2020.07.01

THE YELLOW MONKEY 『未来はみないで』

Th_71msoenx9ql_ac_ul320_ 楽ネタが続きます。音楽はいいですよね。いろいろなことをしながら聞けますので。聞いていると面白い考えが音楽と一緒に降ってきたりするので実に楽しい。

 で、今日はなんとなく懐かしさを感じていたイエモンのこの曲の、その懐かしさのワタクシ的原点(原典)が分かったのでメモしておきます。

 「未来はみないで」…ここのところ、私は「未来を見よう!」とばかり叫んでいるので、こうして吉井くんに反対のこと言われると、けっこうショックだったりして(笑)。

未来は見ないで そんな不確かな
言葉に隠れて 迷子になったりして

未来は見ないで 今はここにいて
昔のことだけ 話したっていいから

未来は未来で 大きな口を開けて
笑ってるのかな それならいいけれど

 彼らしい言葉遣いですね。先日、大宮エリーさんとオンラインでお話した時も、彼女は「あんまり未来は意識しない」と言っていました。やはり、天才クリエイターたちは「今」に生きているんですね。凡人の私は、それこそ迷子になっているのかもしれない。

 本来なら5月4日の東京ドーム公演に娘と行く予定だったんですよね。コロナで延期になりましたが、今日とうとう払い戻しの連絡が来ちゃいました。まあしかたないですね。

 たしかにコロナのせいもあって「未来が見えない」とも言われています。まずは「今」をしっかり生きなければならないというのもわかります。でも、やっぱり未来の期待してしまいますね。明るい楽しい未来を妄想してしまうのです。これは癖なのでしょう。

 

 

 何度も書いてますが、私の音楽人生に素晴らしい転機を与えてくれた The Yellow Monkey。まさかそんな吉井さんとまさかの場所で会うことになり、そして彼が「吉井くん」だったとは(笑)。本当に不思議なご縁ばかりで、ありがたき幸せを感じております。

 さてさて、この曲の懐かしさの原典ですが、これはほかの人にはピンとこないかもしれません。あくまで私的な感覚ですので。ただ、音楽的にも類似しているのはたしかですね。

 もしかすると、私と吉井くん、同じような世代ですし、同じ環境(町内)でロックに出会っているので、共通の音楽体験があるのかもしれません。

 それでは、その原点(原典)たる2曲を貼っておきます。皆さんはどうお感じになるでしょうか。

 

ジグソー 「スカイハイ」

 

エリック・クラプトン 「レイラ」

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2020.06.30

賢くなること請け合い!「言葉力クイズ」

20200701-102955 こ数日、いっそがしくて笑っちゃいます(笑)。「忙」という字は「心を亡くす」と書きます。そう、忙しいと「心」がなくなっていいのです。「心」こそ「自我」ですからね。

 「心」を「亡くす」ということでは、「忘」も同じですよね。「忘」は「下心」がなくなるので、もっと良い(笑)。

 さてさて、そんな中ですので、自我ではなく他者の「言葉」を紹介します。

 言葉といっても名言とかそういうのではなくて、「言葉」に関するクイズです。

 あっそうだ、私、いちおう国語の先生だった!忘れてました(笑)。

 国語の先生的にも、このサイトは勉強になりますよ。なにしろ、「ジャパンナレッジ」ですから。クイズの質、数ともに素晴らしいと思います。国語の先生方、授業で使ってみてはいかがでしょうか。

 賢くなること請け合い!言葉力クイズ

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2020.06.29

Electric Light Orchestra 『Heaven Only Knows』

 日に続き、ELOのネタです。近年特に再評価が進むELO。いろいろな音源が発表されていて、私たち往年のファンも楽しませてもらっています。

 個人的には、この「Heaven Only Knows」の二つのヴァージョンが、とても興味深かった。

 冒頭にこの曲が収められたアルバムは、第1期ELO最後の作品となった1986年の「バランス・オブ・パワー」。それまでの重厚なサウンドとは違うシンセ中心の音作りで、当時の評価は今ひとつでした。

 当時はメンバーも3人だけ。そして実際にはほとんどジェフ・リンのソロ・アルバムのような感じで、解散寸前のバンドにありがちなパターンでしたから、私も覚悟を決めた覚えがあります。全体で35分弱という短さでしたし。

 では、その冒頭の「ヘヴン・オンリー・ノウズ」を聴いてみましょう。かっこいいですよ。

 

 

 

