2025.05.26

乙姫さま降臨

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 の日はふと思いついて友人と大本大阪本苑へ。

 そこには「乙姫さま」が…そして、いらっしゃった重鎮の方と乙姫さま談義。

 一昨日づけの記事に書きましたとおり、「おとひめ」とは「妹」を意味します。妹さんと言うと、今年令和7年にお出ましになる稚姫君(わかひめぎみ)さま。天照大神の妹神です。

 明治以降のフィクションの歴史、国体、国家観の犠牲者ともいえる天照大神さま。今では皇室のルーツとして、そして伊勢の主祭神として有名でありますが、江戸時代以前はマイナーな存在でした。

 古事記自体が本居宣長の「古事記伝」によってほとんど初めて知られた存在であったことは、江戸時代の伊勢参りが外宮(豊受)参りであったことからも想像できます。

 私の正直な感覚を申しましょうか。天照大神さまがお疲れです。この150年ほど、あまりにも荷が重かった。

 大本の神話では、お姉さんが妹をいじめたような感じになっていますが、つまりそれは世の中が妹(稚姫君・乙姫)を封印したことの象徴です。

 それがようやく今年、妹姫君が世に出て姉姫君を助けると。

 それにあたって、この日、重鎮の方から衝撃的なお話をお聞きしました。その内容はここには書けませんが、その内容は、この数日後にプーチンと面会する方にお伝えしました。その方も大納得。元々、綾部の金竜海造営にまつわる物語(出口和明「大地の母」の「籠池」の章)からの流れなのです。

 なるほど、こうして日本や世界は動いているのだと得心した次第です。

 乙姫さま=稚姫君さまは、出口直の神霊です。いよいよ今年、封印された神さまがお出ましになります。私も乙姫さまの力を得て、みろくの世の実現のために邁進いたします。

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2025.05.25

豊橋〜名古屋〜大阪難波 特急の旅

Img_0399_20250622130701 の日は豊橋から大阪へ移動。名鉄快速特急のパノラマシート(後ろ向き笑)からの近鉄特急「ひのとり」。楽しい鉄道旅を満喫しましたよ。

 豊橋から大阪方面なら新幹線が一番早いわけですが、移動日ということで時間に余裕がありましたから、憧れの乗り継ぎを初めて体験いたしました。

 以前書いたかもしれませんが、豊橋駅、けっこう好きなんですよね。あの名鉄がJRの駅を間借りしているところ。3番線だけが名鉄で、あとはJR。

 そのせいで、名鉄の上り列車は中途半端な伊奈止まりが多かったりします。あそこで降ろされてどうすんじゃい!って感じですよね。そう、始終点豊橋駅のホームが1つかないので、さばける数が限られているのです。

 しかし、霊鉄としては、たとえは豊川稲荷のエネルギーを東海道線に引き継いで東京に運ぶという意味では、あの特殊な駅(線路)の構造は非常に重要なのです。

 名鉄はJRと同じレール幅(狭軌)です。実際乗り入れはしないけれども、線路がつながっているのですよね。

 さて今回はミューチケットを購入して、パノラマビューの最前列に座りました。最前列ですが、名古屋方面へ向かう時は最後尾になってしまいます(笑)。いつも前面展望を楽しむ私ですが、今回は後面展望をじっくり味わいました。これはこれで面白いですね。

 そして、名古屋駅で近鉄に乗り継ぎます。まあそれにしても名駅は迷駅ですねえ(笑)。なかなか空間的に把握できない。これは私だけかもしれませんが、まず東西南北がよくわからなくなるんですよ。

 東海道線は東西に走っているイメージですが、名古屋駅はけっこう南北に近く地図上で直立してるじゃないですか。それで頭が混乱してしまうのです。

Img_0418_20250622130801 そして、名古屋駅で乗り継ぐ近鉄名古屋線は名鉄より広い標準軌です。伊勢湾台風を機に標準軌に改軌した結果、名鉄と近鉄の相互乗り入れは実現不可能になったのです。

 今回は初めて近鉄特急「ひのとり」に乗りました。「ひのとり」いいですねえ。車両の良さはもちろん、景色の変化もよろしい。新幹線のある意味単調な景色とは大違いで、愛知、三重、奈良、大阪と個性的な自然の中を走っていきます。これはクセになるわ。

 大阪に無事着いた私は、福島駅前のホテル阪神大阪に泊まったのですが、前日「乙川」ほとりにいたせいか、夢の中に乙姫さまが現れましてビックリ(笑)。翌日の不思議な出会いにつながっていくことになります。

 

