2017.06.26

『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』 二宮敦人 (新潮社)

Th_61rsvqqq9l_sx346_bo1204203200_ ろいろな意味で憧れの東京藝大。私はとてもとても入れませんでしたが、教え子は入れました。また、最近は藝大卒の方々と共演することが多い。なんだか得した気分です(笑)。
 そうした皆さんは「音校」の方々。とってもまともな皆さんです(笑)。「美校」の知り合いは…あれ?いないかも。
 この本で言うところの「カオス」は正直「美校」の方ですよね。つまりカオスな天才の皆さんとは今のところご縁がないわけです。というか、私のような凡人は近づけない領域なのかもしれません。
 そんなわけで、私がもし藝大に入れるようなことがあったとしして、「音校」と「美校」どっちか選べと言われたとしたら、間違いなく「美校」を選びますね。てか、私の音楽や楽器との付き合い方というのは、ちっとも「藝大(音校)」的ではない(それ以前に音大的ではない)わけでし、どちらかというと「美校」的なカオスの方が自分の得意とする分野のような気がするのです。
 意外に思われるかもしれませんが、私は案外ちゃんと「絵」を勉強しました。先生について勉強したという意味では、音楽と同じくらいの期間(約10年)ということになりましょうか。
 今ではちっとも絵を描かず、あるいはモノを作るようなことはありませんが、かつては音楽よりも美術の方が得意だったし、そっち方面で創造的でした。
 実際、高校の芸術選択は美術を取ったんですよね、3年間。成績も良かった。中学では美術部でしたし。意外でしょ。
 ま、そんなこんなで、いちおう、本当にいちおう程度ですが、音楽も美術もそれなりに分かっているつもりです(あくまでつもり)。
 そう考えるとですね、なんで、「音校」と「美校」が対照的なのか、よく分からない部分もあるんですよね。違う言い方をすると、なんで「音校」はカオスにならないのか。これはある意味良くないことだと思うんですよ。
 ご存知のとおり、両分野ともに、基本基礎や論理やメソッドがあって、それを超えていくのが、いわゆる「天才」だと思うわけですが、なぜ「美校」はいとも簡単に超えていっているのに、「音校」は超えられない(ように見える)のか。
 もちろん、もともと音楽が「コスモス」に収斂してゆき、美術が「カオス」に拡散していく傾向があることは分かります。しかし、実際にはその逆もあり得るのに、なんとなく日本では芸術とアートが分離しているがごとく、両者がぐるっと回って一つになったり、止揚されたりすることがあまりないというのも不可思議なことです。
 いや、実際には音と美の境界線のあの道を軽くまたいで行き来する真の天才がいることも聞いています。しかし、やっぱりそこに分断がある、壁がある、溝があるのは事実でしょう。
 そういう意味で、私は古楽科に期待していたんですよ。ジャズ科みたいになってほしいなと。現状はどうなんでしょうかね。
 また、上野にない第三者的な新興の学部学科の存在も気になります。
 というわけで、藝大にスパイを送り込もうと思っています。上の娘はとっくに諦めているので、下の娘を洗脳して送り込もうかな(笑)。
 おっと、肝心な本の紹介を忘れていた。この本はインタビュー集です。入り口としては面白いんじゃないでしょうか。まさに入り口から中をちらっと見る程度でも、私は充分楽しめましたよ。

Amazon 最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常

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2017.06.25

佐藤栄作ノーベル平和賞受賞記念講演

Th__20170626_130817 日の「そこまで言って委員会NP」は歴代長期政権総理の功罪を話し合う内容でした。
 その中で、吉田茂に続いて2番目に紹介されたのが佐藤栄作。沖縄返還と経済成長は高く評価されましたが、ノーベル平和賞については皆さん「?」でしたね。
 たしかに「なんで佐藤さんが?」的なムードがあったことを、少年だった私もなんとなく覚えています。天才バカボンにも佐藤元総理の受賞を揶揄するセリフがいくつかありましたよね。
 当時、実際そんな感じだったわけですし、のちには例の「密約」も明らかになり、また佐藤さん自身が核保有論者だったことも分かり、今でも「なんで?」というのが一般論です。
 しかし、その裏側、すなわち非核三原則や小笠原・沖縄返還、日韓基本条約には、かの仲小路彰が深く関わっていたことが分かり、私の印象は大きく変わりつつあります。
 そう、番組で竹中平蔵さんも言ってましたね、「CPU(Communication Policy Unit)」のことを。つまり、総理周辺の「政策グループ」が具体的なことを進めていたと。また、そうしたいわゆる「影のブレーン」がしっかりしていると、長期政権になると。
 佐藤さんに関しては、そうしたグループの中心に仲小路彰がいたということになりましょう。ほとんど表に出てきませんでしたが。
 佐藤さんは総理時代に何度も山中湖の仲小路彰を訪ねています。非核三原則も沖縄返還も、また日米安保の件も仲小路の「未来的」な発想から生まれたものです。
 今日、あらためて佐藤さんのノーベル賞受賞記念講演を読んでみましたが、たしかにいかにも仲小路彰的ですね。聖徳太子や核融合の話まで出てくる。
 この講演は英語で行われましたが、のちに日本語訳されて出版されました。その講演集を佐藤さんは仲小路にサイン入りで送っています。
 ちなみに英語版はこちらで読むことができます。興味のある方はぜひお読みください。

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2017.06.24

告知! 7/29「バッハの音楽劇」@横浜

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 月、横浜の開港記念会館にて催される演奏会のご案内です。
 今日、初めての全体練習が行われました。う〜ん、なんだか練習だけでも感動してしまった。いろいろ思うところがありました。感無量。
 私は今回は2ndVnにて参加させていただきます(とはいえ、楽器は最近お気に入りの5弦ヴィオラです)。
 今日は、またまた宿泊座禅明けという好条件(笑)。悟りを開いた?状態で絶好調かと思いきや、楽譜を忘れるという失態をやらかしてご迷惑をおかけいたしました。
 それにしても、このような錚々たる演奏家の皆さんに囲まれ、大好きな曲を演奏できる幸せはなんとも言えません。
 特にBWV208狩のカンタータは、高校時代繰り返し繰り返し聴いた曲です。まさか、このようなオリジナル楽器のフル編成と一流の歌手の皆さんとともに、自分が人前で演奏する日が来ようとは、35年前の自分は夢にも思わなかった…ご縁に感謝です。まさに「縁起」。
 そんなご縁に感謝いたしまして、このたびご一緒させていただく皆さんを紹介いたします(含む自分)。

 J.S.バッハ
「たのしきヴィーダアウよ」BWV30a
「楽しき狩こそ我が悦び」BWV208 (狩のカンタータ)

