2017.10.17

バッハ 『フランス風序曲』

 ろいろなお仕事のBGMにと、久々に流していたら、ついついじっくり聴いてしまった罪な曲(笑)。
 クラヴィーア練習曲集の第2巻に収められているということですが、カップリングの「イタリア協奏曲」があまりに有名なせいで、逆にこの曲の魅力が忘れ去られています。
 フランス風序曲(組曲)ということで、その形式、様式はもちろんのこと、当時の、たとえばクープランの同タイプの曲たちと同じように、器楽合奏で演奏してもかっこいいかもしれませんね。
 そういう演奏はないのかと思い探してみましたが、ありませんねえ。ということは、自分でやれということでしょうか。編曲して演奏してみましょうか。
 序曲は微妙ですけれども、舞曲になるとトラヴェルソでの演奏が目に、いや耳に浮かびますね。
 もともとバッハはハ短調で作曲したらしい。それをなぜかロ短調に転調しているんですね。その理由については諸説あるようですが、もしかすると、トラヴェルソでの演奏を考慮したかもしれません。そんな気がしてきました。ま、音域的に無理があるところはありますけど。
 私はこの序曲の序曲がけっこう好きです。特にフーガ部分はいい。7度の響きがなんとも言えないテーマがまずカッコイイ。器楽的な展開部もおしゃれですよね。フランスのイメージでしょうか。
 ドイツの、たとえばバッハやヘンデルやテレマンといった巨匠たちが、お隣のフランスの洒落た音楽に憧れて、たくさん曲を書いていますよね。それがまた実にドイツ風フランスで面白い。本家とは明らかに違う。
 ですから、この曲も結果としては、「ドイツ風フランス風序曲」ということになりましょうか(笑)。
 最終曲の「エコー」は不思議な曲ですね。エコーもたいがいがpianoから始まってforteが続く。普通のエコーの感覚とは逆なような気もしますが。
 いずれにせよ、全体的に大変よくできた佳曲だと思います。あまり演奏されることがないのが不思議ですね。やっぱりカップリング(A面)のイタリア協奏曲が有名すぎるのかな?

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2017.10.16

『粋な日本人の心得帳』 (枻出版社)

Th_81mbvcd4n8l ろいろ忙しいところに加え、全国でも注目の山梨2区の混沌選挙に関わらざるを得ず、自分もかなりカオスな状況となっております。
 とにかくいろいろな人に会う機会が多い。いろいろなレイヤーの方々。それぞれにしきたりがあったりなかったり。
 いろいろ無礼、不躾があっては申し訳ないと思い、時々確認するのがこの本。
 男性の、様々なシーンにおける「心得」が写真入りでわかりやすく解説されており、大変役に立っております。
 学校で生徒たちが小笠原流の礼法を勉強しているので、私もそちらの授業を見学したり、紹介していただいた本を読んだりして勉強していますが、ちょっと格式が高すぎて、日常の場面でそのまま使うと逆に不自然だったり、ドン引きされたりしそうです。
 その点、この本のレベルはちょうどいいかもしれない。最低限のマナーという感じ。
 でですね、いろいろ勉強し、体験したワタクシの実感を申しあげますとですね、実は、こういう本の内容なんかを完全にマスターする必要はないと。
 どういうわけか、超一流の方々とおつきあいすることが最近多いわけですが、そういう方々も実際はかなりフリーな立ち居振る舞いをされますよ。
 たとえば超一流シェフと一緒にフレンチを食べたり、超一流料亭の主人と和食を食べたり、そういう機会で、こちらはめちゃくちゃ緊張して、相手の方の振る舞いをチラチラ見ながら真似しようと思っていると、案外フリーな感じでいらっしゃったりする。それで安心して、ようやくおいしい料理を堪能することができたりするんですね。
 もちろん、やってはいけないことというのは最低のマナーとしてあると思いますよ。でも、実際のところ、案外ハードルは低くてですね、決してマニュアルどおりにやる必要はないわけです。
 だから、時々こういうマニュアルをちらっと見て、なんとなく覚えている程度がちょうど良かったりします。あんまり堅苦しくやると、逆に不自然、なんかいかにも予習してきました感が出てしまう。
 先日も人間国宝の方に和室でご挨拶することがありました。周囲のお弟子さんやらがガチガチの中、あえてちょっとやわらかい感じで振る舞いましたら、お話が大変はずみました。
 こういう本を手元に置きつつ、そういうことも覚えておくとよろしいかと。

