2017.07.20

祝! ギャラクシー賞受賞

Th_img_0367 当に嬉しい限りです!我が中学校を舞台とした水曜日のダウンタウン「先生のモノマネプロがやったら死ぬほど子供にウケる説」が放送批評懇談会のギャラクシー賞月間賞を獲得いたしました!
 正直獲れたらいいなあと期待していたのですが、そんな妄想が実現してしまいました。Yahooニュースのトップにも『ダウンタウン「神回」に賞』というタイトルで上がっていてビックリ&エキサイト。

「水曜日のダウンタウン」神回“先生モノマネ”がギャラクシー賞月間賞受賞

 ADさんやエハラさんら、いろいろな方から電話やメッセージをいただき祝福していただきました。とはいえ、もちろんこれは番組に与えられる賞です。芸人さんやスタッフの栄誉であります。私は心から祝意と賛意を贈りたいと思います。おめでとうごさいます。
 収録当日のことはこちらに、放送日のことはこちらに書きました。そこに書いてあることが全てであり、様々な「プロ」の方々が本校の良さを上手に引き出してくれたことに間違いはありません。
 生徒たちにとっても最高の思い出、学習の場となりました。そこに加えてギャラクシー賞…こんな幸運、幸福はありませんね。本当にご縁に感謝です。
 もしワタクシが今回の神回受賞に貢献したことがあるとしたら、まあ(勇気をもって)「オファーを受けた」ことでしょうかね(笑)。中間テストの二日前でしたが、「生徒にとってテストは何度もあるけれど、こんな機会は一生に一回あるのが奇跡」と考えての判断でした。
 放送をご覧になってない方はこちらからどうぞ。

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2017.07.19

はなたれ小僧

Th_659a18e5471c59ac6640df66d3708ac9 日、日野原先生のご冥福をお祈りした記事で、「105歳ということでいえば、私なんかまだ折り返し地点にすら到達していない。本当に洟垂れ小僧です」と書きました。
 考えてみると、私はもうすぐ53歳になりますので、ちょうど折り返し地点をグルっと回っているところですね。ようやく往路。そう考えると楽しみです。
 かの渋沢栄一は「四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ」という名言を残しました。
 日野原先生は、この渋沢の言葉を地で実行した方ですよね。
 そして、私のような年齢の者は「洟垂れ小僧」ということになります。なるほど、六十、七十が働き盛りか。わかるような気がします。
 最近、渋沢栄一に縁の深い方とお話する機会が多いのですが、その方も七十台にしてまさに働き盛り。本当に素晴らしいバイタリティーの持ち主です。
 というわけで、私は立派な「洟垂れ小僧」ということで納得し、またそれが「まだまだこれから」という若い頃の精気を取り戻すための自分自身へのエールになるんですね。
 多くの50台の方々が、定年まであと何年とか、老後は何しようかななどと考え始めると聞きますが、私はまだまだ青年以下の少年(中二病?)なので、そのようなことを考えたことはありません。
 そうそう、そう言えば、最近、いわゆる青っぱなを垂らしている「ハナタレ小僧」を見ませんよね。昔はたくさんいましたよ。袖をテカテカにしてるヤツ(笑)。
 あれはいわゆる蓄膿症なんですってね。栄養環境がよくなり、子どもの蓄膿症が激減したようです。しかし、その一方で昔はなかった花粉症なんかが猛威を奮って、青っぱなではなくて、水みたいな透明な鼻水に苦しめられる子どもが増えてきたのは皮肉なことです。どっちがいいかって、青っぱなの方がいいですよね。ずっと楽だと思います。
 さてさて、「はなたれ」ついでにもう一つ。あさってから岐阜の正眼寺にプチ修行に行ってきます。学校の先生の中で、「はなたれ小僧」に認定された3人が寺に送り込まれるのです(笑)。
 せっかくですから、しっかり座って、「洟垂れ小僧」を卒業し、自我から解放された「放たれ小僧」になって帰ってきたいと思います(笑)。頑張ります。

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2017.07.18

『今日すべきことを精一杯!』 日野原重明 (ポプラ新書)