 20年ほどして、アルバムが再発されました。その時公開されたのが、この別ヴァージョン。

 サビのメロディーとギター・ソロは一緒ですが、なにしろ長調と短調の違いがありますからね。サビもコード進行を変えるとこんなにもイメージが変わるのかという良い例。私もよくいろいろな曲のメロディーを変えずにコードを変えて遊んでいますが、これって仏教の縁起を説明する時に使えるんですよ。

 

 皆さんはどちらが好きですか。ジェフはどうも短調の方を先に作ったようで、レコード会社の意見を受け入れて、長調の方に作り変えたという噂も聞きました。

 まあ、どちらもいい曲ですね。甲乙つけがたいところです。

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2020.06.28

ELO 『雨の日のコンチェルト』

 

 雨空にぴったりの音楽。

 私の人生にとって最初にして最高の「音霊」はこれでした。中学1年生の時、この音楽が私の未来を決定しました。

 生まれて初めて自分のお小遣いで買ったELOの「アウト・オブ・ザ・ブルー」。アルバムとしては、もう何回も紹介しています。今日はあえて、その「アウト・オブ・ザ・ブルー」の3面、「雨の日のコンチェルト」を紹介します。

 アルバム全体としてもすごすぎるわけですが、特にこの3面のメドレーというか組曲というか、いやコンチェルトか、これは音楽的にあまりにも豊かです。

 これを聴いて、それまで歌謡曲とビートルズばかり聴いていた私は、すっかりELOフリークになってしまいました。そして、ヴァイオリンを始めたとも言えるし、クラシック、特にバロックにも興味が湧いた。そして今に至る。

 何事においても「初めて」というのは特別な意味を持つものでありますが、こればっかりは、もう何万回聴いても発見だらけでして、その理由は説明できるコトではありません。総体としてのモノ、分析的なコト、どちらにおいても私にエネルギーを与えてくれる存在なのでした。

 「雨にうたれて」のコード、メロディー、リズム、オーケストレーション、…この曲のジャンルはなんなんでしょう。全音楽の中で最も好きな曲の一つ。

 「ビッグ・ウィールズ」はベヴ・ベヴァンも絶賛していた深みのあるバラード。ショパンのごときメロディーの変奏が美しいし、やはりルイス・クラークのオーケストレーションが見事。

 「サマー・アンド・ライトニング」は、前2曲とは対照的にシンプルなコード進行。それが効果的。さわやか。

 「ミスター・ブルー・スカイ」、最近イギリスで「これまでで最も幸せな曲」に選ばれました。単独でもハッピーな曲ですが、やはり、この「コンチェルト」の終曲として聴いてほしい。

 たった4曲ですが、なんでしょう、このボリューム感。ロックの領域を超えた豊かさ、深みを感じます。ジェフ・リンはその後「5人目のビートルズ」と称され、実際にビートルズのメンバーと作品を作るようになるわけですが、もうこの時すでに後期ビートルズに肩を並べ、それを踏襲しつつ新たな次元に到達していたのでした。

 自分の葬式では、この「コンチェルト」を流してもらおうかな。最後はみんなハッピーでお別れしましょう。

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2020.06.27

寺内克久 『青緑の澄性』〜音楽の「ことたま」

 

 晴らしい作品を作っていただきながら、すっかり紹介と御礼が遅くなってしまいました。

 ようやく紹介するタイミングがやってきました。ここのところの「ことたま」シリーズ、昨日「最終兵器」が登場してしまいましたが、さらに一歩進んだ「番外編」。ここでの「番外」とは、さらに高次元であるということ。

 我が家でお預かりしている出口王仁三郎の耀わん「十和田」のイメージを、寺内克久さんに「音楽」にしていただきました。

 寺内克久さんは独自の音楽理論「不定調性論」を構築され、音楽教育に、楽曲制作に活躍されている音楽家です。このたび、不思議なご縁で知り合った友人が間に入ってくれまして、このような素晴らしい創造のきっかけを提供することになりました。

 耀わんという、宇宙の「ことたま」を凝縮した、だからこそ、分からない向きには全く分からないモノから、いかにコトを展開して見せる(聴かせる)か。そのとんでもない難題を、おそらく世界で初めて実現してくださった寺内さんに、改めて敬意と感謝を捧げたいと思います。

 なにしろ、何の説明もなく、いきなり写真だけ送られたわけですからね(笑)。それは大変ですが、しかし逆に言えば、なんらの先入観(他者が展開したコト)もないからこそ、いきなりモノからコトを紡ぎ出すことができたのかもしれません。