Amazon 粋な日本人の心得帳

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2017.10.15

私にとっての歴史とは…

 MXテレビで西部邁先生が吠えたとの情報をいただき、さっそくYouTubeで探したらありました。
 うん、たしかに面白い。日曜日の真っ昼間に地上波でこういう言説が聞けるなんて。まだまだテレビも捨てたものじゃない。ま、MXが特殊なんですけどね。
 それでも、どうでしょう。いつもワイドショーばかり見て聞いている人たちが、こういう硬派な言説を耳にすると、どう感じるんでしょうか。
 慣れていないから、全然耳に入ってこないという人もいるでしょう。それもあり得ます。
 人によっては、なんだか生理的に拒否反応を示すかもしれない。特に核廃絶なんかとんでもない!という話なんか。
 しかし、私たちが賢い大衆であるためには、こういう言葉にも耳をしっかり傾けなければなりません。もちろん、西部先生の考えに完全に賛同せよと言っているのではありませんよ。
 堀潤さんはかなり冷静に対処していますが、それは堀さんだからであって、たとえばいくらハッタリの得意なワタクシであっても、もし西部先生と討論したら、一気に押し潰されておしまいでしょうね。
 そう、西部先生みたいな昭和の論客って、「コト」の権化みたいなものなんですよ。だからコト勝負では絶対かなわない。当たり前です。知識(コト)の量が違いすぎますから。
 ただ、押し潰されながらも、どこか反論したい、できないけれども違う意見を言いたい、そんな自分もいます。現実主義者ではなく、あくまでも理想主義者でいたい。夢想家、お花畑と言われるかもしれないけれども。
 そうでないと、私たちは、いつまでも過去と現在にとらわれた思考しかでないと思うのです。そこには進化はありません。深化はあるかもしれませんが、未来に飛翔することは難しいような気がします。
 昨日紹介した、高城剛さんとの対話は、そういう意味では完全に「モノ」世界であって、つまり「物語」であって、だからこそ、伝わる部分と伝わらない部分とがあると思いますし、それこそ全く科学的でない妄想にすぎないと言われてもしかたありません。
 しかし、たとえば過去の歴史についても、私は仲小路彰の言うとおり、未来の視点から眺めたいのです。
 この前もどこかに書きましたが、私にとっての「歴史学」は、事実(コト)として何があったかよりも、その時生きた人間たちが、(その時の)未来に対して何を妄想したかを知る作業なのです。
 大東亜戦争についても、あの時はみんなが真剣に日本の未来、アジアの未来、世界の未来を妄想したのです。いろいろな妄想が絡み合って、一つの事実に収斂していった。その一つの事実だけを見るのは間違いです。
 未来からの視点とはそういう意味です。そういう意味で私は、さまざまな神話(近代以降に生まれたものも含む)にも興味がありますし、いわゆる偽史にも、あるいはフィクションたる文学や映画にも興味がある。
 そこには、それぞれ生きた人間の未来への妄想があるからです。それが庶民の、程度の低い妄想であっても。
 西部先生の言説には、そういう生きた人間の妄想、それも「良き妄想」があまり感じられません。「悪しき妄想」は時々出てきますけれど。
 まあ、たしかに今までの歴史は、「悪しき妄想」が「良き妄想」に勝つことが多かったと言えますが。
 それでも「良き妄想」の勝利を確信する私は、きっとはたから見ると、とってもリベラルな人間なのでしょうね。いや、宇宙人だから気にしなくていいのか、そんな分類(笑)。
 まあそれは冗談として、私にとっての歴史とは「その時生きていた人たちが、その時の未来に何を妄想したか」ということなのです。そして、歴史学とは、その妄想を収集、調査、研究することなのでした。

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2017.10.14

『不老超寿』 高城剛 (講談社)

