2024.05.23

「変身」の楽しさ

20240524-91541 日今日は戸隠で合宿。一昨日のイエモンのメンバーに対抗したわけではありませんが、私たちもちょっとカッコつけてみました(笑)。

 赤い髪が私です。

 というか、今回はコスプレのプロの方がいらっしゃったのですよ。それで軽く私もフェイスペイントしてもらったり、ヅラをかぶったりしてみたわけです。

 合宿のテーマの一つは出口王仁三郎です。彼はまさにコスプレの元祖。あの時代に化粧して女装して映画撮ったり、写真集出したり、まあそれは弾圧もされますわ。

 もちろん、それは「神劇」であり、「雛型」であったわけですが。

 映画「昭和の七福神」はその代表でしょうね。

 

 

 今回初めて本格的にフェイスペインティングしていただきましたが、これって快感ですね(笑)。変身願望が満たされると言うより、自分を見る周りの目が変わるので、自分自身を鏡で見なくとも自分が変わっていること、そして外界も変わってることを感じることができるのです。

 縄文時代にもフェイスペイントや刺青が一般的でしたね。変身というよりも、現実界から離れて神に近づく一つの方法だったのでしょう。

 プロレスラーがペイントしたりマスクを被ったりするのもその儀礼の名残ですね。

Img_5932 似合うかどうかは別として、「スイッチを入れる」ためには、この方法はなかなか良いと感じました。この格好で講義しましたけれど、いつもとは違う感覚で、自分自身も楽しめました。

 スキンヘッドはヅラも多様に楽しめるので良いとのこと。そりゃそうだ。なんかちょっと目覚めそうな気配が(笑)。とりあえずいろんな道具を買い揃えてみようかな。

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2024.05.22

『にほんのうた 音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』 みの (KADOKAWA)

61gcnuxprol_sl1500_ 日の記事、イエモンライブのレポをしてくれた「みの」さんの名著。

 いや、ホントこれを批判する人ってなんなの?って感じですよ。すごい偉業を成し遂げましたよ。

 細かいツッコミどころなんて誰が書いてもあるでしょう。なぜなら、対象が音楽、それも大衆音楽なのですから。理屈ではなく感性で続いてきた分野です。

 それにしてもよくぞやってくれました。正直、これって私がやるべきだった仕事です(笑)。

 それこそ縄文の音から純邦楽、昭和歌謡、そして最新のボカロまで満遍なく聴いている、そして演奏しているという自負がありますから。

 そしてその経験から感じてきた「生命」、すなわち連綿と続いてきた「にほんのうた」の世界が、見事にこの本には表現されていると感じました。

 「にほんのうた」の現在進行形の人生というか、様々な成長、出会い、苦難、過去や未来への憧憬、そういう生きた歴史の流れを感じることができるのです。

 もちろん洋楽にも通じたみのさんだからこその視点も多々ありました。単純に西洋と比較して相対化することが良いとは言えませんが、やはり日本文化の特長である受容と融合、そして止揚を再確認するためには、そういう視点も必要でしょう。

 本当に素晴らしい仕事をしてくれました。いずれ増補版、あるは続編が出るでしょうね。「にほんのうた」は生き続けますから。

Amazon にほんのうた 音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史

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2024.05.21

THE YELLOW MONKEYの東京ドーム・ライブレポ(みのミュージック)

 

 遠の憧れの日本語ロックバンド、THE YELLOW MONKEYの東京ドーム公演。当日(4/27)は京都で講演だったため参戦できませんでしたが、まかさのこういう形でのライブレポを体験できるとは。

 よくぞこうして撮影が許されましたね。もちろん、それはみのさんに対する信頼が信頼があるからでしょう。

 いやあ、それにしても相変わらずカッコいいですなあ。同世代として誇りに思いますよ。行きたかったなあ。

 ニューアルバムも楽しみすぎます。

 吉井さんとは本当に不思議なご縁がありまして、まさかの職場でばったり(?)会って静岡ネタで盛り上がるという恐ろしい運命が…。そこで私の中学の二つ下の後輩だということが判明。当時の家も某スーパーを挟んですぐ近所、さらに業界の共通の友人もいることもわかったりして、まああり得ない展開でした。

 8月には山中湖で会えるかな!?

