2016.09.29

核廃棄物が貴金属に(!?)

 日の記事の続き。ずいぶん前になりますが、日経に「核廃棄物が貴金属に」という記事が載っていました。
 それこそ夢物語、現代の錬金術が現実のものとなるのか。ごく簡単に言うと、パラジウム107をパラジウム106に換えるということですね。
 核廃棄物として長期間放射線を出しつづけるパラジウム107に、ある条件で中性子一つをぶつけると、結果として二つの中性子が放出され、パラジウム106になるということだそうです。

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 これが実用化されるのかどうかは、私には分かりませんが、しかし、こういう夢のような技術こそ、21世紀に日本が実現すべきものであると信じます。
 昨日も書いたとおり、科学の進歩とは、それまでの常識を覆す発見の歴史であると言って良いと思います。諦めたり、馬鹿にしたり、その時点で全ての可能性は閉ざされます。逆に、最後まで諦めなかった人、あるいは馬鹿にされながらも気にしなかった人が、歴史に残る「天才」となるのです。
 そういう意味で、私は世に言われる、疑似科学や偽史やオカルトの全てを無視したくない人間なのであります。


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2016.09.28

東北発…常温核融合再び

Th_96958a9f889de2e4e0e7e0eae2e2e3eb 10月の2日から、東北大学で「第20回凝集系核科学国際会議(ICCF20)」が開かれます。
 「凝集系核融合」は、かつて「常温核融合」と呼ばれていた現象の新しい呼称です。
 「常温核融合」が、一度否定され、エセ科学のレッテルを貼られてしまったため、その名前を改めたとも言えますね。
 科学の歴史を振り返りますと、そうして一度は否定され、批判され、地獄に落とされながら、のちに復活し、最終的には常識にまでなった現象、実験、理論は数限りなくあります。
 私は、今はもちろん科学者ではありませんが、少年時代は科学者を夢見ていました。当時はそういう男子は多かった。
 私は宇宙物理学にも興味を持っていましたので、その流れの中で、核融合エネルギーについても、ある種の憧れがありました。
 その後、1989年に「常温核融合」のニュースで、私の心は再び震えました。これは革命が起こる…本気でそう思ったものです。
 しかし、その後、常温核融合の再現実験はことごとく失敗、あるいは否定され、とうとう「嘘」のレッテルを貼られることになってしまいました。
 しかし、不思議なもので、私の心の震えは完全には収まらなかったのです。なぜだったのか。
 最近、その理由が分かってきた気がするのです。
 311の原発事故がそのきっかけでした。核融合ではなく、「原子力」に対するバッシング、拒否反応が大きくなり(それは当然だと思いますが)、「核」という言葉がつくだけで、それこそ十把一絡げに「反対」される。そんな状況が、有る意味私の核融合に対する記憶を甦らせたと言えるかもしれません。
 その後、いくつかの出会いがありました。まず、若くて優秀な物理学者。そして、戦後すぐに「21世紀は核融合の時代」と言った仲小路彰です。
 彼らのおかげで、私の直観は、ある種の理論的裏付け、あるいは後ろ盾を得ることになったのです。
 そんなこともあって、「ワシは原発には反対の賛成なのだ!」のような記事を書くようになったわけです。
 そして、最近、米で特許 再現成功で「常温核融合」、再評価が加速核融合炉こそ世界の需要に応える最終の解決策核融合炉に行って、炉に飛び込んできた!といったネットの記事を読むにあたり、さらに「核融合」や「凝集系核融合」に対する関心が燃え上がってきたというわけです。
 それも、原発事故が発生した東北という地方で国際会議が開かれるという運命に、なにか見えない大きな力を感じざるを得ません。
 そんな夢みたいなことまだ言ってるのか…そう言う人もいるでしょう。核とか原子力とか、本当にやめてくれ!という言う人の気持ちも理解できます。
 しかし、私は諦められないのです。科学者ではない私には、具体的に何もできることがありませんが、一般人への、特に子どもたちへの啓蒙は、立場上可能です。
 もう一つ、国への働きかけですね。国民の核、原子力アレルギーのもと、核融合を国家の政策にするのは難しい状況です。しかし、だからこそ、そうした働きかけが重要になってくるわけですね。それも科学者からの立場ではなく、たとえば工業界、経済界などからですね。
 実は、最近ですね、私も「常温核融合」の現場に関わらせていただいているんです…なんて、そう、私たちの体内で起きている「生体核融合(生体内核変換)」についても、私はなぜか信じているんですよ。

