『先生はえらい』 内田樹 (ちくまプリマー新書)
非常に面白く、示唆に富む本。内田ワールド全開です。
私はあんまりえらくない先生なので、「先生はえらい」なんて言われると、「え〜そうでもないよ」と言いたくなってしまいます。しかし、内田先生のことですから、当然そこには仕掛けがあって、つまり実は「先生はえらくない」ということを言いたいのではないか、なんていう疑念も沸いてきます。
実際読んでみますと、たしかに逆説的な内容ですが、結論は「先生はえらい」でした。どんな人でも教壇に立つ人は全て「えらい先生」になりうる。
「あなたが『えらい』と思った人、それがあなたの先生である」という定義をもって、この本は始まります。なるほど、その通り。逆説、つまりアマノジャク的発想の中には往々にして真理が宿ります。
そして、「これができれば大丈夫」ではなく、「学ぶことに終わりはない」ということを教えてくれる人こそ本当の先生である、と続きます。なるほどなるほど。
しかしどうでしょうねえ。それを説明するのに、教習所の先生とF-1のドライバーを引きあいに出すのは。教習所の先生に失礼という以前に、土俵が違う、ジャンルが違うと思うんですが。
続いて内田先生は「先生」の条件として「謎」を挙げます。そして「誤読」につながっていく。面白いですね。全くの真理だと思いました。納得もしましたし、感心もしました。それでも何か違和感がある。漱石の「先生」の話もなるほどと思いましたが、時間が経つと?が生じます。
世のドライバーのたいていはF-1には参戦しませんし、世の先生のたいていは教習所の先生と同じレベルのことを要求され、それに応えるのを生業にしています。世の人間のたいていは漱石ほど賢くないですし。
当たり前のことですが、真理というのは実生活では有用でないことが多いんですね。真理を追い求めることは大切ですが、それをしているヒマがない一般人がほとんどです。内田先生は真理を求めるのがお仕事ですから、それをされてもちろん結構ですよ。
教育の世界は実はものすごく生活感あふれるところなのですが、何か先生も生徒も親も世間も夢を見ているところがある。そういう所に真理(のようなもの)の提示があると、それが溶け込みやすい傾向があります。だから、教育施策がコロコロ変わって、生徒も先生も翻弄される。この本もそういう意味では生徒に読ませたくないですね。中高生向けに書かれたようですけれど。洗脳されますよ、すぐに彼らは。
ここからは私がアマノジャクになります。ならせてください。
結局、この本で語られたことは、内田先生は賢いということです。頭がいいということです。
人の謎を見つける、そこを誤読する、そして「えらい」と思う。つまり真の「先生」と出会うには、能力が必要なのです。内田先生にはその能力があった。つまり真の「生徒」になる力が備わっているのです。さらに、「先生」になる能力もある。この本は謎に満ちています。内田先生の語ることには、いつも深遠な謎が存在します。
結局、真の「生徒」になるのと、真の「先生」になるのとは同じことで、特別な能力、脳力が必要だということです。これはハッキリ申して非日常的な次元です。
いやいや、それが悪いと言っているのではありません。こういう本が出ることには大きな意味があります。実際、私も及ばずながら刺激を受け、ちょっと非日常を散歩することができました。そういう機会を与えるのも先生の大切な役目ですから。
最後にちょっと本音を。実はこの本で一番刺激を受けたのは、教育論ではなくてコミュニケーション論でした。特にラカンの言説の引用部分は本当に刺激的。頭がいい人の考えることは違うわ、という感じでした。私も使わせていただきます。
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