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2025.05.24

岡崎市円山の神明宮と古墳群

 知岡崎で中級セミナー。いったい何度岡崎に呼ばれるのでしょうね。

 家康さんはもちろん、南朝天皇とも関わりの深い岡崎という地。三浦天皇によると岡崎の大門に三種の神器が埋まっているとか。まあ、それは近代の物語としまして、リアルな歴史について一つ。

Img_0393 この日はセミナーの前に岡崎市円山町の神明宮に日本酒を奉納してお参りいたしました。

 丸山というくらいで、この地には多くの円墳があり、その代表が神明宮横にある神明宮第1古墳です。6世紀後半に作られたと思われる直径約20メートルの円墳。

 石室も保存状態が良いようです。門扉が設置され、中を覗き見ることしかできませんでしたが、なかなか立派な古墳とお見受けいたしました。遅近くに乙川が流れており、おそらく古代から豊かな自然に恵まれた集落があったものと思われます。そのリーダーの墳墓でしょうか。

Img_0394 墳墓がいつしか信仰の対象となり、神社になっていくというのは全国的にもよく見られることです。

 神明宮の祭神は天照大神と猿田彦。おそらく近世以降の伊勢勢力の影響で、そのような形になっていますが、もっと古い信仰があったのでしょう。近くに「龍宮の宮」がありますから、蛇行する乙川を龍に見立てての信仰があったのではないでしょうか。

 神社名鑑によると、大正時代に社宮社を合祀となっていますので、ミシャグジ信仰、すなわち蛇や龍の信仰と合流していることがわかります。もしかすると、社宮社の方が古かったのかもしれませんね。

Img_0395 ちなみに「おとがわ」には「乙川」と「男川」がありますが、現在は矢作川の支流が乙川、その乙川の支流が男川となっているようです。「おと」とは「弟」の「おと」と一緒で「年下」を表します。「乙姫」というのも元々は「いもうと」を指す言葉でした。

 乙姫と言えば龍宮城。乙川沿いに龍宮伝説が残るというのは、日本語の観点からしても面白いですね。

 そして、乙姫の話は翌日に続いていくのでした。

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2025.05.23

光明寺さん(小山市)で思う

Img_0389 良から帰ってすぐに栃木県の小山へ。由緒ある天台宗光明寺さんでセミナーでした。

 お釈迦様を背後に7時間ほどしゃべりました(笑)。奈良からの流れもあって楽しかったなあ。

 で、このお寺は旧日光街道小山宿のはずれにありまして、近くには須賀神社もあります。一昨日の奈良金峯山寺の学頭だった天海こそが、家康を日光東照宮に祀った張本人。

 平安初期に慈覚大師円仁によって建立されたとされる光明寺ですから、天海もなんらかの形で関わったり、立ち寄ったりしているかもしれません。

 結局のところ、江戸時代、天皇家が北朝を名乗っていたわけですが、結局徳川家が南朝の系譜をもってしてバランスを取っていたわけで、その結果としての明治天皇の「誕生」(大室寅之祐が明治天皇として即位)となったのでしょう。

Img_0391 境内にある文化財、宝篋印塔には「応安」の年号が刻まれていました。応安は北朝年号ですね。ちょうど南朝の長慶天皇の時です。「逆修」とありますから、生前に自らを供養するために作った塔なのでしょう。

 当時は公式には北朝が正統、南朝は謀反人「南方偽主」とされた時代、特にその傾向が強い時代ですから、たとえ南朝寄りの人たちでも南朝年号「正平」は使いづらかったのではないでしょうか。ちなみに富士北麓にはけっこう南朝年号の板碑なんかがありますが。

 そのあたりの流れ、各時代を通じての南北朝正閏問題については、もう少しちゃんと勉強しなければなりませんが、こうして旅をさせられることによって、徐々にですが「実感」することになっております。感謝。

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2025.05.22

榮山寺のカオスとコスモス

Img_0366 良合宿最終日も面白かったなあ。

 特に榮山寺は興味深かった。複数の国宝が漫然とある(放置されている)のは、ある意味憂うべきことかもしれませんが、またある意味では自然なのかもしれないとも思いました。

 特に八角堂の存在感は素晴らしかった。法隆寺の夢殿と並ぶ奈良時代の貴重な八角円堂です。こちらの方が素朴ではありますが、より私たちに近い次元での祈り、いや瞑想を感じました。

 私はこうした八角形の堂宇は、「八紘為宇」の表現であると考えています。そう、この屋根の軒が「八紘」とつながり、まさに「宇(堂宇)」と為っているわけです。

 八紘を宇と為す…世界(宇宙)を家とする…まさに王仁三郎が望んだ「みろくの世」であり、仲小路彰が目指した本物の「グローバリズム」「コスミカリズム」であります。

 ちなみに、ここは後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇の行在所が置かれた場所とも言われています。

