2017.03.22

修学旅行2日目奈良

Th__20170322_13_15_20 連の「地球平和シリーズ」。やはりここで完結でしょうか。
 聖徳太子の命日であるお会式の日に、毎年法隆寺と中宮寺を参拝させていただいています。職権濫用とも言えますな(笑)。
 今日もまた、「八紘為宇」の夢殿で、強烈な霊感を得ました。苫米地さんに言わせると、こういう厨二病的思い込みというのは統合失調症…いや、統合過剰症らしいのですが、彼の言葉をそのまま使わせていただくと、いわゆる「order」(私の言うコト)にはまらない「disorder」(モノ)受信のためには、世間で言われる「過剰さ」が必要ではないかと思う次第です。なぜなら、それが事実とか真実とか科学的とかいうのを超えて、人を世界を動かしてきたからです。
 そういう意味では、仲小路彰の「夢殿の幻〜聖徳太子の救世悲願」に描かれている世界も非常に過剰に統合されていますね。だからこそ、訴えかける力があるのだと思います。
 ある意味、科学にせよ、文学にせよ、音楽にせよ、人間に与えられた「過剰なる統合意識」によって生まれたコトであって、しかし、いつも言うように、「コトを窮めてモノに至る」わけで、宇宙の真理に近づくための条件を得て私たちはどうすればよいのか、そう、ワイドショーレベルではない、もっと高次元の「興味」を持つべきなのではないかと思うのです。
Th__20170322_13_30_25 仲小路彰は、川添史郎の光輪閣を通じて、高松宮さま、そして高松宮妃喜久子さまを通じて、法隆寺、中宮寺とつながり、「本当の」グローバリズム、すわなち「八紘為宇」を構想しました。21世紀のために。
 いよいよ時代は21世紀となり、「偽物の」グローバリズムは衰退しつつあります。なるほど、まさに今こそ、彼の説いた「グローバリズムからコスミカリズムへ」の実現の時代なのかもしれません。
 そんなことを夢殿の中の救世観音さまと、中宮寺の如意輪観音さま(弥勒菩薩さま)からお伝えいただきました。中二病だろうと、統合失調症だろうと構いません。自分にとっては紛うことなき真実ですし、明らかに自我を超えたところでの理想だと感じていますので。
Th__20170322_12_48_44 お会式…まさに聖徳太子の「和」の精神を象徴していました。仲小路彰によれば、「和」は出雲のオオクニヌシの「和魂(にぎみたま)」。それが憲法の第一条。第二条が仏法。すなわち、日本古来の神道がベースになって、表面上仏教に譲っている(国譲り)ように見えるけれども、あくまでベース(無意識領域)は神道。縄文。
 お会式の音楽は素晴らしいですよ。表向き、すなわちお客様に見えるところでは、僧侶が経を諷誦し、聲明を歌いますが、その裏では伶人たちがずっと雅楽を奏しているわけです。
 同様に、法隆寺も中宮寺も、あるいは東大寺もそうでしたが、寺院は豪華絢爛で大規模ですが、その片隅に無名の神社が点在している。
 私たちの意識の上、すなわちコト領域では、仏教が主体で神道がオマケに見える。違うんです。モノ領域においては、明らかに神道の方が主なのです。
 コトはあくまで人間の脳ミソによる限定された世界。その他、無限の補集合がモノなんです。だから、逆に言えば、全然小さくて良いし、名前なんかいらない。それが神道の世界なのです。
 今日はそんなことを奈良で強く感じました。理屈ではないけれど、間違いないなと。日本はすごい。やっばり聖徳太子は厩戸皇子ではなく、聖徳太子ですよ。

