2023.09.22

ELO part2 『Love or Money』

 

 日も忙しいので知られざる名曲を一曲紹介します。

 私の音楽ライフのルーツはELOですが、その中心人物ジェフ・リンを欠いたELOがELO part2です。柱がいないわけですから、どうなることやらと思いきや、案外クオリティーの高いオリジナル・アルバムを何枚か発表しました。

 ちなみにライヴでは、ジェフの名曲もジェフ抜きで演奏していましたね。ワールドツアーも積極的にやっていた印象です。たしかにELOが解散して、ロスになっていたファンにとっては懐かしいナンバーを生で聞ける機会でしたよね。

 現在は逆に「ジェフ・リン's ELO」として本家がその活動をしています。

 さて、そんな不思議な存在だったELO part2でしたが、先述したように案外(?)いい曲を作っていました。その代表的なものがこの「Love or Momey」でしょう。2枚目のオリジナル・アルバム収載。

 個人的にはかなり好きな曲でした。「愛か金か」ですね(笑)。1994年の発表ですから、え〜と私はちょうど30歳。独身時代ですな。

 いかにもブリティッシュ・ポップという感じで、なかなか凝ったコード進行を多様しています。ポスト・ビートルズ感満載ですよね。

 ふと思いついて久しぶりに聴いてみましたが、たしかにいい曲です。おそらく世界中に、こうした「売れなかった名曲」がたくさんあるのでしょうね。

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2023.09.21

マスチッティのコレンテ

 

 ょっと忙しいので、今日は知られざる佳曲を一つ。

 イタリアバロックの作曲家ミケーレ・マスチッティはナポリで活躍したのち、その音楽家としての後半生をパリで過ごしました。

 コレッリに師事したようで、師匠の作風をある程度忠実に守りながら、フランス風な洒脱さを兼ね備えるに至り、特にヴァイオリン・ソナタに関しては非常に優れた作品を多数残しています。

 しかし、ほとんど忘れ去られていますよね。私も数年前まで全く知りませんでした。これがなかなかキャッチーな曲を書いていまして、演奏する側も聴く側も優雅に楽しめるので、これから演奏していきたい作曲家の一人です。

 たとえばこの曲、作品2の3番の3楽章なのですが、始まりはまさにコレンテ(クーラント)というノリですが、各セクションの後半になると、まるでヴェルサイユ宮殿内でのメヌエットのごとく、なんともわかりやすく優雅なコード進行で泣かせます(実際彼はヴェルサイユ宮殿でこの曲を演奏していると思います)。

 フランスのシャンソンや、それに影響を受けた日本の昭和歌謡曲のような感じ(笑)。こういうコテコテな曲があるとは知りませんでした。

 この作品2は全体として非常に良くできた作品集なので、ぜひBGMにでもしてみてください。それにしても、なんでこの演奏、ヴァイオリンとチェロだけなのかなあ。ちゃんと通奏低音に数字入っているのですが。なにか歴史的な根拠があるのかもしれません。解説を読んでみたいですね。

 

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2023.09.20

『戦後GHQに禁止された神秘の植物「大麻」』 中山康直×川嶋政輝

 

 イフワークの一つが絹と麻の均衡的復活です。

 先日、サトマイさんの動画を紹介しましたが、今日も麻について良い内容の動画がアップされていたので紹介します。

 とにかく麻は万能な植物なのですよ。その安全で万能な植物を禁止したのは、動画で語られているとおり、その裏に石油産業があったからです。

 さすがに20世紀的な石油文明は終焉を迎えつつあるので、こうして麻の「再発見」が進むことは当然の成り行きです。

 前にも書きました通り、かつて世界中で栽培され活用されてきた麻の中でも、特に日本産の麻の品質は非常に高かった。さらに最近の農業技術を応用すれば、日本の一大産業になりえます。「JT=ジャパン・タイマ」という時代が本当に来ると思っています。

 まずは医療用、そして産業用でももちろんOK。この動画でも紹介されているように、ヘンプカーは大変面白いですよね。20世紀的石油産業の象徴たる自動車がヘンプに回帰していくとしたら、まちがいなく世界は変わります。