木島千夏、加藤詩菜(ソプラノ)、曽禰愛子(メゾソプラノ)、石川洋人(テノール)、藤井大輔(バスバリトン)

慶野未來、飯島さゆり(ナチュラル・ホルン)
大山有里子(バロック・オーボエ)、今西香菜子(バロック・オーボエ、オーボエ・ダ・モーレ)、永谷陽子(バロック・ファゴット)

小野萬里(バロック・ヴァイオリン)、櫻井茂(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、寺村朋子(チェンバロ)

アンサンブル山手バロッコ
曽禰寛純(フラウト・トラヴェルソ、リコーダー)
石野典嗣(バロック・オーボエ、オーボエ・ダカッチャ、ファゴット、リコーダー)
角田幹夫、原田純子、山口隆之、小川有沙(バロック・ヴァイオリン、バロック・ヴィオラ)、飯塚正己(コントラバス)

 今回は狩のカンタータのシンフォニアとして、BWV1046aを演奏します。ブランデンブルク協奏曲第1番1楽章の初稿版ですね。これもまたなかなか生では聴く機会がないレア曲です。冒頭のナチュラル・ホルンの咆哮だけでも鳥肌モノでしたよ。
 会場となる開港記念会館は今年建設100年を迎えます。その記念事業の一環として行われる豪華な演奏会。皆様、ぜひ足をお運びください。ご満足いただけること間違いなしです。
 ワタクシも末席を「汚す」ことなきよう練習して臨みます。チケットご希望の方はこちらまでメールをください。
 最後に…いつもこのような機会を私に与えてくださる、山手バロッコ主宰の曽禰さん、本当にありがとうございます。大会社の社長さんでありながら、このような演奏会を多数企画し、ご自身も演奏され続ける、そのバイタリティ、お人柄を尊敬申し上げております(拝)。

アンサンブル山手バロッコ公式


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2017.06.23

大田實少将 『沖縄県民斯ク戦ヘリ』

Th_2017062300014031houdouk0001view 後72年の沖縄慰霊の日。沖縄戦終結の日です。
 沖縄戦で命を落とした兵士、そして一般市民の方々のご冥福をお祈りいたします。
 今日はこの日にちなみ、あらためまして大田実少将(当時)の残した言葉について想いを馳せてみました。
 ご存知でしょうか。大田実少将自決前の電文。原文はこちらでご確認ください。
 末尾の「沖繩縣民斯ク戰ヘリ 縣民ニ對シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」。現在の沖縄の様子を見たとしたら、大田実中将(没後中将に昇格)は、いったいどのようにお思いになるのでしょう。
 大田中将の娘さんたちは、辺野古で「平和運動」をする方々の姿を見て、父は喜んでいるだろうとおっしゃっていました。
 はたして、そうなのか、これは確かめようがありません。
 ほとんど知られていませんが、戦後の沖縄返還や海洋博に、仲小路彰が果たした役割は大変大きい。仲小路は大田中将の「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」の気持ちに最大限に応えようとしたのでしょう。仲小路彰は海軍と格別に深い関係にありましたから、当然この電文を知っていたと考えられます。
 さて、以前チャンネル桜で放送された動画を紹介します。将旗がアメリカから返還された時のものです。こうした、魂のこもる「モノ」が日本に、沖縄に帰ってきたことには、大きな意味があると思います。

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2017.06.22

ジョン・ラター 『古風な組曲』

Th_220pxjohn_rutter 私ともに妙に忙しい(なぜだ?)ので、今日は軽めに音楽の紹介といきましょう。
 先日、The Water is Wideの記事で名前が出てきた、現代イギリスの作曲家・指揮者ジョン・ラター。
 私は彼のことを、フォーレのレクイエムの名演で知りました。いまだにあれがベスト盤です。
 そして、彼の作曲したいくつかの合唱曲を聴いて、ああいい作曲家だなと感じ、すっかりファンになってしまいました。
 現代の作曲家でありながら(?)、非常に古典的な作曲技法をとり、さらに逆に現代的なポップさがあって、非常にワタクシ好みの音楽なのです。
 この「SUITE ANTIQUE」も、ハープシコードを使っているところからも分かるとおり、ある意味バロック的でもあります。
 これは古楽器で演奏してみると面白そうですね(調性が微妙かな)。さっそく仲間とやってみようかな。
 あまりにポップなため、クラシック作曲家として認められないこともあるのだとか。まあ実にくだらないカテゴライズですけど。
 この演奏はラター自身がフランスの楽団を指揮したもののようです。演奏や動画の質は別として、この曲の良さは充分伝わることでしょう。
 ぜひお楽しみください。特にフルート奏者の皆さまには、レパートリーにしていただきたいと思います。ピアノ伴奏版の楽譜もありますので。

Amazon  The Very Best of John Rutter

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2017.06.21

日地月合せて作る串団子星の胡麻かけ喰ふ王仁口

Th_0432 口王仁三郎の短歌です。これ、いいですね。大好きです。
 「にっちげつあわせてつくるくしだんごほしのごまかけくらうわにぐち」と読みます。
 ウチの家族はこれを家訓(?)としています。マジです(笑)。
 先日も、カミさんが職場の会議か何かで、「太陽と地球と月で団子を作って星のゴマをかけて食べたい」と言ったら、みんなシーンとしてしまったとか(笑)。そりゃそうだ。
 いや、ウチはみんな、このくらいのスケールで生きたい!と思っているのですよ。
 どうも世の中セコセコしてていかん。目の前のことに心を奪われたり、ちっちゃなプライドに振り回されたり、隣の人に嫉妬したり、顔を合わせないで互いに中傷合戦したり、逆に身の回りの小さな幸せに満足してしまったり…。
 というわけで、皆さんもぜひご一緒にこのスペシャル団子を食べましょう。理屈抜きです。
 こういうスケールで生きていたら、凡夫の日常の悩みなんか吹っ飛んじゃいますよね。
 で、団子食べたらお茶じゃないですか。お茶のスケールもすごいですよ。
 のちに王仁三郎を次のような歌も詠んでいます。さすが。好きだわあ。

日地月星の団子も食ひ飽きて今や宇宙の天海を呑む
 

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2017.06.20

竹島か独島か?