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2016.09.27

新垣隆 『ヴァイオリンのためのソナチネ』

 然ですが、「旧佐村河内」作品を。
 だいぶほとぼりも冷めまして、久しぶりにじっくり聴いてみようかという気になりました。
 ヴァイオリン弾きとしては、このソナチネや、こちらで紹介したシャコンヌは一度は弾いてみたい曲ですよね。
 実際、こうして再び純粋に音楽として聴いてみますと、本当にいい曲であります。何よりシャコンヌ同様に、ヴァイオリンの特性を知り尽くし、それを活かす作曲をしていることに、「一流」の風格を感じますね。
 そして、日本人らしい哀愁に満ちた旋律がたまりません。新垣隆さんの才能は、やはり並みではありません。
 作曲家としてはどうだこうだと言う評論家もいましたが、いやいやなかなかのものですよ。

 この曲で高橋大輔選手が奇跡的な演技を見せてくれた、かの2013年NHK杯もあらためてどうぞ。感動的ですね。やはりこの奇跡には、音楽の力も働いていると思います。

 さて、そんな新垣さんの新しいヴァイオリン作品、無伴奏ソナタ「創造」。これまた素晴らしい曲なんですが、この対談もまた奥深い。

 ご存知のように、こういう「真面目」な一面とは別に、とってもお茶目な面も持ち合わせている新垣さん。ジャズ、民謡、演歌、歌謡曲などにも精通する、本当にうらやましい音楽人の一人であります。

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2016.09.26

ポン酢の語源

Th_as20160925001347_comm 士山が「初薄化粧」しました。初冠雪とは認定されなかったのですが、当地方からは山頂をうっすら白くした富士山を仰ぐことができました。いよいよ冬に向けて季節は動き出しましたね。
 今日はちょっと暑いくらいでしたが、我が家では先週、とうとうストーブに点火してしまいました。とは言っても、例年は8月の末、火祭りすぎには我が家でも点火の儀が行なわれていましたから、やっぱり温暖化は進んでいるのでしょうか。
 食卓にも冬を予感させるものが登場しつつあります。昨夜も鶏鍋が出ました。そんな鍋の季節に大活躍するのが、皆さんもよくご存知の「ポン酢」であります。
 あまりに一般化しているポン酢でありますが、はてさて、ポン酢の「ポン」というのはなんなのでしょう。酢は分かるとして、ポンとはなんぞや。
 そんなことを思って調べてみたら、意外な事実が分かってきました。
 そう、最初の勘では、ポン酢の「ポン」は、ポンカンの「ポン」と同じなのではないかと思っていたのですが、全然違いました。
Th_41awj6wgnl_2 結論から申しますと、一番古くはインドの古い言葉で「5」を意味する pānch という語に遡ります。なんでも5種類の果実から作られた胃腸薬(ドリンク)だったそうで、それがヨーロッパにもたらされて、オランダ語の「ポンス(pons)」、英語のパンチ(punch)、その他北欧ではプンシュ(Punsch)などとなったようです。それらはどれも、蒸留酒に柑橘類の果汁を混ぜた、いわゆるカクテルです。
 パンチと言えば、日本ではまず「赤玉パンチ」ですね。これもいわば果実酒です。そして、フルーツポンチ。フルーツパンチとも言われますが、どちらかというとポンチの方になじみがありますよね。あれも元は、リキュールにフルーツを漬けたものだったようですが、日本ではノンアルコールの方が普及しました。
 で、話をポン酢の方に戻しますが、鎖国時代にオランダ船がもらした「ポンス」が日本国内でも普及し、それがいつのまにか、柑橘類に醸造酢を加えた調味料の名称として使われるようになった、「ポンス」の「ス」に「酢」を当てたというのが本当の話のようです。
 インドからヨーロッパへ、そして日本へ。言葉も物も旅をして、いろいろ形を変えて、その地の文化となっていったということですね。
 ちなみに今私たちが想像する「ポン酢」は、いわゆる「ポン酢しょうゆ」ということになりますね。そして、「味ぽん」は、正式に言えば「味付けポン酢しょうゆ」ということになるでしょう。
 ああ、また鍋を食べたくなってきたぞ(笑)。