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2017.03.21

修学旅行1日目広島

Th_img_9814 年、この時期は中学校の修学旅行の引率。コースも毎年一緒ですが、その年どし感じることが違うので面白いもので。
 今年は一昨日からの流れで、やはり日本の近過去の歴史と対峙する旅となりそうです。
 一日目は広島。宮島から平和記念公園へ。被爆者の方の講話をお聞きし、平和記念資料館へ。
 欧米の方、特に白人の方が多くてびっくり。昨年までとは明らかに様相が違います。
 これは言うまでもなく、オバマ前大統領の広島訪問と、そこでのあのメッセージ発信があってのことでしょう。オバマさんGJです。
 原爆投下から72年となろうとしています。あと四半世紀も経てば、被爆者の方も限りなくゼロに近くなることでしょう。これはしかたありません。
 その時、私たちはどうするのか。どうあるべきなのか。これが「歴史」の難しさであり、しかし一方でだからこその進化のチャンスでもあるのです。
 たしかに講話を拝聴し、資料に触れると、暗澹たる気持ちになります。二度と繰り返しませぬ…これは当たり前のことです。そこにとどまっていたら、やはり戦後は戦後のままでしょう。
Th_img_9810 私は、最近仲小路彰の思想に触れる機会が多い。彼の非常に未来的な考え方は実に魅力的です。あまりの未来的思考のために、おいおいさっきまで言っていたことはなんだったの?と思われてしまうほどです。
 昭和20年の8月、仲小路は実に彼らしく未来的な提言を多数出しています。政府に向け、軍隊に向け、皇室に向け、国民に向け。
 その一つが、「原子爆弾に就いて」という文書です。おそらく8月20日前後に作成されたものだと思われます(今、調査中です)。
 「幾十万の死傷者を出し、一瞬にして全都市を壊滅に帰せしめたる貴重なる広島および長崎の両都は、これをなるべく現状のまま保存して、あらゆる角度より百パーセントに活用し、もって人類を一大反省せしむる最も迫力在る活資料となし……」
 結果として、広島全都市が活資料となることはありませんでしたが、原爆ドームがこのように「現状のまま」保存されたことは、仲小路の提言の一部が実現したとのだと解釈しても間違いないでしょう。
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 そして昭和30年、坂倉準三ルートで仲小路の影響下にあったと言える丹下健三が、あのように哲学的にシンボライズされた平和記念公園を設計したのは、当然と言えば当然であったと言えましょう。
 そんな仲小路彰の思想、それも彼が21世紀のために遺した膨大なる「提言」を、この時代に世に出すことが、私の天命であると思っています。
 多くの尊き魂に背中を押されて、今、それを命懸けでやろうと思っているところです。

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2017.03.20

興亜観音〜瀬戸龍介さん春分の日特別公演

Th__20170320_9_23_41 海伊豆山に泊まった際には必ずお参りするのが、宿の目の前の山の上にある興亜観音。
 B級戦犯として他のA級戦犯たちとともに処刑された松井石根大将が建立した観音さまです(一昨年のこちらの記事参照)。
 昨日の河野壽さんの運命を変えた二・二六事件は昭和12年の出来事。よく言われるように二・二六事件から、日本は戦争への道を突き進んでいったように見えます(見えるだけで、二・二六事件が直接的な引き金の一つとは考えていませんが)。
 その昭和12年の12月、南京事件が起きます。それを指揮したのが名老将松井石根大将でした。
 今でもその事件の真相について喧々諤々の論争が絶えませんが、いずれにせよ、東京裁判ではその責任を押し付けられ、松井大将は死刑となります。
 松井大将は山中湖に別荘を持っていました。別荘でゆっくりしていた時に、南京戦の指揮官として自らに白羽の矢が立ったことを知ります。その時の苦悩は計り知れません。
 間接的にではありますが、松井大将と仲小路彰は関係しています。山中湖つながりということもありますが、のちの東京裁判に仲小路が秘策を投じたということを考えると、また不思議な縁というものを見出すことができます。
 今日、興亜観音の住職さまとそのことについて語り合いました。たまたま同席していた東京からいらしたという方とも、なんとも不思議なご縁があることが分かり、もうこれは間違いなく、霊的な力、松井閣下のお力添えによって、ことが動いているのだと確信した次第であります。
 たしかに昨年、興亜観音を参拝し、住職さまに初めて仲小路彰のことを語らせていただいてからというもの、あまりに劇的に何かが動き出しました。まさか1年でここまで進展するとは思わなかった。
 まったく不思議なことであります。これからもまた、私は霊界からたくさんのご支援をいただき、背中を押されて生きていくのでしょう。ありがたいことです。
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 さて、熱海をあとにした私たちは、富士山北麓に急いで帰って来ました。尊敬する偉大なミュージシャンであり、僭越ながら魂の友でもあると信じている瀬戸龍介さんのコンサートが忍野村であるのです。
 一昨日でしたか、瀬戸さんからお電話とメールをいただきお誘いいただいたので、家族全員でうかがうこととしました。春分の日の特別ライヴ。そして、忍野村では初めてのライヴ。瀬戸さんも忍野村に住んで10年となるのに、初めてとは私も少し驚きました。
 そして、これが本当にまた素晴らしすぎて言葉にならなかったのです。先日の万有引力「身毒丸」でお会いしたシーザーさんと同様、瀬戸さんもまた、あまりにパワフルで、若い若い。そして、世界に通じるホンモノの芸術家。
 分かっていましたが、深く深く再認識させられました。こんなすごい方と、私も何度か共演させていただいているわけですから(それも即興で)、なんとも自分の図々しさというか、ちゃっかりはったり力には恐れ入ります(笑)。
 音楽ももちろんですが、トークも良かったなあ。大東亜戦争の話もありましたね。原爆や特攻のお話。昨日からの流れにぴったり。
 そう言えば、興亜観音のご住職も原爆のお話をされました。そして、明日の今頃は、私は修学旅行の引率で広島にいるんです。修学旅行も毎年のことですが、ちゃんと考えてきなさい、感じてきなさい、祈ってきなさいとのお示しですね。ありがたい限りです。
 本当に、ご住職さま、瀬戸さん、ありがとうございました。魂のレベルが上がった気がします。そして行ってきます。


