ライヴ&コンサート情報

5月24日(土)はハチャメチャなダブルヘッダー。25日もやります。どうなることやら…。詳細はこちらで。

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2008.05.08

○○始まったな…

Cut_nayami の微妙な萌えキャラは総務省のホームページから無断転用しております。総務省さん許してね。「え〜?勝手に使わないでよ」と困った顔をしている彼女、「電波りようこ」という名前だそうです。
 で、こういう意外なことが起きた時、ネット上ではいろんな人たちが「総務省始まったな」と言います。これは面白い表現ですね。一般には「総務省終わったな」の逆説的表現だととらえられますが、実は一概にそうとも言えない場合もあるんですね。つまり、本当に「始まった」という意味で使われることもあるというわけです。
 つまり、このイラストを見て、「おいおい、総務省とあろうものがこんな萌え系のキャラを使うなんて、ああ、もう総務省も終わりだ。日本も落ちたもんだな」と真剣に思った人が揶揄として「始まったな」と言う場合と、「うお〜!萌え〜。総務省さんもこんなことするんだ。りようこちゃんも萌えだけど、総務省も萌えだなあ。いやあ日本に生まれてよかった」(笑)という意味で「始まったな」と言う場合があるということですね。
 修辞法としての反語や逆説というのは、実はこのように解釈が難しいのです。日常の会話でも解釈に迷うことはよくありますし、古文を読んでいたりすると、そんなことばっかりです。これは一つの婉曲表現であり、朧化法であります。
 こんな例もあります。例の秋田県羽後町の「スティックポスター」に関して、こんなふうな表現がされています。発展的な用法です。
 「秋田で最も始まっている羽後町始まり過ぎ」
 これをどう解釈すべきか…なかなか難しい国語の問題ですね。中間テストに出そうかな(笑)。ある意味この文章だけでは答を出すのは困難です。いわゆる文脈が必要になります。また、表現者の立場や心情によって解釈が変わってくる場合があります。いろいろと考えてみてください。面白いですよ。
 ちなみに、今「北京オリンピック始まったな」と言った人に対して、「えっ?まだ始まってませんよ」なんて言うのは愚の骨頂です。KYです(笑)。
 ところで、今気がついたんですけど、こうした逆説的揶揄表現には一つのルールがありますね。すなわち、悪いイメージのものに対して良いイメージの言葉を使って表現することはありますが、その逆はないということです。つまり、「終わったな」という意味で「始まったな」とは言うけれども、「始まったな」という意味で「終わったな」とは言わないんですね。
 ちょっと卑近な例になりますが、美女や美男子に対して不細工とは言わないけれど、不細工に対しては美女とか美男子とか言いますよね(笑)。私なんかよくハンサムとかイケメンとか言われますよ…ハハハ。
  まあ、基本揶揄とか皮肉とか罵倒とか嘲笑なわけですから、当然のルールといえば当然のルールですな。難しいことじゃないか。
 そうそう、これは敬語の使用についても言える現象ですよ。敵や見下すべき存在に対して、「御前」とか「貴様」とか言うじゃないですか。「てめえ(手前)」とかもそうかな。「おまえ何様だ?」とかも。そして、結果として敬意の逓減と言われる現象につながっていきます。
 その逆ってありえませんよねえ。ま、謙遜という形で自分を卑下する場合はありますが。でも、とっても細い女の人が、メタボなおばさんを前にして「私最近太っちゃって…」とか言うと、反感買いまくりますけどね(すなわち、自分を卑下するのではなく、相手を卑下してしまう…笑)。言葉は難しいっすね。
 あっそうだ、感嘆詞的な用法としては、すばらしいものに対して、「チョーやべえ」とか「まじ死ぬ」とか「ありえねー」とか言いますね。そういうのは古文の時代からたくさんあります。
 というわけで、今回の「総務省始まったな」はどっちなんでしょうね。総務省さんとしては、始まらせたんでしょうか。ま、自ら終わらせる人もいないでしょうけど。ただ、KYな人が始まらせようとして終わらせてしまうことも往々にしてありますので。
 電波利用のページということで、アマチュア無線の方々が対象になるでしょうから、やっぱり狙ったんでしょうか。まずは総務省さんに聞いてみましょうか、始まらせようとしたのか。
 いや、ちょっと待てよ。電波利用子(りようこ)…う〜む、冷静に考えるとこのネーミング…やっぱり、「始まったな」(笑)。

総務省

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2008.05.07

『プロレス「悪夢の10年」を問う』 (別冊宝島)