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2016.09.25

『亀岡の大予言者―東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』 加藤正民 (たま出版)

Th__20160922_110629 本屋で購入。一気に読み終えました。これはいい本ですね。
 王仁三郎本はとにかくたくさんあります。中にはやや「大袈裟」なものもありますが、この本はちょうどいい感じ。
 出版は1982年ですから、70年代オカルトブームが下火となった頃。私は18歳。王仁三郎に出会っていませんでしたね。もう少しして大学生になって富士北麓に住み、宮下文書に出会って王仁三郎の名を初めて知りました。
 著者は、王仁三郎についての評価と、この本の執筆動機について、後半部で次のように書いています。

…王仁三郎という人物が、ただの新宗教創始者などと異なる、偉大な洞察力をそなえた具眼の士であったたかを認識しうると思う。ただし、いま引例した王仁三郎の軍備や戦争が、地主や資本家を守るためのものというふうな表現部分だけを取り上げて、当時の新しい社会思想との関連性のみ強調し、そこに王仁三郎の進歩性を賞讃するというふうな安っぽい考え方が近ごろの大本を取り上げる人たちの共通の視点になっているが、わたくしはそういう見方に組みしない(原文ママ)。
 王仁三郎の体制批判的発言を、当時における宗教人の立場から断言したその明確な事実は事実として認識しておくのに吝かではないが、そういうことだけが王仁三郎の偉大さのすべてではない。彼の偉大さはもっと別のところにある。王仁三郎にかぎらないが、人間としての偉大さというものは、必ずしも近代性の有無にあるのではない。
 わたくしが出口王仁三郎や大本一統の業績について、この本を書こうとするゆえんも、ただ当時の宗教の中で大本が進歩性があったとか、反体制・反権力的であったとかいうだけのことに起因するのではないのだ。
 こんにち、大本を書く人たちが、ほとんどそうした視点を発想の唯一の基盤としているわけだが、それにあきたりない思いを持つところから、わたくしはこの本を書く発心をした次第である。したがって、進歩的知識人に類する人たちが大本のシンパ面をしてきたのとは別の立場、すなわち、そうした人たちの誰もが触れなかった大本の心霊的視野から、いまこれを書いているのである。また、出口王仁三郎という人物に対しても、その辺の配慮を怠ったならば、ほとんど気狂いとしか映らないであろう。

 なるほど、左翼的な発想からの評価も多かったわけですね。時代が時代だったわけですから。
 今はどちらかと言うと、反対側から評価されることの多い王仁三郎。つまり、両翼を持ち備え、そのバランスによってより高く飛翔した存在だったということでしょう。
 ところで、面白かったのは、この古本、前の所有者が鉛筆で線を引いている箇所があるんですが、それが見事私が線を引きたいところと一致しているんです。まるで時空を超えて未来の私が読んでいたかのよう(笑)。
 そんなことをあり得ると思わせるほど、濃厚な霊的世界が描かれています。協力が出口和明さんということで、最近たとえば和明さんの息子さんが書かれた「切紙神示と共に甦る孝明天皇の遺勅(予言) 誰も知らなかった日本史 皇室に隠された重大な真実」という本に出てくる話題も登場します。
 この本でAとBと表現される、体主霊従と霊主体従の戦いは、今まさに大峠を迎えています(当時も、また王仁三郎存命中も「今が大峠」と思っていたわけですが)。はたして世界はどうなっていくのでしょうか。
 王仁三郎に興味のある方は、ぜひこの本を古本で手に入れてほしいと思います。バランスの取れた良き入門書ですよ。

