『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』 金谷武洋 (講談社選書メチエ)
以前に一度読んでいたのですが、ちょっと調べたいことがあったので、再び目を通してみました。
現在学校で教えられている文法(橋本文法)は、西洋の文法の影響を強く受けており、日本語の実際にそぐうものでない、というのが筆者の主張です。全くの同感です。私も古文の授業などで、日本語は主語が省略されるから…などとつい言ってしまうのですが、最近源氏物語を現代語訳していると、これは省略という意識が働いているのではない、もともといわゆる主語という概念がない、と強く感じます。今気づいたのですが、この文章の冒頭など、いい例ですね。始めに「私は」なんて入れたら、日本語として不自然です。もちろん、私の頭には「主語の省略」なんていう意識はありません。主語に関連して、「は」と「が」の使い分け論争についても、著者は疑似論争であると喝破しています。この問題に関しては、私も今まで何度も考えてみましたが、なかなかいい考えが浮かびません。最近では、著者の言うように「は」と「が」をとりあげて比較すること自体に意味がない、という考えに至りつつあります。
それにしても、辛いのは、自分がぜったいに間違っていると思うことを、生徒に教えなければならないことですね。完全な代替文法もないのですが…。
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