世紀の「大沈没劇」を検証する
Seuyuy たプロレスネタですみません。でも、これは私にとって、自分の生き方そして社会の変化について考える、非常に重要なヒントを与えてくれるもの、いやほとんどテーマそのものなので、どうしても避けて通れないんです。
 やはり、プロレスは自分や社会を映す鏡なんですよね。ですから、プロレスの凋落激しかったこの10年というのは、まさに自分たちや社会が、そういうふうに変わった10年だったということなんです。
 世間ではいったい犯人は誰だ!?のような議論が盛んに行われました。そして、実際にいくつかの原因が取りざたされましたが、どうもすっきりしない。そう、最も激しく犯人扱いされたのは、ミスター高橋の暴露本でしょう。もちろん私もそれを読みましたが、それはまあ不文法を明文化しただけであって、何を今さらとは思いましたが、世の中を改革してしまうほどの力は感じませんでした。やっぱり原因はそれじゃあない。
 このムックも基本、一般論に対する懐疑的な立場をとっています。しかし、だからと言って何か一つの結論が提示されているわけでもない。冒頭に「変わったのはプロレスか、自分か、それとも−」とある通り、結局よく分からないまま終わっています。というか、ずいぶんと話がそれていって、あれ?この本って何の本だっけ?という感じ。そして、なぜかそのそれた部分の方が読み物としては面白かった。
 特に、昭和を彩った怪物記者、怪物編集者の皆さんのくだらない(失礼)ぶっちゃけ話と、彼らに対するある意味プロレス的なわざとらしさを伴った宝島側のツッコミには、大いに興奮させられました(笑)。
 あと、「大沈没劇」のおかげで味わえる哀愁という意味では、最後の阿修羅原のインタビューと劇画が秀逸でした。もうほとんど演歌の世界ですよ。そうそう、去年泣いたラッシャー木村の劇画と同じ「もののあはれ」だな。沈没の美…国際プロレスって本当にいいですねえ。カミさん曰く「人生の春夏秋冬…(涙)」。
 さて、いきなりですが、私はよく分かってるんですよ。なんでプロレスが凋落したか。変わったのは、プロレスであり、自分であり、社会なんです。そうですねえ、順番としては、まず社会が変わった。そして自分(私たち)、最後にプロレスなんじゃないでしょうか。
 2001年、ミスター高橋の暴露本が出版された年ですね、この年は小泉構造改革が始まった年でもあります。そして、どんどん世の中のいわゆる「ムダ」が排除されていきました。全てがリアルにオープンの方向を目指し、それこそがいいという神話が形成されていきました。ガチンコ社会こそが「機会の平等」を生むという幻想が生まれたんです。
 そこで消えたのが例えば談合です。私はこちらで書いた通り、談合こそプロレスであり、それが人間の本質と智恵であると考え、行きすぎた談合はですね、それはいかんとは思いますが、だからと言って、それを徹底的に排除して自分たち個人個人の欲望と無力さを露呈させるのには大反対なんです。
 でも、世の中はみんなそっちの方向に行ってしまった。リアルを求めてしまった。総合格闘技の人気が出たのも、そういう我々の意識が商売になるからでしょう。談合じゃなくて、ガチンコでオープンのオークションの方が正しいし、面白いと思ってしまった。
 レスラーたちも喰っていかねばなりませんから、市場がそちらに流れれば、自然とそういう方向に行きたくなります。特に体の小さな人たちはそうでした。体が小さいと、プロレス的にはルチャをやるしかないわけですから。
 そういう意味で、このムックで一番勉強になったのは元UWFインター山本喧一選手のインタビューでした。彼は本当にいいことを言っています。今、彼は格闘技の世界で頑張っているわけですけど、彼も体が小さかったので、いわゆるプロレスラーにはなれなかったクチです。自分でもそう言っています。彼は「プロレスは化け物の世界」と語っていますが、まさにそれですね。今のプロレス界には馬場や猪木やアンドレや鶴田のような化け物がいません。プチ化け物やシロウトがずいぶんと増えてしまいました。それも凋落の原因でしょうね。
 逆に言えば、それは「見世物文化」の衰退とも言えます。世の中のエセ福祉、エセ思いやり、エセ平等、エセ人権、エセヒューマニズムが、そういう「モノ」を幽閉しつつあります。教育現場でもモノノケはずいぶんと生きにくくなってますよ。まったくねえ。
 大相撲の凋落も、まったく同じ原因でしょうね。日本古来の素晴らしき神道的伝統である、談合的全体主義と見世物的福祉と物の怪への畏敬の念が消えてしまった。残ったのは、我々人間個人の不純なる「自己」と単純な勝ち負けの図式だけでした。そういう「コト」を包み込んでいた母性のようなモノはどこに行ってしまったのでしょうか。人間のデジタル化なんでしょうかね。アナログ的なあいまいさと、美しきムダやムラはもう評価されないんでしょうか。
 …と、話がふくらみすぎてしまいましたね。なんだか自分でも何を言っているのかわからなくなりました。とにかく、とんでもない怪物が現れて、総合でも完全王者になってくれるしかないですね。私たちの欠落感を埋める物語を紡ぐ、そういうある意味天皇みたいな、恒星みたいな、そういう存在が現れねば。朝青龍もジョシュ・バーネットもいいけど、やっぱり日本人のそういう怪物が現れてくれないかなあ…やっぱり三沢さん?