Th_41jceo0zlel 月、53年ぶりの再会(?)を果たした私と高城剛さん。
 その時の爆裂宇宙人トークの一部がPodcast「高城未来ラジオ」で聴くことができるようになりました。記事の下の方に貼っておきますので、ぜひお聴き下さい(てか、これじゃあ仮名の意味がないか…笑)。
 いちおう放送では「教育」がテーマになっていましたが、実際にはかなり脱線してしまいました。ま、いつものことですね。
 番外編として収録後は「医療」の話でも盛り上がりました。私はこの本を読んでいなかったのですが、高城さんから後日談も含めて直接いろいろうかがいました。
 自らを実験台にしての実感的エビデンスをもとにしたお話は、単なる数値の羅列などよりもずっと説得力がある。この本の重みは、まさにそういう次元でのそれです。
 そして、私の方からも、「未来医療」に関する「実物」を提供し、そして体験してもらいました。
 さすがは世界中の最先端医療、さらには逆に太古の医療まで知り尽くしている高城さん、一瞬でその意味と価値を理解されていました。
 ちなみにその「実物」もまた宇宙から降りてきたものです(アブナすぎる?)。ま、宇宙人同志である二人にとっては全然自然な(しかし不思議な)モノでありコトですが。
 宇宙という「未来」から来て、地球に「未来」を届けるというミッションを持った二人は、当然のことながら共鳴するところがあります。ただ作法が違う。彼はたとえば、世界中を旅してこういう本を書くことによって、そのミッションを果たそうとするし、私はに日々の仕事や趣味を通じて地味にやらせてもらっています。
 作法は違いますが、医療に関してはお互い日本の異常な岩盤規制や岩盤慣習に疑問を持っており、そこを突破するために協力していくことを約束しました。
 近々再会の続編が予定されています。はたして、地球人の「不老超寿」に向けてのブレイクスルーは実現するのか!?お楽しみに。
 健康は平和の源。健康的かつ平和的な地球や自分に興味がおありの方は、まずこの本をお読みになってください。また、私のお預かりしている「未来医療」を体験してみてください(メールで連絡ください)。
 では、爆裂(トンデモ?)対談をどうぞ!

Amazon 不老超寿

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2017.10.13

Keith Jarrett 『Blame It on My Youth/Meditation』

Th_51v2mrbdyl_sx355_ の前、パリ・コンサートの楽譜を紹介しました。
 キース・ジャレットのソロを弾きたいと思っているピアニストはたくさんいると思います。
 私はピアノはほとんど弾けませんが、それでもやっぱり一度は弾いてみたい。
 12年前(!)、奇跡的な復活ソロ・アルバム『メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー』を紹介した記事に、「この曲を弾いて死にたいのです。あるいは死にそうな時に、自分のために弾きたい」と書いた、『Blame It on My Youth/Meditation』。
 これもまたYouTubeで楽譜を見ることができるようになりました(リンク先からダウンロードもできる)。12年前にも日本人のある方が楽譜化してくれていたのですが、すぐにネット上から消えてしまいました。
 それがまた今年になって、音源とともに手に入るようになった。これが著作権的にどうなのか、問題はあろうと思いますが、12年前とは明らかに音楽の受容形態が変わった今、ある意味では録音音楽が商業的な次元から脱して、我々人類の共有財産になりつつあるとも言えますね。
 それにしても、いつ、何度聴いても素晴らしい演奏です。日本語にすれば「若気の至り」というタイトルのスタンダード・ナンバーですね。考えてみると、これは個人レベルでの「若気の至り」ではなく、人類にとっての「若気の至り」からの「瞑想」なのかもしれません。
 音楽というのは、そういうモノなのです。
 さっそく10年ぶりくらいに、この曲をつま弾いてみようかと思います。まさにつま弾くレベルです(苦笑)。それでも何モノかを共有できるかもしれない。自分の「若気の至り」を表現できるかもしれない。そんな気がしています。
 皆さんもぜひ。

 ついでと言ってはなんですが、3人のアンサンブルでも、こういう瞑想の境地に至ることができるという実例もどうぞ。インタープレイの極致。31年前、東京での奇跡。

Amazon メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー

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2017.10.12

人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!【わたなべ】ナベツナ伝説で全国へ (NHK)

