2018.10.20

高城剛 KEYNOTE SPEACH 『30年後の未来へ』(INNOVATION WORLD 2018)

20181022_131745 うそう、この前のイノフェスの高城さんの講演が本当にすごかったんですが、やっぱりあれも「即興」だったそうな。空っぽでその場に立つと、ちゃんと流入してくるらしい。それであれだけ淀みなくしゃべれるんだら、まあ天才ですわ。キース・ジャレットと同レベルですね。
 その基調講演の一部がラジオでオンエアされました。今日はそれを紹介します。全体の3分の1くらいですが、それでもかなり衝撃的な未来像が紹介されていますし、私たちが考えるべき課題も提示されています。
 高城さんは、基本、実際に現場に行って自らの五感(+六感)で確認したこと、あるいは実際に会って聴いて納得した情報以外は信用しません。インターネットの寵児のように思われがちですが、逆に彼はインターネットの情報は信用しません。
 そこに彼の発信する情報の価値の基盤があります。ぜひお聞きください。

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2018.10.19

楽譜リーダー 『MobileSheets』

20181021_81210 たまた音楽、特に「楽譜」のお話。
 私は「暗譜」が全くできません。ひどい。全くです。これは「暗譜」というより「暗記」と言った方がいいかもしれない。だから学校の勉強にも大変苦労しました。どうしても覚えられない。
 高城剛さんとも話したんですが、「我々が昨日のことも忘れてしまうのは、過去にこだわらないで未来を見ているからだ」とも言えますね(都合のよい言い訳?)。
 楽譜が覚えられないというのは、記憶の能力が低いというのもあるし、だからこそまず覚えようとしないというのもあります。さらにそう開き直っているために練習(訓練)をしないというのもあります。勉強でも同じです(苦笑)。
 その分、楽譜を読むのは得意。さらに即興もまあまあ得意。思いついたことをしゃべるのもまあ得意。原稿を暗記して話すのは無理。
 自分で楽しんでいる限りは、テキトーに即興で読んで、あるいはテキトーに即興で表現していいわけですが、グループで何かをやるとなると、そうもいかない。
 私はいくつかのバロック(ロックではない)のバンドに所属しているので、さすがにあまりにいい加減な演奏が許されない場面がけっこうあります。
 そんな時はもちろん楽譜を見ながら弾くわけですが、楽譜に対する思い入れ度が低いのか、楽譜をなくしたり、忘れたり、あるいは書き込みをさぼったり、あるいは本番当日まで製本しなかったり(笑)、演奏以前の部分でいい加減なのです。
 そこで考えたのが、楽譜の電子化です。
 最近、ロックやフュージョンをやっているう上の娘が、楽譜の管理をiPadでやってるのを見て、おおこれはいいなと思ったのです。
 iPadでは有名かつ大人気の無料楽譜リーダーアプリ、Piascoreがありますよね。あれはたしかにいい。
 ところが私はiPadは持っていません。老眼が進んでいるし、もしiPadを楽譜代わりにするとすると、iPad Proを買わなければならない。そんなお金はありません。
 そうそう、お金がないといえば、電子インク仕様の理想の楽譜リーダーGVIDOは売れてるのでしょうか。18万円はさすがに高い。8万円だったら考えますけど。あと10年もすれば5万円くらいになるかな。
Th_img_2871 で、私が持っているタブレットは、ヤフオクで落とした東芝 dynaPad N72。画面の大きさは実質B5サイズ。まあ老眼でもなんとかいける大きさです。
 アプリは有料になりますが、 MobileSheetsです。これはPiascoreに勝る機能を持っており、なかなか快適に使えています。
 まだ本番では使ったことがありませんが、クラブの指導の際には、いろいろなパートを行き来するので、とても便利です。手書きの楽譜もよく使いますので、それはスキャンアプリでパシャッと撮影して修正して取り込みます。
 書き込みもスムーズにできますので、たしかに紙の楽譜と同じ感覚で使えます。
 問題はやはりめくり。自動スクロールでめくりなしというのもできるのですが、クラシックですと、リピートやダ・カーポが多いので、単純にはいきません。そのあたり、まだ使い方がよくわかっていないので、これから研究します。
 あと、やっぱりバッテリー問題ですね。いちおうモバイルバッテリーを用意しておかないと、精神衛生上よくありません。演奏に集中できません。
 それから、電子ブックリーダーと同じように、いわゆるパラパラめくりができないのがちょっと…。さっと曲を探せないし、数ページまとめてめくるとという動作はできません。あれあれ?とかやっている間に、皆さんに迷惑をかけること必至。
 逆に紙より圧倒的にいいのは、薄暗い場所でもよく見えるということです。よくあるんですよ。夜の本番になって初めて、その暗さに気づき、なにしろ暗譜とかしていないので、いきなり音符が見えなくなって焦るっていうケースが(苦笑)。そういう心配はないですね。
 もちろん無線で譜めくりを可能にする、Bluetoothフットスイッチもあります。持っていませんが。
 もうロックやジャズの世界では、プロが本番でタブレットを使うのは当たり前になっています。はたして、クラシックの世界ではどうなのでしょうか。

