2021.10.22

バッハ 『アルビノーニの主題によるフーガ BWV 951(a)』

 日はバッハの地味な曲を一つ。

 地味ですが、バッハにとっては思い入れがあったようです。というのは、何度も手を加えているのですね。

 テーマはアルビノーニの作品1のフーガからの借用です。まず、その原曲を聴いてみましょう。シンプルですが魅力的なフーガ楽章です。

 

 

 アルビノーニのこのテーマ、お聴きになってわかるとおり、半音の下降進行があって特徴的です。

 マニアックなバッハとしては、この半音進行の部分が気に入り、対位法から生まれる和声の多様さの追求をしたのでしょう。

 つまり、演奏するためというよりは、作曲自体が目的であったと。

 では、まず初期稿を聴いてみましょう。BWV 951です。

 

 

 はい、では後期稿として残っているより複雑化したものを聴いてみましょう。BWV 951aです。楽譜はこちら

 

 

 実はこのあとも何回も細部を書き換えているらしい。なかなか理想の形に至らなかったのか、あるいは新しい流行や発明を取り入れて実験的に進化させていたのか。バッハの気持ちを考えると面白いですね。

 そして、だんだんやり過ぎになっていくのがバッハの悪いところです(笑)。結局アルビノーニのオリジナル版が一番良かったりして。

| | コメント (0)

2021.10.21

ショパンコンクールに思う…原智恵子の自伝より

Th_202110210000459w1300_0 晴らしいニュースが入ってきました。ショパン国際ピアノコンクールで、反田恭平さんが2位、小林愛実さんが4位入賞という快挙!

 今回のショパコンはコロナで1年延期されたということもあり、また、長女のサークルの先輩角野隼斗くんや、友人のピアニストのお弟子さんが参加していることもあって、今までよりも興味深く拝聴しておりました。

 たしかに、反田さんと小林さんの演奏は素晴らしかったと思います。音楽の生命感というか、ショパンが現代に生まれ、現代ピアノを弾いたらかくあらんと思わせる演奏でした(お世辞抜き)。

 さて、ショパコン2位は50年前の内田光子さん以来だと報じられていますね。実は我が家にそれを疑うに足る資料があるのです。

 それは、1937年のショパンコンクールに、日本人として初めて参加した原智恵子の未発表自伝の原稿(1940?)です。仲小路彰邸で見つかりました。

 その一部をここに活字化して紹介させていただきます。

 …やがてコンクールの最后の決定が発表され、私は二等を得ました。けれどもこのことについてはいろいろとゴタゴタしたことがありました。ちょうど、その頃聴衆の方でも非常にいろんな意見を申し立てるせのですから、面白いことが起りまして、いちばん初めにはルールの十二番目が私の位になっていたんですが、聴衆が非常にやかましく、不正だと言って聴衆の方から騒ぎ立てたものですから、また特賞といふものを戴いて、それでようやく事が収まったのでした。

 たしかに「二等」とあります。のちに「十二番目」と言っていますので、書き間違いなのかとも思いますが、結局特賞が二等相当だったと原智恵子は言いたかったのかもしれません。

 これに関していちおう公式では、第3回の1位2位はソ連人。原智恵子が賞に漏れたことに対し聴衆が騒いで、結局翌日に特賞が与えられたこともたしかです。

 当時、東洋人に対する偏見は相当強かったようで、実質的には智恵子は2位だったということも、まあその当時言われたのかもしれません。まあ、そのあたりは今後よく調べる必要がありそうですね。

 それはさておき、原智恵子の自伝で心に残るのは、コンクールのまた別の価値です。これはおそらく今回のコンクールでも一緒だったのでないでしょうか。引用します。

 最后の決定も終って、みなそれぞれがディプロマを貰って帰ってゆきます。そのころには一ヶ月か二ヵ月くらい毎日のように顔を合せていましたから、いつしかお友達になり仲よくなって結婚するような人も出て来ました。

 同じい芸術に志す者の通ひあふ心は国境を超えて結ばれ、新しいお友達が沢山出来ました。このことは私の音楽生活の中で非常に大きな体験となりました。

 その間にはラジオ放送や、オーケストラの演奏会を依頼されて、すっかりポーランドでは私の名前が親しまれるようになり、こうして芸術を通して国民の中へ入り込んでゆくといふことはいちばん直接的で、ほんとうに愛情が目覚めるような感じです。

