2021.07.25

阿部詩と富士学苑

Th_-20210726-203929 晴らしい!スケボーの堀米くんもすごかったけれど、やっぱり阿部兄妹の金メダルは興奮しましたね。

 いろいろな意見があるのは分りますが、やはりこういう時だからこそ「祭(神事)」は大切です。

 かつて疫病が流行った時には、陰陽師が活躍しました。

 陰陽師はある意味アスリートです。彼らの肉体と精神のエネルギーが負の存在を退けたのです。

 逆に言えば、現代における陰陽師は、オリンピックレベルのアスリートたちです。

 実際、私たち観客のエネルギーレベルも上がり、結果、免疫力も上がっているのは間違いありません。アドレナリンは大切。

 さて、話を戻します。

 このたびの阿部詩選手の金メダルには、ウチの学校の女子柔道部が深く関わっています。今日のNHKの中継でも触れられていましたね。

 ちょうど先ほど、そのことに言及した記事が上がったので、ぜひお読みください。

阿部詩、すごみ示した栄冠=徹底マーク、寝技で打開

 当時の本校の生徒は、阿部詩を圧倒していたわけです。

 こうして、金メダルにご縁があることは、非常に嬉しいことですね。感動が倍増します。

 ちなみに、本校柔道部出身で東京オリンピックに出場している選手がいます。63kg級の渡辺聖未。彼女はフィリピン代表です。開会式では旗手をつとめました。彼女もメダルが狙える実力を持っています。彼女のコーチには、阿部詩選手に寝技を教えた矢嵜先生がついています。

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2021.07.24

シローさん帰幽のご報告

Th_img_4039 が家に降臨し、様々な奇跡を起こしてくれた神猫シローさんが、本日18時ごろ天に召されました。

 元々猫エイズと皮膚がんを患っておりましたが、3日ほど前から終活を始め、食事も水もほとんど取らず、それでも元気で昨日も最後の散歩(巡視)をしておりました。

 今日は朝からお気に入りの場所でずっと寝ておりましたが、大きな声で鳴いたので行ってみると、頭をもたげてこちらを見てもうひと鳴き。そして、後ろ脚を走るように動かしながら、天に帰っていきました。

 本当に本当に猫とは思えない崇高な存在でしたが、最期もお見事でありました。立派すぎました。

 シローさんが我が家に現れたのは、9年前の2012年の夏。

 当時の記事がこちらにあります。この頃はたまに遊びに来るノラ猫でした。

 そして、シローさんが我が家の家猫になったのは、そう、忘れもしない2014年の記録的な大雪災害の日のことです。

 当時、私のツイッターがシローさんのおかげでバズりまして、今でもいくつかのまとめ記事が残っております。

 あまりの大雪で居場所がなくなったノラ猫が家猫になったよ!

 猫が雪の中に勢いよく出かけていった!→その結果…

Th_img_7840  その後は増え続ける我が家の保護猫を、本当に一匹一匹しっかり教育してくれまして、おかげさまで本当に我が家の猫コロニーは平和でお行儀が良い。

 その後もいろいろな方に可愛がってもらいました。わざわざシローさんに会うために遠方からいらっしゃる方も。

Th_th_bvz8bxhcuaedli7 当時のファーストレディーもそのお一人でした。

 シローさんが我が家に来てからというもの、本当に我が家には幸運が連続しました。まさに福招き猫。感謝しかありません。

 シローさんは我が家の猫になった時には、すでに動物病院で「かなりのお歳ですね。満身創痍ですし」と言われていましたが、それから7年以上、表面的にはすこぶる元気でありましたが、歳とともに持病は悪化の一途をたどっておりました。

 ただ、シローさんの従容たる態度に、私たちは特に治療は施さずにまいりました。そこにいろいろな意見があるかと思いますが、あくまでも自然体で全てを受け入れ、そして自らしっかり心身の準備をして最期を迎えたその様子を見て、これで良かったのかなと感じております。

Th_-20210725-95935 亡くなったあと、夜、玄関の人感センサーライトが何度もついたり、しまいには誰もいない部屋の掃除機が突然動き出したり、不思議な現象が続きました。しかし、今は異様なほどに静かになりました。ちょっと淋しい気持ちになります。

