2009.07.05

国分寺チェンバーオーケストラ・コンサート2009

リハの休憩中に↓
0326 日は、彩の国さいたま芸術劇場・音楽ホールにて、国分寺チェンバーオーケストラの演奏会にエキストラとして出演してきました。
 KCOの皆様におかれましては、前回ベートーヴェン演奏中に弓を折るという、とんでもないご迷惑をおかけしたワタクシを再び使ってくださり、本当に感謝にたえません。
 昨年の、音楽史上に残る(?)悪夢については太宰のいたずらとして処理いたしましたが、のち、その太宰とはいちおう和解をしたはずですので、再びそのようなことはないと固く信じておりました。
 さて、今回は無事に終了することができたのか!?
 本日演奏したのは3曲。

 モーツァルト/交響曲第25番ト短調
 ハイドン/協奏交響曲変ロ長調
 シューベルト/交響曲第4番ハ短調『悲劇的』

 結果から申しますと、まあ個人的には多少「悲劇的」な部分もありましたけれど、全体としてはなかなかいい演奏ができたのではないでしょうか。
 団員の皆さんの、本番での集中力、そして楽しもうとする姿勢には、仲間に入れてもらいながら、正直感動いたしました。そういう一体感がお客様にも伝わったのではないでしょうか。
 そういう意味では、団員の皆様とともに、やはり指揮者の坂本徹さんの力による部分も大きかったと思いますよ。
 この前の小澤征爾さんのインタビューじゃありませんが、やっぱり最後は音程とかリズムとか機械的なアンサンブルとかではなく、「心」です。坂本さんも最後はとにかく「音楽的であれ!」ということをおっしゃってましたっけ。そう、あらためて思いましたね。お客様に伝わるのは、そうした演奏者の「心」の一体感なのであると。
 小澤さんの言葉で言うなら、指揮は「invite」であるということです。我々演奏者たちは、指揮者によってある一点に誘われ、収斂していくんです。そこに音楽のエネルギーが生まれるのでしょう。
 普段、指揮者のいない比較的少人数のアンサンブルをする機会が多い私としては、最近のこういう体験は、また格別の新しい音楽体験です。この歳になって、そちら側の世界の面白さもわかるようになりました。密かに私も近代化してるのかな、ようやく(笑)。
 また、今回の演奏会を通じて、作曲家自身が望むこと、すなわち彼らの曲を作るという行為の究極の目標というものも、そういう世界の実現なのではないかと思いました。
 我々は、数百年前の外国の人間が残した「楽譜」という情報にいざなわれ、演奏者が集い、指揮者のもとに一つの到達点に向けて、それぞれのベクトルが合成されていく。その結果も、またプロセスも、とってもエキサイティングなものですね。
 小澤さんが言ってましたっけね、団員の7割が納得すれば、まあまあそこそこの演奏になると。100%ということはないと。たしかにそうでしょう。もちろん、解釈やセンスの違いはたくさんあって当たり前です。気持ちのノリというのも日によってまちまちでしょう。それを互いが協調し、ある意味妥協したり、助け合ったりしてですね、一つの形に仕上げていく。それが最終的に出来上がる音楽のエネルギーにつながっていくんじゃないでしょうかね。
 つまり、最初からみんなが納得し、ある意味みんなが同じ意見だったり、あるいは指揮者の言いなりになっていたら、それはもしかすると、コンピューター音楽のように味気ないものになってしまうのかもしれません。
 大勢が集まって一つの音を出した時、それは多様な音色や音程の集合体ですよね。加えて、それぞれ別個のヴィブラートで音程をずらしたりすることによって、あえてうなりを生じさせたりします。また、ホールの残響によっていろいろな音が混じり合っているわけで、そういう意味では、常に不協和音が鳴っているという理屈になります。しかし、そうして、力のある「音」が生まれるのは絶対的な事実ですよね。心を動かす響きというものが生まれる。なんでもかんでも純正調で完璧な音程を重ねればいいというものではありません。
 人間というのは面白いものですね。そうした、ある種の不協和によって快感を得るわけです。それは、先ほど述べた解釈や気分の総合の際にも言えることなのでした。本当に不思議ですね。
 小澤征爾さんも、ようやく最近、アンサンブルが崩壊しそうになるところまで、感情表現できるようになったと言っていました。それが感動を呼ぶと。つまり、あまりに行儀が良すぎても人間味がないということですよ。私の仕事の上でもそうですね。完璧な優等生ほどつまらんものはない(笑)。
 もちろん程度問題ではありますが、こういうある種の雑音やある種の衝突、ある種の混沌を超えて、それを束ねるエネルギーが生じた時、我々は感動するということが多々あるような気がします。そういう意味では、我々アマチュアが有利な面もあるんですよね。
 私が常々言っている、「コト」という器から溢れ出る「モノ」のエネルギーという考えが、その現象にあてはまるとも言えますし、逆に暴れる「モノ」を束ねる「コト」の存在に我々が感動するとも言えるような気もします。
 いずれにしても、「コト(意識・随意・情報)」と「モノ(無意識・不随意・自然)」とのせめぎ合いが、芸術や文化の源泉であるのは間違いないようです。
 後半のシューベルトを演奏中、そんなことを思いついてしまったので、ついつい「悲劇的」になっちゃったんですよね。ごめんなさい。でも、なにか大切なことを学んだような気がします。シューベルトさんやハイドンさん、モーツァルトさんはじめ、皆さんのおかげです。ありがとうございました。慣れない異種格闘技戦で疲れましたが、とっても楽しかった。これもまた他者との出会いの歓びだったのでしょう。

国分寺チェンバーオーケストラ公式

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2009.07.04

三沢光晴さんお別れ会~DEPARTURE~(献花式)