 今、自動車産業内では、石油産業の上に乗っかったままの「電気」が異常なまでに持ち上げられていますが、その虚妄もそのうち暴かれるでしょう。

 中山さんは同じ静岡県出身の同年代ということもあり、その活動に注目してまいりました。今後何かの形でコラボできればと思います。

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2023.09.19

Qiワイヤレス充電つきBluetoothスピーカー

Th_71stxyomll_ac_sl1500_ 外好評な「(アヤシイ)安物買い」シリーズ。

 ある意味「当たり」だった今回の安物はこちらです。Qiワイヤレス充電つきBluetoothスピーカーです。いや、BluetoothスピーカーつきQiワイヤレス充電器かな。

 これは枕元に置くのに最適ですよ。いや、最適ではないがまあまあ適当か。

 まず基本が充電器です。iPhoneを縦でも横でもどちらでもポイと置けば充電してくれます。ポイしやすいデザインと大きさです。そう全体の和太鼓みたいな?デザインが安定感もあり、なかなか秀逸。

 Qi充電なので充電速度はそこそこですし、iPhone本体が熱くなりますが、まあ寝ている間に充電するにはこれで充分ですね。

 そして次にスピーカー機能。これもまあ音質的にはアレですが、おまけだと思えば満足できます。すなわちiPhone本体よりはマシ。低音もまあまあ出ます。太鼓が功を奏しているのか。

 ただ、スピーカーは背面にあるので、ちょっとこもった感じがします。高音は指向性が高いのでしかたありませんね。背面近くに反射板(になるもの)を置くとだいぶ改善します。

 説明書ではステレオと書いてありますが、かなりアヤシイですね。確かめてないですが。まあそこまで求めてないのでいいのですが。

 つまり、寝る時に小さく小さくBGMをかけたいだけなのです。そしてその小さく小さくが重要でして、ウチに転がっているいくつかのBluetoothスピーカーの最弱音が案外大きくて睡眠時には使い物にならなかったのですが、こいつは奇跡的に完璧です(笑)。というのは、iPhoneのボリュームを「無音」にすると無音にならず、極微音になるのですよ(!)。これが想定外に良かった。ただし無音になりません(笑)。

 そしてもう一つの機能、それは「ライト」です。極彩色のLEDがチカチカします。これは完全に睡眠を妨げます(笑)。このディスコ的なチカチカはデフォルトですが、本体に触れることによって、消灯したり、暖色系のライト(照度3段階)に切り替えられます。できれば、消灯をデフォにしてもらいたかった。

 ついでにこのチカチカ、音楽に合わせて光るんですよ。まさにディスコ(クラブ?)。これでは眠れませんね。

 そして、最初のうち正直故障(不良品)かと思ったのですが、そのライトの切り替えが説明書のように指でタッチでは不可能でして、永遠ディスコ状態で我慢しようかと思ったら、なんと手のひら全体で太鼓の胴を包むように触れたら切り替わった。この私用の製品はそういう仕様のようです(笑)。

 あと、これは説明書にも書かれていない機能なのですが、チカチカ最中に電源ボタンをクリックすると、チカチカのパターンが変わりました。こんな隠し機能を見つけるのも楽しみの一つですな。

 なお、背面の電源ボタンを長押ししなければスピーカーもライトもオンにならず、シンプルな充電機能つきスマホスタンドです。それだけでも価値はありますね。

 さらにマイクも内蔵されており、ハンズフリー通話もできるとのこと。2,000円以下でこんなに楽しめるし、まあ実用的でもあるので、久々の「当たり」に認定しました。

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2023.09.18

告知! 10/7・9 横浜にて…

 〜、10月の三連休、我ら夫婦がそれぞれ音楽イベントに登場いたします。

 全然違うジャンルですが、どちらも面白いと思いますのでぜひお出かけくださいませ。

 横浜はまさに西洋音楽流入の最先端でした。そこで象徴的な音楽を演奏できるのは幸せなことです。

 私たち夫婦というか家族、古今東西、まあいろんなジャンルの音楽をやっておりまして、人前でやる音楽が自分の専門かというとそうでもないところが面白いですね。じゃあ専門は何かと言われると…あれ?w