Th_51hsy5xrgl 野原重明さんが、105歳の天寿を全うされました。最期の最後まで、まさに本当の長寿長命、人間にとっての健康、幸せ、仕事の大切さを体現し続けた人生でした。
 このブログでも何回かご著書を紹介してきました。そこにも書きましたとおり、日野原先生と私とはあまりにもその命、人生の質が違いますけれども、ただ一つ共通していたのは、「一日一食」でした。基本夕食一食。
 日野原先生の食生活や仕事ぶりを拝見し、私もずいぶんと勇気づけられ、そしておかげさまで健康に、そして幸福に日々を過ごさせていただいています。
 あらためて、感謝の気持ちを表したいと思います。ありがとうございました。
 日野原さんのご著書で最近読んだのはこの本でした。85歳の時のご本ですから、20年ぶりの新装版ということになります。その時から20年もずっと現役でいらしたんですからね。本当に驚きですし、尊敬申し上げたいと思います。
 105歳ということでいえば、私なんかまだ折り返し地点にすら到達していない。本当に洟垂れ小僧です。
 「人は必ず死ぬのだから、今日すべきことを精一杯やりなさい」という思想は、非常に仏教的であるとも言えます。過去や未来にとらわれず、「今ここ」になりきる。それが難しいから人は「生老病死」に苦しむのです。
 医師はまさにその「生老病死」と対面する仕事。他者の「生老病死」を手助けするとも言える。その四苦は避けられないのだから、いかにその質を上げ幸福に転ずるか、それをアシストするのが医師の仕事とも言えます。
 そういう意味では、私たちは職業上の医師でなくとも、他人の、そして自分の「生老病死」をしっかりプロデュースしていかねばならないはずです。それはもしかすると、修行のような厳しいものではなく、もっと軽やかで楽しいものなのではないか、そんなことを予感させてくれるのが、この本です。
 まさに大往生された日野原さん。医学だけでなく、栄養学、哲学、倫理学、キリスト教や仏教、神道の立場から見ても、たいへん大きな遺産を残してくださいました。本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。 

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2017.07.17

Gregg Karukas 『Above The Clouds』

 日に続き「雲の上」を紹介しましょう。
 「Above The Clouds」という曲はたくさんあります。一昨日はELOのそれを思い出しましたが、昨日車の中でスムース・ジャズのネットラジオを流していたら、この名曲が流れました。
 スムース・ジャズと言えば、このグレッグ・カルーカスを忘れてはいけませんね。非常にセンスの良い、耳あたりの良い楽曲を多数提供してくれているカルーカス。私たちは意識せずとも、ラジオやテレビなどで彼の曲をたくさん聴いているはずです。
 比較的明るめの曲が多い彼ですが、時々心にしみるマイナーの曲も書きます。この「Above The Clouds」も名曲ですね。
 もちろん、この曲でフィーチャーされているチャーリー・ビシャーラットのヴァイオリンの効果もあるでしょう。ニューエイジ系では有名なヴァイオリニストです。彼のしゃべりすぎないヴァイオリンはいいですよ。
 ラテン・ギターの雄、マリオ・オリバレスとKANSASのあの頃の名曲「Dust In The Wind」を演奏している動画がありました。こちらもついでにお聴き下さい。

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2017.07.16

Electric Light Orchestra 『Above The Clouds』

Th_img_1008 日は横浜は青葉台にてバッハのカンタータの練習。
 昨日の中2同窓会でも話題に上がりましたが、それこそ私がヴァイオリンを始めたのは静岡に引っ越した中2の時から。
 そのきっかけになったのがELO。ファンクラブにも入って異常なほどELOに入れ込んでいた私、どうも友だちたちにも押し売りしたらしく、昨日のみんなも「聞かされた」「好きになった」と言っていました。
 そして、私はミック・カミンスキーみたいにロックバンドでヴァイオリンを弾きたいと思い、すみやで一番安いヴァイオリンセットを買いました。
 それがねえ、今ではバロック・ヴァイオリン弾きになり、バッハをやったりする。ま、歌謡曲バンドでも弾きますから、半分は夢が実現しているのかもしれませんが。
 で、今日、青葉台のフィリアホールに向かう途中、美しい日暈を見ました。そこでふと思い出したのがこの曲です。
 たしかに短いながらもELOらしい、すなわちジェフ・リンらしい佳曲です。作曲家としていろいろな技を自然に盛り込んだ感じ。職人技ですよね。
 こうして、それこそ40年ぶりに意識して聴くと、よくできているのが分かる。音楽って素晴らしいですね。こうして時間も空間も超える。そして進化する。高次元で生きているのですね。まさに「雲の上」。


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2017.07.15

35年ぶりの再会!

