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2004.11.22

古池や…

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 今日、H大学の過去問を解いていたら、国語学者柴田武さんの文章に出会いました。岩波書店の「図書」に載った軽めの論考です。それがなかなか面白かった。そこからいろいろ考えました。
 この文章、日本語の複数の概念が英語などのそれと違う、ということを述べているものです。分かりやすいところを抜き出させていただくと、
…「遺族たちが駅に出迎えた」の場合、遺族のなかに当事者の親友がひとり加わっていてもかまわないと思う。
 日本語の《複数》は、閉鎖的、排他的な数集団ではない。英語のchildren(childの複数)といえば、こどもばかりで、大人が入り込むことは言語表現上許されない。…
 こんな感じです。なるほどですなあ。言われてみるとその通り。
 ついでに、考えてみると「子ども」という語は、もともと「子」+「(複数を表す)ども」で、それだけで英語のchildrenの意味なんですよね。だから、子どもが一人います、とか、子どもたち、なんていう表現も本当はおかしいわけですね。a childrenとかchildrensになっちゃう。
 文章の後半は、芭蕉の有名な「古池や蛙飛び込む水の音」の蛙は一匹だと思っていたら、どうもそうではないらしい、ということが書いてありました。なるほど、こんなことも考えたことがなかった。私もまあ一匹ポチョンというイメージでしたし。つまり、この俳句があまりに有名なので、英訳してみようという段になった時、さあ蛙はa(one) frogかfrogsか、という芭蕉が考えもしなかった問題に突き当たった、ということなのでしょう(だいたいtoadかもしれない)。
 みなさんはどう思いますか。句界では、なんとなく複数説が有力なようです。その方が、動と静の対比が出ていいらしい…?そうですかねえ?まあ、正解は芭蕉に訊いてみるしかありません。
 で早速、霊界の芭蕉さんにうかがってみました。そうしたら、なんと、こんなお答えが。
「え〜、そんなの知らんよ。ワシはとにかく『ふかみ』を折り込みたくて、そればっかり考えておったから、そんな蛙が何匹かなんて…。う〜む、たしかに言われてみると…よくわからんなあ。え〜い、これだから南蛮の言葉は嫌いなのじゃ」
 これなら、数百年続いている、この句は名句か駄句か、なんて論争も、お笑い草になるのにね。

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