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2017.03.19

河野壽大尉自決の地

Th__20170319_15_34_37 日は新入生オリエンテーションのあと、家族で熱海へ。毎年恒例の山口家年度末慰労会であります。
 いつも贅沢なお料理とお酒、そして温泉を堪能し、来年度への英気を養わせていただいていますが、今日は宿到着前に不思議なことがありましたので、それに関することを報告しておきます。
 ご存知の方はご存知のとおり、ワタクシたち夫婦は一昨年の夏より、全く不思議なご縁で、80年前の二・二六事件に関わらせていただくことになりました。
 もう、本当に筆舌には尽くしがたい不思議なことや、辛いこと、そして奇跡なことや、感動的なことに見舞われてきました。
 今だから書けますが…家内は何度か死にかけています。車は2回ひっくり返りましたし(苦笑)。その発端となったのが(家内の)右腕の痛みです。首相官邸(すなわち現場の一つ)に行ったその日から始まった激痛。その後まる1年をかけて少しずつ謎が解け、事が運び、そしてそのたびに軽くなっていった痛み。
 今日その痛みが突然再発したのです。ある場所で…。
 その場所とは、目的の宿に着くすぐ手前。国際福祉大学熱海病院のあたりです。
 同病院はかつての陸軍病院(東京第一衛戌病院熱海分院)。二・二六事件で、光風荘にいた牧野伸顕元内大臣を襲撃し(て、失敗し)た河野壽大尉が入院し、そしてお兄さんが差し入れた果物ナイフで自決した場所です。
 実は昨年のこの旅の時に、二・二六事件と熱海という記事を書いているんですね。そこから1年後、こういうことになるとは…。
 家内が突然痛みを感じて思わず左手で右肩を押さえた時、前方の信号が赤になって私は車を停止しました。すると、そのすぐ右横に上の写真の案内標柱が立っていたので驚いたのです。
 いつか訪れようとは思っていましたが、どこにあるかは全然知らなかった。偶然とは思えない衝撃に思わず絶句してしまいました。
 さあ、ということで、ここからあの時代を巡る、魂の旅が始まることとなりました。明日以降の記事に続く。

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2017.03.18

テレマン 『四重奏曲変ロ長調よりアレグロ』

Quartet in B flat, TWV 43 B2

 常にピンポイントの曲紹介になりますが、けっこうこういうの好きなのであえて。
 テレマンというのは本当に多彩で多才な作曲家ですが、バッハやヘンデルといった後世的大御所と同時代に過ごしたからか、正統な評価をされてこなかった人だとも言えます。
 とかく多作家というのは軽く評価されがちですよね。寡作家の方がカッコよかったりする。しかし、多作というのもまた、一つの大きな大きな才能であり、数撃ちゃ当たる理論から言っても、名曲が生まれる確率も高くなってくる。
 テレマンも、気合が入った時はかなりすごい名曲を書きます。逆に手抜きもないではないけれども、それでも世の平均レベルは超えてくるからすごい。天才ですよ。
 私はどうも、いろいろなジャンルの多作家とつきあうことが多い。最初にはまったバロック音楽の作曲家も、実はテレマンだったりします。
 さて、そんなテレマンの数撃ちゃ当たるの中の一つがこの楽章なんですね。まあお聴きになって「えっ?これのどこが名曲なの?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、いや、これはワタクシ的にはすごい曲ですよ。分かる人には分かる。詳しくは書きません。感性でとらえてください(笑)。
 ついでに楽譜も見てみてください。テレマンにはヴァイオリン2本、ヴィオラ、通奏低音という編成の、すなわち、のちの弦楽四重奏を思わせる楽曲が何曲かあります。それらに先取的な名小品がけっこうあるんですよね。

