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2005.03.31

さらば、BS5ch独立音声

765gyt 夜、みちのくから帰ってきました。こちらは、あまりに春めいていてびっくり。富士山麓の残雪も一気にとけていました。あらためて東北地方の冬の長さと厳しさを実感します。
 さて、春と言えば別れと出会いの季節。特に今日は3月31日ですから、日本人にとっては大きな節目の日です。というわけで、今日は実に哀しい別れがありました。
 つい先ほど、午後10時をもって、BS5chの独立音声放送が終了いたしました。
 BSアナログ5chはご存知の通りWOWOWであります。WOWOWもけっこう危ないと言われていますが、その陰で淋しくその寿命を全うした…いやいや、全然全うじゃないな、最後は誰からも見捨てられて、生き延びることさえ許されなかった悲しい放送とは…。
 以下Wikiからコピペです。
 『衛星デジタル音楽放送株式会社(えいせいデジタルおんがくほうそうかぶしきがいしゃ)は、1990年、日本衛星放送株式会社(現:株式会社WOWOW)の子会社として設立。1991年に、「セントギガ」というチャンネル名で衛星放送による有料音楽放送を開始した。BSアナログ5ch(PCM)、BSデジタルラジオ333ch、BSデジタルデータ633ch、636chで音楽放送をしていたが、不況のあおりと業者間の競争の激化などに伴い、2001年秋に倒産した。その後、ワイヤービーに買収され、ワイヤービー衛星音楽放送事業部門の「Club COSMO」となったが、2003年10月1日、同部門の営業権を別会社のワールド・インディペンデント・ネットワークス・ジャパン(WINJ)に譲渡した』
 セント・ギガ時代は本当にお世話になりました。初期のタイド・テーブルにのっとった完全なる環境音楽時代も良かった。その後のランキングとアルバム丸がけ時代はもっと良かった。月600円で毎日様々なジャンルのニューアルバムを4枚ずつ聴けたんですから。本当に勉強になりました。私の音楽の視野(聴野)をものすごく拡げてくれました。それが…、ワイヤービーやらWINJやら、本当に訳の分からん会社に翻弄、陵辱されて、現在の情けない姿に。そして、ついに今日のこの日を迎えたわけです。
 と言うわけで、夜10時、この不運の放送の最期を看取り、いや聴き取りました。しばらく波の音が流れ、それがフェイドアウトして無音になる。何のアナウンスもない。ノイズのない沈黙。様々な思いが去来する…と思いきや、突然曲が始まるではありませんか!あれっ奇跡の復活?もう10時過ぎてるはず…。と思ったら10秒ほどして、ブチッとその曲は寸断され、その後本当の沈黙が。
 あ〜あ、最後の最後まで何やってんだか。往生際が悪いというか、いたちの最後っ屁というか、醜悪なる蛇足というか、悲しき断末魔というか…。迷走を続けた非運の武将の壮絶なる最期でありました。
 BSデジタル333chWINJは5月にリニューアルだと言っています。蝦夷地へ渡って新しい伝説を生むんでしょうか。しまいには大陸まで渡っちゃったりして。

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2005.03.30

納豆汁in秋田

S631 いつもは朝食を食べないワタクシでありますが、秋田に行くとついつい食べちゃうんですよね。だっておいしいんだもん。ニッポンの食卓。特に納豆狂いの私には、食べるなというのはあまりに酷な仕打ちです。
 朝食は全て自家製です。自家製というのは原料も家で取れたものということです。
 秋田の食べ物はネバネバ系が多い。というか、ほとんど全てがねばる。おくら、ながいも、モロヘイヤ、とろろこんぶ、ぎんばそう、なっとう、なめこ、わらび、みず、さし、じゅんさい…。それらが、ネバネバ大好き男からすると、たまらないわけです。糸引きまくり。
 中でもやはり秋田は納豆でしょう。日本最古のラップ「秋田音頭」にも出てきますね。♪秋田名物、八森ハタハタ、男鹿では男鹿ブリコ、檜山ナットウ、大館曲げワッパ…。元祖檜山納豆は地元でも手に入りにくいようですが、秋田が誇るヤマダフーズは納豆会社として全国区で有名ですよね。「おはよう納豆」どこでも見かけます。
 今日の食卓に並んだひきわり納豆もヤマダフーズのものでした。最近、臭みと苦みのない、納豆の風上にも置けない、納豆と呼ぶのもはばかられる製品が多い中、おはよう納豆は昔ながらの味わいを適度に残しており、さすがご当地と思わせるものがあります。
 というのは、秋田が納豆の発祥地であるという説がかなり根強くあるのです。まあ、東北にはいくらでも納豆の発祥地はありますけど。
「源義家の東北攻めの時、地元民から上納された大豆を煮ていたところ突然戦乱となり、とりあえずその大豆を藁に包んで、馬の背に乗せ戦いに臨んだ。翌日、豆と藁を馬に食べさせようとすると、糸を引きうまそうな臭い(笑)がした。ためしに食してみると実に美味だった」
 というような伝承だったと思います。よく言われることですが、最初に食べた人は勇気がありましたな。
 発酵食品というのは、偶然の産物ということが多い。甲斐の国の「鮑の煮貝」も馬の背の上で発酵したものでした。
 さて、そんな本場納豆ですが、もちろん炊きたてのあきたこまちとともに食すのも最高ですが、ご当地独特の「納豆汁」も絶品ですね。おそらく世界で最もおいしい料理の一つでしょう。イメージとしては、すりつぶした納豆ペーストを味噌汁に溶かし込むという感じですか。具材に季節の山菜やきのこなどをたっぷり使いますので、独特のダシが出て、えもいわれぬ風味を醸します。今日の具は、とうふ、わらび、ごぼう、あぶらあげ、もだつぃ?(きのこの一種)など。
 納豆汁の素というのも売っています。つまりすりつぶしてくれてあるので、非常に便利です。全国で(西日本は無理かな)売り出せば絶対売れるのになあ。永谷園のとは全然違いますよ。

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2005.03.29

セロ@宮沢賢治記念館

cl 今日は青森まで足を伸ばしてキリストの墓参りを果たすはずだったのですが、なにしろ東北地方はものすごい吹雪で、途中で断念してしまいました。う〜む、先日パッションを批判した祟りかあ?
 青森新郷村(戸来村)の有名なキリストの墓については、10年ほど前に参詣?をすませていました。その後、みちのく女と結婚した私は、いろいろと学ぶことがありまして、おふざけ(トンデモ)ではなく、真面目に考察したいことが出てきてしまいました。だから、今回は楽しみにしていたのですが…。夏には必ず行くぞ〜!その時には詳しく書けると思います。お楽しみに。
 それで、暴風雪の中、とりあえず北上西で高速道路を降りまして、まあ近場で済まそうかと、「宮沢賢治記念館」に行ってまいりました。こちらも10年ぶりくらいですかね。
 今年に入って、「銀河鉄道の夜」にある暗示を受けてたりしましたから、これはこれで意味のある訪問になりそうです。
 …と、期待していたのですが、正直、あまり収穫はありませんでした。法華経と国柱会についての資料は、思ったよりもたくさんありましたが、あくまで資料であって、解釈とか考察というレペルにはなっていません。記念館なのですし、学術論文を読む場所ではありませんからね。期待してはいけません。ただ、保坂嘉内と賢治の関係について、もう少し情報があるとなあ…。まあ、それは山梨県立文学館の仕事ですな。近いんだからそっちに行かなきゃ。
 ちょっと興味を持ったのは、例の賢治のチェロですね。あっ、チェロじゃない、セロだ。鈴木の楽器なんですね。少なくとも私の3万円チェロよりはいい音がしそうでした。いや、そんなことが問題なのではなく、賢治が実際にどんな曲をどんなふうに演奏したのか、ものすごく気になったのです。それほど上手でなかったであろうことは想像に難くないところですが、どのような思い入れをもってセロを奏でたのか。
 彼の音楽に対する知識と愛情は、文学の上にも色濃く現れていますからね。彼は西洋音楽のリズムを日本語の韻文や散文に持ち込んだ最初の人物だと思っています。日本語に革命を起こしたんです。そういう意味での賢治文学というのも、ちょっと研究してみたいところです。意外に誰も評価していませんからね。
 結局、記念館の中で、私を最もひきつけたのは、賢治のセロだったわけです。

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2005.03.28

赤田の大仏

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 今日は本荘市の赤田にある長谷寺に行ってきました。曹洞宗のお寺さんです。
 ここには有名な十一面観音像があります。
 いや、正直びっくりしました。こんな東北の片田舎(失礼)にこんな立派な仏像があるなんて。大仏というくらいですから本当にデカイ。もちろん奈良や鎌倉の大仏さんのデカさとは違いますよ。しかし、その迫力と美しさは、メジャーどころに勝るとも劣らぬものがありました。
 木像なんです。それでいて9メートルもあるんです、背丈が。
 私が長谷寺に着いた時は境内には誰もいませんでした。大仏殿となっている本堂には「ご自由にお入り下さい」と書いてあります。重い木の引き戸を開けると、もう目の前に大仏さんが…。思わず手を合わせてしまいました。
 本当に目の前、というか頭の真上にお顔があるのです。そして、こちらをぐっと見下ろしているわけです。不用意に目が合ってしまい、ちょっとたじろいでしまいました。それで思わず、すみません、という感じで合掌してしまったのです。
 今日はものすごい強風が吹き荒れていましたので、先ほど開けた戸を閉めました。堂内に私と観音様だけです。しばらくはセンサーライトが点灯していたのですが、少しすると、それがパタッと消えてしまいました。堂内には明かり取りの窓などがほとんどなく、かすかに差し込む外の光の中に、金色の観音様が幻想的に浮かび上がっています。実に不思議な気持ちになりました。
 外では風が大仏殿を揺らしています。しかし、堂内の空気は静かに固まっている感じです。なぜか現世の外にいるような気がしました。そうしてしばらく観音様と不思議なにらめっこを続けました。
 ふと、我に返ると、私の心の動きをセンサーがとらえたのでしょう、再び電燈がつきました。先ほどは、私と観音様二人だけだと思っていましたが、よく見渡すと、大小様々な仏像や神像が並んでいます。あまりにいろいろあって、一つ一つしっかり見てくるのを忘れてしまいました。写真には撮りましたけれど。
 どのくらいいたでしょうね。30分くらいは堂内を独占させていただいたでしょうか。久々に外側にいるような感覚を味わいましたね。以前坐禅中に似た経験をしたことを思い出します。
 外で人の声がしたので、もう一度ていねいに合掌礼拝して、引き戸を開けました。どーっと風が入ってきます。そして、堂内から出た私は、内側の世界に戻ってきたのです。
 
