2013.05.24

田植え&接心(子どもたちの神事&仏事)

Img_6560 士山にきれいな「農鳥」が出ました。いよいよ夏が近づいて来ました。
 今日はとっても忙しい一日。
 3年生は朝から明見の田んぼで田植え。学校では2年生を中心に学校案内の撮影。午後から夜にかけては1年生が接心という宿泊座禅行事。
 というわけで、とっても忙しかったので、子どもたちの写真と私の一言だけ紹介させていただきます。
 いやあ手前味噌になっちゃいますが、今どきの子どもたちもなかなか捨てたもんじゃないですね。
Img_6543 農鳥も出たところで、中学3年生がどろんこになって田植え。
 田植えは神事です。平和と豊穣を祈って植えます。未来(まずは秋の収穫)を夢見て今を一生懸命。
 特に早乙女は美しいですね。女神と稲作は密接な関係があります。
 ここ富士高天原でこのような神事が行われるのは、実は非常に大きな意味があるのですよ。
Img_6556 そして、それだけで終わらないのがウチの学校のスゴイところ(?)。
 めだかのいる池というか沼地にみんなで飛び込みます(笑)。これはですね、一緒にいた自然写真家の中川雄三さんによるとですね、池を撹拌することによって酸素や栄養分を行き渡らせ、めだかやどじょうの産卵や生育を促すんだそうです。
 子どもの遊びがそのまま自然の生き物たちに対する恵みになるなんて、なんか素敵じゃないですか。コンピュータやビデオゲームでは考えられない「命の循環」ですよね。
20130525_135047 さらにさらに、これはもう田植えとどんなつながりがあるのか自分たちでもよく分からんのですが(笑)、近くの明見湖(はす池)に行って、ペットボトルロケット飛ばし大会。
 これがまたよく飛ぶんですよ。林や山に打ち込んで遊びます。これもまた天と地とを結ぶ神事であります(ホントか?)。
 いや、こうして水の力、空気の力を知るんですよ。これもディスプレイ上ではとても経験できない「体感」ですよね。体感というのは「モノ」世界なんです。頭の中の「コト」ではなくて、「モノ」自体から言葉を超えて伝えられる何か。これって子どもたちには絶対大切ですよ。
Img_6604 さて、学校の方では、1年生が初めての宿泊座禅行事。
 座禅や読経や写経はもちろん、作法に則った食事や礼法講座などをひたすら無言で体験していきます。昼間の「動」に対して、こちらは徹底的な「静」。
 まあ、こういうコントラスト、メリハリ、けじめ、両面性、何事にも精いっぱい力いっぱいというのが、ウチの学校の特長でしょうか。
 実際、子どもたちは本当によく遊びよく学びますよ。一人も冷めてるヤツがいないのがいいなあ。先生も含めて全員が馬鹿にもまじめにもなれる。そんな自分たちが好きなんですよね、私たちは(笑)。
 というわけで、今日は疲れましたが、何か特別な充実感を味わうことができました。
 たぶん、神仏とつながれたからでしょう。理屈ではなく、こういう体験こそが宗教心の源泉なのだと再認識いたしました。皆さん、ありがとうございました。