 シローさん、本当に今までありがとうございました。これからも天から私たちを見守っていてください。

 そう思ってふと窓から空を見上げると、ちょっぴりミルクティー色がかった、シローさんのような満月が輝いていました。

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2021.07.23

高校野球決勝戦〜オリンピック開会式

Th_e91ba0224d1ec0c8646b3236f91b769f_1627 日はスポーツの本質について、いろいろ考えさせられた一日でした。

 昼間は、私が昨年度まで奉職していた高校の野球部の決勝戦をラジオで応援。あらためてアナログ・ラジオの即時性に感謝しながら、一生懸命応援しました。

 結果は残念ながら一歩及ばず1対2で敗退。準優勝という結果となりました。

 内容は今までどおり実に素晴らしいものでした。負けても笑顔で終えられた彼らにとって、この夏は最高の思い出、そして教訓となることでしょう。選手諸君、本当にありがとう!

 ご存知の方も多いかと思いますが、ここ数年、私自身が運動部の様々な問題…それが旧来の軍隊式体質に起因する…に対処する中で、個人的にも非常に苦しい体験をしてまいりました。

 自分自身の経験も含めて、その「軍隊式」に一定の評価と信頼と評価を置いていた一方で、その弊害にも直面しつつ、新しい時代の、いや本来の「スポーツ(気晴らしという意味を語源とする)」はどうあるべきか、特に学校教育においてはどうあるべきかを、ご縁のあった専門家の方々とも意見を交わしながら真剣に考えてきました。

 野球部の関係者ともじっくり話し合い、そしてある意味コロナを機に導入できたメンタル・トレーニングが、今回実際に素晴らしく功を奏したわけで、やはり、楽しく、明るく、前向きに取り組むのが本来のスポーツのあり方であると痛感した次第です。

 もちろん、野球が純粋なスポーツではないというのも私の独自の理論であり、そういう意味では、他のスポーツや格闘技、武道にもそれが通用するかどうかはわかりませんが、実際欧米の例を見ると、やはり日本のスポーツ界全体が大きく変わらねばならない時を迎えているのは事実のようです。

 今回のオリンピックでは、まさに旧態依然たるシステムの競技と、いち早く新しいシステムに転換した競技が混在している日本チームです。それがどのような結果を生むのか、はたまた、どのような感動を与えてくれるのか、非常に楽しみであります。

Th_unknown_20210724122501 そして、夜。開会式を見ました。皆さんどのようにお感じになりましたか?

 それこそ、旧来の、いや最近のやたら金をかけたド派手な演出とは一線を画した、ある意味新しい、いや本来の簡素な開会式であったかと思います。

 どうせやるなら、もっと侘び寂びに徹しても面白かったかと思いますが。

 というか、全体に小林賢太郎色が強かったですよね(笑)。虎は死して皮を残す…ちょっと違うか。

 ちなみにドローンも決して派手でお金がかかる演出ではありません。プロジェクション・マッピングもそうですが、案外アナログな手作業なんですよね。天候に左右されますし。ブルーインパルスと同じような地味な職人芸です。

 そのアナログの最たるものが、ピクトグラムの「仮装大賞」でしたね。あれもキャラの着ぐるみ化という、日本の得意とする逆説的表現の一つです。せっかく抽象化したのに…またそれを生命化してしまうという(笑)。

 そして、皆さんも言及していたように、結局最も簡素で無駄がなかったのが、天皇陛下の開会宣言でしたね。弥栄弥栄。

 これからの競技の盛り上がりに期待いたしましょう。無観客の方が、実は選手も集中できたりしますからね。

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2021.07.22

クラシックTV「魅惑の即興演奏~音楽で会話する~」

Th_-20210724-115556 日のNHK Eテレ「クラシックTV」は即興演奏がテーマでした。

 NHK+に加入している方はこちらからぜひご覧ください。

 番組でも語られていたように、かつての作曲家、たとえばバッハやモーツァルトやベートーヴェンは、優れた演奏家であった、すなわち即興も大得意な人たちでした。

 おそらくは、彼らの一般に知られている、つまり楽譜として残された作品は、彼らの生み出した音楽全体のほんの一部であると思います。

 まあしょっちゅう即興で何か弾いていたのでしょうね。そのうち、特に優れたものを楽譜に残したと言ってもいいかもしれません。

 いつも私が言っているように、本来音楽というのは楽譜があるものではなく、未来から流れてくるモノをキャッチして演奏されるもの。

 それを記録したのが楽譜で、記録するということは転写なので、時間の流れが逆になります。すなわち過去から未来に向かって流れることになる。

 優れた演奏家は、それをまるで未来から今初めて訪れたかのように再現していかねばなりません。ただの演奏家や機械の演奏は時間の流れが逆転したままになっています。

 だから、優れた演奏家になるためには、即興演奏が必須だったのです。今日登場した清塚さんや大友さん、平野さんは当然それを理解しているのですが、多くのクラシックの演奏家はそれができず、単に楽譜を「正確に」なぞる訓練ばかりしています。