 まあそれはいいとして、まず7日ですけれども、家内が副顧問&ヴォーカリストを務めております、富士学苑中学・高等学校ジャズバンド部が、横浜ジャズプロムナードに出演いたします。

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 場所はみなとみらいのグランモール公園、美術の広場内ステージです。12時55分からの出演。家内も歌うようです。中高生の明るく元気なビッグバンド・サウンドをお楽しみください。

 続きましてワタクシの方です。8日にリハをやりまして、9日が本番。お世話になっている古楽器アンサンブル山手バロッコの25周年記念コンサートにヴィオラで出演します。神奈川県民ホールです。

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 今回はオリジナル・メンバーがソロをとる、ハイドンのヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲、モーツァルトのフルート協奏曲に加え、珍しいバセット・ホルンの協奏曲(ロッラ作曲)を演奏いたします。

 それにしても最近、横浜に縁がありますね。特に関内から横浜港付近にかけて。娘二人はすっかりベイスターズのファンになり、ハマスタに通っていますし。

 いや、実は父親が横浜公園に隣接する日銀の横浜支店に長く勤務していたんです。さらに父親の先祖はかつて横浜港から輸出される茶箱のラベルを作る仕事を営んでいたとか。面白いですね〜。

 ちなみに横浜はシルク(絹)に関しても縁深いところ。今回私はシルク絃のヴィオラを演奏します。そうそう、私も以前富士吉田で主催させてもらった全国シルクサミット、今年は横浜開催で、しかも10月6日、7日なのです!横浜市役所です。これまたすぐ近く。こちらにも顔出さねば。なんなんだこの偶然、必然は。

 ついでに、ジャズプロムナードの実行委員長ロバート・ハリスさんは、私のセミナーに参加してくれたこともありますし、全く不思議なご縁です。

 そして、再来年にはさらに…妄想は広がるばかりです(笑)。

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2023.09.17

アニメ映画『犬王』 (湯浅政明監督作品)

 

 日の動画でも紹介されていたアニメーション映画「犬王」。

 娘が能をやっていることもあって興味深く鑑賞いたしました。こういう作品好きだなあ。境界線を感じさせない世界観。

 お変人のワタクシからすると、観阿弥も世阿弥も犬阿弥(道阿弥)も相当ロックなアーティストでした。

 今では能というと静かで眠くなる舞台芸術のように思われていますが、あの時代はその時代性とも相まって、能楽はかなり過激な野外フェスでした。

 そのあたりの空気感を、現代のロックと融合させることによって、見事に表現しているのがこの作品だと言えます。そうした時代を超えた融合に違和感を抱くとするなら、その人は時代や歴史や伝統というフィクションにとらわれているのでしょう。

 そういう意味でも、できれば劇場で鑑賞したい作品ですね。実際、この映画では現代の風景が額縁のように配置されていますが、私たちの側も現実の風景から隔離される空間と時間が必要です。

 近年の名作ドラマ「俺の家の話」の時も、能楽界がざわつきましたが、この映画についてはどうだったのでしょう。伝統に対して失礼だと言った人もいましたが、はて、観阿弥や世阿弥、犬王が現代に生きていたら、もっと過激な作品を世に問うていたのではないでしょうか。

 特に犬王は、世阿弥が「こいつ最高!」と評価したアーティストでしたからね。

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2023.09.16

『ジャニーズの闇と日本の裏に潜むユダヤ!芸能の本質とその神様』 (神社チャンネル)

 

 ャニーズ問題が沸騰中ですね。

 いろいろな語り口があると思います。ある方面から見れば炎上必至ですが、ワタクシの一つの視点としては、ファンの気持ちが置き去りになっているということですね。

 正直、真性女性ファンからすると、外野の騒ぎに腹が立っているのではないでしょうか。そう、そんなことはもう昔からずっと知っていて、それでもファンだったわけですよ。それなのに今頃騒ぎ出した上に、「被害者」の仕事まで奪っていると。

 はっきり言ってしまうと、男性アイドルたちが男性であるジャニーさんに何されようと関係なのです。これが女性相手だったら大変な激情を生むわけですが、そうではないところが大事であって、その延長としてジャニーズは女性問題にはタブーがあったわけです。