 国の迷走ぶりがすさまじい。このままですと、本当に北朝鮮による半島統一が実現してしまうでしょう。
 日韓関係もいったいどうなるのか。今日も文在寅大統領が日韓合意を反故にするような内容、すなわち慰安婦問題などについて正式に謝罪せよとの声明を出しました。
 隣国とのギクシャクした関係に終わりが見えないことを、非常に残念に思います。
 その微妙な関係の象徴の一つが「竹島」でしょう。
 今日はそのことについて、いかに両国の主張が噛み合わないか、また噛み合わない結果、互いに感情的になっているかが分かる動画を紹介しましょう。
 青山さんは非常に冷静に語っていますが、それを受け取る両国サイドのコメントが非常に醜い。この動画は他の形でも複製されていますが、どれも同じようなコメントが並んでいてガッカリしますね。

 同時期に金慶珠が韓国側の主張を述べた動画がこれ。これもまた、金さんはいつもより冷静ですが、周りが興奮している。それこそ噛み合いませんね。証拠となる文書の評価が正反対なんですから。

 最後は、大韓民国外交部制作の動画。これが韓国民の一致した認識でしょう。学校でこのように教えられれば、誰だって自国の領土であり、日本が侵略者だと思ってしまうでしょうね。

 ちなみに李承晩ラインについて、最近仲小路彰による新文書が見つかりましたので、近いうちに紹介したいと思います。

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2017.06.19

太宰治 『八十八夜』

「桜桃」の供えられた御坂太宰文学碑
Th__20170620_100416 日は桜桃忌(太宰治の誕生日にして遺体の上がった日)。
 午後から甲府に出張で、御坂峠を越えて暑い暑い盆地に入りました。太宰治にとっても深い因縁のある峠路を上り下りしながら、富士山、御坂山系、甲斐駒ケ岳、茅ヶ岳、八ヶ岳などを眺めました。
 そこで思い出したのがこの小説。あまり知られていない作品ですが、いろいろな山が出てきます。諏訪が舞台ですが、道すがら山梨の山々も出てくる。
 いかにも太宰らしい、陰鬱な雰囲気の中に咲くささやかな幸福。美しい旋律、リズム。すごいなぁ。

八十八夜

      太宰治


諦めよ、わが心、けものの眠りを眠れかし。(C・B)



