『憎悪の宗教―ユダヤ・キリスト・イスラム教と「聖なる憎悪」』 定方晟 (洋泉社新書y)
う〜む、この本の評は難しいですね。まず、大変興味深く、ワクワクして読んでいる自分がいます。ワクワクとは、誤解を招きそうな表現ですが、たしかにワクワクしたのです。
少なくともイライラしなかったので、自分としては安心しました。この本を読んでイライラ・ムカムカ、まさに「憎悪」をたぎらせる方も多いでしょう。しかし、それではまさに著者の思うつぼ。それ自体が、この本のタイトルの正しさを雄弁に語ってしまうからです。うまい。そしてずるい。憎い(この憎いは古文でいえば「心憎し」です)。
表面上は、三つの「砂漠の一神教(ヤルダバオトの宗教)」に対する批判ということになっていますが、著者が表明している通り、その舌鋒はキリスト教をチクチク刺激します。たしかに、「汝の敵を愛せ」には、愛する以前に敵が存在しますし、「左の頬をも向けなさい」では、相手に罪を重ねさせることになります。また、イエスが「平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきた」と言ったとされるのも事実ですし、日本の共同訳聖書に恣意的改竄の疑いがあるのも確かです。
しかし、それにしてもずいぶんと、それこそ恣意的な論調ですなあ。それが意図であることは分かっていても、ちょっと違和感があります。なのに、なぜ私がワクワクなのかというと、私がいつも考えている「ことば」の問題につながる点が多かったからです。たとえば著者の舌鋒に対して、敬虔なクリスチャンはいかなるロゴスで応戦するのか。これは興味あるところです。
はっきり言って、そこに論争が始まったとすればすなわち、古今の宗教対立や、差別や戦争の火種を、またそこに生んでしまうことになります。それをどう乗り越えるのか。あるいはやはりロゴスでは乗り越えられないのか…。
著者は、「ヤルダバオトの宗教」を徹底攻撃する合間に、時々「仏教には憎しみも嫉妬もない」論を潜ませています。著者はインド哲学者さんです。しかし、正しい仏教徒であるとは思えません。この著書自体が「聖なる憎悪」に対する「聖なる憎悪」に根ざしているとしか感じられないからです。いや、それもまた、著者の意図するところで、実は自らデーヴァダッタを演じているのかもしれませんね(少なくともユダにはなりたくないだろうな、この人は)。う〜む、やるな、憎い!
こういう本が出ることはいいことだと思います。イライラすることによって見えることもあります。とにかく、ロゴスに盲従し、羊やら奴隷やらに自ら安住している人が一番不幸だと思いますから。かと言って、不立文字、教外別伝で片づけたくないんだよなあ…私の実感としては。ああ、辛い。早く悟っちゃいたいですね。
Amazon 憎悪の宗教 新書y (126)
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