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2013.05.23

快挙!80歳でエベレスト登頂…三浦雄一郎さん

Pn2013052301000891 うすごいとしか言いようがありませんね。素晴らしい。おめでとう!というよりも、ありがとう!ですね。
 学校の3階まで昇るのも億劫なほど運動不足な私。今なら富士山登頂もままならないでしょう。まだ40代の私がこれなのに80歳であの体力と気力とは…。
 もちろん三浦さんは普通ではないのは事実です。もしかすると千年に一人くらいの天才かもしれません。
 実際そんな人は人類史上いなかったわけですからね。
 体を鍛えているとか、そういう次元だけでなく、4年前、すなわち76歳の時に骨盤やら大腿骨やらを骨折する大怪我を負ったのに、そこから完全復活どころかさらにパワーアップしてしまうんですから、ちょっと恐ろしいモノさえ感じますね。
 ちなみに三浦さんは、いわゆる奥州三浦氏です。青森出身。富士北麓にも三浦氏が多くいますが、そのあたりの関係、すなわち「龍脈」については、こちらの記事にクニマスにからめて書いてありますので読んでみてください。
Int12_01_03s2 そうそう、三浦雄一郎さんと言えば富士山とも縁が深い。1966年、富士山頂からの直滑降という、ある意味馬鹿げた偉業をなしとげています。もちろんパラシュートをつけての滑降であります。
 その2年前、私が生まれた1964年には、イタリアの直滑降の大会で、時速172.084キロの当時世界新記録を樹立しました(さらにその時何度か転倒し無傷で生還!w)。
 富士山でもしパラシュートなしで直滑降したら、いったい何キロ出たんでしょうね。恐ろしい話です。
 昨年、女性73歳でエベレスト登頂という世界記録を樹立した、地元にお住まいの渡辺玉枝さんのお話をうかがいました。その時の記事にも書きましたけれど、こういうのって、やっぱり超能力なんですよね。
 はなっから無理だと諦めてしまうのが普通なのに、それをまるで日常のように、当たり前に「やってみよう」と思って実際実現してしまう。そのスタートの時点が我々と違うわけです。
 これは、「時間は未来から過去へと流れている」という私の時間観からしますと、「過去に縛られず未来に良いイメージを投げる」能力とも言えそうです。
 考えてみれば、常識や一般論というのは「他人の過去」の集積ですからね。実は自分にとっては何の原因にも成り得ない。
 そんな三浦さんや渡辺さん(どちらも富士北麓と東北と水に関係している落人だな)たちから刺激を受けて、私もとんでもない高いところへ登頂しようかと目論んでいます(笑)。いや、もちろん山じゃないですよ。
 諦めない…というか、「普通にできるんじゃない?」的なノリで行っちゃおうと思います。そんな天才バカボン(のパパ)みたいになりたい、いやなるんだと妄想する今日このごろであります。
 

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2013.05.22

方丈記より「治承の辻風」

K10047470611_1305212315_130521231_2 メリカオクラホマの竜巻、大変な被害のようです。被災された方々に心から哀悼の意を表します。
 日本でも竜巻の発生頻度が高くなっていますが、日本独特の地形や気象環境からして、さすがにこの規模のものはそうそう発生しないでしょう。
 日本は自然災害の多い国だとも言える一方、その規模はそれほど大きくはならない傾向があります(もちろん東日本大震災のようなこと千年に一度ありますが)。
 そのあたりの「荒魂」と「和魂」のバランスこそが日本の文化を作ってきたとも言えそうです。
 ちなみに「竜巻」という日本語はそれほど古い言葉ではありません。意外と言えば意外な感じがしますが、近世江戸時代から使われだしたようです。
 では、それまでは何と呼ばれていたかというと、「旋風(つむじかぜ)」「辻風(つじかぜ)」だったようですね。
 こちらは日本書紀や日本霊異記に見られますから、かなり古い和語ということになります。
 実際の「辻風」の被害の様子を記したものとしては、かの鴨長明の方丈記が有名ですね。
 今日はその部分を紹介しましょう。これは治承四年(1180年)旧暦4月29日に京都で発生した大型の竜巻による被害の状況を記録したものです。
 新暦になおしますと、5月25日ですから、ちょうど今頃の季節ですね。
 では、お読みいただきましょう。分かりやすい文なので現代語訳は不要だと思います。

 
 また、治承四年卯月のころ、中御門京極のほどより大きなる辻風起こりて、六条わたりまで吹けることはべりき。
 三、四町を吹きまくる間に、こもれる家ども、大きなるも小さきも、一つとして破れざるはなし。さながら平に倒れたるもあり、桁・柱ばかり残れるもあり。門を吹きはなちて四、五町がほかに置き、また、垣を吹き払ひて隣と一つになせり。いはむや、家のうちの資材、数を尽くして空にあり、檜皮・葺板のたぐひ、冬の木の葉の風に乱るるがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず、おびたたしく鳴りどよむほどに、もの言ふ声も聞こえず。かの地獄の業の風なりとも、かばかりにこそはとぞ覚ゆる。家の損亡せるのみにあらず、これを取り繕ふ間に、身をそこなひ、かたはづける人、数も知らず。この風、未の方に移りゆきて、多くの人の嘆きなせり。
 辻風は常に吹くものなれど、かかることやある、ただごとにあらず、さるべきもののさとしか、などぞ疑ひはべりし。