 笠井はじめさんは、作家である。ひどく貧乏である。このごろ、ずいぶん努力して通俗小説を書いている。けれども、ちっとも、ゆたかにならない。くるしい。もがきあがいて、そのうちに、けてしまった。いまは、何も、わからない。いや、笠井さんの場合、何もわからないと、そう言ってしまっても、ウソなのである。ひとつ、わかっている。一寸いっすんさきは闇だということだけが、わかっている。あとは、もう、何もわからない。ふっと気がついたら、そのような五里霧中の、山なのか、野原なのか、街頭なのか、それさえ何もわからない、ただ身のまわりに不愉快な殺気だけがひしひしと感じられ、とにかく、これは進まなければならぬ。一寸さきだけは、わかっている。油断なく、そろっと進む、けれども何もわからない。負けずに、つっぱって、また一寸そろっと進む。何もわからない。恐怖を追い払い追い払い、無理に、すさんだ身振りで、また一寸、ここは、いったいどこだろう、なんの物音もない。そのような、無限に静寂な、真暗闇に、笠井さんは、いた。
 進まなければならぬ。何もわかっていなくても絶えず、一寸でも、五分でも、身を動かし、進まなければならぬ。腕をこまぬいて頭を垂れ、ぼんやりたたずんでいようものなら、――一瞬間でも、懐疑と倦怠けんたいに身を任せようものなら、――たちまち玄翁げんのうで頭をぐゎんとやられて、周囲の殺気は一時に押し寄せ、笠井さんのからだは、みるみる蜂の巣になるだろう。笠井さんには、そう思われて仕方がない。それゆえ、笠井さんは油断をせず、つっぱって、そろ、そろ、一寸ずつ真の闇の中を、油汗流して進むのである。十日、三月みつき、一年、二年、ただ、そのようにして笠井さんは進んだ。まっくら闇に生きていた。進まなければならぬ。死ぬのが、いやなら進まなければならぬ。ナンセンスに似ていた。笠井さんも、流石さすがに、もう、いやになった。八方ふさがり、と言ってしまうと、これもウソなのである。進める。生きておれる。真暗闇でも、一寸さきだけは、見えている。一寸だけ、進む。危険はない。一寸ずつ進んでいるぶんには、間違いないのだ。これは、絶対に確実のように思われる。けれども、――どうにも、この相も変らぬ、無際限の暗黒一色の風景は、どうしたことか。絶対に、ああ、ちりほどの変化も無い。光は勿論もちろん、嵐さえ、無い。笠井さんは、闇の中で、手さぐり手さぐり、一寸ずつ、いも虫の如く進んでいるうちに、静かに狂気を意識した。これは、ならぬ。これは、ひょっとしたら、断頭台への一本道なのではあるまいか。こうして、じりじり進んでいって、いるうちに、いつとはなしに自滅する酸鼻さんびの谷なのではあるまいか。ああ、声あげて叫ぼうか。けれども、むざんのことには、笠井さん、あまりの久しい卑屈にり、自身の言葉を忘れてしまった。叫びの声が、出ないのである。走ってみようか。殺されたって、いい。人は、なぜ生きていなければ、ならないのか。そんな素朴の命題も、ふいと思い出されて、いまは、この闇の中の一寸歩きに、ほとほと根も尽き果て、五月のはじめ、あり金さらって、旅に出た。この脱走が、間違っていたら、殺してくれ。殺されても、私は、微笑ほほえんでいるだろう。いま、ここで忍従の鎖を断ち切り、それがために、どんな悲惨の地獄に落ちても、私は後悔しないだろう。だめなのだ。もう、これ以上、私は自身を卑屈にできない。自由!
 そうして、笠井さんは、旅に出た。
 なぜ、信州を選んだのか。他に、知らないからである。信州にひとり、湯河原にひとり、笠井さんの知っている女が、いた。知っている、と言っても、寝たのではない。名前を知っているだけなのである。いずれも宿舎の女中さんである。そうして信州のひとも、伊豆のひとも、つつましく気がきいて、口下手くちべたの笠井さんには、何かと有難いことが多かった。湯河原には、もう三年も行かない。いまでは、あのひとも、あの宿屋にいないかも知れない。あのひとが、いなかったら、なんにもならない。信州、上諏訪の温泉には、去年の秋も、下手へたくその仕事をまとめるために、行って、五、六日お世話になった。きっと、まだ、あの宿で働いているにちがいない。
 めちゃなことをしたい。思い切って、めちゃなことを、やってみたい。私にだって、まだまだロマンチシズムは、残って在るはずだ。笠井さんは、ことし三十五歳である。けれども髪の毛も薄く、歯も欠けて、どうしても四十歳以上のひとのように見える。妻と子のために、また多少は、俗世間への見栄みえのために、何もわからぬながら、ただ懸命に書いて、お金をもらって、いつとは無しに老けてしまった。笠井さんは、行い正しい紳士である、と作家仲間が、決定していた。事実、笠井さんは、良い夫、良い父である。生来の臆病と、過度の責任感の強さとが、笠井さんに、いわば良人おっとの貞操をも固く守らせていた。口下手ではあり、行動は極めて鈍重だし、そこは笠井さんも、あきらめていた。けれども、いま、おのれの芋虫に、うんじ果て、爆発して旅に出て、なかなか、めちゃな決意をしていた。何か光を。
 下諏訪まで、切符を買った。家を出て、まっすぐに上諏訪へ行き、わきめも振らずあの宿へ駈け込み、そうして、いきせき切って、あのひと、いますか、あのひと、いますか、と騒ぎたてる、そんな形になるのが、いやなので、わざと上諏訪から一つさきの下諏訪まで、切符を買った。笠井さんは、下諏訪には、まだいちども行ったことがない。けれども、そこで降りてみて、いいようだったら、そこで一泊して、それから多少、迂余曲折うよきょくせつして、上諏訪のあの宿へ行こう、という、きざな、あさはかな気取りである。含羞がんしゅうでもあった。
 汽車に乗る。野も、畑も、緑の色が、うれきったバナナのような酸い匂いさえ感ぜられ、いちめんに春が爛熟らんじゅくしていて、きたならしく、青みどろ、どろどろ溶けて氾濫はんらんしていた。いったいに、この季節には、べとべと、せるほどの体臭がある。
 汽車の中の笠井さんは、へんに悲しかった。われに救いあれ。みじんも冗談でなく、そんな大袈裟おおげさな言葉を仰向いてこっそりつぶやいた程である。懐中には、五十円と少し在った。
「アンドレア・デル・サルトの、……」
 ばかに大きな声で、突然そんなことを言い出した人があるので、笠井さんは、うしろを振りむいた。登山服着た青年が二人、同じ身拵みごしらえの少女が三人。いま大声を発した男は、その一団のリイダア格の、ベレ帽をかぶった美青年である。少し日焼けして、仲々おしゃれであるが、下品である。
 アンドレア・デル・サルト。その名前を、そっと胸のうちで誦してみて、笠井さんは、どぎまぎした。何も、浮んで来ないのだ。忘れている。いつか、いつだったか、その名を、仲間と共に一晩言って、なんだか議論をしたような、それは遠い昔のことだったように思われるけれども、たしかに、あれは問題の人だったような気がするのだが、いまは、なんにもわからない。記憶が、よみがえって来ないのだ。ひどいと思った。こんなにも、綺麗きれいさっぱり忘れてしまうものなのか。あきれたのである。アンドレア・デル・サルト。思い出せない。それは、一体、どんな人です。わからない。笠井さんは、いつか、いつだったか、その人にいて、たしかに随筆書いたことだってあるのだ。忘れている。思い出せない。ブラウニング。――ミュッセ。――なんとかして、記憶のつるをたどっていって、その人の肖像に行きつき、あッ、そうか、あれか、と腹に落ち込ませたく、身悶みもだえをして努めるのだが、だめである。その人が、どこの国の人で、いつごろの人か、そんなことは、いまは思い出せなくていいんだ。いつか、むかし、あのとき、その人に寄せた共感を、ただそれだけを、いま実感として、ちらと再びつかみたい。けれども、それは、いかにしても、だめであった。浦島太郎。ふっと気がついたときには、白髪の老人になっていた。遠い。アンドレア・デル・サルトとは、再び相見ることは無い。もう地平線のかなたに去っている。雲煙模糊もこである。