 これは音楽の楽譜に限らず、文字にも言えることで、当然朗読や演劇も即興力を必要とするわけです。(ちなみに読書は初めて読む場合、向こうから未知の情報が流れてくる感じですよね)。

 明日のオリンピックの開会式の音楽はどうなるのでしょうか。音楽だけではないな、演出も(苦笑)。いっそのこと、全部即興でやったらどうでしょう。

 オリンピックと言えば、IOCのバッハ会長の歓迎会で、辻井伸行さんがピアノ演奏したようですね。バッハの前でバッハでも弾いたのでしょうか(笑)。彼は、目が見えないという「好条件」を得て、即興も当然得意としています。

 

 

 そんなこと言っている私ですが、私はどうかというと、なんちゃって即興演奏は大の得意です。いくらでもできます(笑)。

 

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2021.07.21

『NO SMOKING』 細野晴臣 主演・佐渡岳利 監督作品

Th_71vq759y2l_ac_sy445_ 日話題にした小山田圭吾くんも出演しております。

 細野晴臣さんの半世紀にわたる音楽活動の記録と追憶。見応え、聴き応え満点の映画ですね。

 タイトルの「禁煙」が実に逆説的で象徴的。

 「音楽をくゆらす」という言葉がぴったりの細野さんの人生は、まさに煙のように自由。

 「自由」というのは、簡単そうで実は難しい。

 風になびくように、他力的でありながら、その場に執着しない、元に戻らないという点では自己が一貫している。

 それこそ煙たがられることもあるけれど、そんな時はちゃんと時と場所を選ぶ。

 何も考えていないようで、実はものすごく気を遣っている。

 それが本当の「自由」というものでしょう。

 たしかに、音楽も、私たちの人生も、結局「煙」のように雲散霧消してしまう。しかし、その分子がどこかに永遠に残るかのように、私たちの奏でた音や魂は、どこかに残るのでしょうね。

 「NO SMOKING」とは、SMOKEあっての言葉。だからやっぱり「NO SMOKING , NO MUSIC , NO LIFE」なのでした。

 細野さんの人生そのものが作品ですね。かっこいい。

 次の東京オリンピックの音楽は細野さんにお願いしましょう。ぜひ。

Amazon NO SMOKING

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2021.07.20

小山田圭吾問題に思う

Th_-20210721-73238 の期に及んでまたですか。どんだけ自虐なんだ、東京オリンピック2020。

 国立、エンブレム、コロナ、女性蔑視発言、そして小山田圭吾「いじめ自慢」…。

 実はエンブレムに関しては、私も一枚かんでます。まじで。

 あの最初のエンブレムのデザイナーが決まるにあたって、ちょっとある人たちから依頼されて、少し動きました。

 しかし、どうにも気が進まないというか、実際うまくコトが運ばなかったのですね。それを先方が強引に実現してしまった。

 結果、あれですからね。そして、シンボルたるエンブレムがその後の混乱を全て象徴、予言していたと。

 ただ、それについても、いろいろ裏話や伏線というモノがあります。なかなか深いモノが。

 今回の小山田圭吾問題も、単純に「いじめ自慢」をするようなトンデモナイ奴の音楽なんて聞きたくない!というような類のコトではありませんよね。

 いわゆる「渋谷系」の闇というか、いやその根本のルーツというか、そのあたりを知らないと。

 私は彼より少し年上ですが、やはりバブル期の非モテ族の一人でして(笑)、あの浮かれた偽善的で即物的な雰囲気にどうしてもついていけない人間でした。

 結果、私も立派に「サブカル系」になりました。そして今に至る。

 音楽の「渋谷系」は一周回って「オシャレ系」に行ってしまったところが難しく、また面白く、そして今回の一件を通じて実に運命的ですよね。

 つまり、「オシャレ」「雰囲気」を否定しつつ、そっちで売れてしまったから、だから小山田さんも小沢健二さんも、プライベートの「汚い」部分を自慢せざるを得なくなってしまった。バランス取らないと死んじゃいますよ。