Th__20171013_92148 覧になってくださった皆様、ありがとうございました。
 実に面白かったですね。私も知らないことがたくさんありまして、大変勉強になりました。
 17日(火)0時10分、つまり16日(月)深夜24時10分から再放送がありますので、今回見逃した方はぜひ御覧ください。
 ワタナベ氏は水軍(海賊?)でしたので、その移動力は凄まじいものがありました。そのあたりのワタナベパワーが上手に紹介されていましたね。
 私の職場がある富士吉田市は、たしかにワタナベさんが異様にたくさんいます。そのへんに昔から興味があって、いろいろこのブログにも書いていたからでしょうか、5月にNHKのディレクターさんから連絡がきまして、それで学校を巻き込んでの収録ということになりました。
 ちょうど、その時、TBSさんからもオファーがあって、例のギャラクシー賞をいただいた水曜日のダウンタウン「先生モノマネ」の話が進んでいた最中でしたので、ほとんど並行してテレビの全国放送の現場に立ち会うという幸運に恵まれました。
 で、水曜日のダウンタウンの時もいろいろな学校さんから電話やメールが来て、どうすると番組に出られるんですかという質問をいただきました。おそらくこちらから何か働きかけたと思ったのでしょう。
 いや、本当のところ、全くこちらからのアクションはありませんでした。偶然、向こうからの話が重なっただけです。
 今までテレビやラジオ出演の話がいくつかありましたが、考えてみると、そのいずれもこのブログの情報がきっかけになっています。
 今やSNSの時代で、ブログなんかほとんど誰もやっていない古臭いメディアになってしまった感もあります。しかし、完全にオープンでGoogle検索に引っかかる(すなわちずっとアクティヴな状態で保存されている)という意味で、ブログは今も発信力、影響力のあるメディアなのです。
 バカみたいに毎日書き続けてきてよかったなと、今日も思いました。
 実は今日は別のメディアでの発信もあったんです。それについては時機が来たら紹介しますね。
 面白いのは、今年、こういうオファーがとても多いということです。今までとは明らかに違う。そのおかげさまで、またいろいろな方々とご縁をいただき、それがまた新たなご縁につながるという、爆発的なエネルギーが生み出されています。
 反面、あんまり目立つことするな、本職をちゃんとしろとのお声も。全くそのとおりであります(苦笑)。

日本人のおなまえっ 公式

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2017.10.11

ポケモンマスター=仏陀?w

Th_satosi うでもいいけれど、どうでもよくない話?
 遅ればせながらではありますが…最近、ポケモンGOがマイブームであります。娘たちとワイワイやっております。
 私はただただ黙々とポケモンをゲットするだけで、あんまりバトルはいたしません。平和主義者です(笑)。
 それでも楽しいですね。待ち時間も苦ではなくなったし。大人が仕事終わりに何も考えないでポケGOに興ずることが、ストレス解消になっているとの学術研究もありましたっけ。
 今や世界中を巻き込んでの大ブーム。バトルではあるけれども、相手のポケモンを取り合うようなシステムではないし、負けても「薬」などで復活できる。つまり死なないわけですね。
 これはバトル(=戦争)の常識を覆しています。基本はあくまでも、自己のレベルを上げていくことが目的のゲームです。
 で、私や娘たちも何か特別な目的をもってポケGOをやっているわけではありません。まあ、やはりレベルが上がっていくこと、図鑑が埋まっていくこと、ポケモンが強くなっていくことが楽しみというだけです。
 そう考えますと、ポケGOの世界観は仏教的とも言えます。それぞれがバトル(切磋琢磨)しながら、自らのレベルアップを図る。ポケモンの方も、愛情込めて育てられ、生命を大切にされながら成長していく。
 その人間側の究極の目標が、「めざせポケモンマスター」という歌にも象徴されるように、「マスター」であります。
 しかし、多くのポケモンファンも気づいているとおり、その「ポケモンマスター」とはなんなのかという定義がはっきりしません。しかし、みんながそこを目指して頑張っている…。
 そう、そんな、定義不可能な究極の目標点があるのも、仏教に似ている。すなわち「ブッダ」。悟りマスターというか、真理マスターとしての「ブッダ(仏陀)」。
 私も仏教を少しかじっている人間ですが、やはり目標は「悟り」であり「仏陀」になることです。しかし、では、それにどうなれば、どうすればなれるのかというのは、ある意味誰もわからない。
 コト(言語・定義)化できないが、しかし存在しているという確信のあのモノこそが、究極の真理(すなわち揺らぎない「真」のコト=「まこと」)なのです。
 そういうゴールなきゴールを持つゲームが、こうして日本発で世界中に広まっているのは、実によろしいことだと感じています。
 私も、いつかポケモンマスターになれるのでしょうか。
 あっそうそう、モンスター(MONSTER)と「もの」は同源なんですよ。すなわちモンスター=もののけ。ついでに言うとマネー(MONEY)も(こちらの記事参照)。
 

