2020.10.29

火(霊)の洗礼

Th_5cb4e32ed2ce7847bf31721f960480 ロナ禍の前、昨年のことを思い出してください。

 4月にパリのノートルダム大聖堂が火災に見舞われました。8月にはアマゾンの熱帯雨林で大規模な火災。10月には沖縄の首里城が全焼しました。

 まさに「火の洗礼」ではありませんか。

 ここで、王仁三郎の言葉を引用してみます。大正14年の「神の国」に掲載された文章です。

 

 火をもって、バプテスマを行うという事は、人間を霊的に救済するという事である。これ大乗の教えであって、今までの誤れる総てのものを焼きつくし、真の教えを布かれる事である。水をもってバプテスマを行うという事は、人間を体的に救済する事である。

 火は霊であり、水は体(たい)である。

 瑞霊(みづのみたま)の教えは永遠の生命のため欠くべからざるの教えであって、厳霊(いづのみたま)の教えは人生に欠くべからざるの教えである。

 厳霊の教えは、道義的であり、体的であり、現在的である。

 瑞霊の教えは道義を超越して、愛のために愛し、真のために真をなす絶対境である。いわゆる三宝(さんぽう)に帰依し奉(たてまつ)る心である。火の洗礼と、水の洗礼とは、それほどの差異があるのである。

 某地の大火災を目して、火の洗礼だと人は言うけれど、それは違う。水の洗礼である。いかんとなれば、それは体的のものであるから。

 

Th_images_20201030091501 「火の洗礼」と言った時の「火」は、私たちが考える「火」とは違うのですね。

 よく言われるように、「霊」は大和言葉では「ひ」と読みました。あるいは「もの」と読みました。すなわち、目に見えない何かのことです。

 fireの「火」は目に見えます。ですから、昨年の大火災を表面的に見ているだけでは「洗礼」の意味は分かりません。

 そして、昨年の大火災のあと、まさに「目に見えないモノ」である新型コロナウイルスが世界を覆いました。

 そう、これこそが「霊(ひ)の洗礼」であって、昨年の「火」はその序章に過ぎなかったということです。「火」をもって「霊」に気づくチャンスはあったはずですが、残念ながら私たち人類はそのチャンスを活かすことができませんでした。

 「霊の洗礼」とは「今までの誤れる総てのものを焼きつくし、真の教えを布かれる事」。そう、コロナ禍によって、私たちはそれまでのあらゆる習慣や常識や経済や文化を失ってしまいました。

Th_unknown_20201030091601 それらが「誤れる総てのモノ」だということではありません。それは「コト」です。目に見える(私たちが認知している)「コト」の背後にある、無意識の「霊(モノ)」の方が誤っていたのです。

 そこに気づかないと、このコロナ禍、すなわち「霊の洗礼」は終わらないでしょう。そして、さらなる「焼きつくし」が行われる可能性があります。

 今、私たちは、「体」ではなく「霊」の次元で生まれ変わる必要があるのです。

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2020.10.28

『捻くれ者の生き抜き方』 鈴木秀樹 (日貿出版社)

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 く共感しながらあっという間に読了。

 ご本人は「捻くれ者」と言っていますが、語っていることは全て正論。

 つまり、世の中がおかしいのです。

 プロレス界だけではありません。うまく回っているように見えるけれど、どこかごまかしや妥協があるので、実は非常に脆弱な社会。コロナでそれが露見していますね。

 そういう意味では、私は教育界の「捻くれ者」でしょう(笑)。最近は「学校をぶっ壊す」と公言していますし。

 そう、つまり鈴木選手が言うように、常識という同調圧力が生む停滞、結果としての後退がいやでたまらないのです。

 この本の太字の部分、全て学校に、教育にも当てはまりますよ。面白いくらい。

たとえば、「『自分が観ている立場だったら嫌だな』と、観る側の席に座った立場で観ている」という言葉。世阿弥の言う「離見の見」ですが、教師としてこの基本的なことを考えている人が、いったいどれくらいいるのでしょう。実に情けない現場ですよ、教室は。

 あるいは、「プロレスの『適性』は、プロレスのことを考え続けられること」という言葉。これは「教師の『適性』は、教育のことを考え続けられること」と置き換えられます。これはどんな分野にも通ずる名言だと思いますが、案外プロなのに(給料もらっているのに)その専門分野のことを考えて続けていない人が多いでしょう。皆さん、どうですか。

 なかなか理解されないのですが、私は本当にプロレスから多くのことを学んで、リング(教壇)に立っているのです。

 教室に入る時からの「たたずまい」も大切です。入場のスタイルですね。対戦相手であり観客である生徒の立場に立ち、相手の技や声援をちゃんと拾って活かす。あらゆる技を鍛え、どんな展開にも対応できるようにする。ストーリーとアドリブのバランス。