2009070400000014spnavifightview000 2万6000人の思い。
 本当は駆けつけなければならなかったのですが、仕事と明日のコンサートのリハーサルとに挟まれた短い時間では無理と判断、カミさんと教え子たちに全てを託して行ってもらいました。
 のちほどカミさんから詳しく報告してもらいます。
 というわけで、のちほどカミさんのmixiの日記をそのまま引用させていただきます。
 当日カミさんは、私の教え子にして元芸人、そして昨年のネット・プロレス大賞で最優秀興行賞を獲ったキャンプ場プロレスの主催者である双子くんと合流。そこに、ドラディションの吉江豊選手のお兄さんにして彼らの芸人仲間でもある、ワハハ本舗のよしえつねおさんもいらして、4人で思い出話やプロレスの今後について、大いに語り合ったとのこと。途中、キャラバンの仲間にも遭遇したり、並んでいた3時間がとても短く感じたようです。
 皆さんの、三沢さんやプロレスにかける思いが集結した、哀しくも素晴らしい一日になったということでした。やっぱり私も行くべきだったかなあ。
 懸念された天候も、暑くもなく寒くもなく、ちょうどよい曇り空だったようで、これもきっと三沢さんのファンへの心遣いなのでしょうね。ディファ有明周辺の豊かな緑の全てが、三沢さんのエメラルド・グリーンのように輝いていたそうです。
0321 ちなみに私は、三沢Tシャツを着て、そしてノアのエナメル・バッグを肩にかけ、翌日の演奏会の最終練習に向かいました。折れない心でどんな相手とも真っ向勝負した三沢さんの姿勢にならい、異種格闘技戦となるシューベルトに臨んだのでありました。実は、昨日までどうもシューベルトに対して気持ちが乗らなかったのですが、それが嘘のように楽しく演奏できました。これも三沢さんのおかげです。ありがとう!三沢さん。
 では、あとはカミさんに譲ります。


東京の有明、三沢さんの献花式に行ってまいりました。

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子どもたちは、よくよく考えて、知人にあずかってもらいました。

2時、最後尾に並んだ時は、会場の最寄り駅から一駅以上いったところ。
ゆりかもめが着く度にその列はどんどん伸び、さらに長い列になった
ようでした。三沢さんがいかに慕われていたか、嬉しくもなりました。

暑さや雨が心配された中、曇り空に心地よい海の風、ずっと緑に覆われた
道端にはとんぼが飛んでいたり、まだまだ臨海地区は自然がいっぱいで、
とくにお子さん達と親御さん方は、少しでも、救われたと思います。

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三時間後、建物の中へ・・・。始めてのディファが三沢さんへの別れを
言う場所になりました。リングのそばにお花を置いて、家族4人分
心を込めてお祈りし、目を赤くした小橋さん方に見送っていただきながら、
この場を後にしました。

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暗くならないで! 前向きに行こう!!
そう言われた気がしましたね。
DEPARTUREという名前はまさに、三沢さんらしいなあ!!


ニュースによると、2万6000人が訪れたとか。帰る時もまだ、列は
伸びていました。

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2009.07.03

キツツキ(てらつつき)

250pxdendrocopos_major_3_marek_szcz の季節、年中早起きのワタクシは、いつに増してまた早起きになります。もちろん日が最も長い、すなわち日の出の時刻が早いというのも一つの理由です。3時半には薄明が始まり、ああ朝だなという感じになりますから。
 しかし、それ以上の早起きの理由があります。4時ちょい過ぎに目覚ましが鳴るからです。いやいや、目覚まし時計ではありません。天然の、自然の目覚ましであります。
 トントン、トトトト、トン、トン、トトトトトトトトトトトトト…。
 そうなんです。キツツキがウチの外壁を叩くんです。これがまた大音量でして、これで起きないのはウチのカミさんくらいのものです。
 ウチは総杉の外壁ですので、まあたしかに「木」ではありますが、人のウチに穴をあけてウチを作ろうとするのはどうかと…。
 で、その荒っぽいノックの音がしますと、以前はウチの自宅警備員である黒猫たちが、すわ出動とばかりに窓辺でウ〜ウ〜うなってくれたんですが、さすがに家の外の高所ということで、どうにもウ〜ウ〜以上のことはできませんよね。最近では、カミさんといっしょに、耳をぴくりともさせず寝ています。
 このキツツキ、正確に言うと「アカゲラ」だと思います。富士山麓では、キツツキ目・キツツキ下目・キツツキ科・キツツキ亜科としては、アカゲラやアオゲラ、コゲラなどをよく見かけます。どれもとってもカワイイんですけどね、やることはけっこう荒っぽい。
 で、だいたい百回くらいつついてみて、これはどうも普通の木ではないなと思うのか(もっと早く気づけよ!)、傷だけつけて去っていくんですよね。ただ、数年前、かなり根性のあるキツツキが来まして、屋根の裏側にとうとう穴を空けてしまいました。その後なんだか屋根裏で運動会のような音がしてましたから、まじで営巣したのかもしれません。最初はネズミとかヤマネとかかなと思いましたけど、どうもあれは鳥だったらしい。穴を板で塞いだら、運動会も止みましたので。
 ところで、このキツツキ、漢字で書くと「啄木鳥」であるのはよく知られていますね。石川啄木はこれです。ちなみに正岡子規はホトトギスですね。
 この「啄木鳥」ですが、調べてみますと、昔はどうも「キツツキ」ではなくて「テラツツキ」と読んでいたようです。すなわち「寺つつき」。
 10世紀の辞書には「てらつつき」しかありません。それが15世紀以降になると「けらつつき」が現れ、近世になってようやく「きつつき」が定着しはじめます。
 「てら」が「けら」になる音韻変化については、ちょっと説明が難しくなるので割愛しますが、その「けら」がアカゲラなどの「けら」として残っているんですね。
 で、「テラツツキ」については、面白い説話が伝えられています。
200pxsekienteratsutsuki 13世紀の名語記という書物に、「鳥のてらつつき如何。答、寺つつき也。ゆへは、聖徳太子の逆臣守屋を誅罸し給て、守屋が館を没官して、四天王寺を建立し、仏法をひろめ給へりしを、守屋が亡魂そねみて、鳥となりて来て、かの寺をたたき損せむとせし時より、寺つつきとなづけたりと申す」とあり、また同時期の源平盛衰記にも、「昔、聖徳太子の御時、守屋は仏法をそむき、太子はこれを興し給、互に軍を起しゝかども、守屋終にうたれにけり。太子仏法最初の天王子を建立し給たりけるに、守屋が怨霊、かの伽藍を滅さん為に数千万羽の啄木鳥と成て、堂舎を創ほろぼさんとしけるに、太子は鷹と變じて、かれを降伏し給けり。されば、今も怨霊はおそろしき事也」とあります。
 つまり、反仏教派にして政争に破れた物部守屋が、その恨みをはらすためキツツキになって、寺をつついて壊そうとしたということです。
 けっこう地味な報復行動のように見えますが、たしかにやられる側としてはたまりませんね。あの音を聞くだけで恐怖です。安眠できないし。
 鎌倉以降、仏教が大衆化して、仏教に対する恨みというものが消えていく中で、「テラツツキ」という名称も消えていったのでしょうか。ちなみに「ケラ」は「おけら」の「ケラ」、すなわち「虫」を指すという説もあります。そして江戸時代にはキツツキとなっていくわけですが、この「寺」→「虫」→「木」という変化には、意外に深い意味があるかもしれませんね。また、江戸時代には、さきの守屋の怨霊譚から「てらつつき」は妖怪として物語化されていきます。これらの変遷は、日本人の精神史を象徴しているとも言えますね。
 私はまるで坊主のようななりをしていますから、守屋が勘違いしてつつきに来てるのかな。心はどちらかというとモノノベ派なんですが(笑)。てか、ウチは完全に習合してますからね。どうかお手柔らかに。
 それにしても、「屋を守る」名を持つ人が、家を壊してるなんて、なんとも因果なことではありますね(笑)。