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2008.05.06

富士山麓の初夏を満喫(うぐいす&モリーユ)

080506 日はいい天気でしたね。雲一つない五月晴れ。ようやく富士北麓にも初夏の気配がやってきました。
 虫捕りをしたいという娘たちといっしょに近くの森を散歩。うぐいすが鳴いていたので、いつものレコーダー(iPod nano + LIC-IREC01)で生録をしてみました。
 マイクのアッテネータはLowポジション、すなわち高感度(ややこしいな)。このモードは会議なんかの記録用なんですが、かなり感度が高いですね。ウグイスの声が少し割れました。たしかにすぐに近くにいましたけどね。かなり遠くの犬の鳴き声もしっかり録れてます。下のファイルをクリックしてお聴きください(かなり音が大きいので注意)。
 うぐいすmp3
 なんだかちょっと字余りな感じのうぐいすですねえ。ホーホケキョケキョ。このレコーダー、ノイズも思ったより低く、ちょっとした生録にも使えますな。
Amigasatake 結局モンシロチョウを一匹捕獲しただけで、ウチに帰ってきたんですが、庭で遊んでいた娘たち、今度は高級食材を見つけました。そう、以前紹介したチブル星人ことモリーユですね。アミガサタケです。なかなか立派なものです。
 今年はどういうわけか春の山菜があんまり出ませんでした。いつもならちょっと困るくらい庭を占拠するフキノトウもいつもの2割くらい。フジザクラやソメイヨシノもいつ満開だったのか分からないうちに散ってしまうし、どういうわけなんでしょう。それほど異常気象という感じではないんですが。自然というのは微妙なものです。
 さて、このチブル星人、どういうふうに料理しようかな。

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2008.05.05

『高円寺のレスリング・マスター 人間風車 ビル・ロビンソン自伝』 ビル・ロビンソン (エンターブレイン)

65hj 先から帰ってきて、録画してあったサラリーマンNEOを観ましたら、また「サラリーマン体操」にプロレスネタが…。ついに馬場と鶴田の登場です。どう考えてもこれは私の趣味を考慮して番組を作ってますな(笑)。「オーッ」までやってくれました。
 しかし、この前カール・ゴッチについての間違いを指摘させていただいたのと同様に、今回も一つ間違いを指摘いたします。
 写真をご覧になってわかりますかね。字幕には「眠気覚ましの三冠王者 J鶴田のジャンピング・ニーバット」とありますが、これは「バット」ではなくて「パット」ですよ。NHKさん、しっかりしましょう(笑)。
75772082 さて、カール・ゴッチは「神様」ですと指摘させてもらったのに関しまして、違った意味で再び反論しているのがこの本です。帯にはこうあります。
『カール・ゴッチは決して神様などではない!』
 そう、著者であるビル・ロビンソンさんは、実際に手を合わせた者として、ゴッチを神格化する日本のプロレス界(というかマスコミでしょうかね)に苦言を呈しています。たしかにゴッチは優れたシューターの一人ではあったが、彼以上のレスラーはいくらでもいると断言しています。
 この本では、ゴッチだけではなく、往年の名レスラー、テーズやガニア、猪木や馬場、そして鶴田などの評価がかなり詳細に書かれています。それらは非常に興味深い内容です。結論だけ言ってしまうと、彼が最も「強い」としているのはダントツでビリー・ジョイスです。私は彼について全く知識がありませんが、とんでもないテクニックを持ったシューターだったらしい。おそらく、今の総合格闘技の試合にビリー・ジョイスやビル・ロビンソンが出たら、余裕で勝つんでしょうね。
 日本人ではやはりダントツで猪木を高く評価しています。鶴田はいまいち。馬場はビジネスマン。あとは生徒扱い(笑)。
 それから興味深かったのは、桜庭和志を高く評価している点ですね。それと比較して田村や高田の欠点を指摘しています。なるほど、という部分です。
 そう、やっぱり桜庭なんかが、ちゃんと「プロレスラー」として、「プロレス」をやればいいんですよ。この本を読んで再びそのことを痛感しました。
 この本を読みまして、私のいろいろな疑問が氷解しましたね。なぜプロレスが凋落したか。なぜ総合格闘技に違和感をおぼえるか。真のプロレスラーとはどういう人たちなのか。
 つまり、ロビンソンが活躍していた時代のプロレスには、「ショー」も「ガチンコ」も全部含まれていたんですね。馬場もそういうこと言ってたじゃないですか。それが、どういうわけか、「ショー」と「ガチンコ」に分かれてしまった。それで、お互いがいがみあっている、というか全く相容れないものどうしになってしまっている。
 この本を読めば、そんな二分法がいかに幼稚でプロ意識の低いものか、よ〜く分かりますよ。象徴的なのは、ロビンソンが語気を荒げて(たぶんね)不快感を表明している『「シュート」と「ワーク」』の章です。ここで、彼は「シロウトが軽々しくシュートとかワークとか言うな」というようなことを述べています。その理由は大変に奥深く、だからこそ完全に言葉になっていないような気もしますが、その理由こそが、今のプロレス界、格闘技界が見失っているものだと思いました。
 去年買った国際プロレスのDVDの最後に、ビル・ロビンソンさんと宮戸優光さんによる、伝説の名勝負の一つ「ビル・ロビンソン対バーン・ガニア」の解説があったんですよ。それはそれはすごい内容でした。いかに彼らが高度な攻防を繰り広げていたか、それは単に自分が勝つための技術的な攻防だけではありません。相手を活かし、お客さんを盛り上げるための、非常に知的な攻防がそこにあるんです。
 ロビンソンさんは、彼の理想とする「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」すなわちランカシャー・スタイルのプロレスリングを「フィジカル・チェス」と表現しています。そこに全てが表現されていますね。
 今、ロビンソンさんは、高円寺に住み、スネークピットジャパンでコーチをしています。古き良き本当のプロレスを後世に伝えるべく、自ら手取り足取り指導をしてくれているそうです。心のプロレスラーとしては、ぜひとも一度行ってご指導いただきたい!
 近いうちに訪問したいと思います。