 私も「フリー」になろうかな…真剣にそんなことを考えてしまいました。というか「フリーの教師」ってどんなんだ(笑)。

 鈴木選手のことは、UWFスネークピットジャパンの宮戸優光さんを通じて、デビュー前から知っていましたし、実際ビル・ロビンソンさんの指導を受ける鈴木選手の姿も見ていました。

 8年前にはウチの中学校に来てもらったことがあるんです。餅つきしてもらいました(笑)。あの時はまだIGFで活動している頃で、ご自身もこの本で語っているように、「グレー」な中でいろいろと模索している時期でした。

 その後、フリーになり、各団体のチャンピオンになっていくわけですが、やはりその中での自分の価値の作り方、守り方はある意味独特でした。すなわち同調圧力や常識の中で安定を求めるのではなく、まさに「自分で考える」ことをやってきた人だと思います。

 だからこそ、先輩に対しても正論を言える。変な忖度はせず正しいものは正しい、間違ったことは間違っているとい言える。それは全く簡単なことではありません。自分の生きている「社会」の中でそれができるかどうか、考えてみれば分かります。

 そんな意味で、私は鈴木選手から学ぶことが多いし、多くの刺激を受けています。これからも応援しますので、ぜひ「社会」という敵と戦い続けてください。私も鈴木選手に負けないように頑張ります!

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2020.10.27

Keith Jarrett 『My Song』

 楽における和声については、なんとなく理論化(コト化)できるので、やろうと思えばそれなりに思い通りのコトができる予感がします(実際には勉強不足でできませんが)。

 しかし、メロディーとなると、これは非常に不思議で、なかなか理論化(コト化)できず、やはり「モノのね」なのかなあと思う今日このごろです。

 先日亡くなった筒美京平さんは、まさに「メロディー・メーカー」でした。コード進行は洋楽からの借用で説明がつきますが、そこに乗せる旋律が独特で優れていました。何度も書いているように、最初の2小節で世界に引き込む、そういう音列を生み出す天才でした。

 昨日の記事で紹介したザ・ピーナッツの楽曲を多く手掛けたすぎやまこういちさんもそういうタイプ。このたびの文化功労者選出、おめでとうございます。

 バッハもなんだかんだ言ってメロディーが優れていたので、あの構築された厳格な世界に私たちが親しめるわけです。アルビノーニなんか、まさに当時の名メロディー・メーカーですよね。そういう意味ではロマン派(的なモノ)をすでに用意していたとも言えます。

 さて、そういうシンプルな音列としての旋律の美しさを考える時、どうしても外せないのがキース・ジャレットのマイ・ソングです。

 歴史的には逆回転になりますが、まず2009年のベルリンでの演奏から。美しい。

 

 

 長めのイントロのあと、1:30から始まるこの曲のメロディーはとてもシンプルです。後半はそれをディヴィジョンしての変奏となります。

 次に1978年の、あの伝説の武道館ソロ・コンサートのアンコールでの演奏。これは本当に神がかった演奏ですね。当時生で聴いた方が、本当に鳥肌が止まらなかったと言っていました。それはそうでしょう。

 上のベルリンでも至上の美しさですが、この武道館ヴァージョンを聴くと至上のまだ上があるのだなあと思わずにいられません。

 

 

 この曲の原曲は、言うまでもなくEuropean Quartetの1977年の作品です。ヤン・ガルバレクの澄んだサックスによる、このシンプルなメロディーが本当に美しい。ライヴ版がありましたのでどうぞ。

 

 

 というわけで、(良い)メロディーとはなんなのかが最近のテーマでして、まずは自分たちでやってみようということで「Melodies」というユニットを立ち上げているところです。

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2020.10.26

ザ・ピーナッツ…奇跡のユニゾン

 の前紹介した、バッハのカンタータBWV106「神の時こそいと良き時」。この曲のソナティーナのリコーダーの、特にユニゾンが難しいという話をしました。

 それについての次の興味深い動画を観ながら、思い出したのがザ・ピーナッツ(笑)。

 

 

 実はこの番組、「奇跡のハーモニー」なんですが、ザ・ピーナッツって、実はユニゾンが奇跡的なんですよ。上掲のバッハの演奏の手本となるのはこれ以外にないでしょう(マジで)。

 音色、リズム感、メリスマ等々、完璧なユニゾンがあるからこそ、実は3度とか6度とかのメロディーハーモニーが生まれるのです。

 

 

