2018.01.18

追悼 夏木陽介さん

Th_que12100881957 た昭和の男が一人旅立ちました。
 私の世代ですと、パリダカで三菱チームを率いているイメージがあるはずですが、私はたまたま大学時代に深夜の再放送で「青春とはなんだ」にはまっていたので、やはり野々村先生の熱血イメージが強烈です。
 「青春とはなんだ」は昭和40年から41年にかけての放送です。つまり私は1歳か2歳ということで、全くリアルタイムではありません。高校を卒業したばかりの大学生の私にとっては、前時代の、ある意味古き良き時代の高校の風景という感じでした。それが新鮮だった。
 実は、一緒にはまっていた友人と、「これって山梨ロケじゃない?」と予感し、番組をVHSビデオに録ってですね、いろいろなシーン、たとえば商店街の風景なんかを分析したんですよ。あと、山の形とか。
 結果、これは山梨県の勝沼や塩山の付近じゃないかということになり、車でロケ地探しをしたりしました。駅は勝沼駅、駅前の商店街のシーンは塩山駅付近と特定できました。
 学校のシーンは、塩山高校か日川高校かなと当時は思っていましたが、今、インターネットで調べると、日川高校だったようですね。まあ、ラグビーですからね。
 夏木さんがメインではありませんが、この動画を観てください。原作は石原慎太郎さん。役者陣もすごいですね。

 う〜ん、背景の山の感じだと、塩山高校ではないかとも。ビデオを引っ張り出して観てみようかと思います。
 何年か前に、BSで同窓会的な番組をやっていました。山梨の勝沼付近にもいらしていました。相変わらずダンディーでお元気そうだったのに、とても残念です。

 ご冥福をお祈りします。青春よ永遠なれ!

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2018.01.17

天災は忘れた頃にやってくる…阪神淡路大震災から23年

Th_mig 年も1月17日がやってきました。
 23年前の今朝、あの兵庫県南部地震が発生しました。直下型M7,3、最大震度は7。
 テレビに映し出されたあの光景は忘れられません。地震でお亡くなりになった方々のご冥福をあらためてお祈りいたします。
 1995年は大変な年でした。1月に震災、3月に地下鉄サリン事件。言うまでもなく、1995年は終戦から50年という特別な年だったのですが、前半にあまりに大きなことがあったため、なんとなくその印象は薄くなってしまいました。そういえばテレサ・テンさんも前半に亡くなりましたね。函館ハイジャック事件も6月でしたっけ。
 そして、偶然と言われれば偶然なのですが、阪神淡路大震災も東日本大震災も、非自民政権時代に発生しています。
 村山政権は自社さ連立政権ではありますが、なにしろ社会党党首が総理大臣でしたからね。本来の自民的なモノからは大きくかけ離れていたことは事実です。
 今、モノと書きましたが、自民党はモノを鎮める「まつりごと」を重視しており、自社さ政権、また民主党政権の時はそれが疎かになってしまったとも言えましょう。
 それこそ唯物論的には、まったく非科学的な因果関係でありますが、私はどうしても唯物論者にはなりきれません。
 特に、先述したように1995年が終戦から50年という節目の年だったというのに、そうしたモノ(たとえば「霊」)をしっかり祀らなかったというのが問題だったのではないでしょうか。
 もちろん村山富市さんは今も昔も靖國神社を参拝しません。最近も安倍さんの靖国参拝を「売国行為」と批判していましたね(苦笑するしかありません)。
 もうお気づきかとも思いますけれども、実は東日本大震災の起きた2011年は真珠湾攻撃、すなわち大東亜戦争(太平洋戦争)開戦から70年の年でした。言うまでもなく、民主党政権時代であり、モノ(霊)に対する「まつりごと」は疎かになっておりました。
 私は自民党の全てを肯定する立場では、もちろんありません。しかし、モノを祀る仕事は天皇だけにまかせておいていいものではありません。
 そういう「まつりごと」を、国民の統合のもとにしっかり行っておれば大難は小難となる、小難は無難となるというのが、日本の歴史そのものであったと思います。
 はたして、今の日本はどうでしょうか。自民党はどうでしょうか。そういう視点で世の中や人間や自然を見ることも大切であると信じます。
 「天災は忘れた頃にやってくる」という時の「忘れる」対象とは、天災そのものではなくて、もしかするとそういう大切な「モノ」のことなのかもしれません。