 その証明として、寺内さんの制作メモを読んでいただきたい。なるほどと納得するコトばかりです。

 そして、それを「モノのね」たる音楽で表現できるのだから、本当にすごいと思います。音楽は「一瞬で全体」である「モノ」を、歌や楽器などの「コト(琴)」を通じて、一度時間軸上に展開して、そして、私たちの脳内で再び「一瞬で全体」である「モノ」に帰すという、古代から人類が獲得していた「高次元へのアクセスツール」です。

 時間軸上で展開されるコトとしては、もちろん言語もありますが、日本古来の「歌」の伝統のように、あるは王仁三郎がリズムと節を重要視したように、音楽は言語よりもより抽象的で普遍的な「意味」の統合(総合)を可能とします。

 結果として、私たちの意識(コト)に働きかけ、未来志向のエネルギーを喚起します。それがまさに「音楽のことたま」ということになります。

 高城剛さんとも、これから人類が高次元にアクセスしていくために「音楽」が最重要だという話をしました。もっと、地球人に音楽をふるまわなければと。

 寺内さんの「不定調性論」は、「不定」であるところが実に「モノ」的でありつつ、それが西洋近代の音階という「コト」の上に展開されているところが実に面白い。私のこだわる「コトを窮めてモノに至る」という感覚に近い。

 先日、天才物理学者の方ともそんな話になりました。「モノ」(自然)を一度分析(コト化)して、再び統合、総合して「モノ」に帰すと、その「モノ」は前の「モノ」とは違う、高次元の自然になるのです。

 「耀わん」という行為もまさにそれ。つまり、寺内さんは、王仁三郎が再生した高次元宇宙(自然)を、さらにもう一次元上の自然に昇華したということです。

 そして、それはどんどんいわゆる言語からは遠く離れていくのでした。私たちが言語の呪縛と洗脳から解き放たれる時は近い…。

 最後に…書こうかどうか迷いましたが、僭越ながら…この「青緑の澄性」、驚くほどに私自身のピアノの即興演奏のスタイルに近くてびっくりしました。どこかでつながっていたんでしょうか。

 なるほど、私の、ピアノが弾けないのに弾けるというのは、「不定調性論」的には普通にありえることなんですね(笑)。

 寺内さん、本当にありがとうございました。ぜひ近いうちにお会いしましょう!

ミュージックスクール M-Bank

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2020.06.26

王仁三郎の言霊

 霊シリーズが続いておりますが、今日は決定版、御大、最終兵器(?)の登場です。

 かの出口王仁三郎の肉声は、今では様々なところで聴くことができます。特にこうしてネットで誰もが触れることができるようになった事実は、まさに王仁三郎の想定した未来そのものでありましょう。

 師は、おそらくこのような時が来ることを予知して、膨大な書物や短歌、書画や茶碗、そして録音や映像を残してくれたに違いありません。

 それらはデジタル化して拡散することによって、ますます力を増し、まさに「意志のエネルギー」たる「言霊」を発揮しつつあります。

 もちろん、王仁三郎自身の肉声の波動、リズム、節回しにすでにエネルギーがあるわけですが、やはりそれ以上にそこで語られる内容が私たちの意識に作用し、そして未来に原因を作ることになる。その結果、今の私たちの意識や言動が変化するわけですね。

 こうした時を超えた意識の連続体こそが「ことたま」の本質であると言えましょう。

 感激するも良し、笑って聴くも良し、今は何も感じなくとも良し、ただ一聴すれば未来の私たちに変化をもたらされます。ぜひ、そういう期待をもってお聴きあれ。

 

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2020.06.25

『未来への言霊 この世の答えはすでにある!』 舩井幸雄 (徳間書店)

Th_51dsundpr2l_sx343_bo1204203200_ 霊つながりでこの一冊。

 ここでの「言霊」は、遺言という意味も含んでいますね。舩井幸雄さんの実質的な絶筆となったこの本。

 いや、それ以上に、ここ数日で私が語った「ことたま=意識のエネルギー」という意味を強く持っています。

 経営とスピリチュアルは意外にも親和性があって、なんだかんだ江戸時代の経営術から渋沢栄一、松下幸之助や稲盛和夫、そしてこの舩井さんまで、日本の「経営」というのは、結局「人」を幸せにする方向に行くのでした。

 もちろん、それが本当の正解で、一部の西洋的な考えのように、自分さえ儲かれば良い、すなわち、他人の不幸の上に自分の幸福を構築するような考え方は、結局長続きしないのですね。