Amazon ビル・ロビンソン自伝

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2008.05.04

日本平動物園

080504 日より、ワタクシの実家のある静岡市に来ております。山梨はなんとなく寒くてストーブなんてたいたりしてたんですけど、こっちはもう完全に夏です。寝苦しいなんてもんじゃない。いやあ、隣の県なのにこうも違うか…。
 さて、今日は私の母と私のカミさんは東京へ行っております。シャンソン歌手のしますえよしおさんのコンサートに行ってるんです。きっと感動して帰ってくることでしょう。そして、カミさんによるものまねショーが絶対始まります(結果、やっぱり始まりました…笑)。
 で、残された私と娘たちと父は、4人で日本平動物園に行ってきました。私は、そうですねえ、まじで40年ぶりくらいに行くんじゃないでしょうか。日本平動物園と言えば直立レッサーパンダの風太ですね。そう、彼はここ日本平動物園で生まれたんですが、千葉の動物園に連れていかれて、そこで大人気になりました。日本平としては複雑な心境だったでしょうね。
 日本平動物園は、静岡市営の動物園として1969年に開園しました。全国で動物園ブームが起こっていた時期ですね。まさに私の幼少期のことです。それから、なんだかんだ言って、動物園というのは家族レジャーの定番施設として、脈々とその命をつないできました。最近は経営難のところが多いようですけど。
 よく言われるように、動物園というのは実に近代的、暴力的、植民地支配的な発想による歓楽施設なわけでして、それについてはある意味いろいろと問題もあるわけですね。動物愛護どころか動物虐待ではないかと。
 まあそんなふうにも言おうと思えば言えますが、まあ動物の気持ちなんて案外分からないものでして、彼らも、命の危険にさらされず、それこそ近代的な生活を満喫しているとも言えるわけですから、もしかすると幸せだ、ラッキーだったかも、と思ってるやもしれません。
 そして、これもまたよくある言い方ですが、オリの中から我々人間をウォッチングしているのかもしれませんね。オリの中にいるのは私たち人間たちなのかも…。まあ、なんとでも言えますな。
 さて、そんな動物園に久々に行ったわけですけど、なんだか、私は違った意味で衝撃(笑撃)を受けましたねえ。全く、ウチの娘たちと来たら、本当におかしい。本物の動物たちに、まあそれなりに感動はしてましたけれど、それ以上に、なんだか違うことで盛り上がってる。
 それはすなわち、ポケモンであります。えっ?動物園でポケモン?
 そうなんですよ〜。それぞれの動物を見るなり、ほとんど全てポケモン化するわけです。サルはヒコザルとか、カメはカメックスとか、キリンはキリンリキとか、ペンギンはポッチャマとか…よくわかりませんが、なんでも32体ゲットしたらしい。
 おいおい、どっちがオリジナルなのか分かってるのか!?リアルよりフィクション、ファンタジーの世界の方が大事なのか!?
 ま、考えようによっては、子どもというのはこのくらい妄想的な方がいいのかなあ。夢があるというか、物語的世界に生きるというのか。なんだか、いろいろ考えちゃいましたよ。
 だいたい、ポケモンだって、実に近代的な支配被支配関係に成り立つ物語ですよね。物の怪を飼いならし、そして闘犬、闘鶏的バトルをさせるわけですからね。いかんなあ。たしかに、ポケモンには人とポケモンとの信頼関係や、相互的な成長なんかも見られるわけで、まあリアルな動物園的世界よりは多少救いがあるのかもしれませんね。いや、そうでもないか…笑。
 今思い出してみれば、幼少のワタクシも、動物を見てはウルトラマンの怪獣の名を叫んでいたような気もします。ああ、こうしてヲタの遺伝子は継承されていくのでしょうか(笑)。
0805042 あと、面白かったのは併設されている遊園地(?)でしょうか。それこそ昭和を感じさせる遊具がたくさん。一番笑ったのはメリーゴーランドです。遊具自体の渋さは言うまでもありませんが、なぜか回転中ずっと「山口さんちのツトムくん」がかかってました(笑)。
 ところで、よく見るとメリーゴーランドの馬って、テオドール・ジェリコーの「エプソムの競馬」風のデザイン、すなわちあり得ない走り方してるんですね…なんて、そんなとこにツッコミを入れるなんて、私も野暮な大人になったものですね。