長谷寺について

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2005.03.27

おそるべし豪雪地帯akita

左より カミさんの実家付近、埋もれた鳥居、廃校になった小学校
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 本日より、カミさんの実家のある秋田県に来ております。ここは秋田県の南部に位置する羽後町です。羽後町の中でも、ここはいわゆる「山」。「里」に比べると恐ろしく雪が多いのです。正直びっくりしまくりです。
 今日はいつものように、車でこちらにやってきました。富士山から長野、新潟、山形を経由して秋田へ。途中、海岸部はほとんど雪が見られず、1メートル近く降った富士山に比べると大したことないな、なんて思っていましたら、大間違い。たしかに今年の雪はすごかった。
 海岸部の西目町から内陸に入っていくと、どんどん積雪量が増えていきます。実際雪も舞っています。そして、東由利で国道を離れ、山間部に入っていくと、もうそこは想像を絶する雪国。もうすぐ4月ですよ。なんですか、この雪は。
 正式記録によると、羽後町の山間部の今年の積雪量は2メートル65センチだそうです。しかし、雪降ろししたあとや、吹き上げのあと、またブルで積み上げたようなところでは、下手すれば4,5メートルの壁ができています。
 道路には全く雪は残っておらず、さすが除雪の技術は素晴らしい。山梨では絶対こうはいきません。大雪のあとはいつも被災地です。
 しかし、車窓からよく見ると、雪の重みで半壊した家(誰も住んでいないのでしょうが)、ほとんど埋もれた神社の鳥居など、太平洋側に住む者(それも雪を見ることすらない静岡出身)には想像だにできなかった光景が。
 さすが、全国屈指の豪雪地帯です。実際日本一になった時もあるとか、ないとか…。
 正直、どういう事情があって、このような土地に住むことになったのか、非常に不思議です。ちょっと失礼な表現かもしれませんが、何百年か前のご先祖様に、それなりの「ワケ」があったとしか思えません。
 いわゆる落人、あるいは敗者なのでしょう。実際、カミさんの実家のすぐ近くには「隠里」という字名も残っています。また、民俗学的にもそういったことを想像させることが多く見受けられます。
 今までも、春に何回かこちらを訪れたことはありますが、これほど「冬」の名残を体感したのは初めてです。
 この雪が5月には本当に全て消えるのでしょうか。きっと消えるのでしょう。そして、それが豊かな水の流れとなり、秋にはおいしいお米となってたわわに実るのでしょう。正直感動してます。

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2005.03.26

ミュシャ

Mucha 「Dance」
mucha_dance 生徒が「ミュシャ展」と「中宮寺半跏菩薩像特別展」に行ったということで、いろいろと資料などを見せてくれました。それにしてもすごい組み合わせですな。圧倒的に後者が良かったと。そりゃそうでしょう。
 しかし、私にとっては、ミュシャも大変興味深かった。なにしろ、こんなにいっぱいミュシャを観るのは初めてですから。生徒は、あんまりたくさんあって疲れたと言っておりました。それも分かる。展示して観るものじゃないですよね。
 しかし、作品集としてまとめて観ると、今までと違った印象を持つことは確か。で、結論から言うと…。これは現代のグラフィック・デザインそのものですな。いや、もっとはっきり言っちゃうと、少女マンガや美少女系イラストの世界そのものです。
 正直びっくりしました。今まではオシャレなパリのポスター程度の認識しかありませんでしたから。こんなにナウい(?)とは。
 美少女の表情、ポーズ、アイテム、背景、全体のデザイン、カラーリング、あまりに最近見かけるものと似ているので、頭が一瞬混乱するほどです。コミケとかで大量に売ってるんじゃないんですか。よく知りませんが。
 ギャルゲーと美少女マンガ大好きな男子生徒がミュシャに興奮して、携帯でパシャパシャ撮りまくってました。待ち受け画面にしてご満悦、オタク友だちに自慢するそうです。これが何よりの証拠ですな。
 この事実は、そっちの世界では常識なのかもしれませんね。私が知らなかっただけとか。
 それにしても、アール・ヌーボーですよ。100年前です。ちょっと前は印象派ですからねえ。それが現代のサブカルチャー(と言っていいのかな)に直結してるんです。驚きました。当時としてもかなり新しかったのでしょう。
 私は不勉強で、ミュシャがチェコ人だったなんて知りませんでした。フランス人だと思ってた。どうなんでしょう、スラブの血というのも影響してるんでしょうか。どこか東っぽいような気もします。
 などと考えていたら、もっと分かりました。これはジャポニスムそのものなんですよね。日本画や浮世絵の技法そのものじゃないですか。輪郭線と平面的な彩色、自然物と幾何学的紋様の意図的な配置。
 そう考えると、日本独特の少女マンガの画風や、イラストレーションの世界というのは、伝統に根ざしているということになります。それがちょっとパリに飛び火したと。たしかに日本は江戸から明治、大正、昭和と、芸術ではないコマーシャルなイラスト類を発達させましたからね。
 ミュシャ風なイラストはアメリカのモダニズムにも影響を与えました。それがコマーシャル美術の中枢になっていくんですから、日本の文化ってやっぱりすごいですね。本人たちがすごいと思ってないところが、またかっこいいじゃないですか。

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2005.03.25

『パッション』 メル・ギブソン監督作品

B0001X9D86.09.MZZZZZZZ 今日は受難日。例年なら受難曲を聴いて自らの罪を省みる日です。
 それが、今年は、自分にとっての本当の受難日になってしまいました。
 前々から借りていたメル・ギブソンの『パッション』を、今日のこの日にちなんで観てみたのです。
 結論から申しましょう。メル・ギブソンが犯した罪を赦せるか、あなた自身が試される映画です。
 信仰は人それぞれです。映画の鑑賞も人それぞれです。そんなことは百も承知ですが、あえて、私自身の感想を述べさせていただきます。私は赦せません。これは冒涜です。
 私はキリスト者ではありませんから、赦してやれよ、と言われてもダメなものはダメです。まあいいか、にはできますが。時間はかかりますよ、多少。それも、監督さんのためじゃなくて、自分のための「まあいいか」です。主よ、ごめんなさい。
 パッションの語源はパトスです。やっぱり受動的な激情なんです。日本語の受け身表現には、「迷惑」の感情が伴います。自分にとっての受難日と言ったのは、そういう意味です。「ありがた迷惑」。なんでこんなことしてくれちゃったの?いや、イエスに対してじゃなくて、メル・ギブソンに言ってるんですよ。
 キリストの受難の物語は、私に大きな影響を与えましたし、とても大切な存在です。それこそスプランクニゾマイ(随想駅伝「大切」参照)を感じる対象です。そういう大切なものを、こういうレベルで語ってほしくなかった。非常に恣意的に感じられました。普遍性などかけらもないと思いました。
 割り切って、一人の男のドラマとして、母と子のドラマとして、また、世界の不条理と悪意を暴くドラマとして観れば、それなりの作品だと思います。面白いと思います。
 しかし、これは聖書の物語ですよ。いくら、メル・ギブソンが命を懸けたと言っても、こういう語り口で映画化しようとしたこと自体、私には間違いとしか思えません。個人的な信仰の吐露ですか?自分の解釈と表現にそこまで自信が持てるのですか?冒涜です。そんなに軽いものなのでしょうか。これを観て感動するというのは、どういうレベルでの話なのでしょう。私がおかしいのでしょうか。たぶんそうなんでしょう。
 思わず興奮してしまいました。まさにパッションであります。今夜はバッハのマタイを聴いて、この心のささくれを治したいと思います。そして、久々にキリストの墓参りにでも行こうかと思いました。来週行けるかな。
 いやあ、ホントにまいった。記憶されるべき受難日でした。人は愚かだ…。この人は自分が何をしているかわからないのです…。

Amazon パッションTHE PASSION OF THE CHRIST

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2005.03.24

『バカ田大学なのだ!?』〜天才バカボンより 赤塚不二夫 (ちくま文庫)

4480037969.09.MZZZZZZZ 「♪都の西北、ワセダのとなり…」
 我が家のバイブル「天才バカボン」。困った時のバカボン頼み。悩み事が発生したら即バカボンの全集をひもときます。そこにはめくるめく神の世界が。バカボンのパパの言霊により、世界は解体され、そして再構築される。荒ぶる神による癒しです。うん、完全に神道の世界なのだ。実際、ウチの神棚にはバカボンのパパが奉祀されております。
 というわけで、文庫版全集も持っているのですが、たまにはこういうベスト版もいいものですよ。いやこれはオムニバス版かな。
 バカボンの登場人物の中でも、バカ田大学のOBたちは格別濃いですよね。その方々が総出演でバカのエキスを放出しまくるわけですから、そりゃ面白くないわけはありません。こういうキャラを考えつくだけでも、赤塚センセイは相当のパカ天才です。
 今回読み直してみて感じたのですが、赤塚センセイの言語感覚というのは、並ではないですね。同音や類似音による遊びの才能はケタはずれです。押韻や掛け詞、ダジャレなどは、音韻数の少ない日本語にとって伝統的な修辞法です。そこに日本独特の言霊が宿る。音魂と言ってもいいでしょう。
 近現代において、そういうモノの復権に一役買ったのが、漫画を含む「笑い」の世界でありました。そして、その集大成となったのが「霊界物語」であり、「天才バカボン」であったわけです。つまり、それらはソシュール&丸山的に言うなら、ラング化されないランガージュ、深層のロゴス(パトス)の発掘だったわけです。発掘ではないな。そんな意志はない。出口王仁三郎や赤塚不二夫を媒体にして発現、噴出してしまったのです。
 以前、フランス人に「天才バカボン」の英語版を読んでもらったのですが、全く理解できなかったようです。彼らにとってのラング化されないランガージュは、もうすでに無意識の彼方に葬り去られているのでしょう。表層のロゴスには意識的なストーリーがあります。しかし、ここには、ストーリーも辻褄も予定調和も脈絡も論理性も因果関係も何もない。カオスです。カオスは恐れ忌むべき対象でこそあれ、信仰や笑いの対象には間違ってもならないのでしょう。
 私は日本人ですので、やっぱりこういう世界に笑っちゃいます。たしかに理解はできませんが、理解できないことに安心します。カオスがコスモスを凌駕する世界、凌駕はするけれども駆逐はしないんですよ、こういう言わば複雑系のような世界こそ、自然だと思うのですが。
 なんて、理屈を語っても意味はありません。バカボンのパパと彼の同級生たちが奏でる壮大な言霊を、全身で浴びればそれでよしです。平和な気持ちになれば、それでよろしい。

Amazon バカ田大学なのだ!?

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2005.03.23

追悼 丹下健三 幻の迷作『駿府会館』

sunpu011 昨日、建築家の丹下健三さんがお亡くなりになりました。
 本当にいい意味でも悪い意味でも日本を代表する建築家であったと思います。91年間、自分の道を突っ走り続けた方でした。
 建築という創作活動は、とても特殊なものです。一応個人の作品ということになるのでしょうが、何しろデカイ。そして、それを観賞しようと思わない人びとまで巻き込んで存在し続ける。時代を超えて、ブームやファッションを無視して、展示され続ける。
 もちろん、人間の活動の場となるのが普通ですし、内側も外側もあります。使用目的だけでなく、いろいろな法律にも縛られます。そういう、私からすればメチャクチャな条件の中で、作家自身が主張するのは大変困難なことでしょう。私には想像すらできませんね。
 自己主張という意味では、丹下さんは間違いなく世界のトップクラスの実力をお持ちでした。だからこそ、毀誉褒貶にまみれる。天才の宿世ですね。
 さて、そんな丹下さんの作品。最近ではやっぱり東京都庁が一番有名でしょう。それこそ毀誉褒貶の嵐の中でも全く動じず仁王立ちしております。なんだこりゃ、と私も思いましたよ。しかし、慣れてしまうと、意外に親近感がわく。まさに、見せられているうちに慣れる。慣れると馴れる。飽きられるより馴れられた方が勝ちです。そのあたりを考えると、丹下作品がコンペで選ばれたというのは、世間が言うほど悪いことではなかったのだと思います。よくぞ選んでくれました、ですよ。
 さてさて、私にとって、最も愛着のある丹下作品は、1957年作の『駿府会館』(静岡市体育館)です。とは言っても、実はこの建物の中には入ったことがないんですよ。これからもないでしょう。もうそれ自体がありませんから。
 取り壊された丹下作品がどのくらいあるか知りませんが、華々しい歴史を持ちながらあっけなく消えたということでは、この駿府会館は随一の存在ではないでしょうか。1980年前後だったと思いますが、老朽化と言うか、耐震性が劣っているという理由か何かで、突然その姿を消したのでした。当時高校生だった私は、破片だけでも記念に取っておこうかと考え、友人と取り壊し現場を訪れた記憶があります。結局手に入りませんでしたが。
 今考えれば、私が静岡に引越した年に新しい文化会館がオープンしていますので、ちょうどその華々しい歴史を閉じる時だったのでした。
 で、この駿府会館、もともとは国体用の体育館として作られたのですが、将来的に多目的に使えるようにということで、かなり斬新な設計がされたようです。しかし、たいがいの場合、多芸は無芸。使い勝手が悪い、音響がメチャクチャ、加えてあちこち壊れる、さらに東海地震にはとても耐えられない…というわけで、結局、丹下先生の作品でありながら、痕跡すら残さずさら地にされてしまいました。なんか、静岡という街を象徴しているように思えるんですが…、気のせいかな。
 なんだかんだいって、大物クラシックコンサートから大物ロックコンサート、スポーツイベントから卒業式まで、本当に多目的に使われていたんですよね。そして、何と言っても、プロレスのメッカとして、多くの名勝負が繰り広げられたのでした。丹下健三とプロレス…なんかとってもシックリ来る組み合わせです。
 駿府会館の最後の想い出…チープ・トリックのコンサートを外で聴きましたっけ。防音なんか無いに等しい状況でしたから、しっかり堪能させていただきました。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