 で、本来のカウンター・カルチャーとしての「渋谷系」の本質である、汚物としての人間を顕示する「鬼畜系」を言葉として残してしまった。あい頃、あんなのばっかりでしたよ、正直あの界隈では。

 土偶の話ではないけれども、そうした「コト(情報)」を発掘して、それだけを現代的な視点や感覚で解釈したら、それは「ひどい!」ということで終わってしまうでしょう。結果、モノの本質から程遠いところで停滞してしまう。

 実際には、上述のような歴史的背景があるわけで、それを知らずに彼を国家的祭典に採用した側も、ひたすらバッシングする側も、等しく勉強不足だとも言えましょう。

 結局、昨日の「FAKE」の佐村河内さんに対するバッシングと同じなのかなあ。

 あっ、もちろん、この私の記事は小山田圭吾さんを擁護するものではありませんよ(…と、こんな当たり前のことまで書かないと、言葉の向こう側の本質が伝わらないのも困ったものですが、まあリスクヘッジで)。

 コトの表面だけ見るのではなく、そこを通して背後のモノの本質を見る力をつける、子どもたちにそんな教育をしないといけませんね。しかし、もう大人が全くそれを怠っている、いやそれができないので…これは大変だ。

 もうすぐ始まる異例なオリンピックの「本質」も、しっかり見極めたいですね。せっかくの特異なチャンスを私たち日本人は頂いたのですから。

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2021.07.19

『FAKE』 森達也監督・佐村河内守主演作品

Th_81p3ev2jr7l_ac_ul320_ いぶ時間が経ったので、客観的に見られるかなと思いました。

 なんかコロナ前の世界が懐かしいですね。

 佐村河内さんは、人目をはばかるようにマスクをして外出しています。余計目立ちました、あの頃は。

 今では、全く逆の状況です。

 一方、変わったのは人間だけで、たとえばこの可愛いネコちゃんは変わらぬ視点を持っています。

 おそらく森達也さんの狙いでもあるのでしょう。

 そう、人間の二元論的な視点を、わざとひっくり返すのが森さんの常套手段。しかし、森さんもやはり人間です。そういう意図的な、すなわち「FAKE」な世界を優しく厳しい目で見るメタの視点を、この猫ちゃんに与えたのでしょう。

 そういう「FAKE」なやり方が鼻につくという意味で、私は「森達也は腹立つわ」なんですが、それでもこれだけ好きだというのは、おそらく自分にもそういう「FAKE」なところが大いにあるからでしょうね。

 だからこそ、「衝撃のラスト12分」は、まさに「笑撃」でした。

 これはまさに「私レベル」の衝撃(笑撃)ですよ。あちゃ〜、です。森さんも残酷ですよね〜。

 ただ、あの頃も思いましたが、他の分野ではこうしたゴーストライターや、「共作」という作業過程はよくあることですよね。なぜ音楽についてはこんなに厳しいのか。

 私もずいぶんたくさんのゴーストライティングをしてきましたし、かの仲小路彰も皇族や軍人、そして総理大臣に至るまで、あまりに多くの「代筆」をしています。

 また、逆にクライスラーが有名作曲家の名前を借りて作品を発表していたことも有名な話です。

 結局、森さんがこの映画で表現したかったのは、マスコミとメディアと大衆の「いじめ」体質ということですね。彼らによる、インモラルな善悪二元論とバランスを取るには、このくらい極端に佐村河内さん寄りの表現をする必要があったのでしょう。

 しかし、それがまた結果として、最後に笑いと呆れを催してしまうという残酷。私たちは、途中まで佐村河内さんにシンパシーを抱いていたのに、最後の12分で見事にまた彼を嘲笑する大衆にされてしまったわけですから。