日本平動物園公式

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2008.05.03

角石(かどいし) 『若き百姓よ/休耕田に佇つ百姓』

Kadoishi1 日の中世ヨーロッパ音楽とは全く違う…かと思いきや、案外似たものを感じたのであります。なんというかなあ、土着の音楽というか、風土が生む歌というか、言葉が先というか…。とにかく非近代西洋音楽であります。
 今日中古レコード屋さんから届いたこのEP盤、知る人ぞ知る「百姓フォーク」伝説のグループ「角石(かどいし)」のシングルであります。今でも日本の音楽史の中の珍盤として、たとえばこちら「」にも収録されていたりします。
 で、実はこのグループのリーダーで、この濃〜い曲の作曲も手がけ、そして味わい深いボーカルを担当している阿部養助さんがですねえ、ウチのカミさんの実家の3軒隣のご主人なんですよ。全くビックリです。
 いやあ、最近、ウチのカミさんの生まれ育った秋田県の羽後町が、本当にワタクシ的にブームになっちゃってて、ホント驚きなんですね。ちょっとまとめてみますとですね、次のようになります。

 1 土方巽
 2 かがり美少女イラストコンテスト
 3 古典的メイドカフェ
 4 角石 関係記事…この記事
 5 佐藤信淵 関係記事…いずれ書きます

 私のセンサーに引っかかりまくり。いくらなんでも、これは偶然ではないでしょう。あまりにピンポイント過ぎます。日本にはたくさんの「田舎」があるでしょうが、ここまで私の心をひきつける所はないですよ。自然も豊かで素晴らしい上に、独自の文化があまりに私好みです。
 それにカミさんとは結婚してちょうど10年になりますけど、今年になってからなんですね、いろいろと分かり始めたのは。てか、カミさんはほとんど知らなくてですね、私が「○○って知ってる?」と聞くと、「ああ、それは…」という展開が多い。お互いにとって驚くことばかりです。結婚10年目にして、ようやくこの人と結婚した意義が解った…なんちゃってね。
 話を「角石」に戻しましょう。とにかくこの伝説のグループ&楽曲、聴いていただきたいですねえ。すごすぎますよ。著作権の問題もありますが、ここは思いきって音を載せます。あえて音を劣化させるために(?)、こちらのレコーダーで生録したものです。あくまで、部屋の音を生録したということで。たまたま、かかってた曲がこの曲だったと(ありえね〜!ww)。

若き百姓よ
休耕田に佇つ百姓

Kadoishi2
 どうですか!?もう解説は不要ですよね。すごすぎます。ソウルフル過ぎます。かっこよすぎます。このメッセージ性、今のJ-POPなんていうチャラチャラしたものとは比較するのもおこがましい。
 歌詞は右を画像をクリックしてご確認ください。作詞はこれも伝説の農民彫刻家である皆川嘉左衛門さんです。ジャケットの農民像(彫刻ですよ、これ)も彼の作品らしい。
 1979年と言えば、私は一生懸命洋楽を聴いていた時期です。高校に入学した年でしょうか。ヴァイオリンを弾き始めた頃でもありますね。そんなチャラチャラしたことをやっていた少年がいた一方で、当時5歳かそこらだったカミさんの棲む集落では、こんなに熱い音楽をやっている青年がいたわけです。なんということでしょう。
 今度、近いうちに羽後町でウチの歌謡曲バンドのライヴをやろうと考えているんですが、これはもう当然この曲をやらないわけにはいかないでしょう。やりたいっす。ストリングスも重厚に入ってますし、いいんでねえが。こうなったら、養助さんにぜひヴォーカルを!頼んでみようかな。
 ちなみに阿部養助さん、今年町議会議員に当選されたそうでして、また、今でも音楽活動をされているとのことで、町おこしのために一つ音楽の力を利用していただきたく思います。今度、秋田に行った際には、ぜひお会いしたいものです。
 いやあ、不思議な縁が続きますなあ。人生は面白いっす。アンテナを張り巡らせていると、まあとんでもないメッセージがつかまるものですよ。心を開いて待っているという姿勢って大切ですね。
 しっかし、すごい!角石!ぜひカバーさせていただきたい!

