F.クープラン『ルソン・ド・テネブレ』 ウィリアム・クリスティー指揮レザール・フロリサン
F.Couperin: Lecons de Tenebres / Christie, Les Arts Florissants
久しぶりにフランスバロックなど聴いてみましょうか。というわけで、私のお気に入りを出してきました。
これを買ったのは、もう7,8年前のことになると思います。そして、何度か聴いた後、どういうわけか、CDケースの中身が入れ替わってしまい、つい最近まで聴きたくても聴けない状態が続いていました。当初コピーしてさしあげた方から、そのコピーをいったん返却していただき、それを再びコピーして、ようやくジャケットと中身の一致を見ました。すみません、コピーばっかりして…。輸入盤をコピーすることは、たとえば今回の場合フランス盤なので、フランスの法に触れるんでしょうか…。
さて、このルソン・ド・テネブレですが、本当に美しい音楽ですね。もう、国や時代や言葉や宗派なんか全く関係ありません。この事実だけでも、音楽が今挙げた四つのコトより次元の高いモノであることを証明していると思います。あっ、ちなみに古代日本では音楽全般のことを「モノノネ」と言ったんですよ。サムシング・グレートに近いというわけでしょう。
もちろん、その音楽にもいろいろなレベルがあるわけですが、この曲は間違いなく天に近いところから鳴っていますね。そんな音楽を残したクープランはやっぱり天才です。私は彼の音楽に淡くとも豊かな色彩というものを感じます。
その美しい調べのおかげで、汚れた自分も多少は垢が落ちるのか、不思議な浮揚感を味わうことができます。テネブレとは「暗闇」のことだそうですから、本来なら、やはり明かりを消して聴きたいですね。蝋燭13本立てて、1本ずつ消しながら…。今日の私は、通勤の車の中で聴いたわけでして、あんまり気持ちよく浮揚してしまっては、違った意味で昇天してしまう可能性があります。だからちょっと聴き方も抑え気味?クープランもさすがに想像しなかったでしょうね。こんな聴かれ方するとは。それも日本人に…。
今朝、入試問題演習で、渡辺裕氏の「聴衆の『ポストモダン』?」の一部を読みました。19世紀的音楽鑑賞が、20世紀に入って登場したメディアたちによって解体された…というようなことが書いてあり、ふむふむと納得していたのですが、かと言って、18世紀的「ターフェルムジーク」に戻った、というわけでは…やっぱりないよなあ。
ちなみに、長らくこのCDのケースに闖入していたのは、マイケル・マクドナルドの「ノー・ルッキン・バック」です(笑)。やっぱり、現代ってすごい時代だ〜。ってか、私がいいかげんなだけだったりして。
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コメント
「われわれの歴史には二つの偉大な蝋燭があり、それらは時代で一致していた。バロック音楽のルソン・ド・テネブルとラ・トゥールの画布の蝋燭である。・・・」とパスカル・キニャールが書いていますが、3月からジョルジュ・ド・ラ・トゥール展、上野であるのでたのしみです。
投稿: 龍川順 | 2005.02.08 07:14
龍川さん、コメントありがとうございます。
ラ・トゥール来るんですか!恥ずかしながら知りませんでした。
これは必見ですね。絶対に行かなくては。
キニャールの言葉、納得です。まさに「めぐり逢う朝」ですね。
蝋燭の灯のもとで見えてくる世界を、私たちも忘れてはいけないはずです。
現代では難しいことですけれど…。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2005.02.08 08:26