 これだけは物質的な関係とはちがって、深い友情で結ばれ、そういふことがよく考へてみますといちばん真実な美しい仕事だと思ひますし、またそうであるべきがほんとうで、すべてがそうであったならば国との複雑な感情問題や利害関係で、恐ろしい戦争など起るようなことはないのだと思ひます。

 1937年と言えば、第二次世界大戦前夜。ナチスの台頭が始まっていた頃です。言うまでもなく、その後ポーランドはその戦禍の犠牲となっていくのでした。

 今年のコンクールでは日本人、中国人、韓国人など、東洋人が非常にたくさん参加し、また高く評価されていました。この90年弱でずいぶん変わったものです。時の流れを感じますね。原智恵子は今回のコンクールをどのように聴いたのでしょうか。

 

| | コメント (0)

2021.10.20

『富士山大噴火と阿蘇山大爆発』 巽好幸 (幻冬舎新書)

Th_71ylzvaea2l 蘇山が噴火しました。この規模での噴火は2016年以来5年ぶりということになります。

 2016年の噴火の時の記事はこちらです。ここに書かれているように、昭和54年の噴火では登山者3名が亡くなりました。今回は本当にギリギリ登山者に犠牲者が出なかった。それは良かったと思います。

 かつて富士山を「あそやま」と言っていたように、「AS」や「AT」という音の連なりが火山を指すことが多い中、やはりその親玉は九州の阿蘇山です。

 この本に詳しく書かれているように、阿蘇山の巨大カルデラ噴火のレベルは桁違いであり、火山爆発指数でいうと、9万年前の阿蘇カルデラ爆発はレベル7。

 富士山の宝永噴火はレベル5ですから、噴出物の量でいえば、阿蘇はその数百倍ということになります。

 富士山はせいぜい江戸に被害を与えた程度ですが、阿蘇カルデラは北海道の南端まで、その噴出物を飛ばしました。とんでもない規模ですね。日本列島はほぼ壊滅。

 こういうレベルの阿蘇山の噴火が今後起きないということはありません。なんとなくしばらく(数万年)はないだろうと予想しますが、そこに科学的根拠はありません。

 2016年の噴火の記事に書いたように、熊本地震が阿蘇山の噴火を抑える効果があることも考えられますし、噴火が地震を引き起こすこともあります。

 このように、私たちの人智を超えた自然の営みのことを、私たちは「モノ」と呼びました。大物主や大物忌の神はその象徴です。

 そのモノに対するある種の諦観が、日本人の奥深い哲学の基底にあることを改めて感じます。

Amazon 富士山大噴火と阿蘇山大爆発

| | コメント (0)

2021.10.19

新しいお金のシステム PMC

 いぶん前から、新しい経済システムについて考えています。

 この動画に登場する船井正太郎さんとも、何度も話し合いました。以前は我が家にも何度も来ていただきましたし、今年も沖縄とリモートで結んで楽しく話しました。

 正太郎さんとは、いろいろ不思議なご縁でつながっており、素粒子物理学について、高次元宇宙について、音楽について、お金について、宗教について、本当にいろいろと教えていただきました。

 そうした対話の中でぼんやり姿を現しつつあった「新しいお金のシステム」が、こうしてPMCとして慶応大学との連携研究事業となり、現実に動き始めている、現実を動かし始めていることに感動します。

 私は、このPMC(Personal Money Creation)の発想で、PSC(Personal School Creation)をやりたいんですよね。今それを設計、実験中です。

 

 

| | コメント (0)

2021.10.18

名字マップ

Th_-20211019-141701 命館大学文学部地域研究学域が作ったというこの「名字マップ」。

 特定の名字がどのように分布しているか、絶対数と特化係数(偏り度)の両方をチェックできます。

 元になるデータは、顧客データベースのようですね。かなり正確な数値だということです。

 さっそく自分の名字を入れて検索してみました。

 左上が人数です。よくある名字なので、どうしても都会が多くなりますよね。

Th_-20211019-141741 右は特化係数です。どのような計算になっているか分かりませんが、とにかく偏り度が分かります。

 へえ、佐賀に多いんだ。

 名字の歴史というのは、その一族の物語の歴史です。ほとんどが古代から続いてきたものではないのも事実ですが、だからこそ、そこに物語(フィクション)が見えて面白いのです。

 そんなことを想像しながら、まずはご自身の名字を検索してみてください。

 名字マップ

| | コメント (0)

2021.10.17

Weyes Blood 『Titanic Rising』

 