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2009.07.02

石原吉郎 『海を流れる河』

2 日3年生は芸術鑑賞で東京へ行ってます。劇団四季の「異国の丘」です。
 私は留守番。副担任の分まではチケット取ってくれません(笑)。非常に残念。なぜなら、「異国の丘」の音楽は三木たかし先生の担当なのです。
 10年ほど前に観た四季の「ユタと不思議な仲間たち」も、音楽は三木先生だったんだよなあ。もちろんその時三木先生はお元気でしたから、それほど意識しませんでした。そういうものなのですね。
 5月からMショックが続きました。三木たかし先生三沢光晴社長、そしてマイケル・ジャクソン様です。それぞれ失ってから再確認する偉大さ。亡くなってから気づく自分を形作ったM体験。
 人は喪失という体験をしなければ、世界の存在や本質に気づかないのでしょうか。そして、ふだんはそうした自己の他者依存性を忘れて生きているのでしょうか。
 それを意識して一期一会の瞬間を大切に生きよと、お釈迦様はおっしゃったんでしょうかね。
 さて、今回3年生は、その「異国の丘」を鑑賞したわけですが、内容がシベリア抑留を舞台とするものということで、彼らには少し難しかったと言いますか、暗い、あるいは渋い作品だったかもしれませんね。
 そう、シベリア抑留のことって、なかなか教える機会がないんですよね。戦争自体については、なにかと公教育でも触れてきますし、ある意味必要以上というか、思想的な偏りも含めて教えられてきています。生徒と戦争の話をしますと、相変わらずステロタイプな教育を受けてきているなと感じるものです。
 ま、それについては私はグダグダ言う立場ではありませんし、だいいち戦争を語れる世代ではありませんので省略。
 で、そのシベリア抑留について、この機会に予備知識くらいは生徒たちにインプットしておこうと思いまして、少しだけ歴史的事実をしゃべった上で、こんな問題を解かせてみました。中央大学法学部の過去問です。けっこう難しいです(冷汗)。
 でも、本文自体は、なかなかいい、重い文章ですから皆さんもぜひどうぞ。