 あくまでも「アイドル」。偶像であり、ある種の神であり、それを感じられるからこそジャニーズには格別な魅力があったのです。

 それをこの人間界の人権とやらで語るとは笑止千万。いや怒止千万。

 そうした「アイドル」「芸能」の歴史を語ってくれているのが、こちら神社チャンネルの動画。私もお世話になっております。

 よくぞ言ってくれたという感じですね。ユダヤかどうかは眉唾ですが。

 ちなみに、出口なお、王仁三郎は芸能を非常に重視しました。彼の言説には、今回の一件に関しても示唆的な内容が含まれています。

 すなわち、大本神諭にあるがごとく、古事記に記される岩戸開きはアメノウヅメの「嘘」とタヂカラヲの「力」によって達成されたものであり、二回目の岩戸開きは「真」と「愛」によって完成されねばならないということです。

 日本の近代化は「嘘」と「力」によって成されてきました。それらは芸能界も同じです。しかし、それがいよいよ崩壊する時が来た。変革には荒魂が必要です。今それが発動しているのかもしれません。

 そういう壮大な視点でこの問題を俯瞰すると、ジャニーさんの役割というのもわかってくるというものです。

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2023.09.15

バッハ カンタータ85番 『われは良き羊飼い』

 

 ィオロンチェロ・ダ・スパッラはヴィオロンチェロ・ピッコロと同じ楽器なのでしょうか。

 私の考えですとYesです。

 バッハはカンタータで比較的頻繁に「ヴィオロンチェロ・ピッコロ」を指定しています。たぶん全部で11曲。

 その中で調号がト音記号、すなわちヴァイオリンのような楽譜で記され、出てくる音は1オクターヴ下というのは5曲。あとの6曲はヘ音記号やハ音記号で記されています。つまり実音どおりの表記。

 前者5曲から考えられるのは、ヴァイオリン奏者が楽器を持ち替えて弾くということ。

 それを実際にやっている動画がありました。2曲めのアルトのアリアで、シギスヴァルト・クイケンがスパッラに持ち替えてオブリガートを弾いています。

 あるあるなのですが、急に楽器の大きさが変わるので、最初は音程がいまいち(笑)。これでまたヴァイオリンに戻るとますます難しい。

 そして私の妄想では、クイケンのようにストラップで首からぶら下げて弾くのではく、ヴァイオリンと同様に肩に乗せて弾いていたのです!

 というわけで、私も持ち替えてやってみましたが、やはり音程にちょっと不安はあるものの、非常にヴァイオリン的なパッセージが連続し、なかなか心地よく演奏できました。

 このパートって、たぶんイエスの擬音化ですよね。非常に重要です。実はカンタータにおけるヴィオロンチェロ・ピッコロのパートはイエスの象徴であることが多いのです。特別な楽器だったわけです。

 「イエスは良き羊飼い」というアリアの中でのイエスですので、もう少し柔らかく弾きたいような気もしますが、まあシロウトがいろいろ言う話ではありませんね。

 アーノンクールの古い録音をスコア付きで聴いてみましょう。これはどんな楽器を使ってるのかなあ。縦型の5弦チェロかなあ。

 

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2023.09.14

『福田村事件』 森達也監督作品

Th_320_20230915090201 てきました。いやはや、すごい映画でした。

 ちょうど百年前。関東大震災後に起きた悲惨な事件。

 事件の内容やそこに至る経過は歴史的な事実として知っていたつもりでしたが、これほどまでに心を揺さぶられるとは。

 森達也監督の初の劇映画。

 なるほど、監督は今まで主にドキュメンタリー映画を撮り、真実の中から物語を紡ぐという手法を極めてきましたが、今度は逆、物語から真実を紡ぐということに挑戦したわけですね。

 そしてそれは大成功であったと思います。

 この映画の内容に対して、たとえば偏狭な保守主義者たちは、そんな事件はなかったとか、実際に朝鮮人や穢多非人は不逞を働いていたとか言うのでしょうが、それもまた、この映画に揺さぶられているからこその反応です。