Th__20170716_82337 日は宿泊座禅の二日目ということで、朝4時に起床して作務、朝課、粥座などをこなし、8時からは中学校のオープンスクール。
 そして12時に仕事を終えて、すぐに横浜に飛びました。横浜某所にて、中学2年生の時の仲間でプチ同窓会。
 私は高校卒業時に会って以来なので、なんと35年ぶりの再会!
 まあ、なんとも不思議なご縁でこうして再集結することになったわけですが、もともとなんで中2の時、このメンバーで時々集まっていたのか…結局、その結論は今日も出ませんでした(笑)。
 懐かしい写真を見て思い出しましたが、たしかにクリスマス会なんかをやっていた。かと言って、教室で特別に中が良くていつも一緒にいたわけでもないし、グループ内でカップルができたわけでもない…不思議な男女混合グループだったのです。
 まあ、しかし、人間というのは内面は変わりませんね、大人になっても。外見は当然お互いに経年変化(劣化?)があるわけですが、まあそれもあっという間に慣れます(笑)。とういか、外見なんてあんまり重要ではないわけですね。一方、人柄というか、性格というか、基本的な生き方は、何歳になっても変わらない。
 考え方によっては、やはり中学二年生くらいで、それぞれ自我に目覚め、自我が確立してゆき、そしてそれが基本変わらないのだとも言える。
 そう考えると、今仕事で接している中学生たちの教育というのはたしかに重要だなと再確認させられるわけです。面白いですね〜。
 この仲間たちは静岡市立安東中学校に通っていました。私は転校生として東京からやってきた。都会から田舎へ(失礼)ということもあって、ちょっと最初はなじめなかったり、あるいはちょっと不満に思っていたりしましたが、この仲間たちのおかげで、実に楽しい中学生活を送ることができました。
 あっそうそう、安中時代、二つ下の学年にイエモンの吉井和哉くん(当時は一哉)がいて、今日のメンバーの一人の弟くんが彼と仲良かった。そんな関係でかな〜りレアな写真なども見ながら、吉井くんと私の不思議なご縁についても話しました。まったくねえ…あり得ないような話ですよ。
 そんな後輩吉井くんの12月の東京ドーム公演のチケットを4枚取りました。家族4人で行く予定です。なんだか不思議だなあ。
 ちょうど昨日でしたか、私が中1の時在籍していた東京の石川台中学校の同窓会の案内も来ました。こっちも懐かしいんだよなあ。行きたいなあ。
 みんなそれぞれの人生をそれぞれ頑張って、子育てもなんとなく一段落したり、仕事もゴールが見えてきたり、今、そういう時期ですから、あらためて自分の基礎を形成している「青春時代」を振り返り、懐かしみ、そしてその後のそれぞれの人生を学び合いたいと思うのでありましょうか。
 今夜はとにかく楽しかった。そして、よし、自分ももっともっと頑張ろうと思う素晴らしい機会になりました。みんなありがとう!また会おう!
 

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2017.07.14

田中英道『聖徳太子の和と悟り』

 中英道さんの聖徳太子論を紹介する記事が続いています。そんな中、ちょうど今日、またこの番組が放送されました。
 「ほとけ」は「ブッダの形」か。なるほど。仏像信仰なんですね。そして、日本の「権威と権力」の基礎を作ったのが聖徳太子だというのも納得です。
 「和」を「やわらぎ」と訓むか「にぎ」と訓むかについては、一昨日書きました。
 私は「和」を英語で説明する時、「global familism」と表現しています。まさに「家」であり、そういう意味で、田中さんの言うとおり「国家」という日本化した漢語があるわけで、それは「nation」とは全く違うわけです。そして、「八紘一宇」「八紘為宇」という概念をも生んだと。
 家の構成員として「役割分担」をするというのは、まさに仲小路彰の「グローバリズム」の発想と同じですね。異論もあるのを承知で言いますが、戦後の仲小路のグローバリズムは、戦前、戦中の「八紘為宇」の巧みな言い換えという部分もあると思います。
 いずれにせよ、聖徳太子という偉大な思想家の影響が、今の日本にもしっかり息づいているばかりでなく、今後世界に広がっていくことを期待します。田中さんのご著書が英訳されるのを楽しみにしています。

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2017.07.13

聖徳太子日本国未来記

Th__20170714_132648 徳太子シリーズ。
 聖徳太子自身が虚構だともいいますが、その虚構が書いたとされる偽書となれば、いったいこれはなんなのか…いや、グルっと回って真実になっているとか(笑)。
 いつの時代にも、この聖徳太子の未来記を持ち出して、ある種の危機感をあおる人たちがいます。南北朝時代から700年以上続いている。これは「真実」です。
 最近でも、未来記を現代流に解釈して、2016年に何かが起きる、それがはずれると2017年に…というふうに、相変わらず「伝統」は引き継がれています。