 京都の町をおよそ2キロにわたって竜巻が通過したようです。建物の被害だけでなく人的被害も出たと記されています。
 最後の部分、竜巻は頻繁に発生するが、これほどの規模のものはなかったという意味です。治承年間は天変地異が多発しました。大地震、巨大彗星出現、そして竜巻。養和に改元してからも超新星、飢饉(異常気象)など、天変地異は収まりませんでした。
 神仏の怒りか諭しかと、当時の人々は強く不安に感じたことでしょう。
 

 

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2013.05.21

歴史認識…歴史と認識の多様性

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 しか昨年末、今年中に民主党と日本維新の会はなくなると予言しましたけれど、どうなるでしょうね。
 民主党はすでに虫の息。維新も東西分裂の兆し。いずれにせよ野合は長続きしないということでしょう。
 さて野合と言えば、歴史認識に関しても二党はずいぶんと多様なようです。
 上の表は東西維新の歴史認識の温度差を明示してくれています。
 私は橋下さんや石原さんやその他の御仁のように野暮ではないので、ここで自分の歴史認識を述べることはいたしません。
 だいたいが、「歴史認識」とはまさに「歴史認識」であって、歴史の事実ではない。認識というのは個人的な問題であって、いわば青信号の色を青ととるか緑ととるかというようなものです。
 それも「過去」に関すること、それもここでいう「歴史」は「近過去」のことに限定されますから、いくら仲間内だとしてもそれを共有、一元化することには相当な無理があると思います。
 今日は地元のある所でリアルな証言を聞いて来ました。戦後すぐこの富士北麓に米軍が進駐した時のことです。今でも駐屯地があることから分かりますとおり、ここは特別な地域です。
 その時、その米兵相手の娼婦たちが全国から列をなして集まっていたと。まあそれは事実でしょう。別に不思議なこと、驚くべきことではありません。当地のお年寄りはみんな知っていることです。
 では、それをどう捉えるか。それはそれぞれの「認識」の問題です。そして、そのそれぞれの「認識」をもって他者を責めるのか、それともそれ以前に彼女らに同情するのか、さらには彼女らの行為を尊いものとするのか、あるいはそれらを複合させるのか、それもまた人それぞれであって然るべきです。
 いろいろな選択肢が、それこそ個人の数だけあって当然なわけです。その際の米兵や娼婦たち個人にも、それぞれの「認識」があり、それに基づいた行動や感情があった。その全てが正しい「歴史」であると、私は「認識」しています。
 私は「時間は未来から過去へと流れている」という考え方、さらにはそれを超えた仲小路彰的な(すなわち球体的な)時間観を持っていますから、我々があまりにも後向きに未来に入っていくのには違和感を覚えます。
 過去に学ぶこと、あるいは反省すること、謝罪すべきところは謝罪することは、もちろん大切ではありますが、先ほど書いたような「過去の無限の多様性」と「過去の不可塑性」をもってすると、あまりに「認識=コト」にこだわっていては、未来の創造に際して障害が生じると思います。
 「認識」にこだわると、それはいずれ善悪二元論という最も多様でない形態に陥ります。つまり、原理主義対原理主義になってしまう。そこには間違いなく「争い」しか生じません。
 まあ、その「争い(戦争)」がカネになってしまうから恐ろしい世の中なんですけどね(苦笑)。
 様々な「認識」、そして様々な「歴史」という、我々の世界の当たり前の本質(モノ性)を見つめれば、局所的な解釈やそれに則った衝突(コト性)など、実に馬鹿馬鹿しいということに気づくでしょう。
 私たちは、時々後ろを振り返りつつ、やはり基本は前向きに未来に入って行かなければならないのです。安倍総理の優れているところは、実は非常に未来志向であるところです。皆さんお気づきになっていないかもしれませんが。
 「日本を、取り戻す」が前向き?…そのことに関してはいずれ時期が来たら書きます。今日はこのへんにしておきましょう。
 