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2018.10.18

禅とインプロヴィゼーション

 このところ忙しいと言いつつ、音楽について熱く?語っておりますな。
 今日から二日間、禅宗の教えに基づく教育をしている先生方との交流をいたします。
 禅と言えば不立文字。あるいは以心伝心、教外別伝。つまり、言葉や文字を頼りにしてはいけないというのが基本。
 音楽で言えば、楽譜はダメということですよね。しきたり(為来り)再現をするにしても耳で覚えなければならない。
 では、勝手に即興をやっていいかというと、禅ではそれもダメ。しかし、茶道などもそうですが、型を忠実に再現する中で、生きた人間としての差異、誤差というのが、ある種のその場性になるというのはある。
 それが一期一会であります。
 おとといのキース・ジャレットの彼らしさというのは、ある意味では「型」とも言えます。それがその時、その場という中で微妙な、しかし無限の差異や誤差を生じて、まさに一期一会の音楽となる。
 そうそう、キースも禅に興味を持っているんですよね。京都大好きです。ステージでの最後の礼の時も、必ず合掌しますし。
 また、違う言い方をすると、キースは空っぽになっているとも言える。器としての型はあるけれども、そこに注がれる何ものかは、完全に自由です。
 不変なるコト(型)と流動するモノとの関係性はかくも面白い。それがこの世を作っている(…と私は思っている)。
 キースの演奏で言えば、西洋音楽の理論という制約、そしてピアノという楽器と人間の肉体という制約がコト(型・器)になっていて、そこに時の流れに根ざしたモノが流入して一期一会が成立している。
 キースはある種の瞑想状態で演奏するわけです。間違いなくガンマ波が出ています。私も何度か彼のライヴを鑑賞しましたが、彼の脳波に誘導され、プチ瞑想状態に陥りました。会場全体が波打つのです。量子論的波動の世界ですよ。
 そんな過酷な状況を続けたために、彼は慢性疲労症候群になってしまったこともありました。まあ、あの集中状態はやばいですよ。私なんか、この前たった6分弱の即興演奏をしただけで、ぐったり疲れてしまいました(苦笑)。
 というわけで、今日もまたキース・ジャレットのソロ・コンサートの動画を紹介します。動画からも波動が伝わってきますよね。いったいどういう意識の状態になっているのか、そして、どうやって戻ってくるのか、いつも不思議でしかたありません。


 
 

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2018.10.17

モニカ・ゼタールンド

 日はスェーデンのウプサラ大学の先生方が我が校を訪問されまして、教育についてものすごく濃い討議をさせていただきました。お互いの教育観、あるいは方法論がまさに正反対。だからこそ学ぶところも多く、両方の良いところをミックスしていくことが大切だという話になりました。
 ないものねだり、隣の芝生は青いということもあるでしょう。いや、隣ではなく、お互い地理的にも歴史的にも遠いので、どこか理想郷のようなイメージがあるんでしょうかね。
 さて、昨日までの即興つながり、ジャズつながりで言いますと、スウェーデンと言えばモニカ・ゼタールンドでしょうね。とってもチャーミングなボーカリストです。
 彼女の半生がおしゃれな映画「ストックホルムでワルツを」にもなりましたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