 そこで思い出したのが、アルビノーニの作品9。全く私の頭はどうなっているのでしょう(笑)。

 そう、実は作品9は「12曲の5声の協奏曲集(12 Concerti a cinque )」なんです。ヴァイオリン協奏曲、オーボエ協奏曲、そして2本のオーボエのための協奏曲も、全部「5声」。

 つまり、2本のオーボエは「1声」ということなのです。2本のオーボエはハモったり、たまにカノン風に追いかけっこをしたりしますが(恋のフーガのように!)、あくまでも一卵性双生児であり、二つで一つなのであり、すなわちザ・ピーナッツなのです。面白いでしょう。

 それにしても、上のザ・ピーナッツの動画、すごいですね〜。二人で一つの彼女たちはもちろん、共演陣がすごいこと。東京ユニオンもやっぱりすごいですし。

 

 

 

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2020.10.25

『Fukushima 50』 若松節朗監督作品

Th_91vlcn3j8l_sx300_  兵器禁止条約が発効することになりました。唯一の被爆国である日本は批准せず。

 原発についても、あれだけの事故を起こしておきながら廃止する気はなし。

 本当に純粋な人間の感情としては、兵器にせよ発電にせよ、もう原子力に頼らなくてもいいではないか、となるところでしょう。

 しかし、それがこうして単純に実現しないのには、裏側に重い事情があるからにほかなりません。

 そして、それが単純に従米のしがらみであるとか、国内の利権にまつわる話であるとかだったら、ある意味分かりやすいし、怒りをぶつけやすいのですが、実際はそう簡単なことではありません。

 コロナ禍のもと、何度も書いてきたように、実際的には核兵器をはじめとするドンパチ戦争の時代は終わろうとしています。また、電力問題においても再生可能エネルギーなどの発達により原発の出番はなくなってもおかしくありません。

 しかし、なぜなくならないのか。被爆と被曝を体験しながら…。

 それは、遠い昔、人類が危険極まりない「火」を、さまざまな失敗や試練を乗り越えながら、結果的に善用して文明を発達させたのと同じく、「原子力」を「未来の火」として真に善用すべき運命が存在するからです。

 仲小路彰は70年前からそれを強く訴えていました。コントロールすべきは「火」だけではなく、それを操る人間の「心」であると。

 日本という国は、その名のとおり、「太陽の火」すなわち「核融合エネルギー」善用の大本になるべき運命を背負っているのです。

 その証拠として、被爆後の日本の奇跡的復興と発展があり、そしてこの映画で描かれているように、原発事故の奇跡的な収束(終息ではありません)があったのです。これはもう神がかりとしか言いようがありません。

 ひのもとの国の神々が、私たち日本人を使い、修行させ、地球のための技術的、精神的な進化の道が閉されないようにしている。そんな未来的な視点を持つことも重要ではないでしょうか。

 この映画に描かれた崇高なる使命を背負った「日本人」の姿に、そんなことを考えさせられました。

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2020.10.24

Ichiban Japan (フランス人YouTuberギギさんの日本紹介チャンネル)

 

 ランス人YouTuberギギさんの日本紹介チャンネル。

 先月、ギギさんがウチの中学校の取材にいらっしゃいました。その時の動画がアップされましたので紹介します。

 1時間近い動画ですが、全く長さを感じさせないすごいクオリティーです。さすが本国フランスでも街を歩いていると声をかけられるというだけのことはあります。本当にカリスマ的なYouTuberなんですね。

 この動画の中でも私が話していますとおり、ギギさんの日本紹介チャンネルには、私たち日本人も知らない、気づかない「日本」がたくさん詰まっています。

 こうして外国からの視点で捉え直すことによって、私たち日本人も忘れてしまった、あるいは無意識の向こう側にしまい込んでしまったモノをコト化できます。ありがたいですね。

 私も、自らの教育観をこうしてグローバルに発信できる機会を与えていただき本当に嬉しく思います。コメント欄を読んでみると(もちろん翻訳ソフトで)、フランスの皆さんが日本の教育や禅にとても興味を持っていることが分かります。

 富士吉田市についても、地元民である私が知らないところもたくさん紹介してくれています。なにかこうして紹介されると、不思議と地元が外国のようにさえ感じられますね。非日常的な視点を得ることによって、風景が違って見える。日常的ストコーマに隠れた価値が浮かび上がるということでしょう。これぞまさに異文化交流の醍醐味。

 本来なら、この動画を観て多くのフランス人が富士吉田市を訪れるのでしょう。しかし、今はそれが叶いません。しかし、だからこそ、ここから両国の文化的、学問的、哲学的な交流が始まるといいですね。

 ギギさんとはこれからもコラボする機会があるかもしれません。まだまだ紹介したい、紹介してほしい、日本人が忘れてしまった「日本」がたくさんありますので。

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2020.10.23

「坂口孝則と牧野直哉のオールビジネスニッポン」に出演しました!

