『まともな人』 養老孟司 (中公新書)
モンキー裁判から80年たちましたが、基本的にアメリカは変わっていないようです。今日のニュースの一つに、アメリカ人の地球起源観についてのものがありました。それはそれで彼らの自由ですし、世界レベルでの多様性の一つなわけですから、別にどうのこうの言いません(思うだけです)。
そんな中、今日読了したのがこの養老先生の時評エッセイ集。ここに収載されているのは2001年から2003年に書かれたものです。
その間の大事件は、やはり9.11。当然この本では、原理主義についての話が多く出てきます。あらゆる原理主義に反対すると、それも結局原理主義になってしまう…というのは、私もよく考えていたことです。つまりたった1500グラムの脳が考えることなんて、その程度ということです。
では、養老先生はどうなのか。たぶん「唯脳論」原理主義なのだと思います。そう言われるとご本人は不満かもしれません。しかし、それは事実です。ただし、この原理主義とあの原理主義は似て非なるもの。いや全く違うと言ってもいいかもしれません。
立脚するものがある意味一つであるということにおいては、両者はたいへん似ています。確かな視座というものがあるわけです。それが人の脳によって考え出されたものであり、言葉で表現されるものだということにおいても両者は同じです。では、何が違うのか。
それは、視線です。そしてその視線が持つ意志の質です。また、その結果として、それぞれの視座から見える風景も違ってきます。つまり、その視座が与えられたものなのか、自ら手に入れたものなのか、の違いです。
宗教にせよ、科学にせよ、哲学にせよ、全て我々の脳にあるものは、完全なるゼロ(無)から生まれたものではありません。ある意味全て与えられたものだとも言えましょう。しかし、その与えられた素材をどう選別するか、料理するか、編集するかは、それぞれの人の作業です。アメリカ人…いや十把一絡げはまずいな…原理主義者は、その作業における自分の意志が貧弱。養老先生は、その作業を自分の意志で頑張った…というかほとんど趣味にしている。結果として、先生はわからなかったり、「脳」のしわざにしたりする(真理ではないと判断する)。
進化論を否定するアメリカ人は養老先生を軽蔑するでしょう。一般的な日本人は養老先生のような「まともな人」に惹かれます。単純な構図です。たった三つの存在とその関係。戦争も平和もその三者の関係性なのです。
やっぱり人間の脳なんてそんなもんです。そして言葉なんて全く頼りないもの。それを再認識させてくれた良書でした。
Amazon まともな人 中公新書
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