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2018.01.16

告知! 2/11『洋館サロンで味わう テレマン~管と弦の競演』

 校生の進路指導などでなんとも忙しい日々を送っています。
 そんな生徒たちの「本番」の盛りに、私も「本番」を迎えます。たしかこの日は娘もどっかの大学を受けに行くはずです。
 高3の娘は、私の娘ですから(笑)、本番を楽しむ術を覚えております。まあ、ジャズで鍛えられたというのもあるでしょう。
 私も、娘に負けないように本番を楽しみたいと思います。私の本番は、恒例の「横濱・西洋館de古楽」のコンサート。大好きなテレマンをたっぷり演奏させていただきます。
 特に、錚々たるプロのお三人と一緒に演奏させていただく4つのヴァイオリンのための協奏曲は、とっても楽しみです。

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山手バロッコ公式

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2018.01.15

ブクステフーデ 『トッカータニ短調』・『プレリュードニ短調』

 ンター試験の後始末でバタバタしております。
 ということで、今日もブクステフーデ翁におまかせします。
 一昨日、昨日と、大バッハが影響を受けたであろう名曲を紹介しました。今日も2曲オルガン曲を紹介します。
 偽作とも言われますが、バッハの代表曲として人気の「トッカータとフーガ」。原曲が無伴奏ヴァイオリンのためのものだという都市伝説もあります。まあ、たしかにバッハの作品にしてはちょっと薄っぺらいですよね。
 もしかするとバッハ以外の誰かの作品かもしれませんが、いずれにせよ、当時最も有名なオルガニスト、作曲家であったブクステフーデの影響があったことは間違いありません。
 私は次の2曲が特に「トッカータとフーガ」に影響を与えたと思っています。
 まずはトッカータニ短調。それこそ「トッカータとフーガ」のトッカータ部分と似ていますよね。
 

 「トッカータとフーガ」のフーガのテーマの原型は、次の前奏曲にちょっとその姿を垣間見ることができます。

 イタリアで発達した即興的な楽曲トッカータが、ゲルマン人によって、いかにもそれらしく進化していく過程が分かりますよね。バッハによって、それは異常に(過剰に?)完成したのであります。

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2018.01.14

ブクステフーデ 『パッサカリアニ短調』

 れも以前どこかで紹介した気がします。今日も受験指導に忙しいので、昨日に続き、ブクステフーデさんの名曲を一つ。
 パッサカリアニ短調。これもバッハに大きな影響を与えていますよね、ぜったい。
 いかにもブクステフーデらしい、同音や同音型の反復がなんとも魅力的。この曲をヨーロッパの教会で生で聴いてみたい。私の夢です。
 今日の動画は、そんなブクステフーデらしい音型が視覚的によく分かるものです。
 バロック音楽は視覚的にも楽しめますね。
 楽譜を見ながらお楽しみいただくには、こちらの動画がいいでしょう。上の動画では、音楽が向こう(未来)からやってくるというのがよく分かりますし、下の楽譜では、私たちがその記録を過去から未来へ向けて、つまり逆転させて再生しているのが分かります。