 この映画のタイトルにもなっていますように、彼女はジャズ界の大御所であり、憧れの存在でもあった、あのビル・エバンスと共演しています。これがまたいいんですよ。彼女の人柄が音楽に表れていますね。

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2018.10.16

キース・ジャレット 『ソロ at 武道館(1978)』

 代の即興の天才と言えば、この人を忘れるわけにはいきませんね。キースジャレット。
 優れた即興演奏をたくさんの録音、録画として残し、またそれを日本人が「楽譜」に起こしたりしております。
 もちろん私もケルン・コンサートの楽譜を持っています。楽譜にしてみて、キース本人も驚いたとか。これはバッハのデザインだと。
 さて、そんなキースのソロ・インプロヴィゼーションの中で、正式にCD化されていないのが、この演奏。1978年12月12日。
 これをこうしてYouTubeで聴けるなんて、なんともいい時代ですね。音質もFMのカセット録音とは思えないほど美しい。なんか現場の空気が伝わってくる感じですね。アナログだからでしょうか。
 それにしても素晴らしい音楽ですね。キースらしさ、すなわちある種のパターンがあるのは当然ですが、だからこそその新しさ、即興性、その場感が聞こえてきます。
 

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2018.10.15

viola bastarda…即興と楽譜

 のすごく忙しいので、楽曲紹介が続きます。知られざる名作、名演奏を紹介するにはいい機会かもしれませんね。
 今日もまた、即興演奏に関わる動画を紹介します。
 今でこそ楽譜というものの存在が当たり前になっていますが、西洋で楽譜が普及したのは、活版印刷が登場した15世紀以降です。それまでも楽譜がなかったわけではありません。「変えてはいけない」音楽として、教会の聖歌などは楽譜として残されていました。しかし、庶民にまでそれが普及するのは、近代になってからです。
 日本でも事情はそんなに変わりません。五線譜が輸入される前は、正確な記譜法もありませんでした。
 ということは、逆に言えば、音楽とは再生するものではなく、その場でどんどん創造されるものだったわけです。つまり即興が主であったと。
 作曲家という職業のあり方、あるいは作曲家自身の考え方も近代になって大きく変わったと言えます。バロック音楽までは、かなり自由な即興性を認めていましたが(バッハは例外)、古典派以降になると、即興が許されるのは、いわゆるカデンツァの部分だけとなっていきます。
 一方で、大衆の音楽文化においては即興性が生き続けました。それがいわゆるクラシック音楽にリベンジして成功したのがジャズですよね。
 楽譜は「転写」された「コト」ですから、時間の流れが過去から未来へとなります。一方、即興演奏はその場で生まれる「モノ」なので、時間の流れが未来から過去となります。全然違うんですよね。
 その話はまたいつかするとして、今日は、そうした即興性が残っていた時代における楽譜に残された音楽を紹介しましょう。つまり、モノとコトが混在している音楽。
 ヴィオラ・バスタルダ(Viola bastarda)という楽器があったと言われています。即興演奏用のヴィオラ・ダ・ガンバだと言われていますが、どうも普通のヴィオラ・ダ・ガンバを即興で演奏する時に、そのように呼ばれていたようです。ヴァイオリンとフィドルの関係と同じですね。
 で、即興ですからほとんど楽譜に残されていないのですが、おそらく即興性が徐々に薄れていくことに対しての危機感でもあったのでしょう、何人かがその即興の例を楽譜に残したり、即興風の作曲をしたりしています。
 今日紹介するのは、16世紀の作曲家ジローラモ・ダッラ・カーサ (Girolamo Dalla Casa) の作品です。