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2016.09.24

『天河伝説殺人事件』 市川崑監督作品

Th_916hsq6p6xl_sl1500_ 3日連続のミステリー作品鑑賞。再び市川崑作品。
 よく言われるように、テイストとしては完全に金田一耕助の延長線上。娘たちなんか、いつ金田一が登場するのかまじめに推理していました(笑)。
 市川監督は老いてますます盛んという感じで、全く衰えを感じさせませんね。パブル期の作品でありながら、全体として落ち着きがあり、重厚さが際立っています。
 バブルな都会ともののけ的な田舎との対比がいいのでしょうかね。あるいは対比ではなくて、共通性なのかもしれませんし。
 ストーリー的にも、人間ドラマとして楽しめました。
 昨日書いたように、「君の名は。」を酷評した私は、明らかに古い「リアリズム」を映画に求める人間。あえて時代に迎合するつもりはありませんが、しかし、この「天河伝説殺人事件」を観て、本質的なことに気づいてしまったので、それを書いておきます。
 言うまでもなく、この作品の中核にあるのは「能」です。教え子が能楽師になり、娘が能楽部に入部したこともあって、ここ10年くらいでようやく能の面白さが分かるようになった私。
 そう、まさに能こそ「夢幻」世界。近代的リアリズムからすると、まさにツッコミどころ満載。能が分からなかった頃の私は、つまり近代的なリアリズムを求めていたわけですよ。
 もちろん、かたや少年時代からプロレスが好きだったりして、そういうリアリズムとは別の「脳内リアリズム」も欲するところはあったわけですが、へたに演劇にちょっと関わったりしたからでしょうか、舞台への感情移入には、そういう近代的リアリズムを必要とする体になってしまっていたんですよね。
 それが能を知ることによって、ようやく解放された。開放とも言える。
 では、映画やドラマやアニメはどうなのか。いや、やっぱり「映画館で観る映画」に求めるものと限定した方がいいのかな。
 たとえば「君の名は。」をTVアニメとして観たら、それなりに面白がれたのかもしれない。そんな気もします。
 つまり、「君の名は。」に感動できなかった私の構造にこそ問題があったのではないかと思ったのです。
 思えば、小津映画なんかも、最初はずいぶん違和感を抱きました。それが、いつのまにやら、心も体も完全に虜になってしまった。やはり、こちら側の解放があったのでしょう。
 単に「まだ慣れていない」ということかもしれませんね。旧弊から抜け出すためには、やはり進取なものに慣れていかねばならない。
 「君の名は。」に62点つけた私ですが、それはそのまま私自身への採点だったのかもしれません。
 まだまだ人生、楽しめそうですな。ありがたいことです。

Amazon 天河伝説殺人事件

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2016.09.23

『八つ墓村』〜『君の名は。』に感動する方法

Th_51r1g577qhl_sy445_ 日の「犬神家の一族」に続き、我が家ではドラマ版「八つ墓村」を鑑賞。変な家族ですね。
 父親と母親はまあいいとして、娘たちはなんで興味を持つのでしょうか。
 まず高校2年の長女は…幼い頃から「怖いものを怖がりたい」タイプでして、最近はネットで「怖い村」について検索しまくっています。全滅した村とか、猟奇的殺人事件があった村とか。変な趣味ですね(笑)。
 で、当然のことながら、津山事件を知っているわけですよ。津山と言えば「八つ墓村」のモデルになった岡山県の村ですね。例の大量殺人事件があった村です。戦前の話。
 だからドラマ「八つ墓村」は当然観たい。
 中二の下の娘は、映画マニアですし、特にサスペンス、ミステリーが大好き。ドラマではCSIを毎日のように観ております。グロいのも大好き(笑)。
 将来は映画監督になりたいなんて、まさに中二病満開な彼女にとっても、「八つ墓村」は当然通らねばならない関門ですね。
 そんなわけで、家族全員が共有できるというわけです。
 いやあ、面白かったなあ。やっぱり横溝正史の原作が素晴らしいわけですが、それをこうしてテレビドラマとして重厚に描けた時代もまた素晴らしいですね。娘たちもますます昭和に生まれたかったなあと思うようになっております。
昭和人である我等夫婦としては嬉しいかぎりです。
 さてさて、そんな昭和家族?は、昭和なだけに、現代にはついていけないところがあるわけでして、その代表的なケースが、に感動できない親子なのでした。
 あれ以来、どうにもスッキリしない日々を送っていたのですが、今日、齋藤あきこさんが、素晴らしい分析をしてくださっておかげで、「なるほど」と納得することができました。
 「君の名は。」に感動した人も、感動できなかった人も、観てない人もぜひお読みください。