 今日は時間がありませんので、オリジナル(?)「未来記」から派生したと言える書物の一つを紹介します。ネットで読むことができます。
 慶安元年(1648年)発行の「聖徳太子日本国未来記」。
 まず、弘前市立弘前図書館所蔵のもの。刊本を筆写したものでしょうか。
 続いて、早稲田大学図書館所蔵のもの
 同書は巻末に「摂州天王寺の宝庫より出づ」とありますが、やはりアヤシイと言わざるを得ません。
 やはり未来記に関わっているとも言える先代旧事本紀や、当地に伝来する宮下文書など、江戸期になり版本が出回って、歴史が庶民のものとなってからというもの、どんどんアヤシイ文献が「発見」されることになります。
 それに影響を受け、ある種の事大主義に陥った文化人、学者もたくさんいました。そうした本居宣長や平田篤胤、佐藤信淵、そしてそこに強く共感した近代人、現代人も無数にいます。もちろん大歴史哲学者仲小路彰もその一人です(ワタクシもその一人です…笑)。
 そのあたりの事情や現代につながる意義については、また機会を見て書きたいと思います。

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2017.07.12

田中英道『聖徳太子の日本思想史上の重要性』 (日本国史学会講演)

 日の続きでもう一つ。相変わらず時間がありません。最近はこうした動画の音声を倍速で聴きながら、他の仕事ができるようになりました。おっ?もしかして聖徳太子(豊聡耳)に近づいてきたのか(笑)。
 ま、それは冗談といたしまして…こちらの講演も実に興味深いものですね。
 考えてみると、日本国史学会で講演されている、竹田恒泰さん、伊藤隆さん、渡辺利夫さんとは、個人的にお会いして直接お話をさせていただきましたね。田中さんにはまだお会いしたことがありません。
 伊藤先生、渡辺先生とは仲小路彰の話をしました。お二人ともちょっと引いていました。重鎮でさえも引いてしまうくらい、日本史にとっても、国史にとっても非常にアブナイ存在なのですね。
 さて、そんな仲小路彰の聖徳太子論は、「夢殿の幻〜聖徳太子の救世悲願」に明らかです。
 田中先生のご意見は、仲小路の聖徳太子論と重なる部分も多々あります。さすがですね。特に1条が神道であるという点。
 ただ、田中先生は「和」を「やわらぎ」と訓んでいますが、仲小路は「にぎ」と訓んでいます。すなわち一霊四魂の「和魂(にぎみたま)」。まあ、両方とも同じ意味とも言えますので問題はありませんね。
 仲小路の論が優れていると感じたのは、「和」を積極的に出雲のオオクニヌシの和魂、つまり「にぎ」ととらえているところです。
 出雲の和魂を継ぐ三輪山の物部氏を、蘇我氏とともに滅ぼしてしまったことに苦悩し、結果として、その魂である「和魂」を十七条憲法の第一条に置いた…私にとっては、非常に説得力のある説です。
 そのあたりについても、田中さんにお伝えして知っていただく機会を得たいものです。

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2017.07.11

田中英道『聖徳太子虚構説批判』 (日本国史学会講演)

 変忙しいので、また週末に見た動画を紹介します。昨日の田中英道さんの聖徳太子論。
 大山誠一さんの聖徳太子虚構論に対する批判が中心です。
 私は、たとえば宮下文書の世界をも「歴史」として認証する、つまり虚構さえも虚構という形で存在する事実と認定する立場を取りますので、ある意味、聖徳太子が実在しようとしまいと関係なく「歴史」であることは間違いないと考えています。
 それは宗教というある種の虚構が世界を動かしていることが事実であることと同じです。虚構だからこそ「ある」「あった」とも言えるわけです。なぜなら意識化されているからですね。忘れ去られた以前に、意識化されなかった「事実」も無限にあるわけですよ。
 そういう意味で、私が大山さんか田中さんか、どちらの立場に近いかというと、当然田中さんになるわけです。
 まあ、こうして論争になること自体、異常なほどに意識化されているわけで、その点では、大山さんの視点というのも実は面白い。なぜ「信仰」に至るまで意識的に意識化されたのか。
 今、私はそこに興味がありますし、そこにこそ日本人の歴史の要点があるような気がするんですよね。
 その一つの解答として、くり返しになりますが、仲小路彰の聖徳太子論があるのだと思います。
 

 

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