20201025-110558 このところメディアで教育観を語る機会が急に増えました。明日もあるYouTube動画の紹介をする予定ですし、近くNHKのテレビにもちょこっと出る予定です。

 私は、自分から発信というより、人様の企画に乗っかって発信ということの方が向いているようです。特にワタクシ独自の時間観、モノ・コト論、教育観などについては、こうして社会的に影響力のある方々がなぜか興味を持ってくださって誘ってくださるので、本当にありがたく思います。

 今までも、高城剛さん、吉本ばななさん、るってぃくんらの「作品」に乗っかって、ある意味暴走気味に放言してきました。今回はFM世田谷の「オールビジネスニッポン」に出演し、暴走させていただきました。かなりぶっ飛んだ内容になってますよ(笑)。

 スッキリのコメンテーターなどでも有名な坂口さんとは、昨年友人の紹介で一度飲みながらおしゃべりし、その後宇宙人忘年会にも出席していただいた仲です。ものすごい読書家であり、今回も教養豊かな鋭い質問をどんどん投げかけてくれまして、こちらとしては最高にお話しやすかった。

 高城さんとの対談の時もそうでしたが、やはり聞き手の方の次元が高いと対話がスイングして楽しいですね!

 ある意味放送禁止だとも言われましたが、ほとんどノー編集で放送してくれたことに大感謝であります。どうかドン引きなさらず聴いてください(笑)。今回初めてお話しました牧野さんは呆気にとられていたようです。それが普通でしょうね。スミマセンでした。

 前半

 後半

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2020.10.22

キース・ジャレット 『バッハ フランス組曲よりサラバンド』

 Yahooニュースで「ジャズの巨匠 病で復帰困難か」というトピックが。

 ジャズの巨匠って…だれ?と思いましたら、そうか、キース・ジャレットかあ…。ここのところ音沙汰がないとは思っていましたが。

 キースに一番最近会ったのは7年前。今考えても不思議なシンクロが重なった日でした(その前日もすごいな…笑)。

 恐るべきシンクロニシティの群れ〜キース・ジャレット・トリオ

 その時はキースはお元気そうで、どちらかというとゲイリー・ピーコックの衰えが心配になりましたが、その後2018年に2度の脳卒中に襲われ、今では左手は使えないようです。

 内側からどんどん音楽が湧いてくるタイプの音楽家にとって、それを表現できないというのは、どんなにもどかしいことでしょう。

 もちろん、楽譜にしたり、コンピュータで打ち込んだり、いろいろな表現法はあると思いますが、キースのような「インプロヴィゼーション」を重視する演奏家にとっては、やはり「記録」ではダメなのでしょう。すなわち、コト化した音楽ではなくモノそのものを表現したいのです。

 そんな彼が「記録」された音楽も頻繁に演奏したのは面白い事実です。特にバッハを好んで演奏しました。ある意味、構築された「コト」の権化のように思われがちなバッハの音楽は、実は対位法を極めることによって、バッハ自身からどんどん離れたところで生成された「モノ」なのでした。

 私も若い頃対位法をかじって稚拙な曲を書いていました。鍵盤楽器が弾けない私がどのように作曲していたのかというと、テーマだけダウンロードして、あとは対位法の流儀に乗って勝手に音楽が生成されていく感じでした。

 私は天才ではないので、音の選択の際に間違いもけっこう犯していて、それで駄作が大量に生産されることになってしまいましたが、天才は一瞬で全体をダウンロードして、それを楽譜上、あるいは画面上に展開していくことができるので間違いが起きません。

 バッハの音楽はそういう意味で究極の「インプロヴィゼーション」だったのです。キースはそれをよく理解しており、まるで今ダウンロードされたかのように演奏しました。それはある意味、クラシック演奏家の流儀に反したものだったので、そちら側の人たちから酷評されたりしましたが、バッハ自身がどちらを評価するかは言うまでもないでしょう。

 今日は、キースのバッハ演奏の珍しいライヴ映像を紹介します。何かのライヴのアンコールでしょうかね。フランス組曲の3番ロ短調から「サラバンド」です。

 

 もしご縁があったら、キースに宇宙由来のCS60の施術を受けてもらいたいなあ。麻痺が治った人がけっこういますので。まだまだ、キースの内なる音楽、すなわちキースを超越した宇宙の波動を聴きたい…。