 

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2017.03.17

『地学ノススメ』 鎌田浩毅 (講談社ブルーバックス)

Th_51zzvcqkdpl_sx314_bo1204203200_ 有引力…と言っても昨日の演劇実験室ではなく、本当の(?)万有引力の話題から始まるこの本。非常に面白くためになりました。
 意外に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、国語のセンセーをやっているワタクシは、実は地学の教師になろうとしていたのです。第一志望は某国立大学の地学専攻だったのですが、受験に見事に失敗して、なぜか文学部国文学科に進んだのがワタクシであります。
 まあ、今となってはですね、国語の先生で良かったと思うわけですが、相変わらず地学も好きでして、それが高じてとうとう富士山に住むようになってしまった。地震や火山、天文や気象に興味のある人間としては、富士山は最高の住処であります(笑)。
 そんなワタクシではありますが、たしかに地学の知識はあの頃の大学受験用の知識で止まっているかもしれません。つまり35年も前の知識なんですね。
 この本にも書かれているように、地学の教科書に載る知見は、数学、化学、生物、物理に比べて、ある意味非常に新しい。21世紀的であると。
 しかし面白いですよね。地層にせよ、化石にせよ、めちゃくちゃ昔の情報を研究している。天文学に至っては、超最先端の研究になればなるほど、どんどん古い情報と対峙するようになる。望遠鏡で観る星の光が何年〜何百万年前のものだというのは言うまでもなく、ビッグバンやそれ以前の研究となると、もうほとんど神話的な時間感覚にまで及んでしまう。
 そんなところが、地学の面白さでありましょう。どうしても、過去から学び、現在と未来に生かさざるを得ない。ちょっと歴史学的な、つまり人文科学的な「ロマン」とでも言いましょうか、そんな魅力がありますよね。
 鎌田さんのこの本は、そのあたりを非常に上手に表現しています。きっと鎌田さん自身もロマンティストなんだろうなあ。文章もお上手だし、語り口も人間を感じさせる。
 本来、そういう「人間」や「ロマン」などというモノを排除するのが科学のあり方だと思うのですが、昨日の「万有引力」がそうであったように、まさに「コト(情報・過去)を窮めてモノ(不可知・未来)に至る」世界がここにあるんですよね。
 だから、私は地学が好きなのだなあと、あらためて確認することができました。
 先日、私の「文系的地震予測」に対して、それこそ京都大学の某先生がずいぶんと辛辣に苦言を呈しておりましたが、正直、私は彼のことが心配ですよ(笑)。

Amazon 地学ノススメ

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2017.03.16

演劇実験室◎万有引力 『身毒丸』 (作=寺山修司、演出・音楽=J・A・シーザー)