『君の名は。』に感動する方法

 昭和の感性じゃあ、あれは分かるはずはないわけですね。そっか。たとえば自分が昨夜見た夢のディテールの矛盾にツッコミを入れちゃあいけないってことですね。なるほど、たしかにそうだ。
 新しい映画、アニメにとってのリアリズムは、ようやく源氏物語や浮世絵のレベルになってきたということでしょう。すなわち「脳内リアリズム」が「リアリズム」を超えたというわけです。
 私たち親子が「君の名は。」にいちゃもんをつけたのは、それこそ浮世絵やピカソに「全然現実味がない!感情移入できない」って言っていたのと同じということですね(苦笑)。

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2016.09.22

『犬神家の一族(1976)』 市川崑監督作品

Th_91bum0cezil_sl1500_ 族で鑑賞。大いに盛り上がりました。やっぱりいい作品ですね。
 先日一緒に「君の名は。」を観に行った下の娘とは、「やっぱり映画はこれじゃなきゃ」という結論に至りました。まあ、あっちが対照的にひどい作品だったので(苦笑)。
 角川映画第一作、私が12歳の時ですね。つまり、プールであれをやったクチです(笑)。鼻に水が入ったっけな。
 まあ、まさに感受性豊かな少年にですね、ある種のトラウマを植え付けた作品と言えるでしょうか。スケキヨごっこもしたっけ(笑)。
 しかし、考えてみると、もう何十年も観ていなかったので、こうして「同世代」の娘たちと、恐怖やサスペンスを共有できるのは素晴らしいことですし、まさに時代を超える名作だということになるでしょう。
 やっぱり「君の名は。」との大きな違いは、人物の描写の浅さ深さでしょう。同列に比較するのは酷ですけれど、やはり脚本、原作の文学性の有無が違いすぎるということでしょう。
 同じ市川監督・石坂主演のリメイク版は観ていませんが、あえて観る必要も感じませんね。これで充分。これを超えるのは、いくらご自身でも難しいと想像されます。いや、市川監督が最後の最期にこの作品をリメイクした理由を知るためにも、ちゃんと観なきゃいけませんかね。
 やはり、役者陣がすごいのだと思います。娘たちも驚いていました。また、市川監督の斬新な映像センスですね。洋画に押されていた当時、あえて日本映画の伝統の発展形で勝負した感じがします。
 いろいろ興味深いシーン、印象に残るシーンがありましたが、あえて私は「箏曲」の演奏シーンに関心しました。三条美紀さんは吹き替えじゃなくて、ちゃんと弾いてますよね。あの曲、難しいですよ。小杉太一郎さんの「双輪」。音は山田節子さんかもしれませんが、当て振りにしても、かなり箏曲の演奏に熟達していないとあれは無理です。
 一方、お師匠さんの前で松子(高峰三枝子)が千鳥の手事を弾く、あの重要なシーンは、明らかに当て振りと分かりますね。演奏は山田節子さんですが、はたしてわざと下手に(怪我をしているように)弾いているか…気になります。
 とにかく素晴らしい映画ですね。島田陽子さんの美しさ、坂口良子さんの可愛らしさも時代を超えています。
 やっぱりこうなったら、2006年リメイク版や、ドラマ版も観てみましょうか。なにしろ、娘たちもハマってしまったので。そう、彼女たちにとっては金田一耕助って、金田一一の「じっちゃん」なわけですから(笑)。

