2016.12.09

加瀬英明 『ジョン・レノンは靖國の英霊に祈った』

Ent1612080002n1 日遅れになりますが、レノン忌に平和を祈りたいと思います。
 ああ、そう言えば今日はレイク忌にもなってしまいましたね。ELPのグレッグ・レイクさんがお亡くなりになりました。
 今年3月、追悼キース・エマーソンという記事を書いたばかりでした。キースの自死もショックでしたが、グレッグのガン死も残念です。まだ69歳だったとのこと。
 さて、ジョンの死以来36年、アメリカがどう変わったのか、変わっていないのか。これは難しい問題です。とりあえず銃社会は変わっいていない。それがアメリカの未来を象徴していると思います。銃という暴力の象徴を捨てられない社会は、やはり異常です。
 逆に言えば、アメリカが銃を捨てた時、世界が大きく変わる可能性があるともいえます。はたして、いつになるのか。それとも、捨てきれないまま自らを傷つけて「自死」してしまうのか。そういえば、キース・エマーソンも銃による自殺でした。
 今日は、ジョン・レノンの親戚にもあたり、日本の文化・歴史・宗教に造詣の深い加瀬英明さんが正論の11月号に執筆した文章を読んでいただきましょう。加瀬さんには私も個人的にお世話になっております。

ジョン・レノンは靖國の英霊に祈った

 ジョンが神道に興味を持っていたことは有名です。以前、加瀬さんの著書『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』を紹介しましたね。
 私も明日、靖國神社に参拝するつもりです。私は靖國神社にお参りすると、いろいろな英霊の声を聴きます。「英霊」と一言で片付けることができないほどに多様な声です。苦悩も平安も恨みも郷愁も悔恨も恍惚も困惑も迷いも、そして未来への祈りもあります。私たち、今を生きる人間が「言葉」で片付けてはいけません。そういう意味では世の議論自体が失礼だと思っています。
 ジョンはきっとそういうことを分かっていたのだと思います。

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2016.12.08

『合同歌集 スサノオの海』  出口光ほか・笹公人監修・藤原龍一郎解説 (河出書房)

Th_51kjhvshabl_sx353_bo1204203200_ 日は歴史的特異日12月8日。ウチの学校では「成道会」が行なわれました。お釈迦様がお悟りを開いた日ですね。
 そして、81年前の昭和10年第二次大本事件が勃発。その6年後、昭和16年には太平洋戦争開戦。真珠湾攻撃から今年で75年となります。
 戦後昭和38年には力道山が刺され、そして、昭和55年にはジョン・レノンが亡くなりました。
 あっ、それから、ウチの義理の兄の誕生日でもあります(笑)。
 さて、そんな歴史的な転換点となってきた今日12月8日に、合同歌集「スサノオの海」が発売となりました。
 私も所属させていただいている天命歌会のメンバーの力作、魂の歌とエッセイが収められている歌集です。メンバーのリーダーは、上記第二次大本事件の「主役」であった出口王仁三郎のひ孫出口光さんです。
 このたび、この合同歌集に私も自作の和歌(短歌)11首とエッセイを掲載していただいております。今回は「色色の歌」と題して、色を詠み込んだ歌を並べさせていただきました。
 監修は私の師匠でもあり、現代短歌界をリードする笹公人さん。そして、名解説で歌集の価値をお仕上げてくださっているのは、やはり短歌界を重鎮であり、そしてプロレスファンでもある藤原龍一郎さん。さらに、今回素敵なイラストレーションを添えてくださったのは、今をときめくイラストレーター森泉岳土さんです。
 私どものようなシロウトにとって、このような錚々たる方々にお力添えいただけるのは、本当に幸せなことです。
 実は、私はまだ実物を手にしていないのですが、早く手にしたい、早く皆さんの歌も読んでみたいと、ワクワクどきどきしております。
 もし、興味を持っていただけたなら、ぜひともAmazonからお買い求めくださいませ。私も私なりの言霊を込めたつもりでおります。
 ちょうどこの時節でありますからして、スサノオに始まり、王仁三郎に流れ込んだ「正統の歌流」を継ぐ天命歌会の歌集。持っているだけでも運気が上がると思いますよ(笑)。