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2024.05.20

FIRE?

 

 ベプラの「FIRE」特集面白かったですね。なにがFIREって話。

 FIREしたけど再就職するとか、めっちゃ節制生活するとか、憧れたけど現実は全然違ったっていうことですよね。

 結局、「火の車」という意味ではFIREだったということでしょうか(笑)。

 ちなみにひろゆきやミートたけしのような生き方は理想的なのでしょうか。すなわち好きな仕事だけして生きいけるということですね。

 そういう人はそんなにいないと思いますが、私は基本自分で仕事を選ばない、上流からやってきた仕事は全部受け取る人間なので、ある意味彼らより上を行っているかもしれません(?)。

 いずれにせよ、人間にとって最も辛いのは「やることがない」ことです。今日も学校の仕事で、全校生徒に座禅をさせましたが、たった10分でも何もしないことの辛さがわかったはずです。

 結局ないものねだりというか、隣の芝生は青いというか、働いている時は働かなくていい人がうらやましいし、いざ働かなくなると働く環境を欲したりする。わがままなものです、人間なんて。

 というわけで、私は「神(他人)」にすべておまかせという形を取っているわけです。結果として仕事がある時は全力でがんばるし、ない時はぐ〜たらする。

 そういうバランスは神(他人)が勝手に用意してくれるので、正直楽で楽しい。いわゆる惟神(かんながら)な仕事スタイル、ライフスタイルなのでした。

 そうすると面白いもので、(「やりたい仕事」ではなく)「やるべき仕事」が楽しい仕事に変わっていくのでした。

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2024.05.19

バッハ 『カンタータ174番 我いと高き者を心を尽して愛しまつる』

Img_5898 日は杉並の本郷教会にてコンサートに出演。コンサートというよりも「讃美と祈りの夕べ」ですね。

 ペンテコステを祝す、牧師さんの聖書朗読などを交えての礼拝音楽の演奏でした。

 私は、カンタータ68番の有名なアリアで、チェロピッコロ(ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ)を担当。本番では大ゴケしてしまい迷惑をおかけしました。懺悔。

 ちなみにオブリガートであるスパッラのパート譜はト音記号に書き直し、ヴァイオリンの譜読み(運指)で演奏いたしました。当時もヴァイオリン奏者ならそうしたに違いありません。

Img_5897 メインはカンタータ174番。これは15年前にもここで演奏した曲です。その時はヴィオラを担当。今回はチェロパートをスパッラで演奏いたしました。

 第1曲シンフォニアは、有名な(この前横浜で演奏した)ブランデンブルク協奏曲の第3番を元に管楽器などを加えた曲。全部で15パートもあるこの曲、指揮の淡野太郎さんによると、精霊が下った国や地域や言語の数が15であることと関係があるとのこと。さらに、三位一体(3)に五旬祭(5)をかけた数字であるとも。数霊にこだわったバッハなら十分あり得ることですね。

 今回、私はスパッラを文字通り肩に乗せて演奏しました。こういう形でこれらの曲を演奏したのは初めて(いや300年ぶり?)なのではないでしょうか。演奏者の皆さんも興味津々のようでした。

 楽譜付きで聴いてみてください。私は第2曲のアリアのコンティヌオのいかにもバッハ的で感動しました(隣で聴いていました)。

 

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2024.05.18

大霊界のルーツ

51yvkhdnafl_ac_uf8941000_ql80_ の日は故郷焼津でセミナーでした。会場がなんと祖父の生まれた家から50メートルも離れていないという驚きの場所でした。

 主催者さんが決めた会場ですから、自分の意志ではありません。初めてその町に行きました。最近、そういうことばかりです。

 参加者の皆さんも魅力的な方々ばかりで、私自身も楽しく過ごしました。翌日、同地域で「航空祭」が行われるため、前日リハーサルでブルーインパルスが飛び交ったのも楽しかった(笑)。