 そして、そこでかつて奉納国宝プロレスが行われています。崔領二率いるランズエンドによる興行、いや奉納。

 こちらの記事をぜひお読みください。素晴らしいと思います。

 一見、こうしたカオスが、グルっと回ってコスモスとなっている。これは貴重な雛型であると感じましたね。

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2025.05.21

吉野〜南朝の幻影

Img_0261 良五條市合宿2日目。濃厚すぎる日でした。

 天河神社から丹生川上神社、金峯山寺、吉水神社、如意輪寺などを回りました。おいしい葛切り、松葉寿司、夜の素敵なディナーや各種日本酒などもいろいろ紹介(自慢?)したいけれども、肝心なことだけ一つ。

 結局、南朝の旅だったということです。護良、宗良と来て、そして後醍醐天皇へ。

Img_0294 如意輪寺の後醍醐天皇の御陵(塔尾陵)も参拝しました。近くには長慶天皇の皇子世泰親王の陵墓もあります。

 もちろん、それらは(護良や宗良の墓も)明治時代にほとんど無理やり比定されたものですから、完全に歴史的な本物とは言えないかもしれませんが、しかしそこに人々の思いがこめられ、参拝の対象になってきたのは歴史的な事実です。

 宮下文書にまつわる遺跡群(ほとんどが明治大正期に作られたと思われます)も、実際そこに立つとホンモノかニセモノかはどうでもよくなってしまうんですよね。

 700年に及ぶある種の怨念。そして封印された願いというものが明治期にフィクションであれ復活した。その流れはいまだに続いていると思うのです。

 そして、面白いのが五條市から吉野にかけてもまた、中央構造線の上にあるという科学的事実。これは今まであまり考えたことがありませんでしたが、おそらく後醍醐天皇もそうであったように、多くの霊的能力者が、まさに自然の霊力を利用して朝敵を調伏しようとしたのでありましょう。

Img_0280 吉水神社には南朝御所があり、金峯山寺には護良の陣が布かれました。きっと文観もこのあたりで真言立川流の秘術を斎行したものと思われます。そう感じました。

 そして、金峯山寺といえば、江戸時代にはかの天海が学頭になっているんですよね。私は完全に「霊的」な「モノ」に動かされています。こわいくらい。今回の奈良旅は、私は場所、内容には全く関与せず、本当にお客様として乗っかっただけなのですから。

 佳子内親王殿下からの大鹿村、そして五條、吉野。この南朝の幻影をたどる、いや、たどらされる旅はまだまだ続きます。

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2025.05.20

『超国宝』展 (奈良国立博物館)

 良へ。前日学校の仕事を終えてすぐに東京へ移動。そして翌朝、二泊三日の奈良合宿へ。この合宿もまたとんでもなく濃かった!

 魂の友人たちと、日本画家であり五条市立文化博物館の館長でもある、杉本洋先生に先達をお願いしてのスペシャルな合宿。

 考えてみれば杉本先生、私の記念すべき第一回富士山合宿に参加してくださったんだよなあ。まだ今のようなセミナー人生が始まる前でした。不思議なご縁です。

Img_0225 さて、一日目のメインは、奈良国立博物館で開催されている「超国宝展」の観覧。

 ここでの先達は、奈良国立博物館の三田研究員。三田さんとのご縁こそヤバいです(笑)。ここには書ききれません。知る人ぞ知る運命的な出会い。

 このとんでもない超国宝級の超国宝展を企画実現した超本人(?)さんに解説してもらえるなんて!なんという僥倖。

 いやあ、すごかったなあ。「みろくの世」。すごすぎた。いろいろ答え合わせできましたよ。

Unnamed_20250618090001 最後に真っ白な空感に鎮座された中宮寺如意輪観音さま(菩薩半跏像・弥勒菩薩)。少年時代から最も好きな仏像です。

 こちら、私は聖徳太子のお母様がモデルと思っていたのですが、なんと聖徳太子ご本人ではないかとのこと。なんということでしょう。

 超満腹な観覧のあと、一行は五條市へ。私たちは深夜まで語り合ったのでした。みろくの世は近い!