 この本で語られていることは、本当に私の考え方に一致しています。というか、なんだかんだ舩井さんの影響が強いのかもしれませんね。

 この本には「ミロクの世」という言葉が何度も出てきます。出口王仁三郎や日月神示の影響、江戸時代の富士講などの影響も見られますね。そんなところも私の趣味と一致しているわけです。

 さらに言うと、舩井さんの思想は、間接的にではありますが、仲小路彰の影響も受けています。

 また、この本で対比されている「エゴとエヴァ」、「地球の理と宇宙の理」、「この世」と「あの世」などは、私の「コトとモノ」の対比に近い部分がありますね。

 舩井幸雄さんとは今世ではお会いすることはできませんでしたが、不思議なもので、息子さんとも仲良くさせていただいていますし、幸雄さんの魂の継承者とも常に情報交換させていただいています。

 そんな中で、私も幸雄さんが書き遺した「言霊」によって時間の流れを逆転させ、エヴァな生き方を模索しているのです。

 経営やお金という、私たちに身近なものを通して、人間の、社会の、地球の、宇宙の真理を伝えてくれる舩井幸雄さん。今でもその「言霊」は生き続けており、そして、未来からメッセージを送り続けてくれています。

 

Amazon 未来への言霊

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2020.06.24

『言霊信仰』 豊田国夫 (八幡書店)

Th_71guudzrgkl_ac_uy218_ 昨日、昨日と「ことたま」について思いつきを書きました。

 アマゾンで検索しても分かるのですが、まあ今も昔も「言霊ブーム」ですね。

 特にスピリチュアル系の本がわんさか出てきます。本当に雰囲気なんです。それこそ軽すぎる「言霊」が跋扈しています。

 ちゃんとした「言霊」研究というのが案外ないのですが、唯一学術的な検証に耐えられるのが、豊田国夫さんのこの本です。

 初期の八幡書店さんから出ているというのは面白い。王仁三郎本の出版社ですからね。

 私はこの豊田さんの本を35年前に購入して、今まで本当にバイブルのように大切にしてきました。

 目次がここにありましたので、ぜひ御覧ください。すごいですよね。

 私の「モノ・コト論」の源流はこの本と、東辻保和さんの『もの語彙こと語彙の国語史的研究』という素晴らしい2冊の学術書です。これらは、絶対に雰囲気に流されない、スピリチュアル世界に取り込まれないためのアンカーなのです。

 それはひとえに「もの」と「こと」という日本語の重みを感じるからです。そこに日本人の、日本の、世界の、宇宙の、生命の本質がある予感がするからです。

 と言いつつ、なかなか自分の研究は進みません。特にアカデミックな世界に認められるような研究にはならない。思いっきり自己矛盾してますね。

 古くは「言」と「事」は一つであった。その言事融即の状態から、次第に「言」と「事」が分離し現在に至っているというのが、豊田さんの考え方です。結果として、結局のところスピ系でも語られてしまう「言葉の力で事象を動かす」、すなわち「成る」ではなく「為す」というある種攻撃的とも言える解釈を生んでしまった。それがかの大戦の不幸を生んだとも言えるわけですね。

 私は、「言」と「事」の「こと」への融和、統合を図るとともに、「もの」と「こと」をも高次元で融和、統合させようと考えています。「もの」と「こと」が対比されていると、そこには「とき」が生じます。つまり、「とき」を超えることを目標としているわけです。

 まあ、壮大な夢物語であり、それこそあの世に行かないと分からないのかもしれない。いや、「分かる」なんていう分離こそがダメで、そんなものを簡単に超越したところに「まこと」であったと悟るのかもしれませんね。死んで「もの」に帰ったら。

 というわけで、死ぬまでに「モノ・コト・トキ」という本を書かねば。死んだら書く意味がないので。まあ、死ぬまでにはまだまだ時間はあるので、焦らずゆっくりやっていきます。

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2020.06.23

備忘…「ことたま」と時間(2)

(昨日からの続き)

Th_maxresdefault こで、今日ふと気づいたのは、「こと」によって、時間の流れが変わるということです。

 ちょっとイメージしにくいかもしれませんが、私たちは無意識の状態だと「時間は過去から未来に向かって流れている」と感じている、というか、時間の流れを意識していないが、結果として時計を見て、そういうふうに思ってしまう。もう7時か…とか。