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2016.12.07

『脳に免疫力をつければ病気にならない!』 苫米地英人 (コグニティブリサーチラボ株式会社)

Th_51tilqayql 日の話の続きとなりましょうか。
 昨日の基準で言えば、苫米地さんの理論はぎりぎり「エセ医学」「非科学的」となるかもしれません。苫米地さんは脳科学者ですが、全体として非常に未来的な思考をしますから、今の「科学」(近代科学的手法)では証明できない話も出てきています。
 私はほとんど全てにおいて、苫米地さんの言いたいことが分かりますし、また、それこそ科学的なエビデンスはゼロですけれども、絶対的な「実感」「実観」というのがあります。そこに共感、共振というのがあるのは動かしようのない真実でして、それは、まさに「情報空間」での現象なのかもしれません。
 この本で強調されているのは、私たちの体に起こる変化(たとえば病気)は、脳が作り出したものであり、脳がアクセスしている「情報」のエネルギーをコントロールすれば、病気は治るし、それ以前に病気にならない、つまり健康になるということです。
 「病は気から」と昔から言いますが、苫米地さんに言わせると、それ以前に「健康は気から」ということになる。すなわち「気」とは「情報」であるということです。
 昨日書いた、私が今実体験しているモノも、そうした「情報空間」、別の言い方をすれば「高次元宇宙」にアクセスする道具のようです。
 最先端物理学では、高次元宇宙に関する研究も進んでいます。つまり、苫米地さんの唱える理論や、私の関わっているモノの原理については、未来には「常識」となるのかもしれません。
 科学の世界では、当然と言えば当然ですけれども、事実が先行して、そして私たちの理解がそこに追いついていくわけです。
 昨日も書いたとおり、私たちが理解できないからと言って、その事実の全てを「ニセ」とか「エセ」とか断じてしまうのは謙虚さが足りないと思います。
 もちろん、低次元で詐欺的な行為をしたり、あるいは利己的な行動を無意識的にとったりする人はいますよ。それはすぐに分かります。くり返しになりますが、私はそういう人たちを、人一倍嫌います。当然、自分はそういう人にはなりたくない。
 そうそう、「なりたくない」と書いて思い出しましたが、この本で面白かったのは、「病気にならない」と唱えては病気を招くという話です。
 「無意識は肯定と否定を区別しない」。これはなるほどと思いましたね。たとえば、「病気にならない」と言うのは、「病気」になる自分を想像して、それを否定するという過程を踏んでいるわけですね。「ガンが治る」もガンであることを認めてしまっている。
 たしかに、「ああいう人にはなりたくない」と言った私も、自分に実はそういう人になる要素があるから、それを否定したくて、あえてそういう表明になるわけですよね。
 ですから、苫米地流に「私は健康だ!」と全肯定してしまえばよいと。「私は善人だ!」ってね(笑)。いや、冗談ではなく、たしかにそれが情報のエネルギーを最大化し、そして「コンフォート・ゾーン」を変化させたり、形成させたりする。
 それはやはり実感としてよく分かります。人が私のことを「はったり野郎」と呼ぶのは、あまりにも簡単に断言するからかもしれませんし、人が不可能だと諦めてしまったことを、こりずに追い求めつづけるからかもしれません。
 ありがたいことに、私自身は、苫米地さんが薦める、「ストレス・コーピング」も結構得意な方ですし、ゴールを現状の外に設定するのも日常茶飯事ですし、楽譜を見て楽器を弾く、それもヴァイオリン属を弾く機会が多い。
 苫米地さんが一日一食を否定されているのは、ちょっと残念でしたが、それも理解はできますよ。あくまで、私の一日一食は、自分にとってのコンフォート・ゾーンであって、他人には勧めたりしませんしね。あくまで私の流儀であると。
 ま、いずれにせよ、とても共感できる内容の本でした。一度、苫米地さんともお会いしてお話してみたいなと思いました。レベルは全然違いますが、いろいろな面、たとえば歴史観などでも共有できる部分がありますので。