 バロック期には、コレッリやテレマンが、即興の例を楽譜に残すというある意味矛盾した「作曲」をしています。面白いですね。
 忙しいと言いながら長々と即興で書いてしまいました(笑)。

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2018.10.14

パイプオルガン・インプロヴィゼーション

 昨日は自らインプロヴィゼーション(即興演奏)をしました。とはいえ、ヴァイオリンはその構造上、基本単旋律なので、即興と言っても単純なものしかできません。
 で、実はワタクシ、鍵盤楽器は弾けないのに、なぜか鍵盤楽器の即興演奏は得意なのであります。
 人様の前で堂々と(図々しく)演奏したこともたびたび。ピアノもいいけれども、個人的にはクラヴィコードでの即興が一番得意です(自分にしか聞こえないから?)。
 一生の間に一度やってみたいのは、パイプオルガンでのインプロです。そう、あのキース・ジャレットの『Hymns/Spheres』を聴いたからでしょうかね。夢です。
 昨日は、バッハのフーガを紹介しましたが、バッハなんかもしょっちゅうフーガなどを即興演奏していました。そんなの当たり前。その延長として楽譜に残された作品群があるわけですね。実際、もう二度と再現されない名フーガがあったかもしれません。
 さて、現代にもフーガの即興演奏に長けた天才はたくさんいます。私がYouTubeで聴いた中で、特に好きなのは、このDavid Briggsの演奏(作曲)です。バロックと近代、現代が見事に調和している。
 オルガンはサン=シュルピス教会のもの。ここはオルガン即興演奏のメッカです。
 ここのオルガニスト、即興演奏の名手でもあるダニエル・ロートさんが何か隣で言ってるのが、とってもリアル(笑)。

 いやあ、素晴らしいフーガですよね。こんなの即興演奏できたら気持ちいいでしょう。時々、夢では見るんです。どこかの教会の巨大なオルガンでフーガを即興演奏している自分。ドキドキしながらも、最後まで神がかりで演奏し終わるという。本当に気持ちいいんです。目がさめると全くその音楽は再現できません。残念。再現できたら天才作曲家と呼ばれていたかもしれません(笑)。
 さて、もうひとつ同じサン=シュルピス教会の巨大オルガンによる即興演奏。これはファンタジーという感じですね。美しい。こういうのもいいなあ。美しい。
 このSophie Veronique Cauchefer Choplinという女性も即興の天才のようです。

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2018.10.13

バッハ 『組曲ハ短調 BWV997』

 しい日が続いていますので、楽曲紹介でスミマセン。
 バッハの作品の中でも、ちょっと変わり種、変態的な1曲。
 ギターで演奏されることも多いこの曲ですが、リュートのための曲なのか、鍵盤楽器のための曲なのか、よく分かりません。
 音の密度や音域からすると、やはりリュートかなあと思いますが、鍵盤で弾いてもなかなか良い響きになります。ちょっと和音が薄い感じがするのですが、それがまた不思議な「間」になっています。
 最近ではリュートとチェンバロの中間、すなわちガット弦を張ったチェンバロ「リュート・チェンバロ(ラウテンヴェルク)」での演奏も増えてきました。
 この動画もそのリュートチェンバロによる演奏ですね。
 ここのところ、バッハの「空」の話を何度か書いてきましたが、この曲など、まさに「間」が多いので、では「空」がたくさんあるのかというと、これがまた少し違う。
 すなわち、変態的に転調していくので、私たちの想像力がそれに追いつかず、結果として「空」が発生しにくいんですね。少なくとも私はそうです。
 そんな変態的なところが面白く、ああバッハさん狙ったな、という感じを与える裏名曲です。
 特に私はフーガが好きです。半音階を含むテーマがもう変態なんです。それが反転したり、ダルセーニョしたり、ある意味幾何学的に作られていて、楽譜もまたどこかバロック装飾的に映ります。
 つくづくバッハは変態だなあと思わせる逸品ではないでしょうか(笑)。