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2013.05.20

憲法(案)前文の比較

 ずは参考までに保守派の皆さんの議論を3時間ほどどうぞ(笑)。仲間うちでもこれなのだから、やはり大変でしょうね。

 世間一般でも憲法改正論議がだいぶ盛り上がって来ました。結構なことです。安倍さんの功績の一つと言っていいでしょう。
 私は何度も書いているように、憲法は改正ではなく改訂でよいと考えています。一部改訂。そして、その改訂への手続きを常識的に正常化するのは当然だと思います(たとえば倉山満さんが言う7条の「誤植」などはさっさと直した方がいい)。
 なぜなら、「改正」は現実的に大変困難であると考えるからです。全体の見直しや自主憲法制定はほとんど不可能と言っていいほど難しい。
 また、こう言うと間違いなく誰かに怒られますが…私にとっては「憲法」は国家にとって重要なものに違いないけれども、個人にとってはそれほど大きな影響力を持つものではありません。
 憲法を読んで自らの思想や行動を規定している国民がどれほどいることやら。だいいち、どのくらいの人が憲法を読んで理解しているのでしょう(もちろん、それでいいと言っているわけではなく、自分への自戒もこめての発言です)。
 まして外国の方が日本の憲法を読んで「みっともない」とか思うのでしょうか。よく分かりません。
 まじめに憲法について考えると、どんどん「言葉の罠」にはまっていきます。私の言う「コト」世界に拘泥する者どうしのスケールの小さなケンカになってしまう傾向がある。
 そういう意味では、今「自主憲法を!」と叫んでも、はたしてそれが可能なのか。無知、無関心、無意識層と、国家観・国体・国柄に異様にこだわる改憲派と、もう一方の理由なき護憲派と、はたして多数決をとったらどうなるのか。
 おそらくは第一の層に、あとの二者がどう働きかけるかの戦いになってしまい、結局は長年続いてきた「コト」世界のケンカが移写拡大されるだけでしょう。
 さあ、そうならないために私たち第一の層は何をすべきなのか。せめて現行憲法の前文くらいはちゃんと読んで、そうして「こりゃ改憲は大変だ」と思う必要があるでしょうね。
 そんなわけで、今日は三つの「前文」を並べて読んでみたいと思います。現行憲法と自民党の改正草案、そして産経の国民の憲法です。
 正直、前文の改正(改訂)が一番大変でしょう。誰が完璧な日本語で完璧な前文を書けるのでしょう。
 私は実のところ、安倍さんが「みっともない」と評した現行のなんちゃって日本語による意味のよく分からない(しかし、文学的にはいろいろ解釈できる)現行の前文が嫌いではありません。国譲りの本質を表してるし。
 では、どうぞ。それぞれよく味わってみてください。そしてツッコミを入れてみてください。その時の自分の気持ちを客観的に比べてみて下さい。
 なお、大日本帝国憲法の告文もぜひ読んでいただきたいのですが、文語体で我々現代人には難解なため今日は割愛します(またいつか)。


「日本国憲法前文」 

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。


「自民党改正草案前文」

 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。


「産経 国民の憲法前文」

 日本国は先人から受け継いだ悠久の歴史をもち、天皇を国のもといとする立憲国家である。
 日本国民は建国以来、天皇を国民統合のよりどころとし、専断を排して衆議を重んじ、尊厳ある近代国家を形成した。山紫水明の美しい国土と自然に恵まれ、海洋国家として独自の日本文明を築いた。よもの海をはらからと願い、和をもって貴しとする精神と、国難に赴く雄々しさをはぐくんできた。
 日本国民は多様な価値観を認め、進取の気性と異文化との協和によって固有の伝統文化を生み出してきた。先の大戦による荒廃から復興し、幾多の自然災害をしなやかな精神で超克した。国際社会の中に枢要な地位を占め、国際規範を尊重し、協調して重要な役割を果たす覚悟を有する。
 日本国は自由主義、民主主義に立脚して、基本的人権を尊重し、議会制民主主義のうえに国民の福祉を増進し、活力ある公正な社会を実現する。国家の目標として独立自存の道義国家を目指す。人種平等を重んじ、民族の共存共栄をはかり、国際社会の安全と繁栄に積極的に貢献する。
 われら日本国民は、恒久平和を希求しつつ、国の主権、独立、名誉を守ることを決意する。これら崇高な理想と誇りをもって、ここに憲法を制定する。