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2016.12.06

『「ニセ医学」に騙されないために』 NATROM (メタモル出版)

危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!
Th_51mundyzcgl 近も、某科学者の方から「ニセ科学」を振り回すなと叱られました。全然振り回してないんですけど。
 そう、お気づきの方も多いと思いますが、私のやっていることの8割くらいは「ニセ…」と言われてもしかたないものですね。
 「ニセ科学」はもちろん、「ニセ歴史学」「ニセ宗教」「ニセ哲学」「ニセ政治学」「ニセ経済学」などなど…。では、いちおう専門の「文学」ではとうかというと、あんまり「ニセ文学」とは言われませんね。そこに事の本質が見えてきます。
 教育ではどうかなと考えると、「ニセ教師」とは言われませんが、「ハッタリ教師」とは日常的に言われます(笑)。
 そんな「ニセ人生」を歩んでいるワタクシではありますが、ここのところさらに危険な領域、「ニセ医学」の方にも足を突っ込んでおります…と、客観的に書けるところが、ある意味ワタクシらしさでもありますな。
 この前も「ニセ科学」と言われて腹が立つわけでもなく、妙に納得さえしてしまったわけですが、こちらの「医学」に関しても全く同じスタンスであります。
 今、関わっている「ニセ医学」は、あまりにその効果が絶大であるため、ここにはその詳細を書くわけにはいきません。しかし、私の周辺にいる方々の多くが「実体験」しているので、どうも単なるマヤカシではなさそうなのです。
 こういうモノがどこから来たかというと、どうも未来から来たようでして、面白いことに、ネイティブアメリカンの有名な長老のお墨付きさえいただいたというシロモノであります。
 おそらくこれを表舞台に出してしまうと、そのモノによって利権を侵される巨大な力の反発を受けることになるでしょう。場合によっては命さえ危ないかもしれない(?)。
 しかし、私は、自分の直観として、これはホンモノだと思っています(全く科学的な判断ではありません)ので、なんとか最終的には世に出したいと思っています。慎重に慎重に事を進めます。
 さて、そんなわけで、世で「ニセ医学」と言われるものがどんなものなのか、そのあたりを勉強しています。この本なんかその入門には最適でしょう。
 ここでしつこく確認しておきますが、私は「ニセ科学」やその一部である「ニセ医学」、「ニセ歴史学」、さらには「ニセ宗教」なんかも基本大嫌いです。それを振り回して金稼ぎするような人は軽蔑しています。
 しかし、世の中には、そういう意味ではなく、現代においては「ニセ」と評価されてしまうモノに純粋に興味を持ち、研究に取り組んでいる人もいるのです。私の知り合いにも、尊敬すべきそういう人たちが比較的多数いらっしゃいます。
 これも言い古された表現で、ある意味注意すべき言葉ですが、「全ての発見、発明は、それがなされる以前には全てウソ、妄想であった」というのも真理だと思います。
 考えてみれば、今の科学の常識も、以前は非常識であったものばかりですね。私たちは人類は、そうした批判や嘲笑を乗り越えて進歩してきたわけです。
 なんでも「ニセ」という言葉で片付けてしまうことは、そうした本来の人類の姿勢から外れていると思います。事実、私は数々の妄想を実現してきました。妄想実現党なるニセ政党まで作っている始末ですから(笑)。
 というわけで、この本の内容も、全くその通りだと思う反面、いや科学的に証明できないからと言って全てがニセとは限らないだろう、とも思うのであります。本当にそれが半々という感じで自分の中にあります。
 それはそれで、自分としては非常に健全な姿勢だと思っています。若い頃はどちらかに偏る傾向があったのですが、ここのところ、さまざまな二項対立の構図は薄れ、うまいこと融合できるようになってきました。年の功ですかね。
 理屈、客観、論理をつきつめるのも人間として崇高な姿勢ですが、それらの補集合たる世界の存在を認めるのもまた、謙虚という崇高なあり方だと思います。