Th_516fibj91dl_ac_sy355_ たまた時空を超えてつながる音楽ネタ。

 ゾンビーズに始まる、いわゆるバロック・ポップの最新アーティストの一人が、このワイズ・ブラッド嬢でしょう。

 1988年サンタモニカ生まれのシンガーソングライター。

 聖歌隊で歌う中で、バロック音楽やルネサンス音楽に多大な影響を受けたとのこと。

 しかし、聴けば分かるとおり、それよりも1960年、70年代のポップ・ロックの雰囲気を強く感じられます。

 それって、ちょうど彼女の親の世代の音楽なんですよね。

 ウチもそうですが、録音文化が普通似なった現代においては、親の聴いていた音楽が子供に「遺伝」します。

 今日、上の娘が大学のポピュラー音楽同好会で「一番好きな曲は」と聞かれ、「ビリー・ジョエルのジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー」と答えたというのも、まさにそういう現象です。ちょっと嬉しいですよね、親としては。私もたった1曲選べと言われたら、それを選ぶかもしれません。

 そういう意味で、昨日のゾンビーズとこのワイズ・ブラッドを比べて聴くと面白いですよね。「ひねり」の部分もかなり近いセンスを感じます。

 中庸のテンポの、こうしたポップで、かつひねりの効いた曲、たしかに私の好みです。

| | コメント (0)

2021.10.16

ゾンビーズ 『オデッセイ・アンド・オラクル』

 

 楽ネタが続きます。昨日に続き1960年代の音楽。最近、私の中で評価が上がっているというか、ようやくちゃんと認識したのが、このゾンビーズです。

 日本ではザ・カーナビーツの「好きさ、好きさ、好きさ」(I Love You)が有名ですが、世界でも実に多くのミュージシャンにカバーされているバンドです。

 当時の感覚としてはブリティッシュ・ポップ、今でいえばパワー・ポップやバロック・ポップの走りのような音楽性ですよね。しかし、良く聴くと、けっこうひねりが効いていて、その点ではビートルズの後期ポップ作品を凌駕しているとも言えそうです。

 私の一つの嗜好として、こういうちょいひねりポップというのがありまして、もし自分が曲を書くとしたら、とりあえずこういうのが得意なのではとも思うのでした。

 こういう感じの音楽をのちに「バロック・ポップ」と呼ぶようになり、今でもその路線は継続しているのは面白いですね。最近、また若い人たちが注目しているようです。素晴らしい。

 ゾンビーズはその後もメンバーチェンジを繰り返しながら、なんと今でも現役です。今年で結成60年!もうほとんど重要文化財です。

 そんな中でも、この2作目「Odessey and Oracle」は不朽の名作。英国の国宝ですね。

| | コメント (0)

2021.10.15

『その名はフジヤマ〜Se llama Fujiyama』

 ログで紹介する音楽ジャンルが、あまりにも幅広いと、自分でも呆れております(笑)。

 カミさんの影響は大ですね。二人の好きな音楽がめちゃくちゃ噛み合わなかったのが功を奏しまして、お互いの音楽世界が倍以上に拡がりました。

 さてさて、富士山に住んでいる歌好きでありながら、なぜかこの曲を紹介していませんでした。そして、バンドとしても演奏してない。これはやらねば。

 「その名はフジヤマ」、1961年のトリオ・ロス・パンチョスが来日した際に、オリジナル曲として発表され大ヒットしました。

 富士山ではなく「フジヤマ」を日本人に再び意識させたという意味でも歴史的な名曲です。歌詞もシンプルでいいですね。

 では、まずロス・パンチョスのオリジナル音源を聴いてみましょう。

 

 

 日本の大衆楽曲は、世界中の様々なジャンルの音楽を融合して発達しましたが、戦後特にラテンの影響は大きかった。中庸なリズムと哀愁あふれるコード進行やメロディーは日本人にすんなり受け入れられました。

 もちろん、南米と日本人の縄文以来の(?)文化的、経済的交流というのもありますよね。地球の裏側でありながら、世界のどこよりも身近に感じているという。

 ですので、日本人にもたくさんのラテン系歌手やバンドが誕生しました。その中でも、ギタリスト、歌手として本場でも認められたのは、アントニオ古賀さんでしょう。

 「その名はフジヤマ」はパンチョスが古賀さんに送った曲であるとも言われています。そのアントニオ古賀さんの素晴らしい演奏も聴いてみましょうか。

 

 

 いいですね〜。そうそう、最近では渥美二郎さんがカバーしています。渥美さん、演歌歌手のイメージがありますが、元々長いこと流しをやっていましたから、実はギターもめちゃくちゃ上手いんですよ。

 

 