 一度、これを弦楽四重奏編成で演奏したことがあります。それもまた楽しいですよ。楽譜はこちらにありますよ。

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2018.01.13

ブクステフーデ 『アリア「カプリッチョーサ」と32の変奏』

 センター試験1日目。今年は娘も受験するということもあり、なんだか忙しくしております。まだ国語の問題も解いておりませんので、レビューはまたのちほど。
 時間がないので、名曲紹介をします。
 以前に紹介したかもしれませんが、新しい演奏動画があがっていたのでもう一度。私の好きなチェンバロ曲の一つ。
 おそらくはバッハがゴルトベルク変奏曲を作曲する際に影響を受けたのではないかと思われる、大先輩ブクステフーデさんの変奏曲です。
 このテーマは当時有名だったのでしょうかね。とってもチャーミングなテーマです。それを32の変奏に展開させていますが、バッハのような小難しさはなく、各変奏曲もまさにチャーミングそのもの。
 変奏曲は飽きられないようにするのが難しい。実際、バッハのゴルトベルク変奏曲は不眠症解消のために作曲されたとか(つまり眠くなる)。
 このブクステフーデの変奏曲はその点大変優れています。様々なアイデアを盛り込みつつ、それらがバランス良く配置されていて、全体として飽きることなく聴くことができます。
 バッハの半分くらいの長さというのもちょうどいいのかな。
 この動画の演奏家は知らない方ですが、とても誠実かつセンスの良い演奏してますね。
 あまり目立ちませんが、時々現れる偽終止の和音進行がたまりませんね。胸がキュンとします(笑)。
 なぜか私、この曲の楽譜を持ってるんですよ。もちろんテーマくらいしか弾けませんが。チェンバリストのみならず、ピアニスト、オルガニストにとっても、素敵なレパートリーになると思いますよ。抜粋版で弾いてもいいですし。

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2018.01.12

iOS版 『日本語大シソーラス−類語検索大辞典』 (ロゴヴィスタ)

20180113_83200 日の日国に続き、結局購入してしまいました。
 このシソーラスのすごさについては、13年前、書籍版が出た時に書きました(こちらの記事です)。
 それ以来、いろいろなシーンでお世話になってきました。特に短歌を始めてからというもの、このシソーラスからはずいぶんいろいろな言葉を教えていただきました。
 書籍版もパラパラめくる楽しみがあるのですが、なにしろ大冊なので持ち運びはできません。学校の図書なので、基本学校でしか使えませんでした。
 しかし、パソコン版が出て、そしてこのiOS版が出まして、本当に「携帯」できるようになったのです。
 もともと、編者の山口さんも言っているとおり、この大偉業はデジタルとの親和性が高いものでした。iOS版を使ってみて、本当にそうだなと再確認しているところです。
 特に、昨日購入してた日国と連携させて、語義をすぐに調べられるのがいい(カーソルで語を選び共有から日国を選ぶだけ)。これは紙の本ではありえないことです。
 そう、書籍版のたった一つの欠点は、語義を調べるのに別の辞書を引っ張り出す必要があったことなのです。
 紙の本の良さもたしかにありますが、たしかに日国やこのシソーラスのような大冊に関しては、携帯性はもちろん、その使い勝手、機能の豊富さからしても、圧倒的にデジタルの方が優れています。
 実際、辞書の中身、すなわち人力で集められたデータたちが、その能力と魅力をより発揮するために、それらの間の見えないご縁を作るという意味において、やはりデジタルは非常に優れた機能を持っているということですね。
 短歌を作るのは、案外出先ということが多い。ですから、そんな時、このシソーラスと日国で、私も私の人知を超えた言葉たちのご縁を頂戴しようと思います。
 そういうのを「ずるい」と感じる人もいるようです。自分の能力じゃないんじゃないかと。いや、もともと自分は自分ではありませんから。縁起しているのですから。

iOS版 『日本語大シソーラス−類語検索大辞典』

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2018.01.11

iOS版 『精選版 日本国語大辞典』 (物書堂)