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2016.12.05

2018年(平成30年)は特別な年

 ったく時が経つのは早いものでして、今年も師走となりました。
 来年のことを言うと鬼が笑うと言いますが、では再来年のことを言うのはいいのではないかということで、2018年のことを書いておきます。
 再来年は平成30年。来年は酉年ですから、再来年は戌年です。
 今上天皇の譲位問題について、先日こちらにちょっと書きましたが、今上天皇のご意向としては平成30年の11月に大嘗祭を行いたいようですね。
 前の記事に書いたとおり、私はそれに賛成する立場です。法的な問題や政治的な問題は別として、歴史的、いや霊的に考えると平成30年は大きな区切りをつける絶好の機会となるからです。
 2018年(平成30年)は次のような区切りがあるんです。

嵯峨天皇宸翰勅封般若心経1200年
後醍醐天皇即位700年
明治維新から150年
第一次世界大戦終結から100年
出口なお没後100年
田中角栄・中曽根康弘生誕100年

 まず最初の嵯峨天皇宸翰勅封般若心経1200年ですが、かなりマニアックなところですけれども、これは非常に重要な意味を持っています。
 嵯峨天皇の果たされた歴史的な意義はここでは省きますが、三筆の一人でもある嵯峨天皇が般若心経をお書きになり、それをお納めなさったということにおける神仏の融合の霊的な意味は非常に大きいと思います。
 平成30年はその写経の行なわれた818年と同様に戊戌の年となります。大覚寺の動画をご覧ください。

 そして、大覚寺と言えば南朝大覚寺統。天皇家が南北に分裂したのは後醍醐天皇が即位した1318年。再来年はそこからちょうど700年となります。
 それ以来、霊的には分裂したままの天皇家。この前あえて書かせいただいたとおり、国民統合を象徴する以前に、天皇家が統合されていない状況のまま、700年が経ってしまったわけです。
 それを霊的に解決できるのは、それぞれ南北両朝の霊統を継ぐ、皇太子殿下と秋篠宮殿下しかいません。
 また、そこに深く関わっている有栖川家と出口家のことも忘れてはいけません。ちなみに大覚寺の最後の宮門跡である慈性入道親王は、有栖川宮韶仁親王の第二皇子。慈性入道親王は明治維新の年に亡くなっていますから、再来年は150年遠忌となります。北朝系の親王が大覚寺の宮門跡になったというのも象徴的ですね。
 さて、今書いたように、明治維新から150年というのも非常に大きい節目です。いつかも書いたように、日本は明治維新以来の世界戦争に巻き込まれており、考え方によっては今もその戦争は継続しているのです。
 私は再来年に150年にわたる近代戦争がようやく終結を迎えると考えています。世界はその方向に動いています。そして、日本の霊的勝利が確定する…そう信じています。
 第一次大戦の終結は1918年。そこから100年というのもまた象徴的ではないですか。そして、その1918年には出口なおが没しています。そして、昭和を象徴する巨頭、田中角栄と中曽根康弘はその年に生まれています。
 そう言えば、今日、安倍総理が年末に真珠湾を訪れることが発表されましたね。まさに戦後の総決算の時が来ているのだと感じます。
 これらを総合的に考えますと、やはり平成30年(2018年)は、日本の歴史、世界の歴史にとって非常に大きな節目、区切りの年になるに違いありません。私は楽しみにしています。来年はそこへ向けて、私もしっかり準備をする年だと思っています。

 

 

