2022.05.18

みうらじゅん×山田五郎 『仏像トーク』

 

 

 岡市の実家におります。そういえば山田五郎さんのご両親は静岡市の出身でしたね。

 ご本人の生まれは東京ですが、少年青年期を大阪で過ごされたので関西弁は流暢です。みうらじゅんさんは京都市の出身ということで、この対談は関西弁で始まりますが、最後の方はお二人とも東京弁(標準語)になっているのが面白かった。

 お二人は、私にとって「独自研究」の師匠であります。昨年みうらじゅん賞を獲った竹倉史人さんもそうですが、「独自研究」とアカデミズムのバランスというのは難しい。

 対談前半の関西弁パートは「独自研究」というより「自分語り」が全開ですが、後半の仏像に関する「独自研究」に至ると、そこはアカデミズムへの挑戦的な意味合いも出てくるので、標準語モードになっていくのでしょう。

 私は残念ながら母語が標準語なので(どこの方言も話せないので)、話の次元(レイヤー)によって言語を使い分けることができず面白くありません。幼少期までは宇宙語話せましたけどね(笑)。

 この対談を見て聴いて思ったんですけど、文系の学問って全部「独自研究」でいいんじゃないですかね。暴論でしょうか。

 結局のところ、文化に普遍的な意味や価値やシステムを見出すことって無理でしょう。それぞれの時代のそれぞれの人間が関わっているわけですから。そして、それらをそれぞれの時代のそれぞれの人間が研究するわけですから。

 その固定化されない「ゆるさ」こそが、文化の人間の生命力そのものなのではないでしょうか。

 それにしてもこのトーク面白かった。元気をもらいました。

 そう、仏像って最終的に人を元気にするものなんじゃないでしょうかね。

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2022.05.17

マカロニえんぴつ 『星が泳ぐ』

 日の「島唄」に続き、山梨発の音楽を一つ。

 宮沢和史さん、藤巻亮太くん、志村正彦くんと、叙情的な歌詞と旋律が印象的な山梨のソングメーカーたち。やはり、独特の自然環境と風土、生活文化が反映しているのでしょう。

 今日紹介するマカロニえんぴつのリーダーはっとりくんは、鹿児島生まれだそうですが、育ちは幼少期から高校時代まで山梨。彼もまた独特な感性を持っているように感じます。

 特に志村くんへのリスペクトは大きいようで、曲作りだけでなくその歌唱にも影響を感じます。

 さて、この最新曲「星が泳ぐ」は、現在放映中のアニメ「サマータイムレンダ」のオープニング曲となっています。「サマータイムレンダ」は和歌山の離島を舞台にしたSFホラー(なのかな)。日本的な風景と文化の中に潜む見えない「影」がテーマということで、特に「影」の濃い山梨発の音楽がぴったりマッチしています。

 なんとなくクセにてなる曲ですよね。シンプルですが、ちょっとしたベースの半音進行が明るさの中に「影」を感じさせます。

 やっぱりJ-Rockって世界的に得意な進化を遂げちゃいましたね。つまり「和歌」や「私小説」の文化、日本文学の正当進化型がそこにあるということです。もっと言うと日本の目に見えない「宗教性」の発現でもあると。