 最近の渥美さんのアルバムは、ジャズやラテンに挑戦したものです。これを機会に、歌手としてはもちろん、ギタリストとしての渥美さんの魅力も改めて味わってみたいものです。

Amazon 新・演歌師 新・演歌師2

| | コメント (0)

2021.10.14

フランシスコ・コレア・デ・アラウホ 『モラレスの戦い』

 近は静岡市の実家にいることが多く、今まであまり顧みなかった駿河の歴史にも興味が湧いてきました。特に武田氏との関係。ウチは両親とも駿河の武田系ですから。

 そうしますと、やはり気になるのは大久保長安ですよね。さらには大久保長安と本多正信との関係。それから有馬晴信…そんな中、今日は八王子と大月からお客様がいらして歴史談義。徐福から大久保長安まで秦氏ネタで大いに盛り上がりました。いろいろ勉強になりました。

 また、お客様がお帰りになった後、タイムリーにNHK「英雄たちの選択」の「家康が夢見た“開国”」の録画を観ました。

 その中でマニアックなところで興味を持ったのは、慶長16年(1611年)5月、スペイン王国の大使ビスカイノが家康に謁見する際、駿府城にトランペットを鳴らしながら入城したという記録です。

 当時のスペインで有名な音楽家といえば、フランシスコ・コレア・デ・アラウホでしょう。彼の曲が演奏されたかどうかは定かではありませんが、こんな感じの音楽が400年前の駿河に響き渡ったかもと考えると面白いですね。

 スペインとしては世界を席巻している王国の威厳を示すために、こういう勇ましい音楽を奏でたことでしょう。当時の駿河の町人たちには、いったいどんな風に聞こえたのか。想像するだけでも楽しいですね。

 この番組でも語られていましたが、当初の家康は開国派でした。江戸時代というと鎖国のイメージが強くありますよね。鎖国時代の出島も含めると、案外バロック音楽が国内で演奏された可能性は高いのです。その時、もしかすると絹絃が使われたのではないかというのが私の妄想です。

 

| | コメント (0)

2021.10.13

Clarence Gatemouth Brown 『Leftover Blues』

 

 日はUKのプログレッシヴなブルースを紹介しました。ある意味どこがブルースなんだという曲でしたね。

 今日はコテコテのブルース。そして、エレキ・ヴァイオリン、いやエレキ・ヴィオラも登場しますよ。

 クラレンス・“ゲイトマウス”・ブラウンはブルースの帝王。彼自身はそう言われるのを嫌いましたが、間違いなく帝王ですよね。

 たしかにカントリーの影響も多大で、その証拠に彼はフィドラーでもあります。完全にカントリー・フィドルのテクを持っています。

 この動画でも分かるとおり、彼のギターやヴィオラの弾き方は、クラシック的なスタンダードからかなりかけ離れています。もちろん、それで良いし、それだからこそ、この味わいが出るわけですね。

 楽器の世界でも、スポーツの世界でも、その他抽象的な学習においても、とにかく「教育」が「個性」や「自由」を奪ってしまい、いかに「味わい」がなくなってしまっているか。

 私なんて、かなり自己流の弾き方をしますので、どちらかというと「味わい」の世界に近いかもしれません。プロの方々が修正しようとしても、なかなか変りません。もう諦めています。その方がいいのかなと。

 楽器から学ぶというか、こちらが楽器をコントロールしようとするのではなく、楽器にこちらがコントロールされるというのが正しいような気がしているのでした。

 それにしても、このゲイトマウスのヴィオラ演奏は素晴らしいですね。私とかぶるのは、ヴィオラだからこそ、人間の声、喋りを模しているところです。私の宴会芸の一つです。

 日本語は高低アクセントなので、実はこれがやりやすい。おそらくかつても胡弓などで遊んでいたことでしょう。そういうためにも、フレットはない方がいいのです。人間の喉にはフレットも鍵盤もありませんからね(笑)。

 フィドル系の人たち、みんな弓を短く持ちます。それは現代の弓が長く重すぎる(重心が遠すぎる)からです。バロック・ヴァイオリンでも短く持ちますが、本来弓を弦に押しつける必要はなかったのです。

 近代になって、まさに楽器を征服するような弾き方になり、またそれに耐えられるようにスチール弦が発達してしまいました。

 ちなみにシルク絃だと、ガット以上に弓を浮かさないと音が出ませんよ。それが面白い。

 というわけで、私にとっての理想のボウイングは、このゲイトマウスとグラッペリのそれなのです。

| | コメント (0)

«U.K. 『Caesar's Palace Blues (live 1979)』