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2017.10.10

キース・ジャレット 『パリ・コンサート』

Keith Jarrett ‎– Paris Concert
Th_71z58tvzfl_sl1500__2 1988年10月17日のライヴですから、今から29年前になるんですね。
 なんか突然聴きたくなったんです。で、冒頭から泣いてしまった。こんな素晴らしいアルバムだったのか。
 無性に楽譜を見たくなって調べたら、下の動画がありました(冒頭だけですが)。便利な時代ですね。

 バロック音楽、特にバッハ好きにはたまらない一品ですよね。この頃のキースは実際バッハにはまっていました。このパリ・コンサートの前後に、平均律全曲やゴルトベルク変奏曲を録音しています。
 作曲技法的にバッハに寄せているところもありますが、そういう次元ではなくて、精神というか、意識というか、そうした一段高い、いわば音楽の天井の部分で、キースとバッハは共鳴しています。
 さて、このアルバム全体を未聴の方はぜひ「体験」してみてください。

 冒頭のバロック的インプロヴィゼーション(おそらく半即興)から、キースの音楽の根底にあるのであろう、バロックよりもっと古いタイプの即興音楽、すなわち固定低音上に展開する激しい民族的音楽も素晴らしい。
 そして訪れる静寂。しかし固執低音の呪縛からは抜けきれない。まるで、古代が近代を拒否するかのように。
 しかし、いつしかまたバロック風な、一つのモチーフの変形と重層が多様な和声を発見していくような音楽に落ち着く。
 さらに古典派的に展開していくが、再び究極のオスティナートである固定(固執)低音が侵入してくる。近代への不安や懐疑が表現され、しまいにはある時間帯には「ファ」だけになってしまう。それははたして音楽と言えるのか。
 しかし、そうした原始の地平から生命が生まれ出るかのように素粒子は激しく振動しはじめる。
 なるほど宇宙の生命、存在とは振動であった。音楽はそういうモノなのです。
 そうか、コトは振動していないけれど、モノは振動しているのか。だから、古くは音楽のことを「もののね」と言ったのだしょう。
 まるで地球誕生の瞬間を見るかのような音楽。そしてなぜか美しい孤独が現れて、長大なインプロヴィゼーションは終わります。
 バッハを出発点として、時間を自由に行き来し(結果としてバッハは折り返し点となっている)、音楽の、人類の歴史を聴かせてくれる、とんでもない楽曲ですね。
 続く2曲は、キースの「今」ですね。ジャズやブルースが、音楽史の上にどのように配置されるのか。このアルバムは明らかにしてくれているような気がします。
 私たちは何から解放されて、何から逃れられないのでしょうかね。解放されても縛られても、なぜか淋しいのが人間なのでありました。

Amazon パリ・コンサート

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2017.10.09

【討論】日本強靭化会議 (チャンネル桜)

 日、期待された経済学賞の発表があって判明しましたとおり、今年のノーベル賞は純粋な日本人の受賞はなし。
 何人か期待された人はいたんですけどね。残念です。まあ、文学賞のカズオ・イシグロさんは、日本人と言えば日本人ですが。
 ここのところ日本人科学者の受賞が続き、科学立国日本の復活かと思われましたが、ちょっといやな流れになりそうな気配ですね。
 というのは、科学者の間では、日本の科学界の未来は暗いと言われているからです。実際、何人かの知り合いから、「とにかくお金がない」という話をよく聞きます。そして、その結果、時間がない、人も足りないと。
 そのあたり、研究者の抱える現代的悩み、そして未来的憂いがはっきり現れていたのがこの討論です。
 今回のメンバー、なかなかすごいですね。誰がどうやって集めたんだろう。