 ですから、アニメと一緒に世界に出ていくのです。40年後にはきっとこれが世界の大きな潮流になると信じています。

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2022.05.16

THE BOOM 『島唄』

Th_-20220517-73402 日は沖縄返還から50年の日でした。

 沖縄と山梨、遠く離れ、特に深い関係はないかのように思われますが、実はそうでもないのです。

 まず、50年前の沖縄返還に際しては、山中湖に蟄居していた仲小路彰が大きな影響を与えています。

 仲小路と佐藤は五高時代の同級生。総理となった佐藤はことあるごとに山中湖へ通い、仲小路から重要な情報・アイデアを授けられました。

 この写真は山中湖での貴重な二人の写真です。

 佐藤のノーベル平和賞は非核三原則と沖縄返還が主たるその受賞理由でしたが、その裏には(密約部分も含めて)仲小路の助言があったのでした。

 そうした助言の具体的な内容については現在研究中です。

 さて、時代は移り、返還から20年経った1992年、発表されたのがTHE BOOMの「島唄」です。

 作詞・作曲の宮沢和史さんは山梨県甲府市出身。

 発表当初は、現地の人たちには「なんちゃって沖縄音楽」と揶揄され批判されましたが、今では本土の人たちにとっても、沖縄の人たちにとっても大切な歌の一つになりました。

 この曲の画期的というか巧みなのは、さまざまな音楽的要素が融合・和合しているところです。

 メロディーで言えば、沖縄音階と、本土のヨナ抜き音階と、西洋音階が絶妙にミックスされています。また和音で言えば、冒頭ではノンコード、そして続いてディミニッシュを効果的に使い、またサビではいわゆるカノン進行をベタに使う。それこそ沖縄と本土とヨーロッパ(アメリカ)を見事に組み合わせたと言えましょう。

 そしてそこに乗る歌詞ですね。いや、歌詞が先にあって、そこにそれぞれの「国」の音楽が乗ったのでしょう。たしかに見事です。「和」を基調とする日本らしい音楽なのです。

 

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2022.05.15

笑点神回…木久蔵さん司会回

 

 日の「笑点」に、立川志らくさんが登場してましたね。「笑点なんかなくなればいい!」とまで批判していたのに、ちゃんと出演させてあげる番組もすごいが、ちゃんと出ちゃう志らくさんもすごい。

 というか、本来そういうものでしょう。笑いの世界なのですし。ありえないけれど、ロシアとウクライナなんかも、こうして笑いに変換できませんかね。不謹慎を承知の上で真剣にそんなふうに思ってしまいましたよ。

 さて、「笑点」と言うと、ひねくれ者の私はどうしてもこの神回を思い出してしまうんですよね。今日もいいボケ味を出していた木久扇師匠が司会をやった回。

 言うまでもありませんが、キクちゃんは本当はキレッキレに頭いいし、瞬発力あるんですよね。それが期せずして証明されてしまったのがこの回です。

 もう、言葉はいりませんね。素晴らしいジャズのセッション、それもジャム・セッションのようですよ。全体のスイング感の上に展開する変幻自在なリズムやメロディの応酬。なにより本人たちが楽しそう(笑)。エンターテインメントの基本はそこですよね。

 完璧なライヴ作品と言えましょう。さて、志らく師匠はこのセッションに参加できるのでしょうか。そんなことを想像しながら見直すと面白いですよ。

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2022.05.14

出口王仁三郎 「天災と人震」(『惟神の道』より)

Th_-20220515-154433 このところ、各地で地震が頻発しております。特に注目は京都の亀岡周辺を震源とする群発地震です。

 3月31日のM4.3震度4に始まり、ほぼ同じところを震源とする地震が続いております。

 亀岡周辺には三峠・京都西山断層帯が走っており、1968年、1972年にはM5を超える中規模の地震が発生していますし、古記録に残る京都盆地に被害を及ぼした大地震のいくつかの震源は亀岡周辺とも考えられています。

 気象庁も注意を促しました。気をつけたいところです。

 さて、亀岡といえば大本の天恩郷。出口王仁三郎は地震についてどんなことを述べているのでしょう。今日はいくつかある言及のうち、昭和10年刊の「惟神の道」から抜粋して紹介しましょう。「天災と人震」という文章です。

 なるほど、我が国の文化は「地震の花」であり、日本は自然(神)の恩寵を多く受けるからこそ、それに背くと天災が起きるというわけですね。そして、天災がなければ「人震」が起きるというのも面白い考え方であります。

 冒頭の部分も含めて、なかなか良い文章ですので、ぜひお読みください。

(以下引用)

