとで視聴率が低迷。6月いっぱいで放送打ち切りという憂き目に(実は予定通り?)。実際、ウルトラ狂のわが娘たちも、全く関心を持っていません。えっ?それじゃあウルトラマニアとは言えない?いやいや、マニア歴40年の私でもかなりきついんですよ。途中、多少のてこ入れはありましたけれど、本質的には久々の失敗作ですね。違う意味で語り継がれる作品となってしまいました。画期的と言えば画期的だったんだけどなあ。深夜枠やVシネなら、まあ良かったのかもしれませんが、土曜の朝7時半じゃあねえ。
 というわけで、7月から急遽地球に赴任させられるウルトラマンマックスですが、現担当者の轍を踏まないよう活動方針を大きく修正してくるようです。伝統的な手法に戻るということです。少しほっとしました。昔の怪獣も登場するとか。
 そのウルトラマンマックス8月27日放送分(たぶん第9話)のロケが今日行われたわけです。ある村の夏祭り、花火大会中に湖から龍のような怪獣(だと勝手に想像)が現われ、我々村人たちは逃げ惑う。こんな感じのベタなシーンです。
bg 家族で車に乗り、自宅から15分ほどで本栖湖に到着。集合時間には1時間ほど遅れたのですが、ちょうど撮影が始まるところでして、さりげなく30人ほどの地元エキストラさんたちに混ざります。スタッフさんの演技説明を受け、テストを何回かしてさあ本番!私はカメラ位置と役者さんの位置を確認し、自らの立ち位置を修正(笑)。上の娘を抱き上げて、「怪獣だあ!助けてくれ〜」とか絶叫しながら迫真の演技(?)。カミさんは下の娘をおんぶして逃げる逃げる。
 上の娘はスタッフさんの状況説明を聞き、「水中からの挑戦?湖のひみつ?ナース?テペト?エレキング?」とかなんとか独り言を言っています(セブンの見過ぎ…)。下の娘は「マンくる?」と言いながら空を見上げています。なかなか素質あるぞ(何の?)。私もついつい本気モードになり、カメラの前でわざと後を振り返ってみたり、前の人の靴を踏んづけて転ばせたり、迫真の演技!結局1時間半くらい娘を抱いて走り続け、無事撮影終了。あとは編集でカットされないことを願うだけ。
 こんな感じでつっかれましたが、ウルトラマニア家族としては最高の