河添恵子(ノンフィクション作家)
小池淳司(神戸大学大学院教授)
澤田哲生(東京工業大学先導原子力研究所助教)
高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
松原隆一郎(東京大学大学院総合文化研究科教授)
山下了(東京大学素粒子物理国際研究センター特任教授)

司会:水島総

 このメンバーに堂々と入っている河添さんもすごいですね。
 それにしても藤井さん、よくしゃべるなあ。テレビ慣れしている藤井さんと髙橋さんがほとんど喋っているという感じ(笑)。
 「投資」をどのように捉えるか。未来学的に考えることができるか。そこですね。特に財務省の発想を変えることができるのか。
 iPSの山中さんみたいに(山中さんでさえ!)、民間から「投資」を募るしかないのでしょうか。
 これは本当に憂慮すべき事態です。強靭化どころか弱体化ですよね。弱体化会議をしているのはいったい誰なのか?
 それから、今回の討論で特に素晴らしかったのは第3部でしょう。原発の問題について、非常に理知的な討論がされている。決して感情的ではない。原発反対派には、少なくともこの討論の内容を理解した上で反対してほしい。
 私も未来的には、今の原発、すなわち核分裂反応炉発電はゼロにしたい。核融合炉の実現に期待をしています。
 とりあえず現在の経済の状況、国際状況においては、原発の再稼働は必要と言わなければなりません。
 希望の党らの「原発ゼロ」は、ある意味私たち国民をバカにしています。
 リスクとリスクを天秤にかける…その勇気も必要でしょう。なんでもリスク回避社会からの脱却は可能なのか。学校もそうなっていますよ。人生自体もそうなっている。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」だったら虎穴に入らないという選択肢しかないわけです。

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2017.10.08

耐突刺性モデルローブ No.600 ニトリルモデル (エステー)

Th_71b5ifchbl_sl1033_ ってる!(笑)
 今日は静岡の両親のところに来ております。そこに、北海道でツーリング中の義兄より、ゴージャスな贈り物が届きました。
 花咲ガニです!
 嬉しいけれど、なにしろ食べるために解体するのが大変ですよね、花咲ガニは。痛いのなんのって。素手はもちろん、普通の台所用の手袋でも痛い。で、結局食べきれないで終わったりして。
 しかし、今日は奇跡が起きました!(笑)
 そんな贈り物か届くとは夢にも思っていなかったのですが、なななんと、私の車に「花咲ガニ用」とも言える、この手袋があったのです!
 なんで?…ですよね。いやあ、私もビックリですよ。
Th_img_1652 で、このように余裕で解体し、おいしい広島の日本酒「酔心」とともに美味しくいただきました。
 きっとこれには義兄も驚くのではないでしょうか。きっと痛がって食べる私たちの様子を想像してほくそ笑んでいたに違いありませんから(笑)。
 なにしろ、この手袋、上の写真にあるとおり、パッケージに花咲ガニがちゃんといるんですから。最強ですよ。
 実はですね、数ヶ月前に、新入り猫だった千代子の避妊手術をする時のこと、彼女がめちゃくちゃ暴れまして、こちらは血だらけになり、さらに予約していた動物病院には行けなくなるという事件があったのです。
 その時、猫の爪も牙も刺さらない手袋を、ということでこの製品をホームセンターで買ったのです。おかげさまで、簡単に猫もつかまり、無事手術も終えました。
 で、その手袋の優秀性に感心しつつ、これはきっと車の修理や整備の時に役立つなと思い、車のトランクに載せておいたのです。
 それがこんなふうに、本来の目的で使われるとは(笑)。
 全く不思議な偶然でありました。なにしろ、本来私は静岡には行かず留守番するつもりだったのですから。それがなぜか引き寄せられるように来た。そうしたら、花咲ガニが待っていたわけです(笑)。
 というわけで、実に快適に、新鮮な海の幸を堪能することができました。ありがたや。
 皆さんも、この手袋、ぜひ一家に1セット置いておいてください。いろいろな時に役立ちますよ。割れたガラスの処理とか。防災グッズの中に入れておいてもいいでしょうね。おススメです。

Amazon モデルローブ No.600 ニトリルモデル

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