 日本の国民は古来抱擁性に富み、世界の文化をことごとく吸収して同化し精錬して更により以上美はしきものとしてこれを世界に頒与する所に日本人の生命があり、使命があり、権威があるのである。しかして緯に世界文化を吸収してこれを精錬すればするほど、経に民族性が深めらるべきはずだのに、現代の日本は外来文化の暴風に吹きつけられるほど固有の民族性の特長を喪ひつつある状態は、あだかも根の枯れたる樹木に等しいものである。日本人は日本人として決して何れのものによっても冒されない天賦固有の文化的精神を持ってをるのである。それが外来文化の侵食によって失はれむとする事は、祖国の山河が黙視するに忍びざるところで無くてはならぬ。
 かくの如き時に際して天災地妖が忽焉として起こり国民に大なる警告と反省を促したことは今代に始まつたことでなく、実に建国以来の災変史が黙示する所の真理である。近くは元和、寛永、慶安、元禄、宝永、天明、安政、大正に起った大地震と当時の世態人情との関係を回顧するも、けだし思ひ半ばに過ぐるものがあるではないか。
 さて、我が国の記録に存するもののみにても大小一千有余の震災を数へることが出来る。その中で最も大地震と称されてゐるものが、百二十三回、鎌倉時代の如きは平均五年目ごとに大地震があったのである。覇府時代には、大小三十六回の震災があった。しかも我が国の発展が何時もこれらの地震に負ふところが多いのも不思議な現象であるのだ。奈良が滅び、京都が衰へ、そして江戸が発展した歴史の過程を辿ってみれば、その間の消息がよく窺はれるのである。
 全体我が国の文化そのものは全く地震から咲き出した花のやうにも思はれる。天祖、国祖の大神の我が国を見捨て給はぬ限り、国民の生活が固定して、腐敗堕落の極に達したたびごとに地震の浄化が忽焉と見舞って来て一切の汚穢を洗浄するのは、神国の神国たる所以である。
 古語に「小人をして天下を治めしむれば天禄永く絶えむ、国家混乱すれば、天災地妖臻る」とあるのは、自然と人生の一体たることを語ったものである。人間が堕落して奢侈淫逸に流れた時は、自然なる母は、その覚醒を促すために諸種の災害を降し給ふのであった。しかも地震はその極罰である。
 我が国に地震の多いのも、神の寵児なるが故である。自然否天神地祇の恩寵を被ることの多いだけ、それだけにその恩寵に背いた時の懲罰は、一層烈しい道理である。もし地震が起らなければ人震が起ってその忿怒を漏らすに至る。近くは天草四郎や由良民部之介、大塩平八郎乃至西郷隆盛の如き、みなこの人震に属するものである。

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2022.05.13

ジャンボ鶴田さん23回忌

Th_img_9094 日は山梨が誇る最強プロレスラージャンボ鶴田さんの命日。

 偶然、塩山向嶽寺に用事がありましたので、ついでと言ってはなんですが、牧丘の慶徳寺さんに立ち寄り、本当に久しぶりにお墓参りをすることができました。

 「人生はチャレンジだ!!」

 この言葉にどれだけ励まされてきたことでしょう。迷ったらやめていた自分が、「迷ったらやる」自分に変わったのは、鶴田さんのおかげです。

 そして、今の充実した人生があります。本当に感謝しかありません。

 23回忌の命日にちなんで、鶴田最強説を裏付ける名勝負を紹介します。

 ジャンボ鶴田が新日本プロレスのリングに上った試合。谷津嘉章と組んで、木戸修・木村健悟組と対戦した1990年2.10東京ドームの映像です。

 う〜む、一人だけ次元が違いますね。受けに受けまくり、相手の良さをすべて引き出しての完勝。全く息が上っていないし、最後の余裕の笑顔は、殺伐としがちな対抗戦、それも新日本のリングへのある種のアンチテーゼです。

 鶴田は鶴田。いつもどこでも明るく、楽しく、激しい鶴田。あらためて「最強」を確認できる試合ですね。

 

 

 さて、この日の興行について、谷津嘉章さんが最近語ったのがこの動画。

 糖尿病で片足を切断し、義足になりながらレスラーを続けている谷津さんの、朴訥とした語りが味わい深いですね。義足も「おりゃ」もそうですが、マイナスをプラスに転じて「人生を楽しむ」姿勢には、プロレスという「神事」の世界ならではの物語的魅力を感じますね。

 もちろん、馬場さんと坂口さんの「困った時は助け合う」という関係性にも感動です。まさに「荒魂」の裏側にある広大なる「和魂」ですね。

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2022.05.12

『教祖・出口王仁三郎』 城山三郎(その10・完)