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2016.09.21

デュークエリントンに捧ぐクラシックジャズコンサート

 日、「宇宙人東京に現る」の記事に登場した奥田宗宏とブルー・スカイ楽団。その奥田宗宏さんの息子さん英人さんが現在でも新生ブルースカイオーケストラを率いていることも最後に書きました。
 その、奥田”スインギー”英人&ザ・ブルースカイ オーケストラのライヴ映像を鑑賞いたしました。
 最近、自分の娘が在籍する中高生ビッグバンドを聴く(観る)機会が多いものですから、久しぶりにこうしてプロの大人の演奏を聴きますと(観ますと)、なんか逆に新鮮ですね。
 そう、ちょうど夏休みに高校野球をずっと観たあと、ふとプロ野球中継を観た、あの感じ(笑)。テクニックとか精度とか、そういう違いは当たり前として、なんか、若者の純粋さ、一生懸命さと、大人の余裕、軽みのコントラストがなんとも言えません。
 高校野球には高校野球独特の魅力があり、プロ野球にはプロ野球の魅力がある。その両者があって、両者の魅力を際立たせていると言えますね。
 そう考えると、大学野球が微妙なのと同様に、大学生のビッグバンドって、私にとってはなんだか中途半端な存在だなあ(あくまで私個人の感想です)。
 特にこの動画では、まさに「クラシック・ジャズ」と言うべきデューク・エリントンの名曲をたっぷり聴くことができますから、ますます学生バンドとは違った趣きを堪能することになります。原点はいいなあ。安心。
 と言いつつ、なかなかアレンジが面白い曲もありますね。多様なボーカリストの歌芸も聴くことができますし。
 ちなみにベースは娘の師匠、斉藤真也さんです。しっかし、強力なリズム隊ですなあ。

 10月7日の「戦後、歌謡曲はジャズだった」、行きたいなあ。仕事がなあ…。

ブルースカイエンターテインメント公式

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2016.09.20

現役医師たちの内部告発

 日も某所で日本の医療に革命を起こすかもしれない重要人物にお会いしました。
 日本の医療費、あるいは薬の消費量、そして介護費の増大は、正直異常事態です。国を滅ぼすレベルです。
 ここには、当然「健康利権」が大きく関わってきています。それがアメリカ(あるいは悪いユダヤ)の陰謀であるかどうかは、ちょっと置くとしても、とにかく日本の状況は世界から見て異様な状況です。
 人は、お金より何より、やはり自らの「健康」が一番大切であり、そして心配です。ある意味、お金持ちほど健康を害する可能性が高く、だからこそ健康の重要性を何より感じ、そこにお金をつぎ込むことになります。私の周囲にもそういう方々がたくさんいます。
 そう考えますと、実は健康というのは、まずは「清貧」からということも言えますよね。私なんか、「清」かどうかは分かりませんが、一日一食ですし、ある意味では「貧」です。そんなおかげさまで、今のところ大きな病気もありませんし、精神的な不調もありません。
 それなのに、たとえば職場の健康診断では、必ず「病人」と判定されます。病人と呼ばれるわけではありませんが、病院に行きなさいと命令される。
 よく言われるように、健康診断は病人を作るシステムであるとも言えます。実際、私の職場で健康診断業務を委託されているのは、某医薬品メーカーと強いつながりのある大企業の系列会社です。
 不安を煽って、お金をつぎこませるという意味では、どこかの悪徳エセ宗教団体と一緒ですね。
 さて、ずいぶんいろいろな悪口を書いてしまいましたが、こう書いてしまうのも、実際にそれぞれの業界の裏話を聞いているからです。それぞれの業界に友人や教え子がおりますので。
 特に驚くべきは医療の世界ですね。「え〜?ホント?」ということのオンパレードです。政治の世界などと同様、私たち凡人には分からない高度な知識と経験の世界ですからね。もう、おまかせするしかない。政治もそうですが、自分でやってみろと言われると黙るしかない。
 で、週刊現代に、そんな医療の世界の「ここがおかしい」を、現役のお医者さんたちが語った記事がありましたので、それを紹介します(ネットで読める元記事はこちら)。

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 冒頭の話ですが、医療の世界、薬の世界、福祉の世界に革命を起こすような発明や発想というのは、必ずある勢力から圧力がかかり、場合によっては消されます。そういう話もたくさん聞いてきました。
 しかし、いつまでもそんな悪事が通用するわけはありません。なんらかの形で、この悪弊を崩し、正常な「健康」の世界を作らねばなりません。まあ、私は命も名誉や地位もそれほど惜しくないので、正義の味方になりたいと思っていますよ(笑)。
 興味のある方、困っている方はご連絡ください(vef04007@nifty.com)。

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