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2005.03.22

『新編 悪魔の辞典』 ビアス著 西川正身編訳 (岩波文庫)

4003231228.09.MZZZZZZZ 久しぶりに読んでみました。最近少しなまってるんで。
 こういう感覚を取り戻すためのバイブルですね、これは。つまり、毒舌を思い出すための気付け薬。
 知的なアマノジャクというのは、どの時代においてもcool!ですよね。常識や風習や教育や集団的自衛意識、そして単なる怠惰によって凝り固まった脳ミソに喝を入れる。閉じた片目を再び開かせる。ブラック・ユーモアは人生の必需品です。
 そんな風刺・毒舌の古典の一つが、この『悪魔の辞典』。今までに何度も読んでいます。比較的最近も筒井版を楽しみました。ただ、筒井さんによる名訳だと、なぜかブラックじゃなくなるんですよね。色が付く。ユーモアというのは加減が難しくて、よくやっちゃうのが、調子に乗りすぎというヤツ。筒井さんはちょっとそういう傾向がありますね。才能がありすぎると制御するのが大変でしょう。
 そんなわけで、制御の効いた、新・西川バージョンを読んでみました。
 このバージョンは抄訳です。どういう観点で抄出しているのか気になるところですが、ご本人によると、「編者の独断と僻見を尺度として然るべき見出し語を自由に選び出して訳出した」そうです。まあお気に入りだけ選んだベスト版みたいなものでしょう。
 それでもやっぱり気になるので、編者の僻見(独断は僻見の結果ですから尺度ではないでしょう)とは何なのか解読しようとしましたが、ちょっと無理でした…なんて悪魔に魅せられた編者の「言語」(われわれがそれを使って、他人の宝物の番をしている蛇たちをうまうまと手なずけてしまう音楽…byビアス)を真に受けてるようじゃ、私もまだまだですな。
 さてさて、そんな中で今回注目したのは「宗教」(「希望」と「恐怖」を両親とし、「無知」に対して「不可知なもの」の本質を説明してやる娘…byビアス)に関する記述です。
 その当時のアメリカのキリスト教事情は相当荒れていたようで、かなり厳しい語釈が並んでいます。ビアス自身は敬虔なカルヴィン派の家に生まれたそうですが、それにしては、いやそれだからでしょうか、容赦がありません。まあ、その辺は読んでいただくとして、そんな中で、どうとらえたら良いか、正直わからなかった語釈があります。それが、
「涅槃(nirvana)」
です。この語の登場自体、かなり唐突な感じがしますが、問題なのはその語釈。
「仏教において、賢人たち、とくにこの状態を理解できるほど賢明な人びとに授けられる、この上なく快い寂滅の状態を指して言う」
 これは何なんでしょうねえ。そのまんまのような気もしますが…。うがって考えれば、ツッコミどころはたくさんありますよ。「賢人」とか「授けられる」とか「この上なく快い」とか…。ビアスの場合、良く理解していることになればなるほど、そのまんま的表現をとって、あえて揶揄するようなところがあります。しかし、アジアの文化についての他の記述を見ると、ビアスがそれほど仏教の思想に明るかったとは思えません。だから、私自身も上手にツッコミを入れられないのです。う〜ん、これは謎です。まず原文に当ってみるべきですね。
 というわけで、他にもいろいろ気になるものがありました。実際あるのかないのか定かではありませんが、語釈のバックにある(はずの)コンテクストを想像するのも、また楽しいものです。
 な〜んて、また悪魔の思うツボですな。いえいえ、悪魔の口車に乗って(調子に乗って)、勝手に色を付けていくのが、この辞典の楽しみ方なのでしょう。そう私の中の悪魔がおっしゃっております。

Amazon 新編 悪魔の辞典

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2005.03.21

3in1コーヒーメーカー

img10161233182-1 私、コーヒー依存症です。日本酒に対するようなこだわりは全然ないのですが、一日何杯も飲みますね。私は夕飯しか食べませんから、朝と昼はコーヒーがメインです。リラックス効果、眠気覚まし効果などなど、仕事上の必須アイテムでもありますね。体が欲しています。大腸ガンを防ぐ効用もあるとか。
 私は早寝早起き派でして、昨日は2時半、今日は4時起床。まあ昨日は早すぎですけど、だいたい日の出の30分くらい前に起きるのを目標にしています。だから夏は4時ごろ、冬は6時すぎです。自然のリズムに合わせた何とも原始的な生活です。薄明の頃起きだして、日の出を拝むわけですね。
 そして、その日の出を浴びながらコーヒーを飲むんですよ。日の出コーヒーです。
 今までは、やかん片手にドリップしていましたが、どうも私はせっかちなので、ゆっくりいれるのが苦手。薄くて正直おいしくない。
 というわけで、ある意味邪道ですが、コーヒーメーカーを買うことにしました。で、せっかく機械にやってもらうわけですので、エスプレッソやカプチーノの楽しめるものにしよう、ということになりました。
 調べてみると、そういうタイプはとっても高いんですね。ウン万円もする。ぜいたく品なんだなあ、などと半分あきらめつつ、さらにネットをさまよっていると、ありました!安いのが。
 エスプレッソ&カプチーノメーカー付きで7000円切ります。けっこう大型でレギュラーコーヒーなら12杯分までOK.さすが中国製。価格破壊だわ、こりゃ。ウチは最近中国製品が増えたなあ。
 さて、そんな謎のマシンが先日到着し、早速いれてみました。
 うん、とりあえず自分でいれるより上手いし美味い。粉自体500グラム398円なんていうトンデモ品ですから、これで充分でしょう。納得です。使い勝手も悪くない。
 エスプレッソをいれてみましょう。へえ〜、こうやっていれるんだあ。お〜、なんとなくエスプレッソっぽいぞ。今度はちゃんとエスプレッソ用に豆を挽いてもらってこよう(じゃあ今の粉はなんなんだ?)。
 次はカプチーノです。説明書が不案内でよくわかんないよ〜。うわぁ!ミルクが飛び散る〜。つまりミルクの泡立て方がよくわからないのです。まあいいや。とりあえず出来上がりっと。うんうん、なんかカフェオレだなあ。でもこれはこれでおいしい。
 というわけで、今後の研究課題は山積しておりますが、なかなか面白いですね。もともとそんなにこだわりはないし、まあインスタントよりおいしければいいという程度の味覚ですから。コーヒーの味より何より、インテリアとしてなかなかいい味出してるのがよろしい!
 というわけで、充分満足に値する製品でした。なんちゃってコーヒー派の方にはおススメします。

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2005.03.20

地震お見舞い&提案

s2367765 今日はオウムのことか、いかりや長介さんのことでも書こう思っていたのですが、九州で全く意外な地震がありましたので、そのことに関連して少し私の考えなどを書かせていただきます。
 まずは被災された方々にお見舞い申し上げます。特に地震については無防備な地域でしたからね。本当にびっくりしました。地震(予知)マニアの私も、一瞬「えっ?」という感じでした。
 実は今日は夜から静岡の実家に来ております。静岡と言えば、もう30年前から「今日起きてもおかしくない」と言われ続けている地域です。もちろん東海地震の話です。
 そんな静岡では地震らしい地震はあまり起きず、神戸や北海道や新潟や北九州で大きな地震が起きているわけで、こんな事実からも地震予知の難しさがわかるというものです。
 さて、先ほど「地震(予知)マニアの私」と書きましたが、これはちょっと大げさでした。本当のマニア(プロは除く)とは、例えば串田さんとか行徳高校の皆さんとか、そういうレベルの人たちのことを言うのでしょう。私は興味がある程度でした。
 ただ一つ、もう小学校当時からなんですが、大きなアイデアというか、構想のようなものを持っておりました。それは、総合的な地震確率の算定及び発表です。
 先ほど挙げたマニアの方々だけでなく、プロ、アマ合わせれば、かなりの数の人が独自の地震予知のノウハウを持っています。電波、磁場、イオン濃度、地震雲、動物の行動、井戸水…。ただ、それらが結局のところバラバラに行われていて、今回はこっちが当たったとか、あっちが当たったとか、なにか宝くじ売り場どうしの宣伝合戦みたいになっているのです。
 今回の北九州の地震でも、専門家は空白地域だったと言い訳をしていますが、実際、宏観現象を捕らえたアマチュアもいるようですね。とにかく、そういった情報を集めて、地震発生確率を毎日はじき出して、天気予報の降水確率のように、あるいは花粉情報のように発表すべきだと思います。注意しましょう、傘を持って出ましょう、花粉対策は万全に、でいいのです。
 「明日の何時ごろ、どこそこでマグニチュードいくつの地震があります」…これは無理です。また、これをやったら、パニックを招くだけです。だから、今日は、これだけの数の人がこういう確率で注意を促しています、でいいと思うのです。
 天気予報もしょせん経験による個人的な確率論にすぎません。しかし、それを毎日やることによって、私たちのそれに対するスタンスが安定し、また精度自体も上がってきたのです。
 ちなみに、私は月齢(つまり潮汐力)と地震発生の相関関係について調べていました。有史以来の記録に残っている地震は全て調べましたが、非常に明確な相関関係が見られました。今日の地震も、そういう意味では危険日に発生しています。まあ、それによれば、毎月2回ずつ危険度の高まる期間があるわけで、そんなの全然予知じゃないと言われそうですが、だからこそ、総合的に他の情報と組み合わせるべきなのです。
 誰か、というか、国がやってくれないかなあ。宝くじ売り場全部集めれば、そこに必ず当たる店があるんだけど…。当たり前だけど真実です。