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2013.05.19

「祈り」と、そして…

2013sopp_1 晴らしかった。しかし…。
 富士山西麓の富士聖地におきまして執り行われました「世界平和交響曲…Symphony of Peace Prayers 宗教・宗派を超えて、共に世界の平和を祈る」に参加してまいりました。
 ここ数年、大変お世話になっている方からお誘いをいただき、今回が初めての参加。
 せっかくですから、地球平和の象徴とも言うべき我が家の耀わん「十和田」を携えて富士聖地へ向かいました。
 富士聖地とは、「世界人類が平和でありますように(May Peace Prevail on Earth)」のピースポールで知られた白光真宏会が1980年に開設した「祈りの場」です。
 もちろん私はその存在は知っていたものの、白光の信者ではない私が入れる場所ではないと勝手に思い込んでいること30年以上。ある意味ではようやく足を踏み入れることができました。
 私は比較的気の流れのようなものを感じやすい体質、特に富士山のそれに関してはかなり熟練している方だと自覚しています。やはりこの聖地には特別なエネルギーを感じましたね。最初は違和感があったほどです。
 しかし、セレモニーが進行するにしたがって、いつにない平穏な気分が私の心に訪れるのが分かりました。
 セレモニー前半のメインは各宗教・宗派の祈り。
 仏教(日蓮宗)、イスラム教(スーフィズム)、ヒンズー教、神道、ユダヤ教、キリスト教、シーク教、そして白光真宏会のそれぞれの導師たちが、その神髄と平和について語り、そしてそれぞれの作法で祈りを捧げます。会場に集った1万人近い人々も唱和します。
 私はそれぞれの宗教についてそれぞれ興味があり、それぞれの感想を持ちましたが、今日はそのような個人的な関心は重要ではありませんね。
 まさに交響…それぞれの宗教宗派の多様性と共通性が、人々の魂を通じて響きあったという事実に、(月並みな言い方になってしまいますけれども)感動いたしました。
 後半のメイン、世界各国語による世界各国の平和の祈りは新鮮でした。正直楽しかった。200近い国のそれぞれの言葉を実際声に出すわけですからね。もちろんそんな体験は初めて。
 カタカタを追いかけるだけでも大変でしたけれども、そんな中で、全く知らない国名や知らない言語、そして国旗にたくさん出会いました。さらに、いくつもの言語を持つ国、あるいは列強国の言語を使っている小国、さらにはクレオール言語など、世界史の一端を体感することができました。
 たしかにこのような「祈り」は画期的ですね。もちろん文法も語彙も分からない外国語ばかりですが、カタカナで発音するにしても、そこには「言霊」が宿ります。それを富士山から世界へ発信しているだけでも、これは大きな意味があると感じました。
 全体として、本当に素晴らしい「場」を創りだしていたと思います。自らの魂も浄化され、神仏や自然の御加護のもと人間に生まれ生きていることの幸福を感じられる体験でした。
 たしかにあの場だけを見れば、実に平和で穏やかな世界であったと思います。この場が広がっていけば、いつか世界平和は実現するのではと感じました。
 しかし、私にはもう一つの強い思いが生まれていたのです。あえて私はそれをここに書きたいと思います。
 「祈りだけでは世界は変わらない」
 もしかすると、これはあの場で禁じられているネガティブな思念だと判断されるかもしれません。そう捉えられてもしかたがないほどに、あの場は純粋に美しく平和だった。
 私はあえてその中の「荒魂」の役割を果たしたいと思います。
 「祈る」という行為にはある種の危険も伴います。それは陶酔と自己満足です。
 人類はずっと祈り続けてきました。何千年も、いや何万年も。しかし、いまだにこの世界には憎悪や嫉妬や搾取や争いが絶えません。それもまた事実です。
 あの「祈り」を現界の変化につなげる具体的な方策や行動がなければ、やはり片手落ち(あえてこの言葉を使います)なのです。
 「祈り」の陶酔と自己満足は、そうした本質を見失わせる危険性を発揮するのです。
 もちろん、あの会場にいらっしゃった、私などよりもずっと魂のレベルの高い方々は、そのことを意識されていると思いますが、「祈り」の対象たる「世界」にそれがしっかりと照射されているかどうか。私は少なからず不安に思いました。
 政治、経済、科学…そういった「体」の世界と、祈りや魂という「霊」の世界をどうやって結ぶのか。実はこれが私の最近の最大の課題です。そして、その術を書き残してくれた先人、すなわち出口王仁三郎や仲小路彰に出会い、今それを勉強させていただいているところです。
Img_6534 ところで、白光真宏会を創立した五井昌久さんは、間接的にではありますが、出口王仁三郎の影響を受けていると言えます。
 特に「万教同根」「神人一致」の教えは非常に近いものを感じますね。そういう意味で、今日、王仁三郎の耀わんがあの場に「いた」というのは大きな意味があると思います。
 会場で出会った多くの方々(初めての方や再会の方)に、耀わんでお水を飲んでいただきました。
 セレモニー終了後、来賓としていらしていた大本信徒連合会の出口孝樹さんや、マヤの叡智研究の柳瀬宏秀さん、映画監督の白鳥哲さんと再会し、耀わんともどもご挨拶させていただきました。
 僭越ながら、私が王仁三郎や仲小路彰から学んでいることが皆さまに伝わればと願うばかりです。
 王仁三郎は「宗教がなくなる世」を理想としました。これは、ある意味では現実社会だけでもしっかりやっていける世の中のことです。
 「宗教・宗派を超える」…それは真のみろくの世への第一歩に過ぎないのでしょう。私たちはそろそろ次の一歩を踏み出す時に来ているようです。