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2016.12.04

ユーキャン新語・流行語大賞 2016 について

 「本死ね」をどうとらえるか。私は非常に不快に思います。大騒ぎはしたくありませんが。
 新語・流行語に該当するのかという以前に、自国に対して「死ね」という言葉を使う「大人」の気がしれません。その言葉を使う親の子どもが気の毒です。
 人に「死ね」と言うことはもちろん、たとえば「アメリカ死ね」とか「韓国死ね」とか言えばヘイトスピーチと言われ、そして絶対に流行語大賞には選ばれませんよね。
 まあ、考え方によっては、日本という国の寛容さ、あるいは謙虚さを表しているのかもしれませんね。国譲り理論の一つとも言えます。
 いずれにせよ、こんな言葉を年末に選んで大騒ぎする国もないでしょうね。やっぱり寛容なんですよ。
 ちなみにウチの家族は誰かに「死ね」と言われたら、「ありがとう。言われなくてもいずれ死ぬよ」と言うことにしています(笑)。
 ただ、日本はしなない…と打ち込んで変換キーを押したら「シナない」となりました…これは(笑)。日本の場合は死ねと言われても死にませんよ。だから動じなくていいのです。気分よくないけれども言わせておけばよい。
 それを言ってしまった本人は、ある意味国を家族のように、親のように思っているんじゃないでしょうか。甘えられる存在。親だからこそ言えちゃうというのもあるじゃないですか。
 親も「親に死ねとはなんだ!」と一言恫喝して終わりにすればいいでしょう。
 ちなみに上の動画は民進党の公式チャンネルです。この言葉をこうして前面に押し出してくる民進党。残念ですね。いや、怒られたいのかな。甘えてるのかな(笑)。
 そう言えば先週でしたか、先々週でしたか、蓮舫さんが山梨を訪問しました。輿石東さんを称える会にも出席していましたね。
 今となってみればですが、輿石さんはそれなりの器の人でしたよ。称える会には自民党の地元選出議員さんたちも参加していました。
 かつてはかなり強硬な反輿石だった私が言うのもなんですが、蓮舫さんや日教組のお偉方には、せめてこちらの輿石さんの(産経の!)インタビューを読んでいただきたいものです。
 

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2016.12.03

第36回 浅草JAZZコンテスト

Th_img_6686 は8年ぶりになりましょうか。浅草JAZZコンテストの応援に行ってまいりました。私の奉職する富士学苑中学・高等学校のジャズバンド部(Moon Inlet Sounds Orchestra)が7年ぶりに出場したのです(ウチの娘もベースで参戦いたしました)。
 今日は午前中仕事だったため、後半のバンド部門から鑑賞。浅草は大変な人で賑わっていました。
 前回7年前の出場では見事グランプリを受賞しましたが、その時は自分のコンサートが八ヶ岳でありまして応援に行けませんでした。前々回8年前は金賞と浅草ジャズ賞を受賞しました(こちらの記事参照)。
 結果から言いますと今回は見事「銀賞」を獲得いたしました。生徒諸君、そして顧問の先生、おめでとうございます!
 グランプリや金賞受賞経験のある身内の者として、もしかするとちょっと悔しい結果だったかもしれませんが、予選参加150組近くの中から本線に出られるのはたった16組。およそ10倍の難関ですからね。その中で3位ですから立派なものです。
 まあ、身びいきではなく、選曲、演奏、会場の雰囲気などなど総合点ではウチのジャズバンド部がトップだったと思います(思いっきり手前味噌か…笑)。
 が、他の出場者も非常にレベルが高く、いろいろな事情を考えますと「銀賞」も納得の結果だったと思います。ちなみに娘は本番のソロでコケたことにショックを受けていましたが…すぐに立ち直っておりました。
 さて、今回は大変ユニークなバンドが多く、バラエティに富んでいて全く飽きずに集中して鑑賞することができました。
 それぞれ講師の先生方の講評に納得させられましたが、ここでは、エセ評論家のワタクシめが、僭越ながら(失礼ながら)各バンドに寸評を加えさせていただきます。あくまでも古今東西絃楽器演奏者としてのコメントです。