Amazon 幻の名盤解放歌集 ワーナー ミュージック 春の紅白歌合戦 白組編

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2008.05.02

アンサンブル・ラルバ 『ソプラノとリュートで紡ぐ 中世の愛の歌』

542ga 士吉田パプテスト教会で行われたヨーロッパ中世音楽のコンサートに行ってまいりました。
 歌とサンフォニーは夏山美加恵さん、リュートはルネ・ジェニス=フォルジャさん。
 セフェルディックやトルバドゥールの歌といった、11世紀から13世紀にかけてのイベリア半島の音楽を中心とする大変渋いプログラムでしたが、会場は満員大盛況。私のような古楽人でもなかなか生で聴く機会のないジャンルでしたから、一般の方はどのような印象を持たれたのでしょうね。きっと不思議な感じがしたのではないでしょうか。いわゆるヨーロッパのクラシック音楽のイメージを抱いて会場にいらした方々は、あの非和声的、旋法的、即興的、詩的な世界は、全くの新しい体験だったのでは。
 当時のイベリア半島には、イスラムやユダヤの文化が多く流入し、中世キリスト教音楽と、現地の民俗音楽が混ざり合う、大変に個性的な音楽や詩、そして言語が発達していました。近代的なそれらに統合される前の一種カオスの状況とも言えますね。そこに立ち現れるエネルギーはどこかアジア的でもあります。ああ、そうか、その頃はまだ、「西洋」は確立してなかったんだよなあ。西洋以前、西洋はまだ世界の一地域に過ぎなかったわけでして。
Nm 今日演奏された曲、そして楽器は、明らかに西アジアを発祥としています。リュートと称された復元楽器はほとんどウードですし、歌われる旋律にもアラブ音階が多く混入していました。私は当時のヨーロッパ語についてはほとんど分かりませんけれど、歌われた詩における言葉もかなり古い形なのだと思われます。いちおう私、古い日本語を専門していますから想像はつきます。1000年前の日本語はつまり平安のそれですからね。語彙、文法だけでなく、音韻的にもとんでもなく今と違います。
 そのへんの復元について、どのように行われているのか、夏山さんにいろいろとうかがいたかったのですが、終演後子どもが早く帰りたがっていたので、充分な時間が取れませんでした。残念。
 そうそう、お客さんから「楽譜が残っていないのに、どうやって当時の音楽を復元するのか」というするどい質問が飛んでいましたね。夏山さんは「企業秘密」とおっしゃっていましたが、まあそのへんの事情については私はよくわかります。そして、その企業秘密の部分こそが、いわゆるクラシック的な発想とは違う古楽的な部分であると思いますし、その現代性とも、またその自己撞着性とも言えると思いますね。そうしたファンタジックなところや、フィクショナルなところが面白いんですよね。
Rgf 西アジアで生まれた音楽が、かたやシルクロードを通って東の果て日本(わかりやく言えば正倉院)にたどりつき、かたや西進してイベリア半島にたどりついた。そこでしばらく醸されたのちに、16世紀に両者はグルッと回って(裏側を回ったわけではありませんけど)九州で出会うわけですよね。う〜む。
 そんなことに思いを馳せながら今日の演奏を聴きますと、普段我々が接している近代ヨーロッパ音楽がいかに特殊なものであるか、再び確認されるのでした。それはまるで共通語としての英語のように世界を席巻しておりますね。英語だけが言葉ではありません。それと同様に音楽も実に多様であるわけです。
 英語が機能的で便利であるのと同じように、近代西洋音楽は「便利」で「共有しやすい」、つまり近代合理主義的価値は高いわけですし、実際その特長を活かして我々は高度な作品を構築したのですが、違った価値基準からすれば、それ以上の言葉や音楽は無数にありますね。私たちがそうした別の価値に気づくよう努力しなければなりません。夏山さんもおっしゃっていました。そのために活動しているのだと。
 あと、「詩=言葉が先」ということに関して。これは日本の歌(和歌)の世界も全く同じです。テキストは残っているけれども、旋律は記録されていません。記録する必要がなかったと言うよりも、記録できなかったわけですね。毎回違っていたわけですから。古い日本語では楽器の音色のことを「もののね」と言いました。歌詞は「コト」として言の葉で固定されましたが、メロディーは常に更新されては消えていく「モノ」であったわけです。そして、コトからモノが発するという、我々の一般的な活動(コト化)と逆のエネルギーの流れこそが、芸術の本質であります。
 今までも何度も書いてきましたので、繰り返しになりますが、「モノ」を「カタル(コト化)」して「コト(作品)」が生まれ、それを受容した人から新たな「モノ」が生まれる、そうした循環がすなわち芸術の生命力であり、人間の生命力であるのです。
 と、こんなふうにいろいろなことを考えさせてくれるいい演奏会でした。私の音楽的後半生のテーマがまた明らかになったような気がしました。ありがとうございました。

アンサンブル・ラルバ公式(視聴も可…ぜひお聴きください)

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2008.05.01

ふぅ、戻った…(4歳の誕生日を前に)