Th_cfddcf_50fa38ac36de415bbc2d741a6 異的な体験でした。寺山修司の「身毒丸」。万有引力の舞台を堪能してきました。
 堪能では軽すぎる。作品とともに生きて死んだという感覚。本当に脳ミソがひっくり返り、人生が裏返しになりました。
 今回の舞台でも歌い手として非常に重要な役を務められた竹林加寿子さんとの不思議なご縁から、トントン拍子にことが進み、今日の観劇と相成りました。家族4人+寺山とは因縁深い(?)姉と5人での衝撃体験。
 う〜ん、言葉にならないというのは、まさにこのことですね。つまり、「コト」ではなく「モノ」世界なのです。まさに見世物、物語、物怪。
 姉の影響もあって、高校時代あたりから今に至るまで、なんだかんだ私の人生に大きな影響を与え続けてきた寺山修司。私が今、歌詠みの端くれとしてなんとかやっていけているのも、まさに寺山のおかげですし、私の短歌の師匠である笹公人さんも寺山に心酔し続けてきた方。全く不思議なご縁です。
 と言いつつ、恥ずかしながら、実は寺山作品を舞台で観るのは初めてでした。これははまりますね。中二と高二の娘二人もすっかりはまってしまいましたし、家内はやはり北東北出身ということで、私たちよりもより深い根源的なところで共感してしまったようです。姉は寺山熱がウン十年ぶりに再燃したようですし。
 それほどすごいパワー、エネルギーだったのです。寺山は言葉を操る天才ですが、結果として、その言葉たちは吹っ飛んでしまう。「コトを極めてモノに至る」そのものですよ。
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 コトが吹っ飛ぶから、自分も単なるモノになってしまう。異形という判断、あるいは定義も単なる常識的な「コト」ですから、しまいには、舞台上の「モノ」が正常で、こちら側(観客たち)が異常であるという感覚にもなってしまう。最後客電が点いた時、本当にそう思いましたよ。
 私たちが大人になって身につけてしまった「コト」というある種の安定規格を揺さぶる、前近代的(プリミティヴ)な、そして幼児体験的な「モノ」。
 もちろん、それを現出させるJ・A・シーザーさんの演出、さらには彼の「モノの音」たる音楽。いやあ、本当にすごい人だ。寺山も納得でしょう。
 …と思っていたら、なななんと、終演後の打ち上げ(反省会?)で、竹林さんからシーザーさんを紹介していただき、お話させていただき、握手までしていただきました!なんという幸運でしょう(涙)。
 当然、昨年某所で発見した寺山版「HAIR」のシナリオをお見せしました。ぜひ「初演(!)」しましょうと。もしこれが実現したら、大変なことになりますよ。1969年当時ボツになった、あの過激なシナリオが21世紀に舞台化される。
 私自身も何かに突き動かされているような気がします。それを確認するのに充分すぎるほどの衝撃的爆発的なエネルギーを感じる舞台でした。
 シーザーさん、万有引力の皆さん、そして寺山修司さん、本当にありがとう。人生は面白い。

追伸 こちらもぜひお読みください…J・A・シーザー&ヒロイン蜂谷眞未インタビュー

万有引力公式

竹林加寿子さん公式

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2017.03.15

報道特注(右) 『韓国の横暴…慰安婦のウソ!少女像のモデルは慰安婦じゃなかった!』

 日の続き。私の立場と態度は昨日書いたとおりです。
 さて、この番組の中でも批判されている、宮城県の大林寺にある安重根記念碑の話ですが、もう一つ日本国内にあった安重根碑、佐賀県にあったものはこのたび撤去されたのだとか。
 安重根についての評価は、実は難しいんですよね。
 日本の初代総理大臣伊藤博文を暗殺したと言うだけなら、これはまあテロリストですね。しかし、当時もですね、実は安重根を高く評価する日本人はけっこういたんですよね。特に右翼。
 私が多少研究している「汎アジア主義」者なんかは、けっこう評価している。
 あと、これは結構タブーな部分ですが、安重根が裁判で語った暗殺理由の一つ、「伊藤博文は孝明天皇を暗殺した」というのも、当時からウワサされていたことです。
 もしこれが本当だとすると、伊藤こそ大逆賊ということになるわけですね。実は出口王仁三郎関係でも、それを示す「証拠」が出てきているんです。やばいですよね。
 そうそう、戦後になっても野村秋介が安を高く評価していました。いろいろ裏の事情も知っていたのでしょう。
 安重根と伊藤博文、それこそ立場によって正反対の評価をされる歴史的人物ですね。