「アンリ・ベックの、……」背後の青年が、また言った。笠井さんは、それを聞き、ふたたび頬を赤らめた。わからないのである。アンリ・ベック。誰だったかなあ。たしかに笠井さんは、その名を、つて口にし、また書きしたためたこともあったような気がするのである。わからぬ。ポルト・リッシュ。ジェラルディ。ちがう、ちがう。アンリ・ベック。……どんな男だったかなあ。小説家かい? 画家じゃないか。ヴェラスケス。ちがう。ヴェラスケスって、なんだい。突拍子とっぴょうしないじゃないか。そんなひと、あるかい? 画家さ。ほんとうかい? なんだか、全部、心細くなって来た。アンリ・ベック。はてな? わからない。エレンブルグとちがうか。冗談じゃない。アレクセーフ。露西亜ロシア人じゃないよ。とんでもない。ネルヴァル。ケラア。シュトルム。メレディス。なにを言っているのだ。あッ、そうだ、デュルフェ。ちがうね。デュルフェって、誰だい?
 何も、わからない。滅茶苦茶に、それこそ七花八裂である。いろんな名前が、なんの聯関もなく、ひょいひょい胸に浮んで、乱れて、泳ぎ、けれども笠井さんには、そのたくさんの名前の実体を一つとして、鮮明に思い出すことができず、いまは、アンドレア・デル・サルトと、アンリ・ベックの二つの名前の騒ぎではない。何もわからない。口をついて出る、むかしの教師の名前、ことごとくが、匂いも味も色彩もなく、笠井さんは、ただ、聞いたような名前だなあ、誰だったかなあ、を、ぼんやり繰りかえしている仕末しまつであった。一体あなたは、この二、三年何をしていたのだ。生きていました。それは、わかっている。いいえ、それだけで精一ぱいだったのです。生活のことは、少し覚えました。日々の営みの努力は、ひんまがった釘を、まっすぐにめ直そうとする努力に、全く似ています。何せ小さい釘のことであるから、ちからの容れどころが無く、それでも曲った釘を、まっすぐに直すのには、ずいぶん強い圧力が必要なので、傍目はためには、ちっとも派手でないけれども、もそもそ、満面に朱をそそいで、いきんでいました。そうして笠井さんは、自分ながら、どうも、はなはだ結構でないと思われるような小説を、どんどん書いて、全く文学を忘れてしまった。けてしまった。ときどき、こっそり、チエホフだけを読んでいた。その、くっきり曲った鉄釘かなくぎが、少しずつ、少しずつ、まっすぐに成りかけて、借金もそろそろ減って来たころ、どうにでもなれ! 笠井さんは、それまでの不断の地味な努力を、泣きべそかいて放擲ほうてきし、もの狂おしく家を飛び出し、いのちをして旅に出た。もう、いやだ。忍ぶことにも限度が在る。とても、この上、忍べなかった。笠井さんは、だめな男である。
「やあ、やつたけだ。やつがたけだ。」
 うしろの一団から、れいの大きい声が起って、
「すげえなあ。」
「荘厳ね。」と、その一団の青年、少女、口々に、駒が岳の偉容を賞讃した。
 八が岳ではないのである。駒が岳であった。笠井さんは、少し救われた。アンリ・ベックを知らなくても、アンドレア・デル・サルトを思い出せなくっても、笠井さんは、あの三角にとがった銀色の、そうしていま夕日を受けてバラ色に光っているあの山の名前だけは、知っている。あれは、駒が岳である。断じて八が岳では、ない。わびしい無智な誇りではあったが、けれども笠井さんは、やはりほのかな優越感を覚えて、少しほっとした。教えてやろうか、と鳥渡ちょっと、腰を浮かしかけたが、いやいやと自制した。ひょっとしたら、あの一団は、雑誌社か新聞社の人たちかも知れない。談話の内容が、どうも文学に無関心の者のそれでは無い。劇団関係の人たちかも知れない。あるいは、高級な読者かも知れない。いずれにもせよ、笠井さんの名前ぐらいは、知っていそうな人たちである。そんな人たちのところへ、のこのこ出かけて行くのは、なんだか自分のろくでもない名前を売りつけるようで、面白くない。軽蔑されるにちがいない。慎しまなければ、ならぬ。笠井さんは、溜息ためいきついて、また窓外の駒が岳を見上げた。やっぱり、なんだかいまいましい。ちえっ、ざまあ見ろ。アンリ・ベックだの、アンドレア・デル・サルトだの、生意気なこと言っていても、駒が岳を見て、やあ八が岳だ、荘厳ねなんて言ってやがる。八が岳は、ね、もっと信濃へはいってから、この反対側のほうに見えるのです。笑われますよ。これは、駒が岳。別名、甲斐駒かいこま。海抜二千九百六十六メートル。どんなもんだい、と胸の奥で、こっそりタンカに似たものを呟いてみるのだが、どうもわれながら、栄えない。俗っぽく、貧しく、みじんも文学的な高尚さが無い。変ったなあ、としんから笠井さんは、苦笑した。笠井さんだって、五、六年まえまでは、新しい作風を持っている作家として、二、三の先輩の支持を受け、読者も、笠井さんを反逆的な、ハイカラな作家として喝采かっさいしたものなのであるが、いまは、めっきり、だめになった。そんな冒険の、ハイカラな作風など、どうにも気はずかしくて、いやになった。一向に、気がはずまないのである。そうしてすこぶる、非良心的な、その場限りの作品を、だらだら書いて、枚数の駈けひきばかりして生きて来た。芸術の上の良心なんて、結局は、虚栄の別名さ。浅墓あさはかな、つめたい、むごい、エゴイズムさ。生活のための仕事にだけ、愛情があるのだ。陋巷ろうこうの、つつましく、なつかしい愛情があるのだ。そんな申しわけを呟きながら、笠井さんは、ずいぶん乱暴な、でたらめな作品を、眼をつぶって書き殴っては、発表した。生活への殉愛である、という。けれども、このごろ、いや、そうでないぞ。あなたは、結局、低劣になったのだぞ。ずるいのだぞ。そんなふうささやきが、ひそひそ耳に忍びこんで来て、笠井さんは、ぎゅっとまじめになってしまった。芸術の尊厳、自我への忠誠、そのような言葉の苛烈が、少しずつ、少しずつ思い出されて、これは一体、どうしたことか。一口で、言えるのではないか。笠井さんは、昨今、通俗にさえ行きづまっているのである。
 汽車は、のろのろ歩いている。山の、のぼりにかかったのである。汽車から降りて、走ったほうが、早いようにも思われた。実に、のろい。そろそろ八が岳の全容が、列車の北側に、八つの峯をずらりとならべて、あらわれる。笠井さんは、瞳をかがやかしてそれを見上げる。やはり、よい山である。もはや日没ちかく、残光を浴びて山の峯々がかすかに明るく、線の起伏も、こだわらずゆったり流れて、人生的にやさしく、富士山の、人も無げなる秀抜しゅうばつと較べて、相まさること数倍である、と笠井さんは考えた。二千八百九十九米。笠井さんはこのごろ、山の高さや、都会の人口や、たいの値段などを、へんに気にするようになって、そうして、よくまた記憶している。もとは、笠井さんも、そのような調査の記録を、写実の数字を、極端に軽蔑して、花の名、鳥の名、樹木の名をさえ俗事と見なして、てんで無関心、うわのそらで、わば、ひたすらにプラトニックであって、よろずにうといおのれの姿をひそかに愛し、高尚なことではないかとさえ考え、甘い誇りにひたっていたものであるが、このごろ、まるで変ってしまった。食卓にのぼる魚の値段を、いちいち妻に問いただし、新聞の政治欄を、むさぼる如く読み、支那の地図をひろげては、何やら仔細らしく検討し、ひとり首肯うなずき、また庭にトマトを植え、朝顔の鉢をいじり、さらに百花譜、動物図鑑、日本地理風俗大系などを、ひまひまに開いてみては、路傍の草花の名、庭に来て遊んでいる小鳥の名、さては日本の名所旧蹟を、なんの意味も無く調べてみては、したり顔して、すましている。なんの放埒ほうらつもなくなった。勇気も無い。たしかに、疑いもなく、これは耄碌もうろくの姿でないか。ご隠居の老爺ろうや、それと異るところが無い。
 そうして、いまも、笠井さんは八が岳の威容を、ただ、うっとりと眺めている。ああ、いい山だなあと、背を丸め、あごを突き出し、悲しそうに眉をひそめて、見とれている。あわれな姿である。その眼前の、凡庸ぼんような風景に、おめぐみ下さい、とつくづく祈っている姿である。かにに、似ていた。四、五年まえまでの笠井さんは、決してこんな人ではなかったのである。すべての自然の風景を、理智にって遮断し、取捨し、いささかも、それにおぼれることなく、謂わば「既成概念的」な情緒を、薔薇ばらを、すみれを、虫の声を、風を、にやりと薄笑いして敬遠し、もっぱら、「我は人なり、人間の事とし聞けば、善きも悪しきも他所事よそごととは思われず、そぞろに我が心を躍らしむ。」とばかりに、人の心の奥底を、ただそれだけを相手に、鈍刀ながらも獅子奮迅ししふんじんした、とかいう話であるが、いまは、まるで、だめである。呆然ぼうぜんとしている。