↓セッション数の推移
Ga05 Googleに嫌われたという話を、2週間ほど前に書きました。この記事です。3月9日の境にこのブログの検索順位がドカンと落ちて、アクセス数が半減したという話でした。
 それがどういうわけか、(たぶん)今日の朝あたりに、3月8日以前の状態に戻りました。IT業界のある人に、2ヶ月くらいで元に戻るよ、と言われていたその通りになったので驚きました。
 その人の言葉を信じていたのですが、けっこうこの2ヶ月間は辛かったっすね。自分でもそんなのどうでもいいじゃんと思いつつ、なんていうかなあ…モチベーションというか、やり甲斐というのでしょうかね、誰に頼まれたわけでもありませんが、こうして長文を毎日書くのって案外根性のいることなんですよね。その根性がちょっと萎えた。
 これは商売の世界と同じでしょうね。いわば自分の店の前の道の人通りが急に減って、飛び込みのお客さんが減ったという感じだったんです。常連の方はいつも通りわざわざ立ち寄ってくれるのですが、たまたま店頭にあった商品を見つけて入店し、ついでに他の商品も買ってくれるようなお客さんが激減してしまったわけです。
 ウチの店に来る道の向こうの方で突然工事が始まって通行困難になっていた。その工事が終わって昔の人通りが戻ったって感じかな。正直ほっとしました。
 工事してる現場なんか見えなかったので、実は店の改装とかもしてみたんですよ。なんとなく広告が多くてガシャガシャしてたんで、そういうものを店頭から一掃したり、目には見えないような物やゴミも整理しました。でも、その効果が現れたというよりも、やっぱり道の工事が終わったってことでしょうね。
 こう考えると、なんだかんだ言ってGoogle様に依存してるってことですね。もうこれからは彼らを「死体コレクター」とか言いません。ごめんなさい(笑)。
 と、お店になぞらえて話をしましたが、実際の売り上げも激減してたんです。Amazonのアソシエイトとか楽天のアフィリエイトとか、10分の1以下になってました。おかげで新しい本や物を買う資金も枯渇。つまり商品の仕入れも困難になっていたということです。
 またいつ今回のような事態になるかわかりませんし、あるいは本格的に評価が下がって閑古鳥が鳴くやもしれません。また、いろいろな事情から本当に店じまいする日が来るかもしれません。
 実は今日で不二草紙は丸4年、つまり明日4歳の誕生日なんです。1日早いGoogleからのプレゼントだったのかもしれませんね。このおススメはいちおうこの4年間毎日更新してきましたので、神も憐憫を垂れて下さったのでしょう。ありがたく思いつつ、これからも精進いたします。やっぱり商品の質で勝負しなくては。ウチはよろず屋なわけですから、それらしくその道を極めていきたいと思っています。今後ともご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

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2008.04.30

中吊り広告

Yhhjs のように田舎に住んでますと、あんまりお目にかからない電車内の中吊り広告。電車に乗らないし、それ以前に富士急行線には中吊り広告なんかありませんね。車両の壁に渋〜い広告はありますけど。
 昨日、久々に東京の電車に乗ったので、じろじろと見ながらいろいろと考えました。また、考えたのと同時に、見事に購買意欲をかき立てられ、あるものを買うハメになりました。いやあ、都会の人は大変だなあ。いろんな欲望をかき立てられる。それに従うとお金がかかる。ある意味修行だな。
 と、タイミング良く、今日のNHK「cool japan」で「広告」が取り上げられ、その中で中吊り広告も紹介されていました。外国人から見ますと、あの中吊り広告はかなり不思議な存在らしい。彼らの中でも意見が分かれ、華やかだしヒマつぶしになるしカワイイ女の子はいるし、とってもcool!という人と、邪魔だ!not cool!という人と、両方いましたね。とりあえず、海外にはこういうのはないらしい。
 たしかに、部屋の中央にあんなにいろんなポスターがぶら下げてあったら、邪魔は邪魔ですね。でも、無視しようと思えば無視できるし、最近ではデザインに凝ったものも多く、一つの表現の場になっていますよね。実際目を楽しませてくれるものも多い。
1774048028_2100cc3c82_m 今日の番組でも、上に載せたお茶の広告や、右のNHKきょうの料理のテキストの広告などが紹介されていました。こうなると、電車の車内が一つのアート空間になるわけで、日常空間…いや、会社への(あるいは家庭への)道のりという特殊な時空に新たな意味が付加されることになるのかもしれませんね。
 同じく番組で取り上げられていた都会のネオンサインもそうですけど、とにかく全体のことを考えない、あるいは周辺との調和をあえて図らない、ああいう雑多なカオスな表現というのが、日本の風景の特徴になっていることはたしかです。以前はそういうコーディネイトの存在しない街並みなど、私はあんまり好きではなかったのですが、最近はこうやって外国人がcool!と言ってくれるし、なんとなくこれこそ自然な美なのかなと思うようになりました。
 自然界も基本自己中心的だし、隙間や油断があればそこに蔓延る存在ですよね。それが全体として俯瞰すると一つの美を構成したりする。そういう、ある意味「コト化」されない多様性の美しさ、豊かさ、そしてそこに自然に溶け込んで生きる日本人というのは、案外cool!なのかもしれませんね。
 それにしてもですね、日本にはビキニ姿が本当に蔓延してますなあ。この前の「オタクはすでに死んでいる」にも書いてありましたっけ。そして、番組で外国人も言ってましたよ。子どもの雑誌から大人の雑誌まで、とにかく半裸の女ばっかり。言われてみると世界的には異常な事態ですね。実際の街中では、女性のボリューム感、そして露出度の比較的低い日本ですが、なぜか2次元世界になると異様にセクシー満載になりますよね。さすが妄想王国ですね。実は国民総オタク、総萌えなんですかね。
 ああ、そう考えれば、ネットの世界なんか、ある意味世界の中吊り広告みたいなもんだな。カオスにしてセクシー、欲望をかき立てられるし、偶然性も高い。無視しようと思えば無視できるし。ネットは自然のアフォーダンスを再現なのかもしれませんね。
 そうそう、ネットで中吊り広告を実現しようとしたこのサイト、今のところ全く広告主が現れず、ものすごく閑散としてますよ。やっぱり中吊りがないと落ち着かないよな…。
 ちなみにリアル山手線の中吊り広告、2日間で210万円(各車両1枚ずつ)だそうです。案外安い?