 1 ジャズ箏 Ramses…山田流箏をやっていた者として一言。素晴らしい。めちゃくちゃ上手いですよ。やったことがある人でなければ分かりません。見事でした。ここまで箏でジャズできるんだという感動。特に邦楽独特の(調弦&押手による)狭い半音程がブルージーで素晴らしかった。
 2 高橋由香里カルテット…うまい。講評ではもっと山場をというようなことがありましたが、新しい若いジャズはこれでいいと思いました。昔のおじさんたちの感覚では物足りないかもしれませんが。非常にスタイリッシュで未来的な演奏でした。
 3 DUOSKE…ギターもベースも超絶技巧。本当にうまい。ただソリスト賞をとったベーシストの方、クラシックを学んでしまったマイナス面が出ていたと思います。たとえばフィンガリング。無駄がなさすぎで見た目的につまらない(笑)。吉木さんと対照的。音程もボウイングも完璧だが、それで何を表現しているのかわからなかった。これからに期待。
 4 DALIHI…スマートなフュージョン。私好みのバンド。ここでもコール・アンド・レスポンスを求められていたが、最新の音楽は空気のようでもいいのでは。たしかに浅草ジャズには「人情味」が必要ですが(笑)。これからもブレずに極めてほしいなあと思いました。
 5 Swing Strong Strings…ギターのお二人はお見事。ジャンゴ風な運指も見られた(シロウト目に)。ベースも安定。やっぱりヴァイオリンですかね。ヴァイオリン弾きとして断言できますが、グラッペリには近づくことも難しい。あの音と会話(おしゃべり)を聴いてしまうと、どんなジャズ・ヴァイオリニストもイマイチになってしまう。ヴァイオリン弾きは辛いですね(苦笑)。
 6 笹下中学校 SASAGE JAZZ ENSEMBLE ORCHESTRA…公立中学でこのクオリティーを持続するのは、ホントすごい。中学生らしい演奏という意味でも出色の出来でした。厳しい練習してるんだろうなあ。中学校教師としていろいろ想像しながら聴いてたら、なんだかホロッとしてしまいました。頑張って。そして音楽を続けて下さい。
 7 ウチの学校…内堀さん同様、もうたくさん聴きすぎていてコメントしづらいので一言。素晴らしい。
 8 ラテン連合軍…さすが日大&東工大OBチーム。よく見かける(た)顔が散見されました。リーダーはウチのジャズバンド部のOB。昔からしゃべりはうまかったけど、今回も厳しい質問にも上手に答えていて、そこに感動(笑)。演奏は完璧。ラテンはずるいと言えばずるい。一番分かりやすいので。特に1曲勝負の時は。講評でも言われていたように、渋い演奏にも挑戦すると「ギャップ」でさらに盛り上がるバンドになると思います。聴く方としては、ずっとあの調子だと疲れます(日本人は)。

 というわけで、本当に全体が素晴らしいコンテストでした。聴衆として大満足です。みんなよく練習してますね(反省)。
 ところで…やっぱりすごかったのは「ゲストステージ」。佐藤秀也さんのサックス&フルート、向井滋春さんのトロンボーンはもちろん、吉木稔さんのベース、関根英雄さんのドラムス、そしてそしてなんと言っても本日のスペシャル・グランプリはピアノの市川秀男さんでしょう。
 今日MCの紹介にもあったとおり、椎名林檎さんの伴奏があまりに素晴らしく、最近もYouTubeで観なおして娘たちと感動したばかりだったので、今日は生でその演奏を感じることができて最高に幸せでした。
 ちなみにこのお宝ショウのすぐあと、某ライヴハウスで斎藤ネコさんと共演させていただきました。贅沢な幸せでございました。