Nds_200x200 当に最大にお世話になっております。物書堂さん。
 最近では、私がほそぼそと、しかし骨太に使い続けてきた名ワープロソフト「egword Universal 2」を10年ぶりに復活してくれるという夢のようなプロジェクトを始動してくれました。
 これで、私が二十年以上かけて蓄積してきた膨大な学校関係の書類データが生き残れることになりました。本当にありがたい。おかげさまで、学校に新規に導入した最新のMac環境でもアルファリリース版を使えるようになりました。あらためてその洗練された便利さ、動作の軽さを痛感しております。
 そんな夢を実現してくれつつあるのは、ちょうど10年前の「今までありがとう egbridge & egword そして…これからも」という記事にも登場している神様仏様、開発者様である廣瀬さんです。
 廣瀬さんが立ち上げた物書堂は、特に日本語の美しい表示にこだわったアプリを多数開発してくれています。
 そうした中で、本当に快適に、ほとんど快感に近いイメージで使わせていただいているのが、「精選版 日本国語大辞典」です。
 仕事柄、そして趣味柄、日国は必需品。もちろん書籍版も持っていますが、職場ではジャパンナレッジさんでオンライン版を10年間使ってきました。
 しかし、iPhoneでは検索できないなど、いろいろ不便なこともあったので、今日思い切ってこの物書堂さんのiOS版「精選版 日本国語大辞典」を購入しました。
Th_vertical そう、実は今日買って、ずっといじっていたんです。もちろんいろいろ調べることがあったからですが、調べれば調べるほど、どんどんハマっていく。そして、脳みそが活性化していく。そういうアプリなんです。本当に使い勝手がよい。そして、美しい。
 精選版でもほとんど不自由はありません。精選版といっても項目数は約30万。必要十分です。文例も豊富なまま。そしてインデックスが楽しい。日本語マニアにはたまりませんね。
 なぞってジャンプ機能や、他のアプリ、ブラウザなどからの直接検索、手書き入力なども、書籍版では考えられない便利さです。
 iPhoneのアプリが7800円。これは普通に考えると「高い!」ということになるでしょう。しかし、書籍版が45000円以上ということや、ジャパンナレッジ版では月々1620円(完全版ですが)払い続けなければならないことを考えれば、先ほど書いたデジタル版ならではの利便性もあり、めちゃくちゃ安いと思います。
 なんとなく、この歳になって、また新しい日本語たちにたくさん出会える予感して、それこそ年甲斐もなくドキドキしております(笑)。
 こうなると、書籍版でお世話になっている日本語大シソーラスもほしくなってしまう…買っちゃいそうだな(笑)。

精選版 日本国語大辞典


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2018.01.10

『教職課程ー教職はブラックか』 (協同出版)

Th_51h4k8xdeul 僚に借りて読んでみました。ふむ、教職はブラックなんだ。へえ。
 世で言う「ブラック」とはなんなのか。その定義がまずあやふやです。だから「ブラック」なんていう外国語、イメージ語を使うわけです。
 私のイメージとしてのブラックについては、半年くらい前に「ブラック」はお好き?という記事に書きました。
 今は少し考え方が変わっているところもあるのですが、店頭から完全にブラックコーヒーが排除されることには、やはり反対です。少数派のために残しておいてくれ。
 で、教職はブラックか、についての答えですが、やはり、世間的にはブラックに映るでしょうね。しかしですね、こういう言い方をするとお叱りが飛んできそうですが、私個人としては教職につく人は、ある程度ブラック好きであってほしいのです。
 少なくとも、普段はマイルドコーヒーを飲んでいても、いざという時にはブラックコーヒーを飲める人であってほしい(笑)。
 どんな仕事でもそうですけれども、やはり「人のため」を実践するには「自分のため」をガマンしなければならない。つまり、自己を犠牲にするしかないじゃないですか。
 その自己を犠牲にすることをブラックというのなら、やはり教職はブラックだということになると思います。
 ちょっとシャレて言うなら、「教職は(今以上に)ブラック化」するのはまずいけれども、基本路線「教職はブラック可」だということです。どうでしょう。
 ちなみにウチは私立です。昔はですね、私立の先生は公立の先生の3倍仕事してるなんて言ってましたが、今は逆転してますね。いや、私立の先生が働かなくなったんじゃないんです。公立の先生が忙しすぎる。特に小中の先生方。
 管理が進んで、いろいろな会議や研修、発表など、まあその準備や後始末に忙しそうです。直接生徒に関わるわけではないことに忙しい。もちろん間接的には生徒のメリットになっているのでしょうが。
 ただ私立にもですね、ある種の管理が進みつつあります。表面的、つまり民間企業組織としての体裁であったり、法的な部分に関して、今までは教育はある意味グレーな領域だったのが、それこそ白黒はっきりさせるようになってきた。
 ついでに世間の目も厳しくなってきていますので、そういう意味での仕事が増えていることはたしかです。
 それでも、あんまりブラック、ブラックって言ってほしくない。貴重な人材が逃げてしまいます。いや、それでも教員になろうとする、ブラック好きが集まるようになるからいいのかな。