 フランクルの『夜と霧』のなかに、ある日、美しい日没を見た囚人が、「世界ってどうしてこうきれいなんだ」とつぶやく場面がある。この容易ならぬ場面で、一人の囚人の口をついて出たこの「どうして」という疑問詞に心を打たれたことがある。もちろんこれは問いというよりは、意味のない嘆声といったほうが正しい。だがその無意味さの故に、この言葉は重大な問いとなりうる。幼児はその無垢な関心の故に、しばしばこのような根源的な問いを発する。
 私が心を打たれたのは、およそ不条理なものへの、思いもかけぬ糾弾が、この言葉を背後からささえていると感じたからである。
 この「どうして」に答えられるものはいない。というよりは、どのような答えも納得させることのできない問いである。
 私の経験では、このような嗟歎には、多くのばあい人間的な感動がともなわない。実際、強制収容所の囚人にとって、彼らの現実にもかかわらず世界(自然)が美しいということは、それ自体がパラドックスであり、やりきれない現実であって、あと一歩で嗟歎は敵意に変わりかねない。それは、いってみれば無責任きわまる美しさであって、自然のその無責任にまさに対応するかたちで、人間の側の無感動がある。そこでは、感動を欠落したままで美が存在しており、人間が自然と対峙するのは、いわば無感動の現場においてである。
 極度に無感動をしいられた環境で、唐突に、そしてひときわ美しく自然がかがやく時がある。その美しさは、その環境にとってはむしろいぶかしい。「どうして」という問いは、そのいぶかしさへのまっすぐな反応である。たぶんそれは、無関心なるが故の美しさという、ある種の絶望状態への反証のようなものであろう。およそ人間に対する関心が失われても、なお自己にだけは一切を集中しうるあいだはこのような問いは起こらない。自己への関心がついに欠落する時、そのとき唐突に、自然はその人にかがやく。あたかも無人の生の残照のように。
 感動をともなわぬ美しさとは奇妙なものだ。それは日常しばしば出会う、感動する程ではないという美しさとはあきらかにちがう。感動する主体がはっきり欠落したままで、このうえもなくそれは美しい。そしてそのような美しさの特徴は、対象の細部にいたるまではっきりと絶望的に美しい、ということである。いわばその美しさには焦点というものがない。
 感動とは、情動の最も人間的な昂揚であるから、感動をともなわない美しさとは、いわば非人間的な美しさといわざるをえないが、しかしこの、非人間的であることの最大の理由は、見られるもの、たとえば自然の側にあるのではなく、見る人間の側にある。見るものの主体、感動の主体が欠落しているのである。
 人は戦場で、しばしばこのような美しさに、面をあげた瞬間に向かいあう。ミンドロ島の戦野を彷徨した大岡昇平氏に、いきなり向きあった緑の美しさはその例であろう。この美しさは、おそらく荒涼と記憶され、荒涼たるままで回想の座へ復帰する。違和そのものとしての復帰である。
 昂揚をもって戦場の生を終わらなかったものが、もしかろうじて殺戮の場をうべなえるとしたら、それはこの、主体が故意にはずされた美しさによってである。私たちが永遠に参加できないことによって、たしかに美しいという瞬間はあるのだ。いわばそれは、美しいものの側から見捨てられた、美しい瞬間である。
 敗戦後の一時期を私もまた、この無感動の現場ですごした。二十五年囚として私が収容されたのは、東シベリアの密林地帯、バム(バイカル・アムール)鉄道沿線の強制収容所である。強制収容所という場所は、外側からは一つの定義しかないが、内側からは無数の定義が可能であり、おそらく囚人の数だけ定義があるといっていい。私なりに定義づければ、そこは人間が永遠に欠落させられる、というよりは、人間が欠落そのものとなって存在を強制される場所である。しかし、こういう奇妙な存在の仕方が あることに思い至ったのは、それから二十年たってからである。
 この時期の私たちには、すでに生き方の問題はなかった。生き方に代わって、生きざまだけが際限もなくあった。私たちの行動を支配していたのは倫理ではなく、不安であった。倫理というものが仮にもしあったとしても、それはもはや人間のなかにではなく、自然のなかにあったとしかいえないだろう。
 自然といっても、そのほとんどは樹木であったが、私たちの目に映った樹木の、その明確な存在の仕方は、まさに倫理そのものといってよかった。これほど明確なものを、それまでの人生に、いくつ私は見ただろうか。そして私たちが、仮にもしその時の行動にやましさをおぼえたとしても、それは人間に対してではなく、自然のその明確さに対してであったといわなくてはならない。
 そしてこの無感動の現場で、幾度となく私が出会ったのは、このような自然の、とりつく島もないような美しさであった。
 感動と、極度の無感動との一つの相似点は、そのいずれにも言葉がないことである(もっとも、このいいかたはあまり正確ではない)。ただ、感動においては、すでに存在している言葉を状況が一挙に追いぬいてしまい、言葉が容易に追いつけないでいるのに対し、無感動にあっては、状況をなぞるべき言葉が文字どおりない。いわばそれは、そのままに失語状態である。精神状況の集約的なあらわれとして失語状態があることは、無感動の現場という人間不信の体系の大きな特色である。
 倫理が人間を追い切れぬ場所で、私はこの不気味な美しさに出会った。声もなく立ちふさがる樹木の高さは、私にはそのまま糾問の高さに見えた。人間のすべての営為が、だらけ切った、自己弁護の姿のままでのめりこむことを、はっきりと拒む自然の姿と私には映った。自然は圧倒的な「威容」として、私の目の前にあった。それはついに、おびやかす美しさであったのか。その不気味さにあらためておびえたのも、その二十年後である。
 おそらくは私に、体験の、主体からの自立が始まっているのではないか。そして、私が、体験を体験として、追放する時が来ているのではないか。私はそう思う。


 いかがでしたか。二種類の失語。無感動の現場。無感動の美。極限状態での人間疎外。自然の残酷な完璧さ。いろいろ考えさせられますね。
 私はちょっといじわるにですね、生徒たちには、「劇団四季で感動したら、その感動はフィクションだぞ。現実はこうなんだから」と話しました。やなセンセイだな(笑)。
 私は、個人的に、「もののあはれ」ってこれかなと思いました。「もののあはれ」の「もの」を、私はかねがね「不随意・不如意・自己の外部」として説明してきましたが、あるいはその延長としてこのような極限状態での無感動の美のことを指しているのかもしれないなと予感したのです。
 そう考えると、我々現代人や、江戸時代の本居宣長が、「もののあはれ」をなかなか理解できないのも分かるというものです。命と美が同次元で対峙する瞬間はそうそうあるものではありませんから。
 そうか。自然はいつも極限状態で生きているのか。だから美しいのかもしれない。

Amazon 海を流れる河

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2009.07.01

『SONGS〜椎名林檎』 (NHK)