 ――山よりほかに、……
 なぞという大時代的なばかな感慨にふけって、かすかに涙ぐんだりなんかして、ひどく、だらしない。しばらく、口あいて八が岳を見上げていて、そのうちに笠井さんも、どうやら自身のだらけ加減に気がついた様子で、ひとりで、くるしく笑い出した。がりがり後頭部をきながら、なんたることだ、日頃の重苦しさを、一挙に雲散霧消させたくて、何か悪事を、死ぬほど強烈なロマンチシズムを、とえぎつつ、あこがれ求めて旅に出た。山を見に来たのでは、あるまい。ばかばかしい。とんだロマンスだ。
 がやがや、うしろの青年少女の一団が、立ち上って下車の仕度をはじめ、富士見駅で降りてしまった。笠井さんは、少し、ほっとした。やはり、なんだか、気取っていたのである。笠井さんは、そんなに有名な作家では無いけれども、それでも、誰か見ている、どこかで見ている。そんな気がして群集の間にはいったときには、煙草たばこの吸いかたからして、少し違うようである。とりわけ、多少でも小説に関心持っているらしい人たちが、笠井さんの傍にいるときなどは、誰も、笠井さんなんかに注意しているわけはないのに、それでも、まるで凝固して、首をねじ曲げるのさえ、やっとである。以前は、もっと、ひどかった。あまりの気取りに、窒息、眩暈めまいをさえ生じたという。むしろ気の毒な悪業あくごうである。もともと笠井さんは、たいへんおどおどした、気の弱い男なのである。精神薄弱症、という病気なのかも知れない。うしろのアンドレア・デル・サルトたちが降りてしまったので、笠井さんも、やれやれと肩の荷を下ろしたよう、下駄げたを脱いで、両脚をぐいとのばし、前の客席に足を載せかけ、ふところから一巻の書物を取り出した。笠井さんは、これは奇妙なことであるが、文士のくせに、めったに文学書を読まない。まえは、そうでもなかったようであるが、この二、三年の不勉強にいては、許しがたいものがある。落語全集なぞを読んでいる。妻の婦人雑誌なぞを、こっそり読んでいる。いま、ふところから取り出した書物は、ラ・ロシフコオの金言集である。まず、いいほうである。流石さすがに、笠井さんも、旅行中だけは、落語をつつしみ、少し高級な書物を持って歩く様子である。女学生が、読めもしないフランス語の詩集を持って歩いているのと、ずいぶん似ている。あわれな、おていさいである。パラパラ、ページをめくっていって、ふと、「なんじもしおの心裡しんりに安静を得るあたわずば、他処にこれを求むるは徒労のみ。」というれいの一句を見つけて、いやな気がした。悪い辻占つじうらのように思われた。こんどの旅行は、これは、失敗かも知れぬ。
 列車が上諏訪に近づいたころには、すっかり暗くなっていて、やがて南側に、湖が、――むかしの鏡のように白々と冷くひろがり、たったいま結氷から解けたみたいで、にぶく光って肌寒く、岸のすすきのくさむらも枯れたままに黒く立って動かず、荒涼悲惨の風景であった。諏訪湖である。去年の秋に来たときは、も少し明るい印象を受けたのに、信州は、春は駄目なのかしら、と不安であった。下諏訪。とぼとぼ下車した。駅の改札口を出て、懐手ふところでして、町のほうへ歩いた。駅のまえに宿の番頭が七、八人並んで立っているのだが、ひとりとして笠井さんを呼びとめようとしないのだ。無理もないのである。帽子もかぶらず、普段着の木綿もめんの着物で、それに、下駄も、ちびている。お荷物、一つ無い。一夜泊って、大散財しようと、ひそかに決意している旅客のようには、とても見えまい。土地の人間のように見えるのだろう。笠井さんは、流石さすがに少しびしく、雨さえぱらぱら降って来て、とっとと町を急ぐのだが、この下諏訪という町は、またなんという陰惨低劣のまちであろう。駄馬が、ちゃんちゃんとくびの鈴ならして震えながら、よろめき歩くのに適した町だ。町はば、せまく、家々の軒は黒く、根強く低く、家の中の電燈は薄暗く、ランプか行燈あんどんでも、ともしているよう。底冷えして、みちには大きい石ころがごろごろして、馬の糞だらけ。ときどき、すすけた古い型のバスが、ふとった図体をゆすぶりゆすぶり走って通る。木曾路、なるほどと思った。湯のまちらしい温かさが、どこにも無い。どこまで歩いてみても、同じことだった。笠井さんは、溜息ためいきついて、往来のまんなかに立ちつくした。雨が、少しずつ少しずつ強く降る。心細く、泣くほど心細く、笠井さんも、とうとう、このまちを振り捨てることに決意した。雨の中を駅前まで引き返し、自動車を見つけて、上諏訪、滝の屋、大急ぎでたのみます、と、ほとんど泣き声で言って、自動車に乗り込み、失敗、こんどの旅行は、これは、完全に失敗だったかも知れぬ、といても立っても居られぬほどの後悔を覚えた。
 あのひと、いるかしら。自動車は、諏訪湖の岸に沿って走っていた。闇の中の湖水は、鉛のように凝然と動かず、一魚一介も、死滅してここには住まわぬ感じで、笠井さんは、わざと眼をそむけて湖水を見ないように努めるのだが、視野のどこかに、その荒涼悲惨が、ちゃんとはいっていて、のど笛かき切りたいような、グヮンと一発ピストル口の中にぶち込みたいような、どこへも持って行き所の無い、たすからぬ気持であった。あのひと、いるかしら。あのひと、いるかしら。母の危篤きとくに駈けつけるときには、こんな思いであろうか。私は、魯鈍ろどんだ。私は、愚昧ぐまいだ。私は、めくらだ。笑え、笑え。私は、私は、没落だ。なにも、わからない。渾沌のかたまりだ。ぬるま湯だ。負けた、負けた。誰にも劣る。苦悩さえ、苦悩さえ、私のは、わけがわからない。つきつめて、何が苦しと言うならず。冗談よせ! 自動車は、やはり、湖の岸をするする走って、やがて上諏訪のまちの灯が、ぱらぱらと散点して見えて来た。雨も晴れた様子である。
 滝の屋は、上諏訪に於いて、最も古く、しかも一ばん上等の宿屋である。自動車から降りて、玄関に立つと、
「いらっしゃい。」いつも、きちっと痛いほど襟元えりもとを固く合せている四十歳前後の、その女将おかみは、青白い顔をして出て来て、冷く挨拶あいさつした。「お泊りで、ございますか。」
 女将は、笠井さんを見覚えていない様子であった。
「お願いします。」笠井さんは、気弱くあいそ笑いして、軽くお辞儀をした。
「二十八番へ。」女将は、にこりともせず、そう小声で、女中に命じた。
「はい。」小さい、十五、六の女中が立ち上った。
 そのとき、あのひとが、ひょっこり出て来た。
「いいえ。別館、三番さん。」そう乱暴な口調で言って、さっさと自分で、笠井さんの先に立って歩いた。ゆきさんといった。
「よく来たわね。よく来たのね。」二度つづけて言って、立ちどまり、「少し、おふとりになったのね。」ゆきさんは、いつも笠井さんを、弟かなんかのように扱っている。二十六歳。笠井さんより九つも年下のはずなのであるが、苦労し抜いたひとのような落ちつきが、どこかに在る。顔は天平てんぴょう時代のものである。しもぶくれで、眼が細長く、色が白い。黒っぽい、じみなしまの着物を着ている。この宿の、女中頭である。女学校を、三年まで、修めたという。東京のひとである。
 笠井さんは、長い廊下を、ゆきさんに案内されて、れいの癖の、右肩を不自然にあげて歩きながら、さっき女将の言った二十八番の部屋を、それとなく捜していた。ついに見つからなかったけれど、おそらくは、それは、階段の真下あたりの、三角になっている、見るかげもない部屋なのであろう。それにちがいない。この宿で、最下等の部屋に、ちがいない。服装が、悪いからなあ。下駄が、汚い。そうだ、服装のせいだ、と笠井さんは、しょげ抜いていたのである。階段をのぼって、二階。
「ここが、お好きだったのね。」ゆきさんは、その部屋のふすまをあけ、したり顔して落ちついた。
 笠井さんは、ほろ苦く笑った。ここは別棟になっていて、ちゃんと控えの支度部屋もついているし、まず、最上等の部屋なのである。ヴェランダもあり、宿の庭園には、去年の秋は桔梗ききょうの花が不思議なほど一ぱい咲いていた。庭園のむこうに湖が、青く見えた。いい部屋なのである。笠井さんは、去年の秋、ここで五、六日仕事をした。
「きょうは、ね、遊びに来たんだ。死ぬほど酒を呑んでみたいんだ。だから、部屋なんか、どうだって、いいんだ。」笠井さんは、やはり少し気嫌きげんを直して、快活な口調で言った。