Th_images_20220513080001本脱出と蒙古進軍

 王仁三郎の表情は、どの写真を見ても明るい。極端に云うなら、いつも、得意絶頂の顔である。

 だが、王仁三郎が心の底から最も痛快さを味わったのは、大正十三年の蒙古入りのときではなかろうか。

 このとき、王仁三郎は、第一次弾圧事件による保釈中の身であったが、ひそかに日本を脱出、奉天に赴いた。そこには、蒙古軍の将軍盧占魁が待っていた。張作霖の了解の下で、日月地星の大本の神旗をひるがえし、蒙古に向って進軍する。

 盧の軍隊には掠奪暴行を禁じ、王仁三郎らは武器を持たず、米塩を与えながら、宣教と医療をつづける。蒙古人たちは、救世主の再来として歓迎してくれた。

 果てしもない曠野を行く大本の神旗――それは演技ではなかった。宗教上の必要とともに、「『狭い日本にゃ住みあきた』というような、貧乏と縄張りと天皇と警察の日本を離れて『広い満蒙に進出』し、アジアの精神的統一をはかりたいというような「『大陸浪人』式の夢」(乾・小口・佐木・松島共著『教祖』)もあったであろう。

 取り巻きにわずらわされることなく、そうした夢を現実の曠野の上に踏みしめて行く。

 そのとき、彼ははじめて、自分自身が無限に自由になって行くのを感じたであろう。風雲児であることの実感を、しみじみ噛みしめたことであろう。

 だが、それも四カ月間のことであった。盧の西北自治軍の評判が上るにつれ、張作霖は心変りし、パインタラに於て盧軍を討ち、盧以下三百人を銃殺。王仁三郎も、足枷をはめられ銃殺寸前まで行ってから、日本領事館に救出された。

 他愛のない夢ともいえる。このとき、王仁三郎は、すでに五十四歳。

 そういう他愛なさが、最後まで失われなかったのも、人間王仁三郎の魅力であろう。

 晩年は、黄・青・赤と思い切った色を使って型紙破りの茶碗を焼くのをたのしみにしていた。その茶碗を少しでも人がほめると、やってしまう。「あんたには、いちばんいいのをあげるで」と云って。

 雀や魚をとらえるのが得意であり、沢蟹をとらえて口の中で歩かせながら、そのまま噛み砕いてしまったりした男。童心と見るのも、演出と見るのも、自由である。とにかく、人間くさい男、人一倍人間くさく生れた男に思える。

 大本教徒には不満ではあろうが、教義についての門外漢であるわたしは、作家として理解できる限りの人間像の秘密を追ってみた。

 そして、世間的には怪物であるかも知れぬが、怪物という言葉の持つ非情さとはおよそ程遠い人物をそこに見たのである。

(完)

 

 いかがでしたか。城山三郎による出口王仁三郎伝。気宇壮大な人物像と人生を短くまとめるのは難しいと思いますが、文学者ならではの視点で上手に「予告編」を作ってくれましたね。

 そう、出口王仁三郎は本当にいくつもの「入口」を私たちに提供してくれるのです。本編はその先、それぞれの方々の人生に投影されて現出します。

 私もそんな体験をしている一人。最近、羽賀ヒカルさんと対談でその一端をお話しましたので、どうぞご覧ください。

 

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2022.05.11

『教祖・出口王仁三郎』 城山三郎(その9)

Th_0049(文中のM氏については、過去記事「柳原白蓮と出口王仁三郎」をお読みください)

像だった女性関係

 彼についての虚像の中で最も大きなものは、女性関係である。

 弾圧事件で逮捕後、梅毒と噂されたり、彼の居室はダブル・ベッドが寝乱れたままで春画が置かれていたなどと流布されたのは、すべて、でっち上げであった。王仁三郎の虚像を、弾圧当局がたくみに利用したのだ。

 王仁三郎の周辺に、いつも美女数多(?)がいたことは事実である。四六版三百頁の本を二日で口述したり、一夜三百首といった勢いで書きまくる彼には、常時、秘書が必要であった。特殊な関係に陥る危険を避けるためには、一人でなく、三人四人と控えさせた。

