『パッション』 メル・ギブソン監督作品
今日は受難日。例年なら受難曲を聴いて自らの罪を省みる日です。
それが、今年は、自分にとっての本当の受難日になってしまいました。
前々から借りていたメル・ギブソンの『パッション』を、今日のこの日にちなんで観てみたのです。
結論から申しましょう。メル・ギブソンが犯した罪を赦せるか、あなた自身が試される映画です。
信仰は人それぞれです。映画の鑑賞も人それぞれです。そんなことは百も承知ですが、あえて、私自身の感想を述べさせていただきます。私は赦せません。これは冒涜です。
私はキリスト者ではありませんから、赦してやれよ、と言われてもダメなものはダメです。まあいいか、にはできますが。時間はかかりますよ、多少。それも、監督さんのためじゃなくて、自分のための「まあいいか」です。主よ、ごめんなさい。
パッションの語源はパトスです。やっぱり受動的な激情なんです。日本語の受け身表現には、「迷惑」の感情が伴います。自分にとっての受難日と言ったのは、そういう意味です。「ありがた迷惑」。なんでこんなことしてくれちゃったの?いや、イエスに対してじゃなくて、メル・ギブソンに言ってるんですよ。
キリストの受難の物語は、私に大きな影響を与えましたし、とても大切な存在です。それこそスプランクニゾマイ(随想駅伝「大切」参照)を感じる対象です。そういう大切なものを、こういうレベルで語ってほしくなかった。非常に恣意的に感じられました。普遍性などかけらもないと思いました。
割り切って、一人の男のドラマとして、母と子のドラマとして、また、世界の不条理と悪意を暴くドラマとして観れば、それなりの作品だと思います。面白いと思います。
しかし、これは聖書の物語ですよ。いくら、メル・ギブソンが命を懸けたと言っても、こういう語り口で映画化しようとしたこと自体、私には間違いとしか思えません。個人的な信仰の吐露ですか?自分の解釈と表現にそこまで自信が持てるのですか?冒涜です。そんなに軽いものなのでしょうか。これを観て感動するというのは、どういうレベルでの話なのでしょう。私がおかしいのでしょうか。たぶんそうなんでしょう。
思わず興奮してしまいました。まさにパッションであります。今夜はバッハのマタイを聴いて、この心のささくれを治したいと思います。そして、久々にキリストの墓参りにでも行こうかと思いました。来週行けるかな。
いやあ、ホントにまいった。記憶されるべき受難日でした。人は愚かだ…。この人は自分が何をしているかわからないのです…。
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