USTREAMで観る

SOPP公式

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2013.05.18

郡内と植田は富士の裾廻し

Bkqgwphcmaazzsm 植えの季節となりました。我が校でも来週明見で田植えをします。
 今日はそんな季節の風景を詠じた川柳を一つ紹介します。誹風柳多留の中にある句。

 郡内と植田は富士の裾廻し

 郡内とは郡内織物のことです。江戸時代、絹織物と言えば「ぐんない」と言われたほどの人気商品でした。
 今でも富士吉田を中心とする郡内地方では織物業が盛ん…というか、なんとか生き残っていますね。フジファブリックの名前のもとになった富士ファブリックさんもそんな会社の一つです。
Koshu04 郡内とは「郡内海気」の略。「海気」とは大陸から伝わってきた絹織物の種類を指す言葉でした。
 のち、甲斐の国、特に郡内地方での生産が盛んになって「郡内海気」が評判となり、そのうち「ぐんない」と言えば高級絹布地の代名詞になりました。
 郡内の絹織物の技術は、秦の始皇帝が不老不死の薬を求めさせたというあの徐福が伝えたと言われています。もしそれが本当なら、たしかに日本で最も歴史の長い絹織物だと言えそうです。
 江戸時代には徐福ブームもありましたから、それで郡内織も評判になったのでしょうね。
 川柳というのは大衆性が必要です。ということは、この句が作られた19世紀初めには、全国で「郡内」と言えば「高級布地」というイメージが定着していたということですね。
 ちなみに「甲斐絹」という表記は、明治以降の言わば商標です。
 植田はたぶん田植えの終わった田んぼを指すものだと思います。苗の並ぶ平坦な造形が、なめらかな郡内織物を思わせたのでしょう。
P_douhati2 裾廻しというのはいわゆる「八掛」。写真をご覧いただけば分かるとおり、胴裏が富士山だとすると八掛は裾野のようですよね。
 このデザインのアナロジーと、郡内と言えば富士山というイメージとを、実に見事に詠んだ句だと言えます。
 植田は今も江戸時代と同じように望むことができますが、郡内はちょっと元気がない。
 最近、織物の研究をされている方とお話する機会があったのですが、これからは伝統的な手織りが復活するのではという話をしました。
 紡ぐ、撚る、織る、晒す、染めるなどの行為に潜む「神事」が復活するのではないかということです。
 ぜひ郡内織物もそういう意味で復活してほしいと願っています。私もなんらかの形でお手伝いできればと思います。