 ただ、彼は早朝などの面会客に素裸で美女たちを引き連れて会ったりした。晩年になっても、彼は往々一物を人前で隠さなかった。

 性がタブー視されている陰湿な風土では、それがかえって信徒の心をとらえる。天衣無縫な感じであるが、別の人たちの眼には演技過剰であり、別種の憶測を生むことになった。

 虚像に輪をかけたのが、隠し子事件である。王仁三郎の親分肌を見こんだ共産党員のM氏(後に転向)が、妻に去られて非合法活動ができず、生れたばかりの女児の養育を王仁三郎にたのんだ。

 王仁三郎は、それを自分の子供ということにして、教団幹部の一人に預けたのだ。終戦後M氏が迎えに来るまで、教団内部においても、隠し子説は信じられていた。

 家庭生活は決して幸福なものとは云えなかったようである。だいいち、多勢の人が毎日出入りする家の中にあっては"家庭"と呼ばれる生活を営みようがなかった。

 ナオの在世中は、ナオと王仁三郎は度々はげしい衝突をくり返した。ナオの没後には、教団運営の全責任が王仁三郎にかかり、彼はほとんど家庭に落着けなくなる。

 彼の超人的な多種多面にわたる活動。もし彼が超人でないとすれば、その皺よせがいちばんひどかったのが、家庭生活である。そして、働き盛りの王仁三郎には、むしろ、意識的に家庭生活を無視する傾向があった。それもまた、非凡さの一つのあらわれと感じて。

  家のこと妻にまかせて世のために尽すは夫の誠なりけり

  家のうち始めまもりて背の君の心いやさむ妻ぞかしこき

  家の内ゆたかに平和にをさまるも妻の心の梶ひとつながる

 王仁三郎の歌集の中の「五倫五常」の分類の中にある歌であるが、あまりにも一方通行的で、祖父の遺言を連想させるものがある。「母が、父と夫婦らしい幸福を味わったのは、若いころ、父といっしょに荷車をひいて、柴刈りにいっていた頃と、晩年、未決から帰ってからしばらくの、父の周囲に人垣の去った、夫婦きりの暮しの時であったでしょう」

 と、娘も見ている。

 子供運にも恵まれなかった。男の子は全部育たず、この長女に迎えた婿は、弾圧事件のショックで精神障害を起し、以後、世間的には癈人の生活に入る。

 家庭を無視してきた王仁三郎も、この衝撃だけには耐え切れなかった。娘が、婿とともに家を去って療養地に向う日、

「父は二階に上り、私の姿が見えなくなるまで、あっちへいったり、こっちへいったりして、しまいには泣いておられた」

 弾圧も、一つの法難として淡々として受け流そうとしていた王仁三郎ではあったが、このときばかりは、無法そのものの弾圧当局に対して、またその命令者に対して、やり切れない憤怒を感じたにちがいない。

(その10に続く)

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2022.05.10

『教祖・出口王仁三郎』 城山三郎(その8)

Th_seishisama分肌と抱擁力

 宗教関係だけでなく、また国内だけに限られたものでなかった。「万教同根」を説く教義の関係もあって、各国の新興宗教団体と提携し、さらに、大本が中心になって、北京に世界宗教連合会もつくった。(こうしたことも、おそらく既成教団の反感を買ったにちがいない)第一次大本弾圧事件の無罪判決を聞いて、二十カ国の人々によって、王仁三郎をたたえる「賛美集」が発刊されたりもした。

 だが、親分肌であり抱擁力があるということは、時には弊害も生む。心にもないつき合いをし、取り巻きが生れる可能性である。

 王仁三郎の娘出口直日は、こう書いている。

「父はどんな人でも迎え入れ、たのまれれば断りきれず、どこかのよいところを育てようと努力し、どんな辛抱でもしていたようでした。性来が磊落で、冗談ばかりいっていて、何だか雲をつかむようなところがありました)(続・私の手帖)

