2019.04.19

BACH TO THE FUTURE

 昨日紹介したノートルダム大聖堂のパイプオルガン。その後の情報でも基本的に無事だったようで、とにかくは一安心。
 今日ご覧いただくのは、大聖堂オルガニスト、オリヴィエ・ラトリーの超カッコいいバッハです。まさに「BACH TO THE FUTURE」。未来への希望が感じられる演奏です。
 昨日はイエモンの超カッコいいロックを紹介しましたけれど、こっちも負けませんよ。バロックというかロックですね。たしかに、このいわゆる「トッカータとフーガニ短調」は、バッハの作品の中でもかなりの変わり種。若気の至りというか、かなり破天荒な音楽です。トッカータ部分もフーガの部分も、正直バッハらしくない。
 もとはヴァイオリンの無伴奏曲だったとか、他人の作品だとか、まあいろいろな説はありますが、それは実はどうでもよくて、この作品自体がかなり未来的な挑戦的な作品であることを認める方が重要です。いわば「ロック魂」で作られていると。
 だから、このロックな映像も見事ハマる。本当にロックのMVのようですね。カッコいい。
 そして、なんというか、因縁めいているのは、まるでノートルダム大聖堂が燃えているような感じではないですか。「BACH TO THE FUTURE」だったのかもしれません。映像の記録としてもかなり貴重なものとなるでしょう。

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2019.04.18

THE YELLOW MONKEY 『9999』

Th_61yalk3kehl れしい。くやしい。かっこわるい。かっこいい。オレも頑張るぞ!
 イエモン19年ぶりのニューアルバム。昨日発売になりました。昨日からずっと聴き込んでおります。同世代として、こういう成熟ぶりを見せてくれると本当に刺激になります。
 もう細かいことは書きません。書きたいけれど書きません。音楽についてずっと語ってきましたが、もう語るのをやめて、ひたすら聴こうと思わせてくれるアルバムです。
 ただ一言。やっぱり吉井和哉の歌詞はすごい!これってある意味、私の人生に対するアンチテーゼですよ。だからこそスカッとする。
 ここからはあえて「吉井くん」と呼ばせていただきます。後輩の吉井くんにこれだけ気持ちよく挑発されると、オレも黙っていられなくなるよ!
 そう、吉井くんは中学の後輩。イエモン再集結の少し前には、本当に不思議なご縁から(ライヴで拝顔していたのを除けば)ウン十年ぶりに再会して、中学時代のことや、志村正彦くんのことについて話しました。吉井くんと「大岩中央スーパー」の話したのは、たぶん私だけです(笑)。
 まあある意味、それだけ共通した青春の記憶があるということです。あの鬱屈した、カッコつけてもカッコ悪い時代の風景を共有している。そして、彼はこんなにカッコいい五十代になっている。オレだって負けていらない!本気でそう思うのでした。
 アンチテーゼというのは、彼が全く勉強をしない少年だったことに起因します。そう、つまり、私はまあ比較的優等生で、それなりに文学や言語の勉強をして国語のセンセイになり、なっちゃって歌人をきどったりしているワケですが、彼はですね、そんな勉強はしていないのに、しかし、今や現代日本を代表する「詩人」になっているわけですよ。
 学校で習う、お行儀の良い日本語なんかからとっくに自由だから、だからはっとさせられる詩を書くことができる。悔しいけれど、私には絶対に不可能です。たとえ中学時代に戻って、彼と同じように学校をさぼっても(笑)。
 それと気持ち良いくらいに嫉妬してしまうのは、こんな音を奏でる、こんなアンサンブルのグルーヴを出せる仲間が彼にはいるということに対してですね。今回のアルバム、本当にそれぞれの楽器の音がすごい自己主張しているのに、しかしそこに共通の「愛」があるからか、全体としては不思議と落ち着いたバンド・サウンドになっている。それだけでも涙ちょちょぎれです。
 あと、やっぱり「愛」なのは、エッジのきいたロック・ナンバーと、実に優しいバラードのバランスの良さですね。荒魂と和魂の幸せな融合、融和。泣けます。
 ああ、結局、語ってしまったではないか。チクショー!吉井和哉、いや一哉にすっかりやられてしまった。悔しいから武道館行きます!

