« 『新編 悪魔の辞典』 ビアス著 西川正身編訳 (岩波文庫) | トップページ | 『バカ田大学なのだ!?』〜天才バカボンより 赤塚不二夫 (ちくま文庫) »

2005.03.23

追悼 丹下健三 幻の迷作『駿府会館』

sunpu011 昨日、建築家の丹下健三さんがお亡くなりになりました。
 本当にいい意味でも悪い意味でも日本を代表する建築家であったと思います。91年間、自分の道を突っ走り続けた方でした。
 建築という創作活動は、とても特殊なものです。一応個人の作品ということになるのでしょうが、何しろデカイ。そして、それを観賞しようと思わない人びとまで巻き込んで存在し続ける。時代を超えて、ブームやファッションを無視して、展示され続ける。
 もちろん、人間の活動の場となるのが普通ですし、内側も外側もあります。使用目的だけでなく、いろいろな法律にも縛られます。そういう、私からすればメチャクチャな条件の中で、作家自身が主張するのは大変困難なことでしょう。私には想像すらできませんね。
 自己主張という意味では、丹下さんは間違いなく世界のトップクラスの実力をお持ちでした。だからこそ、毀誉褒貶にまみれる。天才の宿世ですね。
 さて、そんな丹下さんの作品。最近ではやっぱり東京都庁が一番有名でしょう。それこそ毀誉褒貶の嵐の中でも全く動じず仁王立ちしております。なんだこりゃ、と私も思いましたよ。しかし、慣れてしまうと、意外に親近感がわく。まさに、見せられているうちに慣れる。慣れると馴れる。飽きられるより馴れられた方が勝ちです。そのあたりを考えると、丹下作品がコンペで選ばれたというのは、世間が言うほど悪いことではなかったのだと思います。よくぞ選んでくれました、ですよ。
 さてさて、私にとって、最も愛着のある丹下作品は、1957年作の『駿府会館』(静岡市体育館)です。とは言っても、実はこの建物の中には入ったことがないんですよ。これからもないでしょう。もうそれ自体がありませんから。
 取り壊された丹下作品がどのくらいあるか知りませんが、華々しい歴史を持ちながらあっけなく消えたということでは、この駿府会館は随一の存在ではないでしょうか。1980年前後だったと思いますが、老朽化と言うか、耐震性が劣っているという理由か何かで、突然その姿を消したのでした。当時高校生だった私は、破片だけでも記念に取っておこうかと考え、友人と取り壊し現場を訪れた記憶があります。結局手に入りませんでしたが。
 今考えれば、私が静岡に引越した年に新しい文化会館がオープンしていますので、ちょうどその華々しい歴史を閉じる時だったのでした。
 で、この駿府会館、もともとは国体用の体育館として作られたのですが、将来的に多目的に使えるようにということで、かなり斬新な設計がされたようです。しかし、たいがいの場合、多芸は無芸。使い勝手が悪い、音響がメチャクチャ、加えてあちこち壊れる、さらに東海地震にはとても耐えられない…というわけで、結局、丹下先生の作品でありながら、痕跡すら残さずさら地にされてしまいました。なんか、静岡という街を象徴しているように思えるんですが…、気のせいかな。
 なんだかんだいって、大物クラシックコンサートから大物ロックコンサート、スポーツイベントから卒業式まで、本当に多目的に使われていたんですよね。そして、何と言っても、プロレスのメッカとして、多くの名勝負が繰り広げられたのでした。丹下健三とプロレス…なんかとってもシックリ来る組み合わせです。
 駿府会館の最後の想い出…チープ・トリックのコンサートを外で聴きましたっけ。防音なんか無いに等しい状況でしたから、しっかり堪能させていただきました。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

不二草紙に戻る
 
 

|

« 『新編 悪魔の辞典』 ビアス著 西川正身編訳 (岩波文庫) | トップページ | 『バカ田大学なのだ!?』〜天才バカボンより 赤塚不二夫 (ちくま文庫) »

ニュース」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55913/3403444

この記事へのトラックバック一覧です: 追悼 丹下健三 幻の迷作『駿府会館』:

« 『新編 悪魔の辞典』 ビアス著 西川正身編訳 (岩波文庫) | トップページ | 『バカ田大学なのだ!?』〜天才バカボンより 赤塚不二夫 (ちくま文庫) »