『寝ながら学べる構造主義』 内田樹 (文春新書)
さあ、構造主義について語りましょうか、私が…。なんちゃって。
ちょっと前に、教養について書きましたね。戦後日本で構造主義といえば、教養の権化みたいな存在でした。でした、と過去形で書いたのは、それが単なるブームであったと思うからです。で、私はそのブームに乗ったのかというと、これが全然乗らなかった。乗らないまま今まで来てしまいました。
構造主義と格闘したことはあります。一応ソシュールはちゃんと読んでましたから。文学部国文科にしては珍しく。ただ、それは旧態依然の国語学会に対する、単なるプロテスタントであったわけでして、なんとなく今風な(笑)武器を手に入れて戦おうとしましたが、結局その使い方が分からず、降参しちゃった、という当然のオチがつきました。簡単に言うと、難しすぎてわからない。わかりそうになっても、自分の実感とあまりにかけはなれているので信用できなかったわけです。
というわけで、ハッキリ申しますと、私には構造主義は必要ありませんでした。また、これからも必要ありません。
ものすごくカッコつけて、ものすごく高飛車に言います(だって、構造主義ってそういう物言いなんだもん)。構造主義はものすごく狭いコミュニティー内のゲームです。ちゃんと知らないくせに、と言われても仕方ありませんが、それは、ある一部のオタク集団に、このゲームちょっとやってみなよ、画期的だよ、と言われても、乗り気にならないのと同じです。実際のところ、たぶん世界中の99%以上の人は、構造主義を相手にしていないでしょう。
構造主義には、今言ったオタク的な要素が色濃くあります。特に、自ら「言葉」を作り上げて(彼らは発見と言いますが)、自らの都合の良い存在を存在せしめ、ルールを編み出し、それを他に押しつけていくことを楽しみとします。つまり、それこそが構造主義的ゲームの構造的欠陥なのです。
それ自体に罪はないと思いますよ。オタクには罪はありません。しかし、それを高尚な教養かのようにあげつらい、時代のファッションにまで仕立て上げた人々…それが教養人ですかな…に対しては、私は生理的な嫌悪を覚えます。
久々に構造主義の本を読みました。内田先生は、私が先ほど言った構造主義の自己増殖性の気持ち悪さを、寝ながらでも学べることを標榜して、見事に暴いてくれています(御本人はそれが目的ではないと思いますが)。それは実に画期的なことでしょう。この本に対して、いまだいろいろと難癖をつける人がいるようですねえ。いいかげん、百年の呪縛から抜け出したらどうでしょう。まあ、教養人たちの趣味にとやかく言う立場ではありませんがね。
最後に極論しましょう。構造主義における構造は「縁」です。いや「縁」の一側面に過ぎません。その全体像については、3000年前に、インドの偉い人が私たちに語ってくれています。残念でした。
Amazon 寝ながら学べる構造主義
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