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2021.07.18

三浦春馬さん一周忌…神のはからい

Th_-20210718-180620 う、あれから1年ですか。

 いまだに信じられませんね。

 その後、日本は世界はどうなったでしょうか。

 三浦さんが遺したメッセージをどのように消化しているでしょうか。

 私の人生はこの1年で大きく変わりました。そんな私が昨日、青木ヶ原樹海の中にある聖地で大切なことに気づいたので記録しておきます。

 皆さんもご存知のとおり、三浦春馬さんが所属していた株式会社アミューズが、山梨県の西湖畔に本社を移転しました。

 一般の方は、へえ〜富士山麓に移転かあ、これからはそういう時代なのかなと思うだけでしょう。

 このニュースについて、おそらく…ですが、世界でただ一人(?)私はある大切なことに気づいた、いや気づかされたのです。

 もう一度書きます。アミューズが移転してきたのは富士五湖の西湖です。

 私がかつて書いた、西湖に関するこの記事を改めて読んでみていださい。

 そう、西湖といえば三浦氏。そして、クニマスのふるさと秋田の田沢湖も三浦氏。そしてそして、このたび三浦春馬くんのお導きによってアミューズが西湖へ…。

 もちろん、これは偶然といえば偶然。

 しかし、その「偶然」こそが神のはからいなのです。つまり偶然とは、天にとっては必然であるということです。

 アミューズさんにもそこのところをしっかり理解していただきたい。

 アミューズはまさにミューズの神にちなんだ社名ですし、エンターテインメントとは「つなぐ」こと。タレントとファンをつなぐだけでなく、本来の「芸能」が、天と地と人をつなぐモノである(あった)ことをしっかり認識しなければいけないのではないでしょうか。

 昨日、樹海の中の龍神様の祠の前で、こんなメッセージをいただいたのです。

FOREVER IN OUR HEARTS, HARUMA MIURA

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2021.07.17

ブルーザー・ブロディ vs ジャンボ鶴田

 

 1988年の今日、プロレスラーのブルーザー・ブロディさんが亡くなりました。

 前日に腹部を刺され、出血多量で死亡。まるで力道山のようなあっけないお別れでした。

 亡くなる数ヶ月前、この感動の試合が行われました。ライバルジャンボ鶴田とのインター戦。

 お互いに技を出し合い、受け合い、ものすごい説得力のある試合。まず二人ともデカイ。そして動ける。

 前半のグランドの攻防も見応え十分。スタミナ削っている。打撃の迫力もすごい。試合全体のリズム感が懐かしいですね。

 ビジネス的にはかなり難しいことを言う人だったようで、それが刺殺される原因だったとか。

 しかし、非常に頭がいい人だったので、試合はしっかり構築していくタイプですね。決して暴走系ではない。

 この試合でも、鶴田の強さをしっかり引き出しながら、最後はしっかり勝利を収めています。

 まあ、この試合の結末はいわゆるアングルだとは思いますが、戴冠後のファンとの涙の交流は、これはきっと本心でしょうね。本当に嬉しかったのでしょう。それは、別の視点から言えば、日本でビジネスしていく証だったのかもしれません。

 しかし、それは叶いませんでした。

 ある意味、最強のまま亡くなったわけで、キングコング伝説は永遠のものとなったのでした。

 私も新日で2回、全日で3回かな、会場で生ブロディを見ました。本当にもうその存在自体がバケモノでしたね。特に印象に残っているのは、富士急ハイランドでの坂口征二とのシングル。1985年(昭和60年)の7月5日。私は地元の大学生でした。あっという間にリングアウト勝ちしたのですが、坂口選手が全く何もできない姿に正直驚きを覚えました。

 あらためていくつかの試合を見ながら、昔を懐かしんでみたいと思います。 

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2021.07.16

養老孟司〜意識とは、学びとは

 

 YouTubeのおススメに出てきたので聴いてみました。いろいろ納得しましたね。

 先日、「土偶を読む」の竹倉史人さんとも話しましたが、いわゆるアカデミズム、教育の世界は「コト」の詰め込みばかりやっている。コトとは、私の解釈では、言語、知識、意識、(過去の)情報、随意を表します。

 それはすなわち「ゴミ」でもあります。川の下流に流れ去っていく、自分とはどんどん無関係になっていくゴミです。まさに水に流すべき排泄物。

 臨済禅師も言ってますね。「経典なんてトイレットペーパーだ」と。

 それを一生懸命脳みそという入れ物に詰め込んで、その量を競っているのが、たとえば受験戦争。何やってるんでしょうね。

 一方、養老先生の言う体験、実習というのは、一見過去のコトになってしまうように思えますが、そのコトがまとっているオーラの部分は未来に残っていく。それが私のいう「モノ」です。

 ですから、「ものにする」とか「ものになる」というのが、教育の世界ではなかなか得にくいというわけです。

 とにかく、このちっぽけな私たちのちっぽけな脳ミソの中に「真実(まこと)」があると信じることがダメなのです。「まコト」は、逆説的ですが「モノ」の向こう側にあるのです。

 なるほど、生まれたらすぐに墓に入るのが最も効率的か(笑)。ただ、そうも行かないので、縄文人のように未来に(川の上流に)なにかモノを投げて死んでいきたいですね。

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