 終了後皆さんにシェアしたのがこの動画。丹波哲郎さんが耀わんや大本について語っています。

 案外知られていませんが、大ヒットシリーズ「大霊界」は王仁三郎の霊界観をベースにしたものなのです。

 その業績を称えようと、当時の三代教主さんが丹波さんを亀岡に呼んだ時のこと。信徒になろうと考えていた丹波さんに対して、三代さんは「あんたは信徒にならず仕事を通じて宣伝しとして霊界の真実を伝えなさい」と言われたうえ、好きなものを一つ持っていきなさいと、たくさんの耀わんを目の前に出したそうです。

 迷いに迷ったあげく一つの耀わんを選んだ丹波さん。感動してお帰りに鳴ったとのこと。先日、その様子を間近で見ていた方からお話をうかがいました。

 丹波さん、今頃霊界で王仁三郎の弟子として楽しく過ごしいることでしょう。

 

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2024.05.17

江古田と秋葉原

20240520-144353 昨日、大江戸線に乗っていまして、「新江古田」駅を通過しました。この駅名、なんと読むかご存知ですか?

 正解は「しんえごた」。そう、西武池袋線の「江古田」駅は「えこだ」なのに、こちらは「えごた」なんですよね。基本同じ地域のことを指しているにもかかわらず読みが微妙に違う。

 この辺の事情については、まあ東京の方はご存知かもしれませんけれど、一般には以下のように言われています。

 江古田は「えこだ」「えごた」? 西武と都営で異なる駅名の読み、なぜそうなった

 なるほど。

 日本語におけるこのような濁点に関する変化というのは案外ありまして、そう地名で有名なのは「秋葉原」ですね。もともと「あきばはら」だったのが「あきはばら」になった。秋葉神社がありますから、もともとは「あきば」。しかし省略形としての「秋葉」は「アキバ」と戻るから面白い。

 濁点位置の交替の例はほかにもたくさんありますが、もっと多いのは濁点の有無による読み方の違いですね。地名で有名なのは先日も通った「米原」。駅名は「まいばら」ですが、インターチェンジ名は「まいはら」です。

 ちなみに「原」の読み方は多様です。たとえば名前でも、「桑原」は「くわはら」だったり「くわばら」だったり、「梶原」が「かじはら」だったり「かじわら」だったり。

 日本語学的、音韻論的にも説明できるところですが、それよりも心理的な影響が大きいものと思われます。地名や名字は多くの人が利用するため、ある種の派閥のような対立構造もできやすい。そこで相手との差別化を図るために、濁点や半濁点を利用するという文化があるのです。

 皆さんの周りにもきっとこういう現象があるに違いありません。探してみてください。

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2024.05.16

のんちゃん(大船観音の娘?)

Oofunakannon08 日は鎌倉にてセミナーでした。懇親会まで含めると11時間ぶっつづけでしゃべりました(笑)。

 今日の受講者は全員女性でした。それも美女ぞろい(笑)。あの方もいらしてビックリ!

 会場の鎌倉芸術館は大船駅の近く。大船といえば、そう大船観音さまですね。まさに女性の慈悲を感じさせる美しい観音様です。

 戦争をはさんで紆余曲折ののちにようやく完成した大船観音ですが、2012年には娘さんを産んでいます(笑)。

 それがゆるキャラ「のんちゃん」。

 プロフィールを見てみましょう。

住まい…鎌倉市の大船駅西口にある観音山
年齢…ナイショ
性別…女の子
ライバル…自由の女神
好きなもの…桜(特に、玉縄桜)
好きな食べ物…最中
特技…ゆるキャラグランプリの紹介では、「ザリガニ」取りと「太極拳」。のんちゃんのサイトでは「船を漕ぐこと」。
言葉遣い…語尾に「のん」を付ける