Amazon 教職課程ー教職はブラックか

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2018.01.09

『あまりに呑気で危うい日本のエネルギー事情』

 ず最初に書いておきましょう。何度も言っているとおり、私は「ワシは原発には反対の賛成なのだ!」という立場をとる人間です。
 そのことをご理解いただいた上で、上の動画を御覧ください。非常に勉強になると思います。知らなかったことがいかにたくさんあるか。
 エネルギー問題は、そのまま広い意味での国家の安全保障の問題だと思っています。
 このエネルギー大量消費社会においては、どんな方法であれ一定のリスクを背負っていかなければなりません。
 世界的、長期的に見て、はたしてどのリスクをとり、どのリスクを回避、排除すべきかを、私たちは真剣に考えなければなりません。もちろん、単なる好き嫌い、感情論、利己主義で論じてはいけません。
 誤解を恐れずあえてたとえれば、国家のエネルギー問題というのは、個人の食の問題に近いものがあります。個人の食の問題もエネルギー問題ですよね。
 食に関しても、私たちはずいぶんと贅沢になっています。たとえば江戸時代の庶民の食事に戻れるかというと難しいでしょう。
 結果として、食料自給率は非常に低く、多くを輸入の食材に頼っています。もしそれが絶たれたら…国家のエネルギー問題と同じですよね。
 一方、健康志向や自然志向で食にこだわる人もいます。同様に、国家のエネルギー問題、たとえば発電方法についても、いろいろな趣味、嗜好があるようです。原発はなんとしてもイヤだという人もいれば、原発もやむを得ないのではないかという人もいる。食(農業)における農薬や遺伝子組み換えに対する姿勢と似ていなくもない。
 個人の問題は、個人それぞれが自分の責任で決めればいいことですが、国家のエネルギー問題となると、ある程度の「総意」を形成しなければならない。今、そういう段階であると思うのです。
 たとえばこの動画のような事実も知らなくては議論できません。食の趣味のレベルではダメなんですよね。
 そして、理想と現実というのがある。私の「反対の賛成」なんか、まさに理想と現実を両方語っているわけですね。どっちはっきり知ろではなくて、未来的にはこういう方向性だけれども、それが実現するまでは、とりあえずある種のリスクをとると。
 繰り返しになりますが、食にせよ、エネルギー問題にせよ、私たち人間が生きる源の話ですから、単なる好き嫌い、感情論、利己主義は避けなければなりませんね。
 命に関わることとなると、人は一生懸命なあまりに視野狭窄に陥ります。脳みそがそのようにプログラミングされている、すなわち進化してきたのでしょうから、ある意味しかたありません。
 しかし、それが結果として、自らの命を危険にさらすこともあります。そのことに気づき、まずは違う考えの人たちの意見をしっかり冷静に聞きたいものです。

日本エネルギー会議
 

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