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2005.03.19

『網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』 東浩紀 その他

4791760093.09.MZZZZZZZ 私は、新書程度の本なら1時間くらいで読み終わります。というか、私の読書術はたぶん特殊です。そうですねえ、いわゆるナナメ読みというやつに分類されるでしょうか。まずあとがきを読んで、次に目次。だいたいの目星をつけて前からパラパラ。「匂う」ところや「臭う」ところだけ字を追います。で、「使える」あるいは「あとでもう一度」と思った部分を見つけたら、ページの隅を折ります。線は引きません。線を引くだけでは後で探すのが大変です。ページがわかれば、あとは嗅覚が記憶していますから隅を折るのが一番。
 こんなの読書じゃないって言われても仕方ありませんが、私は「質」にこだわるので、良「質」に出会うためには「量」が勝負なのです。インターネットでサーフィンするのと同じ感覚です。サイトには線引きできませんよね。ページにしおりを挟むだけです。それと同じ。
 で、他の本を読んだり、違うことをしている時に、本能的にまた嗅ぎたくなる。そうしたら、引っ張り出してきて読みかえす。(本やサイトの)どこに何が書いてあるかを知っていることも「知識」だと思います。あるいは検索術も。読書における「嗅覚」は重要ですよ。
 てな具合で、今日もクンクンと面白い本を読んでみました。え〜と、折ったのは8カ所かな。興味あっても知らないことの多い世界なので、これからの課題を探すという意味で非常にためになりました。
 これは簡単に言うと、「おたく」についての評論集です。「おたく(この本ではオタクという表記)」「やおい」「萌え」などを学問的に分析しております。
 「おたく」はもう充分に日本文化になっているわけですし、自分自身も「おたく」気質を持っておりながら、しかし不本意にも「おたく」になりきれないでいる状態なので、筆者たちの姿勢には大いに共感し、また期待してしまいます。
 私は、「おたく」は現代の産物だとは全然思っていません。平安時代の貴族文化や江戸時代の町人文化など間違いなく「おたく」です。では、武家文化は体育会系かというと、これまたオタッキーだったりするわけで、つまり近代化する以前の日本の文化はほとんど全て「おたく」だと思っています。
 そして、それを生み出す土壌、すなわち日本人と日本の特徴というのは、三つ。まず、ネオテニー。つまり子どもっぽいということ。幼いということ。次に、平和。精神的、時間的余裕がある。そして、経済的に裕福であること。これも余裕があるということ。
 これはあくまで私の予感ですよ。学問になってない。
 この本では立派なおたく学者さん(「おたく」を研究しているという意味ではなく、「おたく」な学者さん)や「おたく」を仕事にしている方々が、熱く熱く学問しています。正直エキサイティングです。その行為自体がすでに「おたく」してます。つまり、結局内側からの学問になっており、それこそが「おたく」の特徴だということを、はからずも明らかにしているわけです。客観的(学問的)であろうとしているのに、結局「おたく」自体に「萌え〜」しちゃってるのです。
 そう考えると、「おたく」とは究極の自己愛の形なのかもしれません。そして、それが理解でき、共感できる日本人としての自分がいる。それを確認しました。ただ、それぞれの事象についてはあまりに知識が不足している。だから、「おたく」の仲間入りは出来ないわけです。最初に書いた読書術のような情報収集の仕方では、「おたく」もどきにはなれますが、ホンモノにはなれない。つまみぐいではダメ。努力と愛が足りないのかあ。残念。
 いまや世界にはばたく「おたく」文化。外国人には理解できないゆえに憧れにもなったのは「ジャポニスム」。しかし、いまや平和で裕福で幼い外国人も増えました。だから、「おたく」は憧れではなく、共感や理解の対象になっています。
 早く世界中が「おたく」文化に覆われますように。戦争はいやです。貧困もいやです。大人の金勘定もいやです。

Amazon 網状言論F改

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2005.03.18

高木ブー 『LET IT BOO』

B00005G315.09.MZZZZZZZ ビートルズのカバーはいくらでもありますが、今日はそんな中の隠れた名盤をおススメします。あの高木ブーさんの『LET IT BOO』です。
 高木ブーさんはもちろんドリフターズのメンバー。コメディアンとしてのドリフだけを知っている人にとっては、タイトルも含めて、え?おふざけじゃないの?という感じではないでしょうか。
 しかし、ドリフターズと言えば、ビートルズの日本公演の前座をつとめたこともある名バンドという一面もあります。
 特にブーさんはスライドギターの名手、またウクレレの名手として、知る人ぞ知る存在。おおげさでなく日本屈指の奏者です。
 そう考えると、ビートルズの来日から35年ほどたってこのアルバムが録音されたということの感慨も深まりますねえ。あの時、「のっぽのサリー」をやったんですよね、ドリフは。
 さて、ブーさんと言えば、やはりハワイアンです。ですから、このアルバムのビートルズもコテコテのハワイアンに調理されています。しかし、そこで動じないのがビートルズのすごさですね。ハワイアンであり、高木ブーであり、そしてビートルズであるわけでして、総体としてももちろんグーですが、いろいろな側面からの聴き方というものも可能となります。素材と調理法の幸運な出会いであり、また素材の美味さが調理によって引き立つという好例でしょう。やっぱり料理は素材が第一ですな。
 おっと、料理ではなかった。音楽でした。
 さて、このアルバムで演奏されているのは、1.OB-LA-DI,OB-LA-DA 2.MICHELLE 3.YELLOW SUBMARINE 4.SHE LOVES YOU 5.YESTERDAY 6.ALL MY LOVING 7.HERE COMES THE SUN 8.LOVE ME DO 9.TICKET TO RIDE 10.GIRL 11.LET IT BE という超名曲たち。これだけのビートルズのベストオブベストをカバーするのは、なかなか勇気のいることです。実際、複数のアーティストによるカバーアルバムというのは、いろいろなジャンルにわたって結構ありますが、一人でとなると、世界中見回してもそんなにありません。そりゃそうですよね。自分で曲作った方がどんなに楽でしょう。
 いい素材を自分流に調理して、その素材を知り尽くした人たちに食してもらうことを考えればよくわかります。素材の良さが台無しだあ!なんて言われそう。ああ、こわい。そういう意味でも素材が第一。
 それにしても、ブーさんのファルセットの素晴らしさ。柔らかくて透明。人柄がにじみ出ているようです。英語も堪能ですしね。こういう人が雷様に扮し、さりげなくウクレレをつま弾いていたとは。能ある鷹が爪を隠していたわけですね。いやいや、爪を隠したらつま弾けないか。
 とにかく、ビートルズを通じて高木ブーさんの人柄(音楽)に触れることができ、そして高木ブーさんを通じてビートルズの素晴らしさに触れることができる名盤だと思いますよ。

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2005.03.17

『今どきの子はこう育つ―2002年“幼形成熟(ネオテニー)”人が社会を変える』 くもん子ども研究所

hjtvvfy566651 ノストラダムスを筆頭に、エドガー・ケーシーとか、某宗教団体のトップの方々など、とにかく世紀末は予言に忙しかったですなあ。今となっては懐かしい限りです。あれは毎世紀末繰り返される「集団気分」の醸成であります。終われば、当たろうがはずれようが(特に後者か)すっかり忘れてしまいます。
 だいたいが悪いことを予言して、マイナスの「集団気分」を助長しますから、はずれても文句は言われない。昔の(今も?)天気予報が、雨が降り出す時間を実際の予報より早く、そして雨が上がる時間を遅く発表した、というのと同じですかね。
 当たったら当たったでほめてもらえるわけで、悪いことはなんにもない…こともないか。富士山大爆発の人とか、国会でも問題視されましたっけ。
 さて、今日読んだ予言書はちょっと毛色が違います。いわゆる予言者ではなく、あの公文さんの本です。
 実は、ネオテニーに興味があって、それに関する一番安い古本を買ってみたのでした。2002年じゃあ、そんなに古くないし、なんて思ってネットで注文してしまいました。さて、家に届いてみると、これはビックリ。
 看板に偽りあり、これは予言書であって、2002年の10年前、つまり1992年に書かれていたのでした(笑)。
 しかし、そのおかげで、当初の目的とは全く違うところで楽しませてもらいました。
 そう、まじめな予言書のまじめなはずれ具合にです。いやいや、結構当たってることもありましたよ。
 でも面白いのはやっぱり「はずれ」です。文句じゃありません。笑わらせてくれてありがとう、です。
 この本は、くもん子ども研究所が1992年当時の子どもたちを分析し、現状を「TREND」(笑)として紹介し、次にごていねいに「KEY WORD」解説、そしてそして、最後に10年後つまり2002年の予測、いや予言するという内容です。子どものいろいろな側面をいくつかのジャンルに分け、それぞれにそういった分析を施してあります。ですから、一冊で何度も楽しめます。
 「はずれ」もいろいろあるわけですが、紙面の関係上、一番面白かったのだけ紹介しますね。これです。
「2002年のコミュニケーション事情
 …自分の興味のある情報だけをブラックホールのように吸い込み吐き出さないおたくは、2002年までに絶滅してしまうでしょう。生き残ったとしてもそれは60年代ヒッピーのように細々と生息するだけだと思われます。…」
 う〜ん、素晴らしい予言。ここまで見事にはずれると嬉しい限りです。絶滅するはずの種が、細々どころか3000億円に迫る市場を生み出しているわけですから。万歳!
 それにしても、公文て、ずいぶん類型化するのが好きなようですねえ。こういうふうに個々の子どもを見ていると思うと、ちょっと恐ろしいような気がします。もちろん、そんな単純じゃないでしょうけど。とにかく、この本は恐ろしいほどに十把一絡げにしています。そこも笑えました。特にそれぞれの章のはじめにあるチャートね。最高だなあ。おたく好みの極上ネタを提供しちゃってます。
 ps インターネット、ケータイという言葉が一度も出てこない(あたりまえだけど)ことにある意味感動しました。

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2005.03.16

花粉症が完治!(一日一食で)

ikjrrtmages 25年ぶりの花粉症のない春です。
 今日は気温も上がり、風が強く、まさに花粉日和。以前の私でしたら本気で死んでいたでしょう。冗談抜きで、死にたい気持ちになるくらいひどい症状が出ていたと思います。それが…、今年は全くと言っていいほど何も症状が出ません。ついに花粉症が治ったようです。
 いやいや、本当に私はひどい花粉症に悩まされていたのです。昔の私を知る人なら、ああ確かに悲惨だった、と言ってくれるでしょう。はたから見ても死にそうだったようです。鼻水、クシャミ、目のかゆみなんていう基本は当然として、発熱、鼻血、頭痛、体の中のかゆみ、頭の中のかゆみ、倦怠感…。本当にかなりの重症患者でした。毎年バレンタインデーくらいになると始まり、ゴールデンウィークまで、世の中が春だ春だと浮かれている時に、私は本当に辛い思いをしていました。大学受験を失敗したのも半分は花粉症のせい…にしています。だって、受験会場で鼻血ブーですから。血に染まる答案…。で、薬をいつもの倍のんだら今度は見事睡眠…zzz。そりゃ落ちるわ。
 で、そんなひどい花粉症がなぜ、飛散が悲惨だと言われる今年、全く発症しないのでしょう?
 それは、9ヶ月前から始めた一日一食生活のおかげだと思われます。いや、絶対そうです。
 以前紹介した「一日一食断食減量道」に背中を押され、ダイエットのために始めたこの生活ですが、本当に思わぬ所に思わぬ効果が表れています。正直びっくり。
 10月に中間報告した通り、何しろ四半世紀ぶりにベスト体重に戻り(4ヶ月で8キロ減少)、そしてその後はそこで安定しています。エネルギーの出入りが均衡している感じ。体脂肪は6%下がり、完全なる正常値に。午前中の腹痛は皆無になり、午後の眠気もなし。さらにやる気がみなぎり、今まで躊躇していたことをたくさん始めることができました。ほとんど病気知らずですし。
 そして、花粉症完治です!
 花粉症のない春がこんなに素晴らしいなんて!!花粉症のみなさん、ごめんなさい。いえ、ぜひ私と同じ奇跡を起こして下さい!いえいえ、奇跡ではありません。当然の結果です。薬も何もいりません。本当です。
 もともと花粉症は、現代人の食生活、つまり栄養過多による免疫の過剰反応なのですから、今の私のように無駄な栄養(特にタンパク質)を摂っていなければ、起こりようがありません。つまり、昔の日本人に戻ったようなものです。
 体は正直でした。「一日一食断食減量道」の加藤寛一郎さんがおっしゃる通り、人間の体も「エネルギー保存の法則」に従っているだけですし、だからこそハングリーであることは全てに前向きなことなのでした。なんで今まで気づかなかったのだろう…。
 とにかく粗食、断食マンセー!です。そして加藤さんありがとう!