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2017.03.14

藤井厳喜 『従軍慰安婦の全貌ー韓国と反日勢力による捏造の実態を暴く』

 日は藤井厳喜さんが語る「いまさら聞けない従軍慰安婦の全貌」という動画を観ました。それは限定公開された最新の動画でしたが、そこでも紹介されていた4年前のこちらの動画を紹介します。
 藤井厳喜さん、実は未来学者でもありますし、実際仲小路彰について語ったこともありますし、それより何より「ネコウヨ」ということで親近感がわきます(笑)。きっと話が合うと思います。
 この動画、非常によくまとめられていて、分かりやすい内容だと思います。
 先方の言い分は、直接先方から、そしてなぜか国内のメディアから、いやというほど聴かさせらているので、こうした「こちら側」に立った、ある意味客観的、科学的な論もしっかり聴いておいた方がいいでしょう。それでようやく私たちも公平な判断ができます。
 もちろん、歴史、特に戦争に関する歴史は、最低でも勝者敗者の二つの視点があって、それによって「感情的」に多様な解釈が存在することになり、結果としてお互いが「極論」に、場合によっては「捏造」に走り、それらがまるで戦争の延長のように衝突し続けるということは、まあ普通にあることです。
 しかし、どちらが正しいかを論ずること自体が、戦争が始まる際のお決まりの種になるので、私は実はそこをあまり重視しないんですね。だから怒られることが多いし、昨日の話ではありませんが、「トンデモ」と言われたり、非科学的だと言われたりすることも多い。
 私は、いつかも書いたとおり、たとえ嘘やハッタリや捏造であっても、それが人の心を動かし、国を動かし、場合によっては戦争をも引き起こしてきたという「事実」に注目したいのです。そちらの歴史に興味がある。
 なぜ、人は嘘までついて戦争したがるのか。極論すればそういうことです。
 ですから、今の従軍慰安婦問題についても、腹が立ったりする以前に、そういう視点で興味が出てきてしまう。
 こちら側、すなわち藤井さんのこの語りについても、どちらかというと「そうだ!そうだ!」と言うのとは、ちょっと違う感覚で捉えてしまうんですよね。これはもうサガなのでしかたないかなと思っています。皆さんはどうお感じになるでしょう。ぜひご覧ください。

 英語版もありますよ。

藤井げんき公式

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2017.03.13

『反知性主義と新宗教』 島田裕巳 (イースト新書)

Th_61psmaaaikl 日は島田裕巳さんとも懇意だという某出版社のカリスマ編集者の方と日本酒をがっつり飲みました。
 紹介してくださったのは、仲小路彰関係で知り合った方々です。また面白いご縁をいただきました。
 本当にいろいろな話をさせていただいたのですが、その中でこの本の話も出てきました。反知性主義そのものについて。また、生長の家を筆頭とする大本系宗教団体、日本会議、創価学会、天理教、松下幸之助、田中角栄…この本で紹介されている人々や団体が、出口王仁三郎や仲小路彰に深く関わっている人ばかりだという話などなど。それからオウムのこと。
 なるほど、この本のようにまとめていただきますと、私の今までの研究対象というか、人生そのものが、結局のところ「反知性主義」だったということになりそうです。納得です。
 いわゆる「知性」や「知識」よりも、「知能」あるいは「霊性」重視する。たしかに王仁三郎や仲小路は、純粋な学問の世界にはとても収まりきらない、妙なスケールと質感があります。
 それをもって、彼らは、そしてそれが好きなワタクシも、「トンデモ」というレッテルを貼られることもあります。いや、それも分かるんです。自分にも多少の「知性」はありますから。知性側からすると、まあ面倒くさい、変な人でしょうね(笑)。
 しかし、やっぱりそこにこだわりたい。なぜか。たぶん、「知性」で評価される学校という世界において、あまり居心地が良くなかった(成績が良くなかった)からでしょうね。学歴コンプレックスもありますし。
 なのに、こうして学校の教師になっているのも変と言えば変ですよね。まあウチの学校は、それこそ朝比奈宗源の息のかかった禅宗系の学校ですから、決して「知性主義」ではありませんが。だからやっていけるのか(苦笑)。
 私の「モノ・コト論」で言いますと、知性は「コト」です。反知性は「モノ」。モノと言っても、もちろん物質という意味ではありません。不随意、不可知、他者を表わす言葉です。いつも言うように私は「コト」よりも「モノ」を重視してきました。あるいは、「コト」を窮めて「モノ」に至るという意味での「コト」には非常に大きな価値があると思っている。
 結局のところ、明治維新以来の「コト」化…有り体に言えば近代西洋化…社会に対する、ある種の反発としての、王仁三郎のような新宗教であったり、あるいは仲小路のような「新哲学」であったりしたわけで、そういう意味では、それらは「新」であるけれども、ものすごく保守的であったり、「新」どころか「みろくの世(超未来)」的であったりしたのでしょう。
 この本を読んで、いろいろ納得しましたし、とっ散らかっていた頭の中がずいぶん整理されました。島田さんに感謝です。
 昨日の編集者さん、島田さんをいつかご紹介くださるとのこと。とっても楽しみにしております。

Amazon 反知性主義と新宗教

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