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2018.10.12

Power FemaleーMother Earth/神聖なる女性

Th_img_2770 人であるマシュー・エリクソンの写真展「Power FemaleーMother Earth/神聖なる女性」。本当に素晴らしい展覧会、いや「天」覧会でした。21世紀のアートが宇宙に発信されました。
 写真の歴史と可能性、絵画との接点と相違点、天地人の調和、女性の神聖…本当にいろいろなことを感じさせてくれる素晴らしい作品群でした。
 僭越ながら、多くの皆様の前で、そこで感じたことを言葉に変換してお話させていただきました。私が私の言葉を弄すれば弄するほど、それはアートから離れていってしまう。まさにアートとは言語を超えた存在であることを知らされました。
Th_img_2793 しかし、あえて引用させていただいた仲小路彰の文章は、そのままアートでしたね。天才の言葉は言葉を超えます。朗読させていただきながら感動してしまいました。
 ただ、トークの寸前に降りてきた「かげ」という言葉は、自分においても大きな発見であり、その「場」を表現するのにふさわしかったかなと思います。
 「かげ」…日本語では、「光」「影」「姿」、そして「おかげさま」という四つの意味がある。それがマシューの作品には全て含まれている…。
Th_img_2765 そして、私のエレクトリック・ヴァイオリンの即興演奏に合わせた、マシューの奥様アムリッタ朝子さんの即興舞の美しさ。それはまさに「女性の神聖」そのものでした。あの奇跡的な「場」で共演させていただき光栄です。
 たしかに世界が変わりつつあります。今日も不思議な出会いがいくつもありました。人と人のご縁は、全てこの地球のためにあり、宇宙に開かれており、神聖なるお役目のためだと思いました。
Th_img_2762 これはトークのお礼にといただいたマシューの作品「クリスタル・ジャズ」です。
 まさに私たちの世界はジャズの名手たちの奏でる音楽のように、自由であり、他者との関係性の中で豊かであり、陰陽があり、色彩がある。
 これからも友人たちと、この地球が平和であるために、できることをしっかりやっていきたいと思います。ありがとうございました。

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2018.10.11

BOSS 『KATANA-MINI』(ポータブルアンプ)

Th_91l5ntbmmll_sl1500_ 日のトークショーのために急遽購入しました。トークはたぶん地声でやると思います。ただエレクトリック・ヴァイオリンにはアンプが必要ですね。
 当初、ふだん使っている大型のアンプを持っていくつもりでしたが、自家用車ではなくバスで行くことになったので、もっと小さなアンプが必要になったのです。
 小型でいい音…といえば、この「刀ミニ」でしょう。ギター界では有名な逸品です。はたしてヴァイオリンの音はどうでしょう。
 さっそく届いた刀を鳴らしてみました。ふむ、なるほど音量は想定したとおり。小さな空間ならぎりぎり使えるかな。ちなみに出力7Wで4インチスピーカー内蔵。
 「クリーン」に加え、「クランチ」と「ブラウン」のサウンドが出せます。これがギター弾きにとってはなかなかの音質だそうですね。ヴァイオリンではほとんど「クリーン」しか使いませんが。
 リバーブでなくディレイが搭載されているのも個性的ですね。個人的にはこれも嬉しい。一人で即興演奏する時、けっこう遊べます。
 それからミニアンプのくせに、ちゃんと3バンドイコライザーがついているのもいいですね。私のなんちゃってエレキ・ヴァイオリンでは中音域をふくらませた方が豊かな響きになりますので。
 そして何より小ささがよい。リュックにスポンと入りました。縦にすることなく横のままスポンです。さらに乾電池で7時間駆動というのも良い。電源を探し、引っ張ってくる必要がないというのは、実にストレスレスです。
 というわけで、明日の即興演奏はどうなるのでしょう。なにしろ即興ですから、自分でも何が起きるか分かりません。その「場」をそのまま音にしたいと思っています。楽しみです。

Amazon 

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