 一方で、リベラルに偏り過ぎな方々は、この映画は素晴らしい、やはりかつての日本(日本人)は間違っていたのだと叫ぶのでしょう。それもまた反応です。

 そうした「反応」が論理より先に感情として現れるということは、そう、私たち自身の中にも「狂気」の種があるからでしょう。もちろん私もそうです。

 森監督の、リアルを凝視してきたからこその演出手腕はもちろん、私は(勝手にですが)荒井晴彦さんの臭いに感心してしまいました。

 ある意味不謹慎かもしれませんが、ああいう時の(残酷なことをする時の)人間の心理、高揚感、非倫理性というのは、なんかエロに通じるなと感じたのです。本能なのでしょうか。

 当時の田舎の日本人の純粋な「不貞」も重層的に描かれていますが、それ以上に純粋かつ集団的な「不逞」の方がエロチックに感じてしまった。

 いかんいかんと思ったけれど、自分の中にそういうとんでもなく恐ろしい種があることを再認識させられてしまった。

 もうそれだけでも、この劇映画の目的は見事に達成されたと思います。少なくとも私にとっては。

 時代という舞台の再現、その上で演じる役者さんの凄まじい演技。物語の力をまざまざと見せつけられた気がします。正直、予想の百倍くらい衝撃的、(感動ポルノではなく)感動的でした。

 もし機会がありましたら、ぜひ劇場に足を運んでみてください。

 映画「福田村事件」 公式

 

 

 岡田斗司夫さんのような感想もありだと思います。

 

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2023.09.13

我慢するな。頑張るな。

Th_8132cspie9l_sl1500_ 阪から静岡に帰ってきました。

 帰りの新幹線で久しぶりに読んだのは、オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」。

 ヘリゲルが到達したという「無我」の境地、弓と矢と的と一体化する境地は、まさに昨日書いた自他不二、神人合一に他なりません。

 私は弓道はやりませんが、楽器「弓」は扱います。

 実は楽器の弓の扱いにも弓道と似たところがあります。というか楽器は全てそうでしょう。人馬一体ならぬ人器一体(?)。

 ヘリゲルは弓の弦を離す時に、師匠から「離そうとしている」と叱られます。また、師匠から学んだ型を再現しようと頭で考えてしまい難渋します。

 音楽道でもそうでして、自分で楽器(たとえば弓)をコントロールしようとしたり、あるいはセンセイから習った持ち方に固執したりしても、美しい音を出すことはできません。

 私は楽器自体から教えてもらうことが得意でして(逆に言うとまともな修練ができない)、最近で言えばたとえばヴィオロンチェロ・ダ・スパッラを肩に乗せて平気で弾いたりするわけです。それが人器一体になるのに最も有効な形であると(楽器から)教わったからです。

 ここで日本語の話をします。

 家庭や学校や会社など、あらゆる社会的チームの中にあっては、多くの人たちが「我慢しろ」とか「頑張れ」とか言ったり言われたりして生活していますよね。

 これって実は大きな間違いなのです。

 「我慢」は仏教用語では「我に対する慢心=うぬぼれ」という意味です。自慢もそれに近い。自我への執着、すなわち煩悩のボスみたいなヤツですね。

 「我慢しろ!」って、その煩悩をしっかり全うせよと言っているわけで、とんでもない間違いです。それがなぜ良い意味のように使われるようになったのか。日本語史、日本文化史的にとても面白い変遷があるのですが、ここでは省略します。

 そして「頑張る」はもともと「我を張る」「我に張る」から変化した言葉です。まさに「自分が自分が」と頑張っちゃうことです。これも自我への執着。

 「頑張れ!」もまた、煩悩の全うを要求する言葉なのです。

 ですから、最近の私は、「我慢するな。頑張るな」というのです。全てにおいて自分が主人であると思いこんではいけない。自己の(あるいは所属集団の)目標達成のためにガマンしたり、ガンバルのは天の意志に反するのです。

 ちなみに、自己は主人ではないが主(中心)であるということに関しては、10年前の私の気づきをお読みください。

「随処作主立処皆真」  

 弓道も楽器道も、もちろん禅の道も、「我慢しない。頑張らない」ところが原点なのでした。

 最初の「弓と禅」に戻ります。こちらの紹介動画が優れものですので、読む時間がないという方はどうぞ。便利な時代ですね。

 

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