一日一食経過報告(血液検査結果)

Amazon 一日一食断食減量道

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2005.03.15

曽根麻矢子 『ラティーナ』

B00006AV2M.09.MZZZZZZZ え〜、昨日のシュタイアーによるファンダンゴ、良かったですねえ。最後に入っていた編曲版(チェンバロ2台による)ファンダンゴの元ネタはボッケリーニのギター五重奏曲です。そちらのCDも同時にお借りしていたので昨日聴いてみました。やっぱりギターはいいですなあ。リアルマドリードって感じ(?)。
 で、今日はファンダンゴつながりで、曽根麻矢子さんのCDを引っ張り出してきました。
 『情熱のファンダンゴ』…故スコット・ロス師匠の大事業「スカルラッティ全集」の補遺的内容のCDですね…でも、曽根さんはスカルラッティのファンダンゴを弾いています。そこでも、彼が残した楽譜を未完のものとして、即興的な変奏を加えていました。それをさらにパワーアップさせた2002年版が収録されているのが、この『ラティーナ』です。スカルラッティ(&曽根)が頭でお尻にソレル。シュタイアーと同様に団子で挟んでアルバムを構成しています。
 曽根さんは、日本人ばなれした(?)ラテン的センスの持ち主です。フラメンコもお上手ですし。一度コンサートの練習の様子を盗み見(盗み聴き)させていただいたのですが、ものすごいエネルギーと集中力に思わずたじろいでしまいました。その時はバッハのフランス組曲を弾いたいらっしゃったのですが、完全にラテンのノリになっていて、なるほどこれが本当の「フランス」組曲か!と思いました。このCDももちろんコテコテのラテンです。
 さてさて、いささか、個人的な話になりますが、曽根麻矢子さんのファンダンゴとワタクシとは浅からぬ因縁がございます。不肖ワタクシめ、曽根さんとデュオでファンダンゴを演奏したことがあるのです。たぶん御本人も覚えていらっしゃることでしょう。何しろ、その時の使用楽器は…。
 曽根さんがお琴、ワタクシが三味線でしたから!演奏した場所もすごいですな。健康温泉施設の宴会場ですからねえ。すみません、もしかすると、秘密にしておかなければならない経歴なのかもしれませんね(笑)。でも、楽しかったな、ありゃ。
 その時の私の即興演奏(ソレルの団子を元にした)を参考にしたのが、このCDに収録されている2002年版スカルラッティ団子だそうです…なわけはない。
 もう一つ、ロスや曽根さんが録音に使用しているチェンバロを製作したデイビッド・レイさん。なぜかこの方とも一度お会いしたことがあります。それも彼の方から、私の当時の家(なんと荒れ寺)を訪ねて来たのです。その当時、彼は田舎に工房を探していたようで、どういうわけかウチを紹介され、迷い込んだのでした。スコット・ロスの話などを聞かせていただき、ダングルベールのCDを二人でしみじみと聴いたような記憶があります。
 不思議なご縁ですね。今考えると、とんでもなく雲の上のお二人ですからね。
 ところで、昨年曽根さんが出した「シャコンヌ」。これは自分にとっては必聴なのですが、CCCD/SACDハイブリッド仕様ということで、二の足を踏んでます。編曲にも演奏にも興味あるのですが…。

Amazon ラティーナ シャコンヌ

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2005.03.14

アンドレアス・シュタイアー 『ファンダンゴ〜スペインのチェンバロ音楽』

Andreas Staier 『Variaciones del Fandango Espanol』
B00000IMUA.01.MZZZZZZZ これは素晴らしいアルバムですね。一昨日シド・バレットを聴かせてくださいました方の旦那様によるおススメです。
 以前からスペインの古楽には強い興味を持っておりました。カベソン、モラーレス、セレロールス、ソレール、ボッケリーニなどを聴いてきました。
 もともとは、大学時代、山田流箏曲をやっていた時、八橋検校の六段などの段物が、スペイン、ポルトガルの変奏曲の影響を受けているんじゃないか、と思ったのがきっかけですかね。八橋さん、筑紫箏を極めた人ですし、時代的にもちょうどキリシタン世紀ですから、ありえるんですよ。というか、輸入された向うの音楽をこちらの音楽家が聴かない方が不自然です。
 そんなわけか、なんだか分かりませんが、スペインの音楽には愛着を感じるんですよね。なにか懐かしい感じがする。カタロニア地方の民謡なんか泣けますよね。
 さてさて、シュタイアーのチェンバロは、MAK時代から結構好きでした。若い頃は、ただ過激という感じ(単にゲーベルと一緒にやってたからかな)でしたけれど、ここのところの彼は、完全に巨匠のオーラを出していますね。フォルテピアノでの業績も特筆に値します。最近出た「トルコ行進曲」も面白いそうですね。聞いてみたいところです。
 このCDでの彼も、知性と感性のバランスが見事で、エネルギッシュかつ緻密な演奏を披露しています。曲も新鮮な響きに満ちていて楽しめました。
 特にアルベロの「レセルカータ,フーガとソナタ ニ調」が最高にかっこよく刺激的でした。フーガの部分なんか、それこそショスタコーヴィッチのように新しい感じがします。これはバロックじゃなくてロックですな。プログレ。そのあとのソナタの部分のおバカさ加減がまた絶妙です。ラテンですね。
 このアルベロという人、34歳で亡くなってるんですね。夭逝のロッカーでしょうか。伝説のカリスマだったりして。パーセルやモーツァルトもそうですが、彼らのように若くして亡くなるロッカー(?)の音楽には、共通した「狂気」を感じます。一昨日書いた通り、その「狂気」は、時代よりかなり先を駆け抜けてしまい、そして歴史の中に語り継がれるようになる。彼らは幸せだったのでしょうか。命あっての物種という気もしますが。

Variaciones del Fandango Espanol

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2005.03.13

『南部美人』 純米吟醸

gin02 本日は近所の寄り合いでした。最近家で食事してませんな。なにしろ一日一食(夕飯だけ)ですので。
 というわけで、おいしい和食をいただきながら呑みましたのは、岩手のお酒『南部美人』です。ものすごく呑みごこちのよいお酒で、最初から最後までこれ一本で行きました。私にしては珍しいことです。
 酔う前にしっかり味を確かめてみました。このお酒の長所はなんといってものどごしの良さでしょう。とてもさらさらしており、のどから鼻へ香りが抜けていく感じがとても清々しかった。だいたいこの時期は、お酒を呑むと花粉症が発症するのですが、なぜか今日は逆に沈静化されたようでした。不思議です。
 ところで、南部と言えば南部杜氏のふるさとそのものであるわけですが、岩手から青森、秋田に至るまでのいわゆる南部藩のルーツは甲斐の国なんですよね。今で言う南部町。山梨県の河内地方です。
 このあたりというのは、山梨県としては特殊な地域でして、山間部でありながら、富士川の水運で駿河の海岸部と強いつながりがありますし、河内地方という名前にも象徴されるように、西の文化が多く入り込んでいるところです。言葉の面でも奈良田は有名ですよね。
 まあ、簡単に言ってしまうと、落人がたくさん来たということで、都や上方の文化や技術が多く流入して、そしてくすぶっていたわけです。そんな南部氏が縁あって陸奥に行くことになった。ここにもいろいろと複雑な事情があるようですが、とにかくまたもや文化や技術を持って移動していったわけです。そして、今度はくすぶらずに開花したということですね。南部杜氏はもちろん、南部鉄器、南部せんべいもかな?
 いまや南部杜氏は全国区。九州と沖縄以外の地域に、まんべんなく散らばっています。なんか歴史を象徴しているようで面白いですね。
 奥州南部藩と甲斐国南部氏との関係については、東北の方々はけっこうよく知っていらっしゃいますが、ルーツである山梨の人はあんまり知らないようです。
 とにかく、『南部美人』に誘われて、時空を超えたイマジネーションの世界を散歩させていただきました。そういう意味でもおいしいお酒でしたね。感謝感謝。

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2005.03.12

シド・バレット 『帽子が笑う…不気味に』

Syd Barrett 『The Madcap Laughs』
B000024KBA.01.MZZZZZZZ 今日は友人宅にお呼ばれ。素敵なディナーをいただきながら、芸術談義などを楽しみました。ごちそうさまでした。
 さて、そこの奥様のおススメがこれ。シド・バレットのソロアルバムです。う〜ん濃いですなあ。シドと言えば、ピンク・フロイドの初代メンバーというか初代ピンク・フロイドそのものである、という認識はありましたが、ソロは聴いたことがありませんでした。というわけで、私は初体験です(もちろんカミさんも)。
 いやあ、かなりぶっとびましたね。ピンク・フロイドとは全く違う印象を持ちました。もちろんその実験性というか、革新性はプログレッシヴと言えるのでしょうが、なんというか、フロイドよりもかなり生々しい人間を感じさせるものでしたね。 
 そうそうたる共演者が名を連ねていましたが、出てくる音は全編シド以外の誰でもないという感じ。ほとんどフォーク・ギターとシドのボーカルしか耳に残りません。それもザクザクと切り刻むような音。そして言葉…いや実際のところ、私は英語がほとんど分かりませんし、だいぶ酔っぱらっていたので、なんとなくイメージでしかないんですが、とにかくすごそうです。アルバムタイトルや曲のタイトルだけ見ても、充分その卓越したセンスを感じますよ。
 そういうセンスをサイケだとか言ってくくってしまうのは簡単です。ドラッグの産物だと言うのもありだとは思いますが、そういう先入観を捨てて向かい合ってみれば、やはりそこにあるのは命を削った末に出てくる言葉や音楽なのです。実際、シドはその後数枚のレコードを作って死にます。ミュージシャンとして表現者としては死んでしまうわけです。
 ある意味、ピンク・フロイドという商品から追い出されて、初めて本来の自分の魂を表出できたのでしょう。そして、もぬけのからになった。彼の芸術家としての才能とエネルギーはそこまでだったのかもしれません。
 このアルバムを聴きながらいろいろとお話しましたが、やはり、芸術家というのは個人的な「狂気」に商品としての「社会性」を与えられなければ、時代に生きていくことができないんですね。ただ、それはほとんど不可能なことであり、結局「時代」を取るか、「歴史」を取るかということになってしまう。「時代」の寵児になる道を選べば、本来の自分を殺しながらも生き続けることができる。「歴史」に名を残す道を選べば、人間としての自分は死んでしまっても、魂は生かし続けることができるわけです。この選択は本当に難しいですね。もちろん、そんな選択すら許されないフツウの人がほとんどなわけですが…。

Amazon The Madcap Laughs [Bonus Tracks #1]

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2005.03.11

『「わからない」という方法』 橋本治 (集英社新書)