ふじやま織

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2013.05.17

安倍総理「成長戦略第2弾スピーチ」

 日の安倍総理のスピーチはなかなか良かった。政治家は「まつりごと」の基本は、民の心を無理やりにでも動かすことです。祭というのはそういうことです。
 たとえば、アベノミクスという「言葉」には「お囃子」効果があるわけです。あるいは憲法改正論議もそうです。戦後ずっと硬直化し無意識化していたモノを、コトを使って眠りから覚まさせるのです。
 結果9条なんか変わるわけないのですが(その理由はどこかに書きました)、ただ論議は必要なのです。
 ここのところずっと私が書いてきた1%の荒魂の働きによって99%の和魂が活性化するんです。
 ある意味「政治」とはそういうものなのですね。ハッタリでもなんでもいい、コト(言霊)によって総体たるモノを突き動かし、世界の生命力を保つのです。
 そういう意味において今回の安倍さんのスピーチは良かったと。エンジンのスターターたる「集団気分」を動かすには充分だなと。
 もちろん、エンジン始動後が大切なのは当然です。しかし、一方でどんな優れたF1エンジンも、始動しなければただの屑鉄です。最初の発火は大切なのです。
 ぜひ全編ご覧ください。具体的な「コト」がたくさん示されています。ユーモアというエンジンオイルもいい感じですよ。
 もちろんツッコミを入れながら聞くのもいいものです。ツッコミもまた大切なスターターですからね。

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2013.05.16

『日本が世界一「貧しい」国である件について』 谷本真由美 (祥伝社)

Imgres れはどうなんでしょうね。なんともいやな読後感。かと言って、ある意味間違ったことが書いてあるのではない。
 これはですね、日本を知る本というよりも、欧米を知る本と考えた方がいいでしょう。「日本」を「イギリスやドイツ」に読み替えて、「貧しい」を「豊か」に読み替えれば、立派な欧米礼讃本となります。
 まあ、まるで文明開化後のある一派のような、なんともアナクロな比較文明論とも言えますね。
 それがけっこう評判で売れているというのは、実際にこういう価値観、視点で日本を改革したいという一派がいるということなのか、それとも、今まで百年以上もずっと語られてきたこういう文明開化論を知らないで、それこそ明治初期みたいなカルチャーショックを受けている一派がいるということなのか、はたまた、それを忘れてしまっている一派がいるのか、どれなんでしょうね。
 私は「和魂洋才」派なので(笑)、正直これを読むとイライラすることの方が多かったわけです。たとえば日本の祭や風習(餅を食べることとか)を、ああいうふうに単なる合理主義と実利主義でバカにされると、内なる大和魂がフツフツと沸騰して、思わず「は〜?」と独り言を言ってしまいます。
 もしかすると、それこそが著者の目論見であって、私はそれにまんまと乗ってしまっているのかもしれませんけどね(苦笑)。
 そう、ここのところのテーマである「荒魂」と「和魂」の話にもつながります。カーッとなることによって、日常に埋没した自分のベースメントを思い出し、かつ大切にするようになるということが実際あるし、必要だったりする。
 そういう意味では、先日紹介した『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』と両方を読むとバランスがいいのではないでしょうか。
 竹田さんの本では、なるほど〜やっぱり自分っていい子なのねと褒められていい気になって、それで終わりになってしまう可能性もあるわけですよ。
 考えてみると、私は一見自分の敵と思われるような人や文物とも好んで交流するようになりました。けっこう最近のことですが。
 そこでの衝突や葛藤が愛を深くするということがあるんですよね。それが実体験で分かった。
 みんな仲良くというようなきれいごとではなく、どちらかというとプロレス的な発想です。
 人によっては、この本をペラッとめくっただけで、あるいはレビューを読んだだけで、「こんなとんでもないもの」と決めつけて、読みもしないで批判、嫌悪する人もいるかもしれません。
 私は、できればそういうふうではなく、不快感を味わったとしても、その不快感の種が何なのか、自分のどういう所にどういうように根ざしているのか、どこから来たのか、そういうことを知りたいと思っているのです。
 そういう意味では、久々の刺激的な良書であったと思います。