 そして、その反面、

「父は気が弱くて、それらの人を抑えきれないで、バカげた責任までも負わされてしまったという人です。それでいて、人を責めるでなし、過ぎたことをくやむでなし……」

 取り巻きの害について、彼女が耐えかねて父に注意の手紙を送ったところ、王仁三郎はその手紙を「娘がこう云って来たよ」と、そのまま取り巻きたちに見せてしまったというエピソードが紹介される。つまり、娘の手紙にかこつけてしか苦言の云えなかった弱さがあったというわけである。

 浅野和三郎が、大正十年立て替え立て直し説を機関紙に発表するといったとき、王仁三郎は反対したが、おさえ切れなかった。その結果、大正十年には大本信徒は一大動揺に見舞われることになったが、実際には、世の立て替え立て直しは起らなかった。谷口雅春らは、それを理由に大本を去るという事態も起る。

 心にもないことが、流れの泡のように、次から次へと湧いては消える。そして、それがそのたびに、王仁三郎の身から出たことになる。

 だが、王仁三郎は、陣を退くことなく、戦線を収縮することも好まない。虚像の上に虚像が重なり、一つの怪物像がそれらしく出来上って行くのを眺めている。怪物像を否定して「小さな自分」になるよりも、誤解を浴びたまま「大きな自分」にとどまることを好んだのかも知れない。茶目気と侠客気質という老い銹びた細い柱の上に支えられて。

 にぎにぎしく人々に取り巻かれながらも、王仁三郎の心中には、いつも空洞が穴をあけていた感じである。

(その9に続く)

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2022.05.09

『教祖・出口王仁三郎』 城山三郎(その7)

Th_0518完の映画「王仁三郎一代記」

 法的には何の根拠もない大本弾圧の烽火はそうした人々の中からも燃え上ったようである。事実「出口王仁三郎一代記」は、その年の大弾圧によって、遂に未完成に終った。

 多分に王仁三郎の道楽といった感じのするそうした芝居や映画も、教義の普及宣伝にとっては、新しい強力な媒体となった。媒体として義務感でつくったものでなく、王仁三郎がいわば無償の情熱を注ぎこんだだけに、信徒にとっては迫力があった。(教団幹部も信徒も一つになって素人芝居に打ちこむ習慣は、今日まで続いている)

 自己表現欲の一つの変型であろうが、活字文化の利用についても、王仁三郎は積極的であった。

 機関誌を創刊し、ついで、それを旬刊にする。印刷所をつくり、自分も植字や組版に先頭に立って働いた。

 後には、輪転機十台を持つ当時の大新聞「大正日日」を買収。さらに「人類愛善新聞」を発刊。一時は発行部数が百万部を越えた。既存の新聞社をおびやかすに十分な数字である。

 時代に先んじてのマスコミ利用は、彼の先見性を示すものだが、同時にそれはマスコミのすべてを敵に廻すことになった。弾圧直後全国各紙がほとんど筆をそろえて大本邪教説を流したのも、取材の制限という障害のためばかりではなかったようだ。

 ぎりぎり歯ぎしりしながら生きるわけではない。超人的に動き廻りながらも、人生に"遊び"を失わない柔軟な生き方――幡随院長兵衛を夢見たこともある王仁三郎は、人を生かして使うことも心得ていた。

 入信した海軍教官で英文学者の浅野和三郎を十分に活躍させて、軍人層知識層の信者をひろげ、谷口雅春(生長の家)には雑誌編集に腕をふるわせた。世界メシヤ教主の岡田茂吉も、当時は大森の支部長として活躍していた。

 一人の能力では、いかに非凡であっても、成長には限度がある。企業がある程度大きくなれば、多数の人材の能力をフルに発揮させることがトップの仕事になる。

 苦労人で頭がよく、人の心を読むのがうまい。変性女子と言われるほどの柔軟さ、侠客的な親分気質――人を使うには、申し分ない性格であった。

 人を使う能力とは、云いかえれば、組織づくりの能力でもある。

 人類愛善会・昭和青年会・昭和坤生会・昭和神聖会・エスペラント普及会・ローマ字普及会等々、王仁三郎の組織した団体の名前は、列挙にいとまがない。

(その8に続く)

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