昨日の「波の盆」が、実相寺らしくない(常識的な)作品だとすれば、このATG映画「曼荼羅」は、めちゃくちゃ実相寺らしい(過激な)作品だと言えましょう。
ちょうど50年前の作品ですか。作品の最後にもちらっと示唆されていますが、三島由紀夫の自決の余韻、すなわち左も右も行き詰まったあとの学生の行き場のなさ、虚無感を見事に映像化していると思います。
時間は観念であり実在ではない…随所に聞かれる時間論も面白いですね。
こちらで全編観ることができますが、いきなり濡れ場ですので音量にはご注意を(笑)。
虚無感の行き先が原始共産制であったり、エロチシズムであったり、カルト宗教であったり。ソフトになったとはいえ、半世紀経った今も、その行き場のなさは続いています。
ソフトになったというか、私たちはそこから目をそらすようになってしまったのですね。ごまかしている。私の世代はそういうごまかし世代のトップランナーです。
ですから、諸先輩たちの魂の格闘の跡である、このような作品を直視するのはいいことだと思いますよ。退屈だとか、つまらない、わからないと言わないで。
石堂淑朗とは全くタイプは違いますが、昨日の倉本聰もちゃんと格闘していますよね。
さて、私がこの映画が好きな理由の一つに「音楽」が挙げられます。これもまた昨日の武満徹とはタイプは違いますが、冬木透の音楽がいいのですよ。全編にわたってパイプオルガンのみ。
それが無調性な感じから、最後バロック期のコラール前奏曲のような調性感という意味を持つことになり、そして「死」「敗北」に至る。それをまとめてくれた動画がありましたので(マニアックだ!)、とりあえず映画は見ずとも、これを聴いてみてください。
冬木さん、ウルトラセブンの音楽のイメージが強いけれど、学生時代は教会オルガニストのアルバイトしていたんですね!その時の経験が活かされた見事なオルガン音楽です。
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