 宿のどてらに着換え、卓をへだてて、ゆきさんと向い合ってきちんと坐って、笠井さんは、はじめて心からにっこり笑った。
「やっと、――」言いかけて、思わず大きい溜息をついた。
「やっと?」とゆきさんも、おだやかに笑って、反問した。
「ああ、やっと。やっと、……なんといったらいいのかな。日本語は、不便だなあ。むずかしいんだ。ありがとう。よく、あなたは、いてくれたね。たすかるんだ。涙が出そうだ。」
「わからないわ。あたしのことじゃないんでしょう?」
「そうかも知れない。温泉。諏訪湖。日本。いや、生きていること。みんな、なつかしいんだ。理由なんて、ないんだ。みんなに対して、ありがとう。いや、一瞬間だけの気持かも知れない。」きざなことばかり言ったので、笠井さんは、少してれたのである。
「そうして、すぐお忘れになるの? お茶をどうぞ。」
「僕は、いつだって、忘れたことなんかないよ。あなたには、まだわからないようだね。とにかくお湯にはいろう。お酒を、たのむぜ。」
 ずいぶん意気込んでいたくせに、酒は、いくらも呑めなかった。ゆきさんも、その夜は、いそがしいらしく、お酒を持って来ても、すぐまた他へ行ってしまうし、ちがった女中も来ず、笠井さんは、ぐいぐいひとりで呑んで、三本目には、すでに程度を越えて酔ってしまって、部屋に備えつけの電話で、
「もし、もし。今夜は、おいそがしい様ですね。誰も来やしない。芸者を呼びましょう。三十歳以上の芸者を、ひとり、呼んで下さい。」
 しばらく経って、また電話をかけた。
「もし、もし。芸者は、まだですか。こんな離れ座敷で、ひとりで酔ってるのは、つまりませんからね。ビイルを持って来て下さい。お酒でなく、こんどは、ビイルを呑みます。もし、もし。あなたの声は、いい声ですね。」
 いい声なのである。はい、はい、と素直に応答するその見知らぬ女の少し笑いを含んだ声が、酔った笠井さんの耳に、とてもさわやかに響くのだ。
 ゆきさんが、ビイルを持ってやって来た。
「芸者衆を呼ぶんですって? およしなさいよ。つまらない。」
「誰も来やしない。」
「きょうは、なんだか、いそがしいのよ。もう、いい加減お酔いになったんでしょう? おやすみなさいよ。」
 笠井さんは、また電話をかけた。
「もし、もし。ゆきさんがね、芸者は、つまらないと言いました。よせというから、よしました。あ、それから、煙草。スリイ・キャッスル。ぜいたくを、したいのです。すみません。あなたの声は、いい声ですね。」また、ほめた。
 ゆきさんに寝床を敷いてもらって、寝た。寝ると、すぐ吐いた。ゆきさんは、さっさと敷布を換えてくれた。眠った。
 あくる朝は、うめく程であった。眼をさまし、笠井さんは、ゆうべの自身の不甲斐なさ、無気力を、死ぬほど恥ずかしく思ったのである。たいへんな、これは、ロマンチシズムだ。げろまで吐いちゃった。憤怒ふんぬをさえ覚えて、寝床を蹴って起き、浴場へ行って、広い浴槽を思いきり乱暴に泳ぎまわり、ぶていさいもかまわず、バック・ストロオクまで敢行したが、心中の鬱々は、晴れるものでなかった。仏頂づらして足音も荒々しく、部屋へかえると、十七、八の、からだの細長い見なれぬ女中が、白いエプロンかけて部屋の拭き掃除をしていた。
 笠井さんを見て、親しそうに笑いながら、「ゆうべ、お酔いになったんですってね。ご気分いかがでしょう。」
 ふと思い出した。
「あ、君の声、知っている。知っている。」電話の声であった。
 女は、くつくつ肩を丸くして笑いながら、床の間を拭きつづけている。笠井さんも、気持が晴れて、部屋の入口に立ったまま、のんびり煙草をふかした。
 女は、ふり向いて、
「あら、いいにおい。ゆうべの、あの、外国煙草でしょ? あたし、そのにおい大好き。そのにおい逃がさないで。」雑巾ぞうきんを捨てて、立ち上り、素早く廊下の障子と、ヴェランダに通ずるドアと、それから部屋の襖も、みんな、ピタピタしめてしまった。しめて、しまってから、二人どぎまぎした。へんなことになった。笠井さんは、自惚うぬぼれたわけでは無い。いや、自惚れるだけのことはあったのかも知れない。いたずら。悪事が、このように無邪気に行われるものだとは、笠井さんも思ってなかった。笠井さんは、可愛らしいと思った。田舎くさい素朴な、直接に田畑のにおいが感じられて、白い立葵たちあおいを見たと思った。
 すらと襖があいて、
「あの、」ゆきさんが、余念なくそう言いかけて、はっと言葉を呑んだ。たしかに、五、六秒、ゆきさんは、ものを言えなかったのだ。
 見られた。地球の果の、汚いくさい、まっ黒い馬小屋へ、一瞬どしんと落ちこんでしまった。ただ、もやもや黒煙万丈で、羞恥しゅうち、後悔など、そんな生ぬるいものではなかった。笠井さんは、このまま死んだふりをしていたかった。
「幾時の汽車で、おちなのかしら。」ゆきさんは、流石さすがに落ちつきを取りもどし、何事もなかったように、すぐ言葉をつづけてくれた。
「さあ。」その女のひとは、奇怪なほどに平気であった。笠井さんは、そのひとを、たのもしくさえ思った。そうして、女を、なかなか不可解なものだと思った。
「すぐかえる。ごはんも、要らない。お会計して下さい。」笠井さんは、眼をつぶったままだった。まぶしく、おそろしく、眼をひらくことが、できなかった。このまま石になりたいと思った。
「承知いたしました。」ゆきさんは、みじんも、いや味のない挨拶して部屋を去った。
「見られたね。まぎれもなかったからな。」
「だいじょうぶよ。」女は、しんから、平気で、清らかな眼さえしていた。「ほんとうに、すぐお帰りになるの?」
「かえる。」笠井さんは、どてらを脱いで身仕度をはじめた。下手におていさいをつくろって、やせ我慢して愚図々々がんばって居るよりは、どうせ失態を見られたのだ、一刻も早く脱走するのが、かえって聡明でもあり、素直だとも思われた。
 かなわない気持であった。もう、これで自分も、申しぶんの無い醜態しゅうたいの男になった。一点の清潔も無い。どろどろ油ぎって、濁って、ぶざまで、ああ、もう私は、永遠にウェルテルではない! 地団駄じだんだを踏む思いである。行為に対しての自責では無かった。運がわるい。ぶざまだ。もう、だめだ。いまのあの一瞬で、私は完全に、ロマンチックから追放だ。実に、おそろしい一瞬である。見られた。ひともあろうに、ゆきさんに見られた。笠井さんは、醜怪な、奇妙な表情を浮べて、内心、動乱の火の玉を懐いたまま、ものもわからず勘定かんじょうをすまし、お茶代を五円置いて、下駄をはくのも、もどかしげに、
「やあ、さようなら。こんどゆっくり、また来ます。」くやしく、泣きたかった。
 宿の玄関には、青白い顔の女将をはじめ、また、ゆきさんも、それから先刻の女中さんも、並んでていねいにお辞儀をして、一様に、おだやかな、やさしい微笑を浮べて笠井さんを見送っていた。
 笠井さんは、それどころではなかった。もはや、道々、わあ、わあ大声あげて、わめき散らして、雷神の如く走り廻りたい気持である。私は、だめだ。シェリイ、クライスト、ああ、プウシュキンまでも、さようなら。私は、あなたの友でない。あなたたちは、美しかった。私のような、ぶざまをしない。私は、見られて、みんごとくそリアリズムになっちゃった。笑いごとじゃない。十万億土、奈落ならくの底まで私は落ちた。洗っても、洗っても、私は、断じて昔の私ではない。一瞬間で、私はこんなに無残むざんに落ちてしまった。夢のようだ。ああ、夢であってくれたら。いやいや、夢ではない。ゆきさんは、たしかにあのとき、はっと言葉を呑んでしまった。ぎょっとしたのだ。私は、舌んで死にたい。三十五年、人は、ここまで落ちなければならぬか。あとに何が在る。私は、永久に紳士でさえない。犬にも劣る。ウソつけ。犬と「同じ」だ。
 どうにも、やり切れなくて、笠井さんは停車場へ行って二等の切符を買った。すこし救われた。ほとんど十年ぶりで、二等車に乗るのである。作品を。――唐突とうとつにそれを思った。作品だけが。――世界の果に、蹴込まれて、こんどこそは、謂わば仕事の重大を、明確に知らされた様子である。どうにかして自身に活路を与えたかった。暗黒王。平気になれ。
 まっすぐに帰宅した。お金は、半分以上も、残っていた。要するに、いい旅行であった。皮肉でない。笠井さんは、いい作品を書くかも知れぬ。