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2019.04.17

ノートルダム大聖堂のパイプオルガン

Th_002notredameorganrestricted 物自体もそうですが、多くの文化財が失われる危機に瀕しているノートルダム大聖堂の火災。
 音楽好きとしては、やはりあの巨大パイプオルガンのことが心配になります。
 現地の友人によると、最悪の事態は避けられたとのこと。とはいえ、かなりのダメージがあることでしょう。
 ノートルダム大聖堂のパイプオルガンは、18世紀に設置されて以来、何度も改良、増築、修復が重ねられ現在の姿になりました。いろいろな時代の技術の粋を集めた名器と言えます。
 23歳で大聖堂のオルガニストになり、以来30年以上演奏を続けているオリヴィエ・ラトリーの即興演奏を聴いてみましょう。

 ノートルダム大聖堂と言えば、西洋音楽の歴史そのものと言ってもいい存在ですね。ノートルダム楽派という音楽史上の分類があるくらいですから。ある意味、五線譜や和声、ポリフォニーからホモフォニーに至るまでの、現代西洋音楽の重要要素がここで実験され創造されたとも言えます。
 特に聖堂の構造による独特の残響が音楽の創造や発展に影響したことは間違いないでしょう。
 今回の火災では、焼失という最悪の事態は避けられたとのこと。聖堂自体はこれから再建されることでしょう(デジタルデータ化は済んでいた)。再建なり、オルガンも復活した折には、全く新しい音楽が生まれることになるのかもしれません。
 
 

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2019.04.16

ノートルダム大聖堂大火災

Th_wor1904160008p1_5 ろしい光景です。神の怒りなのか。人類はただ絶望しておればよいのか。キリスト教文明の試練なのか。
 祈りの場が突如灰燼に帰すことはあります。その意味をどう捉えるかが、実は信仰者がその祈りの質を問われることになります。
 私の身近なあるところでも、聖域が突如火災に見舞われました。全焼。文化財も全て焼き尽くされた…しかし、ほんの一箇所だけ焼け残ったところがあり、そこから誰も知らなかった貴重な「書きもの」が出てきました。
 それはまさに「今」必要なものでした。火災という荒魂が発動しなければ、絶対に見つからなかったものです。ノートルダム大聖堂においても、きっとそのような「発現」があることでしょう。そこにはキリスト教文明、すなわち西洋文明の未来に関わる重要なヒントが隠されているはずです。
 このような荒魂が発動する時というのは、今回の火災のように人命は奪われないことがほとんどだと聞きました。
 神の、宇宙のスケールから言えば、それは小さな火であり、たしかに残念ではありますが、本質から離れて大事にしてきた「財産」から、私たちを強制的に解放する仕組であるとも考えられます。
 多くの人類が「本質」に気づくことを祈ります。