408720085X.09.MZZZZZZZ 数日前おススメした内田樹先生の『先生はえらい』。そこで「謎」の話が出てましたね。今日はそこにつながりのある本を読んでみました。橋本治先生の本です。
 また、頭のいい人の本ですね。頭のいい人が「わからない」って言うのがにくいっすね。
 頭のいい人が謙遜するのって、かっこいい時もありますが、ちょっとイヤミに聞こえる時もありますよね。「自分のバカさ加減をリアルにクールに自己評価できる=知性」という内田先生の意見には大賛成ですが、バカさ加減を知るのにも知性が必要ということですから、結局自他共に認めるバカになるためには知性がなくてはならない、というパラドックスに陥るわけです。
 そうすると、バカにもえらい人にもなれない凡人がうようよ発生するわけで、結局世の中は変わっていかないんですよ。ただ、ほとんど無に近い可能性にかけて、えらい人は本を書く。それがなくなったら、全員が凡人になってしまって、たぶん世の中は終わりを告げるのだと思います。
 さあさあ、そんな凡人の戯言はいいとして、さて、このえらい人の本ですが、そうですね、なかなか勉強になりました。
 「わからない」をスタートとして「わかる」を経て「わかった」のゴールに至る。その通りでしょう。えらい人にはそれができます。
 我々凡人はまず、「わからない」ことに気づかない。「わからない」ことがなんだかわからない。そう、「無知の無知」なのです。そしてよしんば「わからない」ことがわかったとしても、どうしてわかればいいかわからない。だからゴールには永遠に到達できません。
 また、橋本先生がおっしゃるように、その道筋には根性が必要です。しかし、私には「天を行く」ことも「地を這う」根性もありません。
 やっぱり、人の才能というのは「やる」か「やらない」か、「やれる」か「やれない」かが最終の分岐点になるのですね。そう考えると、たしかにえらい先生にも本当のバカにもなれないわけです、私は。
 ただ、せめてただの凡人ではなくて、いろいろもがいて苦しんで楽しんでいる生きた凡人になりたい。この本を読んで、そんなことを思いましたね。じたばたしてる凡人。
 私にとっては、「わからない気がする」→「でもわかる予感もする」→「ちょっぴりわかろうともがく」→「わかったような気になる」→「冷静に考えるとやっぱりわからない」→「でもちょっと満足」、この繰り返しが理想です。だから、「わからない」という方法ではなくて、「わからない気がする」→「でもわかる予感もする」という方法がスタートなのです。
 そこに必要なのは思い込み。あとは唐突ですが、インターネットにつながる環境。インターネットで人の脳ミソと根性を拝借するという作業が、「ちょっぴりわかろうともがく」です。 それで「わかったような気になる」 わけですね。なんとも底の浅い思想であり、体験であります。
 てなわけで、「冷静に考えるとやっぱりわからない」。「でもちょっと満足」。その満足が、例えばこのブログであったりするわけです。
 あれあれ、ついついカミングアウトに紙面?を費やしてしまいました。最後にもう一度本題に戻ります。
 この本は、筆者自身が語っているように、かなりしつこい内容です。ご自分の「わかる」プロセスを開陳した結果そうなったわけですが、その厖大なプロセス(例えば編み物の話とか、エコールドパリの話とか、枕草子の話とか)を読ませられて、凡人の脳裏に去来する言葉は、結局、
 「この人頭いいわ」
でした。

Amazon 「わからない」という方法

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2005.03.10

松田聖子 『永遠さえ感じた夜』『夢見てた二人』

B0006TPIC0 今日は偉大なる松田聖子さまのお誕生日。え〜と42歳になられたのでしょうか。あの方には年齢は関係ありませんね。見て下さい、このアルバムジャケット(ちなみにこちらは初回限定バージョン)。
 年齢に関係ないと言えば、この前お仕事のお手伝いをさせていただいたプリンセス天功さん。なんかハリウッドスターとご結婚なさるとか…。なんて、またケムに巻かれそう。シュワ〜、あれっ消えた!ってね。
 で、ある意味、プリ天さまと同じくらいの存在感と人生経験?をお持ちの松田聖子さま。来月にはデビュー25周年!をお迎えになります。四半世紀ですよ。四半世紀。
 その聖子さまが、先月新曲を出しました。またまたバラードです。
 今日はお誕生日記念に聴いてみました。ダウンロード販売で手に入れました。ついでにカップリング曲も。
 う〜む。これはいい。うまい。うまい以前に声がいい。昨年Bibleをおススメした時も書きましたね。とにかく彼女の声は無二です。モノマネのプロの方が、結局まねできないのは聖子ちゃん、と言っていたのも分かるような気がします。そして、四半世紀の間、その鮮度を保っているというのは、ほとんど奇跡ですよね。イリュージョン。
 『永遠…』での、その声質のコントロールは見事。音程や表情だけでなく、声質です。なかなかそれをできる歌い手はいません。ますます円熟味を増してきましたね。声は少女のままで深みを増しているわけですから、これはもう天然記念物として保護しなければ。いやいや、重要無形文化財でした。すみません。
 ところで、『永遠…』は原田真二さんのプロデュースではないんですね。まあ、一聴して彼ではないとわかりますが。で、誰かというと鳥山雄司さんでした。この方はポップスからジャズ、クラシックまで広範囲で地味ながら優れた業績のある方です。今回のアレンジもなかなかよくできています。特にオーケストレーションの出来には感心しました。たいがいフルオケを入れると大仰な作りになるものですが、この作品は実に自然に楽曲に溶け込み、品良くまとまっています。演奏はかのロイヤル・フィルのようですね。やはりそのあたりを意識してのアレンジなでしょうか。結果として大成功だと思います。淡い色彩の上質な衣装に包まれた聖子さまのお声が、限りなく美しく響いてきます。
 作曲も鳥山さんです。作詞は聖子さま御自身。楽曲自体はそれほど特徴的なものではありませんが、アレンジとプロデュースの力によって、歌手の能力と魅力が引き出される好例ではないでしょうか。
 曲そのものとしては、カップリングの『夢見てた二人』の方が興味を持てました。スウィンギーな良質のポップスです。もうひとひねりあれば名曲になったかなあ。もうちょっとひねって、もう少し高い山場を作りたかったような…。B面?だからいいのかな。
 とにかく4月発売のアルバムが楽しみです。

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2005.03.09

カンサス 『偉大なる聴衆へ』

Kansas 『Two for the Show』
B0000025EU.01.MZZZZZZZ 私が少年時代、最も聴き込み、最も影響を受けたバンドの一つ、カンサス。彼らの歴史的ライブアルバムです。
 ELOとともに、私をヴァイオリンの世界に誘った師でもあるカンサスというバンド、日本ではあまり知られていませんかね。今でもテレビ番組のBGMで「すべては風の中に(Dust in the Wind)」が時々かかったりしますが。この曲がカンサスの最大のヒットになってしまいました。この曲はたしかに名曲ですが、ある意味最もカンサスらしくない曲です。こういうことって他のミュージシャンでもよくあることですね。クラシックでもありますよ。代表曲が特異的な作品だということ。
 さて、このアルバムですが、アナログ盤(2枚組)を聴きつぶし、CD(1枚だけれど1曲少ない)も1枚つぶし(傷だらけ)、最近輸入盤で買い直しました。あらためて聴いて感嘆しているところです。
 カンサスはいちおうプログレです。アメリカン・プログレ。プログレというと何か知的で都会的な感じがしますが、何しろカンザス州ですからね。渋谷陽一曰く「芋臭い」。そんなあ。かっこいいですよ、今聴いても。
 70年代の後半、ディスコブームが始まらんという時に、こういう楽曲が売れたというのは素晴らしいことです。アメリカの懐の深さがうかがえます。
 たしかに純粋プログレ?に比べるとキャッチーですが(それが芋なのかな)、目まぐるしい転調、変拍子、複雑な構成、1曲が妙に長い、歌よりも前奏、間奏、後奏が圧倒的に長い、演奏テク全開、など、プログレの基本はちゃんと押さえています。そんなアルバムがベストテン上位にランクされていたのです。ちなみに、ビルボード1978年年間アルバムチャートは
chartという具合です(無断借用御免)。すごいですねえ。感動ですねえ。青春ですねえ。幸せな時代です。
 で、このカンサスのライブアルバムですが、脂が乗りきった絶頂期ということを雄弁に語る、すさまじい演奏の連続です。選曲もほとんどマイベストですし、その構成感、ライブならではの劇的効果、たまりません。
 それにしても、本当にかっこいい芋ですよ。芋だって知的にお洒落になりますよ。芋革命ですよ。Amazonの試聴だけでもしてみてください(歌部分ばっかりですが)。こんな音楽、他にありますか?似たバンドありますか?偉大なるバンドです。
 ちょっと演奏の経験がある私からすると、まず、これらの複雑な曲を暗譜して2時間近く完璧にアンサンブルすることがまず信じられません。クラシックの世界ではほとんど不可能でしょう。
 ただ、録音があまり良くないのが欠点です。特に、私にとって肝心であるスタインハートのヴァイオリンが、録音的にもテクニック的にもヨボヨボでちょっと残念。まあ、最近のライブ盤は音が良過ぎて客席で聴いてる感じがしないし、だいたい手を加えすぎですからね。ある意味これはリアルなライブ録音なのかもしれません。
 とにかくジャンルに関係なく音楽に興味がある人(それはほとんど全人類ですな)必聴の隠れた名盤です!絶対におススメ。

Amazon Two for the Show 偉大なる聴衆へ

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2005.03.08

『先生はえらい』 内田樹 (ちくまプリマー新書)

4480687025.09.MZZZZZZZ 非常に面白く、示唆に富む本。内田ワールド全開です。
 私はあんまりえらくない先生なので、「先生はえらい」なんて言われると、「え〜そうでもないよ」と言いたくなってしまいます。しかし、内田先生のことですから、当然そこには仕掛けがあって、つまり実は「先生はえらくない」ということを言いたいのではないか、なんていう疑念も沸いてきます。
 実際読んでみますと、たしかに逆説的な内容ですが、結論は「先生はえらい」でした。どんな人でも教壇に立つ人は全て「えらい先生」になりうる。
 「あなたが『えらい』と思った人、それがあなたの先生である」という定義をもって、この本は始まります。なるほど、その通り。逆説、つまりアマノジャク的発想の中には往々にして真理が宿ります。
 そして、「これができれば大丈夫」ではなく、「学ぶことに終わりはない」ということを教えてくれる人こそ本当の先生である、と続きます。なるほどなるほど。
 しかしどうでしょうねえ。それを説明するのに、教習所の先生とF-1のドライバーを引きあいに出すのは。教習所の先生に失礼という以前に、土俵が違う、ジャンルが違うと思うんですが。
 続いて内田先生は「先生」の条件として「謎」を挙げます。そして「誤読」につながっていく。面白いですね。全くの真理だと思いました。納得もしましたし、感心もしました。それでも何か違和感がある。漱石の「先生」の話もなるほどと思いましたが、時間が経つと?が生じます。
 世のドライバーのたいていはF-1には参戦しませんし、世の先生のたいていは教習所の先生と同じレベルのことを要求され、それに応えるのを生業にしています。世の人間のたいていは漱石ほど賢くないですし。
 当たり前のことですが、真理というのは実生活では有用でないことが多いんですね。真理を追い求めることは大切ですが、それをしているヒマがない一般人がほとんどです。内田先生は真理を求めるのがお仕事ですから、それをされてもちろん結構ですよ。
 教育の世界は実はものすごく生活感あふれるところなのですが、何か先生も生徒も親も世間も夢を見ているところがある。そういう所に真理(のようなもの)の提示があると、それが溶け込みやすい傾向があります。だから、教育施策がコロコロ変わって、生徒も先生も翻弄される。この本もそういう意味では生徒に読ませたくないですね。中高生向けに書かれたようですけれど。洗脳されますよ、すぐに彼らは。
 ここからは私がアマノジャクになります。ならせてください。
 結局、この本で語られたことは、内田先生は賢いということです。頭がいいということです。
 人の謎を見つける、そこを誤読する、そして「えらい」と思う。つまり真の「先生」と出会うには、能力が必要なのです。内田先生にはその能力があった。つまり真の「生徒」になる力が備わっているのです。さらに、「先生」になる能力もある。この本は謎に満ちています。内田先生の語ることには、いつも深遠な謎が存在します。
 結局、真の「生徒」になるのと、真の「先生」になるのとは同じことで、特別な能力、脳力が必要だということです。これはハッキリ申して非日常的な次元です。
 いやいや、それが悪いと言っているのではありません。こういう本が出ることには大きな意味があります。実際、私も及ばずながら刺激を受け、ちょっと非日常を散歩することができました。そういう機会を与えるのも先生の大切な役目ですから。
 最後にちょっと本音を。実はこの本で一番刺激を受けたのは、教育論ではなくてコミュニケーション論でした。特にラカンの言説の引用部分は本当に刺激的。頭がいい人の考えることは違うわ、という感じでした。私も使わせていただきます。
Amazon 先生はえらい