 おっと大切なこと忘れてた。司会の牧岩雅夫さん、相変わらずいい味出してたなあ。最近司会業の多い(笑)ワタクシとしても、大変勉強になりました。

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2016.12.02

Jay Hardway 『Sonia』

 ランダで活躍中の若手DJジェイ・ハードウェイの新曲『Sonia』のPVを観てビックリ!見慣れた風景が…カッコよくなっている!
 Martin Garrixとの共作「Wizard」が世界的ヒットになり、今年9月には来日公演も果たしたJay Hardway。日本でも人気が上昇中です。
 そんな彼が来日に際して、日本で、それも山梨で、それも富士吉田を主とする富士北麓でPVを撮ったのです。
 地元の人なら分かるかなあ。ホテル鐘山苑の庭園とか、不二阿祖山太神宮とか、忍野のとうもろこし畑とか(笑)。
 ふむ、西洋人にしてみると、実にエキゾチックなんでしょうね。いや、日本人が見ても、なんか特別な感じがしますよ。
 浴衣姿の女の子が光の玉を追いかけていく。たどり着いたところは、明見(笑)。
 不二阿祖山太神宮の三柱鳥居はたしかにカッコイイかも。それにしても、最後、宮司さんが象さんのお人形を持って微笑んでいるところが、なんとも謎ですね。なんかカワイイ。
 まあ、それにしても、見慣れた風景がドローン撮影するとこんなにカッコよくなるんですね。すごいなあ。もちろん音楽もカッコイイ。日常を編集し直すとこんな別世界が広がるわけです。
 日常の再編集こそは、私たちの人生を豊かにしてくれるアートです。というか、アートは日常の再編集そのものなんですよね。
 もちろん再編集とは映像に限ったものではありません。音楽も文学も絵画も映画も演劇も全てそれです。
 そういえば、12月8日に「スサノオの海」という歌集が出るんですが、私のやっている「短歌(和歌)」なんか、非常に分かりやすい「再編集」の例ですよ。作歌していると、「再編集」という言葉にピッタリな意識になります。
 ま、あまりそういう意識が強くなるといい歌が生まれないのも事実ですけれどね。
 そういう意味では、この「Sonia」のPVはギリギリの線を行っていると思います。

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2016.12.01

カリタ 『手挽きコーヒーミル クラシックミル』

Th__20161202_84417 は生まれて初めてコーヒーを挽きました。いやあ、今までなんでこんな素晴らしい作業をしないできたのでしょうか。
 コーヒーは好きで毎朝飲んではいたわけです。粉で買って、普通にコーヒーメーカーで淹れてですね。
 ただ、最近、街のカフェが流行ってるじゃないですか。コンビニでもおいしいコーヒーが飲める。特にセブンイレブンのコーヒーはおいしく感じる。なぜなら、目の前に豆が詰まっているからですよ。
 それをガーッとその場で挽いて淹れている。その雰囲気、ヴィジュアルがおいしそうなわけです。
 それで、これは我が家でもそうした演出が必要だということで、このたび初めてコーヒーミルを買って挽いてみたわけです。
 もちろん香りと味も違うのはもちろん、たしかにあの挽いている時の五感への刺激がたまりませんね。
 まず、視覚。あえてフタを開けてハンドルを回してみると、豆が踊っている。それだけでも楽しい気分になります。
 続いて聴覚。あのガリガリという音はたまりませんね。機械の均等な音ではなく、ちゃんとメロディーが奏でられる。まるで楽器を操っているかのよう。
 楽器と言えば、触覚も大切です。あの振動が心地よいですよね。
 そしてもちろん嗅覚。粉では味わえない、あの香り。ぜいたくです。ここがポイントですよね、コーヒー好きにとっては。
 そして、最後に味覚。やはり挽きたては違う。今日はスーパーで安い豆を買ってきて試してみたのですが、気分も含めて明らかにセブンカフェより美味しい!新鮮な苦味、酸味が素晴らしい。粉の時は、思わずミルクを入れてしまうことが多かったのですが、やはり挽きたてはブラックがいいですね。
 というわけで、これは電動の機械では味わえない、実に人間的な喜びであります。ヨーロッパ人がほとんど中毒と言っていいほどはまったのは、こうした五感へのバランスの良い刺激があったからでしょうね。
 そして、このカリタのクラシックミル、デザインもおしゃれですし、機能的にも優れている。安定感もあるし、挽きやすい。
 挽ける量が少ない(小カップ4杯分くらいが限度)のと、引き出しから粉を取り出すのがちょっとコツがいること以外は完璧だと思います。このお値段でこのぜいたくをこれから毎朝味わえるということ自体がぜいたくですね。
 これからはいろいろな豆を買って、挽き方も工夫してみたり、いろいろ実験していきたいと思っています。
 この歳になって、こんな人生の喜びに出会えるとは(笑)。