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2019.04.15

トロッコ問題

 Th_d33enk3u0aanz2f 々ネットで話題になる「トロッコ問題」。学校でもよく使われる「教材」です。
 学校で教材として使うと、多くの生徒が第三の解答を求め始めます。つまり二択は難しいわけですね。難しいから問題なのですが。哲学的、倫理的な問題だと言われると余計に難しい。人間性を試されているような気がするからです。
 個人的な感情を排して論理的に考えると、実は答えは一つになります。自動運転の研究の中で、このトロッコ問題が問題になっているかと言えば、実は問題になっていなくて、答えは一つです。AIには個人的な感情はプログラミングされていません。
 しかし、その無感情こそが問題になるわけです。そこを授業でやると面白い。
 たとえば、横断歩道を渡る6人がいるところに車が突っ込むとする。前の3人は歩くの早い若者、後は遅い老人だとすると、ハンドルはどちらに切られるべきか。これが前の二人が犯罪者、中がニート、後が東大生だったら…とか、そこに動物や知り合いやいろいろなものを混入させていくと、どんどん生徒は迷うようになり、答えが何種類にもなっていくことを実感します。
 それがAIだと答えは一つであると説明すると(もちろん極論です)、「自動運転なんかいらない!」とだいたいの生徒が言い出す。面白いですね。シンギュラリティはこの時点ですでに実現不可能になるわけですね。
 さらにもっと複雑でほとんど無限の可能性のある「現実」で考えていくと、結局その刹那の直感で決断していくしかないことが分かってきます。
 こういう難問にぶち当たらせると、生徒はだいたいふざけ始めます。第三どころか第四、第五の、ほとんどウケ狙いの答えを提示するようになってくる。
 つまりお笑いとは、複雑すぎて解決困難な現実問題の昇華であることがわかりますね。そういうところまで伝えると生徒はとっても嬉しそうな、安心したような表情になります。
 ちなみに、トロッコ問題について、私は個人的な感情込みでも一つの答えにたどり着きます。すなわち、ポイントを切り替えて一人の作業員の方に向かわせるという決断です。
 それはある意味では第三の解答ということになるかもしれませんが、未来の不確定性を考えると、つまり、未来は変えることができる可能性があるということを考えた時、作業員がなんらかの方法で逃げて、あるいは突然の大地震でトロッコが脱線するとかして、死者が出ないですむ可能性を考えた時、その死者が出ない可能性というのは、明らかに一人の方が高い。
 これは何人が亡くなるかというマイナスの視点ではなく、何人が助かるかというプラスの視点からの判断です。
 一般的に、何人が亡くなるかという観点からすると、そこに倫理的、道徳的な「感情」が発動してジレンマが発生します。5人のために他の1人を殺してもいいかというジレンマですね。命を数値化することに対する抵抗もある。
 そこでプラスの発想ができるのも、実は様々な判断を下す際のコツのようなものなのでした。

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2019.04.14

ブラックホールとホワイトホール

Th_190411_blackholew1280 週のニュースになりますが、なんと「ブラックホールの撮影に成功」したとのこと。
 もちろんブラックホール自身は光をも吸い込んでしまう存在なので、それを写真に撮影することはできません。しかし、そのあまりに強力な重力の影響は、その周囲に異常な現象を引き起こします。
 それを撮影したのが今回の「ブラックホールの写真」ということになります。
 細かい学術的なことは専門家におまかせしましょう。ここは私なりのブラックホール観(感)を披露させていただきます。
 私、この「写真」を見た時、「あっ、これ見たことある」と思いました。
 色合いは違うのですが、何年か前に遭遇したUFOがこんな感じのドーナツ型だったのです(こちら参照)。
 小型UFOとブラックホール、全然関係なさそうですよね。いや、私の中では実はちょっとつながっているのでした。
 というのは、私にとってのブラックホールはですね、その向こう側に必ず「ホワイトホール」が意識される存在なんですね。おそらく小学生の時に読んだ「ホワイトホール」という本の影響でしょう。いまだにそれが続いている。
 ホワイトホールの可能性は、アインシュタインの一般相対性理論からは導き出せますが、一方でその実在は疑われています。SFの世界では、ワープの出口として扱われることが多い。
 私は、小学生の時からなぜかホワイトホールの存在を信じていました。というのは、入り口と出口の関係というよりは、ブラックホールの鏡像としてのホワイトホールをイメージしていたんですね。
 つまり、空間的にも時間的にも完全に反対の世界。そういう意味ではブラックホールと同じものということになります。それが同時に存在している。時間の流れの方向を、一般的な地球上のというか、人間の一方通行的感覚でとらえると、「同時」の意味がよくわからなくなると思いますが、宇宙の時間観の中では自然に同時に存在できるのです(と小学生の時から思っていた)。
 こんなところが、私の宇宙人たるところなのかもしれませんが(笑)、実はその理論というか感覚からすると、UFOというのは乗り物というよりも、そうした時空の歪みの周辺に起きている現象ということになるのです。
 ですから、私が出会った小型UFOも、おそらくそこに誰か乗っているというよりは、そこの時空がなんらかの原因で歪んでいたということだと思っています。あのまま車ごと吸い込まれていたら、今私とカミさんはどこにいるのでしょうか。ちょっとそこに行ってみたい気もします。いや、今ここがまさにそこなのかもしれませんね(笑)。