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2005.03.07

うる星やつら 第76話 『決死の亜空間アルバイト』

title761 jiro1 train1 train21 asyurayu1 big1 benten1 end1
 再びうる星やつらネタです。20年遅れのマイブームです。土曜日に録画したものを見ました。
 『決死の亜空間アルバイト』…もうすでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、この作品、実にいろいろな問題をはらんでいます。これはかなりやばいでしょ。
 まず、作品の前半部分。これはもう、完全に1960年代70年代サブカルチャーへのオマージュになってます。明らかに何人かの作家を意識して作られていますね。
 まず、「つげ義春」。『ねじ式』を彷彿とさせる描写、表現がいくつか出てきます。
 また、亜空間に現れる少女の顔は、明らかに「つのだじろう」。あの『うしろの百太郎』顔です。
 全体の雰囲気としては「寺山修司」でしょうか。どこか『田園に死す』の空気が流れています。
 いずれも、60年代、70年代を代表するカルト作家ですね。私も高校、大学時代に大きな影響を受けたお三人さんです。
 うる星やつら76話が放送されたのは1982年ですから、まさにつげ義春が断筆(漫画を)していた頃。また、寺山は翌年5月に亡くなります。こうして、古き良き昭和が終焉に向かっていく時代でした。
 サブカルチャー自体、古くさくダサいものになりつつありました。暗い影も伴っていた高度経済成長はとっくに終わり、安定成長期という、なんとも悩みのないポップな雰囲気が世を覆い始めた頃です。そしてある意味、うる星やつらは、サブカルの後を継ぐオルタナティブカルチャー(結局はオタク文化なわけですが)を用意する重要な役割を果たしました。そのあたりが、とても象徴的です。
 オマージュにせよ、パロディーにせよ、サブカルの深く沈潜したどす黒い炎を、こういうノリで消化(消火・昇華)してしまう時代性に、ちょっと驚きます。今こうして、80年代も歴史として語られるようになると、それなりに60年代、70年代へのカウンターパワーがあったのだなあ、と感じられます。だからこそ、今面白いのでしょう。
 明らかに、寺山的、つげ的な「物語の意図的解体」の中で、あたるだけが浮いているように見えますが、実際には、あたるも持ち前の非日常的センスで、亜空間(夢の中の街)を堂々と闊歩しているのでした。現代の視点からだと意外に自然な光景に見えるわけです。
 さてさて、そんな風に時代が交錯しせめぎ合う前半を尻目に、後半は全く違った意味で問題を投げかけます。
 いいのでしょうか。よくNHKで放送したなあ。というか、よく当時こんなものをゴールデンに流したな。
 とにかく女湯でのセクシーショットの数々。はっきり言って素晴らしいの一言です。特に弁天…。あまりにすごすぎて、たぶんみんな前半のことを忘れてます。私は忘れました。
 それが、意図するところだったのか。単なる気まぐれなサービス精神なのか。全くわかりません。とにかく、爆発しまくりです。
 そして、最後にまた寺山ワールドが…。
「若さゆえ 銭の重みに 浮かばれず 湯船の底で 流す瀬(背)もなし」
 うまい!うますぎる。見事なエンディングです。感激しました。ここでまた、セクシードリームはどこかへ吹っ飛ぶ。名作だあ。
 ところで、もうすでに多くの人が指摘しているようですが、『千と千尋の神隠し』は、この作品に影響を受けたのではないでしょうか。亜空間の湯屋で物の怪たちのお世話をする。その他のシーンでも、あっ!と思う部分があります。
 こうして見てみると、時代が時代を懐かしみ、おちょくり、そして結局引き継いでいく、こういう歴史の仕組みが見えてきますね。意識しようとしまいと、確実に遺伝子は受け継がれているのでした。

Amazon うる星やつらDVD vol.14

その他のうる星ネタはこちらでお読み下さい。

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2005.03.06

東京全日空ホテル 36階 『イタロプロバンス ダイニング』

kjh jhhg今日は大変リッチなランチを楽しみました。こんなのは一生に一回かな。
 ご近所にお住まいのフランス人がシェフをしているレストランに、友人家族とウチの家族総勢7名で押しかけました。東京は赤坂、アークヒルズのお隣り、ANAホテルの36階にあるオシャレなレストラン「イタロプロバンス ダイニング」。名前からしてかっこいいじゃありませんか。ハッキリ言って、私たち田舎もん7名には、ふさわしくないシチュエーションです。
 都心を車で移動している最中から、ウチのカミさんなんかは、わ〜い都会だ都会だ、などとはしゃぎまわっておりました。まあ、たしかにカミさんの実家の辺りとは、同じ地球上とは思えないほど、かけはなれている。
 さて、ホテルに着いた私たちは、なるべく声が大きくならないよう、つまり、発声方法にも気をつけながら、目的の場所へ歩を進めます。地下駐車場に停まっている車からして違う。ピカピカの外車ばっかり。う〜む。
 エレベーターに乗ると、妙にたくさんボタンがあり(つまり、階数がケタ違いに多い)、いつもははりきって押したがる子供たちも、目を丸くしております。二ケタというだけで、彼女たちにはきつい。大人もエレベーターの高速ぶりにまさに仰天(上にあるインジケーターを口をあんぐり開けて仰ぐ)。
 さて、目的地に到着すると、予約者ということで、係の方が案内してくれます。みんな努めて冷静を装う。用意された席は、ちょうど我らが故郷富士山を遠くに見ることができるというぜいたくな所。残念ながら今日は我らが故郷は見えませんでしたが、上空から見下ろす大都会東京はまるでおもちゃのよう。子供たちは本気で、これはおもちゃだろう、と話しあっていました。ある意味、本当におもちゃなのかも…。
 さてさて、そんな話はおいといて。シェフ自ら運んでくれるお料理のおいしいことと言ったら…。う〜ん、大満足。いつもは、近所の寄り合いで、カミさん衆の料理をつまむシェフでありますが、やはり、あのコスチュームを身にまとうだけでも、ものすごい超一流のオーラが出ています。旬な素材を、フランス風、イタリア風、そして日本風に見事にアレンジ、ミックスし、私たちに提供してくれました。食器やら何やらもシェフのセレクションだということで、とにかく素晴らしいプロの仕事ぶりを味わうことができました。
 やっぱり男(父親)は仕事する姿が一番かっこいい!…と思ったけれど、では自分の仕事っぷりは?と考えてみると、ものすごく恥ずかしいですな。かなり三枚目でやってますんで。だいぶ印象違うと思います。まあ、芸能人みたいなものですからね。
 さてさて、一生に一度のスーパーランチに大満足した私たちは、NHKスタジオパークとHANDSに立ち寄り、すっかり疲れ切って富士山に帰ってきたのでした。

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2005.03.05

モロボシ・ダン(森次晃嗣) vs クンツァイト(窪寺昭) on 仮面ライダー剣

dan1 vs attack1
 わけわかんないタイトルですね。ってか、ほとんど個人的な「今日心に残ったこと」です。すんません。
 土曜日は朝7時から「仮面ライダー剣」…ありゃりゃ、もう響鬼じゃないの?いえいえ、ここ甲斐の国ではまだ剣やってます。今日は46話でしたから、2ヶ月ちょっと遅れですか。いいですねえ。何しろ、番組自体は剣なのに、CMは響鬼。デカレンジャーもまだやってるんですよ。CMはマジです。マジレンジャー。
 ま、そんなことはさておき、いつもはあんまりじっくり見ていない仮面ライダー剣ですが、今日は思わず見入ってしまいました。何しろ、モロボシ・ダン(ウルトラセブン)とクンツァイト(四天王の一人…セーラームーン)がタイマン張ってるんですから。
 ウチの娘たちはウルトラセブンの大ファン。私が昔録りためたビデオを毎日のように見ており、いまや私よりディテールに詳しくなっています。一緒に見せられている母親も。
 ですから、彼女たちにとっての森次晃嗣さんはダン。若くてにこやかでさわやかなダン隊員。地球のために命をかけて戦う正義の味方です。
 また、セーラームーンについてもかなりのマニア。特に、悪の四天王の一人クンツァイト役の窪寺昭さんについては、私も含めてみんな大好きです。昨年9月30日づけでおススメした例のDVDを見たら、誰でもハマります。
 そんなお二人がですよ、なぜか仮面ライダー剣の中で真剣勝負してるんですよ。窪寺さんは基本的にクンツァイトと似たようなキャラですが、森次さんはダンとは正反対。もちろん、お歳を召されて渋くなってますし。
 子供たちは正直、事態がのみこめず、画面から目をそらしてしまいます。どういう心境なんだろう。まだ、あの歳だと、現実と物語の分節が曖昧ですからね。教育上よろしくないのかもしれない。
 結局、クンツァイトがダンを下してしまう…いやいや、正しく言うと金居さんが天王路さんを下してしまう…いやいや、ギラファがケルベロスを…う〜ん、もうわかりません!
 てなわけで、子供たちはもう頭混乱、思考停止してしまったようなので、以下のように説明しました。
 ダン(セブン)は地球のために戦い、傷ついてM78星雲に帰っていった。地球人は「地球は我々人類、自らの手で守りぬかなければならないんだ」ということに気づいたかのようだったが、あれから40年近くたった今、やはり地球人は地球を守るどころか破壊しようとまでしている。M78星雲から久しぶりに帰ってきたダンは、そんな地球人の様子を見て落胆。「二度と人間が互いに争ったりすることのないように…その為に…現在の人類を全て滅ぼす…当然だ!今の人類は邪悪な心に満ちている!全てを滅ぼし、新たな平和を求める人類を誕生させる!」という苦渋の決断を下す。
 しかし、実写版セーラームーンで、優柔不断な主に仕え、地球の運命に翻弄されたことのあるクンツァイトは、もう、下働きはウンザリ、ついに主であるダンに謀反を起こす。「封印されるのはお前だ!俺はジョーカーを封印し、万能の力を得る。俺の平和に人類など不要だ」…つづく。
 こんな具合ですが、どんなもんでしょう。子供は納得したかな…(するわきゃないでしょ)。
 こう考えると、やっぱり悪役にも五分の理。なるほどと思われることを言ってますな。

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2005.03.04

『異文化理解』『他文化世界』 青木保 (岩波新書)