Amazon カリタ 手挽きコーヒーミル クラシックミル

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2016.11.30

古事記講座終了〜譲位問題について

 日、富士河口湖町にて全5回で担当した「古事記講座」が終了いたしました。毎回熱心に参加してくださった聴講生の皆さま、ありがとうございました。
 古事記講座と称しながら、話は宮下文書、出口王仁三郎、仲小路彰と、いかにもワタクシらしく大脱線しながら天地開闢から悠仁さままで時空を駆け巡りました(笑)。富士山にまつわる「異神話」も堪能していただけたかとは思います。
 特に今日は天孫降臨から未来の日本まで一気にお話しまして、皆さんちょっとついて来られなかったかもしれませんね。なにしろ「国譲り」でいっぱいお話しすぎまして、最終回が超早送りになってしまいました(苦笑)。
 さて、今日は講座のまとめとして、ここ数日でも有識者会議で大きく意見が分かれた「譲位」のことについてお話させていただきました(「生前退位」という言葉は使いません)。
 その時の板書の内容が以下のメモです。お分かりになる方にはお分かりになるでしょうね。かなりきわどいお話になっています(◯で囲ってある人物は富士山に縁の深い方々です)。

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 古事記からの日本の皇室の流れの中には、さまざまな「国譲り」があります。そこを捉えないと、このたびの譲位問題もその本質が見えてきません。
 対立構図が生まれた時に、「譲ることによって生き残る」という手段(作法)をとるのが日本流。
 皇后さまの御製(御歌)をもう一度味わうべきです。

 国譲り祀られましし大神の
     奇しき御業を偲びて止まず

 しかし、国譲りはあくまでも暫定的な措置です。どこかでそれを魂レベルで統合、和合していかねばなりません。それが我々日本の大きな課題なのです。
 「日本国民統合の象徴」という難題に真剣に取り組まれてきた今上天皇のお持ちを考えてみて下さい。
 ここではっきり書いてしまいますが、実は現在の天皇家は、国民の統合以前に、南北朝時代以来の「皇室の統合」ができていないのです。
 しかし、ここへ来て、上のメモにあるように、南北両朝の霊統がバランスよく皇太子さまと秋篠宮さまのお二人にあって、さらに悠仁さまのご存在がある。
 これはまさに、後醍醐天皇以来700年の皇統分裂を再統一するチャンスとなるのです。
 実は後醍醐天皇の即位は1318年。すなわち再来年2018年はちょうどそれから700年目となり、また明治150年にも当たるのです。
 今上天皇陛下におかれましては、現在のさまざまな意味でのお立場では、とても一人でその問題を解決することはできません。
 そういう意味で、ご子息お二人にその大任を託すというのは、大いに結構なことであり、そういう次元で考えると、やはり「お気持ち」を尊重申し上げて、ご譲位をスムーズにできる環境を整えるべきというのが、私の考えです。
 皇太子さまはもちろん、秋篠宮殿下のお役割も非常に大きいと感じています。
 ちょうど今日は秋篠宮さま51歳のお誕生日。昨日それに先立って記者会見がありました。上記のことをふまえた上で、ぜひこの記者会見をお聴き下さい。


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