 観音様には正確には性別はありませんが、のんちゃんは「女の子」なんですね(笑)。

 ゆるキャラが大量発生しているのは、世の中が平和な証拠です。そして女の子のキャラが多発するのもまた、ようやく女性性の時代が到来したことを象徴しているのでしょう。

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2024.05.15

ジャダン 『ヴァイオリン伴奏つきピアノ・ソナタ』

180pxhyacinthejadin の日は東京で仲小路彰関係の会合に参加。いよいよ本格的に動き出しますよ。またまた忙しくなりそうです。

 仲小路彰は作詞、作曲家でもありました。その部分についても私が担当して検証、顕彰していかねばなりません。

 さて、そんなことを考えながらいろいろやるべきことをやったのですが、その時BGMとして流していたのがこちら。

 

 

 ジャダンは18世紀のフランスの作曲家、ピアニスト。フランス革命にも音楽的に貢献した人物です。

 彼の書く曲は非常に洗練されています。やりすぎがないところが良い。常識的に美しい。耳当たりが良い。つまり品が良いのです。

 この録音は当時のフォルテピアノによる演奏ですが、BGMとしてもとても心地よい響きですね。

 ヴァイオリンの伴奏つきピアノ・ソナタと言えば、一般にヴァイオリン・ソナタと言われているモーツァルトのピアノ・ソナタたちがそれに当たりますね。まあ、あのソナタはヴァイオリンもそれなりに活躍しますからね。

 こちらは完全に伴奏というかオマケというかフリカケというか。奏者がいなければ省略してもよいというスタンスで添えられているだけです。それがまた良いですね。こういうヴァイオリンを気楽に弾いてみたいものです。

 それにしても、ジャダン、本当にセンスいいですね。ハイドンともモーツァルトとも違う、いかにもフランスという感じ。私は好きですね。

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2024.05.14

吉田松陰の大和魂

Img_5840 日は秋葉原でセミナー。格別に盛り上がりましたね〜。講演中、いろいろ不思議な現象が多発。特に落としたペンが絨毯の床に立った時には、鳥肌も立ちましたよ(笑)。

 そしてもっと鳥肌ものだったのが、セミナーが終わって懇親会会場へ向かう途中のできごと。

 数少ない男子メンバーでてくてく歩きながら「なにか起きそう」「途中に神社とかありそう」と言っていたところ、道の反対側に神社の幟が見えまして行ってみたところ…。

 なんと、そこは吉田松陰が処刑された場所だったのです。全く事前の知識なく知らない町(小伝馬町)を歩いていたものですから、みんな驚きました。

Img_5849 ちょうどセミナーで(本当の)「大和魂」について語ったあとでした。その文脈では、吉田松陰の有名な辞世の歌の「大和魂」は批判の対象になっていました。

 つまり、本居宣長からの間違った解釈を継いだのが吉田松陰であり、彼があまりに影響力があったために、のちの軍国主義にその「大和魂」が使われたという説です。

 今回の偶然の邂逅は、それに対する吉田松陰自身の反論なのかもしれません。そう、あらためて処刑場において、その歌を読み直すと、また違った解釈が降りてくるのでした。

 まず処刑前に詠まれた有名な歌「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」。これはやはり素直に読み取ると「命を捨てて国を守る」方向に解釈されますよね。

 では、辞世の歌「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」はどうでしょう。「身」が朽ちることと対比されて「魂」は留め置くわけですから、やはり「命を捨てて国を守る」と解釈されがちです。

 しかし冷静に観察すると、大和魂について松陰は「やむにやまれぬ」ものであるということ、また「留め置きたい」ものであるということしか言っていないわけですね。

 つまり、私のセミナーのテーマでもある自分の意志ではなく神の意志に従って動く(すなわち自己実現ではなく神実現)のことを言っているだけであると。世の人々が自分の利害によって動き始めた近代において、日本古来の「惟神(かんながら)」の精神を自分は守りたいと言っているのではないでしょうか。

 こうして改めて「大和魂」について考えさせられるきっかけを得たのも、まさに自分の意志ではなく、神(故人含む)の意志なのかもしれませんね。

 

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