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 私の最近の、いえ、一生のテーマは「みんな仲良く」です。単に争いごとが嫌いなので。世界が「まあ、いいじゃない」的に丸くおさまればいいなあ、なんて、そんな程度のテーマです。
 その実現の障壁となるのが「言葉」です。それは言語という意味でもあり、宗教という意味でもあり、もっと広く文化という意味でもあります。私もお世話になり、正直大好きな「言葉」なのですが、そいつを死ぬまでにやっつけたい、やっつけないまでも、反省させたい、ギャフンと言わせたい。こんな屈折した目標を立てております。
 さて、そんなわけで、いろいろと本を読んでいるわけですが、本なんてそれ自体が「言葉」の集積所みたいなものですからね、早速自家撞着に陥ってま〜す(と、笑っちゃわないとこの作業は続かない)。
 今日読んだ二冊。タイトルがいいじゃないですか。まさに私のテーマにうってつけ。
 読んでみますと、非常に簡明。中学生でも十分読みこなせます。実際、昨年のウチの入試問題に「異文化理解」を使わせていただきました。
 この手の新書にしては珍しく、このブログのような「です・ます体」を使っています。私の場合は、たぶん下心あっての策だろうと思いますが、青木先生の場合は、単に読みやすく、いや、読んでもらいやすくするための自然な選択だったのでしょうね。
 内容の方も、実に当たり前に終始していまして、ちょっと肩透かしをくらったような気がしてしまいます。しかし、こういったことを堂々とおっしゃるエライ学者さんがあんまりいないので、これはこれで大いに意味のあることだと思います。金八先生が熱く語っても、「ああ、また何か言ってらあ」程度にしか思いませんが、青木先生がこうして理想論を熱く語ってくれると、「やっぱりそうだよな」と思えるから不思議です。言葉にもいろいろある。
 さて、ここで少し意地悪な私に登場願いましょう。いつものアマノジャク的批評をどうぞ。
 まず「異文化理解」。「異文化」という言葉自体が「理解」を妨げていると思うのは私だけでしょうか。「異文化理解」と言ってしまえばカッコいいのですが、「理解」できないから「異文化」ではないのでしょうか。百歩譲って、その「異文化」という概念が存在するとして、「理解」しなくてはいけないものなのでしょうか。「理解」しようとすると、「理解」できないことに気づいて、やっぱり許せん、ということになりますよ。「理解」ではなく「まあ、いいじゃない」だと思うんですが。
 次、「他文化社会」。これは当たり前すぎですね。人間に言われなくとも自然界は多様です。言葉にするから意識されて問題化するのです。これも「他文化」で「まあ、いいじゃない」。
 ごめんなさい。しかし、こういうような意識で読んでみることも大切ではないでしょうか。
 筆者は、文化力をアップすべき、魅力として、ソフトパワーとして重視すべき、と述べています。確かにそうですが、文化には悪の側面も醜の側面もあります。残念なことに、この本には+の面ばかりを重視する危険性については書かれていませんでした。
Amazon 異文化理解 多文化世界

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2005.03.03

キース・ジャレット 『メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー』

Keith Jarrett 『The Melody At Night, With You』
B00002EPJH.09.MZZZZZZZ 私は基本的に鍵盤楽器が弾けません。適当な即興(メチャクチャ)は得意ですが。それならウチの猫でもできます。
 それでも死ぬまでに一曲くらい完璧に弾けるようになりたい。その一曲を何にするか。これは大きな問題です。
 数年前まではやはりバッハかなあとか、クープランもいいなあとか、そんな感じで考えていました。しかし、最近、絶対にこれ!というものが確定しました。それは…。
 キース・ジャレットのアルバム『The Melody At Night, With You』から『Blame It on My Youth/Meditation』です。期せずしてまた「瞑想」が出てきてしまいましたね。ま、それはいいとして、とにかく、このアルバムの素晴らしさと言ったら、もう本当に絶句してしまいます。もうすでに神の世界です。
 慢性疲労症候群という受難、そして復活に向けての第一作が、この美しいメロディーたちであったというのは、本当に奇蹟です。ある意味、音楽が彼を死の淵に追いやったわけですが、その彼を救ったのは、やはり音楽でした。本当に自分を癒すように、大切に大切に音を紡いでゆきます。彼には申し訳ないですが、苦しい病あっての奇蹟でしょう。感動します。
 今ちょうどキリスト教世界ではレントの時ですね。少し強引かもしれませんが、このアルバムを聴く私の心は、バッハのマタイのアリア「わが心よ,おのれを潔めよ」を聴く心と同じような気がします。ある特定の音楽が持つある力。明確には語れませんが、そういうものの存在を認めざるを得ない体験です。自分も清められ、癒されていく…。
 さて、そんな名アルバムの中でも、私は6曲目の『Blame It on My Youth/Meditation』が大好きです。もともと、キースのトリオでも何回か演奏され、それらを聴くたびに鳥肌を立てていました。そして、ここでのキースの演奏は、まさにシンプルを極めています。そしてその純粋さの中に最も深い感動を呼び起こします。これはもう言葉で説明できません。聴いて下さい。
 で、最初の話に戻りますが、この曲を弾いて死にたいのです。あるいは死にそうな時に、自分のために弾きたいのです。キースのアレンジで。たしかにこの演奏はシンプルなのですが、私は絶対音感も持ってないし、ソルフェージュもやったことありません。つまり耳コピが苦手なのです。採譜したいのはやまやまですが、はっきり言ってあきらめていました。「ケルン・コンサート」の楽譜や、トリオの楽譜は出版されており、実際持っています。ですから、いずれ発売になる可能性はあるかなあ、程度の気持ちでいました。
 それが、なんと、なんと、素晴らしい採譜をしてくれた方が現れました!このサイトをご覧下さい。

 ジャズピアノ上達お役立ち譜面(現在リンク切れ)

 う〜ん、素晴らしすぎます。欲しかったまさにこの曲が、完全な形で楽譜に…うるうる。神さま仏さま採譜者(T.M.)さま。ありがたいですね、本当に。後半もカットせずに…。
 というわけで、早速ピアノに向かって、ゆっくりゆっくり鍵盤を押さえます。もう、あの響きが一瞬再現されるだけでも感動します。人に聞かせるわけではないので、こうして一歩一歩、牛歩のごとく響かせるのも悪くないですね。よ〜し、死ぬまでに弾けるようにするぞ!それまでは死ねません。ああ、また練習すべきものが増えました。うれしい限りです。
 おとといのバッハの無伴奏チェロの楽譜に続き、またまたインターネットの恩恵…と言うか、インターネットを通じて、見知らぬお方のお世話になってしまいました。本当に「無我」「空即是色」ですね。

Amazon The Melody At Night, With You

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2005.03.02

『へんないきもの』 早川いくを (バジリコ)

4901784501.09.TZZZZZZZ けっこう売れている本です。遅ればせながら、借りて読んでみました。
 うん、たしかに面白かった。一気に読んでしまいました。見ている時間の方が長かったかな。
 「へん」の選択基準は、主に人間の視点から見た外見です。これは筆者の経歴からすれば当然であり、ある意味そういった視点からの企画であったからこそ売れたのでしょう。
 生物学的に「へん」ということも紹介されていますが、あくまで外見が「あり得ない」が中心。そこにこだわったのは正解でした。なぜなら、これは一般書であり、たくさん売れることを目的とした本だからです。我々一般大衆の食指を動かすには「外見」が一番。そして二番が「下世話」です。この本はこの二番もしっかり押さえていますね。
 悪く言えば、下品、下ネタ、おやじギャグ。たしかに、一気に読んでいると、ちょっと鼻につくようになります。著者のユーモアセンスは素晴らしいですし、世代的にも趣味的にも共感するところがあります(つまり、笑いがオタクっぽいってことかな)。ただ、そのさじ加減っていうんでしょうか、それが、うまくコントロールされていない感じがしました。これは著者というより、編集の責任でしょう。調子に乗らせすぎ、ですか。
 ただ、このあたりの評価というのは、まさに「センス」の問題で、この前も書きましたが「読者論」の領域なんですね。そういう意味で、本本体よりもAmazonの熱血なレビューを読んだ方が面白い。あそこに書くような人は、これもおとといの『今週、妻が…』のところに書いたように、両極端な人たちですから。まったく人間とは「へんないきもの」ですね。
 ところで、こうした人間のへんな言動に対して、「へんないきもの」からの反論や説明はないのでしょうか。そういう機会を与えるのが言論のルールでしょう。「へんないきものはへんじゃない」とか、「にんげんこそへんないきもの」とか、「へんに潜む宇宙の真理」とか、「差別とへん」とか、「へんないきものは買ってはいけない」とか、う〜んやっぱりストレートに「へんなにんげん」もしくは「へんなひと」がいいかなあ、そんなような本を、バジリコ以外の出版社から出してもらいたいですね。たぶん、その前に「へんないきもの2」が出るのでしょう。残念。
 いや、反論したら同じレベルになってしまうと、無視をきめこみますかね。きっとそうでしょう。そのくらい彼らは高度です。何しろ高等生物人間様にも解明できない謎(=へん)を自然に身につけているのですから。
Amazon へんないきもの

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2005.03.01

Werner Icking Music Archive (無料楽譜サイト)

note4451 2月15日におススメした「3万円チェロ」。私はすっかり気に入ってしまい、朝5時から練習しちゃったりして、けっこう近所、いや家族迷惑かもしれません。しかし、ヴァイオリンがキーキーうるさいのに比べ、チェロの深い音は意外に好評で、私もやりたいという人が続出しております。教えてくれと言われても、何しろまだ始めて2週間ですからね。なんとか1年間でマスターしたいところです。
 てなわけで、どういう風の吹き回しか、珍しく一生懸命練習してます。とは言っても、私のことです。教本など使ってまじめに地道に練習するわけはありません。いきなり実践(実戦)です。平原綾香の「明日」はもう500人の前で弾いちゃいましたよね(2月18日参照)。
 次なる実戦は、死ぬまでにどうしても弾きたかったコレルリの通奏低音です。昨年9月21日におススメしたマンゼとエガーによるCDを引っ張り出してきます。この演奏は珍しくチェロが入っていません。ですから、そこを私が弾くわけです。ハハハ、全くやることが大胆なんだから。いやいや、なかなか気持ちいいですよ。全然弾けてませんが。やってるうちにだんだん音程も取れるようになるし、右手もコツがつかめてくる。あと楽譜の読み方。ヘ音記号は苦手でしたから。
 で、その他の楽譜もいろいろ出してきて、通奏低音パートを弾いてみます。気持ちいいですなあ。今まで何やってたんだろ。ヴァイオリンはメロディーを歌う楽しみがあります。ヴィオラは和音を作る楽しみがあります。しかし、この支える快感にはとてもかないません。
 そして、とうとう(ってまだ2週間しか経ってないんですが)究極の楽曲への挑戦を決意しました。チェロの聖書、バッハの無伴奏チェロ組曲です!(アホか?なんて言わないで下さい…でもバッハさんごめんなさい)
 というわけで(ってどういわけだ?)まず楽譜を手に入れなければ。けっこう高いんですよね。どうせじゃ余計なこと書いてない原典版がいいなあ。しかし、そんなものこの田舎で売ってるわけありません。そこで、いつもの手段、インターネットです。
 そうしたら、ありました、ありました。原典版で全曲、無料でダウンロード。60ページ印刷して、ダイソーの100円クリアファイルに入れたら、はい出来上がり!なんということでしょう。素晴らしすぎます。
 見つけたのは「Werner Icking Music Archive」というサイトです。どうも版権の切れた楽譜を公開しているらしい。ぜんぜん合法ですね。たしかに古典作品に著作権なんてないわけだし、問題はそう複雑ではありません。いやあ、助かりました。ホントに。こうして、最もネットのおかげをこうむるのは、我々田舎人ですな。ありがたや、ありがたや。
 ここに置いてある楽譜たち、古楽系もなかなか渋い品揃えです。アルビノーニ、ブクステフーデ、チーマ、ローゼンミューラー、フレスコバルディー、シュメルツァー、クープラン、マレ、パーセル、バード…。まだまだあります。これはこれから楽しみですぞ。
 世界中にはこんなようなサイトがまだあるようですから、ヒマを見て研究してみます。とりあえず今日は、バッハの無伴奏弾いてみようっと(笑)。

Werner Icking Music Archive

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