2 じさまたちがフル活動!男を生かす、活かす、逝かす女は最高という結末。
 先週の分の録画と今日の放送と、続けざまに観ました。この前、「三文ゴシップ」の記事で書いたとおりのことが、NHKでドラマ化されました…っていう感じでしたね。斎藤ネコさんも市川秀男さんも松尾スズキさんも、みんないい表情で逝ってました(笑)。素晴らしい。
 椎名林檎という魅力的な女。この女の魅力は、まさに堂々と女であることにあるのであって、それ以外にはありません。
 その堂々と女であるということは、ある種のウソ臭さを伴います。しかし、松尾スズキとの対談にもあったように、そのフィクションが、あるリアル(本質)に基づいているから美しいのです。そう、ちょうど松尾スズキが慈しむ雌猫のように。
 ううむ、今回はNHKのスタッフというおじさんたちまで見事に活かしきった椎名林檎でありました。もともとNHK好みの彼女であり、ハイクオリティーなSONGSという番組ではありますが、ここまでしっくり活かされると、それは観て聴いている私たちおじさんまでが、やっぱりその気になってしまいますね。おかげで私、目がさえちゃいましたよ。
3 彼女の語ることって、結局ニーチェの言う「女が最強!男の理屈なんか屁でもない!」なんですよね。それを体現してしまって、男は彼女の前ににこやかにひざまずくし、女は溜飲を下げるわけです。
 今読んでいる松岡正剛の本でも、彼女はほとんど神扱いされてます。セイゴオさんもまた逝かされちゃってるわけです。あんなに男らしく文化を語れる世界人をも軽く呑み込んでしまう女神っていったい。いや、男らしければ男らしいほど、あのフィクショナルな母神の子宮の中へ、再び放り込まれてしまうのでしょう。いやはや。
 おそらく私はそれほど男らしくないので、彼らほど強烈に彼女に引き込まれません。それがちょっと悔しいのですが。
 それでも、よく分かります。インタビューや対談のように、いわゆる日常語で語る彼女が、ものすごく普通で、ものすごくちゃんとした社会性があって、ものすごく常識もあるってこと。それがステージに立ち、マイクの前に立つと、見事にシャーマンになる。そのギャップ、ツンデレ感、いやデレツン感、それがすなわち「女性性」であり、また、「女神性」であることが。
 ベースに絶対的な安心あっての、男心の冒険が始まるわけです。いわば母性の上でのすさびという安定的男性状態なわけですね。男は母の胸の中で思いっきり男になれる。特に現実的な母性が遠い記憶となりつつある「おじさま」たちにとっては、それはほとんど本能的な希求の稀なる実現であります。
 なんて、こんなふうに、男に語らせたくなる女なんですよね。ウチの黒猫みたいなもんです。参ったな。
 いちおう、二夜にわたる神話的ライヴの曲目を記しておきましょう。

第一夜
 ありあまる富
 丸の内サディスティック
 罪と罰
 二人ぼっち時間

第二夜
 密偵物語
 流行
 歌舞伎町の女王
 旬

SONGS公式

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2009.06.30

告知!!マンハッタン・ジャズ・クインテット&富士学苑高校ジャズバンド部 スペシャルジョイントライヴ

MISO with MJQ
Kouen_page_0824_mjq 〜ぉ!ついにここまで来たか…というか、いつのまにここまで来たの?という感じでしょうか。8月24日、我らがMISO(富士学苑高校ジャズバンド部)が、あの!MJQとジョイント・ライヴをやっちゃいます。
 昨日の小澤征爾さんでも感じましたけれど、ある種のこだわりのなさというか、語らなさというか、知らぬが仏というか、スケールの小さな部分に関わりすぎないというか、そういうのって最強ですね。そう、いわゆる天才と言われる人たちが、大人になっても子どもでいるというのは、そういうことなんですよね。
 社会や自分の「コト」に支配されず、いつまでも「モノノケ」でいられるのが、カリスマの条件なのです。
 ということは、やはり子どもはみんな天才でありカリスマであるということです。社会の人になりきっていない高校生の強みはそこにありますし、我々の仕事の面白さもまた、まさにそこにあるわけです。
 今回のこの大事件についても、当の本人たちはよく分かっていません(笑)。さっきも生徒に説明するのに、こんな話をしました。その子はジャニヲタなので、こう言ってやったんですよ。
 「今度さあ、キムタクとカラオケ行くことになったんだよ!」
 ジャズ界のMJQがジャニーズ界のキムタクなのかどうかはよく分かりませんが、ま、そんな感じですよね。で、その生徒はもちろん「え〜?うっそ〜!」ということになるわけで、それくらいあり得ないことなんだよと、そういう説明をしたわけです。
 小澤征爾さんなんかは、もちろん立派な大人であり、ある意味勉強に勉強を重ねて今のような境地に至ったのであります。だから歴史に名を残すわけですね。
 私なんかもそうですが、子どもの頃は、誰しもがそうであるように自分は天才だと思っていたわけですよ。親もそう思ってた(笑)。それがまさに「二十歳過ぎればただの人」、こんな程度のフツウな大人になってしまいました。
 ほとんどの人がそうなっていくわけですね。それを象徴しているのが、たとえば、そのジャズバンド部の主催して行われている「富士山の森ジャズフェスタ」なんかですね。そこにも書いた通りです。大学生になると、言葉や知識やメソッドや技術が、なぜか音楽の邪魔をする。高校生の頃のあの輝きやモノノケ的パワーはなりをひそめる。
Imgp0350jpg それは決して高校生のそれぞれがカリスマなわけでなく、高校生という存在自体がいまだ素晴らしいということです。ですから、去年そこで輝いていた高校生が、大学へ行ったりして、相変わらず輝いているかと言えば、決してそうではないのが実情です。それが普通でしょうし。
 で、そういう無垢な、ある種無知な高校生が、ジャズ界の大御所とさりげなくジョイントしてしまう。実に素晴らしくも、実にうらやましい事態です。本人たちはコトの重大さを理解していない。理解していないからこそできてしまう。たとえば、私がですよ、ありえませんが、MJQとの共演が決まったら、もうその時点で身動きができなくなってしまうでしょう。情報という「コト」が未来を閉ざしてしまうのです。それが凡人(大人)の悲しさですね。
 おそらく、おそらくですが、MJQのメンバーも非常に楽しみにしていることでしょう。そして、きっととんでもなく根源的なことを体感し学んでお帰りになるでしょう。彼らは少なくとも、そういうスケールで音楽とつきあってきたカリスマだと思いますから。
 そんな両者のことを想像すると、本当に今から胸がドキドキワクワクしますね。お互いにとって、どれほど刺激的なライヴとなることか。また、単純に音楽という共通語が、国や世代を軽々超えて、あるいは互いに強烈な化学反応を起こして、とんでもない「モノ」を我々に提供してくれるのか、とっても楽しみです。
 日々、そういう現場の近くにいられる私はとんでもない幸せ者ですね。青春なんて言葉は、今はもうはやりませんが、その熱く透明で甘酸っぱい実体は、どんな時代にもちゃんと存在しているのでありました。
 ああ、私もいろいろ頑張らなきゃ。生徒たちに負けないような、とんでもないことを実現できる大人になりたいなあ。
 皆さんもぜひ、この奇跡的な音楽の遭遇のオーディエンスになりませんか!?