Amazon 日本が世界一「貧しい」国である件について

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2013.05.15

安倍晋太郎さんの命日に思う。

Images 日は安倍晋三総理のお父様安倍晋太郎さんの命日です。安倍晋太郎さんは1991年5月15日にすい臓がんでお亡くなりになりました。
 思えば、5月15日は沖縄返還の日ですよね。1972年のことです。沖縄返還の立役者は安倍晋太郎さんのおじさんにあたる佐藤栄作さんですね(もちろんその裏側には仲小路彰氏がいます)。
 そんなわけで安倍晋三総理にとっては思い入れのある特別な日ではないでしょうか。
 さらにこじつけますと、2000年の5月15日には安倍さんの私淑する森喜朗さんが「神の国」発言をしました。私に言わせれば、あの場でのあの発言のどこが問題なのか、よく分かりません。アメリカ大統領と同じレベルの発言ですよね。今思えば某マスコミ得意の罠にはまってしまったとも言えそうです。
 以前安倍総理のお話をうかがった際、森さんは実に細かい気遣いをされる方だとおっしゃっていました。森さん、プロレスファンとして会場でレスラーとやり合うあたりもいいですね(野田さんのプロレスファンレベルとは違います)。
 それから時代をさかのぼれば、そう、言うまでもなく「五.一五事件」の日ですよね。1923年犬養毅首相が暗殺されました。
 犬養毅の三男健氏は、造船疑獄の際、指揮権を発動して佐藤栄作さんの逮捕を回避した方です。不思議な縁がありますね。
 もっともっと、いきなり今から1420年さかのぼりますと、593年5月15日、聖徳太子が推古天皇の摂政となりました。
 最近の私のテーマは安倍晋三さんと聖徳太子です(と言ってもよく分からないと思いますが)。これまた私には特別な符合のように感じるのであります。
 安倍晋太郎さんはお元気であったなら総理大臣になったかもしれません。もしそうなっていたら、また日本の現在も変わっていたかもしれませんし、逆に晋三さんが二度も総理大臣になれたかどうか、これも微妙です。運命というのはそういうものなのでしょう。
20130516_64331_2 昨日あたりから、北朝鮮での飯島勲さんの活動が報道されています。先ほどのニュースでは、さっそく第1書記の側近と会談したとのこと。安倍首相も拉致問題の解決につながるのなら首脳会談もありと発言していますね。
 私はこちらにも書いたように、横田めぐみさんと同い年の幼なじみです。
 45年ぶりの再会の時も話題に出ましたが、横田めぐみさんのご両親も、今回の安倍政権には大きな期待をされています。もちろん私も毎日のようにめぐみさんが帰ってくることを祈っています。実は2月にはめぐみさんが夢枕に立ったんです。その時のメッセージを私は昭恵夫人にお伝えしてあります。
 総理はじめ皆の信念がいよいよ実を結ぶ時を迎える…。国際的には、たとえば米韓は日本のスタンドプレーをよく思わないでしょう。しかし、それをはねのけてでもやらねばならないことがあるのです。真の政治家として、場合によっては一時的な国際関係よりも国民の命を救うことを優先することがあってしかるべきです。
 この問題に関して、おそらく米中韓よりも、モンゴル、ロシアのルート、特にモンゴルの果たす役割は大きいと感じます。そういう意味で、安倍総理の舵取りは間違っていないと確信しています。
 そんなわけで、今日平成25年5月15日は歴史の静かな転換点になっているかもしれません。私はそう感じました。
 


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