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2019.04.13

上野千鶴子のボケ祝辞

Th_-20190414-163330 ケ祝辞シリーズ(?)。
 いや、これってボケですよね?
 たけしさんが東大でこの祝辞を述べたら、それはそれで面白い!ということになる。
 なんで、これが絶賛されたりするのでしょう。
 いや、内容はいいのです。上野千鶴子さんのご著書も何冊も読んでいますし。この時代ですから、まあフェミニズムも認めましょう。
 しかし、これは祝辞ですよ。祝辞。入学式の祝辞です。お祝いです。
 だから、「ボケ」なんですよ。祝辞としてボケているわけです。
 まあとにかく読んでみてください。

東京大学学部入学式 祝辞(上野千鶴子)

 自説をとうとうと述べる場ではないでしょう。女子学生だけではないし、女子学生にしても様々な人がいる。男子学生にだってまともな人がいる。
 これを東大らしいとするなら、私は憂えますね、東大を。
 「場」というものがあります。その「場」をわきまえないのというのは、どうなんでしょうか。
 昨日書いたように、たけしの祝辞は、その対象たる天皇陛下への理解と愛の賜物でした。はたして上野さんの祝辞は、その対象たる新入生への理解と愛に満ちていたでしょうか。
 社会問題を解決してほしいという願いがこめられているのはわかりますが、ご自身の専門分野の話をこんもりと押し付けるのは、さすがにちょっと違うと思います。
 こうして東大新入生以外の人たちの賛否両論を巻き起こすのが目的だとしたら、それは成功したかもしれませんが、それではますます「場」の「祝辞」ではありませんね。
 現場で聴いていた方々、つまり新入生とその保護者の皆さんの正直な感想を知りたいところです。
 

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2019.04.12

たけしのボケ祝辞

Th_-20190414-143801_1 下のご即位三十年記念式典で、たけしさんが思いっきりボケ倒したとのこと。
 なにしろ天皇陛下に対する祝辞ですからね。不敬だ!と騒ぐ人もいるようですが、私は全然問題ないどころか、とても愛情に満ちた祝辞だと感じました。
 まずは全文読んでみましょう。

陛下即位三十年式典でもたけし流ボケ倒し祝辞 全文

 これをですね、たけし流ではなく、全くまじめにやったら、それはその方が不敬かもしれません。陛下はたけしさんのことをよくご存知のはずです。なにしろアウトレイジ3をご覧になっているくらいですから(笑)。
 すべての国民を愛する天皇陛下としては、その国民に愛されているたけしさんには、普段の姿、言葉、センスでお祝いしてもらいたかったことでしょう。
 たけしさんも、そのあたりと場の空気とのバランスを考えて、実にちょうど良い「ボケ」をかましてくれたと思いますよ。お見事。さすがです。