チケット等に関してはこちらでどうぞ。

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2009.06.29

『100年インタビュー 指揮者 小澤征爾』 (NHK BShi)

090625_pic むむ、実はかなり感動してしまった。すごいわ、やっぱり。スケールが違う。大きさも違うし、音階も違うという感じ。
 天才、超一流の人って、やっぱりこうなんだよなあ…。我々凡人とは基本的に何かが違う。まず、持っているエネルギーが違う。働くパワーが違う。73歳とは思えない若々しさ。圧倒的なオーラ。
 25日に録画しておいたものを観ました。いや、聴きました。2回聴きました。また何度でも聴こうと思います。
 やっぱりね!ということと、え〜っそうなの?ということが半々。いや、どちらかというと意外な言葉の方が多かったかなあ。それが刺激的だったのでしょうね。
 まず何と言っても、その器のデカさでしょうね。超一流の器ですよ。つまり、細かいことにとらわれないんですよね。たとえば、英語が下手だとか(笑)。そんなのは音楽にとって些末なことですからね、たしかに。
 もっと言ってしまえば、批判されることにも無頓着だったり、食えないことにも無頓着だったり(笑)。いや、本当は我々と同じくらい、いや、それ以上に悩んだり、考えたり、苦しんだりするのでしょう。しかし、結果としてそれを忘れちゃう。インタビューの中でも「あんまりよく覚えてないんだけど…」みたいな発言が多々ありました。
 これって大成するのに非常に大きな条件ですよ。私もどちらかというと気にしない人間ですけど、やっぱり気にしないのスケールが違う。普通の人間ですと、そうした、いわば敵からのストレスによって、いろいろな意欲を失ったり、時間を無駄にしてしまったり、とにかく停滞してしまうことがほとんどじゃないですか。でも、天才は違う。
 そう、最近、よくこのブログやっててよく分かったんですよ。批判とか中傷って、ものすごく簡単なことじゃないですか。創作(いちおうこんな記事も創作の一つでしょうか)は結構大変だけれども、それに対する批判とか中傷って、何も考えずにすぐできますよね。自分が記事の中でそういうことをして分かったんですよ。
 このブログはもともと食えないのか、あんまり批判や中傷が来ないんですけど、それでも年に1回くらいはあるわけですよ。たとえば最近で言えばこちらのコメントとかね(笑)。この人誰か知りませんが、ありがたいですよ。ご本人にとってもなんの得にもならないことをしてくれて。で、こういうことを書いてもらって、人によっては、カチンと来たり、ガーンと来たりする場合もあるわけじゃないですか。そうすると、ブログなんてやめちゃおう、ということになったりする。私は全然気にならないんですけどね。
 でも、最初はいやでしたよ、やっぱり。この程度のことでもいやなんですから、小澤征爾レベルでの無理解や中傷や批判だったら、まあ普通は参っちゃうでしょうね。それでも参らない精神力というか、体力というか、ある種のバカボン力でしょうかね、気にしない、これでいいのだ!、そういうものがないと一流にはなれませんよ。
090625_02_pic あと、そういうスケールということで言えば、あまり「語りすぎない」ということでしょうね。このインタビューでも、彼は、分からないことは分からないという姿勢を貫いていますし、我々音楽シロウトだったらいくらでも語っちゃうようなことを、ある意味すっ飛ばしてしまっています。それが強みだなと思いました。
 指揮者についても、言葉で説明しているようなのはダメ!と言ってました。彼にとっては「言語」は音楽のしもべ程度のものなのでしょう。たしかに、理屈や学問や自己言語を振り回すヤツにホンモノはいませんよね。ま、私がその最たるものでしょう(笑)。
 日本人が西洋音楽をやることに対する、小澤さんの言葉は実に面白かったなあ。ここのところが、私もいつも引っかかるところなんですよ。日本の古典をやるだけでも違和感あるのに、なんでヨーロッパの17世紀の音楽なんかやってんだ?って感じで。
 小澤さん、斎藤秀雄先生の言葉をひいて、「日本人は真っ白だから、西洋人よりも有利だ」という話を始めました。その時私は当然、「そうか、やっぱりそうか、なるほど!」と思いました。ちょっと感動して、その話をうんうんと聞いていると、いきなりオチが…。
 有働アナが「実際どうでしたか?」とツッコミを入れると、「それがそうでもなかった…笑」って言うんですよ!もう最高ですよね。素直というか正直というか、かっこつけないというか。一つの結論に落ち着かないというか、ものごとの多面性、矛盾、現実を直視するというか…。もう、笑っちゃうとともに、もっと感動しちゃいました。
 その他、まあいろいろありましたよ。音楽的なことだけでなく、生き方についても、本当にいろいろ学びました。音楽が国や時代を絶対に超えるという話。自分がやっていることは絶対正しいという話。演奏者の役割の話。音楽には「個」が大切だという話。指揮は「invite」であるという話。歳をとることはいいことだという話。日本人が勉強熱心、勤勉だという話。分奏の大切さについての話。音程やリズムの話。真似はダメという話。あと、何と言っても、「先生」の話ですね。斎藤先生の話。素晴らしい先生であり、幸せな先生ですね、斎藤秀雄先生。
 7月2日午後2:00~3:54に同じくBShiで再放送があります。ぜひぜひご覧ください。音楽が好きな方にとっては、本当に楽しい2時間ですよ。最後は人間力ですな。人間としての魅力。

