『禅入門―わかりやすい禅&坐禅』 淡交ムック (淡交社)
昨日観た名作のおかげで、頭の中は無常観でいっぱい。やはり、ここは坐禅して「空」を観じなければ。
そこで取りいだしましたのは『禅入門』です。この本に登場する平林寺で5年間修行されたお坊さんにお借りしているものです。この本のいいところは、普段は拝見することのできない僧堂での生活を、多数の写真で垣間見ることができる、これにつきますね。
仕事柄修行生活のマネゴトはしたことはありますし、なんとなく憧れのようなものも持っていますが、実際お山に行けと言われたら、やっぱり逃げ出しちゃいますね。だからこの本を読んで、そして見て、ヴァーチャル出家するんです。
さて、昨日からの続きで、この本を読んでいても、意識は「もの」を語って「こと」にすることに向かってしまいます。ブッダは、語りたがる…無常を常にしたがる、そういう人間の本能を否定し、無常を観じて煩悩の呪縛から自由になることを教えます。
それを日々の生活の中で実践、実現していくのが禅ではないでしょうか。頭で考えるのではなく、実践することと一体となって感得していく。一体となっていくから、自分という殻が溶けて、世界と混じり合う。では、自分と世界が一つになるのかというと、決してそういうわけではありません。あくまで不二です。
う〜ん、究極の問題解決法だよなあ。これ以上の策はありませんよ。文句ナシ。
で、そんな究極のすべを実践するための環境として、洗練され尽くしたのが僧堂だと思います。そこでは、モノもコトも人もみな美しい。なぜなら、それらの区別がなくなっているから。素晴らしい。根本的な解決です。
しかし、僧堂にいるわけにはいかない俗人は、こうはいきません。高僧なら、シャバでも「なりきる」ことができるそうですが、とてもとても私には…。まあ、日々のもろもろを一所懸命にこなせばいいのでしょうが、ハナっからそんな気はなく、楽しよう楽しようと思ってるし。
というわけで、突然ですが、このブログを修行の場にしようと思います。いわば、問答ですよ。毎日のお題は「公案」です。そのお題と一体になる…公案参究。
こうして毎日30分でも修行していれば、何かわかる時が来るかなあ。もし、これで悟っちゃったら、新しい宗派ができちゃいますね。もちろん冗談ですけど。どちらかというと煩悩が増殖しているような気が…。
あっ、また話がそれちゃった。今日の公案、いやいやお題であるこの本です。サブタイトルにあるように「わかりやすい」ということに関して言えば、全く偽りなしです。プロの生活を身近に見るだけでも勉強になりますし、やる気がでますよね。それにしても、美しい世界ですね。写真で見るかぎりは(実情はいろいろあるようですけど)。
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コメント
こんにちは!
「なりきる」という言葉を、社会人になって最初の職場で聞いたとき、「あっ、カルマ・ヨーガだ。」と
思いました。
私の理解の仕方が少し間違っているかもしれませんが、カルマ・ヨーガは、自分の行為の結果やその影響について思い煩わずに、だだひたすらその行為に専心するというような感じのヨーガだと思います。
インドの『バガヴァッド・ギーター』という書物のなかで、クリシュナが、アルジュナに説いたのがカルマ・ヨーガの教えです。
それから、大学生の時、禅学概論の講義を受けていましたが、はじめの頃の内容しか憶えていません。
正確には、教授の一言をなんとなく憶えているだけです。
それは、「禅なんて、その人らしさが出てしまえばそれでいいんです。」頭であれこれ難しく考える必要はない、といった感じの話でした。
わかりやすいと言っていいのか悪いのか、とにかく、そのことしか憶えていません。
ちなみに、講義をしていた教授は、禅宗の僧侶でした。
投稿: kobayashi | 2005.05.17 20:24
kobayashiさん、おひさしぶりです。
カルマ・ヨーガというんですね。
ちょっと調べたところ、この場合のカルマは単に「行為」を表すんだそうですね。
日常の生活の中での瞑想ということですか。
禅にしてもそうですが、ことさらに坐ったりしなくていいわけですね。
だからこそ難しいような気もしますけど。
なんとか、そういう境地に至りたいものです。
道はかなり遠そうです。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2005.05.18 08:01