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2019.04.11

安藤輝三大尉の遺品が鈴木貫太郎記念館に…

Th_-20190412-84607 わず涙してしまうニュースでした。本当に本当に良かったと思います。なにか自分の中でも一つの区切りができたような気がしました。
 二・二六事件での、襲撃した側と襲撃された側とが、こうしてようやく一つになった。いずれも天皇のことを、日本という国のことを、国民のことを真剣に考えていたのに、あの時代の中でああいう結果になってしまった。
 しかし、それがのちの「開戦」と「終戦」を生むことになる。ここにさらに未来的な意味を見出さねばと思っていた私と家内にとって、このたびのこのニュースは一つの結論、ゴールを示すものとなりました。
 そう、こちらに書きましたとおり、私たち夫婦は3年前、安藤輝三大尉の墓前で偶然に、このニュースでも紹介されている安藤日出雄さんに出会いました。
 そして、そこで、まさに安藤輝三と鈴木貫太郎の話、さらに仲小路彰の話、出口王仁三郎の話をしました。二・二六事件がいかに未来的な事件であったか。安藤大尉も鈴木侍従長も、自らの命をかけて「天命」を全うしたのです。人間の微視的な感覚ではとても評価できるものではありません。
 私たちと日出雄さん夫妻とのお話が、その後の遺品発見、そして今回の奇跡的な和解、融合につながったとは申しません。ただタイミングが合っただけでしょう。しかし、巨視的に見れば、ここにも仲小路や王仁三郎の天からの意志が働いたとしか思えません。私たち夫婦もあの時は完全に動かされていました。
 本当に嬉しいことです。ぜひ、鈴木貫太郎記念館に赴き、安藤大尉の遺品を拝見しながら、天皇を中心とする「融和」「融合」「和解」がキーワードとなる、「令和」の未来について思いを馳せたいと思います。
 日出雄さんの、そして鈴木家の皆さんのご英断に心より感謝申し上げます。

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2019.04.10

もう一つの富士山(その12)…松竹映画の「富士山」

Th_que12117966987 年ぶりの「もう一つの富士山」シリーズ。以前のものはこちらからどうぞ。
 松竹映画のオープニング富士山。だれもが一度は目にしたことがあるでしょう。2015年に松竹創立120年と、富士山の世界遺産登録を記念して、新しいものになるまで、この映像が使われていました。
 富士山の近くに住んでいる私はもちろん、そうでない方でも、この富士山、リアル富士山ではないということは分かるでしょう。実はこの富士山、大船のスタジオに作られた模型であることが、こちらに書いてありました。

下地に石膏で形作られた1m80cmの富士山のミニチュアは、30cm高の台上に置かれ、その廻りを浅い水槽で取り巻き、ドライアイスを流し、その手前に移動レールの上に1m80cm幅に綿を置き、キャメラと綿雲の間にフォグメーカーでスモークを流すという三重構造で雲を作った

 違う話だと、この富士山は「絵」とのことで、私も「絵」だと思っていたんですが、どうなんでしょうか。もっと古いモノクロのものは模型なのでしょうか。
 いずれにせよ、稜線の角度が実物より急なのは明らか。これは太宰治も指摘しているとおり、本物の富士山の稜線は意外になだらかなのですが、私たちの頭の中の富士山はもっと急なのです。ですから、子供でも大人でも、富士山の絵を描かせると必ず急になる。
 そういうイメージに合わせて作られたのが、この松竹富士ということです。もちろん北斎も横山大観もかなり急に描いていますね。それが「日本流リアリズム」ですね。西洋の印象派を生んだ「脳内リアリズム」です。
 しかし時代の流れというのもあります。私たちはたしかに富士山の映像を観る機会が増えました。結果として、ある意味西洋的なリアリズム、すなわち現実の富士山に記憶が近づいてきた。
 そういうこともあって、2015年に新ロゴが作られたというのもあるでしょう。よりリアルになった松竹の富士山。旧松竹富士は山梨県側忍野の富士山をモデルにしているそうですが、今度は河口湖ですね。新道峠。忍野の富士山よりもスマートに見えるスポットです。

 リアルなだけでなく、最新のデジタル技術によって映画にふさわしい「物語性」を生み出していますね。いいと思います。
 一方、日本の伝統的「脳内リアリズム」をさらに未来的にした、別のロゴも作られました。これはこれでかっこいいですね。

 ブルーライン用もあります。

 皆さんにとっての「リアル」な富士山とはどんな姿でしょうか。日本の象徴は、このようにそれぞれの人たちの心の象徴でもあるのでした。そういう意味では「もう一つの富士山」は無数にあるということですね。
 

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