100年インタビュー公式

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2009.06.28

太宰治 『律子と貞子』

Photo_3 りぎりセーフ。山梨県立文学館で開かれていた「太宰治展 生誕100年」、最終日に行ってきました。
 招待状をいただいたのはずいぶん前。いつか行こういつか行こうと思いつつ、今日になってしまった。たしかにここ数ヶ月、土日というものがなかったからなあ。
 最終日閉館間際ということもあったのでしょうか、とにかくすごい混みようでびっくり。太宰ゆかりの「ホンモノ」の迫力よりも、正直観覧者の熱気に気圧されてしまいました。
 特に団体さんとおぼしき「オバサン軍団」の萌えパワーは、あの阿修羅展にも伍する迫力。おかげで私はすっかり萎えモードに。も少し静かに観ろよ!
 しかし、ある意味、それこそが、この前書いたイケメン太宰の本質であり、そう考えれば実に貴重なライヴ体験をしたとも言えますね。私の不快感(ある種の嫉妬心だったのかも)もまた、彼のトラップ(トリック)に見事にひっかかった結果だったのかも。これもまた彼一流のいたずらなのでしょうか。
 展示内容は、それなりに貴重なものもあり、まあまあでしたかね。しかし、なんでまあ、あんなに「国中」に偏るのでしょうか。山梨と言えば甲府盆地が中心になってもしかたありません。しかし、太宰の文学にとっての「郡内(富士五湖地方)」地方はあまりに重要です。心理的影響ということで言えば、国中以上のものがあります。
 それが、ほとんど天下茶屋富嶽百景でほぼ終了というのは、どんなもんでしょうね。
 まあ、実を言うと「太宰と郡内」の研究自体が進んでいないというのもあるんですよね。というか、はっきり言うと、私がそれをやらなければならない立場なのに、しっかり怠けているんです。どうもそういう「研究」というか「勉強」というのが苦手でしかたない。
 ただ、ここのところ何回か書いているように、来年度ウチの中学が建つ予定の場所は、まんま太宰作品の舞台なので、さすがに重い腰を上げなければならないかなとも思われるのであります。あまりに確率的に低いことが起きているので、そこに意味を感じずにはいられないわけです。
 というわけで、今日は一つそこを舞台にした作品を紹介しましょう。
 『下吉田町という細長い山陰の町に着く。この町はずれに、どっしりした古い旅籠がある。問題の姉妹は、その旅館のお嬢さんである』
 隠れた名作とも言えるこの作品、まさに下吉田が舞台です。そして、作中の姉妹「律子と貞子」の家である旅館のモデル(の一つ)になったのが「杉ノ木旅館」。その跡地がウチの学校の職員駐車場であり、その裏手が中学建設予定地となっています。まんまですね。
 作中に出てくる豆腐屋さんや呉服屋さんも近くにありますし、我々にとっては実に身近な風景が展開されていきます。
  短い作品なので、ぜひこちらで読んでみてください。相変わらず軽妙な文体とストーリー展開ですなあ。そして、太宰の女性観やら恋愛観、結婚観、また聖書マニアの一端などがうかがえる佳作ですよ。
 皆さんなら、「律子と貞子」どちらを選びますか?ちなみに、私なら断然「律子」ですね(笑)。

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2009.06.27

富士山ナンバー

Uni_2730 士山に住んでいる(住所も鳴沢村字富士山)「富士山蘊恥庵庵主」として、ナンバーを「富士山」に替えるというのは、もうほとんど義務のようなものでしょう。その義務をようやく果たしました、半分だけ。
 半分だけというのは、ウチの2台の車のうち1台を「富士山ナンバー」にしたということです。ちょうど私の車が車検になったので、ついでに替えてもらいました。なぜか子どもたちは「山梨」がいい!と言うので、たぶん、この義務遂行はしばらく半分のままになるでしょう。
 ご覧のようにですね、正直デザイン的にはイマイチなんですよね。3文字ナンバーって、たとえば「名古屋」とか「宇都宮」とか「佐世保」とかありましたよね。それらってどうしても窮屈な感じになるじゃないですか。「つくば」とか「とちぎ」とか「いわき」とか平仮名ですと、窮屈感は減少しますが、しかし、これらはこれらでどうも…皆さん思うことは同じだと思いますよ(笑)。
 そうそう、「尾張小牧」はどうか。これはですね、もう窮屈とかそういうのを通り越してまして、ある種の芸術性すら感じさせる無理矢理感がありますので、なんとなく許せるんですよね。憧れなんてものはありませんけど、しかし、路上で出会うたびに、うわぁすげえ!って思うんですよ。そのへんの感覚ってなんなんでしょうね。
 で、「富士山」はどうかと言いますと、ま、こんな感じなんですよ。ううむ、デザイン的にはちょっとイマイチですねえ。「富山」ナンバーの真ん中に±(プラスマイナス)が挟まった感じ(笑)。
 さて、この「富士山ナンバー」、ご存知のように、山梨と静岡両県にまたがる特殊なご当地ナンバーです。つくづくよく実現したなあと思います。富士山の世界文化遺産登録への流れもあるのでしょう。
 富士山を取り巻く静岡と山梨、すなわち駿河と甲斐、表富士と裏富士は、昔から微妙な関係でした。私も以前駿河に住んでいたころ、「山梨」ナンバーを見ると、「山猿」が山から下りてきたとか言ってバカにしたものです。今では自分が見事な「山猿」なわけですが(笑)。
 山梨は、よく言われるように、名前に反して山ばかりの海なし県ですので、よく「海行こう!」と言って、集団で静岡に行くことが多いんですよね。静岡の人たちは「山行こう!」と言って山梨には行きません。そのへんの一方的な感じ、非相互依存的な雰囲気が、どうも両県の間にはずっと横たわっていたようです。実際、山梨の人間は遠慮がなく、ずけずけと静岡に土足で入っていく雰囲気を持っています。これは住んでみてよく分かりました。甲州商人以来の伝統ですな。
 で、今回の「富士山ナンバー」によって、我々山猿はその素性を隠すことができるようになりましたね。ちょっと得したような感じです(笑)。ますますずうずうしくなるかもしれませんが。
 ま、駿河生まれの江戸育ち、現在甲斐在住のワタクシは、とにかくこのナンバーを引っさげて、全国を走りたいという気持ちにはかられますね。くだらない心理ですけど、やっぱりちょっと自慢なんでしょうか。他人はそんなにうらやましく感じないでしょうが。
 自慢と言えば、以前は親の現住所を利用しまして品川ナンバーの軽自動車(笑)に乗ってた時期もありました。たしかに品川ナンバーは別格っていう感じがありました。それに対抗できる地方ナンバーは正直なかった。
 でも、「富士山」は「品川」に対抗できると思いませんか。究極の裏技的に。だって、「富士山」って地名というより、山というオブジェの固有名詞ですから。私も英語で自分の住処を説明する時、「in」じゃなくて「on」使いますからね。
 と、ホントどうでもいいことなんでしょうけど、人はみんなそれぞれの思い入れとかプライドとかを背負って全国を行脚するわけですよね。これがどういう文化的現象なのか、心理的現象なのか、もう少し考察してみたくなります。なんとなく戦国時代あたりまで、そのルーツを遡れそうな気がします。いや、万葉集の頃かも。
 いずれにせよ、私はこれからこの固有名詞を背負っていろんなところに出没いたします。よろしくお願いします。
 ああ、そうそう、ナンバー(番号)は自分の希望のものを取れるのですが、今回は「馬場・鶴田・三沢」という偉大なる故人にちなんだ数字にいたしました。