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2025.05.19

『宗良親王信州大河原の三十年〜東海信越南北朝編年史』 松尾書店

B000j7okp0 日、合宿終了後、中央本線普通列車でのんびりと大月へ。家内に車で拾ってもらって富士山の自宅に泊まり、この日は月曜日なので学校のお仕事。

 大河原時代の宗良親王については、この本が一番詳しいのでは。さっそく購入しました。

 私が研究している、山梨富士吉田明見に伝承する「宮下文書」にも、当然宗良親王は登場します。後醍醐天皇の皇子、護良親王の異母弟。

 宮下文書にも大河原の文字が見え、また「諏訪七党」がたびたび登場します。

 長慶天皇によって准勅撰集とされた「新葉和歌集」にある「北になし南になしてけふいくか富士の麓をめぐりきぬらむ」からわかる通り、富士山にも(おそらく富士吉田にも)来ています。

 実際、同歌の詞書は以下のとおり。

 「駿河の国より信濃へこえける時、浮島原をすぎて車返といふ所より甲斐国にいりて信濃路へかかり侍るが、さながら富士のふもとをゆきめぐりけるに、山のすがたいづかたよりもたぐひなくみえければ」

 考えてみれば、富士北麓、都留の石船神社には護良親王の首級があり、富士吉田の下浅間には護良親王を葬ったと言われる桂の木があります。今日はそのすぐ近くというか、かつては習合していた(そしてケンカもしていた)月江寺で仕事ですからね。

 もう完全に南朝の旅ではないですか。そして、翌日からまた、とんでもない展開を迎えます。この日はそんなことなんにも考えてませんでしたがね。

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2025.05.18

私的「大鹿村騒動記」

Img_0154 て、大鹿村での合宿2日目。まずは分杭峠のゼロ磁場へ。一般的に知られるゼロ磁場ではなく、かつて連れて行ってもらった本当のゼロ磁場へ。

 今回は本当にクラクラしました。数年前とは全然違う。中央構造線が、日本が、世界が動いているなあという実感。

 空も蠢いている。

 やはり令和七年は特別な年なのでしょう。

Img_0160 続いて中央構造線「北川露頭」へ。ここでは表日本と裏日本の境界、せめぎあい、融合を体感できます。

 いや、そうなんですよ。一昨日、佳子さまにお会いしたじゃないですか。

 日本国民の統合の象徴たる天皇家が、実は700年以上前から南北に分裂している。分裂の象徴になってしまっている。

 ちなみに秋篠宮家は南朝の血筋ですが、北朝のご祭祀、ご神事、芸事をなさっている、まさに統合の象徴なのですよ。

Img_0197 一昨日からの流れで、表日本と裏日本の境界に連れてこられた。そして、もう実は6月18日なので、未来的な話になってしまいますが、私はこのあと、とんでもない「南朝」(裏日本)の旅をさせられることになるのです。

 大鹿村には宗良親王の伝説が色濃く残ります。いや、伝説ではなく、実際に宗良親王は30年もこの地を拠点として、封印されつつあった「裏日本」の復権に奔走したのです。

 葦原神社にも行きました。出雲と諏訪の関係、つまり、それもまた封印された縄文の記憶であり、また富士山という故郷を目指す、出雲の荒魂の彷徨でもあります。

Img_0180 そして、合宿した古民家の裏の巨石群。謎の穴太衆がなぜここに。

 頭も体も魂もいっぱいいっぱい。これは個人的にはまさに「騒動記」。大鹿村を起点とした答え合わせの旅が始まりますよ。

 ああ面白い。

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2025.05.17

『大鹿村騒動記』 阪本順治 監督作品

Images_20250618074401 (忙しくて1ヶ月も放置してしまいましたが、移動の列車の中で少しずつ追いつくよう頑張ります)

 の日は信州大鹿村での合宿セミナー1日目。

 私にとっての大鹿村は南朝宗良親王ですが、それは明日づけの記事に譲りまして、大鹿村を舞台とした素敵な映画を一つ。

 大鹿村と言えば「大鹿歌舞伎」。そして、それを題材とした映画「大鹿村騒動記」です。

 なかなかの出演者陣ですね。原田芳雄さんの遺作となってしまった作品です。原田さん、カッコいいのに三枚目の役もお得意で、ここでも実にいい味を出しています。

 そしてなんといっても、大鹿村の自然と歴史の不思議な魅力ですよね。このたび初めて訪れてみましたが、なかなかの「霊気」が流れたり、淀んだりしておりました。

 南朝伝説、中央構造線、南アルプス、秋葉街道。興味は尽きません。

 この映画には、リニアの話も出てきますが、実際工事が進捗し残土が至るところに積み上げられていました。ここに関しては私も複雑な立場、心境であります。

 大楠道代さん、岸部一徳さん、石橋蓮司さん…私の大好きな俳優さんがたくさん出ています。皆さんもこの映画を観て、実際に大鹿村を訪れてみてください。

 

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