Amazon NHK Cool Japan 外国人が感激するニッポンの魅力

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2008.04.29

Logitec 『iPod対応 ICレコーダーアダプタ LIC-IREC01』

41ef2d2r9ml_sl500_aa280_ 日は、家族+1で東京方面へ出かけました。カミさんは「DREAM.2」観戦のためにさいたまスーパーアリーナへ。私は新宿で5月24日のコンサートのための練習。子ども(+お友だち)は浜松町のポケモンセンターへ。それぞれ違う目的です。
 カミさんのお目当てはもちろん桜庭和志選手。DREAM.1では、その桜庭選手と念願の握手を交わしましたが、今回は「闘うマスオさん芸人」ことベルナール・アッカ選手と駅でバッタリ出会い握手したそうです。さらに King of 39 fan の方とも知り合いになれたということで、大変ゴキゲンのカミさんでありました。あっ、もちろん桜庭選手は勝ちましたよ。思ったより苦戦したみたいですけど。
 子どもたちも久々のポケモンセンターに大満足。大人から見るとただのショップなんだけどな。いやあ、私はポケモンよりもリアル・モンスターにびっくりですよ。まあ先ほどの King of 39 fan の方もカミさんの話によれば相当すごいらしいんですが、大人のポケヲタもすごかったなあ。カゴいっぱいにぬいぐるみを大人買いしてたり、店員さんと仲よくなってものすごくディープな会話してたり。なんだかぬいぐるみの棚の前にしゃがみこんで、ピカチューとポッチャマを両手に持って会話させていたり…笑。いやあ、やっぱりここまで極めなければオタクとかファンとか言えないんでしょうね。尊敬します。
 さて、私は相変わらずディープではなくシャロウな生き方をしてまして、今日紹介するものなんかも、結局あんまりこだわりの感じられない物ですね。いかんなあ。
 私はバロックのアンサンブルの練習をしたわけですが、今日は初めて自分たちの演奏を録音してみました。録音した機材はiPod nanoとロジテックのマイクです。
 最近もYahoo!ニュースに 「高品質ICレコーダー リニアPCMが人気」という記事がありましたね。再び生録ブームだとか。私も昔はデンスケやらDATのデッキやらを持っていて、いろんな音を録りまくった時期がありました。バイノーラル・マイクまで自作してね。あの頃の方がずっとヲタしてましたな。
 このブログではZOOMのH4H2を紹介したりして、実際知人の何人かはこれらを購入されたようなんですが、自分自身は、まあお金もないものですから買わずじまいだったんですね。で、この前の奇跡の救出劇のあと、親父用のMacBookを購入した時にオマケでiPod nanoが付いてきたんで、それを自分のものにしまして、そして、ロジテックの新しく出たマイクを接続して使ってみたわけです。
Licirec01 結論から言いますと、お値段と見た目からすれば、そこそこの音質。練習のチェック用、あるいはコンサートなどの記録用には充分の音ではないでしょうか。ただ、ステレオ感に乏しく、やや低音が弱いのにはがっかり。てか、しょせんボイスレコーダーですからね。基本ボイス用の設定なんでしょう。
 ただiPodによる操作性は非常にイージーでわかりやすく、本当に気軽に録音するにはいいですね。ポケットにすっぽり入りますから、ちょっとした密録にも最適ではないでしょうか(笑)。
 周波数特性は20Hz~16kHz、ファイル形式はWAVE、ビットレートは1441kbbs、サンプルレートは44.1kHzということで、いちおうCD並みの音質ということです。詳しい仕様などはこちらでどうぞ。
 恥を忍んで(?)昨日録音したサンプルを置いときましょうか。ファイルサイズがでかいので、ちょっとだけです。適当に切り取ったものです。えっと、これはルクレールのソナタの、コテコテ演歌風(もしくは韓国ドラマ風)の泣きの楽章ですね。音程の悪さ、アンサンブルの甘さ、わけわからんコブシなどではなく、あくまで録音品質のみをお確かめ下さい。
 マンションの一室での演奏を、3メートルくらい離れた場所に無造作に置いて録音しました。編成はバロック・ヴァイオリン2本、バロック・チェロ、チェンバロです。アッテネータはHiです。イヤフォンで聴くとチェンバロがよく聞こえるのに、ウチのスピーカーだと全然聞こえないな。なんでだろ。ぜひイヤフォンかヘッドフォンでお聴き下さい。
 
 サンプルを聴く

 うぐいすの鳴き声を録ってみました

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