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2009.06.26

追悼? マイケル・ジャクソン

Viewkyodo2009062601000065headline た天才の訃報が…。どんどん時代が終わっていきますね。
 昨日、椎名林檎のアルバムを聴きながら、カミさんと「労働者」は The Jackson Five の「 I Want You Back 」だな、なんて話していた矢先でした。
 私にとってのリアルタイムでのMJは、オフ・ザ・ウォールに始まり、オフ・ザ・ウォールに終わっていますが、その後、マイケル・マニアだったカミさんと出会い、また、職場の前の席に座っている後輩がまたマイケル信者だったりした関係で、再び彼のパフォーマンスをじっくり味わう機会を得ていました。
 特に職場のマイケル信者さんからは貴重な情報をいろいろいただきました。いろいろなCDやDVDをお借りしまして、そのたびにこのブログでも記事にしてきましたね。そして、文化現象としてのマイケル・ジャクソンという存在に改めて感動するとともに、強い興味をおぼえてきたのでした。だからこそ、今日の訃報には、さすがに大きな衝撃を受けました。
 不謹慎とは思いますが、自分の記事を今読み返してみますと、彼の死がどこか待望されていたもののように感じられてしまいますね。
 「ザ・ワン」の記事から引用します。

 『…さて、そんなわけで、久々にマイケルの優れた業績のダイジェストを見てみました。そうですね、見るということを音楽に持ち込んだ、いや取り戻したというのが彼の業績の一つでしょう。私はMTVの音楽界にもたらしたマイナスの効果ばかり感じてきましたけれども、こうしてあらためてその端緒となったマイケルのパフォーマンスを見ると、彼のそれは全く許される、いやそれこそ原初のスタイルを取り戻したという意味においては、非常に高く評価できると感じました。録音文化が生んだ、特殊な音楽の状況に対して、いわば本来の音楽的な場(それは呪術的であり、祝祭的であった)を、ビデオという形で思い出させてくれたのです。
 そのような意味も含めて、私は彼のパフォーマンスを「ボーダー・クリアランス」であると考えています。特に近代化が招いたオルタナティヴ(二者択一)な状況に対する、オルタナティヴ(代替案)の提示ではないか。例えば、「黒と白」「大人と子ども」「男と女」「音楽とダンス」「ロックとソウル」「商業と芸術」「善と悪」…。彼の行動や表現の数々を見ると、結局彼なりの方法で、これらを乗り越えようとしているような気がします。その彼なりの方法というものの基本に、アメリカ的な市場経済のシステムがある、というところがまた面白い。金の力で、上記の色々な壁を乗り越えていくわけです。
 まあ、また妙に難しそうな講釈に終始してしまいましたが、とにかく、彼は天才であり、最高のパフォーマーであるということです。好き嫌いは別として、誰もまねができないことをしているのですから。
 あと、彼に残されたボーダーは「生と死」ではないでしょうか。これを超えたら、彼は神になれるでしょう。それをどう実現するのか、それとも最後には我々凡人と同じ結末を迎えるのか。今から楽しみです』

 信者さんによると、彼は三日後に復活するそうです。そうすればたしかに「生と死」のボーダーも乗り越えて、本当の神に、あるいは神の子になれますね。
 たしかに彼の業績がここで途絶えてしまうのは残念です。しかし、ある意味ではもう限界だったとも言えます。死因がなんであれ、結局は自ら幕引きをしたのかもしれません。もうこれ以上の醜態は見たくなかった…そういう人たちもたくさんいるでしょう。
 経済の力をもってしても、唯一クリアできないボーダー、それが「生と死」であることを、彼は証明するのでしょうか。あるいはカネという悪魔を超越する「神」の存在を証明するのでしょうか。それは三日後にわかります。
 ですから、今日冥福を祈るのはさしひかえます。

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