 しかし、あることを意識すると、時間の流れは逆転します。未来から過去に向かって流れるようになるのです。明確に言語化しなくとも、未来をイメージすると、そのイメージが未来から現在に近づいてくることになる。

 まあ、結果として、「イメージは現実化する」ということになって、従来の「言霊」解釈と同じになるようにも思えますが、「こと」の「たま」の機能としては、時間の流れを逆転させるというのが、とても重要なのです。

 言ったこと、思ったことが全て実現するわけではないのは、それはその未来への意識のことを忘れたり、諦めたりするからです。そうすると、時間は逆流して、イメージは遠ざかってしまう。

 最近、私は「未来の記憶」という言葉をよく使いますが、その「未来の記憶」を思い出そうすることが「しごと」です。一般的な仕事も、たしかに未来に何かの価値を生産するための行為です。ちなみに「未来の記憶」を忘れてしまうのが「もの忘れ」なんですね。つまり、近未来の何かしようとして、それが何だったか忘れてしまうこと。

 「何しようとしたんだっけ?」というのは、「過去の記憶」を忘れたようにも見えますが、実際は、近過去から今にかけて「未来の記憶」を思い出そうとしたのに、それが思い出せない状態のことなのです。

 エントロピーでいうと、「もの」の場合それは増大し、「こと」のそれは減少します。「もの」時間の経過が「もののあはれ」であり、「物理」的な時間の経過です。「こと」時間の経過は、未来の「もの」が「こと」となっていき(それを「ものがたり」とも言う)、私たちに新たな「いま」を招来します。

 「こと切れる」と私たちは「もの」に帰りますので、結果としてどんどん拡散していきます。それでも、たとえば作品という「こと」を残せば、それはいつまでも生き続け、新たな生命を生むきっかけとなります。

 つまり、生命とは「ことたま」を持っていて、「ものの道理」に逆らって新たな並行宇宙を生み出す存在なのです。

 そう考えると、今まで私が構築した「モノ・コト論」の仕組みが崩れてしまう部分もあるのですが、まあ、そんなモノですよ、過去のコトなんていうのは。

 また、何かダウンロードできたらメモします。

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2020.06.22

備忘…「ことたま」と時間(1)

Th_a1rkcpsbysl 近、いろいろと降ってくることが多くて、そういうのはすぐに忘れてしまうのですが、メモするのも億劫なたちでして、けっこういろいろな大物を釣り逃しています。

 今日はちゃんとメモるぞ。

 ということで、皆さんにはほとんど興味のないことでしょう。あるいは矛盾がいろいろあると思いますが、スミマセン。自分でもよく分かっていないので。

 今日降ってきたのは「ことたま」の意味と機能についてです。

 私の「モノ・コト論」では、「ことたま」の「こと」は「言葉」という意味ではありません。実際、古い文献では「事霊」と書かれていることが多い。「言葉」も「こと」の一部ですが、あくまで「葉」「端」であって、本体、本質ではありません。

 では何か、というのが私のテーマでして、「もの」との対比によって、それが分かってくると信じているところです。

 ちなみに「もの」は物体ではなく、「もののけ」の「もの」。「〜なんだもん(の)」の「もの」。「物悲しい」の「もの」。「物狂い」の「もの」。すなわち、言語化されない、人間の脳みそでは処理しきれない、片付けられない「もの」「なにか」の総称です。

 実際、「もの」は「何か」「なんか」に翻訳できることが多い。「物悲しい」も「なんか悲しい」ですし、「食べ物」も「食べる何か」ですね。

 逆に「こと」は言語化でもあり、意識化でもあり、分析の結果であり、明確なことであったりするわけです。

 で、「たま」というのは「エネルギー」のことですから、まあ確かに「言語のエネルギー」ということもできるわけですね。しかし、本質的には「言語」に限るだけでなく、「意識のエネルギー」と言った方が正確です。

 もちろん、「意識=言語」という考えがあるのも知っていますし、言語を記号と捉えれば、その範囲はかなり広がっていくのもよく分かっています。

 しかし、一般で言われているような「言葉の持つ不思議な力」という解釈は、あまりに次元が低い。そこから、「いい言葉を使えばいいことがある」とか、「意識は現実化」するというような、スピリチュアルの人が好きそうなスローガンになってしまうと、それこそ「ことたま」がないことになってしまう。

 ちなみに写真の柳原白蓮のエッセー集「ことたま」、「もの」すごく魅力的です。彼女と出口王仁三郎の浅からぬ因縁につきましては、こちらに書きました。

(明日に続く)

 

Amazon ことたま

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