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2020.10.21

『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』 堀江貴文 (光文社新書)

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 リエモンの教育論…と言うと、何か特別な人が特別なことを言っているような印象を持つと思いますが、非常にまっとうな「脱・学校論」です。

 「学校」という工場、軍隊、牢獄で働く者として、ほぼ全面的に堀江さんの意見に同意します。

 現在の「学校」、すなわち150年前から変わらない「学校」が、実社会と乖離しているのは当然の上、堀江さんが言うとおりまさに「ブレーキ」になってしまっている。幼児教育から大学までの約20年間によって、どれだけ日本の生産性が下がり、国力が低下していることか。

 全ての「先生」にこの本を読んでもらって、もし同意できない部分があるなら、感情論ではなく理屈で反論していただきたいと思います(もちろん、ちゃんとそれをしてくれる先生もいますが)。

 先日も宇宙人的な視点から、某ラジオ番組で(旧来の)学校批判を繰り広げた私であります。しかし、現実にはまさに「旧来の学校」の中心で働いております。

 それを矛盾だとか、職場に迷惑をかけているとか、いろいろな批判やご指摘をいただいておりますが、私としては全く自然にそれができていますので、ご心配なく。

 だいたい地球人のいけないところは、改善のための批判や具体的な改革を「敵対関係」の中で実現しようとするところです。外側からの批判は結局単なる無責任な自己満足か単なる暴力になってしまうんですがね。

 私がもし堀江さんの主張に何かを加えるとするなら、「旧来の学校」も残るし残すべきだということでしょうか。つまり、レールの上に乗っていくことを望む人、貯金の安心を得たい人もある割合いるのです。

 その上で、これからの時代のメインになるであろうもう一つの選択肢としての全く違う教育システムを作る。それが私の現在の、いや未来の仕事です。もう具体的なビジョンと方法論はできています。

 それは、堀江さんの言う「『バカ』になれば教養もついてくる」体験(すなわち「学び」)を、社会全体を「学校」として実現する画期的なものです。

 これは、まさに「旧来の学校」にどっぷり浸かって仕事をし、その問題点と、その問題点を正当化どころか美化していしまう「物語」を、いやというほど体験してきた私だからできることだと思っています。

 今の仕事、立場には当然誇りも持っていますし、自分の学校や幼稚園を心から愛しています。しかし、そういう小さな自我の次元を超えて、本気で日本を、地球を救おうと思っている自分(自分ではないのかも)がいることも確かです。

 私は私の妄想を絶対に実現します。実現しなければならないのです。天命ですので。その時には、もしかすると堀江さんの力もお借りするかもしれません。

 もう一つ、あえて最後に言うなら、この堀江さんの「正論」にも「洗脳」の要素は多分にあります。というか、全ての社会的システムや言説は「洗脳」が目的です。もちろん、私のひとり語りも。まずは自分をこうして洗脳していますし(笑)。

Amazon すべての教育は「洗脳」である

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2020.10.20

山下久美子 『TOKYO FANTASIA』(湯川れい子・筒美京平作品)

 

 美京平さんの隠れた名曲を紹介します。

 1996年の山下久美子さんのシングル。資生堂のCMで使われていましたので、記憶にある方も多いのでは。

 どんなスタイルの曲も書ける、まさに職人だった筒美京平さん。この曲は、一聴して分かるとおりELOのジェフ・リンの影響を感じさせるポップ・ロックですね。

 ジェフ・リンと言えば、最近大英国勲章(OBE)を受章したようですね。ちょっと遅かったような気もしますが。

 ジェフ・リン(ELO)の影響と言えば、同年のPUFFYの「アジアの純真」、すなわち奥田民生さんを思い出しますね。彼はユニコーン時代にELOネタをよく使っていました。

 そんな奥田民生さんを尊敬していた志村正彦くんのCDコレクションを拝見したことがあるのですが、そこにELOが何枚かあったのを思い出します。ビートルズ→ジェフ・リン(ELO)→奥田民生→志村正彦という音楽の命脈は時空を超えて感動的ですね。

 おそらく「TOKYO FANTASIA」は、1996年の5月に発売された「アジアの純真」の大ヒットを受けて、筒美京平さんがELO風の楽曲に仕上げたものでしょう。

 本家ELOよりも、あるいは「アジアの純真」よりもストリングの濃度は高い。弦の編曲は服部隆之さんです。これもまたよくELO(ルイス・クラーク)を研究していますね。

 こうして洋楽を日本風に昇華していくのが我が国の大衆音楽の特長であり、それはある意味聖徳太子にさえつながる日本文化の本質を示しているのでありました。

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