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2017.06.18

最近の富士山ラドン濃度について

20170619_64432

 のグラフは今年3月から今日までの富士山ラドン濃度の推移です。
 明らかに(2011年末の測定開始後)今までと大きく違うのは、この3月18日以来3ヶ月の間、一度も20Bq/m3以下に下がっていないことです。
 また、その間、中規模以上の地震の発生数はかなり少ない印象です。
 今までの経験から推定しますと、大規模な地震の前兆が長期に亘って現れているとも言えそうです。
 それがいつどこで発生する地震の前兆なのかは、正直分かりません。しかし、全国のラドン濃度観測のデータを見ると、房総半島沖、三陸沖、若狭湾、日向灘で異常が認められており、それらの地域で大規模な地震が発生する可能性が指摘されています。
 富士山での異常値は、今までは東日本の動きを反映するものでしたが、今回のような長期的な異常の場合、逆に西日本を含む遠方の動きに対応したものとも考えられます。
 いずれにせよ、今までにないパターンなので、私としても従来のような予測ができません。今後の動きに注目するとともに、全国的に注意を喚起したいと思います。
 もちろん、これが正常だという可能性もあります。つまり、東日本大震災後異常になっていたものが、6年の時を経て正常になったとも考えられるのです。
 ちなみに富士山ラドン濃度は、昨日から今朝にかけて一時的に急低下し、また午後には上昇しました。これは富士山周辺での何らかの動きを捉えたものだと思われ、長期的な前兆の収束ではないと思われます。
 自然からのメッセージを受け取るのは本当に難しいですね。
 

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2017.06.17

The Water is Wide(スコットランド民謡)

 ッサンや、その前の「花子とアン」で使われ、最近特に有名になったこの曲。たしかにいい曲ですね。なんとも切ない。
 スコットランド民謡がなぜか日本人に「郷愁」をおぼえさせるのは、やはりそのメロディーが他の地域の伝統音楽と同じく、ペンタトニックを基本としているからでしょう。
 日本では明治時代に多くのスコットランド民謡が輸入され、日本語詞を与えられて愛唱歌となっていきました。最も有名なのは「蛍の光」でしょうかね。
 そういう中では、この「The Water is Wide」は日本では比較的最近有名になったスコットランド民謡です。
 古くは「O Waly, Waly」とも呼ばれ、1948年にブリテンがピアノと声楽のために編曲したものもよく知られています。ブリテン本人がピアノ伴奏している貴重な映像がありました。

 同じくイギリスの作曲家、合唱音楽の指揮者としても有名なジョン・ラターも自作に使っています。うまい編曲(当たり前か)。

 ポピュラー界では、やはりカーラ・ボノフのバージョンが有名でしょうか。東京でのライブ映像がありました。

 一番上の「マッサン」のエリーの歌のあとの演奏は、ケルト音楽の歌姫Rowena Tahenyです。
 私は歌が下手なので、ヴィオラの無伴奏用に編曲しております。いつかどこかで披露したいと思っています。

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